小説 | ナノ
わたくしあめの恩恵

ポツリ。

目の前のタイル敷の舗道に染みが出来る。

並んで歩いていたクロウと乙撫は思わず立ち止まり、その一点に視線を注いだ。二人の脳裏を同一のイメージがほぼ同時によぎる。直後それは現実となり、みるみるうちに増える染みは自分たちにも広がり出した。

わー!雨だぁああ!!
「くっそ降り出しやがったか!」
「ちょっと戻ったとこにコンビニあったよね!?そこに避難しよう!」

言うが早いか、揃ってきびすを返し走り出す。膨れたエコバッグだけは濡らしてしまわないようにと、注意を払いながら。
マーサハウスの住人は以前より減ったとはいえ、決して少なくはない。大人四人と育ち盛りの子供が五人。食べ物だけに限らず、生活用品の消費率といったらそれはもうすさまじいものがあった。そんなわけで諸々を補充するための買い出しに、クロウと乙撫が駆り出されたというわけだった。クロウはマーサハウスに暮らしてはいないが、乙撫と子供たちはクロウにとって扶養家族のようなものなので、自ら買い出しの手伝いを申し出たのだ。

「あーもう最悪だぜ…」

右肩にひとつ、両手にもそれぞれエコバッグを下げたクロウが、コンビニの軒下から恨めしげに空を見上げる。つい先刻まで少し曇っていた程度だったというのに、今や鈍色の雲に覆われてしまっているではないか。雨足は弱くなったかと思えば容赦無く地面を叩き付けるの繰り返しで、一か八かにかけるにはリスクが高い。かといって歩けば10分前後の距離だ、タクシーを使う気には到底なれなかった。
どうすっかなぁ。頭を捻らせていると、コンビニの中に入っていた乙撫が戻ってきた。
その手には一本のビニール傘が握られている。

「流石に一本ずつ買うのは勿体ないかんね。これ一緒に使おー」

パン、と薄い膜を張る音を立てて、乙撫がビニール傘を開く。クロウは左手に持っていたエコバッグを肩にかけると、手を差し出した。

「ん」
「え?なにその手。はい握手」
「違うっつーの!!傘!!」
「えークロウは欲張りだなぁ。荷物三つだけじゃなくて傘も持とうだなんて。じゃあせめて荷物一つと交換ね」
「別にそんぐらい平気だっての」
「はい却下!あたし荷物一個しかないんだし、傘ぐらい持ちますよ。ほら行こ」

納得はいかなかったが、ここで粘ったところで乙撫が折れるとは思えない。それくらいなら傘が折れる確率の方が高そうなくらいである。クロウは渋々、乙撫の差す傘へと入った。

「おい。そっちの肩濡れてるじゃねぇか。オレはいいからもっと自分の方させよ」
NO!!
「ノーじゃねぇええ!!」
「どうどう。あたしは荷物を濡らさないようにしてるだけだよ?」
「……ったく」

あっという間に濡れそぼってしまった細い肩が気になりながら、あとわずかな帰路を辿る。どちらともなく無言になったが、決して居心地の悪い沈黙ではなかった。声の代わりに、頭上にポツポツと散らばる無数の音。水溜まりを避けて歩きながら、クロウは心の中で突然降り出した雨に悪態をついていた。
なんだよもうちょいで帰りついたってのに、持ちこたえろよ根性ねぇなオイ。折角のプチデートが台無しじゃねぇか。乙撫も濡れちまうしよ。あーもう雨なんて降ってもいいことなんかひとつもありゃしねぇ。
いっそのこと舌打ちでもしそうになっていた矢先ふと、なにやら嬉しそうな様子の乙撫に気付く。

「なんだよ、ごきげんだな」
「んー?へへ、だってこれって」

まるで秘密を打ち明けるような声音で、乙撫がそっと言い放つ。


「相合い傘ってやつでしょ?」


クロウの思考がフリーズをきたす。現状を惟るに、どこからどう見ても文句なしに相合い傘というやつだった。
そうとわかれば、言われてから気付いた鈍い自分が恥ずかしくなってくる。
苦虫を噛み潰したような赤い顔を見られたくなくて、クロウはそっぽを向いた。つい今しがたまでわずらわしかったはずの雨が、そうでもなくなっていく。
自分も大概現金だよなぁ、なんてことを思いながら、クロウは少しだけ歩幅を緩めた。


やっぱり、たまには急に降られるのも悪くない。


110822

私雨(わたくしあめ)…限られた地に不意に降ってくるにわか雨。

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