32

時々、クロコダイルは深夜まで帰らないことがある。なんだか、わたしには知らされていない『計画』とやらが、佳境にはいったらしい。部屋を空けることも多くなってきた。この砂の国は、最近反乱やなにかと、騒がしいニュースで溢れている。でも、ここ、夢の町レインベースは、どこ吹く風、といつも通りの日常を送っていた。

その日は、クロコダイルの帰りが遅く、珍しく酒の匂いもする日だった。基本的に、酒に呑まれるようなことのない、アルコールには耐性のある人だけれど、こうして微かにアルコールが薫るほど飲む日もある。


そんな日の彼は、饒舌だ。

「おかえりなさい、クロコダイルさま」
「あぁ、なまえ」帰りの挨拶もそこそこに、抱きしめられる。大きな両腕に抱きとめられ、顔は胸におしつけられる。クロコダイルの肩に羽織るようにかけられたロングコートが揺れて頬を撫でた。

「お前に、これを買ってきた」

そうして、ポケットからだされた片手には、黒のチョーカー。

「………なんですか、これ?」
「首輪だ、お前用の。オーダーメイドだ」

無骨な指が、華奢なチョーカーをゆっくりと掲げて、わたしにみせる。

「ここに、鍵がついている。俺にしか外せねぇ」

鉤手がついままの左腕で、抱きとめられたまま、右手で器用に外してみせた。

「あとで、つけてやる」

短い口付けから解放されると、大きな体躯の彼は腰を折って、私の耳を食んだ。

「なまえ、おまえは、どこにも、逃がしてやらねぇよ」

耳元に、低く艶やかな声が吹き込まれる。元々逃げ出す気なんてないのに、この人はそんな選択肢すら奪うかのように執拗に執着心を顕わにする。それから、唇は、そのまま目元へ移動して、目尻に優しいキスを落とした。言葉は自己中心的で勝手なのに、仕草は優しくて戸惑ってしまう。

「お前は、俺のだからな」

そういって、クククと笑う。でも、その声の中に隠し切れない熱情を感じ取り、鈍く甘い痛みを覚えた。そうして、わたしは再び彼の乱暴な口づけを受け入れた。

ひどい傷がまっすぐに入っている顔。頬にそっと手を沿わして撫でる。肌は、乾燥している。加齢によるものか、それともこの国の乾燥した空気のせいだろうか。

頬から、そのまま薄い唇に指を這わす。軽薄な唇。わたしのことを捉えて離さない。こうしてじわじわと、精神的にも肉体的にも、わたしを彼のものへとしていく。

「わたしは、クロコダイルさまのものです。あなたがいれば、いいんです」

それを聞くと、クロコダイルは満足気な笑みを浮かべた。支配欲、執着欲の強い、勝手な人。そんな彼に言いなりになる私をみて、意志のない空ろな人形のようだと、嘲笑うものはきっと多いだろう。それでも、いい。側にいたい。そんな風に思える相手は、この世に何人いるだろうか。

ベッドに連れていかれ、服を剥かれる。クロコダイルの肢体は、いまだに見慣れずにドキドキしてしまう。恐る恐る広い背中に手をまわして、指を滑らせる。古傷がいくつも残るその体を、丁寧に撫でる。温かい、人の肌だ。顔を胸板にすりよせる。汗とコロンの香りがする。彼の右手がわたしの頬を撫でる。恐ろしい右手、何人も葬ってきた手。それなのに、こんなに柔らかくわたしに触れる。

結局のところ、わたしにはクロコダイルしかいないのだ。



そう思った。ずっとそう思っていた。

だから、クロコダイルが捕まったと聞いたとき、わたしは人生の指標がなくなってしまったかのような、酷い喪失感に襲われた。

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