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 二度目のインターホンを鳴らすかどうかを迷い始めた頃になって、玄関のドアがひとりでに開いた……ように見えた。その様子にルカは一瞬目を丸くしたが、すぐに状況を理解して視線を真正面から足元の方向へと動かした。一見犬か猫の仲間に見えないこともないが、そのどちらでもない不思議な生き物が、ドアノブにぶら下がるような状態でそこにいた。

「やっほー、ハックモン。レイいる?」
「いることはいる」
「何それ」

 ハックモンはドアノブから手――前足かもしれない――を離すと、物音ひとつ立てずに床の上へと着地した。そのままルカに背中を向け、部屋の中へと続く廊下を静かに引き返していく。あがっていいという意味だと勝手に判断したルカは、一応お邪魔しますと呟いてから、脱いだ靴を揃えてその後に続いた。

「レイー?」

 呼びかけた声に返事はなかった。ベランダの窓から差し込む赤い夕陽が、部屋の中に濃い影を落としている。ルカは照明のスイッチへと手を伸ばしかけたが、あることに気づいて明かりをつけるのをやめた。

 足音を忍ばせてリビングに置かれたソファに近寄ると、ルカは背もたれの向こう側からそっと座面を覗き込んだ。そこには「座っている」と「寝転がっている」の中間くらいの変な姿勢のまま、電池が切れたように静止しているレイの姿があった。テーブルの上には、蓋が開いたままスリープ状態になっているノートパソコンと、銀色のパックが中途半端に凹んだゼリー飲料が転がっている。

 ついさっきハックモンの言っていた意味を理解したルカは、ソファの背もたれに頬杖をつき、手持ち無沙汰にレイの寝顔を見下ろした。首とか肩とか背中とかを痛めそうな体勢だと思ったが、起こすのも少し気が引ける。どうしたものかと迷いながら、ルカはぼんやりと部屋の中を見回した。

 小学生の頃のルカにとって、学校から帰ってきたときに出迎えてくれる家族がいるレイの家は秘かな憧れだった。けれども、インスタント食品の空袋や手付かずの課題のプリントが散らばった現状は、ルカがよくここへ遊びに来ていた頃とはかなり様相が異なっていた。

 かつては掃除が行き届いていたであろう、うっすらと埃の積もった写真立てには、レイとはじめが今よりも幼い頃の家族の写真が飾られている。レイは昔から、写真を撮られるのがあまり好きではなかったらしい。お気に入りのおもちゃを手に持ってカメラに笑顔を向けるはじめの隣で、ちょっと気難しそうな顔をして写っていた。だが、それがかえって自然な表情といえなくもない。何気ない日常の風景を切り取った一枚は、レイたち兄弟の母親が撮ったものだろう。

(レイのママ……か)

 覚えているのは、道でばったり会った時に挨拶したとか、遊びに行った時にジュースを出してもらったとか、何でもないようなことばかりだ。それでも、そこにいるのが当たり前だと思っていた人がいなくなってしまった事実は、思い出すと指先に刺さった小さな棘のように心を刺した。

 ルカたちが6年生の時だ。あの日の休み時間、レイは先生に呼ばれたきり、教室に戻ってこなかった。その時は何も事情を知らなかったけれど、いつもと違うことが起きたのだとはルカにもぼんやりとわかった。

 それから少し後になって、彼の母親が亡くなったことを聞いた。あの時レイは、ルカの前ではいつもと同じように振舞っていた。悲しいとか辛いだとか、弱ったところを決して見せようとはしなかった。

 ルカは再びソファの上に視線を落とした。レイは今は静かに寝入っているようだが、目元には青白い隈が浮かび、ひどく疲れていることが窺える。ルカは背もたれに無造作に引っかかっていた黒い上着を手に取ると、寝ているレイの上にそっと被せた。長いまつ毛が微かに動いたが、目を覚ましたわけではないようだった。

「起こしちゃったら悪いし、帰るね。レイによろしく」
「いいのか」

 ハックモンは、いつものように感情の読み取れない声で尋ねた。その視線は、たった今ルカがレイに掛けた上着に向いている。ルカは黙ってうなずくと、すっかり暗くなった窓の外を見上げた。か細い月の明かりが、あたりを静かに照らしていた。

2021/09/20


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