世界のはじまりなんてたぶんそんなものだ


 ぼくには毎日必ずやっていることがひとつある。それは、生まれたときからずうっと住んでいる小さな町を、すべて見渡せる緑色の高い丘の上で、黄昏を見送ること。赤く染まった空が、だんだんと紫色に変わり、ゆっくりと夜を迎えるのを見届けることだ。今日の夕焼けはいつもよりも赤みを帯びていて、隣で一緒に空を見上げているきみの頬も、いつもより赤く見えた。
「あ、ねえ、ルフト! 見て! 飛行船!」
「ああ、ほんとだ。いいなあ……ぼくもあれに乗って、世界を旅してみたいよ」
「飛行船で、世界を? へえ……。あそこから見る世界って、どんなかなあ……。でも、飛行船ってすっごく高いんでしょ?」
「うん、そうだね。ぼくなんかじゃあ、まだまだ手が出せないような値段だよ。だから、しっかり働いて……いつかは自分の飛行船を買ってやるんだ。今はただの煙突掃除人、だけどさ」
 さらさらとした風がきみの髪をすり抜け、丘の木々を揺らした。空はゆっくりと紫色を帯びてきて、夜を迎える支度を始めている。
 軍手をはめたままの手を、飛行船の方へかざしてみた。その手をすいすいと空に浮かべて揺らし、気付く。まだ、自分の手はひどく小さいことに。こんな小さな手じゃあ、飛行船の操縦なんてできっこないことに。そうだ、早く大きくならないと、ぼくは船の操縦どころか、今のままじゃあきみすら守ることができないかもしれない。
「ソフィ。あの、さ……ぼく、飛行船が買えたら、旅に出るよ」
「うん。どこへ行くの?」
「どこ? えっと、そうだな。世界で一番、綺麗なところ? とか……。ねえ、なんでそんなに悲しそうな顔、するんだい」
「だって、ルフトはわたしを置いて行っちゃうんでしょ。いいなあ……わたしも、外の世界を見てみたいよ」
「ああ、いや……あ、あのさ。むしろ、ぼくは……ソフィが一緒に来てくれたら、って……思ってたんだ」
 熱くなっていく頬を冷まそうと顔を上げれば、黄昏はもう過ぎ去ったあとで、空には小さな星たちがきらきらと輝いていた。
 この空の中を、いつかぼくは飛ぶんだ。雲を突き抜けて、鳥よりも高く。ぼくの船ならきっと、ドラゴンだって怖くない。もっと大きくなって、きみのことを守れるくらいに強くなったら、ぼくは絶対に、絶対だ、この空の中を飛ぶ。
「……ねえ、ソフィ。ぼくが自分の飛行船を持ったらさ、一緒に行こう。空の海も雲の波も突き抜けて、世界で一番、綺麗な場所に」
「それを早く、言ってよね。もちろん、行こう。一緒に!」
「なんだか、お腹減っちゃったね。そろそろ、帰ろうか」
「わたしも! まずはお腹いっぱいご飯を食べて、また明日、作戦を練ろうよ。飛行船、世界一周計画!」
「そうだね。ぼくときみの飛行船で世界一周だ!」


20140831 執筆

 BACK 

- ナノ -