きっとそれは糧になる



ただいま、と口にした。
だけど返事はない。

あれ、と思いつつ…そっと開いたリビングの扉。





「あ…」





きょろっと見渡し、静かだった理由にすぐに気が付いた。





「ナマエさん…」





名前を口にしながら、僕はゆっくり膝をつく。
それは、静かな寝息を立てる…貴女の前。

今日は僕より先に帰ると言っていた彼女は、リビングのソファで穏やかに眠りに落ちていた。





「小説…読んでる途中で寝ちゃったのか」





彼女の膝の上には栞を挟まずに閉じている小説が置いてあった。
これ、確か読み始めたばかりのはずだから、流石にまだ読み終わっては無いと思うんだけど…。

この世界の文字を早く覚えたいからと、ナマエさんは読書をしている機会が多い。
もう基本的な文章を読むくらいは出来るけど、応用…っていうのかな、そういうのはまだ難しいみたいだから。

多分、これを読んでいるうちに、うとうとしてしまったと…。
そんな様子が伺えて、僕は思わず小さく笑った。

だけどそれって無理も無いことだよなあ…って、そんなことも思った。

ナマエさんは今、うちの家事を色々とこなしてくれている。
料理に掃除に、洗濯…は、まあ他が男二人だからアレだけど…。
勉強してる僕に夜食を作ってくれたりとか、そういう気も回してくれる。

それでいてリグディさんに今後の政治や流通について元の世界の意見を参考にさせてほしいと頼まれてたりとか…。
その事自体にも報酬があるみたいだけど、他にも雑用なんかも手伝っているらしく、それをお給料として受け取っていると聞いた。

そのお金をうちに入れてもくれているし…。
父さんは別にいいって言っていたけど、その方が居候する身としても気が楽だからとナマエさん自身が言ったのだ。

リグディさんの件も毎日じゃないし、休みもある。
自由な時間が結構あるから勉強する時間もあるし、ホープと遊びに行ったりだってしてるでしょ?とナマエさんは笑う。

確かに根を詰めている…ってわけではないんだろうけど、だけど色々と積み重なっていけば、体が一息を求めることもあるだろう。





「……。」





僕は静かに、なんとなくナマエさんの寝顔を眺めた。

僕の家。今、そこにナマエさんがいる。
それはもう、当たり前になった日常だ。

旅をしていた時、もしもこの旅に終わりが訪れたなら…そんな想像をした時、密かに思い描いた未来。
朝起きて、ナマエさんがいて…一緒に食事して、いってらっしゃいとか、ただいまを言ったりする。
それってちょっと、楽しそうだなあ…なんて。

旅の息抜き。
本当に、ちょっとした妄想だ。

そう。あの頃は、本当になんとなく想像してただけだった。

だけどこの世界の人間じゃないナマエさんは、この旅が終わった時、きっとその身の振り方を考えなくてはならなくて。
だから、僕に出来ることって無いかなって。そう思った時、妄想みたいに単純な話じゃないから直面する問題はいっぱいあったけど、でも居場所を作れるのなら…って、真剣に考えた。

でもまあ…やっぱり一番の理由は、もっともっと一緒にいたい、傍にいたいって思ったから…かもしれないけどね。






《…あたしも、》

《…え…?》

《あたしも、好きだよ。ホープのこと》

《……ナマエさん…》

《ホープのことが大好き》





眠る彼女の左手の薬指に光る指輪。
それは僕と揃いの物。

好きだと伝えた僕に、ナマエさんは微笑んで応えてくれた。

これからのこと、ナマエさんの世界のこと。
ライトさんとヴァニラさんとファングさんのこと。
考えなきゃならないこと、胸の突っかかりはまだまだ山積みだ。

でもきっと、大切な人を想う気持ちは…何より強い。
絆…心を通わせて、誰かを心から想うこと。

だから僕は、貴女を想うこの気持ちを何より大切にしたい。

きっとそれは、糧になるって思うから。



END


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