お兄ちゃん
あたしはあの世界に迷い込んで間もない頃、パージと言うものに巻き込まれた。
それはまるで地獄のような体験。
血の匂い、死というものがリアルに感じられるそんな事態だ。
ただでさえ見知らぬ世界に飛ばされて右も左もわからず勘弁してくれって感じだったのに、加えてそんな状態に放り出されてもう本当に呆然とした。
そんな中であたしは、ひとりの男の子と行動を共にすることになった。
歳は、中学生ってところ。
年下だったけど、それくらいの年齢なら一緒にいてくれた方が心強い。
あたしは彼にそんな心強さを抱いた。
そう、あたしたちの誰よりも年下。
最年少であるホープ。
だから少し忘れかけていたけれど、言うなれば彼だってお兄ちゃんだった。
「うーん…どんよりした空気…」
暗い視界。息をするのも少しためらうそうな、嫌な気の立ちこめる場所。
あたしたちは今、ジタンやビビが敵対していたクジャを追って初めて歪みの中に足を踏み入れていた。
外から見た歪みも禍々しく感じてはいたけど、期待を裏切らずその内部も禍々しいものがいっぱいに立ちこめていた。
なんだろう、まあ上手く説明は出来ないけど、肌でも感じるくらい嫌な気配に満ちてる感じ。
それだけならともかく、中にはあたしたちの姿を模した人形イミテーションなんかもいて、戦闘も避けられず良い事なんてひとつもなかった。
「あの!これ、次元の歪みじゃないですか?」
しばらく歪みを調べて歩いていると、皆に呼びかけるそんなホープの声が聞こえた。
自然とそちらに目を向ければ、確かにそこにはいつも見ている次元の歪みのようなものが浮かんでいた。
「入口もあるなら出口もあるって事か?」
「…あるいはもっとも、また別の空間に繋がっているかもしれないけれどね」
そう言ってその歪みを眺めるのはジタンとヤ・シュトラ。
ホープの声を聞いた皆はぞくぞくと歪みの周りへと集まり始めた。
「クジャはもうこのあたりにはいなさそうだよ」
辺りを見渡してそう言ったビビ。
クジャを追い駆けこの歪みに入って見てこの中でクジャの姿を確認することは出来た。
だけどイミテーションの相手をしているうちにその姿を見失ってしまい、しばらく探してみたけどもうこの中にはいないのかもしれないという考えが濃厚になって来たと思う。
「進んでみるか?」
「クジャって人は次元の歪みを操って移動してましたよね。この歪みをあの人が作った可能性は…?」
「ホープ、冴えてるな。よし、行ってみようぜ」
先に進むか尋ねたWOLにこの歪みとクジャの関係性を指摘したホープ。
そのホープの考えに頷いたジタンは先陣を切ってその歪みの中に飛び込んで行った。
皆もその背中に続いていく。勿論、あたしも。
ただ、あたしはその時立ち止まっている小さな影に気が付いて歪みの前で一度足を止めて振り返った。
「…大丈夫?」
その影に気が付いたのはあたしだけじゃなく、ホープもだった。
ホープは立ち止まっていたビビに歩み寄り、その顔を覗きこんで優しく声を掛けていた。
あたしはそのままの位置で少しその様子を見ることにした。
ビビはホープに顔を上げ、ぽつりと小さな声でその不安を零した。
「ちょっと…不安なんだ。クジャは元の世界で…僕の仲間を酷い目に遭わせたから」
この世界で会った仲間たちはそれぞれの世界でそれぞれの事情を持っている。
詳しい話は聞かなかったものの、ビビの様子から何かしらを察したホープは穏やかな口調を崩さぬままビビに小さなアドバイスをした。
「今度はそんなことさせない…って決めて進んでみたらどうかな。仲間がいるんだし…。前だけ…向いて」
少し、憧れの彼女の言葉を借りて。
おや…。
ホープのそんな様子にあたしは感心を覚えた。
なんというか、普通に凄く良い事言ってると思ったから。
その言葉にビビも勇気づけられたらしい。
ビビはホープを見上げ、嬉しそうにお礼を言った。
「ありがとう、ホープお兄ちゃん」
お兄ちゃん。
ビビの発したその言葉を思わず頭の中で繰り返した。
お兄ちゃん…。
ホープお兄ちゃん…。
……おお…!
なんかよく分かんないけど、その言葉に何か言い例えられぬものを感じたあたし。
「お兄ちゃん…」
一方で言われた当のホープの方もその言葉を繰り返していた。
その頬はどことなく照れたように赤く染まっている。
…ほうほう。
その反応になんかまたさっきの例え難い感情が積み重なった。
「行こうか、みんな待ってる」
「うん、頑張る」
ふたりがそう言って歪みの方に駆けだしたのを見てあたしも前を見て歪みに飛び込む。
歪みは普通に出口になっていたようで、飛び出した先には歪みに入る前の景色が広がっていて少しホッとした。
「普通に出られましたね」
「ホープ」
外の空気はやっぱり清々しい。
うーんと体を伸ばして肺に空気を溜めているといつの間にか傍にホープが来ていて声を掛けてくれた。
その顔を見てふっと思い出す。
あたしは普通に笑みを向けてくれているホープにニヤリとした笑みを返した。
「さっき良い事言ってたじゃーん。ホープお兄ちゃん?」
「へっ?」
まさか言われるとは思っていなかったのだろうか。
あたしの言葉にホープは目を丸くする。
そしてその頬は再びほんのりと赤く染まった。
「んふふ〜。なーに赤くなってるの〜」
「なっ…う…、見てたんですか…?」
「見てたんです。照れちゃって〜!か〜わい〜」
「かわっ…、ちょ、やめてくださいよ…」
「いいじゃん。おに〜いちゃん?」
「…ナマエさん、馬鹿にしてません?」
「まっさか!してないしてない」
軽くじとりと睨まれた。
首をぶんぶん横に振って否定してみたけど、笑ったままだから多分説得力は無さそうだ。
いや、馬鹿にしてるつもりはないけどね。
「本当、馬鹿になんかしてないよ。からかってはいるけど」
「ちょっと」
「あははっ!ごめんて」
「まったく…。まあでも、僕自身耳が慣れてないなとは思いましたけどね」
どうやらホープも照れた自覚はあるようだ。
あのルシの一行の中で、ホープは最年少。
見上げるばかりで、恐らくホープ自身新鮮な言葉ではあったのだろう。
「うーん、でもまあそうだよね。ビビから見たらホープはお兄ちゃんだよね」
「そう、なんですよね」
ルシになる前って、どうだったんだろう?
年下の子と接する機会ってあったのかな。
ホープは一人っ子だって言うし。
今目の前にいるホープ。
結構仲良くなったとは思うけど、まだまだ聞いてみたい事って沢山あるなあと思う。
もっともっとこの子の事を知りたいな。
そう感じるのは、あたしの素直な気持ちだ。
「ねえ、でもさ、そう言って貰えたのはビビにとってホープが信頼に値したと言うか…頼りにしてもらえたって事なわけだよね」
「えっ?」
クジャの事で不安げに俯いていたビビ。
ホープが声を掛けたあとのビビはしっかり顔をあげられていた。
なんというか、本当最近のホープの考え方はハッとさせられること多いよなと思う。
「あたしもさ、ホープの言葉聞いてナルホドなって思ったよ。あたし、ホープのそういうものの考え方、結構好き」
「え…」
まあからかってしまったから、お詫びに少しよいしょする。
でも本当にホープのそういうところは好きだから。
するとホープはまた少し頬を染めた。
今日はよく赤くなるねえ。
いやでもまあ、今はちょっとあたしも照れくさい。
「そう…ですか」
「…うん。そうですよ〜」
「…そっか。…へへへ」
ふにゃっと顔を緩ませて、ホープは小さく笑う。
その顔は嬉しそうで、なんだかちょっと嬉しくなる。
だから自然とあたしも小さな笑みを零した。
END