聖魔の娘

動き出す運命
▽ 3章 動き出す運命


フレリアに帰還する為、大陸を北上する一行。
今日は国境の町セレフィユで一泊する事になり、連戦を戦い抜いた戦士達は束の間の休息を取っていた。
エルゥは宿から外へ出て、ぼんやりと空を見上げる。
エイリーク王女がレンバール城へ来る道すがらで解放したこの町は、まだグラド兵による占領の爪痕があるのか人通りは少ない。
何気なく大通りの方へ歩いていると、向こうから人影。
エイリークだった。


「エイリーク様、お一人でどうなさったんです?」
「あ、エルゥ。いえ、兄も一緒でしたよ。……グラドの皇子リオンとは昔からの友人で、少し思い出していたんです」


とても優しく、そして気弱でもあったリオンが今どうしているのか、心配で堪らないのだという。
エフラムやエイリークの国ルネスとはずっと友好関係にあったグラドの侵略に、リオン自身が心を痛めているのではないかと。
もしグラドの皇帝ヴィガルドに異を唱え、投獄されたり、まして殺されかけていたらと考えると、すぐにでも助けに行きたくなる。
ヴィガルドは名君と名高い人だが、既に友好国侵攻という暴挙に出ている。
エイリークとしても信じたくはないが、悪い想像は止めどなく溢れて来た。


「もう起きてしまった事、何を嘆いても前に進むしかないのは分かっています。それでも時々、考えてしまうんです。もし侵略など起きていなくて、父も生きていて、リオンが心配ならすぐ会いに行けて……そんな事を」
「私だってありますよ、どうしようもない事を、もし違ったら、もっと別の方法があったらって」
「エルゥも……そう言えばエルゥは竜だそうですね。竜は長命だそうですが、やはり色々とあったのですか?」
「そうですね……ありましたよ、色々。さすがに数千年も生きていると」
「す、数千年……!?」


想像していたよりずっと長く生きていると知り、エイリークの顔が驚愕に染まる。
彼女はエルゥを初めて見た時、少女だと思った。
せいぜい自分と同じ年くらいだろうと思っていたのに、こうして近くで見ると自分より幾らか歳上に見える。
ぱっと見は少女、よく観察すると20歳ほどに見える……。
……というのは、ひょっとしたら少女の体に数千年生きた事実が浮かび上がり、そう見せるのかもしれない。


「エルゥ、まさに生き字引ではないですか。まさか800年前の魔物との戦いもその場に居たのでは……」
「はい、まあ」


困ったような笑顔を見せるエルゥの心中をエイリークは分からなかったが、あまり触れない方が良い話題だとは感じ取った。
先程までの少女が急に大人びて見え、エイリークはエルゥが姉であるような気持ちになって来た。
ひょっとしたら英雄達と共に戦ったかもしれない。
兄エフラムが頼りにしていたのでその通りの人物だとは思っていたが、急激に頼もしく見えてしまう。


「あの、エイリーク様?」
「エイリークで結構です。敬語も必要ありません」
「えっ?」
「……あ」


思わず口を突いて出た。
凄まじく歳上、更に古の大戦を生き抜き、しかも姉のようなと考えてしまってから、どうも彼女に様付けをされ敬語を使われる事に違和感が出てしょうがない。
急に変な事を言ってしまい焦るエイリークだが、出た言葉は引っ込められない。
もう開き直るしかないと悟ったエイリークは、続いて同じ事を主張する。


「その、エルゥは私より遥かに歳上でしょう」
「身分は遥かに下ですよ」
「竜に人の身分が通用するのですか? ただ王女だという私より、古の大戦を生き抜いた方が素晴らしいです」
「ああ……そう言えば各国の王族は魔王を封じた英雄の子孫なんだっけ。それに関われば仕方ないか」


どうやら、エイリークが物語の英雄を憧れるような気持ちでエルゥを見ていると思っているようだ。
ややこしくなるし、半分はそんな気持ちもあるのでエイリークは否定しない。


「やはりあの大戦に関わっているのですね。それなら益々、敬わない訳にはいきませんから」


微笑んで言うエイリークに、そんな敬う事も無いんだけどなあ……と照れ臭そうな顔のエルゥ。
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな態度で少し黙っていたが、ややあってエイリークに笑顔を向ける。


「え、と。……これでいいのかな、エイリーク」
「はい」
「何だ、楽しそうだな」


突然声が掛かった事に驚いてそちらを見ると、エフラムが楽しそうに笑んで近付いて来るところだった。
彼はそのまま二人の前まで歩いて来ると、少しからかうような口調で。


「エイリークだけなんて不公平じゃないか、俺の事も呼び捨てと敬語無しで頼みたいんだが」
「エフラム様、からかわないで下さい……」
「そうですよ兄上、エルゥが困っています」
「お前だって今エルゥを困らせてただろ?」
「う……」


機嫌の良さそうなエフラムとは裏腹に、恥ずかしげな表情で俯くエイリーク。
彼女の事も呼んだのだし、ここはエフラムもその通りにした方が良さそうだ。


「……エフラム、ね」
「ああ」


今だけ呼んで後で元に戻せば良いと思ったが、今の言葉に満足げなエフラムを見ては撤回など出来なくなってしまう。
結局エルゥは、エフラムとエイリークに対し普通に呼び掛けるはめになってしまったのだった。


+++++++


セレフィユを出て更に数日、フレリアへ辿り着いた。
闇の樹海を出てから殆ど、グラド領内の戦争で疲弊した村や町、帰路の侵略の爪痕が消えていない場所しか見て来なかったエルゥとミルラは、その華やかな都に目を奪われる。
グラドでの戦闘の日々が嘘のような賑わい、通りは楽しげな人々で溢れ、戦争をしていても流通がしっかり整備されているらしく商店には様々な品物が販売されていた。
その明るい雰囲気に頬を上気させたミルラが呆然と辺りを見ているのに気付き、微笑んだエルゥは彼女の手を取った。


「あ、……姉様。ごめんなさい、見とれていました」
「無理もないわ、私だって圧倒されてるもの。なかなかこんな場所に来られないからね。はぐれたりしないようにだけ気を付けましょう」


仲間に付いて行きながらミルラと辺りを見回し、美しい都を目に焼き付ける。
こんな素晴らしい都ならばきっと、治めている王族も素晴らしい人々に違いない。
しかしさすがに、城が近付いて来ると不安になった。
果たして自分とミルラが入って良いものかと。


「ね、ねぇエフラム。私とミルラまで一緒でいいの?」
「当然だ、ここまで一緒に戦って来た仲間じゃないか。国王のヘイデン様も狭量な方じゃない。娘の事以外に関してはな」


ニコリと笑ったエフラムの言葉に、娘を溺愛する父のイメージが湧き出て来る。
微笑ましくなったエルゥが緊張を解いた所で城門が開かれ、深い藍色の髪をポニーテールに結った愛らしい少女が駆けて来た。
あの子はフレリア王女のターナといって、私達とは昔からの友人です、と傍らのエイリークに教えられ、その間に少女……ターナがここまで辿り着いた。


「エイリーク、エフラム、お帰りなさい! 夢みたい、二人が一緒に帰って来てくれるなんて……」


わたし毎日お祈りしてたのよ、と感極まった様子のターナに微笑み掛ける二人。
無理もない。一度はルネス王宮を脱出してフレリアまで逃れて来たエイリークは再び戦禍へ身を投じ、エフラムは侵略国グラドで行方知れずだったのだから、友人としては気が気でなかっただろう。
心配を掛けた事を謝罪する二人に、ターナは泣きそうな笑顔で首を振る。


「ううん、いいの。だってこうしてまた、皆で会えたんだもの。お兄様もね、もうすぐ前線からお帰りになるのよ」


言った所で、鎧に身を包んだ兵が伝令にやって来る。
ターナの兄でフレリア王子であるヒーニアスが前線から帰還したと。
そちらへ目をやると、姿勢を伸ばした凛とした姿で歩いて来る人影。
彼がヒーニアス王子らしく、ターナが進み出て嬉しそうに声を掛けた。


「お兄さま、お帰りなさい! ご無事で戻られて本当によかった……!」
「当然だ。この私がグラドの雑兵相手に手傷など負うものか」


エフラム達の帰還時と同じような感極まった声音のターナに対し、ヒーニアスの方は眉ひとつ動かさない。
口調も姿勢と同じく毅然としており、妹との温度差が余計に彼の冷たさを際立たせた。
そんな彼の様子にエルゥは、妹に対して随分厳しい態度だと少し嫌な気分になってしまう。

……が、よくよく聞いていると厳しい態度ながら、留守の間に変わりは無かったか、私が居ないからとだらしない生活をして体調を崩していないか等、言い方はどうかと思うがターナを気遣っている様子。
友人であるエフラムとエイリークはそんな彼の気持ちが分かっているらしく、苦笑して歩み寄って行った。


「久し振りだな、ヒーニアス」
「お元気そうで何よりです」
「エフラム、エイリーク。……ルネスは滅んだそうだな。以前警告した筈だ、グラドなどに付け入る隙を与えるからそうなる」
「お兄さま、そんな言い方しなくたって! エフラムとエイリークはお父上を亡くされているのに……」


労る言葉すら無く批判から入るヒーニアスに、ターナが堪らず抗議する。
その言葉に少しだけ黙ったヒーニアスだが、向ける視線は相変わらず厳しい。
お父上の事は気の毒だった、と言いながら、大国と境を接している国としては無防備過ぎたとまた批判。
ヒーニアスの批判も一理あるので、エフラムもエイリークも神妙に聞いている。
しかし言い訳にしかならないかもしれないが、グラドとは友好国だった。
皇帝ヴィガルドは優しさと聡明さ、強さを備えた名君だったし、皇子リオンも優しい心を持っていた。
もし侵略されたのが自国でなかったら、未だに信じられないだろう。


「ヒーニアス、俺達は」
「まずは一刻も早くグラドを倒し、この戦いを終わらせる事が先決だ」


言い訳など聞きたくないとばかりにそれだけを言い、城内へ向かうヒーニアス。
そんな彼を視線で見送りながら、ターナが申し訳なさそうに謝罪した。


「ごめんなさい、二人とも。お兄さま、厳しいだけで悪気は無いと思うわ」
「いや、相変わらずで寧ろ安心した。ヒーニアスは昔から俺を嫌ってたからな」
「違うわ、お兄さまはエフラムをライバルだと思ってるのよ。王としても人間としても、男としても戦士としても、とにかくエフラムには、何もかも負けたくないんだって……」
「ターナ、余計な事を喋るんじゃない」


地獄耳と言うべきか、突然離れた所から聞こえた声に、ターナがびくりと震えて振り返る。
城内へ向かった筈のヒーニアスが引き返して来ていた。
どうやらフレリア国王のヘイデンが、軍議を開くにあたりエフラムとエイリークにも同席してもらいたいと言っているらしい。
二人ともグラドへ進撃し、その実情を目にしているため話を聞きたいのだろう。
エフラムやエイリークの方も、報告したい事があるとして同席に同意。
……そんなやり取りを見ていると、エフラムが不意にエルゥの方を見た。


「エルゥ、お前とミルラも同席してくれ」
「私達も? いいの?」
「ああ、ヒーニアス、彼女達の同席を許可して欲しいんだが」
「……あの女性は?」


ヒーニアスやターナの視線を受け、ミルラを伴って近付き頭を下げるエルゥ。


「お初にお目に掛かりますヒーニアス王子、ターナ王女。私はエルゥ、こちらは妹のミルラと申します。グラド領内で賊に襲われていた所を、エフラムに助けて頂きました」


グラド領内、の言葉にヒーニアスが眉を顰め、ターナがえっ、という顔をする。
エフラムとエイリークも、驚いたのか少し目を見開いてエルゥを見た。
今まさにグラドと交戦中のフレリア王族の前で、その国で仲間入りしただなんてまずい事を告げるとは思っていなかったらしい。
エルゥがそんな事も分からない人物だとは思えないエフラムは、怪訝な表情で彼女を見ていた。
その沈黙を破ったのは、ヒーニアス。


「グラド領内……だと? エフラム、お前は本当に命を賭けた局面で何を考えていたんだ。よもやこの者、間者ではあるまいな」
「無い。逆に彼女が居なければ俺は既に死んでいるだろうし、敵へ情報が筒抜けている可能性が上がった時に自分を疑わない俺達に、敵国領内で仲間になった自分を疑わないのはおかしいと必死に主張していたんだ。本当に間者なら、そんな自分に疑いを向けさせるような事は言わないだろう」
「そうかもしれないが…」
「それにエルゥは賊に襲われていた時、自分が殺されそうだというのに妹のミルラを案じた。そんな妹想いの奴が、間者だなんて思いたくない」


真っ直ぐなエフラムの主張に、ヒーニアスは盛大に溜め息を吐いた。
何を言っても聞かないだろう事を察し、もしあの者がグラドの間者だった時はお前も覚悟しろ、とエフラムに厳しい口調で釘を刺した。
結局エルゥとミルラは軍議には参加せず外に控え、必要となった時に呼び出すという事で話がついた。
不安ならば監視を、とエルゥ自身が主張したため、もし軍議に入るなら兵を付けるという事に。

広間へ入るエフラム達を見送り、エルゥはミルラと共に、フレリア兵の監視付きで扉の外に控えた。
耳が良いせいか、分厚い扉を隔てても耳を澄ませると大体の内容が聞き取れる。
ヒーニアス王子やエフラム達の帰還により明るい雰囲気で始まった軍議だが、エイリークやエフラムの報告にどよめきが走り、やがて暗い雰囲気に陥った。

無理もない。
グラド帝国の目的は、かつて魔を封じ、各国に祀られている聖石を破壊する事、他国の守りを低下させる目的かと思われたのに、グラド帝国は真っ先に自国の聖石を破壊した事が告げられたのだから。
更には大陸の各地に、かつて魔王の手先として人々に害を成していた魔物が出現していたとエイリークの報告が上がった時は、ざわめきは一層大きくなった。
やがてエフラムから“気になる話がある”と発言され、扉が開いて中のフレリア兵に招き入れられる。
軍議に出ているフレリアの将や重鎮達、果ては国王と思しき人の視線が集まり少し緊張したものの、真っ直ぐ背筋を伸ばしたエルゥはミルラを伴って王から少し離れた所に膝を折り、挨拶して名乗った。


「うむ、楽にするが良い。……しかしエフラム、この者達は一体?」


突然登場した女性と少女に面食らったヘイデン王は、エフラムに説明を求める。
それからエフラムがエルゥとミルラに視線を送ると、二人は背中に小さくして隠していた翼を広げた。
突然の事態に、先程より大きなどよめきが走る。
ヘイデン王がそれを静まらせて続きを促し、それを確認したエルゥは話し始める。


「私とミルラは、古の竜人種族なのです」
「竜人……マムクートか」
「はい、人の間ではその名で通っております」
「聖石の伝説に何度か名が出て来るな。人でも魔でもない孤高の種族だというが」


ヘイデン王は、伝説の種族を目の当たりにしてやや気持ちを昂らせているようだ。
王だけでなく、周りの将軍達や重鎮も同様に。
またもざわめき始めた広間を静まらせ、ヘイデン王は更に続きを促した。


「私達は東……大陸の中央付近にある闇の樹海で暮らしていました。800年前に魂を封じられた魔王の亡骸を見張り、そこから溢れる魔物が人の世に出る前に倒してしまう為です」


しかしある時、南、つまりグラド帝都の方角から禍々しい気配を感じ、サレフという名の従者と三人でその気配を確かめる事にした。
しかし途中で戦いに巻き込まれた事、エフラムに助けられて以降、行動を共にしている事を説明する。
突拍子も無い話ではあったと思うが、背中の翼を見た為か誰もが口を挟む事なく神妙に聞き入っていた。


「そのグラド帝都から感じる気配は、今も濃く、強くなっています。その気配こそが、各地の魔物を目覚めさせている原因です」
「ふむ……」
「聖石が全て破壊されてしまえば、最悪の事態が訪れかねません。ヘイデン様、フレリアの聖石を……」
「ほ、報告致しますっ!」


エルゥがフレリアにある聖石の警備強化を進言しようとした瞬間、広間に鎧姿の兵が飛び込んで来た。
突然の事に叱りつけようと思ったのかヒーニアスが口を開き掛けるが、その前に兵が無礼をお許し下さいと前置きし、落ち着かぬ様子のまま声を荒げる。


「塔に、ヴェルニの塔に安置されていたフレリアの聖石が、グラド軍の手により破壊されました!」
「な、何じゃと!? あそこには相当数の兵が警備に当たっていた筈だ!」
「敵方の将は【虎目石】のケセルダと【蛍石】のセライナ! 我が軍は半日と待たずに崩壊を……」


今まさに聖石の警備強化を進言しようとしていたが、ヘイデン王や兵の様子からして既にかなりの警備をしていたようだ。
そしてそれが無駄に終わったと、報告がなされた。
敵将の名に聞き覚えがあるらしく、それまで黙っていたゼトが口を開いた。


「【蛍石】のセライナ……皇帝の右腕とも言うべきデュッセル将軍に次ぐ、名うての将だと聞きます」
「その者を帝都から動かす程、皇帝は聖石の破壊を望んでいるという事か……。何故だ、ヴィガルド皇帝は何故、このような……!」
「父上、手をこまねいている場合ではありません。まずは手を打ちましょう!」


動揺を隠しきれないヘイデン王へ、ヒーニアスが凛とした声を張り上げる。
それに我に返ったらしい王は一つ息を吐く。
グラドに占領されたルネスの聖石は既に破壊されてしまっただろう。
フレリアの聖石までも失われた今、残るジャハナ、ロストン二国の聖石は何としても守らねばならない。

しかし、聖石を破壊しているなど伝令を送った所で信じて貰えるだろうか。
きっとエフラムやエイリーク、そしてヘイデン王やヒーニアスでさえ、グラドの侵略が無ければ、聖石が破壊されなければとても信じられないだろう。
エルゥは口を出すべきか迷ったが、ここはと意を決して告げてみる。


「恐れながら陛下、伝令ではなく正式に使者を立ててはいかがでしょう。将軍など、一定以上の身分の者に国家の大義名分を与えて」
「ふむ、確かに由々しき事態だ、それぐらいの事はせねばなるまい」
「では父上、その使者の任、私にお与え下さい」


相変わらずの態度と口調で言い放ったヒーニアス。
フレリアの王子が直々に訪問したとなれば、相手も決して無下には出来ない。
ヒーニアスはジャハナへ赴き、同盟を取り付けて来る事を誓ってみせた。
ヘイデン王は自分が行ければと思っていたようだが、聖石が破壊されれば魔物が溢れかねないと先程エルゥが言ったばかり。
このような状況で国王が国を空ける訳にはいかない。
決して息子を信用していない訳ではない、寧ろ頼もしく思っているヘイデン王も、非常事態ゆえ決めあぐねている様子。
ここは押さねばと思ったのか、何故かエイリークが立ち上がり宣言する。


「では、私はロストンへ向かいます」
「エイリーク?」


突然の妹の主張にエフラムが驚いて彼女を見る。
まさか妹にそんな危険な真似などさせる訳にはいかないと止めようとするが、ロストンへは船で北海を渡ればすぐに着くと言ってエイリークは聞かない。
祖国ルネスを取り戻す日まで、王女として戦い続けたいのだと。
エフラムは自らの性格を思い出し苦笑した。
一度こうだと決めたらよほどの事が無い限り主張を曲げない、自分そっくりだ。
分かった、とエイリークに微笑んだエフラムも立ち上がり、真剣な表情でヘイデン王に宣言した。


「ヘイデン様、俺は西からグラド帝都へ進軍します」
「なんと……! こちらからグラドへ攻め込むというのか?」
「帝都を制圧すれば戦争は終わります。聖石を守る必要も無い。こちらからグラドに攻め入り、一気に帝都まで押し進めば……」
「しかし、帝都には皇帝ヴィガルドだけではない、デュッセル将軍をはじめ名うての将達が待ち受けておるのだぞ」
「それが敵ならば、戦うだけです」


相変わらずのエフラムに、エルゥはやはり気持ちの良い思いで彼を見る。
彼ならば、どんな事でもやってのけそうな気がする。
勝ち目の無い戦いなんてしない、そう告げた真っ直ぐな瞳が忘れられない。

ヘイデン王は、エフラムの豪胆さに閉口した。
しかし呆れていると言うよりは切なそうにしている。
お主の豪胆さは父親ゆずりじゃな、と目を細めたヘイデン王にその理由が分かり、エフラムとエイリークは押し黙った。
フレリア王ヘイデンと、エフラム達の父ファードは古くからの友である。
懐かしい思い出に少しだけ浸っていたヘイデンだが、すぐに毅然とした口調と態度を取り戻した。



「良かろう。ならばそなたら三人に全てを託す。ヒーニアスはジャハナ王国、エイリークはロストン聖教国、エフラムはグラド帝国へ。軍資金はそれぞれに用意させるが、兵達はそう多くは割けぬ。いずれも厳しい道のりになるであろう」


ヘイデン王は見た目からして温和そうで、息子のヒーニアスと髪の色こそ同じだが印象は違う。
しかし今の毅然とした口調にエルゥは、確かにあのヒーニアスの父親だと、何だか微笑ましくなった。
三人のうち誰かが途中で倒れれば、戦争はグラドの優位となってしまうだろう。
決してしくじる訳にはいかない。

フレリア王国は、このマギ・ヴァル大陸の北西部に位置している。
大陸の北部は凹んでおり、フレリア王都から真っ直ぐ東へ陸路を行き、船に乗れば対岸がロストン。
兄上やヒーニアス王子に悪いくらい楽な旅です、とエイリークは笑っていたが、エフラムがグラド帝国へ進撃する事で感じている不安を和らげる為でもあるだろう。

ヒーニアスは南東へ陸路を行き、更にそこから東へ向かってジャハナへ。
途中で通るカルチノ共和国は商人達によって作られた新興国で、フレリアとは同盟を結んでおり危険は無いだろうと兵は小数しか連れず、他には数人規模の傭兵団を雇い旅立つそうだ。
ちなみにカルチノはフレリアの東に位置しており、エイリークが向かう事になる港もカルチノ領である。

エフラムはエイリーク達とは別方向、大陸西の沿岸部を南下してグラド帝都へ。
エイリークやヒーニアスとは比べ物にならない程の苦難になるであろう事は容易に想像できるが、エイリークを安心させる為にもエフラムは、心配するなと笑っていた。

エルゥはエフラムに付いて行くつもりだ。
奪われたミルラの竜石は恐らくまだグラドにある。
しかし離れ離れのサレフの事も気になっていた。
サレフの故郷であるポカラの里はヒーニアスの陸路と同じ方角になる。
サレフならば心配はいるまいが、逆にこちらを心配しているだろう。
会って安心させたい気持ちも大きくある。
明日に出立する事になり、フレリア王宮で鋭気を養う戦士達。
どうするべきか未だに迷っているエルゥのもとを、エフラムが訪ねて来た。





−続く−


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