風のタクト
第7話 勇者と魔王と少女と


今や魔物の巣窟となった魔獣島。
海図に記された近辺の海域で最北西にあるこの島の最上部、こんな場所で難破したように乗り上げている半壊した船の船室を利用した部屋に、魔王ガノンドロフは佇んでいた。

あれから何百年の時が流れたか……女しか存在しないゲルド族に100年に一度生まれる、王となるべき男児として生を受け、その運命の通りにゲルドの王となるべく育てられた。
一族が跪き、頭を垂れ、唯一にして絶対の存在として崇められたその日々に充足感を得た事など、一度も無い。

そこに付き纏っていたのは孤独。集団の中に身を置くからこそ感じる、誰一人として同じ存在が無いのだという寂寞。
それは肉体的な話だけでなく、精神と人生そのものにも言える事。

崇め奉られていた故に、普通の子供であれば当たり前に許されるであろう甘えさえ受け入れては貰えなかった。
陰で泣いた事など一度や二度ではないが、それすら周囲に悟られてはならない日々。
担ぎ上げられながら誰にも受け入れられず、対等に語り合う者もおらず、ガノンドロフの諦めはそれを当たり前とするようになり、やがて他者を下に置き制圧する支配思考に染まるのは当然かつ無理からぬ事だった。

運命、宿命。誰が決めた事かは知らないがそんな物に支配されるのは真っ平御免だ。そんな物に従い受け入れ事を為す生など奴隷と同じ。
ならばとガノンドロフは心に決める。
運命を定めた神とやらが居るのであれば、それすら引き摺り下ろし支配してやると。
ゲルドの王、そのような地位で満足し大人しく生涯を終えると思ったら大間違いだと。

そんな、運命という物を嫌い呪うガノンドロフが出会った、同じく運命に縛られた哀れな娘。


「ガノンドロフ様!」


自分の名をそのように明るく嬉しそうに呼ぶ者など他に無い。
自分の姿を見た途端に屈託のない笑顔を浮かべてくれる者など他に無い。


「お会いしたかったです……また来て下さって嬉しい……」


恐怖や欲によるおべっかではなく、本心からそう言ってくれる者など他に無い。

欲しい、この娘を何としてでも我が物にしたい。
始めは気まぐれによる交流だったが、ガノンドロフがそう思うようになるまで時間は掛からなかった。
やがてその娘から告げられる。


「どうか、私を奪って下さい。ここから連れ出して下さい」


この娘は自分と同じだ。運命に縛られ支配されその中で生きるよう強要された人生。
自分はそれを破り運命の支配から逃れる為に行動している。
そこに志を同じくする“仲間”が、“伴侶”が居ても良い筈だ。


「明日の夜、迎えに来る。その瞬間からお前は俺のものだ」


……その約束を果たせていたら、箱庭から奪い去って欲しいという娘の願いを叶えてやれていたら、何かが変わっただろうか。

果たせなかった約束、叶えてやれなかった願い。

ガノンドロフは初めて出来たかもしれない“仲間”を、そして単なる夜伽の相手とは違う心の通じ合った“伴侶”を、失う事となった。

それから忌々しい時の勇者と賢者共の力により封じられ、やがて目覚めるも今度は神の力により海底にハイラルごと封じられ、数百年もの長き時を漂い、そして目覚めた現在。
自分が目覚めた理由ならば心当たりがある。
奪えなかった娘と魂を同じくする存在……手下からの報告にあった、時の勇者と似た格好の少年と共に居た娘。


「今の名は……ノティか」


支配下に置いたグラナティス海賊団に奪って来るよう命じたが、ノティは恐らく何も覚えてはいないだろう。
妹を助け出しに来たあの少年と共にあるのであれば、ガノンドロフの存在はとっくに悪しきものとして知られている筈。
手元に連れて来たとして拒絶されるのは想像に難くないが、そんなものはとっくに経験済みだ。


「お前もまだ、運命に縛られているのだな」


ならば今からでも約束を果たしてやれる。


「ノティ、必ず奪いに行ってやる。これはお前が望んだ事だ」


++++++


海賊の襲撃を受けたリンクとノティがタウラ島に着く頃には日付けが変わろうとしていた。
まだノティが旅立ってから2日……日付けが変われば3日。
もっと長い間 離れていたような気がするのに、何だか不思議な気分だ。


「もう真夜中か。海図と羅針盤を手に入れて明日に出発するとしよう」
「分かった。じゃあリンク、あたしの家に行きましょ。赤獅子お休みなさーい!」
「お休み赤獅子!」


最初に赤獅子が居た崖下へ彼を停泊させ、二人は揃ってノティの家へ。
思えばリンクはタウラ島のノティの家にちゃんと入るのは初めてだ。
家族三人で慎ましやかに暮らしていた事が窺える大して広くもない家に、今はノティの生活跡だけ。


「ボクどこで寝ればいい?」
「あー、実はあたしの部屋が物置になっちゃっててさ。お父さんとお母さんの部屋でしか寝られないんだよね、今」


どうやらノティ、両親が死んでから寂しくてずっと父母の部屋を自分の部屋にしていたらしい。
父の研究道具などは以前の自室に移してしまい、物置状態で寝られないとか。

取り敢えず明日出来る事は明日にして、今日は一刻も早く疲れた体を休める事にした二人。
ノティは母のベッド、リンクは隣の彼女の父のベッドに潜り込み、就寝しようと布団を被った。
バクダン島で一つのブランケットに包まって寝た時に羞恥を募らせた二人だが、別々のベッドであればまだまし、だが……。


「(……大丈夫大丈夫、今日はちゃんと別々に寝てるから問題ない)」
「(ノティとは離れてるし、何も気にする事は無いね、よし)」


どうしても意識してしまうのは避けられない。
2年前までプロロ島で共に暮らしていた頃にはこんな事 無かったのに……と、成長とはまた違うお互いの変化に戸惑う二人。

ふと、サイドテーブルに幸せそうな家族三人の写し絵を見つけたリンクが、ノティに言おうと思って忘れていた事を思い出した。


「あのさノティ。おじさんとおばさんって数ヶ月前に死んじゃったんだろ。手紙に書いてたし」
「うん……。いきなりどうしたの、何か気になる事でもある?」
「手紙を貰った時から考えてたんだけどさ、二人って……ホントに死んだの?」


リンクの言葉にノティは眠りかけていた目を見開いて彼を見る。
確かに両親は船出したっきり帰らないだけで、決して遺体などが見つかった訳ではない。
だが両親は出発前、遅くなっても一週間程度で帰る、それ以上 経っても帰らなければ最悪の事態を考えて欲しいと言った。
一週間で帰ると言ったものが数ヶ月帰らない……もうノティにとって、両親は死んだと考える方が期待に疲れたりしないので気が楽だった。
だがリンクはノティからそれを聞いても尚、自分の主張を崩さない。


「遭難してどこかの島に居るとかそういう可能性もあるよ、きっと」
「だとしても、どこに居るのかなんて分かんないし……探せないよ」
「じゃあボクと旅をしながら探せばいい、ノティがその気ならどこにだって行ってやるからな!」


ボクに任せろ! と言いたげに自信満々な表情を見せるリンク。
本当にこの2年会わない間に逞しくなったとノティは改めて噛み締めた。
あたし、母親みたいだな……と苦笑して、ちょっとリンクに甘えてみる事に。


「旅をしながらお父さんとお母さんを探してみようかな。ありがとうね、リンク」
「うん。じゃあノティ、お休み」
「お休み」


今度こそ目を瞑り、すぐ眠りに就く二人。
その日、ノティは久し振りに両親を見た。
もちろん夢の話だが、そこはプロロ島で、リンク一家や島の人々が居て……。
とても幸せで賑やかな暖かい夢だった。


++++++


「そうだ、海図と羅針盤は貸しちゃったんだ!」


翌朝、朝食を済ませて海図と羅針盤を探そうとした瞬間、ノティが叫んだ。
タウラ島にはミセス・マリーという女性が営む小さな学校があるのだが、授業の役に立つかもしれないと言われ、海図と羅針盤セットで貸していたそうで。
すぐさま二人はその学校へと向かう。

辿り着いた学校に居た、個性的な髪形のピンク頭の女性マリー先生は、ノティを認めるなり朗らかに笑って挨拶した。


「あら、ノティじゃない。あんた昨日と一昨日はどこに行ってたの、姿が見えなかったよ」
「ちょっと用事があって……あの、以前に貸した海図と羅針盤、ちょっと必要なので返して頂けたらな〜なんてー……」
「あぁアレね。悪いんだけど、悪ガキ4人組が持っていっちゃったきりでさ……返らないのよ」
「あ、あの子達ですか」


学校に通っている4人組の少年が居るのだが、彼らはイタズラ好きな上に学校をサボリ倒している問題児達だった。
リンクは彼らを知らないので疑問符を浮かべる。


「羅針盤と海図を取り返すついでにあの子達のリーダーのイワンを捕まえて、ひとこと言ってもらえないかい? 一筋縄じゃいかないイタズラ小僧たちなんだけど……ま、子供どうし固いこと言いっこなしだよねッ」
「ノティ、どっちにしろその子達と会わなきゃいけないみたいだし、頼みを聞いてあげようよ」
「おやおや、可愛くて気の利くボーイフレンドじゃないか。ありがたいね〜、頑張っといで!」
「わ、分かりました……」


何だかんだで承諾し、その悪ガキ4人組を探す。
……が、探す間でも無く、学校を出た瞬間に4人の子供達に取り巻かれた。
リンクよりもまだ小さい子供達だが、ませた口を利くのでノティは少し扱いに困っているらしい。


「いぇ〜〜〜〜〜〜いっ! ヨォ兄ちゃん、おれたちキラービーに何か文句でもありそうだねぇ……? ……って言うかノティ姉も一緒かよ、女連れに用はないぜ兄ちゃん!」
「いや、ボク達はただ海図と羅針盤を返して欲しいだけなんだよ。あとマリー先生の言う事をちゃんと聞くようにって……」
「けけけっ! 無敵の4人組、おれたちキラービーがそんなモン、聞けるかよ!」


へそ曲がりで天の邪鬼な悪ガキどもは、マリー先生の言う事を聞く気も無ければ海図と羅針盤を返す気も無いらしい……。
どうするべきか考え込んでしまうノティだが、打開策は向こうの方から用意してくれた。


「でもなぁ、もしも兄ちゃん達がおれたちに勝負を挑みたいなら考えてやってもいい。どうだい、ひと勝負しねえか?」


++++++


子供が言い出す「勝負」だ。
まさか血生臭い斬り合いなどである筈も無く、言い渡されたのは隠れんぼ+鬼ごっこ的な遊び。
島のどこか、建物の中や島外には行かないと言っていたので、物陰などを地道に探すしかなさそうだ。


「じゃあ、ボクは見つけた後に追いかける役で、探すのはノティね!」
「えっ ちょっ 何で!」
「ボク、タウラ島の事なんてよく知らないし。2年も住んでたノティの独壇場だよね、やったね!」
「……あの子達は生まれた頃から住んでますよ」


タウラ島の建物が密集している町中、風車の建つ広場から階段を降りてカフェバーがある通りへ。
この海域では大きいとは言え、町を造るにはやはり小さいだろう島の中、建物や崖に挟まれた通りは店が建ち並んでいる。
学校があり風車が建つ広場はこの島でも高い場所にあり、階段や坂道で下りながら通りを進む二人。
海から爽やかな潮風が吹いて来て……ふと、この通りでいつもお喋りに興じている二人組のオバサンが声を掛けて来た。


「あらノティちゃんじゃないの、昨日と一昨日はどこに行ってたのよ」
「こんにちは、ちょっと用事があって……。あの、イワン君たちこっちに来ませんでした?」
「あの子たち? こっちには来ていないけど」
「有難うございまーす」


人通りも多いこの通りには来ていないらしい。
町から出て海岸の方へ行くべきだと判断したノティに、リンクはからかうような目線と声音を送る。


「ノティ、人に訊くなんて反則じゃん」
「やむを得ないのよ、あたしは海図と羅針盤を取り戻す為に戦うわっ!」


モンスターとの戦いなんて何の関係も無い、ほのぼのとした穏やかで気楽な勝負に、ノティもふざけて笑いながら子供達を探す。
見つけた後に追い掛けるのはリンクの役目だから失敗しないでね、と念を押し、隠れられそうな場所を探して行った。

まずは、町を囲み港や原っぱとの境目にもなっている塀の外側にある通路。
「ジャン君みっけー!」
「逃がさないよ!」

次は、塀の外の岬にある大きな墓の裏側。
「はいはいトトゥさん、一生懸命踊ってる所をごめんなさいねっ」
「ってかあの子達、みんな脚力すさまじいね……」

次は、町の反対側の島の端、バクダン屋の裏。
「チン君みっけぇ!」
「あんま隠れてないよね」

順調に三人見つけたが、あと一人、リーダーのイワンが見つからない。
草の陰や建物の裏、探せそうな所は虱潰しに探した筈なのだが……。
彼らは建物の中には行かないと言っていたし、船も無いから島外は無理。
お手上げしたいが、海図と羅針盤を取り返す為に何としても勝ちたい。


「でもノティ凄いじゃん、バクダン屋の裏とかよく気付いたよね」
「前に散歩してて見つけたんだ。あとバクダン屋の裏側の壁に蔦が絡まってるんだけど、あそこ登って建物の中に侵入できるのよ」
「へー、そうなんだ! ……侵入したの?」
「……ナイショね。す、すぐ戻ったから。何も悪さとかしてないから」


そう言えば森の島でも、禁断の森へ行く前に貰った彼女からのアドバイスが役に立ったと思い出す。
植物のモンスターや仕掛けは茎を切り落とす等して繋がりを断てばいい。
まさに様々な仕掛けからボスに至るまで有効な方法だったから、リンクも密かに感心したものだ。

そんなノティだから、隠れんぼも何かに気付いて上手く事を運んでくれるような気がした。
モンスターと戦う役目が自分にあるように、そこから先の追いかけっこは自分の仕事である。


「あーもう、イワン君どこ行ったんだろー」


海岸の原っぱ、ノティは言いながら何気なく空を仰いだ……瞬間、港の側にある高い木が目に入り、その天辺に。

い る よ。


「あああああ、イワン君みっけぇぇーっ!!」
「えっ、どこ!?」
「上、木の上!」


見つけさえすれば後はリンクが何とかしてくれる。
少々手荒だが木に回転アタックをかまして振り落とし、後を追った。


++++++


「あ〜あ、4人そろいもそろって捕まっちまうなんてな……完敗だぜ! おれたちも、ヤキがまわったかな? もう誰かれ構わず悪さするのはやめるヨ……」


イワンも捕まえ無事に勝利した二人。
海図と羅針盤も返して貰い、代わりにマリー先生に謝っておいてくれと言われたので報告がてら一部始終を伝えた。
少しお小遣いを貰った上に丁度 昼時なのでカフェバーで昼食にする。
店長にまた旅立たねばならない事、暫く働きに戻れない事を告げたが、嫌な顔一つせず心配と激励をくれた。


「優しい人だね、タウラ島も良い所だよなぁ」
「うん、あたしも大好きなんだよね。でも残念……。観覧車が止まってるし、最近は灯台の灯も消えちゃって見れないの」
「灯台か……明かりが灯ればこの辺りの夜の航行が楽になりそうなのにね」


タウラ島のシンボルとも言える風車は羽にゴンドラが付いており、観覧車として楽しむ事が出来るが暫く動いていない。
風車の上部は灯台の役目を果たせるが、そちらも火が消えて久しい。

火を灯す台座の部分には予言のような物が書いてあるパネルがあり、燃え盛る矢がどうのと記してある。
それがあれば火も灯るらしいが、そんな伝説めいた物どこで手に入れられるのか分からないし、期待はしない方がいいだろう。

昼食を済ませた二人は海図と羅針盤を持って赤獅子の元へ戻った。


「ただいま赤獅子、遅くなってゴメンっ!」
「これが海図と羅針盤、ちゃんとあったよ」
「ああ、リンクの持つ石から大体の事は分かる。にしても立派な海図だな、羅針盤も上等な物だ。それを頼りにすぐ出発するぞ!」


海図を見ると、次の神珠がある島はタウラから南西にあるようだ。
早速 羅針盤で方角を確認して風向きを変える。
追い風に乗って出航する赤獅子は、ふと振り返りノティに話し掛けた。


「ノティよ。リンクの言う通り、お前の両親が死んだとは限らないと思うぞ」
「えっ……」
「気をしっかり持て。私も海を行きながら、島や船があったら様子を気にしておこう」


リンクの持つ石を通して周囲の様子が分かる赤獅子は昨夜のノティとリンクの会話を聞いていたらしく、励ましてくれている。


「ありがとう、赤獅子」


もうノティから目線を外して進行方向を見据えている赤獅子へ、ノティは微笑み礼を告げた。





−続く−



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