その笑みを守れたなら
《…おつかれさま》
俺の物語の終わり。
薄れゆく世界の最後に聞こえたのは、愛しい声のその言葉。
あの時、すべては終わった。
俺の物語は終わりを告げたのだ。
だから…続きなど、もう無いと思っていた。
「あははっ!それほんと?」
無邪気な笑い声がした。
顔を上げ、サングラス越しに視線を向ければ、そこにはこの異世界で出会った仲間と談笑するナマエの姿があった。
楽しそうにしている。
はたから見ていても、それがよくわかる顔。
あんなふうに笑う姿をもう一度見ることが出来るなど、思いもよらなかった。
《大好きだよ、…アーロン》
最後のあの瞬間…。
震えながら、堪えながら。
涙を落とさぬように顔を上げ、最後に見せてくれたのは…凛とした穏やかな笑みだった。
辛い思いをさせることはわかっていた。
だが、きっとこいつはどんな世界でも、背筋を伸ばして凛を歩いて行ける。
そんな一途な強さを持った娘だと、そう疑う事は無かった。
「2年、か…」
ふと、呟いた。
この世界の神により喪失していた記憶。
輝きを得た事で取り戻したその記憶に寄れば、ナマエは今あれから2年後の記憶を有していると言う。
姿かたちはその日と変わらないが、中身に関しては2年後。
…2年後のあいつがどう笑うかをこうして見ることが出来るとはな。
心配はしていなかったが、気にならなかったわけではない。
笑っている。
それを眺めているのは、悪くないものだ。
フッ…と自分の顔がほころんだのを感じた。
「なーにニヤニヤしてやがる」
「……。」
だがその時、突然横からそんな声が聞こえた。
すっと襟で口元を隠す。
今更もう遅いのだろうが。
俺はじと…っと声のした方に目を向けた。
「おうおう、いきなり睨んでくんなよ」
そう言って後ろ頭を掻く男。
声の主はジェクトだった。
ジェクトは俺を見て薄ら笑いを浮かべていた。
「ニヤニヤはどちらだ」
「へへへ…」
悪態をつけば、またジェクトは笑う。
正直バツは悪かった。
…油断したな。
だがジェクトはそれ以上下手に何かいう事は無くかった。
そしてすぐにその笑みをふっと穏やかなものへと変え、視線をナマエへと向けた。
「へっ、いいじゃねえか。俺もよ、あの笑顔は見てると自然と微笑んでるっつーか、嬉しく思うぜ」
「……ああ」
その目は穏やかだった。
あの笑顔を見ていたら…。
そう言われ、俺も素直に頷いた。
それはジェクトにとっても間違いなく本心なのだろう。
俺たちの旅の結末は苦いものだった。
取り返しのつかない、多くを失った…。
だが、そんな中でひとつだけでも無事であったもの。
せめてでも、ナマエが無事で良かった。
それはきっと、俺たちにとって共通の想いだろう。
召喚士ブラスカの旅。
そこで生まれた絆は、確かなものだったのだから。
「で、守ってやりてえんだろ?」
「…出来るのなら、な」
「お?素直じゃねえか」
「…下手に誤魔化しても仕方なかろう」
「へへ。けどま、出来んだろ。少なくとも今は。難しく考えたって仕方ねえしな。またこうして手が届く場所にいる。それは紛れもない事実だ」
「ああ…」
「なら、精一杯守ってやれや」
「…そうだな」
そう。手の届く場所にいるのなら、守ってやりたいと思う。
終わったはずの物語。だが今はまた、それが叶う、か。
俺は己の掌を見つめた。
今この瞬間は、またこの手であいつを守る事が出来る…。
そう少し実感したその時だった。
談笑をしていたナマエがちらりと視線を寄越しこちらの存在に気がついた。
するとナマエは話をしていた連中に手を振ると俺たちの元へ駆け寄ってきた。
「アーロン、ジェクトさん」
「おう、ナマエちゃん」
「どうした。あいつらはいいのか」
「ん?うん。かるーい話してただけだからね」
ナマエはそう言ってニコリと微笑んだ。
いつもと変わらぬ、ありふれた笑み。
するとそんなナマエをジェクトがまじまじと見はじめた。
…なにを凝視しているんだ、コイツは。
異様に見られ、ナマエも戸惑いを見せていた。
「えっと…ジェクトさん?あたしなんか変ですか?」
「いやぁよ、改めて変わらねえもんだと思ってよ。そのナリでうちのガキやユウナちゃんとも旅してたんだろ?」
「え、ああー…やっぱ違和感あります?」
…なるほどな。
それを聞き、納得した。
ナマエはブラスカのガードとして旅をした時とユウナのガードとして旅をした時で10年の性あると言うのにほとんど姿が変わらない。
勿論、ジェクトにも説明はした。
ナマエの世界とスピラでは時の流れが違い、旅の途中で元の世界に戻っていたナマエはその間歳を取らなかったのだと。
だが、説明をして頭ではわかっても感覚として不思議なものはあるのだろう。
俺も再会した時は同じような感覚を抱いたものだ。
だからジェクトの気持ちはよくわかった。
「アーロンもなんでそんなに変わってないんだって聞いて来たよね。まあ再会直後はあたしがいること自体に驚いてた感じするけど」
「ああ。俺の場合、まずはお前がスピラにいる事に驚いた。その後、多少落ち着いてからはやはり違和感を感じたが」
「まあそうだよね。あたしもスピラは10年も時間経ってるって聞いて驚いたし。すぐアーロンと会えたのはラッキーだったよね」
アーロン、という自分の名前。
ナマエの声で紡がれたその音を、なんだか今は妙に耳が拾った。
こんなにも、心地の良いものだっただろうかと。
名を呼ばれることも、もう…無いはずだった。
だが、俺は今その声を聞いている。
終わったはずの物語の続き。
異世界と言う舞台で、今、それが確かにここにある。
「ナマエ」
「ん?」
俺もお前の名を紡ぎ、それがお前に届く。
まるで夢物語だ。
だがナマエは言ったのだ。
今、この瞬間を楽しみたいと。
異世界と言う場所で起きた、奇跡。
…ああ、そうだな。
俺も、そこにある現実を…今を、楽しみたいと、そう思った。
END