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いつにも増して疲れて一人暮らしのアパートに帰ってきたある日、郵便ポストにチラシが入っていることに気付いた。
『レンタル松野』と見出しのあるそれには、『留守番代行などのサービス』という簡素な説明と料金設定、連絡先が書かれていた。などって何だろう。掃除なんかもしてくれるんだろうか。
ともかく、疲れていたのと一人で寂しかった私はとりあえず電話してみることにした。
翌日、昨日の電話で告げた帰宅時間に自宅の前に着くと、DATと描かれた紫のトレーナーにジャージのズボン、足元はサンダルという出で立ちのマスクの男性が猫背ぎみに立っていた。私が姿を見せた時からこちらを気にしている様子だったので声をかける。

「あの、もしかしてレンタル…」
「…松野です」

彼はマスクを指で下ろしてぼそりと呟いた。少しだるそう。

「よろしくお願いします」

私が軽く頭を下げると彼も無言で下げた。

「…昨日、」
「あ、はい」
「聞いたと思うけど…必要な物」
「ああはい、作ってきました」

自宅の合鍵を差し出すと、彼はそれをじっと見つめた。

「無用心…」
「え?」
「…無用心だと思わない?合鍵なんか簡単に渡しちゃって。女の一人暮らしなんじゃないの」
「だから松野さんをレンタルしたんですけど…」

というのは今思いついた言い訳で、本心は別にどうなっても構わないし覚悟はできている。それに最初からこんなことを聞いてくる時点で松野さんは悪い人じゃなさそうだと思う。
ただ微妙に自暴自棄な考えをしている辺り、自分で思っているより疲れている感じは否めない。
松野さんは少し眉をひそめた。呆れられただろうか。

「……こんな得体の知れない男、家に上げることになんだけど」
「昨日電話した連絡先、松野さんの実家っぽかったのでそれで何となく安心しちゃいました」
「……」

母親らしき人と話したので実家と予想したら、図星だったのか松野さんは黙り込んで目をそらした。しかし合鍵は受け取ってくれた。

「…チラシにある通り、基本留守番するサービスだから。他にしてほしいことあるなら要相談。金額次第。あと今度からこっちに連絡して」

松野さんはジャージのポケットからスマホを取り出した。いかにも新品の、綺麗なスマホだ。
連絡先を交換すると、名前は『松野一松』と表示されていた。

「やっていいこととだめなこと、予め言っといてもらえると助かる、けど」
「そうですね…私の許可なくさらに合鍵を複製するとか、松野さん以外の人に貸し出されるのはちょっと」

これはアパートの規約で決まっていることだ。個人的に思いつくのはそれぐらい。

「……そんだけ?」
「今のところは」
「勝手にタンス漁るなとか無いの」
「松野さんのモラルにお任せします」
「………どうせそんな根性無いですけど」

ひねくれたようにまた目をそらす松野さんはいい人な気がしている。
留守番を頼むのは明日からだが、今日来てもらったついでにと自宅に通して案内をすると、松野さんは落ち着かなさそうに部屋の中で佇んでいた。

「好きに過ごしてもらって構わないです」
「猫入れていい?」
「ちゃんとお世話してくれるなら」
「…ども」

松野さんは猫が好きなようだ。緊張していたようだった雰囲気が和らいだ。

「じゃ、今日はもう帰る」
「明日からよろしくお願いします。あ、あと」

玄関でサンダルを履きかけた松野さんが「ん」と振り返る。

「私が帰ってきたら、お帰りって言ってもらえませんか」

このサービスに一番期待していたのはこれだった。
暗い自宅へ一人無言で帰ってくると、ほっとするよりも日々の疲れをさらに上乗せされたような気分になる。それが松野さんの存在で変わるかもしれない。誰かにお帰りと迎えてもらえたら。
サンダルを履いた松野さんはジャージのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手をドアノブにかけた。

「基本料金にプラス百円ね」
「お願いします」
「それじゃ」

半分出ていこうとした松野さんがちらりと私を見返った。

「…お帰り」
「え」
「今のは初回サービスでタダ」

ゆっくりと閉まっていくドアの向こうで、マスクをつけ直す松野さんが見えた。
松野さん、絶対いい人だ。


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