「──長老の分からず屋!」
 鉄の門を隔てた向こう側の小屋敷から、甲高い怒鳴り声が聞こえてきたために、イリスは驚いてその肩を揺らしては後ろを振り返った。
「ハ、ハル……」
 屋敷の中ではハルと、ハルの故郷の長老が対談をしている最中である。
 自分が長老からあの遺跡について何か訊き出してきてやると、気合十分で単身長老宅へと乗り込んでいったハルであったが、しかし屋敷から聞こえてきた彼女の声を聞く限り、どうもその訊き出し≠フ調子は芳しくないようだった。
「……だいじょうぶかしら……」
 自分は言ってしまえば、ハルの故郷──〈オルカ〉の町では部外者である。
 共鳴する鯱の呼び声、楽器職人の町〈オルカ〉。
 イリスは楽、器職人の集まるこの町に血縁者がいるわけでもなく、そして婚約者がいるわけでもない。町の何処かの工房に弟子として入るわけでもなければ、そも、この町の職人たちは自分の血縁以外に弟子は取らないと云う。
 ふと思う。それはつまり、血で受け継ぐ技術ということだろうか。
 しかしそれにしても酒場で楽器をかき鳴らし、大音声で大笑いをするのが日常な、ハル含む四人組のトレジャーハンターたち出生の地にしては、随分とお堅い決まりのある町のようだった。
 外の人間が下手に押しかけて長老の機嫌を損ねては、訊けるものも訊けなくなるということで、イリスはこうして門の外でハルの武運をねがっていたのだが、しかし彼女は自分にも何かできることはないかと、その赤い瞳を通りへと走らせた。
 そう視線を通りへと向けた直後、見覚えのある色合いがイリスの瞳の中へと映る。
 イリスはその偶然に微かに目を見開いていたが、門前の彼女の姿に気が付くと、向こうは少し先で軽く右手を上げた。布袋とは別に、長方形の硬そうな革鞄を片方の肩に引っ掛けては背負うように運び、けれどもその足取りは軽くこちらへと近付いてくる。
「──イリス。何やってるんだ、こんな処で?」
 イリスの前でぴたりと足を止め、目が合うとその黒っぽい茶の瞳を微かに細めて、長身の男はそう言った。
 彼の問いにイリスは軽く唸って、ちょっとだけ屋敷の方を振り返る。
「……ハルと宝探し中……なのだけれど……」
「ほお、俺らに内緒でか。抜け駆けは卑怯だな、イリス」
「けれどクイ、宝探しは早い者勝ちよ」
「そりゃあそうだな。恋と同じってわけだ、動かなければ手に入らない」
 言いながら、〈オルカ〉出身のハンター四人組、その一人であるクイはイリスの目の前で自身の左手を掲げて見せた。
 昼間の陽光を浴びて、当たる光の加減によってはほとんど金髪に見えるクイの薄茶をした髪が輝く。後頭部の辺りで丸くひとまとめにされた髪や、右目の近くを流れる前髪だけではなく、青い布の額当てさえも陽光を受けて白い光が零れるようである。
 しかしそれよりもまばゆく煌めいたのは、クイの左手の薬指に在る銀の環だった。
「それって……つまり──成功?」
「ばっちり、大成功。まあ……泣くほど喜んでもらえるとは思ってなかったんだが……」
 緩やかに沈黙が流れ出す。
 その無声に耐えられなくなったのか、照れ臭そうに頬を掻きはじめたクイを見やると、イリスは両手で彼の肩を強く掴み、ぐらぐらと激しく前後に揺さぶった。
 それから、その行動に戸惑うクイを前にして、彼女は微かに滲んだ声で言葉を発した。
「ク──クイ……おめでとう! ほんとうに!」
「あ、ああ……ありがとう……あんたもけっこう熱いやつだよな、イリス……」
 身体を揺らされながら、面食らっているクイが呆れ笑いを交えてそう呟いた。
 イリスはふと両手をクイの肩から離すとはたとして、それから心底嬉しそうに微笑んで彼のことを見上げる。
「じゃあ……クイはふるさとに婚約の報告をしに来たのね」
「ん? ああ、まあ、それもあるんだがな……なんとなく、誰かしら〈オルカ〉に戻ってるような気がしてさ」
「つまり、勘でってこと?」
「勘って言うのか……俺たち、なんとなく互いのいる場所が分かるんだ。昔っから、会いたいと思って、まあ、名を呼んだときに、あいつらの声が聴こえるっていうか、な……」
 変だけど、と曖昧に発してクイは困ったように笑いながら首の後ろを軽く掻いた。
 反面イリスは考え込むような表情をして、折り曲げた人差し指を唇に当てながら、ふと思い付いたように言葉を発する。しかしそれは確信めいたそれではなく、どこかおぼろげな色を纏ったものだった。
「それがあなたたちの……借りものの力=H なら、何から借りている力なのかしら」
「ああ、いやどうだか……大体、自分が世界の何から力を借りてるかなんて、俺にはよく分からないな。それに大体の居場所が分かるのは、正直言ってあいつらだけなんだ」
「なら──あなたたちは、心が繋がっているのね。私たちは世界へと自分の心で呼びかけて力を借りる。それと同じように、心で想う力というものは強いから、きっと……」
 真っ直ぐなまなざしでそう言ってから、イリスは小さく笑った。クイはそこからふいと視線を逸らして、溜め息混じりに軽く唸る。
「よくもまあ……ほんと、弟にそっくりだよな、あんたのそういうところは」
「弟……アインベルのこと? それはちょっと、嬉しいかも」
「そうかいそうかい、きょうだい仲がよろしいようで何よりだよ」
 視線をイリスに戻したクイの表情はどこかからかうような色を宿していたが、そこから発せられた言葉は、しかしそれより幾分か柔らかい音を以ってイリスの元へと流れてきた。
「うん、心で繋がってるっていうあんたの考えはそりゃあ素敵だ。実際、俺の心にもけっこう響いたさ。でもな……」
 ただ、その次に彼から届けられた言葉は、表情も声色も落ち着いて見えるクイの、けれども悪戯っぽい彼の気質を隠しきれていないものだった。
「……それだと俺たち、あんたやルドラとは全く心が繋がってないってことになるが……いいのか? それ、ちょっとばかし寂しくはないか? 嘆かわしいな、俺たちはこんなにもあんたたちのことを想っているのに、あんたたちときたら俺たちのことを鼻にも掛けてくれない──」
 さながら舞台上の如くに身振り手振りを大袈裟にしてそう発するクイに、イリスが慌てて両の手のひらを顔の前で振った。
「そ、そんなことない。私はあなたたちと一緒にいるのをすごく、楽しいと思ってるし……あなたたちの奏でるどこまでも自由な音楽もほんとうに大好きよ。ま、まあ……あの、ハンター業では、時々抜け駆けをしちゃうこともあるけれど……ええと、でも、ほんとうよ!」
「ああ、抜け駆けはするんだな」
「つ……ついね。ほら私、待つのが苦手で──?」
 突き出した自身の両手を見つめながら、必死に言葉を紡ぐイリスはふと、聞こえてきた声に小さな違和感を感じて目線をクイの方へと上げた。
 そこに在ったクイの表情を視界に映すや否や、必死だった彼女の表情もまた普段の静かなものへと変わり、それから眉間に微かな皺が寄ってどこか訝るようなものへと変わる。
 イリスは小さく溜め息を吐いた。
「クイ……からかってる?」
「すまないな」
 笑いを堪えて震えるクイの声と肩に、イリスははあと安堵の息を吐く。それからちょっと疲れたようにかぶりを振ると、再びクイの方を見上げた。
 そこには、イリスの予想と反して、どこか神妙な面持ちで長老の小屋敷の方を見つめるクイの顔が在った。
「……イリス。ハルとあんたが調べてるのって、外の遺跡のことだよな」
「ええ、そうよ。なんだか、あの場所は引っかかるというか……気になるわ」
「俺も詳しいことは何も教わってないが、〈オルカ〉の遺跡は通称で牧歌の間≠ニ呼ばれている。牧歌の間だなんて随分と平和的な響きで、さながら俺たちの先祖たちがかつて奏でていた牧歌が、そこに遺されているかのような名前だろう? まあ実際、そうじゃないとも言い切れない。だがな……」
 言葉を切って、クイは肩に引っ掛けていた革鞄を地面へと降ろした。
 それからしゃがみ込んでその蓋を持ち上げると、彼はそこに仕舞われているバグパイプの革でできたパイプバッグの部分を指し示した。イリスも鞄の前に片膝を突き、示された場所へと視線をやる。
 そこには、牧歌の間の床に刻まれていた瞳にも似た紋様と同じものが、白い糸で刺繍されていた。
「あの遺跡にもこれと同じものが刻まれていただろう。それにもどうやら名前が在るようでな」
「あれに名前が?」
「ああ」
 ずっと前にうっかり盗み聞きをしてしまってな、と冗談混じりに呟いて、クイは軽く息を吸い込んだ。ちら、とイリスの方を見やる。
「──呼び声なき眼=Aと云うらしい」
「呼び声なき眼……」
「うん、中々気になる呼び名だろう? 名前ってのは、それなりに体を表すものだからな」
「牧歌の間に、呼び声なき眼、ね……」
「或いは、その体を隠すためのもの。名前にはその名を付けるだけの理由が在るし、呼び名にはそう呼ばれるだけの理由が在る」
 イリスは頷いて、革鞄の前から立ち上がった。それから、未だハルの挑戦的な問いかけが続いているのだろう、長老の在る屋敷へと視線を向ける。
 鮮紅の瞳をそちらへと注ぐ彼女の手のひらが、自身の首に巻かれた蛋白石のように揺らめき、電氣石のような色を放つ薄布へと触れ、微かに力が込められた。
「らしくないんじゃないか、イリス」
 ふと、投げかけられたクイの声に彼女は振り返った。
「らしくない?」
「ああ。こんな処で立往生なんてのは、あんたには似合わないんじゃないか?」
 言いながら、クイの瞳が悪戯に細められる。
「だってあんた──待つのは苦手、なんだろう? 違うか、じゃじゃ馬?」
 そう言われて、イリスは困惑したように屋敷とクイを交互に見やる。
 力を込めている手のひらにじりじりと熱が集まってきて、それを追い払うかのように彼女は微かに息を吐いた。
「でも、私は……この町とは無関係の人間よ。下手に出しゃばって、たいせつな機会を取りこぼしたら困る」
「俺の冷やかしに簡単に引っかかるほど中身がお子さまのあんたに、そういう大人の駆け引きがほんとうにできるかな。俺たちが知ってるイリス・アウディオってハンターは、自分が掴みたいもののためなら、多少無茶だろうがなんだろうが、ひたすら真っ直ぐに駆けていく──そういうハンターじゃないのか?」
 やめておけよ、とクイが小さく笑いながら片手をひらりと振った。
「駆け引きってのはやり方を覚えれば存外誰だってできるものだ、こんな俺たちにだってな。だが、真正面からぶつかっていくのは、そう簡単にできることじゃない。俺たちにできないことができるお前が、俺たちにできることをしてどうする? それってどうだ、一寸違わず完璧な演奏をするのと同じくらい、死ぬほどつまらないことだと思わないか?」
 言って、クイは視線を屋敷の方へと向ける。それから軽く溜め息にも似た声を発し、呆れたように微笑んだ。
「ハルは好きなやつの前では見栄を張りたがるから、一人で景気よく突っ込んでいったんだと思うけどな……でもあれは、けっこうか弱い乙女なんだ。たぶん今頃は、内心でびっしり冷や汗をかいてる」
「クイ……」
「……それに──取りこぼしたものは、また拾えばいいだろう?」
 その言葉を聞いたイリスの紅の瞳に、電氣石のさざれのように虹色の火の粉を散らす、赤々い炎が立ち上った。
 彼女の瞳がちかりと炎の光に煌めいたのを自覚すると、クイはその口角を心底楽しげに持ち上げる。それから彼は、少しばかり残念そうな表情をつくってイリスの方を見た。
「──に、しても嘆かわしいな。さっきはあんなことを言っていたのに、やっぱり俺たちの心はあんたと繋がっていなかったらしい」
「ええ……?」
「だって心と心が繋がっているなら、この町に対して無関係≠ネんて言わないはずだろう? 少なくとも俺たちは、何度もあんたと奏った仲だ。常に音楽を傍らに置いたこの町で、楽器を作る人間を親として生まれてきた俺たちにとって、一体それがどういうことなのか……分かるか、イリス?」
 問いながらも答えを聞かずに、クイはイリスの肩を軽く叩いてから、自身は荷物を持ってすたすたと門の方へ近付いていった。
 それから今は特に鍵の掛かっていない鉄門を、ぐ、と力を入れて脇へと滑らせると、彼は振り返ってイリスの方を見る。
 こちらを手招くクイの、やはり悪戯に細められた黒茶の目とは反し、優しげで、しかしどこか楽しげな声が彼の口から発せられてはイリスの元へと届いた。
「──家族も同然!」
 その言葉にイリスは一瞬面食らいながらも、しかし小さな笑みを零しては覚悟を決めたように頷き、そしてその一歩目を踏み出した。
 それはまるで、瞳から溢れた七色の火の粉が首巻を伝って、歩き出す彼女の背後に虹の軌跡を描くかのようだった。



20170803

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