風のタクト
第1話 プロローグ


Dabit deus his quoque finem

ダビト・デウス・ヒース・クォクェ・フィーネム

神はこれらの困難にも終わりを与えるだろう。


優しい風が吹き抜ける。
蒼碧の大洋を駆け抜けて来たそれは未だ己の運命を知らぬ少女の頬を撫で付け、そちらを向かせた。
視界一面に広がる空の蒼と海の青の中に、ある筈の無い瑞々しい緑が映った気がして少女は目を擦る。

広大な海と、その中にぽつぽつ点在する島で暮らす人々によって織り成される世界。
海図に記された近辺の海域で北方の中心にあるタウラ島は商業によって発展し、沢山の船乗りで賑わっていた。
2年前にタウラ島の遥か南にある生まれ故郷、プロロ島から越して来たノティは、数ヶ月前に両親を亡くしてからは一人暮らし。


「帰りたいなぁ……みんな元気にしてるかな」


このタウラ島も気の良い島民ばかりで不満は無い……が、やはり生まれ故郷を去る時は寂しかったし、何より幼馴染の大親友と離れるのが辛かった。
2年の間 何度も文通をしてはお互いの近況を報告し合い、時間差の大きい他愛の無い無駄話を繰り返し、そうすると余計に寂しさが募って行ったものだ。
この海は生身で長く入っていると体の力を奪われ最悪の場合は死に至る上に、モンスターも存在する。
故に定期船などという気の利いたものは出ておらず、船も持っていないノティはプロロ島まで行くなど到底不可能だった。

ノティは南の方角を見つめ、今日も溜め息を吐く。
……そんな彼女の視界に、緑色の服を着た少年が入った。


「(うわ、珍しい服着てるなぁ。どこの子だろ………あれ?)」


風に靡く緑色の帽子に見覚えはないが、その顔には見覚えがあった。
確か昨日、伝承にある勇者様と同じ12歳の誕生日を迎えた少年。
船で半日程度はかかるこの島に居るという事は、送ったバースデーカードとプレゼントは見てくれていないかもしれない。
いや、そんな事を考えている場合ではない。
2年間ずっと会いたかった大親友が目の前に居る!


「リンク……? リンクっ!」
「えっ……あ、ノティ!」


笑顔で駆け寄って来るノティに、彼女の親友リンクも満面の笑みになって駆け寄った。
2年振りの再会。
周りの視線などお構いなしに自然と手を取り合い一緒に飛び跳ねて、再会を喜び合う。


「うわ、ノティ久し振り! 元気にしてた!?」
「元気元気! わぁ、ホントにリンクなんだ……!」


あまり容姿の変化は無いが背も伸びているし、どこかしっかりした顔つきになっているような気がする。
小さな頃からずっと一緒だった彼が2年の間に飛び越して行ってしまったようで、ノティの胸に寂しさが過った。
折角の再会なのだからと慌てて振り払うが、改めると何故リンクが一人、こんな所に居るのか気になる。


「ところでリンク、どうして一人でタウラ島に居るの?」
「実は……アリルが、でっかい鳥に攫われちゃったんだ……」
「えっ? 妹のアリルちゃんよね……大きな鳥に?」


それを聞いてノティに走る嫌な予感。
つい先日も、このタウラ島から二人の少女が大きな鳥に攫われるという事件が起きていて……。
大親友の妹はノティも馴染んでいる。まさかアリルも、あの恐ろしい鳥に……?
リンクはアリルを助ける為この海域の最北西に位置する魔獣島へ乗り込んだ事、あと一歩の所で捕まり怪鳥に放り投げられた事、流れ着いたこのタウラ島で喋る船に出会い、アリルを助ける為に旅をする事になったと教えてくれた。
魔獣島はモンスターの巣窟だとノティも聞き及んでいる。
そんな所へ乗り込んでよく無事で居てくれたと安堵するノティだが、不可解なものが気になった。


「喋る船、って何?」
「この島の船じゃなかったの? 見てみる?」


どんな船だろうと好奇心が湧き、ノティはリンクについて行く。
そこには、なんと……。


「どうしたリンク、船の帆は見つかったのか?」


船首……いや、獅子の頭を繋いでいる首をこちらへ向け、ちゃんと目線や口を動かしながら喋る赤い船があった。
赤獅子の王という船のようで、一体どういう存在なのかはサッパリ分からないそうだ。


「ううん、まだ帆は見つからなくて……」
「ならば急ぐのだ、ガノンドロフの魔の手が伸びきってしまう前に……ん?」


そこでようやくノティに気付いたのだろう、船……赤獅子の王が言葉を切ってノティを見る。
瞬間、赤獅子は驚いたように目を見開き黙り込んでしまった。
どしたのー? と彼の目の前で手を振るリンクだが、赤獅子はそれに応えないままノティに問う。


「娘、名は?」
「えっ……。あ、あたしは、ノティです」
「ノティ……いや、すまん、何でもない」


急におかしな事を言い出す赤獅子に怪訝な顔を向けるリンクとノティだが、赤獅子がそれ以上 何も言わないので無理に聞けそうな雰囲気ではない。
少々納得がいかなそうにしながらも、リンクは気を持ち直す。


「まあいいや、帆を探さなきゃ。ノティ、どこかに船の帆でも売ってない? 赤獅子に帆が無いんだ」
「船の帆……あ、そう言えば数日前に露天商がこの島に流れ着いてね、船の帆を売りたがってたと思う」
「ホント!? どこに居るの、案内して!」
「お金ある?」
「……20ルピー」
「に、20……」


確かあの帆は80ルピーで売られていた。
60ルピーも足りないとは頭が痛いが、大親友一家が大変な事になっているのに協力を惜しむ気は無い。


「しょうがないわね、あたしが出すわ」
「え、いいの?」
「それくらいなら家にあるから……あっ」


歩き出したノティの足がすぐに止まり、疑問符を浮かべるリンクへ気まずそうな視線を送る。


「ごめん、あたしも無い……給料2日後だぁ……」
「どこかで働いてるの?」
「タウラ島に昼間はカフェ、夜はバーやってるお店があるの。そこでバイトしてるんだ」


ノティの両親は数ヶ月前に船出し、それきり帰らなかった。
それだけで死んだとは判断できないかもしれないが、両親は船出前、遅くなっても一週間程度で帰る、それ以上経っても帰らなければ最悪の事態を考えて欲しいと言っていた。
ノティは無事を信じ両親の残した貯えで暮らしていたが、流石にそれが底を尽きかけては現実を受け容れざるを得ず、二月前から働きに出ていたのだった。
早々に八方塞がりになってしまったかと落胆の色を見せるリンクに悪い事をした気分になって、こうなっては形振り構っていられないとノティは奥の手を使う。


「こうなったら必殺技ね」
「必殺技……?」
「給料前借り!」
「えっ……ちょっとノティ、あんまり無理 言わないでね!?」


予想外の言葉を叫んでそのまま走り出すノティに慌てて付いて行くリンク。
そんな賑やかしい二人を見送りながら、赤獅子の王は先程ノティから感じた妙な雰囲気について考えていた。

特に変わった所の見受けられない少女……しかし明らかに他の人間と違う、言い方は悪いが浮いているような存在。
彼女だけがこの世界から輪郭を切り取られ浮かび上がっているような、実際にそう見える訳ではないがそのような印象を受ける。
どこか懐かしささえ覚えるその感覚に、赤獅子の脳裏に呼び起されたのは……かつて己が居た古の王国。


「何故……あのような若い娘が関係している訳が無い。……しかしあの感覚は……」


名前を訊ねてみたものの特に思い当たる存在は無い。
考えが解決に至らず、気分を変えようと顔を上げて水平線の方を見ると……遠い空に不吉な影。
大きく羽ばたいているように見える、間違い無く巨大な鳥。


「あれはジークロック! いかん……!」


リンクを狙って来たのだろうかと思ったが、それならば魔獣島で捕まった時に始末されている筈。
では目的は……と考えて瞬時に思い浮かんだノティの顔。
彼女を狙って来たと決まった訳ではないが、先程 ノティから受けた懐かしい感覚が、赤獅子に思考とそれからの行動を固めさせた。


『リンク聞こえるか!』
「わあっ!」


カフェバーへ向かっている最中、リンクの所持していた石から響く声。
魔獣島へ忍び込む時に、そこまで送ってくれた少女海賊のテトラから借り受けた、相手の声を届ける不思議な石。また相手側は石を持つ者や周囲の様子を確認できるという。
テトラしか使えない(発信や確認が出来ない)と聞いていたのに届いたのは赤獅子の声で、リンクは不思議そうな顔をするノティの前で遠くの赤獅子と会話する。


「どうしたの赤獅子……」
『早く帆を手に入れろ、そしてノティを連れて来るのだ!』
「ノティを?」
『お前の妹を攫った怪鳥、ジークロックが来ておる! もしかするとノティを狙って来たのやもしれん!』
「えっ、あたし!?」


親友一家の事とはいえ誘拐事件そのものには蚊帳の外だと思っていたノティは、突然の巻き込みに驚愕の声を上げる。
リンクが島の回りを見渡すと、確かに遠く、大きな鳥が向かって来ていた。
困惑に支配され足が止まっているノティの手を強く掴んだリンクは、そのまま走り出す。


「リ、リンク!」
「急ごうノティ、早くカフェバーに案内して! こんな時はじっとしてないで行動しないと!」


頼れる言葉を放ちながら進行方向だけを見据えて走るリンク。
まだ12歳の彼に握られた手は思いの外 力が込められていて、ゆっくりと、しかし確実に“子供”から“男”へ成長している事を嫌でも思い知らされる。
やはり心の隅に燻ってしまう寂しさを、ノティは表に出さないよう無理矢理 押し止めた。

急ぎカフェバーへ行って事情を説明し、給料を前借りさせて貰う。
カフェバーは建物の2階部分にあり下は柱で支えられたオープンな空間になっていて、露天商はその場所で店を開いていた。
帆を購入して喜ぶ間も無く走り出し、赤獅子の元へ向かおうとする二人だったが……。
高らかな鳴き声が聴こえたと思うと二人を巨大な影が覆った。
上を見れば、そこには。


「ジークロック……!」
「あいつよ、前にタウラ島から女の子を二人攫って行った鳥!」


幸いタウラ島は建物が密集していて隠れる場所には困らない。
驚いて逃げ惑う人々に紛れて建物に隠れながら、リンクと##NAME1##はただ走り続けた。
体の大きなジークロックは狭い町中まで降りて来る事は出来ないが、問題は赤獅子の居る海岸へ向かう途中の、広く障害物の無い原っぱ。
今は町と港を隔てる門の近くの草の中に身を隠しているが……。


「あの鳥がどこかへ行くのを待つか、目を違う方へ向けている隙に全力で走って行くか、ね」
「どうしようノティ。諦めるまで待つ?」
「そうした方が安全だと思うけど、見た感じ諦めそうにないわよ」


ジークロックは島を旋回しつつ上空から探し物をしているようだ。
本当にノティが狙われているのだろうか……?


「ねぇリンク、走って行こう。本当にあたしを狙ってるのか確かめたい」
「無茶だよ、見つかったりしたら……!」
「リンクだってアリルちゃんを助ける為に魔獣島に乗り込んだんでしょ。立派な無茶よ」


言い返されたリンクは驚いた顔をした後、困ったような笑顔で笑い出した。
確かにあんな無茶をした自分が、人に無茶な事をするなと言っても説得力など無いだろうと。
意を決した二人が草むらを飛び出し海岸への原っぱを走り出すと、重く荒い羽ばたきが向かって来る。


「! こっちに来る!」
「じゃあやっぱりアイツ、ノティを狙って……!」


これでノティが狙われている事は分かったが、捕まってしまう訳にはいかない!
走り続けた二人は崖下の海辺に停泊していた赤獅子の元へ辿り着いた。
瞬間、ジークロックが崖にぶつかったらしい轟音が響く。
ジークロックは暫くの間崖をつついたりしていたが、やがて諦め去って行った。


「ふぅー……行ったね」
「無事だな、二人とも」


待っていた赤獅子も安堵の様子で話し掛けて来る。
リンクとノティは手に入れた帆を掲げて笑顔を見せるが、何故ノティが狙われたのか疑問が浮かぶ。


「あのさ、何でノティが狙われるの? 赤獅子は何か知ってるんじゃ……」
「いや、私も分からんのだ。だが再び襲って来る可能性も捨てきれん。そこで提案だが、ノティも一緒に連れて行こうかと思っておる」
「えっ……!? ちょっと待って、あたしも!?」


リンクに聞いた話だと これから、アリルを捕らえた怪鳥を操る男・ガノンドロフを倒す為 必要な力を集めに大海原へ旅立つらしいが、そこに自分も加わるのだとしたらどうにも不安。
赤獅子としても連れて行く事に不安が無い訳ではないが、先程ノティから感じた妙な印象がどうにも気になって仕方がなかった。

今この世界で生きる人々とは違う……そう、まるで懐かしき古の王国に吹き抜ける風のような郷愁を呼び起こさせる感覚。
もしノティがそこに関係する者であれば放置など悪手にしかならない。
実際に狙われていたのだから、ここは出来得る限りの手を打っておいた方が良い。


「ノティ、このままだとジークロックはまたお前を狙って来るやも知れん。一所に留まるより、大海原を転々とした方が良いと思うのだが」
「……」


ノティの不安は完全には消えないが、確かに大海原を転々と逃げ回った方がいいのかもしれないと思い直す。
確認を兼ねてリンクを見ると安心させるようにニッコリ微笑んでくれた。


「ボクはOKだよ、ちょっと心配だけどノティが一緒なら楽しそうだし!」
「リンク……」


ノティとしても大海原には興味があった。
14年間生きてきて、まだほんの少ししか分からない蒼碧の大洋。
何だかこの大海原には凄い秘密が眠っていそうで、好奇心が大いに湧く。
両親が死んでから寂しい毎日で、その気分を払拭しようと必死で日々を過ごしていたが、これは気分を完全に変える良い切っ掛けになってくれそうな予感だ。


「うん……あたし、リンクと一緒に行く!」
「やった、ヨロシクねノティ!」


久々に大親友と会えただけでなく共に冒険へ出掛けられる事に、リンクは満面の笑み。
それを見られただけでも旅立ちを決意して良かったとノティは安堵の息を吐いた。

リンクと共に再びカフェバーへ行き、店長に暫く働きに来られないかもしれないと断りを入れたノティ。
深刻そうな様子に皆まで言わずとも受け入れてくれ、また戻ったら働きに来てくれても良いと有難い言葉を頂いた。
何度も礼を言って頭を下げ、次にノティの家へ。


「ちょっと待っててリンク、何か役立ちそうな物が無いか探してみる」
「急いだ方が良いかもよ、またジークロックが戻って来るかもしれない」
「そ、そっか。じゃあもう取り急ぎ適当に……」


出来るならゆっくりと準備をしたかったが、リンクの言う通り奴がまた戻っては面倒だ。
下手をするとタウラ島の人々に迷惑が掛かるかもしれないし、大荷物にも出来ないので碌な用意は出来なかった。
そうして二人は赤獅子の元へ。


「お待たせ赤獅子、もう出発できるよ!」
「では、大海原へ……1つ目の目的地・竜の島へ」
「出航ー!」


赤獅子に乗り込み帆を構えたリンクとノティ。
西から吹き付けてくる爽やかな追い風に身を任せ、意気揚々と出航する。
どこまでも蒼い空と青い大海原は、運命に飛び込んだ二人を祝福しているかのように穏やかな気候を流し続けていた。





−続く−



戻る
- ナノ -