愚かなり風前
「夏ってヤダ」
風鈴の音をかき消すのは、かく言うすずめである。夏休みの宿題を前に頭を抱えている亮太はシャーペンをくるりと一回転させた後、ちら、と一歳年下の友人を見やり、それからまた真っ白なドリルへと視線を戻した。
「いや、急にどしたん」
「暑いし」
「夏だからなあ」
「蚊の量えぐくね」
「田舎だからなあ」
亮太が慣れたふうになあなあ返事をすれば、すずめは呻いて畳に大の字で転がった。視線を動かすと、縁側に吊るされている風鈴がちりんちりんと涼しげな音を立てている。無論、音だけなので額から流れる汗はとどまることを知らない。時折そよ風が頬を撫でるが、少年にしてみればそんなものは悪い意味で些事であった。
「りょーちゃん、涼しいとこに行きたいとは思いませんかね」
「川?」
「スケールでかくいこうぜ、海だよ海」
「すぐそこにあるじゃん」
「そりゃまあ、田舎だからなあ」
すずめの皮肉っぽい答えに、亮太は仕方なさげに笑った。飲み干した麦茶の氷が、ごくごく薄い茶をグラスの中で生み出している。彼は集中を遮られるために一問たりとて進んでいないドリルの端へ、意味もなく丸を書いた。
「あんまたくさん勉強してると、りょーちゃん、俺と同じ高校行けなくなっちゃうぜ」
「ちょいちょいすずめさん、受験生になんてこと言うんだよ」
「だから、りょーちゃんが数学できるようになったらどうしようって話」
亮太はいよいよドリルから顔を上げて、すずめの方を見る。すずめはと言えば、畳に寝っ転がったまま、ドリルの乗っている机を指先でとんとんと叩いていた。
「俺も数学、からっきしだかんね」
言って、すずめは自分の腕を枕に口笛を吹いた。首振り扇風機が自分の方を向いて、彼の猫っ毛がそよそよ揺れる。その瞬間だけ随分機嫌良さげにすずめは口角を上げ、ごろりと寝返りを打って亮太の方を見るのだった。
「だからミリもお手伝いできませんよ。俺を家に上げた時点で今日はもう終わりなのだ」
腹立たしいことに、すずめは声色だけでウインクさえ決めたらしかった。彼の兄だったら首根っこを掴んで外に放り出しそうなところを、しかし亮太はやれやれとかぶりを振って笑うだけで、特に咎めることもない。それから彼は溜め息混じりに笑ってしまうと、冷たいだけで味のない麦茶風の水を飲んで、すぐそこに転がっているすずめの額を小突いた。
「……てか、寿々。チャリ、パンクしてなかったっけ」
「あ、バレた? 後ろ乗っけてよ。かわいい後輩のためにさあ」
さて、そんな彼が頷くまでの時間と風鈴が鳴るまでの時間は、一体どちらが早かっただろう。
Ryota+Suzume
20200220