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バレンタイン小話


昼飯を食い終わり寝そべってだらだらしていると、杏里ちゃんから電話が来た。
バイトに加え学校の課題や試験やゼミがどうとかでしばらく会えてない杏里ちゃんからの電話。自然と正座になる。

『一松くん、明日時間あるかな?』

もちろん俺は毎日休日なので頷くと、『ちょっとだけ会える?』ときた。

『できればバイト先の近くまで来てくれたら嬉しいんだけど、どう…?』
「全然大丈夫」
『ありがとう!えへへ、じゃあ明日ね!時間はまた連絡するね』

それで電話は終わった。
杏里ちゃんやけに楽しそうな声だったな。
笑い声が耳に残って幸せな夢が見れそうだ。親友を腹の上に乗せつつ元通り寝転がる。
今日はこのまま惰眠を貪るか。明日杏里ちゃんと会うために今から体力を温存しておかないと。
それにしても何の用だろう。忙しくて会えないと聞いていたのに。
バイト先の近くまでってことは明日はバイトなんだろうし、その隙間の時間をぬってまでわざわざ俺に会う用事…思いつかない。
ちなみに全く関係ないとは思うが、つい先日バレンタインがあった。
だから何って感じだけど。今年も来たなクソがってとこ。
リア充だけが色めき立ち、底辺は所詮底辺だと思い知らされる格差社会の厳しさを凝縮した一日。修行を詰んでいない童貞は次々に死んでいったという。
それがバレンタイン。数日前。
で忙しい杏里ちゃんが急遽明日会いたいと。
あそう。ふーん。
………え?何?
まさか期待してんの?クズの分際で?
杏里ちゃんという彼女が俺にできただけでも奇跡中の奇跡なのに、バレンタインのチョコなんて伝説級のアイテムまでもらえるとでも?
ないない。いやむしろあったら怖いわ。
大体時期過ぎたしバレンタインに会えなかった時点で答えは決まってる。
あったとしても代わりに今後一生泥水しか飲めないとかそれぐらいのハンデ付きじゃないと釣り合いが取れないだろ。そう、人生はバランス。
そんなイベントが今さら自分の身に振りかかると一瞬でも思った自分死ねばいいのに。いや今から死んどくかいっそ。
でも死んだら明日杏里ちゃんに会えない。会ってから死のう。クズのくせに欲望のままに生きててすいませんねどうも。
…まあ期待するだけ無駄なことだから。
今までもそうやって裏切られ続けてきただろ。今年だってカカオを根絶やしに行ったじゃねえか。あれが俺の現実だ。
付き合っているからと言ってもらえるとは限らない。むしろ付き合ってもらってるのが俺の人生における最上級のボーナスなんですけど?
これ以上を望むなんてとんでもない。
とりあえず今日は死の予行演習でもしよう。俺は目をつぶった。



「一松くん、はい!遅くなってごめんね。なかなか時間作れなくて…」

そう言ってバイトの休憩中らしい制服姿の杏里ちゃんから箱を手渡されたのは翌日のことだった。
紫のリボンに女の子らしい淡い花柄の包装紙、底が深い四角の箱。

「手作りなんだ。だからなるべく今日中に食べてね」

しかも手作り。

「あと、あの…ほ、本命だよ」


本命。


「…………し……」
「え?」
「………し、幸せ負債が……!」
「幸せ負債?」

震える両手に乗る小さな箱がとてつもなく重く感じる。
この箱一つで俺は一体どれだけの返済をしなくてはいけないのか。死より恐ろしい不幸に次ぐ不幸が待ち受けているに違いない。

しかし。
しかしだからと言って。

「…………っ」
「一松くん…?え、泣いてる?」

どうしたの?とハンカチを差し出す杏里ちゃんの前に崩れ落ちた。
杏里ちゃんからの本命チョコ。
とてつもなく神々しく光輝いていて、それでいて子猫のように温かで厳かな命のような。
手放したくない。一生守りたい。ここで死んでもいい。

「ご、ごめんね、何か負債が増えちゃったのかな」

俺に合わせてしゃがんでくれた杏里ちゃんに首を振る。はらはらと落ちた涙を箱と同じような淡い花柄のハンカチが受け止めてくれる。

「……あ、あ゛りがと……」
「ううん」

にっこりと笑う杏里ちゃんがチョコと同じくらい尊い。
思わず箱を抱き締めたが、体温で溶かしてはいけないので慌てて体から離した。
改めて箱をまじまじと見つめる。
これが俺の為だけに存在しているなんて。どうしよう。こんな幸福が俺の人生にあっていいのか。
問いの答えはすぐに与えられた。
やはり人生はバランスである。

「あとね、これおそ松くんたちにも渡しておいてもらえるかな」

杏里ちゃんが紙袋を差し出した。
中を見ると俺がもらったのとリボンの色が違うだけの箱が五つ。

「…………」

俺はあからさまに落胆した顔をしていたらしい。
杏里ちゃんは慌てて「これは友チョコだよ」と付け加えた。

「友チョコ…」
「うん、友チョコ。一松くんのは、本命」
「最後のもっかい言って」
「ほ、本命」
「もっかい」
「本命」
「もういっかい」
「本命…」
「もう一度」
「本…もう!恥ずかしいから終わり!」

照れる杏里ちゃんもいい。
杏里ちゃんの“本命”を心に刻み付けて立ち上がる。
杏里ちゃんもハンカチをポケットにしまい、商店街前の大時計を見た。

「あ…もうすぐ休憩終わるから行かなきゃ」
「うん。バイト頑張って」
「ありがとう!試験と課題終わったら連絡するね。早く猫たちに会いたいなぁ」
「最近俺だけで行くとがっかりしてるからね」
「ほんと?ふふ、早く終わらせないとだね。じゃあそろそろ戻るね!来てくれてありがとう、一松くん」
「ううん。行ってらっしゃい」
「行ってきまーす」

ひらひらとエプロンのリボンをなびかせながら杏里ちゃんは店へ戻っていった。
片手に俺への本命チョコ、もう片手にあいつらへの友チョコを持って俺も家へと帰った。


そして現在。
杏里ちゃんからの本命チョコを安全な場所へと隠し、部屋で一人紙袋と向き合っている。
あいつらの色に合わせたリボンが一つ一つに付いている、見た目は俺のとほぼ変わらない五つの箱。
忙しい中杏里ちゃんがわざわざ作ってくれたチョコ達。きっと俺のと同じくらい丁寧に作り、丁寧に包装したことだろう。
俺は兄弟の顔を思い浮かべた。

嫌だァーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!
渡したくないーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

何で杏里ちゃんからの手作りチョコを他の男に、しかもよりにもよってあいつらに渡さなきゃいけないんだよ!!あいつらにこのチョコの価値なんか分かるわけないのに…!!
女子にチョコをもらったという事実に調子に乗りクソ腹立つドヤ顔で貪り食う姿が容易に想像できる。もっと敬意と遠慮を持って食えやゴラァ!!!
てかあいつらに「友チョコ」の意味なんか伝わんの?
筋金入りの童貞共が五人もいて勘違いしない奴が出てこないとも限らない…いや絶対出てくる長男とか次男とか三男とか!「えっ、杏里ちゃんって俺のこと…」んなわけあるかァクソ拗らせ童貞共!!カカオ食ってろ!!
あ゛〜〜〜〜無理…死にそう…これが不幸返済なのか?
俺には出来すぎた幸運にふさわしい債務と言える。何が人生はバランスだ神よ死ね。
つか、何で杏里ちゃんもあいつらにわざわざ作るの…?
俺だけで良くない…?俺彼氏だよね?俺だけが好きなんだよね?
もしかしてもう飽きられてる…?だからあいつらにもアピールしといていざとなったら乗り換えよう的な…?
いやないな杏里ちゃんに限って。
だって杏里ちゃんは本命だって俺だけ別にくれたし何回も本命って言ってくれたし。本命。
この先杏里ちゃん以外からは言われないだろう素晴らしい言葉。本命。俺もです。
そう、俺だけにバレンタインチョコを渡すのは悪いからって俺のついでに作ってくれただけだろ。六つ子ってほんと厄介。
でも杏里ちゃんはそういう子だから。そういう優しさがあるから俺なんかと付き合ってくれてるんだから。可愛さ余って可愛さしかない。
だから作るなとは言えない。言えるわけない。そんなこと言えたらとっくに結婚しているし童貞も捨てている。子供も出来ている。
しかしどうする…俺のついでとは言えやっぱりあいつらなんかに食わせるのは嫌だ。
くっ…一体どうすればあのクソ共から杏里ちゃんを守り抜けるんだ…!

「一松?何やってんの?」

するりと襖が開いた時にはもう遅かった。
五つの同じ顔が悪びれもなく部屋に入ってくる。
しまった…気配に気付かなかったなんて…

「何か母さんが買い物行けってさ。じゃんけんしよーぜ」
「…ん?一松、何その袋」
「な、何でもない」
「え〜何でもないわけないでしょ、そんな慌てて抱えてさぁ」

クソッこの際シコ松看板でも立てときゃ良かった…!
焦る俺に追いうちをかけるように十四松が袋に顔を近付ける。

「………チョコのにおいがする」

五人の目付きが変わった。終わった。

「ほう……チョコだって?」
「へーえ……チョコねえ……」
「フッ…誰からだ?ブラザー」
「い、い、いや…俺が、食べたくて…買ってきたやつだし…」
「とぼけないで。それ女性ブランドの紙袋だからね」
「…なぁいちまっちゃん…もしかしてだけど…それ、杏里ちゃんから俺たちへのチョコとかじゃねーの?」

十四松の異常な嗅覚とおそ松兄さんの小賢しいまでの直勘。
そしてバレンタインは過ぎたってのに未だチョコに反応するこいつらの執念。
紙袋を抱える手に冷や汗が流れる。
容赦なく俺を見下ろす五匹の狼。

「一松」
「一松」
「一松?」
「一松兄さん」
「……」
「またがとーってやつ?」
「…!」

圧力をかけられる中、十四松の一言で思い出したのは、付き合う前に杏里ちゃんがこいつらにお菓子を作ってきた時のことだった。
あの時も俺は杏里ちゃんの手作りを食わせたくなくて、お菓子の入った袋を取り上げ棚の上に籠城した。

『一松兄さんのせいで食べてもらえなかったって知ったら杏里ちゃん悲しむよ』

その時の十四松の言葉。
今も覚えているのは、それがきっと真実だからだ。
猫の手も借りたいほど忙しい杏里ちゃんがわざわざ作ってくれた、その努力と厚意を俺が無駄にしちゃいけない。
俺は十四松に袋を差し出した。

「………………みんなに、杏里ちゃんから」
「マジでぇ!?」
「わーいっ!ほんとに〜!?」
「あ…」

トド松の手で杏里ちゃんと俺が引き離された。

「…っわあぁ、本物だ…!本物のチョコだ…!」
「お…お…女の子からのチョコ…っ!」
「フッ…このクールなカラーが俺の、だな…?」
「これぼくのー!!」
「すごい…僕のまであるなんて、夢みたいだよ…!」
「イェーイ!杏里ちゃん最高!いっただきまーす!」

案の定包装紙をがさつに破りかけた長男の手をひっ掴みねじり上げた。

「っだだだだだ!」
「お前ら…分かってんのか?杏里ちゃんからのチョコだぞ?手作りだぞ?あ…?下品な真似したらぶっ殺す…」

五人が正座をし、ピリピリと包装紙を剥がす小さな音がし始める。
俺はその周りを鞭を持ちながらうろうろと歩いた。

「…チョコ食べるだけで何この状況…」
「お兄ちゃん腕痛いんだけど…」
「いや、でもありがたいことには変わりないからね。杏里ちゃんに感謝しながら食べないと」
「そうだな…ハンドメイドのチョコなんてのは幻と同義のワードだからな」
「母さんからも買ったものしかもらえないもんねー」
「一松様!この貴重なチョコを写真に収めさせていただいてもよろしいでしょうか!」
「許可する」
「いやあ、手作りバレンタインチョコって実在してたんだね…そこから驚きだよ」
「だよな〜。手作りなんてさぁ……はっ、もしかして杏里ちゃん俺のこと好きだったりして!ワンチャンあるかも!」

窓から半分体を投げ出させた長男の尻に何かぶっ刺す物はないかと探したが、特に見つからなかったのでそのまま放置した。
チョコを食べる権利を奪わなかっただけありがたいと思え。

「それじゃ、優しい友達の杏里ちゃんに感謝して、いっただっきまぁす!」
「本当、一松の彼女が優しい子で良かったよね。いただきます」
「感謝するぜ…マイフレンド!」
「友チョコんまーい!」

それぞれに箱の中から丸いチョコチップクッキーをつまんで食べている。
あれが俺のにも入ってるのか…なんて美しいチョコチップの配置。詫びさびを感じる不揃いな円形。
杏里ちゃんの手作りというだけでこんなにも愛おしい。
それが全てこいつらの胃に収められていく。

「一松にーさんはもう食べたの?」
「…うん」

十四松の質問にはとっさに嘘をついた。
頭にガラスの破片が刺さったままの長男もいつの間にかしれっと戻ってきて、杏里ちゃんの友チョコは完食された。
おいしかったなどと口々に言うのを聞きながら俺は部屋を後にした。



深夜、みんなが寝静まった布団から抜け出し屋根の上へ登る。どこからか猫が一匹やって来て、俺の近くで毛繕いを始めた。
俺も薄い月明かりを鈍く反射する冷たい瓦に座り、懐から杏里ちゃんのチョコの箱を取り出す。
杏里ちゃんの手作りチョコチップクッキーが入っているはずだ。
あいつらと一緒の。

…一体何を落ち込んでるんだか。
あるいは拗ねているのかもしれない。身のほど知らずにも。
どうせなら俺だけが良かった、なんて。
そんなことを今考えてもしょうがないのに。
この一箱を作るために杏里ちゃんがどれだけの時間と労力を使ってくれたか分かってんの?俺なんかに。
しかも本命だよ本命…そんなの今まで言われたことある?
これだからクズは困る。与えられた物をすぐ当然のものとして受け入れ、それ以上を望み始める。
バレンタインに彼女から手作りのお菓子をもらう。それに何の不満があるのか。世のリア充共と同レベルのイベントのはずだろ。
とにかくこれは杏里ちゃんが俺のために作ってくれた物。誰でもない、俺だけの。
そっとリボンを解き、包み紙を丁寧に剥がしていく。
すると、箱と包装紙の間に一枚の紙が挟まっているのに気付いた。

「何だこれ…」

それはハート型のメッセージカードだった。
女の子らしい杏里ちゃんの字で何か書かれている。
月明かりだけでは字は読みづらく、街灯の近くへ体をできるだけ寄せた。


『一松くんへ

いつもこんな私と付き合ってくれて本当にありがとう
ずっと大好きです

杏里』


二行のメッセージを何度も何度も読み返した。
「本命」と言ってくれた杏里ちゃんの顔も思い出した。
俺は一体何に拗ねて何を疑っていたんだろう。こんな私とだなんて、それは俺の台詞なのに。
何故だか文字がぼやけて見えなくなってきたのでどてらの袖で目を擦った。
それからまた何度も読み返して、カードを包装紙で慎重にくるみ胸元に入れておく。
クズの余命が十万年程延びた気がする。凍るような夜風も今は爽やかな春風のようだ。
さっきまでのもやもやした気持ちも晴れ、満を持して箱のふたを開ける。

「…え」

そこには丸型ではなく、ハート型と猫型に成形されたチョコチップクッキーが詰められていた。
猫型のものにはチョコチップで目鼻が付けられている。
ちょうど俺の太ももに体をすり付けてきた奴のような黒い目の猫。

「……へへ…いいだろ。お前にはやんないよ」

不満そうに見上げてくるそいつに見せびらかした後で、こみ上げる笑みを抑えきれなかった。
本気で猫転換手術を考えた時もあったけど、今ばかりは猫でなくて良かったと思う。
杏里ちゃんからの本命チョコを堪能できる男は俺だけでいい。
杏里ちゃんがいる限り、来年からは安易にカカオを根絶やしに行くのはやめよう。そう心に決めながらかじったクッキーは甘かった。



後日、クッキーの写真を撮り忘れたことに気付いて、ショックの余り泣きながら杏里ちゃんの自宅に押しかけてしまったのはまた別の話である。


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