目を開けるのが怖かった。
瞼を上げるのが怖い。目の前にある現実を、確かめるのが怖かった。
…恐ろしい事実を実感してしまうことになると思ったから。
「ナマエ…」
蹲っていると、名前を呼ばれた。
女の人の、静かな声。
ゆっくりと近づいてくる足音もした。
トン…と、傍で止まる。
きっと、蹲るあたしを見下ろしているのだろう。
「…ライト…」
声の主は、ライト。
それは声を聞いた時点でわかった。
あたしはゆっくりと、本当にゆっくりと瞼を開けた。
そして傍に来てくれたライトの顔を見上げた。
ライトはあたしに手を伸ばし、そっと立たせてくれた。
彼女は箱舟の中を見渡す。
「行ってしまったのか、ホープ…私たちを、置いて…」
そしてライトが呟いた言葉。
それを聞いてあたしは、心臓を穿たれたような感覚を覚えた。
確かめるのが、心底怖かった。
でも、ライトが見つめる先をあたしも見てしまった。
そこは、モニターの前の席。
いつもホープが座っていた、彼の…いつもの場所。
今そこには、誰もいない。
「それとも私の方が、お前を…お前たちを、置き去りにしたのか」
「ライト…」
ライトの顔には後悔が滲んでいるように見えた。
ライトはホープに心を許そうとはしなかった。
本音を隠して、必要以上に事も語らず…。
そしてそれは、少なからずあたしに対してもそうだったのだろう。
でもそれは仕方のないことではあった。
それにホープだって言っていた。その判断は、正しかったって。
…そもそもそれを言うなら、あたしだって…。
あたしはライトに首を横に振った。
「違う…。ライト、それは…」
「ナマエ…」
立ち上がらせてくれた彼女の手を掴んだまま…いや、多分力がこもってしまった。
まずい…。
だって、後悔があるのは…。
息苦しい。胸が重たい。
あたしはライトの手を掴んだまま、気弱に言葉を吐いてしまった。
「…変にね、思うことはあった。感情がない…ちょっと怖いなって、そう思うこと…何度もあった」
「ナマエ…」
ホープを信用出来なくなって、怖いと思った。
本音が視えなくて、…そう、あたしだって気を許してはいなかった。
怖いから、考えるのが億劫だった。だから都合のいいことも考えた。
全部終わって、神様の手を離れて新しい世界に生まれ変わったら…心は元通りになるんじゃないかって、そんな甘い想像をしたりした。
目の前にいる。手を伸ばせば、届く距離にいつもいた。
だから見失わない様にしていれば…大丈夫なんじゃないかって。
そう。手が届くのなら。
傍にいれば、何か起きても、どうとでも出来る…なんて。
だけど…。
「もっと、出来ることあったかな…もっと話、聞いてたら…」
「……。」
「いなくなっちゃうなんて思わなかった…」
言葉にして、じわっと実感という重みがのしかかってきた気がした。
ホープは、もうここにはいない。
どこにも…もう。
彼は神様が与えた役目を終えたから、消されてしまった。
離さないって、約束した手…。
触れることすら叶わなくなるなんて、思ってもみなかった。
今更、遅すぎる後悔が募っていく。
「あたしも、今のホープに気を許しちゃ駄目だって…。でも、偽物じゃないって…わかってた。なら、もっともっと…ただ傍にいるだけじゃなくて、もっと何か…」
「ナマエ…」
ライトはあたしの肩に手を置いた。
ダメだ…。気を遣わせる…。
ライトだって辛いのに。
多分、情けない顔。
でも顔はあげようって、ライトの顔を見上げた。
するとライトも、あたしを見ていた。
そしてその瞳には、静かな決意が揺らめいていた。
「ナマエ。自分を責めるな」
「…ライ、ト」
「必ず助ける」
真っ直ぐな瞳に見つめられる。
そしてそれを見ていたら、浮かんだ顔があった。
ホープ。ヴァニラ。セラ。
救いたいと願う、大切な人達。
すると、その時だった。
「クポゥ…」
「「!」」
凄く、凄く小さな声がした。
この箱舟の中で、今あたしとライト以外の声が。
そしてその声には聞き覚えがあった。
あたしたちはパッとその声のした方へ振り向く。
するとそこにはふよふよと、こちらに飛んでくるモーグリの姿があった。
「モグ…っ」
「クポ〜…ナマエ…!」
あたしは駆け寄って、手を伸ばした。
するとモーグリも真っ直ぐにその腕に飛び込んできてくれた。
包んだ小さな体は、甘えるようにうずめられる。
それは再会を喜ぶように、声を震わせた。
「ナマエ、久しぶりクポ…!会いたかったクポ!」
「うん…あたしも、会いたかった…!」
モーグリ…。
ウィルダネスの森の中で、仲間たちと力を合わせて生活していた。
そんな姿を、モニターを通して見ていた。
モーグリの温度が腕を通して伝わる。
会えた、傍にいる実感。
ライトが言葉を届けてはくれたけど、こうして実際に会うのは…本当に本当に久しぶりだった。
「どうしてここへ?」
あたしの腕の中にいるモーグリにライトは尋ねた。
するとモーグリはあたしとライトを見上げて答えてくれた。
「ライトニング様とナマエを放っておけないクポ!伝言を頼まれたクポ。ライトニング様、ナマエ、これから何があっても前だけ見てクポ!」
「伝言って…」
「…そうか。背中を守ってくれるんだな」
「お任せあれクポ!」
ドン、と小さな手で小さな胸を叩いたモーグリ。
前だけ見てという伝言。
それは…その言葉を知っているのは…。
思わずモーグリを抱きしめる手に力がこもってしまった。
するとそれに気が付いたのか、モーグリはあたしを見つめて言った。
「ナマエ。その言葉を伝えたら、きっとナマエはもうひとつ言葉を添えるって教えて貰ったクポ」
「……。」
添える、言葉。
心当たりは…勿論あった。
だからあたしはこくりと頷いた。
うん。そうだね。
浮かんだ言葉、あるよ…。
必ず助けると、前だけ見ているその背中に…。
まだ、すべきこと…出来ることが、残っている。
あたしはふっと深呼吸した。
そして、決意するようにライトを見つめ、その言葉を口にした。
「…ライト。前だけ見てろ。背中は守る。ちゃんと、後ろにいる」
「…ナマエ」
それは、ホープにとって勇気の言葉だった。
…あたしにとっても。
そしてライトも、覚えていてくれた。
遠い遠い日…。
3人で歩いたあの日の言葉…。
「そうクポ。ナマエはライトニング様と一緒に戦うクポ。もう、これからはそれが出来るのクポ。ナマエもなんとなくわかるのクポ?」
「…うん。そうだね。もう、きっとそれが出来る…」
モーグリに言われてなんとなく、わかった。
今まであたしはこの箱舟を出ることが出来なかった。
ライトにしか、転送装置が反応しなかったから。
それはまるで足枷でもついているみたいに。
だけど、今はきっとここから出ることが出来る。
きっと…呼んでいるのだ。
「神様が、ナマエも呼んでいるのクポ」
「うん。もう、ライトにだけ戦わせない。あたしも、戦うよ」
最期の日。ブーニベルゼが呼んでいる。
お前もこの箱舟を出て、神の御座へ来いと。
だから、あたしはライトの背中を守る。
「いよいよ最期の戦いクポ!」
モーグリの言葉に見送られながら、ライトはいつものように転送装置へ向かう。
そして一度振り返り、今日起こる事、すべき事を確かめた。
「そうだ。世界は最後の日を迎え、忘却の禊が始まる。人々が新たな世界に生まれ変わるための儀式」
「でも、代償があるよ。絶対払うわけにはいかない代償が」
「ああ。儀式をやれば、ヴァニラは死ぬ」
「死んじゃうクポ!?そんなの酷いクポ!」
終焉の日。聖女たるヴァニラは自分の命と引き換えに忘却の禊を行う。
死者たちの嘆きを鎮めるために…。でもそれは死者たちの一切を消滅させる儀式だ。
「あいつは利用されてるんだ。忘却の禊なんてやらなくても、ヴァニラには死者を救う力がある」
「もしかして、セラも助かるクポ?」
「ああ。ホープの言葉を信じる。セラの望みを果たせ。そうすれば、あの子は帰ってくる。ホープはそう言ったんだ。そして、ナマエ」
「え…?」
「お前は、ホープの心を探せ。あいつの心を誰より探し出すことが出来るのは、お前だ。私は、その道を繋げるよ。そして、お前の心も解き放つ」
「…ライト」
セラを救うと口にしたライトは、ホープのことも諦めてはいなかった。
ホープの心…。まだ、どこかに漂っているのかな。
あたしはそれを捕まえることが出来るだろうか。
…いや、そうじゃない。
絶対掴む。だって、離さないって言ったんだから。
「うん。絶対、探し出す」
「ああ」
あたしが頷けば、ライトも頷き返してくれた。
そうだ。まだ諦めない。最後まであがいてみせる。
「…だが、儀式は神の意思ともいう。神に背いて禊を止めれば、セラの魂がどうなるか」
「それでもセラは躊躇わないクポ。自分が危なくても、人を助けたいって望むクポ」
「うん…。一緒に旅してた時も、自分の命が削られるって知ってても…未来を守るって誰より強く立ち向かってた」
「そうだな。誰かの命がかかっていたら、迷いもせずに飛び出して、自分の身なんて考えない子だ」
「そう。姉妹そっくりクポ。だからライトニング様も心配クポ」
「大丈夫だ。また逢える。セラを想って、セラが望むように戦おう。そうすれば、きっと帰ってくる」
ライトのその声は、どことなく穏やかだった。
ホープが言っていたね。セラはライトにどんなライトでいて欲しいのか、その答えを示せばいいって。
「ナマエ」
「ライト」
ライトはあたしに手を差し出してくれた。
その手は導くように。
あたしはその手を取り、そしてライトと同じように転送装置に足を置いた。
「行くぞ」
「うん!」
装置が作動する。
ヒストリアクロスの時と少し似ている、特有の音と、不思議な感覚。
向かう場所は決まっている。
終焉の地は…光都ルクセリオ。
To be continued
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