ウイスキーボンボンはお好き? | ナノ





パソコンのキーを叩く音のみが部屋を支配する中、割り込むようにして玄関のチャイムが鳴り響き臨也は画面から顔をあげた。
正面にかかった時計の短針は9を少し過ぎたくらい。非常識と無視をするほどではないにしろ、人を訪ねるにはちょっと常識知らずではと思わなくもない中途半端な時間。とはいえ職業柄一般的な時間の概念とは離れて生活しているため、臨也は数時間座りっぱなしのデスクチェアから腰をあげた。
凝り固まった筋肉をほぐすように背伸びをしたり肩を回したり、集中力が切れたためふと襲ってきたあくびをかみ殺しもせず、にじんだ涙を指の背で拭ったりとその足取りは決して急いたものではない。なかなか出てこない家主を追い立てるようにその間も何度かチャイムが鳴らされたが、当の臨也本人はことさらゆっくりと玄関へ向かう。
訪ねてきた人物が誰かなど、すでに検討はついていた。

「おせぇ」

ロックを外しドアを開けると、予想と違わぬ金髪の長身が不機嫌そうに立っていた。
おや、と臨也はその服装に目を瞬かせた。普段は最愛の弟から大量に送られてきたというバーテン服に身を包み取り立て業に勤しんでいるのだが、目の前の男が着ているのは簡素なブラックジーンズにグレーのカットソー、モスグリーンのダウンジャケットと、なんとも珍しい格好である。
思わずまじまじと見つめ、臨也は呟いた。

「どしたのシズちゃん、もしかして服なくなったの?」
「ちげぇよ」
「へぇーシズちゃんもこんな服着るんだーへぇー」
「へぇへぇうるせえな」

こちとら寒ぃんだ、早く入れろと急かされ、別に君そんな寒がりじゃないだろと言いながら、最後に鍵閉めといてと付け足すのも忘れずに踵を返す。来客用とは別に用意された、こげ茶のスリッパをぱたぱたと鳴らしながら静雄が後に続く。
パソコンをシャットダウンさせ(このあとは仕事にならないだろうという経験則だ)、オープンキッチンで保温状態のティーポットを検める。淹れた時間を考えたが、どうせミルクティーにしてしまうんだし問題ないか、あとシズちゃんだし、と判断しミルクと砂糖、カップを用意してソファーへ運ぶ。

「ミルクどうする?あっためる?」
「や、別にいい」
「そ。砂糖はこれね」
「おう」
「上着脱がないの?部屋の中であんまり厚着してると外出たときに温度差辛いよ?…ってシズちゃんは鈍感だからわかんないか」
「…」
「…え、なんなの黙って。怒らないの?」
「殴られたいのか」
「いや別に」
「ならいいだろ」
「ふぅん?」

会話をしながら自分の分のミルクティーをさっさとつくった臨也は、カップを傾けながらソファーに座る静雄をちらと盗み見る。何か妙だ。もともとお互いの部屋を訪ねるときには喧嘩はしない、というのが暗黙の了解のようになっているが、それにしてもこちらの言動に少しも言い返さない。どこか上の空、という感じだ。
そのうち追いつめればいいか、と不穏なことを思いつつミルクティーをこくこくと飲む臨也を呼んだのは、隣に座っていた静雄だ。

「おい臨也」
「ん?わっ!」

視線をあげた瞬間視界を占めた黒い物体に、なんの構えもしていなかった臨也はとっさに身を引いて静雄に叫ぶ。

「ちょっといきなりなんなの、びっくりしただろ」
「うるせぇ。やる」
「…は?」
「だからやるっつってんだろ」

彼の言葉がうまく理解出来ず疑問符が頭上に浮かぶ。きょとり、静雄を見上げれば、視線は絡まず無言でもう一度その物体が臨也に押しつけられた。カップの水面が不安定に揺れていたので慌ててテーブルへ戻し、手の中のそれを見やる。
黒い包装紙に赤のリボンがかけられた、手のひらサイズの細長い箱。耳元で軽く揺らすと、ことこと音が聞こえた。さて、これは一体何なのだろうか。

「なにこれ」

疑問をそのまま口にすると、あー、だの、うー、だのひとしきり呻いてから「…ホワイトデーだろ」と呟いた。

「ホワイトデー…って、シズちゃん、今日は15日だけど」
「昨日は仕事だったんだよ」
「っていうか俺別にバレンタインのときにシズちゃんにチョコとか上げた覚えないんだけど」
「別にいいだろうが」
「そもそもシズちゃんがホワイトデーとか知ってる方が驚きだ」
「うるせぇな、いらねぇなら返せ」
「いやいやくれるなら貰うし」

揚げ足を取っていたら取り上げられそうになり、慌てて腕を伸ばし静雄から遠ざける。
丁寧に包装されたその中には、等間隔にウイスキーボンボンが並んでいた。中に印字されたロゴは臨也が好んで食べる菓子メーカーのもの。へぇ、と素直に感嘆の声を漏らす。贈り物自体が珍しいばかりか、相手の好みをおさえた選択などこの男に出来たのかと思うと同時に、売り場で悩む姿を想像して頬が緩むのが分かった。

「じゃあ帰る」
「え?何でよ」
「今日中に渡せりゃいいんだよ」
「なにそれ」
「じゃあな」

すっくと立ち上がり玄関へ向かいかけた背に慌てて手を伸ばす。はっしと掴んだのはジャケットの裾。
何だよ、と振り向かず言葉を返す静雄の耳が赤いのは、気のせいだろうか。
少しあついな、と思うのは、空調が効き過ぎているせいだろう。
一日遅れのホワイトデーを、ひとりで過ごすのは間抜けじゃないか。

「シズちゃん、俺バレンタインあげてないじゃん」
「…」
「一方的に貰うのは借りを作るみたいで癪なんだよなぁ」
「…別にいいだろ」
「だからさ、一緒に食べようよ。ウイスキーボンボンならシズちゃんも食べられるだろ?」







玄関脇のコートハンガーにダウンジャケットがかけられたかどうかは、ご想像にお任せしよう。








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