抱きしめて、離さない [1]

「お前が、街に行きたいというのは、珍しいな」

それだけいうと、クロコダイルは黙りこくって、苦々しい顔でしばらく逡巡していた。眉間にたっぷりと皺を寄せて、難しい顔だ。それを、私は気まずさをかんじながら見つめている。


クロコダイルのただでさえきつい目が、きゅうっと絞るように細められて、私をじっと捉えていた。落ち着かない気持ちで、シャツの端を両手で握りしめた。正直、怖い。クロコダイルが怖い、というより、目の前の人物の放つ威圧感が、怖い。そうして、結局、重たい溜息をひとつついた後、仕方がないといった様子で許可をくれた。

私の方は、緊張から解放され、安堵の溜息をもらす。私の買い物にクロコダイルをつき合わせてしまうなんて、申し訳なさ過ぎて落ち着かないし、恐れ多くてまともに買い物ができそうになかった。


「本当に、ひとりで大丈夫で大丈夫なんだろうな」と、凄むように念を押された。

躊躇いながらも小さく首を何度か振って答える。すると、不機嫌そうな舌打ちが。どうやら、私ひとりで、というのが気に入らないらしい、が、何か思うところがあるのか、無理強いはされなかった。


「日が暮れる前には戻れ。何か買いたけりゃ、これで何とかしろ」そういって、クロコダイルは胸元から、小さめの、折り畳みの革財布を取り出して、ほおってよこした。慌てて受け取る。その重みに驚いて、中を開けて覗いたら、紙幣が詰まっていた。小さな驚きの声がもれた。


「面倒事には、巻き込まれるな。ちゃんと前見て歩け。知らないやつにはついていくな」と、とっくに成人済みの大人にかけるとは思えない言葉を畳みかけられる。反論しそうになったけれど、クロコダイルは「しっかりしてそうなくせにぬけてる」ということをなにかにつけては指摘してくるので、不承ながら、何も言えなかった。

こんな大金、受け取れません、と拒否しようとしたが、「何かあったら、てめぇ、責任とれるのか」と、よくわからない理不尽な脅しをうけ、受け取ることに。恥ずかしいけれど、肝がすっかり縮み上がっていて、舌がよくまわらなかったせいでもある。


こんな大金が必要になるほど欲しいものはないし、荷が重いし、それより、こんな大金持ってたらそのせいで面倒事に巻き込まれる方が多いと思うんですが、とも思ったもののやはり言えなかった。



◇◆◇



「わぁ、すごい………!」
街につくと、思わず、感嘆の声がでた。久しぶりに街で、人の熱気にあてられて惚けたように立ち尽くす。
そこは、活気あふれる港町だった。アラバスタとは違って、多分に湿気を含む風、潮のにおい、瑞々しい青い空には、もくもくと大きな白い雲が立ち上っている。穏やかな丘陵となっている街のところどころには緑が繁り、空と大地の鮮やかなコントラストが、目に痛いほどだった。

朱色の煉瓦が敷かれた道は、ごつごつとして藁のサンダルでは少し歩きにくい。それでも、欠けた煉瓦の隙間からは青々とした雑草に土が覗いていて、理由もなく嬉しくなった。土の上を歩いている、という実感に心が躍った。口の端が自然とあがり、笑みが漏れた。


街は、人で溢れかえっていた。道端には、所狭しと露店が立ち並ぶ。街を行き交う人の服装も、顔つきも、街の匂いだって、アラバスタで慣れたものとはまったく異なっていた。露店に並ぶものだって、今まで見たことがない新鮮なものばかり。

そういえば、まともに旅行をするのは生まれてはじめてかもしれない、と思った。今まで、いくつも海を渡ってきたけれど、それは奴隷としてだった。人としての尊厳は奪われ、劣悪な労働環境での、いつ終わるとも知れない強制労働の日々。心身ともに摩耗していき、いつも何かに脅えていた。人生に期待も希望もしていなかった。死ぬ勇気がないというだけで、生きる意味も見いだせず、ただ毎日をやりすごす。


それが、どうだ。いま、世界がこんなにも、美しくみえる。自由とは、旅とは、人の心をこんなにも満たすものなのか。感動で胸がいっぱいだった。

好奇心の赴くがまま、ふらふらと店に立ち寄っては、気になったものを手にとってみたり、見たことのない果物を試食させてもらったり、アクセサリーの繊細な細工に感嘆の溜息をもらしたり。

つまり、私はすっかり浮かれていた。だから、異国の服装に、地元民からは見慣れない顔立ちをした自分が、どれほど目立つ存在なのかを失念してしまっていた。
面倒事には、巻き込まれるな――――そんなクロコダイルの言葉が脳裏によみがえったのは、すでに面倒事に片足つっこんでいるときのことだった。


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