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俺は、とっくになまえに心奪われていた。そして、それに気づくのがあまりにも遅すぎた。恋は人を愚かにする、とはよくいったものだ。

死を奪われ、もう二度と生きることはないと思っていた。死がないのだから、その逆の生とて存在しないと、諦めていた。もう、何事にも心動かされることはないと思っていたのだ。人としての感情、欲望はそのままで、こんな化物となってしまった事実から、目を背けていたのかもしれない。

だが、なまえと出会ってから、日常の些細な出来事に、こうも感情を動かされる。

例えば、俺の服装について。ひとりでは、気温の変化はあまり感じないため、季節の機微にはどうしても疎くなってしまう。そんな俺をみてなまえは、「ちょっと、それは寒そうすぎます。みてるこっちが寒いです」と、俺のコートをだしてきたり、「最近は春らしくなってきたから、こっちの方がいいな」と、ネクタイをあわせてきたり。それに、「お前はセンスがねぇな」と、ちょっかいをだしてみたりするとき。

例えば、ベッドで一緒に眠るとき。暑い真夏の夜は、冷たくて気持ちがいいから、なんて言って人のことを雁字搦めにして寝るなまえ。すやすやと平和そうに眠るなまえが愛おしくて、そっと頬を撫でると、くすぐったそうに身をよじる瞬間。本人が起きているときは、気恥ずかしくてなかなか甘い行動はしないけれど。なまえは、寒い冬の晩も、文句をいいながら腕を絡ませてくる。それを、本当は嬉しく思っていること。

例えば、俺が仕事に行く前に、甘えるようにキスをねだるなまえ。それを「くだらん」と一蹴すると、拗ねたように頬を膨らます。その様子が可愛くて、さらに素っ気なくしてしまう。

そんな些細な日常がいつまでも続くと思っていた。日が沈み、また昇る。季節も巡る。なまえとの思い出が、積み重なっていく。

人であるときに、出会えていたら、――――今だから、そう思えるのだろうけれど、そう願わずにはいられなかった。
生者の世界にも、死者の世界にも居場所のないもの、世界に後ろめたい何かを抱えるもの、そういった輩が生と死の狭間を生きる中途半端な存在、吸血鬼になるという。事実かは、確かめようがない。だが、生前、確かに俺に居場所はなかった。正確には、居場所はあった、金も権力もあった。だが、心を許すほど近くに置いた相手はいなかった。悪事にだって手を染めた。良心や感情に流される奴をみてはせせら笑い、見下していた。

自分とは縁遠かった、誰かと過ごす生活は、意外なことに幸せなものだった。あまりに穏やかな日々だった。だから、すっかり忘れてしまっていた。俺は、死ねないということを。そして人はすぐに年を取るということを。なまえはゆっくりと年を重ねていくのに、俺はまったく変わらない。

その事実に気づいたときには、愕然とした。こいつは、俺をおいてどこか、手の届かない遠いところにいってしまうのだ。なまえにこんなにも心奪われていることにすら、間抜けにも気が付いていなかった。人に恋をしたところで、どんな結果になるか、それがわからない俺ではなかろうに。何故、気が付かなかった。恋は人を愚かにする。恐怖を抱くことなどついぞなかった俺に、なまえは大事なものを失うという恐怖を与えた。

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