Your dream won't die


 雲を通り抜けると、そこは青一色の海の中だった。俺は飛行機乗りになってもう随分と経つが、青の中を翔けるこの驚きと嬉しさを混ぜ合わせた感情だけは、変わらずにずうっと心臓の奥を燃やし続けている。どくどくと高鳴る鼓動の音を感じながら、空を映した海が目に捉えられるくらいまでゆっくりと降下していく。何か着陸出来そうな島はないだろうか。そうエンジンの音を心地よく思いながら、目を凝らして海の上を見渡した。
「誰だ? あれ……」
 小さな島の上でひとがこちらに向かって大きく手を振っているのが見えて、思わず声を漏らした。よく見てみれば何かを言っているようにも見えて、あんな島に知り合いはいなかったはずだが、手を振っている人物に少し興味が沸いた。
 あそこに着陸してみよう、俺はそう思い立ち、島に向かってふたつの青の中を翔け、島に生えている草花を大きく揺らして飛行機を着陸させた。ゴーグルを外し、相棒から降りてみれば、先ほどまでこちらに手を振っていたあの人物が、嬉しそうにこちらへ駆け寄って来た。
「よお、相棒!」
「いいや、人違いだ。俺の相棒はこいつだけなんでね」
「分かってる、分かってるよ! 飛行機乗りはみんなそういうのさ。自分の相棒は自分の飛行機だけ≠チてね。いや、飛行士はみんなそうだ。さっきのは俺なりのジョークだよ」
「……で、俺に何か用だったのか? あんた、何か叫んでたみたいだが」
「いや? お前さんに向かって挨拶してただけだよ。ボン・ヴォヤージュ!≠チてね。……いやだな、そんな顔するなって! ジョークだよ、分かるだろ?……お前さんがあの雷雲の方に向かってるって、なんとなくさ、思ったから。降りて来いって叫んでたんだよ、向こうの雷雲……気付いてたか?」
 そう言われて空の向こうを見渡してみれば、確かに大きく渦巻く雷雲が見えた。こちらの空と海はこんなにも青いのに、向こうのそれらはまるで、雷雲を境界線とした、こちらとは全く違った世界だった。
「いつ見てもおっかないよなあ、あれ。俺が生まれた頃……いや、もっと前か……それくらいからずっと向こうにあるんだぜ。お前さん、あそこに突っ込んだ飛行機乗りが誰も帰って来てないことくらい……知ってるだろ?」
「知ってるし、あんたの親切も嬉しいさ。けど、そうだな……あんた、呼びかける相手を間違えたみたいだ。俺は往くんだ、あの雲の先まで」
「往くってお前さん……そりゃあ……」
「無理な話ってか。どうだろうな……でも、往かなきゃいけない。向こうには俺の……会いたいひとがいるんだ」
「……お前さんってやつは命知らずだ。会って数十分も経たないが、これだけは分かったぜ。お前は馬鹿だ! そして俺はこれも知ってる、世界を動かすのはいつも馬鹿だってな!」
 それだけ聞くと、俺は再びゴーグルを装着した。鷲の眼の形をしたそれは、いつも俺に勇気を与えてくれる。飛行機に乗り込もうとしたその瞬間、ジャケットを強く引かれて振り返る。
「なあ、これ持ってきな! 俺の好きな酒だ、美味いぜ。それとも、どうだ、今から?」
「……いや、俺は乗る前に酒は呑まない」
「そりゃあそうだ。その会いたいひと……ってのに会ったときにお前さん、酒臭かったら格好もつかないだろうしな!……なら、帰りにまた寄ってくれ。そうしたら俺たちでこれ、呑もうぜ。それまでお前が持っててくれよ。……ああ、それ、高いんだ。死んで一緒に海に落としたら許さないぜ!」
「……ああ……ありがとう。じゃあな」
「待てよ、相棒。……ひとつ、聞いていいか? その会いたいひとってのは……生きてんのかい」
 俺はその質問に答えず、手渡された酒瓶を手に飛行機に乗り込んだ。深呼吸の音を掻き消すようにして、エンジンを轟かせながらふたつの青に向かって飛び立ったとき、自分の耳にしか届かない声で先ほどの彼の質問を呟いた。その会いたいひとってのは……生きてんのかい。
「……さあ、どうだか」


20140102 執筆

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