聖魔の娘

竜族の少女
▽ 序章 竜族の少女


時が来た。
闇の樹海に住む竜族長ムルヴァの娘エルゥは、妹のミルラと共に南から感じる不吉な気配の調査へと行く事になった。
いや、調査に行く事自体は一向に構わない。
竜を崇めるポカラの里からも協力者が来るらしいし、それ自体に不満は無い。

ただ、時が来たと。
それだけが不安で。

出発前、竜族長ムルヴァはエルゥだけを呼び出して話をした。


「遂に、この時が来てしまったか。出来れば避けたかった事柄だが」
「……お父さん」
「お前がどちらの道を選ぼうが、それはお前の自由だ。しかし、跡を継ぐ事は避けて欲しいのが本音だな」


エルゥの悩み。
それは父の跡を継ぐか継がないかという事。
小さな頃、ものをよく知らない幼子だった頃、エルゥは強く逞しい父のようになりたい、
いずれは父の跡を継ぎたいと無邪気に考えていた。
それが、どれだけ恐ろしい事かを理解せずに。
ムルヴァはエルゥの瞳が陰ったのを見て、少し寂しそうに微笑む。


「ミルラと共に無事に帰って来い。お前もミルラも、愛しい娘なのだから」
「……うん」
「エルゥ、お前に流れる母親の血を信じている」


そう言って優しく頭に手を乗せてくれたムルヴァに、少しだけ甘える。
竜族長であるムルヴァ……厳しくも、暖かく優しい彼にエルゥは何度も癒され、それは確実に心の拠り所となっていた。
【あの人】もこんな風だったら良かったと、何度も思った事がある。
その後、エルゥはムルヴァに別れを告げ、ミルラと二人で旅立った。
これがムルヴァとの今生の別れになるだろうと、そんな悲しい予感に襲われながら。


「(何が起きるか具体的には分からない、けれどこの運命は避けられない。お父さん、今まで守り育てて下さって有難うございました。私もミルラもとても幸せでした。私はこれから、私の進む道を決めます。跡を継ぐか継がないか……どちらを選んでも、きっと後悔してしまうだろうけれど)」
「……ねえさま?」


悲しい顔をしてしまっていたエルゥへ、ミルラが不安そうな顔をする。
慌てて取り繕い、大丈夫よと笑うエルゥ。
ミルラはまだ分かっていない。
出来るだけ気付くのを遅らせたい。
悲しい別れとこれからの運命に潰されそうになりながら、エルゥは愛する妹の手を引いて歩いた。


++++++


それが、何故、こんな事になってしまったのか。
禍々しい気配を感じたグラド帝国は戦争のさなかで、エルゥとミルラは戦いに巻き込まれてしまう。
ポカラの里から来てくれた賢者サレフともはぐれ、エルゥはミルラを守りつつ戦地を縫っていた。
竜石を用いて竜に化身すれば雑兵などは取るに足りないのだが、唯でさえ戦時中なのに余計な混乱を招く訳にいかない。
武器を扱えないミルラを庇いながら闇魔法を振るうエルゥだが、連戦に次ぐ連戦は容赦なかった。
如何な体力に自信があったとて、限界は来る。


「(やっぱり、人の姿じゃ限界も短い。何とかミルラだけでも逃がして……。……駄目か。この子を一人には出来ないもの)」
「エルゥ姉様、私……もう、走れ、な……」


戦いに夢中で、ミルラへの気遣いを忘れていた。
体力の無い子に、この逃走劇は酷というもの。


「ミルラ、頑張って! どこか隠れられる場所が無いか探してみるから……」
「私、足手まといに…なんか、なりたく、ないです。姉様だけでも、サレフを……探してください」
「駄目よ、お父さんと約束したの、必ずミルラと二人で帰るって……!」


ムルヴァの事を口にした瞬間、エルゥの脳裏に出掛ける時感じた不吉な予感が蘇って来た。
今生の別れ……もう会う事は出来ない。


「(お父さん……!)」


駄目だ、泣いちゃ駄目だ、ミルラが居るしまだ危険な状況なんだから。
そう思い、潤んだ目元を乱暴に拭うエルゥ。
だがその瞬間、ミルラの悲鳴が響いた。


「いや、姉様っ!」
「え……ミルラ!!」


隙を伺っていたらしい、いつの間にかならず者に取り囲まれている。
エルゥはすぐさま闇の魔道書を構えると、ミルラを掴んでいるならず者目掛けて魔法を放った。
魔法はならず者の命を奪い、エルゥは慌ててミルラを背後に庇う。


「そこを退いて!」
「女か、上玉だしこりゃあ高く売れるな。その前に味見すんのも悪くないか……殺すなよ」


ならず者の頭らしい男はエルゥの言葉を聞いている様子も無く、魔法に警戒しながら手下と共に距離を詰めて来る。
今までの戦いで疲労し、あちこちに怪我を負っている現状では、こんな雑魚にも勝てるか怪しい。
ミルラだけでも逃がさないと……そう考えつつ、妹を背後に庇ってならず者達に向かって行った。

出来る限り素早く詠唱するが、如何せん多勢に無勢で現状では不利だ。
体調が万全であったならと悔やむ暇も無い。
息も切れかけながら4人目に止めを刺した瞬間、疲労から警戒を怠ってしまった横方向から斧の側面で殴りつけられ、
エルゥは派手に飛ばされた。


「うあっ!」
「姉様っ……!」
「ったく恐ろしい女だ。おい、ちょっと調子に乗らないよう痛めつけてやれ」


一人残されたミルラをならず者が引きずり、近くの馬車に乗せようとしている。
うつ伏せに倒れて糸が切れたように動けなくなったエルゥへ、ならず者が二人寄って来た。


「姉様、逃げて……! 逃げてくださいっ!」
「……ミル、ラ……」


ここまでなのか。
疲れて思考さえ途切れがちになってしまい、ミルラを助けようと動かす体に力は上手く入らない。

違う、逃げなければならないのはミルラの方。
私なんかより、あなたの方が世界に相応しい……!


「誰か、お願い……ミルラを助けてっ!!」


どうしようも無くなり、最後の力を振り絞って出来たのは届く筈の無い助けを呼ぶ事だった。
こんな事しか出来ない自分に自嘲すら洩れず、意識が消えかける。



その刹那。


風が、吹いた。



「しっかりしろ!!」
「……」


風が、吹き抜けて。
エルゥを襲おうとしたならず者が2人とも地に伏せて動かなくなった。
自分に掛かった影を見上げると、槍を構えた一人の青年の後ろ姿がある。
逆光で上手く見えなかったが、肩越しに振り返りエルゥを見詰める表情は、優しげだった。
その瞬間聴こえた馬の嘶きにそちらを見れば、赤い鎧と緑の鎧の二人の騎士がならず者を倒していて、やがて赤い鎧の騎士の馬に乗せられ、ミルラが助け出されて来た。


「ねえ……さま」
「ミルラ……!」


青年……少し青みがかった薄緑の髪をした彼に支えられながら、エルゥは立ち上がってミルラへと歩み寄った。
しっかり抱きしめ、ごめんね、と何度も繰り返す。
エルゥはミルラを抱き寄せたまま、青年と騎士へ礼を告げた。


「有難うございます、あなた方が来て下さらなかったら、どうなっていたか……」
「気にするな、俺達も偶然通りかかっただけなんだからな」
「全く、エフラム様もお人好しですよね〜。今から大変だって言うのに」
「慎めフォルデ!」


気にするな、と言う青年に赤い鎧の騎士がノンビリ突っ込み、緑の鎧の騎士が厳しく一喝する。
青年はそれを聞いて笑っているだけで、特に気にしてはいないようだ。
エルゥ達がグラド国外からやって来て連れとはぐれてしまった事を告げると、青年……エフラムは2人を隊へ連れ帰り、手当てをしてくれた。
信じて貰えるか不安だったのだが、エフラムは、あんな必死に妹を守ろうとする奴なら信じたいと周りを説得してくれる。


「エルゥとか言ったか。お前は自分の身が危ないのに、ギリギリまで妹の身を案じていた。そんな奴が嘘を吐くなんて思いたくないんだ」
「信じて下さって有難うございます。本当に、良かった……」
「俺にも妹が居るからな、今も無事でいてくれと願うばかりだ」


エフラムはルネスから来た王子で、常に側に控えている騎士は、赤い鎧がフォルデ、緑の鎧がカイルという事だった。
自分を信じて敵地で身分を明かしてくれたエフラムに対し、エルゥも誠意を見せる決意をした。


「あの、エフラム様。身分を明かして下さった代わりに、私も誠意をお見せします」
「うん? 何だ」


エルゥが少し屈むようにすると、着ている旅装のローブの背中から翼が生えて来る。
エフラムも、控えていたフォルデとカイルも、ただ唖然とするばかり。


「私と妹は人ではなく、古から大地と共に生きている……竜です」
「……まさか、本当に」
「はい。翼は、普段は小さくしているので周りには気付かれなくて」


だから、人に化けるのはとても容易なのだ。
化けるというより、ただ着替えるという感覚。


「うっわー、まさか本気で竜とは。えっらい拾いものしちゃいましたね」
「だから慎めと言っているだろう!」


フォルデとカイルのやり取りに、エフラムばかりでなくエルゥも微かな笑顔を見せた。
ミルラも表情は変わらないが、肩の力が幾らか抜けたような気がする。
やがて話も終わり、近くの村まで送るというエフラムにエルゥは首を振って提案を断る。


「何故だ? エルゥもミルラも軍装はしていないし、魔道書と翼さえ隠せば保護して貰う事だって可能な筈だが」
「私、助けて頂いたお礼に戦いに参加します。そうした方がいいから……ねぇ、ミルラ?」
「はい……ここで出会ったのも、何か大きな力のお導きでしょう。逆らう事は出来ません。それに…姉様は、とても強いですから」


ミルラの言う事は分からないが、エフラムの軍に魔道使いは居ない。
充分休んだエルゥの魔法を見ても戦力として頼もしそうなので、エフラムは協力を請う事にした。
ルネスとの連絡が途絶え、兵力も騎士が十数名となってしまった今、戦力の増強は正直に有り難い。
戦えないミルラだけは付近の村で迷子を装って保護して貰い、エルゥはエフラムの隊に参加した。


「フォルデ、残りの装備はどうだ?」
「かなりまずいですね。武器もそうですが、傷薬や食料が底をついています。近くの村から徴収すれば食料は何とかなりますが…」
「だめだ。いくら敵国領とはいえ、関係の無い民を巻き込む事は出来ない」


きっぱりと言い切ったエフラムに、エルゥは何か眩しいものを感じた。
戦いに身を置きながらも敵国の民まで労る。
それは決して余裕から来るものではないのに、フォルデもカイルも納得顔だ。

彼は信頼されている。
エルゥが参戦できたのも彼の口利きのおかげだ。
今まで信頼に足る行動を取って来たからこそ、周りもそれを認め、信じて彼に付いて来ている。
エフラムの祖国ルネスは随分と侵攻されているらしく、噂では王都は既に陥落したと言われている。
その噂はエルゥも逃げ回っている時に聞いた。
しかしエフラムは飽くまで父の無事を信じ、彼らが逃れる為の時間稼ぎに騒ぎを起こすようだ。


「カイル、偵察に出たオルソンからの連絡はまだか?」
「はっ、そろそろ戻られる頃かと……」


言い終わるや否や、白馬に乗った立派な武装のパラディンが現れる。
彼がオルソンらしいが……エルゥは彼を見た瞬間、ゾッとしてしまった。
なぜ、なぜパラディンであるらしい彼が、闇魔法の気配を身の回りに纏っているのだろうか……?
他の者は気付かないようだが、闇魔法を得意とするエルゥには、その禍々しさが伝わる。
闇の樹海に居た時に、グラドからの禍々しい気配を真っ先に感じ取ったのもエルゥだ。

彼からの、この気配。
エルゥはずっと昔に感じ取った事がある。
出どころは他ならぬ自分で……あれは、辛さや悲しさに押し潰され、耐えられなくなった時に……。

あの時、自分がやってしまった事は、あれは、

あれは……。


「……ところでエフラム様、この少女は一体?」


オルソンと彼に繋がる闇の事を考えていた所へ、突然話題を出されて心臓が跳ね上がるエルゥ。
そう言えば、敵国領内で仲間内の誰もが見知らぬ者が仲間になるなど怪しい事この上ない。
それを表すかのように、オルソンはエルゥに不信の眼差しを向けている。


「彼女はエルゥ、ついさっき我が隊に参戦して貰う事を決めた。闇魔道の使い手だ、戦力になると思うから宜しく頼む」
「エルゥです、これから宜しくお願いします」
「承知しました」


エフラムは信頼されているのだろうと、やはり彼が眩しく見えるエルゥ。
戦時中のこんな時に、少し説明するだけで納得させてしまうなんて、なかなか出来る事じゃない。
いつか嘘吐きとして、エフラムを騙す事になってしまうかもしれない自分とは余りにも大違いだ。

エフラム……ルネスの王子。
まさか、かつて魔王や魔物と戦った英雄の子孫と近付けるなんて、まさしく運命の導きだろう。
エルゥは、遂に、遙か昔から己に定められた運命の渦へ飛び込んでしまった事を実感し、闇の魔道書を強く抱き込んだ。





-続く-


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