不可視の混沌の正体


濃密な混沌の満ちる薄暗い神殿をライトはひとり進んで行く。
目的は、この神殿の最深部にいるであろう男…カイアス・バラッドだ。

遠い昔、彼はあたしたちの敵だった。
セラとノエルとあたしが共に戦った宿敵。

そして、世界を壊した張本人。

でも彼は死んだはずだった。
時の無いヴァルハラの海で…静かに解ける様に消えていった。

だけど彼は今、ここにいる。

ライトは再び彼に会おうとひたすらに神殿を歩いた。





『なんだ…?』





その時、ライトが何かに反応した。

そんな声を聞いたあたしは過去を遡るのを止めてモニターに目を向けた。
すると、そこにあったものに思わず目を見開いてしまった。





『解放者…魂を新たな地へ導く人よ』





鈴の音のような静かな声。
…時を越える旅の中で、何度も聞いた声だ。

そこにあった…いや、いたのは混沌を纏ったひとりの少女。





『時詠みの巫女…パドラ=ヌス・ユール…』





ライトが驚いたようにその名を口にした。

時を視ることで短命を強いられ、しかし幾度となく同じ姿形で転生する巫女。
そう、そこにいたのはユールだった。





『定められし出会いが汝を混沌の出ずる処へ導く。純白の羽根を纏いし、運命の使者の名は…ヴァルハラの天使』





ライトを見上げたユールはそんな伝承の様なものを口にした。

それには聞き覚えがあった。
確かこれは、ウィルダネスについた直後にライトが誰かに語りかけられたと言っていた言葉だ。





「ナマエ、なにか見えてるの?」

「えっ」





その時、神殿の混沌の解析を進めていたホープにそう声を掛けられた。
ちょっとビックリした。

だってそう聞いてくるって事は…。





「いや…ライト、大丈夫かなって」





気が付いたら誤魔化していた。

ただ、あまり余計な事は言わない。
ずっと前、嘘が下手だって言われた事があるから。

でも、誤魔化す…か。
そうした自分に思うところはやっぱりあった。





『そうか。私を呼んだあの声はお前だったか』





その時、ライトはユールにそう言っていた。

確かにライトは聞いた声は少女のものだったと言っていた。
なるほど…確かにユールなら納得だ。





『混沌を通じて声を伝えた。あなたに未来を知らせる為。そして、私の望みを託すため。遂げられるのはただひとり…解放者だけだから』





ユールはそう言いながら先を示す。
すると瓦礫だらけの崩れた空間に新たな足場が現れた。

混沌の力を使ってユールが足場を作ってくれたみたい。





『望みを?私に頼みが?』





ライトはユールが自分に託したいといった話を気にした。
確かにわざわざ混沌を介したりしてまでライトに頼みたい事って何だろう。





『眠れぬ魂を…カイアスを解き放って欲しい。あの人は不死身の心臓を失った。生きることも望んでいない。でも死ねないの。混沌に縛られ、生を強いられてる』

『カイアスは死を願いながら混沌の力で無理に生かされている。そういうことか』

『あの人の魂を解放してあげて。出来るのは、あなただけ』





ライトにカイアスの魂を解き放って欲しい。
ユールの願いと言うならカイアスに関連する事なのだろうとなんとなくは思ったけど、やっぱりそうだった。

混沌に縛られカイアスは死ぬことが出来ない、か。





「ライトさん、大丈夫ですか!また通信が途絶えてしまって」





その時、ホープが焦ったようにそうライトに声を掛けた。

確かに通信は不安定だった。
だからホープは小まめにライトに呼びかけをしていた。

混沌が濃く、こちらの声が向こうに繋がりにくい。
そしてこちらからも視にくい。

だからあたしは箱舟の中でユールの名前を声にしなかった。

…そう、ホープには視えていなかったから。





『私は大丈夫だ。心配ない』





安否を確認するホープの声にライトはすぐに答えた。
それを聞いたホープはすぐにホッと息をついた。





「良かった。安心しました。混沌のせいで通信が不安定でそっちの様子がほとんどわからないんです」

『そうか…お前には何も視えていないんだな。…ナマエ』

「…ん?」





ライトに声を掛けられ、あたしは小さく返事をした。

内心、ちょっと焦った。
だって、なんて答えようか言葉に悩んだから。

でもライトはそこで言葉を止めた。
…何か察してくれたみたいに。





『……いや、なんでもない。こちらでは導きの光が視えた。先へ進んでみる』





そしてそう言うと再び足を進め始めた。

ちょっとホッとした。
いや、実際はライトに視える視えないを話すのは構わないのだ。

問題は…。
…ホープに言いたくないなんて、本当…変な話だ。





「導きの光…か。ライトさん、何が視えたんだろう」

「うん…」





通信が不安定だから、ホープは視線もモニターではなくこちらに向けて来る。
あたしは頷いた。なんというか、色々と濁すように。

言いたくないけど、嘘をつくのも気がひける様な。

なんとも中途半端だ。
煮え切らない自分に凄く微妙な気持ちになった。

でも、今ユールと接しているであろうライトがそれをこちらに言うまで黙っておこう…そんな風には思った。
もしかしたらそれも、ホープに言わなくて済むという…ただの言い訳だったのかもしれないけど…。





『また会ったな』

『はじめて会うわ。さっき会ったのは違ったユール』





センサーに映らぬまま神殿を進んだライトは何度もユールに会った。

ユールは短命。
そして幾重にも生まれ変わる存在。

だから同じ姿形でいくつもの時代に存在するけど、その個性はそれぞれ。
同じ存在は、ひとりとしていない。

通信が不安定でも、あたしにはユールとライトのやり取りは見えた。
だからあたしはホープと話しながらもそのやり取りに耳を傾けていた。





『私は願ったの。カイアスと永遠に共にありたい。ただそう望んで、彼に混沌の力を贈った。でもそれは過ちだった。あの人の心は生を忌み、終わりを願っている』





あるひとりのユールはそう語った。

カイアスは巫女の守護者だった。
そこには確かな絆があり、互いが互いを大切に思っていた。

だってカイアスは、ユールの為に世界を壊そうとしたのだから。

そしてユールもカイアスを想う。
ノエルは言っていた。巫女が何度も生まれ変わったのはきっと…カイアスともう一度会いたかったからだと。

カイアスが今なおこの世界にいる理由はなんとなくわかった。
彼と共に在りたいと願ったユールが彼に混沌の力を贈ったから…か。





「ライトさん、ライトさん!今誰かと話してましたか?」





不安定な中でも少しでも状況を把握しようと試みるホープ。
彼はノイズの状況を見つつ声を掛ける事を続けていた。

今、ライトはユールと話していた。

だけど、そんなホープにライトが返した言葉はそれが伏せられたものだった。





『誰かの声でも聞こえたのか?』

「いえ、呼びかけたんですが返事が無かったので。通信の不調みたいですね」





交わされるふたりのそんな会話を聞いたあたしは少しドキリとした。

…ライト、少なくとも今は言うつもり…無いんだって。

あたしも突っ込むつもりは無いけど…。
だからあたしは黙ったまま、ふたりの会話を聞いていた。





「この神殿には桁違いの混沌が滞留しています」

『ホープ。もし仮に、誰かの意思でそれを操ることが出来るとしたら、一体何が起きる?』

「混沌は矛盾に満ちた力です。すべてが同じ方向を向く事などあり得ませんが、仮にそれが起きたら世界を滅ぼす事すら造作も無いでしょうね」





桁違いの混沌がすべて同じ方向を向いたら、世界すら滅ぼせる…そんなこと造作も無い。
ずっと研究をしていたホープの言葉は、ずんっと重くのしかかった気がした。

それと同時に、ちょっと思ったことがある。

ライトがホープにそんなことを聞いたのは、もしかしたら確かめる為だったのかもしれない。
ユールの存在がホープにはやはり見えてないっていうことを。

そうしてさらにさらに奥へと進めば、また別のユールにライトは出会った。





『私たちの願いがカイアスを苦しめる。解放者よ、彼を救って』





出会ったユールはそう言った。

与えた生がカイアスを苦しめるから、彼の魂を解き放って欲しいと。
解放者たるライトに願った…。





『死んだら生まれる。短い命の巫女。転生の数だけユール達がいる。同じユールはひとりとしていない』





その時、ライトでもユールでも無い声がした。

ライトが振り返るとそこにいたのはルミナ。
微笑むルミナの言葉にライトは頷き再びユールに目を向けた。





『ああ。だから支離滅裂だ。カイアスの死を望まず呪われた生を与えたユール。カイアスの生を望まず、死を言う解放を願うユール。いくつもの意志を持つ矛盾のかたまりだ』





幾人ものユール。願いは様々。
ただそこに共通してあるのはカイアスへの想い、か。

心は矛盾するもの…と言っても、これはそんなの比じゃないくらいの闇だ。





『関わり合うと厄介だな』

『とっくに関わり合ってるよ。あなたは巻き込まれたんだから』





ルミナの言葉にライトは顔をしかめた。
あたしも、ちょっと引っ掛かった。

ユールに、ライトが巻き込まれた…?

ライトは聞き返す。





『何が言いたい?』

『彼女に聞いたら?』





ルミナはライトの問いに応えることはなく、その場から消えた。
一方で、ユールはライトの事を悲しそうな目で見ていた。





『真実は、この先に』





ユールはルミナの言葉を否定しなかった。
そしてライトを導くよう進むべき道を示した。

その先にいたユールも、ライトを巻き込んでしまったと言う後悔の言葉を口にしていた。





『あなたを巻き込んだのは私。だから今度はあなたの力になりたい』

『巻き込んだとは、なんのことだ』

『これは混沌の力。私達の魂が抱える闇。この力がすべての過ちをもたらした。あなたの苦しみも、カイアスの悪夢も。今、あなたは知らねばならない。私達が一体、何者か』





その瞬間、突然こちらのセンサーの数値が一気に飛び跳ねた。
ただでさえ濃い混沌なのに、そんなもの軽く思えるくらいに。





「な、なんだ…!?」

「ホープ…」





様子がわからないながらも解析を試みていたホープも声を上げる。
パネルを叩く音が響いて、そんな中であたしはライトの声を聞いた。





『これは、不可視の混沌…!?』





それが聞こえた時、あたしはゾクッと嫌なものを感じた。

不可視の混沌…。
だってそれは、ライトを歴史の歪みに引きずり込んだもの…。

そして、この世界の時を…破滅させたもの。





「ライトさん、何が起きてるんですか!?信じがたいレベルの反応が…!」





ホープはライトの呼びかけた。
でもきっと、ノイズまみれでちゃんとは届いてないかもしれない。

その中で、ユールの言葉は核心に触れた。





『私たちが、世界を壊した』





私たち…。ユールたち…。
世界を壊すほどの恐ろしい混沌の正体は…。





『神さえも恐れる力…。不可視の混沌の正体はお前たちの…人らしく生きることを許されなかった数えきれないユールたちの魂だったんだな…』





ライトはユールを見つめながらそう呟く。

すると、今ライトの目の前にいるユールの姿がいくつものユールと重なって見えた。
そこにあるのはただただ純粋で、それゆえ重なればねじ曲がっていく…ユールたちの想い。





『もう一度生きたい。カイアスとまた逢いたい。その気持ちが幾重にも重なりやがてひとつの闇を孕んだ。ひとたび産まれ落ちた闇は誰にも止められなかった。あなたを異界に引き込み、女神の戒めを解き、世界の境界を引き裂いた』

『カイアスを慕うお前たちの想いがひとつに結び付いたことで、混沌と言う巨大なエネルギーにひとつの意思を植え付けたのか…』

『意思と言うより、それは欲望。ただカイアスと共に生きたい。狂おしい渇望に突き動かされる。いわば獣…。それが不可視の混沌。私達は混沌と融け合い、分かちがたく結びついた。カイアスと共にいたいと願ったのも私。彼に望まぬ生を与えたのも私。彼の魂の安息を望んだのも私。すべての矛盾する私を繋ぐもの…それが、カイアスへの想い』





欲望…。狂おしい渇望に突き動かされる…。
繰り返して繰り返して、重なって…それほどまでに強大な、ユールたちのカイアスへの想い…。

たったひとりを、強く強く想う感情…。

なんだか少し、胸が痛い。
あたしはちらっと、傍にいるホープの姿を目に映した。

あたしには、ユールの気持ちがわかる…なんてことは言えない。

でも、何よりも一緒にいたいと願うその気持ちは、少し…わかる。

ずっと傍にいたいって願った。
離れたくない。その手を放したくない。

ただ、一緒にいたい。

…そんなことは、きっと…考えた事があるから。

そう言う気持ちが幾重にも重なれば…。





「ホープ、ナマエ、よく聞け。世界を歪めた力の正体がわかった」





その時、そんなライトの声が聞こえた。
そこであたしはハッとした。

それはライトがホープに話すことを決めたということだから。





『時詠みの巫女、ユールたちの魂が集ったもの。それが不可視の混沌だ』

「ユールの魂の、集合体?」

『ああ。転生と死の悲劇を繰り返してきた哀れな巫女たち、彼女たちの想いが混沌に一つの方向を与え、エネルギーの濁流を引き起こしたんだ。世界すら吹き飛ばす、純粋で凶暴な力だ』

「…このまま暴走させるわけにはいきませんね。僕には状況が視えませんが、そこにユールがいるなら呼びかけて制御できませんか」

『どうかな…自分でもコントロール出来ないようだ』





ユールの事を聞いたホープは話に納得したようだ。
その辺りは流石、と言ったところだろうか。

だけどユールたちが自分でそれをコントロール出来るのなら、きっととっくに何とかしてるのだろう。





「頭ではわかっていても、心が追い付かない事ってあるよ…。ましてやそれがいくつもいくつも重なったら…きっと、どうしようもならない」





あたしはそう小さく呟いた。

もう、ライトはかなり進んだはず。
最深部…カイアスまでも、きっとあと少し。



To be continued

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