聖魔の娘

国境を越えて
▽ エフラム編4章 国境を越えて


エフラムはグラドへ、
エイリークはロストンへ、
ヒーニアスはジャハナへ。

一人として倒れる事の許されない旅路へ、それぞれが身を投じて行く。
どの部隊と行動を共にしようか悩んでいたエルゥが決めかけた時、エフラムが訪ねて来た。


「エルゥ、少しいいか」
「どうしたのエフラム。明日からグラドへ進軍するんだから、早めに休んでおいた方がいいわよ」
「その事で頼みがある。お前、俺と一緒に来てくれないか」
「えっ?」


まさに今、エフラムに付いて行こうと決めかけていた所だ。
エイリークとヒーニアスは特に危険の無い行軍となるだろう。
ヒーニアスは同盟国のカルチノを通り、エイリークは船で10日ほどの旅。
反面、エフラムは敵国の中枢へと飛び込まねばならない。
少しでも戦力は多い方が良い筈だ。


「勿論あなたと一緒に行くつもりよ。どうしたの、改まって」
「……確かお前、カルチノの方に知り合いの住む集落があるんじゃなかったか?」
「ポカラの里? そう言えば前にちらっと話したわね」


グラド領でエフラム達と逃避行を繰り広げていた頃、色々と竜の事を聞かれて流れで話していた。
はぐれて以来どこに居るのかも知れないサレフの故郷もポカラの里。
どうやらエフラムは、エルゥがポカラの里を訪れる為、そちらの方を通るヒーニアスに付いて行きたがると思ったらしい。
だからわざわざこうして頼みに来たという訳だ。


「そうか、一緒に来るつもりなら無用な心配だったな」
「心配だなんて。私が居なくてもエフラムは負けないでしょう?」
「そうだな、負けるつもりは無いからグラドへの進軍を申し出た。だが俺は……お前に傍に居て欲しいと思ったんだ」
「……ああ、不安定でも私の予知能力があれば便利だものね。いざという時は竜化すれば……」


少し意地の悪い言い方になってしまったかもしれない。
しかし今の言葉は、どちらかと言えば自分に言い聞かせたもの。
彼はこういう理由で自分に『傍に居て欲しい』と言ったのだ……、と思い込まなければ、うっかり深い意味で受け取ってしまいそうだった。

エフラムはエルゥの言葉に一瞬だけ呆けたような顔をしたが、すぐに少々ムッとしたような表情になる。


「エルゥ、俺がお前をそれだけの存在だと思っている訳ないだろう」
「ちょ、ちょっと、エフラム……?」


少し離れた所に居たエフラムが歩み寄って来る。
触れそうなほど近くに来た彼に本気で照れて戸惑ってしまい、これはいよいよ本当にそういう意味か……と思いながら見上げていたら。


「そんな便利な道具のような扱いはしていない。お前は大事な仲間なんだ、当たり前だろ」
「……」


一気に気が抜けてしまう。
何故エフラムの方が不機嫌そうな顔をしているのか分からない。
ここで怒らなかった事を誰かに褒めてほしいと、エルゥは思った。


「エフラム、あなた……いつか女性に刺されるわよ」
「それは敵にか?」
「寧ろあなたが女性の敵というか」
「何を言っているんだお前は」


エフラムの方が何を言っているのやら。
これ以上問答をしても良い結果は得られそうにないので、ここで話を切り上げた。
とにかく私はエフラムに同行するからと、それだけはきっちり念を押して。
奪われたミルラの竜石もきっとグラドにあるだろうから丁度いい。
その事を考え、今し方のエフラムの言動でときめいた心を必死で冷やそうとするエルゥだった……。


+++++++


翌日、出立の準備を済ませたエルゥは通り掛かった廊下でエフラムとエイリークを見かけた。
家族水入らずを邪魔すまいと立ち去ろうとしたが、その前にエイリークに見付かり招かれる。


「エルゥ、丁度良いところに」
「なあにエイリーク?」
「……兄上の事を宜しくお願いしたいのです。グラド帝国と正面から戦うなんて余りにも危険。兄上が負ける筈は無いと信じていますが、どうしても心配で……」
「俺だって自分の力は弁えている。無理はしないと言っているんだがな」
「まあエイリークの心配も分かるわ。分かった。私の力で出来る限り、エフラムを助けるから」
「お願いします……」


たった二人残された兄妹。
今はエルゥもミルラと二人の身。気持ちは痛い程に分かる。
必ず生きてまた会おう、と手を握り合うエフラムとエイリークを見て、彼らが再会できるその日まで、必ずエフラムを守り助けようとエルゥは誓う。

エイリークと一緒に居た者達はエフラムに付いて行く事になった。
敵国の中枢に行くエフラムの為エイリークが一人一人に頭を下げて頼んだようで、心を動かされた仲間達は、『命が惜しくない者だけ志願して欲しい』とのエフラムの言葉にも誰も脱落しなかった。
エルゥは出立の準備が着々と進んでいる兵達の間を擦り抜け、半月の間 生死を共にしたフォルデとカイルの元へ。


「フォルデ、カイル、また一緒ね。今度は敵国の帝都を目指すんですって」
「よおエルゥ。全くエフラム様は本当に飽きないお方だよ」
「おいフォルデ。お前は飽きる飽きないでエフラム様にお仕えしているのか?」
「いやいや違うって!」


何だかんだ言いつつ二人は、エフラムの腹心として彼を支える為に協力し合っているのは分かっている。
ちなみに、主君であるエフラムを呼び捨て&敬語無しにした手前、彼の臣下であるフォルデとカイルに丁寧に接するのもおかしいかと思ったため、二人に対しても敬語なしと呼び捨てだ。
宜しく、と言い合って、最後にエルゥが向かうのはミルラの所である。
静かな渡り廊下、庭を眺めていたミルラを発見し、声をかける。


「ミルラ、もう出発の準備は終わったの?」
「姉様。はい、特に用意するものもありませんから」


柔らかく微笑むミルラに、やはりフレリアで待たせておくべきか逡巡するエルゥ。
ミルラはそれを見透かしたように、私は姉様達に付いて行きますと言った。


「竜石はきっとグラドにあります。それに姉様が戦いに行かれるのなら、私もそのお手伝いがしたいんです……」
「……分かったわミルラ、ただし約束して。無茶や勝手な行動はせず、私達の言う事をよく聞く事。危険な時は自分の身を優先して。逃げるのも勇気よ」
「はい、エフラムにも言われました。姉様も無理はなさらないで下さいね」
「ええ。何とかして生き残るわ」


エルゥは、まだまだ自分より小さな体を屈んで抱き締め、あやすように背中を軽く叩いてやる。
ミルラはそんな姉の動作にホッとしたような顔を見せ、暫くはそのままだった。


ヒーニアス王子は同盟国のカルチノを通るので危険は無いと判断し、とっくに出立してしまったらしい。
エフラムとエイリークは少しの間別れを惜しんでいたが、やがてエイリークが踵を返して東方へ出立。
エルゥもミルラと共に、エフラム隊に付いて南へ進軍した。

ルネスを制圧したグラド帝国はフレリアにも侵略の手を伸ばしていたが、これまではフレリア王子ヒーニアスが水際で敵軍を食い止め、大幅に攻め込まれる事なく国境線を守っていた。
エフラムはこの前線を押し上げるべくフレリア軍と連携してグラド軍と戦う。

国境を越えた先、グラド領側に待ち受けるリグバルド要塞。
難攻不落とされるその砦はフレリア軍が攻めあぐねた強固な城砦。


「この砦を落として占領すれば、背後を突かれる心配が無くなる上にフレリアも守り易くなる」


エフラムの提案はハイリスクハイリターンなもの。
確かにこの砦をフレリア軍の物とすれば、強固な守りで背後を防がれる事が無い。
またグラドを食い止めていたヒーニアスが居なくなったフレリア王国を守れる。
その提案にゼトは難色を示した。


「長きに渡りグラド領を守り続けて来た不落の要塞です。過去、陥落はおろか内部への進入さえ許した事が無いと聞きます」
「だがあれを落とさずにグラドへ攻撃するのは危険だ。ゼト、お前はこの戦力をどう見る?」
「厳しい、としか。地の利と数の利、共に敵側にあります」
「人の心はどうだ?」


グラド帝国の突然の侵攻により、今他国とグラドは戦争状態にある。
だがそれまでは同盟関係……いや、それ以上に親しい関係だった。
いかな皇帝の命令とはいえ、人の心まですぐに変えられる訳ではない。

エフラムが希望と見ているのは、帝国三騎【黒曜石】と呼ばれるデュッセル将軍。
彼の槍はその将軍に教わったもので、もしデュッセルが自分の知る彼のままで居るのなら、きっとこのような戦争は望んでいない筈だと言う。
そして皇子リオン。
エフラムの幼馴染みでもある彼は気の弱い所があるそうで、父である皇帝を止められなかったものと思われる。
きっと今頃この戦争に心を痛めている。

彼らのような者達であればきっと話を聞いてくれるだろう。
そんな上層部の人間が反戦を唱えればきっと国は変わる。


「砦内の帝国兵の中にもこの戦を望んでいない者は居る筈だ。裏門から迅速に突入し玉座を制圧すれば、砦の者達が降伏する可能性もある」
「……楽観は禁物です。ですが正面から全軍に挑むよりは遙かに良策かと考えます」
「それで、突入する方法なんだが」


斥候の報告によると、裏門までには十数名が警備に当たっているらしい。
彼らだけでも先に何とか出来れば状況は一変するだろう。
そしてその役目の中枢をエルゥが担う。


「レンバール城でヴァルター達から逃げた時の目眩ましね?」
「ああ。そして視界が遮られた彼らを素早い者で攻撃し気絶させる」


そうすればこの強固な砦に奇襲をかける事が出来る。
砦の中に入れば確実に気付かれるが、虚を突く事は可能。
敵兵を気絶させる役目はゼトやフォルデ、カイル、フランツ等の馬に乗る騎士、天馬騎士のヴァネッサ、盗賊のコーマに剣士のヨシュア。みんな素早い動きが可能な仲間達だ。


ミルラをエフラムに任せ、エルゥは彼らと共に物陰に隠れる。
エルゥが含蓄した魔力を闇の球体にして敵兵を包む、それが開始の合図。


「あまり時間を掛けると気付かれる。一気に行きましょう」
「ああ、信じているぞエルゥ」


そう言ったのはカイル。
少し意外に思ったエルゥは彼の方を見るが、集中しろ、と言わんばかりに顎で要塞を示されたので慌てて目を逸らした。
冷静で厳しいような印象を抱いていた彼に信頼されていたと思うと嬉しい。
グラドでの逃亡中に半月も命を預け合っていた仲だし、彼の主君であるエフラムが信頼しているのだから当たり前かもしれないが、
こうしてカイルから直接信頼を示されたのは初めてな気がする。

エルゥは溜に溜めた魔力で闇の球体を作り、一気に見張り達へ放った。
それとほぼ同時かと思うほど瞬時に仲間達が見張りへ向かって行く。
ほんの一声か二声しか上げられないままに次々と気絶させられる見張り達。
顔が球体の中なので声が篭もっており、要塞の中まではとても聞こえないだろう。

見張り達を縛り上げ、待機しておいた本隊を呼ぶ。
コーマが裏門の鍵を開け、すぐさまエフラムが命じた。


「突撃!!」


言いながら、彼は先発隊と共に最初に突入する。
突然なだれ込んで来た謎の集団がフレリア軍だと敵が気付いた頃には、要塞内は大混乱に陥っていた。

エルゥはエフラムから引き受けたミルラを側に、主に討ち漏らしの掃討に当たる。
殆どの兵士が要塞内で戦っている現状、外で待機中の補給部隊に預けるのは危険だし、ミルラが一緒である以上はあまり無茶な戦闘も出来ない。


「姉様、右の方から敵が増えそうです……」
「増援ね。エフラムに知らせましょう」


不安定な自分のものとは違い、ミルラの危険を察知する能力は役立つ。
やっぱりミルラを連れて来て良かったかも、と思いながら前線に居る筈のエフラムを目指すと、そこでは何やら見慣れぬ少女と会話している彼の姿が。


「エフラムどうしたの、その子は?」
「……エルゥ。どうやら俺について、グラド側でとんでもない噂が流れているらしい……」
「噂?」
「ルネスのエフラム王子は……女と見れば襲いかかるようなケダモノだと」
「無いわね」


バッサリ。
出立前、期待させられ裏切られた(?)経験のあるエルゥは一気に切り捨てる。
彼がそんな男であればあんな無自覚タラシな言動はしないだろう。
エフラムと話していた金髪の愛らしい少女は、そんなあっけらかんとしたエルゥの様子に困惑を見せる。


「……話で聞いてたのと全然違う……」
「とにかくお前に危害を加えるつもりは無い。怖ければ武器を捨ててどこかへ逃げろ。だが……そうだな。もしその気があるのなら協力してくれ。今のグラド帝国はおかしいと、少しでもそう感じているのならな」


そう言って話を終わらせたエフラムに、慌ててミルラが感じた増援の気配を告げるエルゥ。
それを聞いた彼はすぐさま指示を出しに行き、後には少女とエルゥ達が残された。


「あなた、グラドの兵士なのね?」
「うん……でもこの戦、帝国三騎のデュッセル将軍も反対しているって聞くし、あたしもう、何が正しいのか……」
「デュッセル将軍ならエフラムの槍の師匠だって聞いたわ。エフラムは彼を信じてるみたいよ」
「え……」
「一緒に戦ってくれるなら心強い。だけどグラドを裏切る事になるからよく考えてね。どうしても私達に協力できないなら早く武器を捨てて逃げなさい」
「……」


話は終わったとばかりに移動するエルゥを見ていた少女は、その時ようやくエルゥの陰に隠れるようにしていたミルラに気付いた。


「そ、そんな小さな女の子まで……?」
「……あなたが誰に何を聞いたのかは分かりません。けれどエフラムは、とても優しい人です……」


いつも通りの静かな態度ながら、疑う余地など無いと言いたげな瞳で真っ直ぐに告げるミルラ。
小さな女の子であるミルラ(実際には少女より遙かに年上だが)のその言葉に心を動かされたか、少女は立ち去ろうとするエルゥに駆け寄った。


「ま、待って! あたしも一緒に行く!」
「……いいの?」
「あたし、確かめたい。何が正しいのか……自分の目で」
「覚悟があるのなら私達は歓迎するわ。私はエルゥで、この子はミルラよ。あなたは?」
「あたしは、アメリア。宜しくお願いします!」
「うん。取り敢えず戦闘が落ち着くまでは私の傍に居るといいわ。私の仲間に攻撃される可能性もあるからね」
「ありがとう……」


優しく微笑んだエルゥに、アメリアの緊張が解れて行く。
一旦はグラドを離れる決断をしてしまったけれど、これは間違いではないと思った。
裏切るのではなく、グラドの未来を見極める為に行くのだと自分に言い聞かせる。


やがて敵将を倒し、リグバルド要塞はフレリア軍が管理する事になった。
残党を探して要塞内を探索すると、牢屋に思いもよらない人物が捕らえられていた。

それはフレリア王女のターナ。
皆が世界の為に戦っているのに、自分は安全な城で祈るだけなのが耐えられなかったらしい。
どうしても一番大変なエフラムの助けになりたいと追い掛けて来たら、グラド兵に見付かって今まで囚われていたと。
これから投降した兵に話を聞くから戻るまで相手をしてやっていてくれないか、とエフラムに頼まれ、エルゥはターナと話していた。


「ではターナ様も天馬騎士なんですね」
「ええ。それなりに修行は積んでいるつもりよ」
「けれどお父上、心配されているのではないですか?」
「それでも皆の助けになりたい。エルゥさんだって小さな妹を連れているじゃないの」
「まあ、この子は竜ですから……」
「だけど本当は安全なフレリア城に置いて行きたいと思わなかった?」
「……思いましたね」


苦笑しながら言うエルゥをミルラは不安そうに見上げる。
そんな顔しなくても今更帰したりしないから、と安心させるように笑うと、ターナが少し落ち込んだような溜め息を吐いた。


「ミルラだったかしら。うらやましいわ、優しいお姉さんが居て」
「……ヒーニアス様、なかなか厳しい方のようでしたものね」
「ええ。お兄様はお兄様なりに私を心配して下さっているのは分かるけど……。時々、思うの。もっと優しくしてくれてもいいのにって」


言ったら兄を思い出したのか、ターナの瞳が寂しそうに揺れる。
どう言って慰めるべきかエルゥが迷っている間に、ターナはいつも通りの無垢な笑顔を向けて来た。


「それにしてもエルゥさん、エフラムは呼び捨てなのに私は様付けなのね。他人行儀よ」
「えっと、許可も得ず王族の方を呼び捨てするのは、いくら何でも……」
「じゃあ許可するわ。エフラムの友達なら私の友達よ、仲良くしましょ!」


慰めようと思っていたのに、却って元気付けられてしまった気がする。
ふふっ、と自然な笑みが零れたエルゥは彼女の言う通りに接する事にした。


やがてエフラムが投降した兵から聞けた事を教えてくれた。
皇帝がルネスを侵略した理由は分からない事、やはりデュッセルは戦争に反対している事、そして……ルネス侵略を進言したのは皇子のリオンという噂が流れている事。
エフラムは平静を装ってはいるが、親友のあらぬ噂に気が落ち込んでいるのは分かる。


「あいつは誰より戦争が嫌いだった……そんな真似をする筈は無いんだ」
「エフラムが信じたいなら信じていましょう。先へ進んで、皇子から話を聞けば良いじゃない」
「……ああ。そうだな、ここで立ち止まる訳にはいかない。デュッセルやリオンと合流し、力を合わせてこの戦争を止める……。止めるつもりだ、が」
「だが?」
「……もし二人が敵対するようなら、俺は躊躇わない。例え誰が相手であろうと、倒さねばならない敵は倒す」


そうハッキリ告げたエフラム。
そんな彼の覚悟を聞いたエルゥは、心から安心した。

ああ、これでもし自分が彼らを裏切るような事があっても、彼は私を倒してくれる。
情に流されて倒す事が出来ない、なんて事はきっと無いだろう。


「ところでエルゥ、ミルラ。一応訊いておくが、フレリアに戻る気は無いか?」
「え?」
「ここから先はグラド領だ。これ以上、二人を戦争に巻き込む訳にはいかない」
「“一応”なんて言ったって事は分かってるんでしょう? 私達は付いて行くわ。ねえミルラ」
「はい。なくした竜石の気配、まがまがしい邪悪な瘴気……どちらもあちらから感じます」
「そもそも私達はそれを調べる為に闇の樹海を出たの。放ったまま帰るなんて出来ないわ」
「……言うと思った。気を付けろよ二人とも。これから先はもっと守る余裕が無くなる」
「ええ。生きてグラドを調べないと……お父さんにも叱られてしまうわ」


思わず口に出してしまった父親の事。
泣きそうになったのを慌てて振り払い、エルゥは笑顔を浮かべる。
その少し寂しげにも見える笑顔を見た瞬間、エフラムが息を詰まらせた。


「エフラム?」
「……何でもない。ここから先も宜しく頼む」


そう言って踵を返すエフラムを見送り、疑問符を浮かべながらミルラと顔を見合わせるエルゥだった……。


++++++


エフラム率いるフレリア軍は頼もしい背後を獲得し、更にグラド領内を進軍した。
大陸西の沿岸部からグラドの帝都を目指すには、一旦海を越えなければならない。
船の出ている港町ベスロンを目指す最中、フレリアの天馬騎士が報告に来た。

カルチノ共和国で内乱が勃発し、グラド帝国派の長老パブロ率いる傭兵とヒーニアスが交戦、エイリーク達はそれを助けに向かい、以降消息が途絶えたと。
一番安全な旅路だと思ったから妹をすんなり送り出したというのに、現状は助けに向かう事すら出来ない。
カルチノがグラド側に付いた以上、一刻も早く帝都を叩かなければ。


「私もミルラと離れていたら、エフラムのように心配で堪らなかったのかな?」
「姉様……」
「どこにも行かないでねミルラ。約束よ」
「……姉様は、どうして私を守って下さるのですか?」
「え?」
「私、何の役にも立てていません。それなのに……」
「何を言っているの、安定したあなたの予知能力には助けられてるわ。それに、例えそれが無くても大事な妹なんだから気にしなくていいの。ミルラは居てくれるだけで私の力になるのよ」
「………」


言い聞かせるように優しく言うエルゥ。
彼女はこの時、気付いていなかった。
俯いたミルラが悲しそうな、納得していなさそうな表情をしていた事を。

その時、不吉な低い音が響き始めた。
すぐに自らの意思と関係無く体が揺れ始める。


「これは……地揺れ!?」
「姉様……!」
「私に掴まってミルラ。離さないでね」


轟音と共にぐらぐら揺れる地面。
フレリア兵達の間からも困惑や恐怖の声が聞こえるが、数秒のうちに収まった。
エルゥにしがみついて体を強張らせていたミルラが息を吐いて力を緩めるのと同時に、エフラムがやって来る。


「エルゥ、ミルラ、無事か?」
「え、ええ。地揺れなんて体験したの、久し振りだわ……」
「姉様、エフラム。今のは……」
「グラド南部は地揺れが多い土地なのよ。弱いものばかりだから人の生活に影響は無いみたいだけど」
「俺やエイリークがグラドに居た時も、時折 揺れていた。驚く俺達に、もう慣れっこだってリオンの奴、笑っててな……」
「エフラム……」
「……すまない、感傷に浸っている場合じゃなかったな。こうしている間にもきっとエイリーク達は戦っている」


こんな状況だから楽しく旅なんて不可能だが、それにしても今のエフラムは少し様子がおかしい。
疲れていなければ良いけど……と心配しても口には出せない。
少なくとも他の兵達が見ている前では訊ねる事も出来ないだろう。
強大な敵国に攻め入っている現状、将が参っている所を見せると士気に関わる。
立ち去って行くエフラムの背中が少し揺らいだ気がして、エルゥは胸を痛めた。


そして数日間の道中、大した戦闘も無く港町ベスロンに辿り着いた。
部下に命じて船を調達させていたエフラムに、偵察兵からの報告が入る。


「エフラム様、前方にグラド軍です」
「来たか……戦闘準備だ」
「それが、グラド軍はこちらに向かって来ません。帝国三騎【黒曜石】のデュッセル将軍と彼が率いる部下を追っているようです」
「何だと!? なぜ彼がグラドに追われているんだ!」


なぜ、と言ってはみたが、この状況からして希望が叶ったと思うしかない。
きっとエフラムの考え通り戦争に反対したのだろう。そして忠心を疑われた。
何にせよ助けるしかない。港も彼らが居ると思われる方向だ。


「全軍に命じる! デュッセル将軍の救出を優先せよ!」


言いながら、自らも愛槍を手に救出へ向かう。
一刻も早く合流しなければ……と急いていた彼らの上空から、何かが降って来た。
間一髪で避けると、それは矢。
長距離を威力を保ったままで矢を飛ばす事が出来るシューターが、どこかにあるに違いない。


「くそっ、こんな事で足を止める訳には……」
「私が探ってみるわ!」
「!? おい、待つんだターナ!」


天馬は弓矢の攻撃に弱く、致命傷になる可能性もある。高く飛んでは格好の的だ。
引き止める間も無く飛び上がったターナに下方から声を掛けるが、降りて来ない。
フレリア精鋭の天馬騎士ヴァネッサが自らの危険も顧みずターナを引き戻しに飛び上がると、そのタイミングで再びシューターが飛んで来た。


「ターナ様っ!!」
「っ……!」


間一髪、すれすれで矢を避けるターナとヴァネッサ。
半ば落ちるような勢いで戻って来た二人に声を掛ける前に、ターナが上擦った声で場所を告げる。


「西よ、西の海上にある船から撃って来てる!」
「良かった、無事だな……。助かったが、もうこんな無茶はしないでくれ。君に何かあったらヒーニアスに殺されてしまう」
「ご、ごめんなさいエフラム。ヴァネッサ、大丈夫?」
「私は大丈夫です。ターナ様、どうぞご自愛下さいませ。あなたを失って我々は生きていられません」
「ええ、次からは気を付けるわ……」


ヒーニアスの安否も知れない現状、フレリアの騎士達も焦燥を感じているのだろう。
何にせよターナのお陰でシューターの場所を知る事が出来た……が、これは厄介だ。
シューターを何とかせねば進軍もままならないのに、それは遠く海上の船の上。
天馬騎士でなければろくに近づけないのに、天馬では非常に危険。
ゼトがエフラムに進言する。


「エフラム様、矢を打ち尽くすまで重騎士などに囮を任せましょう」
「駄目だ。デュッセルの状況は一刻を争う、このまま進軍するぞ」
「ですが、いたずらに犠牲を増やす訳にはいきません」


悠長に矢が尽きるのを待っていてはデュッセル将軍が危うくなるばかり。
しかしゼトの言い分は尤もで、エフラムもそれは分かっていた。

過去、度々国使としてルネス王国を訪れていたデュッセル将軍とエフラムは幼い頃より面識があり、気性の合った二人は身分と国は違えども師弟のような関係を築いている。
だが追われる身のデュッセルでも、今はまだ味方であると確定した訳ではない。
フレリア軍の指揮を任されている以上、確定している味方の命を優先すべき。

エフラムは歯を食い縛ると、命を下す。


「全軍、待機! 重騎士を囮に……」
「待って」


そこに割り込んだのはエルゥ。
彼女はペンダントにして肌身離さず所持していた竜石を手に、ミルラを伴って歩いて来た。


「私が行く」
「エルゥ……? まさか、君は……」
「竜の姿は余りに目立ち過ぎて多用できない。けれど今は惜しんでいる時ではないでしょう?」
「大丈夫なのか?」
「ええ。ターナ、船は一隻だけ?」
「一隻だけだったわ。それに地上にシューターは見当たらなかった」
「有難う。エフラム、私が戻るまでミルラをお願いね。シューターを壊したら声を上げるわ」


言って、ミルラの背を押しエフラムの方へ行かせる。
ミルラは少し驚いたような顔でエルゥの方を見ていて……無理も無い。
エルゥは今まで彼女に、竜の姿を見せた事が無い。
しかしこうなっては覚悟を決めなければ。


「ミルラ」
「は、はい」
「私の竜の姿……見ても怖がらないでくれたら嬉しいな」


寂しそうに微笑んで。
エルゥは周囲の兵を下がらせると竜石を掲げた。
その体がみるみる変化し巨大な生物が現れる。

古の時代、人に味方し、共に魔を打ち倒した竜。
黒に染まった体躯はそこに存在するだけで威圧感を生み出し、見ている者達を無意識に竦ませた。


「あ、あ……姉様……」
「これは……ミルラ、お前の姉は凄いな。心に重石がのし掛かるようだ……」


先程まで美しい女性だったのに、今は禍々しいとさえ言える、鬼神と呼べそうな姿。
エルゥは羽ばたいて巨体を浮き上がらせると、船へ一直線に向かう。
グラド軍が騒ぎを起こしている為か、港町には人通りが無いのが幸いだ。
恐らくこの姿を見ている一般人は居ないだろう。
家々を越え、塀を越えたその先、やや沖にある一隻の船。


「お、おい! 何かこっちに来るぞ!」
「ひぃっ……バケモノ! 早く撃ち落とせ!」


船が慌てたようにシューターを撃って来ても、竜化したエルゥへのダメージは微々たるもの。
迫って来る巨体にようやく逃げようとしても遅過ぎる。

一瞬だった。
船に掛かった巨大な影は、その持ち主に瞬時に潰される。
船体の半分以上がバラバラに砕けて運の悪い者は何人も潰された。
助かった者も沈没して行く船から次々と海に投げ出され、これ以上の攻撃は不要と判断したエルゥは、水平線の果てまで揺るがしそうな咆吼を上げる。


「全軍、突撃!!」


届いた恐ろしい咆吼に怯みそうになるのを抑え、すぐさま命じるエフラム。
ゼトにミルラを託して進軍していると、やがて西の空から黒竜が戻って来た。
あの竜の正体を知っている仲間まで思わず武器を構えてしまう程の恐怖と威圧感。
エフラムはそれを見て、苦笑しながらぽつりと呟く。


「俺は、とんでもない人物を仲間にしてしまったのかもしれないな」





−続く−


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