自分の頭がおかしくなったのか、それとも、今まで信じてきた世界が偽りだったのか?
それを確かめることが怖くて、優理は自分の記憶が欠けていることを誰にも打ち明けられずにいた。現実から目を背けるために、受験勉強は絶好の言い訳だった。自室にこもって弟を避ける理由になったし、わき目もふらず問題集に向かっている間は、余計なことを考えずに済むからだ。
そうして、しばらく経ったある日。優理は同じクラスの友達に誘われて、花火大会に出掛けた。夏の陽は長く、時刻が夕方になっても外はうっすらと明るい。花火が上がるまでにはまだ時間があったが、会場には出店が並び、大勢の人で賑わっている。浴衣姿で歩く人々に混じって、優理は束の間、悩みを忘れて夏祭りを楽しんでいた。
途中で手洗いに行った友達を待っていると、人ごみの中にレイの姿を見つけた。目が合ったので軽く手を振ると、レイは出店が並ぶ通りを抜けて、優理の元に近づいてきた。
「レイくん。と……」
「弟だ」
優理は、人ごみではぐれないようレイに手を引かれてついてきた、小学校の低学年くらいの男の子に視線を向けた。レイに促され、その子は優理に向かってぺこりと頭を下げた。
「勇仁さんのお姉さんですよね。初めまして、桂はじめです。兄がいつもお世話になっています」
「い、いえ。こちらこそ」
はじめははきはきと、淀みのない口調で挨拶をした。自分が同じくらいの年齢の頃、年上の人に対してこんな風に物怖じせず振舞えただろうか。礼儀正しいはじめの姿に、優理は思わず驚いて言った。
「すごくしっかりした子ね」
「よく言われる」
レイは間髪入れずに返した。その少し得意そうな口調に、優理は思わず吹き出した。優理の反応に、レイは不機嫌そうに眉を寄せた。
「何がおかしい」
「いや……はじめくんのこと、可愛いんだなと思って」
優理は眩しそうに目を細めて、レイとはじめを見た。優理とレイのやりとりを面白そうに笑って見ていたはじめの頭を、レイがじゃれ合うような軽い力でかき回す。普段から仲が良いからこそできる、遠慮のない仕草。自分とは大違いだ。優理は勇仁の前で、同じように自然に笑える自信がもうなかった。
「羨ましいよ」
思わず、優理の口から本音がこぼれ出た。一瞬、人々の喧騒が遠くに聞こえる。
「弟と何かあったのか?」
「何かあったのかって言われると……何もないんだけど……」
優理が口ごもるのを見て、レイは「言いたくなければいい」と付け加えた。しかし優理は反対に、今この機会を逃すと、永遠に誰にも打ち明けることはできないかもしれないと感じた。誰でもいいから、すべてを話して楽になりたかった。
「違うの。何もないってことがまずおかしくて。変なこと言ってると思われるかもしれないけど、最近思い出したんだ。私、昔の勇仁のこと、何も覚えてないの」
230808