樹海≠ノ最も近い町──老いた駱駝の瘤、塩の港〈ルオトゥルオ〉。
 町全体が、複数の高い丘の勾配に沿うようにして成り立っている〈ルオトゥルオ〉は、各丘の表面を下から螺旋を描くように穿ち、その螺旋階段のようになった丘の一段いちだんに、家々や畑を建て、また塩を保管しておくための洞穴なども掘っては、東の海で塩を掘る白の民≠ニの交易を盛んに、辺境ながらもこんにちまで長い歴史を刻み続けてきた。
 決して、新緑の丘ではない。褪せた緑の草木が多くもなく、少なくもなく息づく、丘というよりは崖、しかし崖というよりは丘──それこそ、遠目には駱駝の瘤のように映る町。
 〈ルオトゥルオ〉は、丘の下半分は樹海から吹く、深い緑の湿った空気を受け、上半分は〈白き海〉から吹き上げる乾いた黄昏の空気を受ける、さながら生と死が半分はんぶんになったような町である。
「人は、海から生まれたと云うね」
 前方で、勿忘草色の目を細めて、彼女は涼しげな声でそう呟いた。
「海、から……」
 レースラインの言葉を反芻するように、少年は口の中だけでそう言った。
 アインベルはこの〈ルオトゥルオ〉で最も高い場所に位置するという、主に海を高台から眺めたい観光客用の宿屋で、こんにちを過ごしていた。
 少年は宿屋の庭に当たる、無骨で浅い緑色の草原に立ち、丘の下から吹き上げる風をその身に受ける。宿の見栄えのために人工的に植えられた芝生はその風に緩く吹かれ、アインベルの足下に微かな感触を残している。
 丘を穿ってつくられた階段、その最上階に位置するこの宿屋をぐるりと囲んでいる転落防止の柵へと歩み寄って、そこから視線を巡らせれば、以前キトとメグに介抱してもらった〈語る塔〉のてっぺんが、塔自体もかなり高い建物であるにもかかわらず、遠く眼下に見下ろせた。
 〈語る塔〉はこの町をかたちづくる複数の高い丘、その真ん中に在る。具体的には、各階が頑丈な石橋で互いに繋がる、螺旋上になった丘たちの、五つ在るそれの三つ目に塔は位置していた。そして、巻き貝のようになっている丘の、その上半分でも下半分でもない、ちょうど半分──中心の段に、塔は在った。
 少年は、こうして上から塔を見下ろしたことはなかった。けれども……
「何も、変わらないな……」
「うん?」
「あ、いや……何も変わってないなって思ったんだ。前に──まだ僕が海にいた頃、何度か〈ルオトゥルオ〉には来たことがあるから」
 少し寂しげに微笑んでそう言うと、アインベルは眼下へと向けていた視線を上げ、ふと背後を振り向いた。
 それは、二人分の足音が聞こえていたからである。一つは、今しがた言葉を交わしていたレースラインのもの。もう一つは、彼の義姉、イリス・ラックレイン・アウディオのものだった。
「……アイン、レン。休憩中?」
 太陽の光にちかりと煌めく、鮮やかな紅の瞳を細めて、イリスが優しく微笑んだ。彼女は、アインベルが両腕を預けている柵に自身の背を預け、両腕をぐっと空に向けて伸ばす。対しレースラインは半身だけを柵に預けるようにして、アインベルとイリスの方を見やった。
「うん、ちょっと疲れちゃって……」
「おや、あの程度で疲れるとは。きみ、若者だろう? 鍛え方が足りないんじゃない?」
「レンさんと一緒にしないでよ……」
「そんなレンさん≠教官に選んだのは、残念、きみだけれどね」
 目元口元に弧を描いてにやりと笑ったレースラインに、アインベルは深い溜め息を吐く。減点だな、という声が耳に届いていたが、あえて少年は気にしないことにした。
 自分は東の海で渦潮≠ノ遭って、家族の安否も行方も分からないままに孤児となった、白の民である。レースラインに海へ連れて往ってほしいと告げたあの日に、孤児院に集って楽の音を奏でていたポロロッカ≠ヨ、アインベルはそう告白した。
 それから彼は、魔獣遣いフローレと、同じく魔獣遣いアコルトと共に、アコルトの相棒である狼の魔獣ストウへと、二人の歌を召喚術──呼び声なき眼≠ナ届けた日のことを想い出す。
 ──そう、あの日。
 自分の召喚術を、自分の言葉を取り戻した日。自分のわがままを、心のままに鳴らした日。あの日からずっと、少年は、或る一つの召喚陣を完成させることに執心していたのだった。
 アインベルは、彼の告白を聴いて半ば呆然としているポロロッカたちへと、無数の古代語と文様紋様から成る呼びかけ言葉と、何か小難しい数式のようなものが所構わず書き込まれているために、そのほとんどの頁が真っ黒になっている自身の手帳を差し出した。そうして或る一つの頁を開くと、その中心に描かれている召喚陣を示して、彼らを真っ直ぐに見つめる。
「──僕は、自分の家族のことを知りたい。今、生きているのか……」
 その言葉は、きっと彼がずっと言えずに、心の中に渦巻きはしても、決して口には出せずにいた言葉だった。アインベルは深く息を吸うと、眉間に深い皺を寄せ、噛み締めていたその唇を開く。
「……死んで、しまったのか」
 そうして手帳の陣に視線を落としたアインベルを、ポロロッカ四人組はじっと見つめた。それから、おそらくわざとそうしたのだろう、ジンが少年への同情も気遣いも感じさせない、全く遠慮のない声色で、アインベルの開いている頁の召喚陣を示した。
「──これ、呼び声なき眼、か?」
「うん。改良──というか、正しい形に描き直した」
「正しい形?」
「牧歌の間≠ナ、僕たちはかわたれの戦争を追体験しただろ? そのとき僕は〈オルカ〉でたった一人の召喚師だった。彼は、この陣を遣って、たいせつな人を自分の処へ喚ぼうとしていたんだ。だけど、胸騒ぎがして、焦って──あんな粗雑な陣しか描けなかったんだ。自身の慢心、裏切り、罪の象徴として、彼は牧歌の間に粗雑なままの……声しか喚べない陣を遺した。だから、後世に遺ったのは、かわたれの彼のこの焦りだけだった」
 言葉を切ると、少年はかぶりを振った。
「だけど、一度彼になった僕だったら、彼の描きたかったものが一体どんなものだったか分かる。もちろん、僕は彼じゃないから、そっくりそのまま正確に、というわけにはいかないし、だから僕が描き上げたその陣は、生きてる人に遣うにはあまり……完璧に安全だっていう自信はない」
 アインベルは腰に差した鈴の杖へと片手を伸ばすと、引き抜きはせずに、しかしそれを強く握った。
「でも、もう、これしかない。改良前の呼び声なき眼を遣っても、声は聴こえなかった。だけど、でも、もしかしたらって思ってしまうんだ……もしかしたら、召喚術の精度を上げるために海に行って、そこで正しい形の陣を遣って、心からその名を呼べば、もしかしたらみんな、って……」
 少年の手帳を開いている片手が震えた。その頁に描かれているのは、どこか虚ろに見えていた呼び声なき眼よりも、更にきっちりと紋様文様言葉ことばが整列している、真っ直ぐにこちらを見つめる眼の陣。それがしかし、アインベルの力を込めた手のひらにより、いとも容易くくしゃりと歪む。少年の表情もまた、先ほどより更に苦しげに歪んだ。
「家族みんな、生きて、僕の前に──って、そう……」
「アインベル……」
「だから、海に往って、確かめてくる。ずっと逃げてきたんだ。ずっと、目を背けてきた。失せ物探しのくせに、自分のいちばんたいせつな失くしものから、僕はずっと、ずっと、逃げてきたんだ」
 アインベルは息を吐いて手帳を閉じると、再び目の前の四人と──背後に立っているレスライン、そして、隣に立ち、ずっと拳をきつく握り締めているイリスの方を見やり、その顔から少年の幼さを拭って、覚悟を決めたように頷いた。
「──もう、やめるよ。決めたんだ。僕はもう、自分の過去から逃げない」
 言い切ると、アインベルはふっと柔らかく微笑む。その笑みの中のちょっと困ったようなそれに、彼のあどけない幼さが微か戻ってきていた。
「だってさ、そんなの……かっこ、悪いだろ?」
 零すように笑って彼はかぶりを振ると、隣で未だ力を込めているイリスの握られた手に、軽く自分の指先を当てた。
 拳を開くよう促されたイリスは、少しだけ手のひらに込める力を和らげると、はっとした様子でアインベルの方を見る。それから一瞬眉間に皺を寄せると、その瞳に何か覚悟の炎のようなものを宿して、アインベルの両肩を強い力で掴んだ。
「──私も往くわ」
「えっ? いや、でも……」
「いや≠熈でも≠烽ネいの。私たちはきょうだい、家族。あなたの問題は、私の問題。あなたが言ったのよ、アインベル」
 アインベルが自分の肩に伸びているイリスの片腕に触れて、微かに頷いた。
 少年の瞳は真っ直ぐにイリスの鮮やかな紅を見つめ、イリスもまた、弟の褪せた緑を見つめていた。それでも何故だろう、少年の表情は不安げに、どこか拠り所を探すように歪み、その瞳は今にも泣き出しそうな光を湛えている。
「ねえさん、僕は……ねえさんのことを大事なきょうだいで、たいせつな家族だと思ってるよ。ずっと、ずっと、そうだよ。それだけはほんとうだよ、これから先、何があったって、絶対、絶対、そうだ。……ほんと、なんだ」
「……分かってるわ、いつも伝わってる。ありがとう。私だってそうよ、アイン」
「それだけは信じてて、お願いだから……」
「だいじょうぶ、信じてるわ」
「何があっても? どんなことがあっても?……これから先、どんな酷いことを、僕が言っても?」
 アインベルが、両の手のひらでイリスの片腕をぎゅっと握った。
 震える少年のまなざしは、それでも恐怖を乗り越えるようにして、イリスの瞳をじっと真っ直ぐに見つめている。イリスはそんな弟の視線を受けて、息を洩らすように微笑み、彼に向けて小さく頷いた。彼女の睫毛の隙間から、柔らかな虹の火の粉が溢れるようだった。
「──信じてる」
 イリスのその言葉は、アインベルの心の臓へと真っ直ぐに届き、彼の鼓動を優しく鳴らした。アインベルはその唇を、声もなく動かす。ありがとう。そっと紡がれた音のないその言葉は、しかしイリスの瞳にもまた、真っ直ぐに映っていた。
 そんな二人を目の前で見守っていたポロロッカの四人組は、互いに顔を見合わせ、なんとなく気まずそうな顔をしながらも、その中でおずおずとリトが片手を上げた。こう見えても彼は、ポロロッカの中で最年長者である。
「まさかとは思うけど、俺たちを置いてくってことはないよな?」
「え?」
 リトの言葉が呼び水となったように、辺りが彼らの言葉で満ち溢れた。クイがアインベルの顔を見て笑う。
「なんだ、その顔。やっぱり置いていく気だったのか? 悲しいねえ、俺たちはこんなにもお前のことを想ってるっていうのに……」
「そもそもだ。こんなとんでもない美人を二人も独り占めしようってのが許せないよな」
「リト、あんたまさか……」
「だいじょうぶだ、まだ惚れてない!」
「まだって何よ、まだってのは! あんたね、美人なら誰でもいいっていうその曇った目、瞑って歩いた方がまだまともに人の善し悪しを判断できるんじゃないの!?」
「ああ、なんだと! お前は暴言ばっかり出てくるその口、閉じてた方がちょっとはかわいく見えるんじゃねえ!?」
「うっさい馬鹿!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!」
「何よ!」
「なんだよ!」
「あーあー! うるせえなぁ、ったく……に、しても海、か。ハンターにとっちゃ中々に心がときめく場所だ。アインベルについてきゃ、けっこう面白いものが見付かったりもするんじゃねえ?」
「お前はなんていうか……素直じゃないよな、ジン。照れずに俺も往きたいって言えばいいのに」
「クイ……誰が照れてんだよ、誰が」
「お前。耳赤いぞ」
「うっ──るせえな! さみいからだよ!」
 まるで川が氾濫するような勢いで、大気を揺らしながらそう言葉と言葉の応酬を繰り広げる四人組を、アインベルは驚きと呆れをないまぜにしたような顔で見つめた。
 けれども少年は、喉の方まで上ってきた何かを抑えることができずに、それはついに唇の隙間から零れ落ちる。なんとか笑いとして吐き出したそれは、しかし少しだけ滲んでいるように聴こえた。
「──みんな、一緒に来てくれる?」
 アインベルのその問いに、応、と大音声で返したポロロッカ四人組たちは、それから誰一人欠けることなく少年の失せ物探しの旅路を共にして、今はと言えば、宿屋の軒先で四人固まり、レースラインの渡した海図を広げて、何やらうんうん唸っているところだった。その海図は元々、レースラインがトゥールム騎士長から受け取ったものである。
 気が付けば、ポロロッカたちはちょっと困ったような思案顔で、海図を手にアインベルたち三人の処へと向かってきていた。
「あ、みんな」
「おう、お疲れ。……なあ、騎士さま、ちょっといいか。これってつまり、さ……」
 言いながらリトが、レースラインに向けて海図の或る方角を示した。彼が指した東の海域には、地図上で無数に赤い点が打ってある。
「──つまり、渦潮ってのは海全域に起こるわけじゃなくて、東の海域でばかり起こるってことか?」
「うん、そういうこと。きなくさいだろう」
「で、俺らがなんとなく渦潮は海全体に起こるものだって考えてるのは、全部お國の手のひらの上だからってわけか?」
「そういうこと。あくどいよね」
 悪びれる様子もなくそう言い放って、レースラインはちらりと、柵を越えた、そのずっとずっと向こう側へと自身の視線を向ける。
 ぶわりと風が丘の下から吹き付けて、レースラインの白い前髪を浮かせた。彼女の鷹獅子の描かれているタバードも一瞬、彼女の視線を遮るように持ち上がる。
 それでも視線は揺らがない。
 勿忘草色に反射する白い閃光は、ただひたすらに樹海の先、自身の髪のように真白に見える、黄昏の海を見つめていた。
「──渦潮は、兵器≠セ」
 まるで近寄るなとでも言いたげに、遠くで光を乱反射している白色から視線を外して、そう言葉を紡いだ彼女の瞳は、しかし問いかけてきたリトではなく、じっと自分の方を見つめているアインベルへと向けられていた。
「そう、兵器。前時代戦争の際に生まれた、人を殺すためだけに遣われる技術。人の心が生み出した呪いだ」
「……じゃあ、僕らは……」
「ああ。きみたちゼィン一家──ひいては渦潮に遭ったすべての者は、大きな悪意に傷付けられた。それも前時代の、過ぎ去った時代の悪意だ。終わった時代の、終わった戦い。
 ──けれど、終わっていない。私たちにとっては終わっていても、もう死んだ彼ら≠ノとっては、まだ終わっていないんだよ、あの戦争は。かわたれの戦争は」
 言葉を切って、彼女はまた視線をアインベルから外した。
「終わらせられなかったこと。その心の弱さ。それこそが、我らの呪いであり、罪だ」
 しかし今度は海ではなく、別の方角へと、彼女はその顔を向けている。
 それは、かつて自分が生まれ育った山里の在る方角だった。彼女の瞳には、死する前の祖父、自分を妄執した長老、かわたれの昏い炎を瞳に宿した長老、レンの黒い軍刀を手に取ることを命じた長老、しかしそれでも、確かに自身の祖父だった男の姿が、淡く映っていた。
「私の祖父は、武器が争いを呼び出す元凶だと、そう言っていた」
 レースラインの視線がアインベルに戻った。
「そう。確かに武器は争いを呼ぶ。だが、武器自体に意志はない。武器は己で動くことはできない。ならば、真に争いを呼ぶのはなんだ?──それはもちろん、人の心だ。武器を作り、それを手に取った者の意志だ。それを他者へと向けた、己の意思だ」
「つまり……?」
「人が人で在る限り、この心が在る限り、人は争い合うことをやめられないのかもしれない」
 アインベルの唇が微かに動き、何かを言おうと小さく空気を紡いでいた。けれどもレースラインは、そんなアインベルの目を半ば射るように見やり、痛いほど静かなその視線に、少年は思わず自身の口を噤む。そういえば、風の音も止んでいた。
「きみが人を信じていることは知っている。武器は、自分や自分のたいせつなものを護るために存在し、他者や、他者のたいせつなものを傷付けるための術ではないと──私も、そう信じてみたい」
 言いながら、彼女は自身のしろがねを動かして、その右の手のひらをぎゅっときつく握った。
「武器とは諸刃だ。何かを護るということは、同時に何かを傷付けるということにもなる。武器を取るなら、それを分かっていなければならない。そうでなければ、人は必ず血に狂い、魔獣と化すだろう。私はきっと、危なかった。……今も、かもしれないが」
 そう言うとレースラインは少しだけ天を仰いで、小さくかぶりを振った。それから、自身の帯びる軍刀に向けた彼女のその視線は、しかし昏い火の燃えるにおいがした。
「武器を取る者は、自分が傷付く覚悟と他者を傷付ける覚悟を以って、己のたいせつなものを守る。だが──兵器が守っているのは、一体なんだ? 遺跡で宝を護る機械人形は、一体何を守っている? 死した者の遺したものしか見えず、死した者の言葉しか聴こえず、死した彼らの欲望を守るため、今を生きる者を殺す機械人形に、意志などない」
 レースラインは柵から身を離すと、雲の隙間から陽を送る太陽を見やった。アインベルも同じ方向を見上げて、その目を細める。白い陽光は、今日も変わらず眩しかった。それを受けるレースラインの右腕が、白よりも更にまばゆく輝いている。
「──この世には、断ち切らねばならないものが必ず在る。そして私は、それが兵器だと考えている」
「……うん」
「だから、斬る。この刃を以って、かわたれの戦争を終わらせてみせよう。今度こそ、終わりにする。それまでは、這うためのこの四肢と、絶つためのこの刃を、私は決して離しはしない。この刃が折れるとすれば、それは私が──我々、世回り¢謠\三番小隊が、すべての兵器を断ち切ったときだ」
 炎が燃えていた。風に撃たれる松明が、アインベルの目の前で、咆哮するように青く燃え上がっている。
「──私は騎士だ。世回りの騎士。今を守り、きみたちという民を護るための騎士だ。見過ごすわけにはいかない。許すわけにはいかないんだよ。きみたちが、魔獣や前時代の悪意によって、理不尽にその命を脅かされることを」
「レンさん……」
「極端で傾いだ考えだと思うだろう。私は傾いだ考えが嫌いだが、その第一人者でもあるわけだ。だけどね、アインベルくん。私には仲間がいる。私が人の道を踏み外しそうになったときは、きっと彼らが止めてくれるだろう。だから、私はこの道を往く。──これが私のエゴ≠セ」
 ざあっと宿屋の草原を風が吹き抜けた音がして、その場に立つ者たちは、はっと我に返ったようにレースラインの方を見た。
「前もそうだったが、自分のことになるとつい話しすぎる。どうも慣れていなくてね。……では、本題に移ろうか」
 言って、レースラインは立ち尽くしているリトの方へと視線をやると、その手で広げられたままになっている海図へと自身の目を落とし、鷹の爪のように鋭くなっている右の指先を、海図に打たれた赤い点を囲うようにして滑らせた。
「──渦潮≠ニは、退路を絶つための兵器だ。かわたれの時代では、海はまだ水に充ち満ちていたと云われている。そして、その海の上を行く船というのは、今の水郷で走っているものよりもずっと速かった。劣勢になった戦隊が、海へと船を用いて逃げるということも、過去には多々あったらしい。
 渦潮は、まさにそこを狙った兵器だ。水中に激しい渦をつくり出し、水上には竜を模した水柱が立ち上る。退路を絶ち、船を沈め、人を呑み込み、完全なる勝利を手にするための、まがい物の竜巻。それこそが、渦潮の正体だ」
 自身の師とのやりとりを頭の中で反芻しながら、レースラインは確かめるように言葉を紡いでいく。
 具体性を帯びてきた話に、アインベルの顔が曇りはじめた。ポロロッカたちは全員難しい顔をして、各々唸るような相槌をレースラインに送りながら、そこではただの赤い点でしかない渦潮を、海図の上から覗き込んでいる。イリスは一人視線を遠く海へとやって、その瞳に煌めく青い海と言うよりは、船を砕いては人を無慈悲に呑み込む竜の姿を描いているようだった。
 レースラインは自身もちらと海の方を見やると、すぐに視線を海図の方へ向けて、落ち着いた、凜とした声で再び言葉を発しはじめた。
「或る一定の地点を、熱の有るもの──つまり人が通過すると、何かしらの術が起動し、渦潮が発生するのではないか。そのように上は考えている。魔術か召喚術か、それ以外の何かなのか、或いはそのすべてなのか。──アインベルくん、そういう術に何か心当たりは?」
「……四大元素を操って天候や地形を思い通りにしようとした術は、古い文献でだったら幾つか見たことがあるよ。でも、遣う言葉が多すぎてとても一人では描けない。描けたとしても、成功するかどうか分からないように見えた。だって、あれにはきっと、欠けてる言葉も多くあるんだ。だから、たぶんあれは……自分の借りものの力≠ノ依存してる術だ」
 レースラインがアインベルの言う意味を解りかねて、その首を捻った。
「だってたとえば、自分が火の力を借りれるんだったら、自分を術の中に火を表す言葉として組み込めば、他の火を表す言葉は描かなくても済むようになるだろ? 自分こそが、その術式の中では火となるんだから。自分にしか扱えない術だよ。遺す気のない術だ。時間のない術。──そうか。だから戦うための術、なんだ……」
「ごめん、アインベルくん。もう少し……」
「ねえ、もしかして、借りものの力って昔はもっと──今より、すごく強かったりした?」
「え? あ、ああ……一説にはそう云われているね。そもそも、これは戦うための力だったのだと提唱している説も在る」
「たぶんそれだ。じゃあ、それを仮説として話すね」
 アインベルの顔が不安げな少年のものから、つと、目的を得た術師のそれに変貌する。
 少年の心が、真実に近付くための言葉を探して、一歩いっぽ、朝焼けと夕暮れの時代の中を手探った。
 前時代、己を言葉として組み込んだ術式。では、そんなかわたれの彼≠ェ描いた術式はどうだった? たいせつな者を喚ぶための召喚陣。そこに在った空白、それを埋めるのは真なる言葉=A喚びたい者の名前。心から呼んだ者の名。心。鼓動。心音。それは彼の借りものの力。そして、己の借りものの力。心は己、己は名、名は己。これもまた、借りものの力に寄り掛かった、限定された術だったのか? ふと、かわたれの彼の焦りを想い出す。時間のない術。ああ、そうか。そうだった。アインベルは確信した。──呼び声ある者=I
「……声や音で、心の言葉を紡げる──そういう借りものの力が有る人にしか、動かせない召喚術を僕は知ってる。でもそれは、最後に自分が喚びたい人の名前を、心の底から呼んで遣うっていう術だから、レンさんが言うのとはちょっと違うけど……」
「そうだね……その、自分を術に組み込むというのをすれば、膨大な水を操ることも可能なの? やっぱり、水の力を借る者で? 召喚術と魔術、きみはどちらが怪しいと考える?」
「たぶん両方。水の中に渦をつくり出す方が、きっと風を喚ぶ召喚術。水上に竜をつくり出す方がものの形を変形させる魔術だと思う。召喚術の方は風の力を借りる術師、魔術の方は水の力を借りる術師が、自分を──自分の名前を術式に組み込んで、それで動かしているんだとは……思うんだけど……」
 アインベルの指が彷徨うように自分の口元に触れた後、腰に差している鈴の杖の上を滑った。
「何か問題が?」
「竜核≠ェ必要なんだ」
「竜核?」
「術は誰もいない処でひとりでに動いたりはしないだろ? 術っていうのは誰かが何かをしないと動かなくて、術に必要なのはつまり──言葉と、熱。言葉には、それを発する人が、それを描く人が、それを遣う人が必要なんだ。術師のいない処で、術師が術を遣い続けるには、その術を動かし続けるためには、竜核がいる」
「ああ、飛空艇や砂航船に遣われている……」
 アインベルは頷き、それからレースラインの右肩の辺りを指差した。
「というか、レンさんの義手にも遣われてるよ。マントでちょっと隠れてる、肩のところの……」
「あ、これ、そうなんだ。すまない、こういうのにあまり明るくなくて」
 赤く火の灯った竜核が填め込まれている右肩を、少し驚いたように見やるレースラインに、アインベルは再び頷くと、その両手で丸い球体を描いた。
「主に前時代の遺物に填め込まれていることが多い、内側に熱を灯すことによって、人にとっての心臓のような働きをする球体だよ。あれが有れば、その場に術師がいなくても──術式さえ完成しているなら、限度はあるけど術を動かし続けることができる。
 種類は大きなものから小さなものまでたくさん在るけど、大きければ大きいほど効果は得られる。その原理で、飛空艇や砂航船は、船の強度を魔術で保ったまま動き続けることができるんだ。燃料は別にいるけどね……」
 アインベルはいつもより少しばかり早口にそう告げると、何かを思案するように眉間に皺を寄せ、その褪せた緑の瞳を微かに細めた。
 鐘の音が、絡まった糸を早く解けと、頭の中で大音声に鳴り響いている。分からない。それでも、この若い術師は何かを描かずにはいられなくなって、おもむろに手帳を開くと、まだ白い頁に向かってなんの意味も成さない言葉を、黒ずんだ万年筆で描き殴った。それはただ、自身の鼓動を描いただけの言葉だった。
 ふと、ハルが思い出したようにアインベルの方を見た。
「竜核って、機械人形にも遣われてるやつよね? 竜核が抜き取られた遺跡の機械人形なら、何度か見たことある。どでかい機械人形よ。動いてるとこ、お目に掛かりたくないわ」
「うん。竜核も大きいだろ?」
「球体の填め込み口がかなりの大きさだったから、そうね。あたしの半身くらいはあったんじゃない?」
「そう……うん、そうだよな……」
 アインベルは、何かぶつぶつ言いながら意味もなく手の中の万年筆を回し、そうしてそれをまた意味もなく下唇に当てた。少年は、視線だけで自分の周りに立つ者たち全員をぐるりと見渡すと、ほとんどしかめっ面と言える表情でレースラインの方を見た。
「大きな術を維持するには、大きな竜核がいる。飛空艇や機械人形に遣われている竜核もほんとう馬鹿みたいに大きいけど、渦潮が兵器で、兵器っていうのが目的や技術に差はあれど、今とほとんど同じ原理の術で動かされているのなら──しかもそれが、今はもう死んでしまった人たちの名が組み込まれた術式を用いて、それが尚、術として維持され、かつてと同じように動かされているのなら──相手は海だ。途方もない大きさの竜核がいる。しかも渦潮は一つじゃないんだろ? だったら、その数だけ」
 アインベルは少しだけ息を吐くと、途方に暮れたようにかぶりを振った。
「竜核ってのは術式に関わるように直接配置しないと意味を成さない。それだけ大きい竜核なら、故郷の浜から見えたっておかしくない。此処からだって、見えてもいいはずなんだ。だけど僕は、生まれてこのかた、そんな竜核は見たことがない。でも、だけど、そうじゃないとおかしいんだ。竜核は必要だよ。そうじゃないと説明がつかない。そうだ、渦潮の本体は──その兵器に遣われてる術は、一体海の何処に在る? その兵器っていうのが術を施した機械でも、術そのものでも、どちらにせよ有り得ないくらい巨大なはずだ。そうだ、此処からなら見えるんじゃないか? 何処に在る? 何処に描かれている? 何処に……」
 最早誰に語っているのか、アインベルの耳にはもう、焦る自分の言葉しか聞こえなくなっていた。
 彼は丘の柵を両手で掴むと、そこを乗り越えんばかりの勢いで身を乗り出し、遠く光を反射している海の方を見やる。ひどい焦燥によって心臓が破れそうだった。目を見開き、まるで怒りに身を任せるようにして、塩の大地を睨むアインベルのその瞳に、ちりちりと火の粉が舞いはじめる。それは焦りか、怒りか、悲しみか。
 陽を反射させる海の光が、見開いた少年の目に刺さるようだった。血眼になって追うものを探し求め、それが見付からないために段々と虚ろになっていくその目は、どこかかわたれの彼が描いた呼び声なき眼にも似ている。
 アインベルはついに唇を噛み締めて、自身の額を柵へと押し当てた。
「見えない……」
 その呟きを聴き取ったイリスは、弟の両肩を掴んで後ろへと引っ張ると、彼の顔を覗き込んでふっと小さく微笑んだ。
「──私を忘れないで」
「ねえさん……」
「だいじょうぶ。見えるから」
 言うと、イリスは近付くよりはむしろその身を引いて、遠い〈白き海〉を見やった。その紅の瞳も、見開くというよりは細められている。まるで、たいせつなものだけを世界から受け取ろうとするかのようなまなざしだった。
「──あれは?」
 ややあって、イリスが海の方を指差しながら、アインベルに向けてそう問うた。
「なんだか、他の処より白く光っている処があるわ」
 アインベルもイリスの指差す方を見やり、彼女に倣ってその目を細めた。
「えっ……そうかな……あ、でもたぶん、シーグラス……だと思う」
「シーグラス?」
「うん。いつもは塩の下に埋まってる、小指の爪よりも小さい硝子球で──塩を掘ってると、たまに混じって出てくるんだ。だから掘った塩にシーグラスが混じらないように、ふるいに掛けなきゃいけないんだけど、それが面倒で──」
「それ、割れる?」
「え?」
「それは割れるの、アインベル?」
 予想していなかったその問いに、アインベルは想い起こすようにその視線を上へと巡らせた。
 見えるのは、幼い自分の手。その指の間からすり抜けて落ちた、透き色の硝子玉。天幕の中をぽんぽんと跳ね、転がるその光。ふと、泣き声がした。耳をつんざくような愛おしい泣き声。妹だ。裸足の妹が、シーグラスを思い切り踏んで、その痛みに泣き出したのだった。だが、それでも硝子玉は割れなかったから、妹の足に傷が付くことはなかった。
 アインベルはイリスに向かってかぶりを振った。なんとなく、こめかみの辺りがじんとして、心臓がぎゅっと痛かった。
「──あれが割れたところは、見たことないよ」
「そう、分かった。ありがとう」
 イリスはその鮮やかな紅でアインベルを真っ直ぐに見つめると、自身の瞳に七色の炎を宿して、彼がいつも杖を持つ方の手のひらを、自分の両手でぎゅっと握った。アインベルの手とイリスの手は、もうほとんど同じ大きさの手のひらだったが、しかしイリスの両手は、アインベルのそれよりもずっと熱い。
 イリスの送る熱に、半ば土色だったアインベルの頬は、ゆっくりと血色を取り戻していった。けれどもアインベルはそんなことには気が付かずに、姉の橙色をした睫毛から零れる、虹色の火の粉を見つめていた。
「アインベル。人が何かを探すなら、それはやっぱり、宝ものじゃないとね。──そうでしょう、失せ物探し?」
「……うん。僕もそう思うよ、ハンター」
「だいじょうぶ、私たちは最強のきょうだいよ。私が見て、あなたは聴いて、伝えるの。できないことなんてなんにもないわ。絶対、だいじょうぶ」
 イリスの言葉に頷いたアインベルの耳へ、軽やかなリュートの音が駆け抜けていった。彼らの声のようによく響き渡るその音色に、アインベルもイリスも思わず自身の顔を、リュートを奏でた張本人、リトの方へと向けることになった。
 リトは片手を上げると、にっと人懐っこい笑みを浮かべ、鼻歌交じりにリュートを楽しげに奏でる。
「──じゃ、俺たちは、ベル坊が言葉を伝えやすいように、そのための旋律を奏でてやるよ。一度聴いたら忘れられない、そういう曲をさ。音楽に乗せた方が、言葉ってのは心に響いて刻まれるもんだろ?」
 最後の方は最早即興の音楽に乗せて、お調子者の特権と言わんばかりに歌い上げながら、リトはそうアインベルに向けて言葉を奏でた。
 それにしても何故だろう、今日はいつもよりも鮮明に、くっきりとした輪郭で、リトの奏でる楽の音が自分の中へと届いているように感じる。それに思い至るとアインベルは、はた、としてレースラインの方を見た。そういえばまた、風の音が遠ざかっている。
「……レンさん?」
「あ、なんだ、気付いたんだ。まあ、そうだね、私もきみたちの舞台くらいは用意できるなと、そう思ったものだから」
「──戦うための、力じゃないよ」
「え?」
 柵に背を預けていたレースラインの両手首を、自身の手のひらで両方掴んだアインベルは、その手に力を込めて彼女へと笑いかけた。
「僕らのこの力は、戦うための力じゃない。僕らは絶対、一緒に生きていける! 人が人で在る限り、人に心が在る限り、僕らが僕らで在る限り、絶対!」
「アインベルくん……」
「だって、僕らには言葉が有る。武器を取る前に、僕らは話をすればいい。そのために、伝えるために、僕らの言葉は在るんだから!」
 その真っ直ぐな言葉に、ポロロッカの四人組が一斉に吹き出した。
 腹を抱えたり、天を仰いだりしながら、今までほとんど黙っていた憂さを晴らすように笑う彼らへ、主にレースラインがぽかんという様子で視線を注ぐ。しばらくして気が抜けたように笑い混じりの溜め息を吐いたクイが、片眉だけをついと上げて、軽い調子で言葉を発した。
「ほんと、俺はそうだと思うよ、騎士さま。俺が思うに、前時代ってのはちと、人と人との間に距離が在りすぎた。話ってのはさ、互いに顔が見える距離でしないといけないだろ? 今はその辺りが分かってる。弁えられてるから問題なしって、そう俺は思うね」
「わ、弁え……」
「っていうかレン、あんたってちょっと真面目すぎるんじゃないの? すっごい生き辛そう。難しいこと考えずに、自分がそうだって思った方へ進めばいいのよ。どうせ未来なんて見えやしないんだしさ」
「ま、真面目? これでも私、騎士団の中では不真面目って言われる方なのだけれど……」
「はあ? どうなってんのよ、騎士団って……」
 呆れたように肩をすくめたハルに、レースラインはふっと息を洩らして空を見上げた。
「でも、未来か。未来が見えたなら、私もこんなに多くを失うこともなかったのかもしれないな。……こんなに多くの墓を数えることには、もしかするとならなかったのかもしれない」
 ふと、視線を下ろしたレースラインの勿忘草色と、イリスの鮮紅の色がかち合った。
 互いは、互いの瞳の中に微かなたそがれを見出していた。かつて、守りたいものが在った。そして、守れなかったものが在る。そのたそがれを、互いの瞳の奥に二人は見付けていた。
「……そうね」
 言って、イリスはその目を細めると、レースラインの瞳のたそがれを見つめたまま、零れるようにして小さく笑った。
「でも、誰もが未来を、明日を見ることができたなら……きっと誰も、夢なんて見ることはなかったわ」
「……夢、か」
「そう。それに、明日食べるごはんがなんなのか、それが最初から決まってるなんて……そんなの、ごはんの楽しみと美味しさが半減してしまうもの」
 イリスのその言葉にレースラインはちょっとだけ吹き出すと、くつくつと喉の奥ばかりで笑った。そんなレースラインを見たアインベルは、腰から鈴の杖を引き抜くと、彼女の前でしゃんしゃんと振って、少しばかりにやりとする。
「ね、だいじょうぶだろ?」
「……きみはなんだか、私の光みたいだな。きみは、選べなかった方だ。きみはいつも、私の選べなかった方にいる」
「ばかだな、僕はあんたの光なんかじゃない」
 そう言い切ると、アインベルは淡い水色の髪を金色に輝かせて、最近の旅で少し日焼けした自身の右手を、レースラインに向けて差し出した。
「──僕はあんたの友だちだろ、レンさん!」
 その片手を銀の右手でぎゅっと握ったレースラインは、小さく笑いながら頷いて、自分の右手に少年の手のひらの感触や熱が伝わらないのを、少しだけ寂しく思った。それでも彼女はぐっと力強くアインベルとの握手を交わし、少年の真っ直ぐに光の灯るまなざしを見やると、満足したように頷いてその手を離す。
 ふと、アインベルが空を仰いだ。
 それから彼はなんとなく、世界樹の在る、この陸の中心に当たる方角を見やった後、しかしすぐにその視線を遠い海の方へと向け、自身の仲間たちへと振り向いた。
「往こう、みんな」
「えっ……今からか、ベル坊? 海に着く頃には、たぶん日が暮れてるぞ」
「うん、それでも。今日でなきゃ、今でなきゃ、だめな気がするんだ」
「そりゃいけねえ。そういうのは大事だ、ものすごく大事だぞ、よし往こう」
 そう言うなり踵を返して、宿屋へ荷物を取りに戻ったリトに向かって、やれやれだの調子がいいだのと、肩をすくめてぶつぶつ言いながら、しかし残された者たちも後を追うように宿屋へ荷造りをしに戻っていった。
 それを柔らかな笑みを浮かべて見送っていたアインベルは、ふとその表情を遠くへやると、どこか鈍い痛みを堪えるような表情で、樹海を超えた先に在る、かつての自分が歩いていた白の大地を見やった。
「……今、見付けるよ」
 ──その唇は、声もなく妹の名を紡いでいた。



20180104

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