毎日記された名前
「へえ…人体、ですか」
「そうさ。人とは見事な芸術だとは思わないかい?」
「さあ…その辺の事はよくわからないですけど…。まあ、美意識は人それそれですからね」
授業後、特にすることがなく暇だったあたしは、またカヅサさんの研究所のお邪魔していた。
カヅサさんはうっとりしながら人体について色々語ってくれる。
芸術とか言われてもあたしにはさっぱりな話だが。
「しかし君も物好きだね。正直なところ、ここに何度も来たがる人なんていないけどね」
「あ、自覚あったんですね」
「天才だからね」
喰えない顔だなあ、と思った。
確かにカヅサさんは変わってるけど、研究者として色んな知識を持ってる。
そういう自分には無い知識の話を聞いてるのは案外楽しいもの。
カヅサさんも研究の話をすることは好きなようで、訪ねれば快く歓迎してくれるのだ。
「ところで…、今日は何を作ったんだい?」
「ああ、今日はチーズケーキ焼いてみました」
「へえ、色々作るね。相変わらず」
「ふふ、料理好きなんでしょうね」
「自分の事だろう?」
小さな箱に入れてきたホールのチーズケーキ。カットはしてあるが。
「カヅサさんもおひとつどうですか?」と聞くと「頂くよ」とカヅサさんはテーブルの上を片づけ始めた。
カヅサさんの研究所にお邪魔する場合は、カヅサさんにもお裾分けするのはもはや恒例となってきている。
最初のころは、カヅサさんが「紅茶でも入れるよ」と言ってくれていたが、あたしが頑なにそれを拒否するので、それは無くなってきた。
「クラサメくんの入れ知恵かい?」と聞かれて、迷いなく「自分の意志です」なんて会話をしたのは随分懐かしい。
「そういえば、この間のラスクは凄く美味しかったね。また作る機会があったら持って来てよ」
「あー…ラスクですか?持ってくるのはいいですけど…、いつ作るかはわからないですよ?」
「…と言うと?」
「あれってどんなに気をつけてもポロポロ零れるじゃないですか。クラサメ隊長、お仕事の合間につまむことが多いから、なるべく書類とかに落ちる心配が無いものの方がいいかなって。何か敷けばいいのかもしれませんけど、だったら手軽なものにしちゃえ、と」
「え?トンベリだけじゃなくてクラサメくんも食べてるのかい?」
「はい」
何故か驚いてるカヅサさん。
頷くと、更に目を丸くしていた。
「なんですか。そんなに驚いて」
「いや…、君の前で食べるのかい?」
「そーですが…それが何か?」
「それって、勿論マスク外すよね?」
「そりゃそうでしょう」
どうやってあのごっついマスクしたままお菓子食べるっていうんだ。
何を当たり前のことを…。
そんな顔をすると、カヅサさんは「ふむ、」と何かを短く考える仕草を見せた。
「じゃあ、マスクしてる理由わかった?」
「え?…火傷、じゃないんですか?」
「それを負った理由、聞いた?」
「そこまでは…。火傷ですか?って聞いたら一言ああって言われただけなので。教える気があるならそのあと付け足しがあると思いますし。詳しくは聞きませんでした」
「ふーん」
そこまで話すと、カヅサさんは「なるほど…」なんて言いながら何故か楽しそうな顔をして笑っていた。
…なんだ、その顔は。
ニヤ…というか…。
「…なんですか」
「いやいや。君は本当に興味深いねえ…」
「はっ?」
「そうかー。クラサメくん、ナマエくんの前ではマスク外すのかー」
「それが何です?」
「いや、胃袋掴んでるんだなーなんて思っただけさ」
「意味がわかりません」
胃袋掴んでるって…。なんだそりゃって話だ。
隊長の胃袋掴んで…どうす…。
「…成績、無条件で上げてくれたりしないですかね」
「ナマエくん…思いきった発想するね、君。クラサメくんの性格上、それは絶対してくれないよ」
「…ですよね」
前に、伸ばす気はないのかとか聞かれたけど…。
まあ成績は良い方が嬉しいに決まってる。
クラサメ隊長がオマケでもしてくれれば…!なんて思ったけど、そんなの世界がひっくり返ってもありえないだろう。
そんな事を考えていると、カヅサさんはいやいや…と首を振った。
「僕が言いたいのはそう言うことじゃないよ。ナマエくん、君ってもともとトンベリにお菓子を作ってあげてたんじゃなかったのかい?」
「え?そうですよ。トンベリのために作ってるんです」
「じゃあ別にクラサメくんの事情なんて気にしなくていいんじゃないかい?トンベリが喜んでくれれば」
「まあ…、言ってしまえば、そうなりますけど…」
「それとも、気付かないうちに逆転してるとか?」
「逆転?」
「今はクラサメくんの為に作ってるんじゃないかってこと」
「…は?」
相変わらず、何故か楽しそうなカヅサさん。
一方、あたしはカヅサさんの放った言葉にきょとんとしていた。
…今は、クラサメ隊長の為にお菓子を作ってる?
あたしが?トンベリじゃなくて?
「いやいやいや…」
今度はあたしが首を振る番だった。
そんなあたしを見て、カヅサさんはまた笑った。
あたしはそれを怪訝に見てた。
「うーん…、」
だけど、その夜…ふと考えた。
リングノートを開き、毎日欠かすことなく記す日記。
今日の分を書く前に…なんとなく読み返してみた。
「…クラサメ隊長の話多いな…」
――睡魔に襲われて授業で怒られた。
そんな些細な事から…。
――どうか聞いたら「不味ければ一口でやめるだろうな」って言われた。
作っていったお菓子の事。
他にもいろいろ。
「うん…考えればよく書いてるよね…」
そんなことを思い出すと、頭の中をぐるぐる回り始めたカヅサさんの言葉。
トンベリじゃなくて…クラサメ隊長の為に作ってる…。
いや…、今だって勿論トンベリの為に作ってる。
可愛くて可愛くて、相当愛でている。
でも…確かに…クラサメ隊長のこと考えながらお菓子作る事…多いかもしれない。
隊長食べてくれるかな、とか。
気に入ってくれるかな、とか。
目的はトンベリ。
隊長はそのついで、だったはずだ。
本来なら…トンベリが沢山食べてくれたから、また作って行こう、だよな…?
「………。」
気付いたらドツボだ。
完全に、深みにはまっていく様な…。
「そっか…。…これが…そう、なのか…」
胸に手を当てた。
こんな気持ち、初めてだ。
外局で育ったあたしは、マザーしか知らない。
エース達しか知らない。
エースもトレイもエイトもナインもジャックもキングも、今はマキナも。
みんな大好きだ。
そう、みんなのことは好きだけど、別にそういう気持ちではない気がした。
「…そっか」
ぱらっ、と捲って行く真新しいページ。
今日の日付を頭に、素直に記した。
――はじめて恋というものを知った。
あたし、クラサメ隊長のことが好きみたいだ。
To be continued