「……嘘だろ?」
震えている…。
貴方の声と、手のひらが。
「気にする事はない。間もなくこの娘も星を巡るエネルギーとなる」
静かに、簡単に言ってのける低い声。
「私の寄り道はもう終わった。後は北を目指すのみ。雪原の向こうに待っている約束の地。私はそこで新たな存在として星と一体化する。その時はその娘も…」
「…黙れ。自然のサイクルもお前のバカげた計画も関係ない…」
震えている…。
エアリスを抱きかかえる、クラウドの腕が…。
「…エアリスがいなくなってしまう。エアリスは、もう喋らない。もう…笑わない。泣かない…怒らない…。俺達は…どうしたらいい?この痛みはどうしたらいい?指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱いんだ!」
よく、知っている台詞。
クラウドが感情をむき出した…彼の本音。
エアリスを抱き寄せたクラウドの手は、震えながらに強くなる。
あたしはそれを、茫然と見ていた。
髪を伝い、頬を伝う…冷たい雫。
心がどんどん冷えていくのは…ずぶ濡れのせい?
ああ、ティファ…そんなにあたしを抱きしめたら、ティファの体も冷えちゃうよ…。
…ねえ、あたし、今何を考えてるの?
いったい何を見ているの?
クラウド…、エアリスは…?
エアリスのワンピース…赤が、染みて…落ちていくよ。
「何を言っているのだ?お前に感情があるとでも言うのか?」
「当たり前だ!俺が何だと言うんだ!」
「クックックッ…、悲しむふりはやめろ。怒りに震える演技も必要ない。何故なら、クラウド。お前は…」
クラウドを見て、セフィロスは妖しく笑っている。
「……何故なら、お前は……人形だ」
「…俺が人形?」
訝しるクラウドに、セフィロスは笑みを深くする。
だけど…その視線がクラウドを捉える時間は、そう長くなかった。
「それより…私の計画に、多少とは言え狂いを与えたのは…まさか、あの娘か?単なる微細な異物と捉えていたが…娘、貴様まさか…」
「……!」
セフィロスの目が見ているのは、何…?
微細な異物って…あたし…?
「ナマエをどうする気だ?!」
クラウドが怒鳴り、ティファのあたしを抱きしめる力が強くなる。
「…そうか。お前たちはあれの正体に気付いていないのだったな」
「なんだと…?!」
「いや…それは私もか。もしもそうであるなら、最高に面白い可能性を消し去るところだったか」
「お前、何を言ってるんだ!ナマエに何を…!」
「クックック…。ならば、庇い立てたそこの古代種の娘には感謝しなくてはな」
「何…!」
セフィロスが何を言っているのか、全然理解出来ない。
…頭が、全然ついていけない。考えることが…出来ない。
だけど、ひとつ…庇い立てた古代種…。
エアリスが、あたしを庇った…。
庇って…刺された…。
「あた…し…」
勢いよく引かれた手首を見る。
その感触が、まだ残ってる。
みるみると形を変えていくジェノバ…。
それと対峙する皆の姿…。
「あ…ああ…っ」
「ナマエ…!」
あたしは…、傍に残ってくれたティファに抱きしめられながら、ぽろぽろと涙を零した。
…考える事が、怖い…。
胸の中では…酷く、恐ろしい…そんな事実に気付きかけていたから…。
ジェノバは、皆が退けてくれた。
そして…クラウドがそっとエアリスの体を抱え、忘らるる都の湖で水葬を行った。
茶色の長い髪を水面に広げ、少しずつ消えていく彼女の姿…。
皆…苦しそうな顔をしていた。
辛く、重々しい…悲しみが流れていた。
身も心も憔悴しきった今…、今だけは…誰も前に進もうとはしなかった。
決意だけはある。
己を恐怖したクラウドは、エアリスを手に掛けたセフィロスを許さず、真実を確かめることを誓った。
皆に、自分がおかしくなったら止めて欲しいと頭を下げながら。
…ただ、一晩…。
今だけは、小さな休息を得る事になった。
古代種の残した民家に留まり、各々が静かな時間を過ごした。
《エアリスは…セフィロスを止められるのは、自分だけって言ってた。一人で行くつもりだって聞かなくて…。でも…心配だったから、何が出来るってわけじゃないけど…あたしはついて行ったの…。勝手に…ごめん》
あたしは、それだけは皆に話した。
今は無理しなくていいって言ってくれてたけど、だけど…やっぱり皆、気にしているはずだから…。
でも逆に言えば…それだけしか、話さなかった。
自分の事も…ホーリーの事も…。
「………。」
民家を抜け出したあたしは、ひとり…の泉の前で蹲っていた。
幸い…忘らるる都の民家付近は、魔物の気配が全然ない。
あたしがひとりでうろついても心配事は無いのだ。
…なんだか、何もかもがめちゃくちゃだった。
頭も心も…ぐっちゃぐちゃ…。
…いない。どこにもいない…。
探しても見つからない…呼んでも返ってこない…。
エアリス…守れなかった…。
運命を…変えられなかった…。
いや…運命は…変わったのか…。
「…ナマエ…」
その時、背中の方で声を掛けられた。
…誰なのか、すぐにわかる…。
振り向くと案の定、彼がそこに立っていた。
「クラウド…」
クラウドは少しずつ歩み寄ってくる。
そしてあたしの隣まで来ると、ストン…と傍に腰を下ろした。
「…ひとりで何処かに行くな」
「……平気だよ…。魔物、全然いないから…」
「そうじゃなくて…」
何か言いかけたクラウド。
でもそれを噤み、謝罪を口にした。
「…すまなかった」
「…どうして謝ってるの…?」
「俺…ナマエの首、絞めた…よな」
「ああ…」
思い出した、古代種の神殿での出来事。
そっか…首、絞められたっけ…。
そっと首筋に触れる。
でも、それはクラウドの意思じゃないから…。
「そんなの、全然大丈夫だよ…」
「でも…」
「本当に大丈夫だから…」
「…ずっと謝りたいって思ってたんだ」
「そんなに気にしなくて平気だって。それよりクラウドこそ、気絶したし…大丈夫?」
「俺は…、ああ…体は、何ともない。だけど…大丈夫とは、答え辛いな…」
「うん…?」
「謝らなきゃならないこと…増やしてしまったから」
「え…?」
「…すぐ、傍にいたのに…。肝心なところで、俺はセフィロスに…」
「……クラウドは、何も悪くないよ…」
クラウドは、あの一瞬…意識をジェノバに取られてしまった。
だけど…誰もクラウドのせいだなんて思ってない。
だからあたしは首を横に振った。
そう…悪いのは、クラウドじゃなくて…。
「…あたしのこと庇って…エアリスは…」
そうつぶやいた瞬間、クラウドはぐっと顔を歪ませ、首を横に振った。
「違う。ナマエのせいじゃない」
「………。」
「ナマエは何も悪くない。あんたのせいじゃないんだ…!」
「…………。」
クラウドは言う。
あたしのせいじゃないって、繰り返しては否定する。
「…悪いのは…、近くに居て守れなかった…」
「…違うよ…クラウドじゃない…、あなたは悪くない…」
「…ナマエ…」
あたしはエアリスを守ろうとした。
そんなあたしを、エアリスは庇った…。
でも…もともと、セフィロスの狙いはエアリスだった。
だから…あたしが何もしなくても…ううん、いなくても…結果は…。
「あ…たし…」
「………。」
…なんで、そんなこと考えてるの…?
心から、悲しみが溢れてくる。
そんな顔、見せたくなくて膝に顔をうずめる。
…ねえ、何であたしは泣いてるの…?
それは、エアリスが死んでしまったから。
…守れなかったから。
悲しくて…痛くて…。
だけど…、これが、あるべき未来…?
守りたいって、未来を変えたいって…そう思ったのに。
…なんで、そんなことを…考えてるの…?
「…ごめん…なさ、い……」
口から零れた、ごめんなさい。
…ねえ、何に謝ってるの…?
「あんたが気にする様な事は…何もない…何も…何も…」
答えてくれたのは、クラウド。
クラウドは…変わらずに、あたしのせいじゃないと繰り返す。
ねえ…あたし、何を思ってるの…?
エアリス…あたしを庇って、あたしの代わりに死んでしまった。
……本当に、そう思ってる…?
胸が痛い、苦しい、締め付けられて、潰れそうになる。
ねえ…クラウド。
あたしは酷い人間かもしれない…。
エアリスはあたしを助けてくれた…。
あたしの代わりに…エアリスは刺されてしまったのに…。
違う…違うんだよ、クラウド…。
あたし…エアリスが自分を庇ったって死んでしまったって事…それ、あたしの代わりに…みたくは、きっと思ってないのかもしれない…。
だってね…あたしが何もしなくても、エアリスは…。
でもそれを、あたしは知ってたのに…結局、エアリスを助けられなくて…。
そして…そこから生まれた新たな恐ろしい可能性に、ガタガタと酷く怯えてる。
「……違うの…あたし…、」
「…ナマエ…?」
…エアリス…助けられなくて、…ごめん…。
死んでしまった…。
あんなに笑いかけてくれた彼女のその微笑みは…もう、見る事が出来ない…。
所詮…無理なの…?
運命は、変えられないの…?
いいや…そんなことは無い…。
いくつか変わったこともある…。
変えられない事、変えられた事…。
その二つに挟まれて…まるで迫ってくるみたい…。
だけど…確かなのは、エアリスがあたしを庇ってくれた事…。
…セフィロスの正宗があたしに向いた時、凄く…怖かった。
この世界は…死と隣り合わせ。
エアリスが助けてくれなかったら…あたし、きっと死んでた…。
あたし…死んで…いたんだ…。
「…あたし…エアリスが助けてくれなかったら…っ…」
「っ…すまない…。守ってやれなくて…」
「クラウド…」
己の身近づきかけた死のにおいに、体が震えた。
それに気づいたクラウドは、苦しそうに顔を歪めた。
あたしはきっと…簡単に死ぬだろう…。
頭の中が、ぐらぐらした…。
皆は助けてくれる。
こうやって…守ってくれる…。
…もしかしたら、この先も…あたしの存在がある事で…誰かが死んでしまうかもしれない…?
ゾッとした。
…気がついた。
だから、考えたくなかった。
その考えに気がつきたくなかった。
あたしが一番怖いのは…皆の命を失う事…。
「ナマエ…、俺…あんたに頼みたい事があるんだ。聞いてくれないか…?」
「…え…?」
震える肩。それを押さえる様に、でも優しく…クラウドはあたしの肩に触れる。
ぶつかる瞳は、心配そうで…でも、怯えてる。
必死にふたつを抑えようとしているみたい…。
あたしの震えとクラウドの恐怖…まるでそのふたつを、中和させようとするかのように。
「俺は自分の意志でここまでやってきた…そう思っていた。しかし…正直に話すと、俺は自分が怖い。…俺の中には俺の知らない部分があって…そういう自分が俺の中にいる。俺ではない自分が…」
「………。」
クラウドが抱く己への恐怖…。
うん…知ってる。
よく、知ってるよ…。
その理由も…。
その、もうひとりのクラウドについても…あたしは知ってる。
「だから俺はもうこの旅をやめた方がいいのかもしれない。とんでもない事をしてしまうかもしれない。でも、俺は行く…。5年前、俺の故郷を焼き払い、たった今エアリスを殺し、そしてこの星を破壊しようとしているセフィロスを…俺は許さない」
「………うん…」
「…ナマエは、怖いか…?これ以上旅を続けるのは…」
「…あたしは…」
あたしは…最初、元の世界に帰りたいから旅を始めた。
…本当は、クラウド達と旅が出来るなんて凄いって…そんな不純な動機もあったと思うけど…。
だけど神羅ビルに捕まってたから、ゲームが現実になると凄く怖い事が沢山あるって…それなりに理解してたつもりだった。
わくわくする事も沢山あって…。
でも、その裏に…そんな恐怖と、そして…未来を思って苦しくなった。
未来を変えたい…。
でも変えて良いのかなって…挟まれて、悩んで…。
でもやっぱり変えたくて。
…結局、もっと恐ろしい可能性に…気づいてしまって。
本当に旅をやめなきゃいけないのは…あたしなんだろう。
…そうだよ、あたし…早く帰らなきゃ…。
あたしが帰れば…全部…。
……帰り、たい…。
少しの沈黙の末、頭に浮かんだ言葉。
でもそれを口にすることなく、その前にクラウドが言葉を続けた。
「怖い…よな。ごめん…。でも、一緒に来てくれ…ないか?俺がおかしな真似をしないように見張っていて欲しいんだ」
「……。」
「頼む…」
か細い、不安な声…。
不安で一杯なのだと、知らなくても見て取れる…。
だけど…。
「…あたしじゃ、役に立たないよ…」
「そんなことは無い。…不思議なんだ」
「…不思議?」
「不思議と…気が楽になる。何気ない言葉とかでも、あんたの言葉は…いつでも欲しい時に、欲しいものをくれる」
「そんなこと…」
「本人が言ってるんだ。否定しようとするなよ。それにきっと…そう思ってるのは、俺だけじゃないと思う…」
「………。」
欲しい時に欲しい言葉を…。
そんな事、本当に出来ていたのかわからない…。
もし、そうなら…それは、あたしが皆が何を思い、何を大切にしているのかとか…そう言う事、知ってただけ…。
知っている分、何か力になれればいいとは思ってたけど…。
でも…それで得られた信頼は…、何か、ずるさを感じた。
本当は…もうこれ以上…クラウドの傍に、いない方が良い…。
「旅…やめなきゃならないのは…あたし方だよ…」
「ナマエ…」
だけど…やめて、どうすればいいのか…あたしにはわからない…。
どこへ行けばいいのか、ひとりじゃ…何も出来ない…。
…ひとりでいるのも…、とてもつもなく…怖い。
だけど…だけど…。
「…一緒にいたら…絶対、迷惑…掛けるよ…」
「迷惑とか、思わないって言ってるだろ…」
「でも、エアリスは…あたしの事、庇ったんだよ…」
「っ…だから、それもナマエのせいじゃない…っ」
クラウドは首を振る。
でも…そう。
何より、あたしが一番怖いのは…。
「…クラウド…」
「…ナマエ…?」
顔を上げると傍に在った…心配そうな、青い瞳。
……もし、今度はクラウドが…あたしのこと庇ったら?
あたしは、より良い未来を願っていた。
この先にあるクラウドの自我崩壊も…何とかしたいと思ってた。
だけど…あたしが何かすることで、もし…誰かが死んでしまったら…。
「ごめ、ん…」
「…え?」
「…ごめん…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「ナマエ…、どうしたんだ…」
クラウドが、あんな悲しい形で自分を見失う事…出来れば避けさせてあげたいって思ってた…。
おかしくなって、それに怯えるクラウドを…守れたらって…思った。
でも…もう…。
誰かがいなくなるのなら…。
死んでしまうと言うのなら…。
それ以上に怖い事など、何があると言うのだろう。
この先にあるのは…重くて辛くて苦しい未来…。
だけど、これ以上…皆が誰も、いなくなる事のない未来…。
それならあたしは…もう、何もしない…。
「ごめん…ごめんね…、クラウド…」
「…ナマエ…」
あたしは、貴方が壊れるのを…黙って見る。
To be continued