聖魔の娘

恐怖の権化、憎悪の的
▽ エフラム編5章 恐怖の権化、憎悪の的


ターナとエルゥの活躍によりシューターを突破したエフラム達。
混戦の中 港町を駆け抜け、デュッセル将軍の元へ辿り着いた。


「デュッセル!」
「そなたは……エフラム殿か」
「何があったか訊きたいが、後だな。今はあなたの身を守らせて貰う。俺達と来てくれ」
「……わしは帝国三騎が一人、【黒曜石】のデュッセル。この名と陛下の存在こそわしの生きる糧であった」


それを失った今、もはや生きるつもりは無いと彼は言う。
やはりエフラムの想像は当たっていた。
この忠義に厚い男が皇帝からの信頼も大義も失う理由など、今の状況では一つしか思い当たらない。
戦に異を唱えた事で皇帝から忠義を疑われ、反逆者として名指しされた。


「だが全てを失ったとしても、最期までわしは帝国の臣でありたい。敵対するそなたの助力は受けぬ」


エフラムは苛立つ。
彼がこの戦に異を唱えるのは、国と主と臣民を思っての事に他ならない。
それなのになぜ、助かるかもしれない道を切り捨てようとするのか。


「ふざけるな! あなたの矜持はそれで保たれるかもしれない。しかし残される国は、民はどうなる!」
「……エフラム殿」
「皇帝ヴィガルドの乱心は俺も聞いている。だがここであなたが死んで、グラドは救われるのか?」
「……」
「生きるんだデュッセル。帝国の将であるあなたにとって、今のまま生きるのが死より辛い屈辱である事は分かっている。だがそれでも、生きるんだ。今のグラドには、あなたのような真の忠義者が必要だ!」


その真摯な言葉がデュッセルの胸を打つ。
皇帝の乱心、望まない戦、忠義を疑われ裏切られた事、それらがデュッセルに重く圧し掛かっていた。
だからと言って後の役目も希望も命も、全てを擲とうとしていたなど……。


「……承知した。この老体の命、そなたに預ける。これまでのグラドの悪行、我が身を以って償いとさせて貰おう」


こうしてデュッセル将軍と、追われる事も厭わず彼に付き従った騎士達が仲間になった。
さすがは帝国三騎と言うべきか、馬を駆る重騎士・グレートナイトである彼は破竹の勢いでグラド軍を撃破して行く。
それに遅れまいと自身も歩を進めるエフラムの元に、ミルラを伴ったエルゥがやって来る。


「エフラム、将軍は大丈夫だった?」
「エルゥ。彼なら何とか説得に応じてくれたよ。しかしもっと後ろに下がっていてくれ、ミルラも居るんだ」
「大丈夫、ちゃんと周囲には気を配っているわ。それより南の方にもう一隻、シューターを積んだ船が現れたみたい」
「! そうか、厄介だな……また君に頼んでも良いか?」
「そのつもりでここまで来たの。ミルラを誰かに預かって貰おうと……」
「シューター船の討伐なら俺にやらせてくれ」


突然、上空から知らない声が掛かった。
見上げれば一騎のドラゴンナイト。
グラドの増援かとエフラムが槍を構えると、デュッセルがやって来た。


「待ってくれエフラム殿。彼はクーガー。先程話して、我らに協力すると約束してくれた。信頼できる男だ」
「俺もデュッセル殿を討ち取るよう命じられここまで来たが、迷っていたんだ。お会いして確信できた。彼は紛れも無く帝国三騎のデュッセル将軍。国に仇為す裏切り者ではない」
「そうか……事情は分かったが君はドラゴンナイトだろう。竜騎士も天馬騎士同様、弓矢は弱点だと聞くが」
「あの距離なら一気に詰めて攻撃を仕掛けられる。あんた達に敵対するグラドからの寝返りだからな、これで少しでも信用して貰えると有難い」


デュッセルが信頼しているのなら受け入れるつもりのエフラムだが、そうする事で彼の荷が少しでも下りるならやって貰った方が良いだろう。
ぶわりと飛竜を舞い上がらせたクーガーは一直線に海上へと飛び去る。

エルゥは竜化するつもりで来たとは言ったが、それは飽くまで仕方なしに。
あの姿になるのは正直 気が進まないし、きっとミルラも怯えているだろうと思っていた。
そうならずに済む方法があって安心した。

やがてシューター船討伐の報を持ってクーガーが戻って来る。
そうなればもうエフラム達の進軍を阻むものは何も無い。
港町ベスロンのグラド軍を一掃し、改めてデュッセルから話を聞く事になった。
港の一角にあった砦で落ち着いたデュッセルは、目を細めてエフラムを見る。


「エフラム王子……立派になられたな。わしが槍を教えていた頃はまだ、負けん気だけの少年であったが」
「デュッセル、あなたの指導のお陰だ。そのあなたに何があったのか、詳しく教えてくれ」


デュッセルは躊躇った。
無理もない。
つい少し前まで帝国の将だったのだから、心まですぐに付いて行かないだろう。
ましてエフラム達は敵対している国の者。
だがそれも少しの間で、やがて話し始める。

皇帝ウィガルドはやはり、エフラムが知る通りの温厚な人物だった。
自国のみならず大陸全ての国の平和と幸福を望んでいたが、ある日を境に人が変わったという。
ルネスに大義の無い戦争を仕掛け、それに異を唱えようものならどんな忠臣であっても反逆者扱い。

デュッセルはそんな皇帝に命じられエフラムの討伐に向かう事になったが、皇帝はそこに補佐と言う名目で帝国将の一人、【蛍石】のセライナを同行させた。
その真の目的はデュッセルの監視。
無益な戦を避ける為にエフラムと話し合いたいと言ったデュッセルにセライナは反逆罪を宣告し、投降しなければこの場で処刑すると。
そこへエフラム達がやって来たという訳だ。
どうやらセライナ将軍は再び皇帝から命を受け、帝都へ戻って行ったらしいが。

右腕とも言うべき腹心のデュッセルに反逆罪を宣告するとは、いよいよ皇帝の乱心も深刻な事態。
皇帝の人が変わった時に何が起きたのか、デュッセルもはっきり把握できていない。
ただ一つ、それと時を同じくして皇子リオンと闇魔道士達が、魔術研究の末に【魔石】という宝石を誕生させたという。


「わしは武人ゆえ、魔術の類はよく分からぬが……あの【聖石】をも上回る力を持つものだという」


聖石……伝説の時代に魔王を封じたという石。
今も大陸の五国に奉じられており、グラドはその破壊を狙っていた。
同席して話を聞いていたエルゥとミルラは、闇魔道士達の研究の末に生み出されたという石に合点が行った。


「エフラム。私達が闇の樹海で南方……グラド帝都の方から感じていた禍々しい気配。あれは人の心に作用する性質の物だったわ」
「人の心に?」
「ええ。時にそれは、人を別人のように変えてしまう。理性を崩壊させたり、思考回路を余りに極端な方に振り切らせたり、思考そのものを変えてしまったり」
「では皇帝ヴィガルドの変化は、その禍々しい気配の影響という事か? 魔石とやらも無関係ではなさそうだな」


その魔石は帝都に居る皇子リオンが肌身離さず持っているという。
しかしそれでは、リオンにも魔石の影響が出ているのではないだろうか。


「デュッセル、リオンの様子は? 彼も人が変わってしまっているのか?」
「いや……皇子にその様子は見られなかったように思う。以前のお優しい皇子のままだった」
「そうか、それを聞いて安心した」


魔石が全ての元凶だと言うのなら、リオンと協力して皇帝ヴィガルドを救わなければ。

次の目的地は港町ベスロンの対岸、タイゼル港。
そこまでは海路を船で行く事になる。
後続のフレリア軍が船を手配してくれているそうなので、それまで休息を取る事になった。
一人で水平線の先を眺めていたエフラムの元へ、エルゥがやって来る。


「エフラム、お疲れ様」
「エルゥか。ミルラは?」
「結構な混戦の中に居たから疲れちゃったみたい。他の皆が居る所で休んでるわ」


戦わずとも、命のやり取りを行う戦場の中に居ては気を抜けない。
竜石も無い今、戦う術が無いのだから尚更だ。


「エルゥ、改めて今日は助かった。もう少し進軍が遅れていたら、デュッセルの救出に間に合わなかったかもしれない」
「どういたしまして。でも何だか悪いわ。ずっとあの姿で戦えたら、もっとエフラム達の力になれるのに……」
「大丈夫だ。俺達は皆で力を合わせて戦えるし、君も闇魔法で戦力となってくれているだろう」


竜の姿になれば強大な戦闘力となるが、同時にあの巨体は良い的にもなる。
ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしないものの、そもそも戦時中の敵国に居るのだから目立ち過ぎるのは良くない。
そして、それだけでなく。


「……怖かったでしょ」
「ん?」
「竜化した時の私の姿」
「……怖くなかったと言えば嘘になるな」


その気になれば、生きとし生けるもの全てをその下に平伏させる事が出来るのではないか。
そう思ってしまう程の恐怖と威圧感。
見ていると心臓が押し潰されそうで、彼女が使う闇魔法と同様、“禍々しい”とさえ感じてしまう。
本当に普段の彼女は穏やかな美しい女性だというのに、彼女の使う闇魔法や竜化との差異が激し過ぎる。
以前に滞在した事のあるグラドには多くの闇魔道士が居たが、あんな禍々しさを感じた事は無い。


「ミルラの竜姿も威圧感が無い訳じゃないけど、私とは違い過ぎる。彼女は単に強大な故の威圧感だけど、私のは禍々しさから来る威圧感だもの」
「もしかして竜化するのが好きじゃないのか?」
「ええ」


そうして恐れられる事に、逆に恐怖しているのだろうか。
エルゥは見る限り人間と仲良くしているし、魔物が人の世に出て行かないようずっと闇の樹海で戦い続けていた事からも、人間が好きなのかもしれない。
自分が好意を持つ相手から嫌われるのは辛い事だろう。


「俺は、慣れたい」
「え?」
「君の竜化した姿を、少しも恐れないようになりたい」
「エフラムったら無理しなくて良いわよ。信頼してない訳じゃない、って事は分かってるから」
「それでもだ!」


少しだけ声を荒げたエフラムにエルゥは面食らった。
エフラムは真剣な……少し睨み付けるようにも感じる視線でエルゥを見ており、その通りに強い口調で言葉を続ける。


「君は諦めているんだな、自分が人に恐れられるのは仕方が無いと」
「実際にそうだと思ってるもの」
「それなら俺は恐れない。今はまだ少し恐れてしまうが、必ず慣れる。竜化した君と真っ直ぐ目を合わせたり、躊躇いなく傍に寄ったり出来るようになる」
「……出来るかしら、いくらエフラムでも」
「出来る。必ず出来るようにする」


ただ、ひたすら。
エルゥはひたすら嬉しかった。
竜化するのが好きではない理由の一つが、恐れられてしまうから。
エルゥは人間が好きだ、が、自分の竜化した姿は、他の生き物にとって恐ろし過ぎる事は理解している。
それならば正体とも言える竜の姿を見せないしか方法は無い。

だがエフラムの今の言葉。
例え結果的に恐れなくなる事が出来なくとも、そう誓ってくれるだけで嬉しい。


「……ありがとう、エフラム」
「まあ、もしかしてあなた達、海へ出るおつもりですの?」


突然、背後から知らない女性の声がした。
振り返った二人の視線の先には3人の人物。
杖を手にした馬上の少女、恐らくトルバドールだろう。関係は無いがどことなく気品を漂わせている。
それにごわごわと髭をたくわえたやや老年の戦士と、軽薄そうな若い男。
少々呆気に取られながらエフラムが答える。


「あ、ああ、そうだが……」
「忠告して差し上げますわ、今はおやめなさいな。地元の者達も怖がって、誰も船を出そうとしませんのよ」


話を聞けば、海に魔物が出るという。
なんでも巨大な幽霊船が現れ、船を次々に沈めてしまうのだとか。


「ですが心配ご無用ですわ。このわたくしが、その幽霊船を成敗して差し上げます」
「げ……また始まったよ……」
「ガハハ! 粋ですぞラーチェル様!」


若い男が溜め息まじりに吐き出し、髭をたくわえた戦士は豪快に笑う。
何だか芸人でも見ている気分になったエルゥがクスリと笑うと、そこで馬上の少女……ラーチェルと呼ばれた彼女が真っ直ぐエルゥを見た。

そして、一瞬。
ラーチェルが先程までの天真爛漫な様子を引っ込め、汚らわしい物でも見たかのような苦い表情をしたので、思わず息を飲む。
だがエルゥしか気付かなかったらしいその表情はすぐ戻り、様子も戻った。


「失礼、何となく尋常ではない雰囲気があったので……。どうか気を悪くなさらないで下さいませね」
「あ、いえ。大丈夫です」
「とにかく、海の平和はこのラーチェルが守りますわ。どうぞ安心なさって下さいまし! では船を探しますわよ、ドズラ、レナック!」
「ガハハ! お待ちを!」
「だから行き当たりばったりで行き先を決めんなって……ああもう、やってらんねー……」


片や何とも楽しそうな、片や何とも疲れていそうなお供を引き連れ、ラーチェルは去って行く。

……感覚の鋭い者だと、竜人が人の姿をしていても気付いてしまったりする。
ひょっとしてラーチェルも、エルゥが人間ではないと感じ取ったのだろうか。
竜は人でも魔でもない。見る者によっては魔物にしか見えないだろう。
あの少女も、竜を魔物だと思うタチなのだろうか。

……そうでなければ、もしかすると彼女は……。


「……何だったんだ、今のは」
「え? さ、さあ。だけど海が危ないっていうのは確かみたいね」
「しかしカルチノがグラド側についた以上、エイリーク達が危険だ。あまり時間を取っていられない」
「分かっているわ。その魔物の船に遭遇するとは限らないのだし、皆には黙っておきましょう」


それが良いだろう。余計な不安や混乱は与えたくない。

やがて手配された船に乗り、一行はタイゼル港を目指す。
先程の少女の言葉は気になっていたが、ここで立ち止まる訳にいかない。
エルゥはミルラと共に甲板から海を眺めていた。
ミルラは普段通りの態度だが、どことなく目を輝かせているように見える。


「ミルラって海を見るのは初めてだったかしら?」
「はい。すごく青くて大きいです……。姉様は見たことがあるのですか?」
「ええ、船に乗るのも初めてじゃないわ。かなり久し振りだけどね」


こんな旅の最中なのだから、ミルラが少しでも楽しんでくれているのならそれでいい。
出来れば次は物見遊山で訪れたいが……果たしてこの旅の果てに“次”がやって来るのか不安だった。
魔石の話を聞いたエルゥは、ある一つの大きな懸念を抱いている。
グラド帝都から感じた禍々しい気配、あれが魔石の力だというのなら、あれが魔物を溢れさせているというのなら。

……時間が無いかもしれない。


「……姉様」
「……」
「あ、あの、姉様」
「……え、あ、ごめんねミルラ、考え事してたわ。どうしたの?」
「……あの……その」
「エルゥ、ミルラ」


ミルラが何かを言い掛けていたが、その前にエフラムがやって来た。
緊迫した様子が窺え、話は後で聞くわねとミルラを制する。


「どうしたのエフラム?」
「不審な船が近付いている。どうやら魔物が乗っているようだ」
「魔物が……!?」
「戦闘準備をしてくれ、ミルラは船室へ」
「分かったわ。行きましょうミルラ」
「……はい」


後方から寄って来る船は2隻。
霧が深い為よく見えないが、1隻は既に肉薄している。
不気味な羽ばたきの音も聞こえ、どうやらガーゴイル等の空を飛ぶ魔物も居る模様。
ここは天馬騎士のヴァネッサやターナ、新しく入った竜騎士のクーガーに活躍して貰う必要がある。


「船が来るぞ、構えろ!」


エフラムの声から間もなく、1隻の船が右側につき魔物が雪崩れ込んで来る。
霧の中の混戦となるが、魔物の外見は人と程遠い為、同士討ちの危険が無いのは不幸中の幸いだ。

シスターのナターシャが周囲を明るく照らす事の出来るトーチの杖を用い、後方から周囲を照らしてくれる。
また、目の利くコーマの存在も有り難い。
霧の中でも先の方を確認できる彼は、魔物の接近を忙しく仲間達に伝えていた。

そんな中、エルゥは魔物達の間を縫って幽霊船に乗り込んでいた。
もう1隻、幽霊船の右側につこうとしている船を警戒しての事。
自分は竜として恐れられているから魔物に攻撃されない、と主張し、自ら申し出た。
絶対に魔物の仲間だと疑われるだろうな……と思っていたが、ベスロンでの実績が功を奏し意外にもすんなり信じて貰えた。
あの水平の果てまで揺るがしそうな程の咆吼と、禍々しい程の威圧感から有り得ると思って貰えたようだ。


「(もう1隻の船……来たわ、あれも魔物の船なのかしら)」


船を着けられた瞬間、再びトーチの杖が使われエルゥの周囲が照らされた。
するとその船の甲板に2つの人影を発見する。
やや近寄ってその姿を確認した瞬間、息を飲んだ。
港町ベスロンで出会った妙な一行だ。
一人足りないが……ラーチェルとドズラ、だっただろうか。

あのトルバドールの少女は確か、エルゥを見て一瞬だが苦々しい反応を見せた。
また何か言われるのでは……と身構えていると、向こうがエルゥに気付く。
と、すぐこちらに馬を走らせて来たので、慌てて魔物溢れる幽霊船からもう1隻の船に乗り込んだ。


「まあ、あなたはベスロンでお会いした方ですわね」
「え、ええ」
「良かった、もう一度あなたにお会いしたかったの!」
「え?」


聞けば彼女、早く船を探そうと思っていた為、エルゥに失礼な態度を取ったのにアッサリ終わらせてしまった事を気にしていたらしい。
あの時は本当にごめんなさい、と申し訳なさそうに眉尻を下げた姿に、エルゥはいっそ微笑ましくなってしまう。
きっと心根の優しい少女なのだろう。


「もう気にしていませんから大丈夫ですよ。それより、あなたは何故ここに……?」
「わたくし、ラーチェルと申します。正義と秩序を守るため、ドズラ・レナックと共に魔物退治の旅をしておりますの」
「……1人足りないみたいですけど」
「レナックですわね。乗船前までは居たのに、どこで迷子になっているのかしら」


あの疲れ果てた様子からして逃げ出したとしか思えないが、一向にその答えが浮かばないようなので逆に黙っておく。
利害も一致している事だし、彼女は見た所、聖杖の心得があるトルバドール。
協力して貰えないかと提案しようとした時、霧の中から不気味な羽ばたきの音。
二人の前にガーゴイルが現れ、槍を振りかぶる。


「! 魔物ですわ! ドズラ!」


従者の名を呼ぶラーチェル。
彼が来る前に、戦う術を持たない彼女を庇うようにエルゥはガーゴイルの前に立ち塞がる。
すると奴はエルゥを前にぴたりと止まり、構えていた武器を下ろしてしまった。
そしてその隙を突き、エルゥは闇魔法で奴を屠る。


「空を飛ぶ魔物は厄介ね、あの、もっと船の中央へ……」
「今、魔物の動きが止まりましたわね?」
「え? あ、ええ。私、実は魔物に攻撃されない体質でして……」
「素晴らしいですわっ!!」
「!?」
「きっと神に祝福されし御使いなのでしょう! その力は魔を滅する為に得られたもののはず! わたくしの先輩に当たる方なのですね……!」


まるで演劇のような大仰な声音と動きで、祈るように手を組む彼女。
そんな動作と言葉も妙に似合ってしまうのだから不思議だ。
傍にやって来た戦士ドズラもうんうんと頷き、ラーチェルの感動を後押し……と言うか駄目押しする。


「えっと、あの、別に私は……」
「決めましたわ。わたくし、あなたに付いて行きます。是非お名前をお聞かせくださいな」
「……エルゥ、です」
「エルゥさんですわね。同じく神よりの使命を帯びた者同士、協力して魔物を成敗いたしましょう!」
「え、ええー……あの、その……」


すっかり圧倒されまともに言葉を交わす事が出来ない。
そうこうしていると背後から馬の蹄の音が聞こえ、振り返ればフォルデとカイル。


「二人とも、どうしたの?」
「エルゥがあんまり戻って来ないもんだから、エフラム様から助けに行けって命令されてさ」
「どうやら無事のようだな。ところでそちらは?」


疑問符を浮かべてラーチェル達を見る2人。
そんな騎士達の様子に、ラーチェルが目を見開いて。


「まあ。そう言えばあなた方、魔物退治をする美少女の噂、ご存知ないんですの?」
「さあ? 聞いた事ないな。カイルとエルゥは?」
「いいや、俺も聞いた事が無い」
「私も無いかな〜……」


そう答えると、突然ラーチェルが眩暈でもしたかのようにくらりと脱力した。
倒れると思い慌てて支えようとしたエルゥだったが、彼女はしっかりと馬に乗っている。
代わりにドズラが慌てた様子で支えたが、多分それは必要なかった。


「ラ、ラーチェル様、お気を確かに!」
「大丈夫、何でもありませんわ……。ですがわたくし、少し泣きたい気分ですの」
「こんな所で泣くと危ないですよ。見た所 聖杖の心得があるようですし、協力して貰えませんか?」
「それもそうですわね。わたくしの華麗なる活躍、よくご覧なさいな!」


立ち直りが早い。
逸って馬で駆けて行く彼女を、エルゥ達は慌てて追い掛ける。
すぐ後に、霧でよく見えない前方からラーチェルの声。


「エルゥさん、こちらにはまだ魔物が残っていますわ! 共に成敗いたしましょう!」
「は、はいはい分かりました、から、あまり1人で先走らないで……」


そんな会話を聞いて、フォルデとカイルは顔を見合わせる。


「エルゥお前、あの子と知り合いか?」
「さっき初対面を果たしたばっかりよ」
「随分と懐かれてしまったようだな」
「……懐かれた、で良いのかしら、あれ」


何はともあれ新しい戦力の協力もあり、魔物を殲滅した一同。
改めてラーチェルをエフラムに紹介すると、何やら彼に似ている女性と会った事があるとラーチェルは言う。
聞けば彼女、以前レンバール城を目指していたエイリークと会ったらしく、エフラムの口から名前を知った彼女は、それがルネス王女の名だと思い至ったようだ。
エフラムも身分を明かし事情を話すと、ラーチェルが今までの印象とは違う真剣な表情を見せた。


「まあ。でしたらわたくしもご一緒させて頂きますわ」
「だが俺達はグラドと正面からの戦を続ける事になる。これからもっと危険な戦いになるが……」
「覚悟はしておりますわ。驚かないで聞いて下さいな。実はわたくし……ロストン聖教国の聖王女ですの」


ロストン聖教国はジャハナの隣、大陸の北東部にある国だ。
確かに高貴そうな雰囲気が滲み出ており、普通の旅人には全く見えない。
何でも吟遊詩人の語るサーガに憧れ、お忍びの旅に出ていたのだとか。
それにしてもロストン聖教国の王女だったとは……。


「(じゃあ初めて会った時に、私を見た彼女が妙な反応をしたのって……)」


あの苦々しい表情。
彼女があんな反応をした理由は今なら完全に思い当たる。
神を崇め、神秘の力を崇め、信奉して駆使する聖なる国の王女。
清らかな彼女だからこそエルゥの闇が分かってしまったのだろう。


「(……私に関する真実を知ったら幻滅するでしょうね)」


少々勢いはあるが慕ってくれる彼女を可愛いと思ってしまった為に、その眼差しが嫌悪に変わる想像をすると気が滅入る。
エフラムは怖がらないようになると約束してくれたが、やはり自分は人に恐れられてしまう存在なのだから。
ちなみにエルゥも、自分が竜である事や、別に神から祝福された訳ではない事をきちんと説明したが。
その話を聞いたラーチェルは更なる正義の使命に燃え上がり、エルゥへの憧れを強めるだけだった。

誰かと、人間と仲良くなれるのは嬉しい。
それだけにいつか自分の正体が知られた時にどんな反応をされるか……本当に恐ろしい。

そんなエルゥの心など知る由も無く、晴れ渡った空の下、海を渡り切った船はタイゼル港に到着した。





−続く−


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