聖魔の娘

砂塵の国で
▽ エイリーク編8章 砂塵の国で


ハミル渓谷での戦いの最中、エルゥ達の前に現れたロストン聖騎士団。
フレリア軍の激しい抵抗に遭って予想以上に被害を受けていたグラド軍は、新たな戦力の前に次々と敗れ去って行った。
仲間の誰もが安堵したような顔をしているのは見ていて清々しい。

グラド軍を制したロストン聖騎士団は、やや後方へと向かった。
恐らく指揮官であるエイリークやヒーニアス達の所へ行ったのだろう。
他の仲間達と共にゆっくり後を追いかけたエルゥは、辿り着いたエイリーク達の場所でラーチェルが堂々宣言している場面に出くわす。


「流浪の美少女とは世を忍ぶ仮の姿……。わたくしはロストン聖教国の聖王女! 神に代わって密かに悪を成敗する旅をしていたのですわ!」


杖を高々と掲げて声を張り上げるラーチェルに、エイリークはじめ周りの者達が呆気に取られる。
ドズラは感極まった様子で頷き、ロストン聖騎士団は慣れた様子だ。
聖騎士の一人がこっそり言うには、宮廷で語られる吟遊詩人のサーガにすっかり熱を上げ、自分も人知れず正義を成すのだと強引に旅に出てしまったのだとか。


「(ああ、だから聖騎士団の情報が分かったのね)」


思い返せば当然というべきか。
それにしてもロストン聖教国の王女だったとは……。


「(じゃあ初めて会った時に、私を見た彼女が妙な反応をしたのって……)」


あの苦々しい表情。
彼女があんな反応をした理由は今なら完全に思い当たる。
神を崇め、神秘の力を崇め、信奉して駆使する聖なる国の王女。
清らかな彼女だからこそエルゥの闇が分かってしまったのだろう。


「(ラーチェル……私に関する真実を知ったら幻滅するでしょうね)」


汚れ無き純粋さで自分を慕ってくれているラーチェル。
自分の本当の姿を知ればきっと全てが終わってしまう。

身分を明かしたラーチェルは国を挙げての協力を約束する。
頼もしい協力者にエイリーク達の顔が明るくなる……が。
そこへ伝令兵から連絡を受けていたゼトが重い雰囲気で現れた。


「エイリーク様、ヒーニアス様。たった今、前線より報告が届きました。ジャハナ王宮はグラド帝国の攻撃により陥落したとのこと」


明るい雰囲気が一気に瓦解する。
息を詰まらせたエイリークに代わり、ヒーニアスが進み出た。


「女王陛下はご無事なのか?」
「不明です。王宮は完全にグラド軍によって制圧されており、中の様子は全く窺えない状態となっている模様です」
「ならば急がねば。ご無事である事を祈ろう」


ヒーニアスが兵達へ指示する為に歩き出し、エイリークも進もうとする。
そこへゼトが更なる情報を口にした。


「お待ち下さいエイリーク様。グラド軍を率いる指揮官はリオン皇子のようです」
「え……リオンが!?」


ゼトの言葉にエイリークの表情が驚愕に染まる。
その反応にラーチェルは疑問符を浮かべていたが、エルゥは理由を知っている。
レンバール城からフレリア王国へと向かっていた途中、国境の町セレフィユでエイリークが皇子リオンとは友人関係だと言っていた。
ついに剣を交えねばならない時が来たのかと辛い気持ちなのだろう。

各々が準備に散ってもまだ衝撃が抜けないらしいエイリーク。
エルゥは彼女に近寄り、何とか励まそうとした。


「エイリーク、リオン皇子の事はセレフィユで話してくれたわよね。優しい人なんでしょう? もしかしたら自分が指揮をすればジャハナ側の被害を抑えられると思って出陣したのかもしれないわ」
「エルゥ……そうですね。彼の事です、きっと何か理由があるはず……。彼を信じます。一刻も早く女王陛下の安否とリオンの真意を確かめなければ」
「ええ。皆がついてる。あまり一人で思い詰め過ぎないでね」


もし会えるのであれば対話の機会もあるかもしれない。
そう思ったエイリークに勇気と希望が湧いて来る。
とにかく今はジャハナ王宮へ行き、女王イシュメアを救い出すのが最優先だ。



国土の多くが砂漠であるジャハナ王国。
白砂の大地にはオアシスが点在し、それに沿うように町が造られている。
王都も例によって、しかも一際巨大なオアシスと緑地の側にあった。
どこまでも続きそうな砂漠の真ん中に突如として現れるオアシスと王都、美しい王宮は奇跡のような存在感を放っている。
しかし王都は誰一人出歩いておらず不気味な程に静まり返っていた。
あの美しい王宮は今や敵の手に堕ち、女王の安否は知れない。

今フレリア軍は、二手に分かれて王宮を攻めていた。
作戦を練っていたエイリーク達の元にヨシュアが現れ、王宮の小さな通用口の存在や内部の構造を事細かに教えてくれたのだ。
傭兵として王宮に入った事があるのかもしれないが、あまりに詳し過ぎる事にヒーニアスは疑いの目を向けていた。
だが今は一刻すら惜しいのも事実で、彼の情報を信じる事に。

正面からフレリア軍の大多数を投入して陽動を展開し、ヨシュアが教えてくれた小さな通用口からはエイリーク達主力の少数精鋭で突入する。
エルゥは正面で陽動隊を指揮するヒーニアスと共に戦おうかと思ったが、当のヒーニアスにエイリーク達と共に行動するよう言われてしまった。


「我がフレリアが得た情報では、リオン皇子は闇魔道の使い手だと聞く。万一の時は闇魔道に精通しているだろう君が本隊を支えて欲しい」
「畏まりました。お任せ下さい」
「君も気を付けろ。リオン皇子は戦いを好まぬ性格と聞いていたが……、恐らく芝居だったのだろう」


その言葉を聞いたエイリークが、悲しげに顔を伏せた事にエルゥは気付いた。
彼女の為にもヒーニアスの言葉を否定したかったが、エルゥ自身グラド皇子に会った事が無い以上、実際に友人だったエイリーク相手とは違い、そうではないヒーニアスにジャハナを攻め落とした皇子を擁護する事は難しい。
結局何も言えないまま一礼して去るだけ。
いっそエルゥの方が悲しくなってしまい苦い顔で俯いたら、隣に居たエイリークがこそりと話し掛けて来た。


「私はエルゥに助けられてばかりですね」
「え?」
「兄上を助けて下さったり、レンバール城で手槍から守って下さったり、ヒーニアス王子を助けて下さったり、ポカラの里へ導いて下さったり、リオンの事を聞いた時に励まして下さったり……。今だって私の為に、ヒーニアス王子に反論しようとしていたのでは?」
「……お見通しね」
「いつか必ず恩返しさせて下さい」
「そんなに気にしなくて良いんだけどな……。じゃあルネスを取り戻して復興させたら招待してくれる?」
「ええ、喜んで」


状況に相応しくない笑顔で穏やかな話をする二人。
少しでも緊張を和らげようとするそれを咎める者は居なかった。

ヨシュアの案内で入った通用口は本当にひっそりとした場所にあった。
こんな所に扉があるなんて王宮に詳しくないと分からないだろう。
正門の方は喧噪が響いており、陽動が効いているようだ。
こちらは本当に手薄で、幾らかの見張り兵は居たが、思いもよらない場所から現れたエイリーク達に虚を突かれ、ろくな抗戦も出来ないまま次々と倒されて行く。

ふと宝物庫らしい部屋の前を通りかかった時、扉が開いている事に気づいたラーチェルが何気なく中を覗き込む。
その瞬間、弾かれたように突入して行った彼女をエルゥは慌てて追い掛けた。


「ラーチェルどうしたの、一人で行っては危険よ!」
「まあ、こんな所に居ましたのねレナック!」


宝物庫の中には、どこかで見た覚えのある軽薄そうな若い男。


「げ、ラーチェル様……」
「何ですのその反応は。全く迷子になるなんてしょうがないですわね。さ、行きますわよ。今度は迷わないようしっかり付いて来なさい」
「いやだから俺はドズラのおっさんと違って雇われなんですよ。ルネスまでの護衛って仕事はちゃんと果たしたはずでしょ? まあその後も、報酬も貰えずあちこち引っ張り回されましたけどね……」


彼がラーチェルお付きのドズラの名前を出した事で思い出した。
カルチノ共和国の貿易港キリスでラーチェルと一緒に居た男だ。
この会話の雰囲気からしてやはり彼は道に迷った訳ではなく、自分の意思でラーチェルの元を離れた事が分かる。

善行はお金を得るよりも尊くて素晴らしい事ですのよ、更なる正義の為にわたくし達と共に悪しきグラドを打ち倒しましょう、
なんて自分と全く価値観の違うラーチェルの話にうんざりしたか、若い男……レナックは標的をエルゥに変えて来た。


「こんな所に飛び込んで来たからにはあんたら軍隊なんだろ? なあ、俺を雇わないか? 今なら一万ゴールドだ」
「一万、って……」
「どんな扉や宝箱の鍵でも開けてみせるぜ。剣だって使える。どうだ、役に立つだろ?」


人の世にあまり慣れておらず金銭感覚には疎いエルゥだが、それでも一万ゴールドがかなりの金額である事は分かる。
大事な軍資金、しかも大金を勝手な判断で使ってしまう訳にはいかない。


「ちょ、っと、私の一存じゃ決められないかな……というか、鍵開けが得意な仲間ならもう居るから……」
「いや、待ってくれ。じゃあ9980ゴールド、それでどうだ!」
「レナック、いつまで遊んでいますの!? 早くイシュメア様を救い出すのですわ!」
「……」


ラーチェルの声が響いた瞬間、レナックは別人のように項垂れる。
どうにも彼女には勝てないらしい。
かなり振り回されて来た事が窺える彼の態度が少々哀れに思え、エルゥはちょっと慰めてあげた。


「えっと。すぐさま一万ゴールドなんて無理かもしれないけど、後で指揮官に話してみるわ。お給金はちゃんと貰えるようにしてあげるから」
「……あんた、良い人だな。あのケチな聖王女様とは大違いだ………」


本気で感心したように言うレナックに、苦笑するしかないエルゥだった。



やがて陽動をしていたフレリア軍が正門を完全に掌握した。
そこからなだれ込んで来た彼らにグラド兵達が次々と敗れて行く。
エイリーク達が別所から侵入したという情報が遅れて入ったのも効いたようだ。
指揮系統が乱れ、訳も分からぬうちに同士討ちするグラド兵まで現れていた。

ヒーニアス達とも合流し、一行は玉座の間へ。
一番に飛び込んだのはここまで案内してくれたヨシュアで、彼は壮美な玉座の元に居る男に真正面から対峙した。
その姿を見た男が驚愕に目を見開く。


「あなたは……まさか……!?」
「カーライル、なぜ血迷った。誰より忠実だったお前が女王を敵に売り渡すなど……」
「違う。私は……、あの方が欲しかった」
「……!?」
「あの方が悪いのです。あの方はあまりに美し過ぎた。二十年前、初めてお会いした時に心を奪われてから、私はずっと……騎士として決して口にしてはならぬと自分を戒めながら……」
「だからグラドに寝返ったというのか? 今になって何故だ」
「あるお方に尋ねられたのです。本当にそれで満足なのかと。私はその言葉に触れて自分の気持ちに気付かされた。ひたすらに自分を殺し、想いを打ち明けられぬまま死んで行く……。そんな虚しい思いはしたくない。私は決めたのです。自分の思いに従いあの方を奪うと」


なぜこの男と旧知のような会話をしているのか、あるお方とは誰なのか、気になったが決して割り込めない空気を感じて誰もが黙り込んでいる。
男……カーライルと呼ばれた彼に先頭で対峙するヨシュアの顔は仲間の誰にも見えないが、声は怒りとも悲しみともつかぬ色を含んでいた。


「それで女王が喜ぶと思うのか? 国を傾け、民を戦わせて……」
「国などいりません。民などどうなろうと構わない。私はただイシュメア様さえ居て下されば……」


これ以上の問答は無用だと思ったか、ヨシュアが剣を構えた。
カーライルも同じく得物を手にしてヨシュアに対峙する。
何も言われなくても、この戦いに水を差そうとする者は居なかった。

先に仕掛けたのはヨシュア。
一気に踏み込んだ斬撃をカーライルは受け止める。
お互いに素早さを武器にした戦法を得意とする二人。
相手を伺いながらの攻撃はやがて目で追うのも疲れる程の剣戟へと発展する。

拮抗する勝負はやがて、ヨシュアの突飛な行動で決した。
それまで一心に剣を振るっていた彼が、突然姿勢を低くしてカーライルの足を蹴った。
バランスを崩した瞬間を一秒たりとも違えず、低姿勢の位置から剣を突き上げカーライルの心臓を貫いたヨシュアは、吐血した彼から剣を抜いて倒れ伏した姿を見下ろす。


「……こんなみっともない戦い方を覚えた事、お前は嘆くんだろうか。俺も生きるのに必死だったからな。でもお前から学んだ剣術はいつも側にあった。俺がこうして生きていられるのはお前のお陰なんだぜ、カーライル」


その声音に含まれていたのは親しみと寂しさ。
誰もが何も言えずに立ち尽くしていたが、ヨシュアが振り返って場を動かした。


「女王を探そう。地下に祭壇があるんだ、監禁されているかもしれない」


こっちだ、と再びヨシュアが仲間を導く。
付いて行く仲間達の後を追おうとしたエルゥは、エイリークが事切れたカーライルを立ち尽くして見ている事に気付いた。


「エイリーク、どうしたの?」
「エルゥ……私は、この方を心から憎む気にはなれません」
「え?」
「彼の行いは許されないでしょう。ですが女王への気持ちは純粋で本物だったように思います。気になるのは彼が言っていた、“あるお方”の事……」


彼の純粋な想いを利用した者が居る。
真に許せないのはその人物なのではないか。エイリークはそう言う。


「……そうかもしれないわね。彼は許されない、けれどそれ以上に……」
「エイリーク?」


突然、エルゥが聞いた事の無い声がした。
しかしその声を聞いたエイリークは驚きに目を見開き、勢い良く振り返る。
騎士達は残党の処理へ向かい、ヨシュア達は地下へ行ってしまった。
玉座の間に居るのは既にエイリークとエルゥの二人だけだったが、そこには薄紫の髪の穏やかそうな人物の姿があった。
彼は一歩引いて立ち去ろうとしたが、そうさせないうちにエイリークがすぐさま駆け寄る。


「待ってリオン! 逃げないで! ずっと会いたかったんです……!」
「あ……」


リオン。
彼がグラドの皇子だと知り、エルゥはどうすべきか迷った。
エイリークの友人で優しい人物だとは聞いたが、一応 今は敵国の皇族だ。
彼自身がエイリークに害を成す気は無くても、部下の誰かが、とは考えられる。
しかしエルゥが迷って動けない間に、エイリークはリオンの側へ行ってしまった。


「兄上も私も、あなたの事をとても心配していました……。リオンの優しい性格は私達が一番良く知っています。あなたはこのような戦、反対なのでしょう? どうか何があったのか話して下さい」
「ごめん……エイリーク。僕もずっと君達に会いたかった。会って二人に謝りたかった。ルネス侵略を止められなかった事……。でも今はまだ話せない」
「……何か訳があるのですね」
「うん。いつか必ず全部 君に話すから……」
「分かりました、あなたを信じます。会えただけでもほっとしました。リオンが昔と変わらないリオンのままで居てくれて……」
「エイリークも変わらないね。……いや、変わったかな。前よりもっと綺麗になったよ」


微笑んで言うリオンに、エイリークは恥ずかしくなって顔を俯けた。
大事な親友……それだけだったのに、急に異性を意識してしまう。
リオンの方も恥ずかしかったのか、頬を薄く朱に染めている。

そんな二人が初々しくて微笑ましくて、ついクスリと笑ったエルゥ。
そこでようやくリオンがエルゥに気付いたらしい。
離れた所に居るエルゥを不思議そうな目で見て、エイリークに訊ねる。


「あの人は?」
「彼女はエルゥ、闇の樹海に暮らす竜人です」
「竜……闇の樹海の……」
「なんでも竜族長のご息女だそうですよ」


そこで一礼したエルゥだったが、ふと、背筋をゾワリと嫌な感触が伝った。
ほんの一瞬で収まったものの、その感覚には覚えがある。


「(どうして……? 今、確かに……)」


エルゥがそうして悩んでいる間、リオンは彼女に聞こえないようこっそり耳打ちする。


「エイリーク、あの人をあまり信用しない方が良いよ」
「えっ……リオン、どうしてそんな事を言うんです? エルゥはずっと兄上や私を助けて下さいました。竜だからって何も恐い事はありませんよ」
「……そう」


こっそり話しているつもりなのかもしれないが、耳の良いエルゥには全て聞こえてしまっていた。
なぜ彼は初めて会ったばかりのエルゥを信用できないと断言したのか。
やはり竜と聞いて魔物のようなものだと判断し、危険だと思ったのだろうか。

訊ねる事が出来ないまま、リオンはエイリークから離れた。


「ごめん、僕はもう行かなきゃ。でもこれだけは憶えておいて。僕が無力なせいでこんな戦争が起きてしまったけど……。僕はずっと君の味方だから……」


それを告げると、リオンは転移魔法を使いこの場から消え去った。
ほんの短い再会だったけれどリオンの真意を確認できて良かった。
そう思ったエイリークがリオンの消えた地点を名残惜しそうに見ていると、先に行ったラーチェルが戻って来た。


「二人とも何をしていますの? イシュメア様が見付かりましたわ」
「本当ですか? それで女王陛下はご無事で……?」


エイリークが訊ねるとラーチェルは悲しそうに顔を歪め俯いてしまった。
心臓が一つ大きく跳ねて、エイリークは彼女の案内で急ぎ地下へ向かう。

エルゥは一歩もそこから動く気になれず、ただ立ち尽くしていた。
先程のリオン皇子から感じた感覚は、間違い無く自分が良く知るもの。
それがどうしても気になって……胸が苦しくなり息すら上手く出来ていない気がした。
あれは、あの背筋が凍り付きそうな程の感覚は。


「……ま、魔王……?」


人が良さそうなリオン皇子から何故そんな感覚を受けたのか。
そんな訳は無い。あの皇子が魔王である筈が無い。
そう思おうとしても、残った力の痕跡は間違い無く魔王のもの。
彼が転移魔法なんて高度なものを使ったので、目に見える訳ではない魔力の痕跡が強く残ってしまっている。


「(苦しい……今 竜化したらまずいわね。まあ戦いは終わったから化身する必要も無いか)」


詰まった息を吐き出すかのように一つ深呼吸し、エルゥはエイリーク達の後を追った。

少々迷ってから辿り着いた地下祭壇。
焚かれた篝火だけが頼りの仄暗い部屋の中、エイリーク達が倒れた女性と、それをしゃがんで抱いているヨシュアを見つめていた。
彼女がイシュメア女王……なるほど、ラーチェルが絵画のように美しいと言っていたが、まさにその通り、カーライルが心奪われるのも理解できる。
しかしそれよりも目を引いたのは、倒れているせいで床に流れる真っ赤な長髪。
女王を抱いて手を握るヨシュアの髪と全く同じで、瞬時にエルゥは合点がいった。

ラーチェルの時といい最近は仲間の隠された身分がよく明かされる。
城の事に詳しかったのも、女王の騎士らしいカーライルと旧知のような会話をしていたのも、彼がこの国の……ジャハナの王子である事が理由だ。

どうやら女王は既に事切れてしまったらしい。
誰もが黙り込み神妙にしていたが、当のヨシュアが立ち上がり、明るい声で言った。


「さて、バレちまったらしょうがない。俺はこの国の王子だ。十年以上前に国を飛び出した、ろくでなしの、な」
「……どうして出て行ったのですか?」


エイリークの質問に、ヨシュアは少しだけ俯いた。
彼は窮屈な王宮の暮らしになじめず、置き手紙を残し身一つで出て行った。
王宮の中に居たのでは民の心は分からない。身分を捨て民として諸国を巡り、王となるに相応しい力をつけたらジャハナへ戻ると。


「今にして思えば俺は随分と幼稚で愚かだった。どんな理由を付けようが、政にかまけて俺を見てくれないと、母に反発して拗ねてただけさ」
「……」
「だが、この十年は俺に沢山の事を教えてくれた。王宮に居ては分からない民の思いを、あるべき国の姿を知る事が出来た。王宮を出たのは無駄じゃなかった、が、母上を救えなかったのが唯一にして最大の心残りだ。だからせめて……遺志を継ぎたい。国を愛し、心血を注いだ母上の想いを」


ヨシュアは祭壇の奥へと歩いて行く。
そこには石で蓋をされた櫃があり、それを開けて中から二つの武具を取り出した。

氷剣アウドムラ、風刃エクスカリバー……双聖器だ。
かつて古の大戦で魔王を屠った英雄達の武具。
受け継がれるそれを手にした瞬間、彼はジャハナの王となった。


「エイリーク、エクスカリバーはあんたに預けるから、相応しいと思う人物に渡してくれ」
「よろしいのですか?」
「見ての通り魔道書だ、どうせ俺は使えない。グラドを倒してジャハナを、世界を守るまでは誰か使える奴に使って貰った方が良い。ただ、だいぶ熟練してないと難しいから、まだ使える奴は居ないかもしれないが……」
「えっと、それでしたら……」


視線を彷徨わせたエイリークが、地下祭壇の入り口付近に居たエルゥに気付く。


「エルゥ、あなたはこの魔道書を使えますか?」
「あー……それは理魔法みたいね。私の専門は闇魔法だから無理だわ。サレフにでも声を掛けてみたらどうかしら」
「分かりました。後でお話ししてみます」


そこで話題が終わった事に、エルゥはホッとする。
これであの双聖器がサレフの手に渡れば願ったり叶ったりだ。
強力な武具を渡しておけば、いつか自分が父の跡を継いだ時に殺して貰い易くなる。
何にせよ自分はあれを使えないのだから。

ヒーニアスが王となったヨシュアに、ジャハナへの親書を渡す。
共に戦おう、とのヒーニアスの言葉に迷わず頷いて握手を交わした二人。
これでルネス、フレリア、ロストン、ジャハナと、大陸の4国が揃った事になる。
これを知ればきっと兄エフラムも喜んでくれるだろうとエイリークは笑顔で二人を見るが、その心の奥には、決して口には出せない想いを抱えている。


「(出来る事なら……リオン、あなたとも同じ道を歩んでいたかった)」


エイリークがそうして親友に想いを馳せた瞬間。
地下への階段をフレリアの伝令兵が転げ落ちそうな勢いで下って来た。


「大変です! 王宮の各所から火の手が上がっております! お逃げ下さい!」
「なに……!?」
「前もって油が撒かれ松明が仕掛けられていた模様! 先程の戦いのさなか、何者かが工作したものかと……」


言っている間に煙が少しずつ入り込んで来た。
息が苦しくなりそうな程の熱気を感じるのも気のせいではないだろう。
ここは地下、もし火の手が回れば逃げ場は無い。
ゼトがエイリークの手を取った。


「エイリーク様、お早く脱出を」
「分かりました、行きましょう皆さん!」


次々と地下祭壇を出て行くエイリーク達だが、ヨシュアは最後まで残り、もう動かない母を悔しげに見ていた。
とても連れて行く余裕は無い。
立派な葬儀は無理でも、せめて丁寧に弔いたかった。
母を置いて立ち去る為の一歩を踏み出せないヨシュアの腕を、エルゥが掴む。


「ヨシュア何をしているの、早く逃げないと……!」
「……分かってるさ。お許し下さい、母上」


最初の一歩さえ踏み出せれば、後は導かれなくとも自分で逃げられる。
母の遺志を継ぐと決めたからにはここで死ぬ訳にいかない。
後ろ髪を引かれるような思いを振り切り、ヨシュアは地下を、母の側を脱した。



「お兄様、エイリーク! 無事でよかったぁ!」


王宮を出たエイリーク達を真っ先に迎えたのはターナ。
フレリア精鋭の面々と一緒に居たようで、先に脱出していたらしい。
エイリークは彼女の無垢な顔を見て心の底から安堵した。


「心配かけてごめんなさい、ターナ。逃げ遅れた人はいない?」
「ええ、ちゃんと全員いる。後はエイリーク達だけだったの。もう少しで王宮の中に戻るところだったわ」


犠牲者が居なかった事で、これで終わったと思っているのだろう。
しかし呑気な妹と違いヒーニアスは苦い顔をしていた。


「……すぐに兵を纏めるぞ。敵が来る」
「え? お兄様、もうジャハナを襲っていたグラド兵は倒したでしょう?」
「この状況で王宮に火を放った。我々を燻り出し、そこを叩くつもりなのだ」


果たして、その予測は現実のものとなる。
グラド軍の増援がこちらへ向かっていると報告が入って来た。
相手は帝国将軍ヴァルターとケセルダの二軍。
エフラムがグラドを攻めているというのに、帝都の守りを捨ててまで来たというのか。
それとも既に……? エフラムが勝っていても負けていてもおかしくない。

ハミル渓谷から激戦の連続で、強力な軍を二つも相手する余力は残っていない。
王宮が無事であれば篭城戦を行い回復しながら迎撃できたのだが……。
こうなっては一時撤退するしかなかった。



ジャハナは町から離れる程に街道が頼りなくなって行き、すぐさま砂漠に埋もれてしまう。
撤退中のフレリア軍の足は砂に取られ、進軍速度がどんどん落ちて行く。
休もうにも砂の海の上では木陰の一つも無かった。
エルゥはちらりと目をやったエイリークが、虚ろな目をして歩いている事に気付く。
ゼトは今、兵の統率や伝令の確認に行っていて側に居ない。


「エイリーク」
「……」
「エイリーク、しっかり!」
「っえ……! あ、エルゥ……」


かなり朦朧としていたようだ。
無理も無い、昼間の砂漠は尋常ではない程の暑さ。
寧ろ“熱い”と言った方が正しいような気さえする。


「大丈夫? ちょっと休んだ方が良いわ」
「平気です。辛いのは皆、同じ事。私は一応フレリア軍の指揮を任されています。そんな私だけが休む姿を見せる訳にはいきません。状況はどうなっているでしょうか」
「今ゼトが確認に行っている筈よ。もうすぐ戻って……」


言っているとゼトが戻って来た。
大抵ポーカーフェイスの彼だが、今は強張ったような表情をしている。
その顔と雰囲気からして拙い状況である事は容易に想像できた。


「ゼト、状況を教えて下さい」
「……ロストン聖騎士団は壊滅した模様。グラド軍の追撃は間近まで迫っております。エイリーク様、我々が食い止めている間にどうかお逃げ下さい」
「……!?」


ゼトの言葉にエイリークは目を見開く。
ラーチェルと共にロストンへ逃れれば手厚く保護してくれるだろうと彼は言う。
それは出来ない、とエイリークが言う前に、ヒーニアスが割り込んで来た。


「ターナも共に連れて行ってくれ。エルゥ、君に頼まれて貰いたい」
「私ですか?」
「君が竜化すればエイリーク達を乗せる事は造作ないだろう。我がフレリアの天馬騎士を囮にすれば、一気に振り切る事も可能ではないか?」
「……出来るか出来ないかで言えば、出来ます。しかし……」


エルゥはエイリークを見た。
彼女は先程の朦朧とした様子を捨て、意思の強い瞳で凛とした声を放つ。


「逃げる事は出来ません。私はルネス王女として、最期まで戦ってみせます。それに……ここで諦めたら、兄上に叱られてしまいます」
「よくぞ仰いましたわ!」


いつ側に来ていたのか、ラーチェルの声が割り込む。
彼女は平素通り自信に満ちた瞳を星のように輝かせていた。


「わたくしはロストンの聖王女ラーチェル! 正義の使者として悪のグラドに負ける訳には参りません!」


そのいつも通りの様子に、エイリークは知らず笑みを零していた。
だいぶ心が軽くなったような気がする。
エイリークもラーチェルも逃げる気は無い。きっとターナも同じだろう。
それにエルゥには懸念があった。
先程リオンから感じた魔王の力の影響により、竜化してはまずい状況にある。
今 竜化してしまえばとんでもない事になる危険があった。


「ごめんなさい、調子が悪くて今は竜に化身できないんです……。けれど私も戦います。こんな所で諦めていられませんから」


エルゥがそう言った瞬間、伝令の天馬騎士が舞い降りて来る。
ついにグラド軍が現れた。
西にケセルダ率いる部隊、南にヴァルター率いる部隊。
砂漠の中での過酷な戦いが始まった。

誰もが暑さによって体力を消耗させられている。
グラド軍も同じだと信じたいが、連戦していたこちらとは体力の消費量が違うだろう。
敵の剣を避けた瞬間、砂に足を取られてバランスを崩したエルゥ。
そこに追撃が来て咄嗟にサレフが魔法を放ち倒してくれたが、足を浅く裂かれてしまった。


「エルゥ様、お怪我を……!」
「大丈夫よサレフ、このくらいなら平気……」
「まあエルゥさん、足から血が出ていますわ!」


ラーチェルがやって来て、エルゥの足を杖で治療する。
この激戦の中では彼女の回復魔法がいつも以上に有難い。


「ありがとうラーチェル。でもあなたはもっと後方にいなくちゃ」
「いいえ。皆さんが敵と真っ正面から戦っているのです、危険を承知で側で癒やさなければなりません。……散って行った聖騎士達も、癒やしてあげたかったですわ……」


そこで先程ゼトの報告に、助けに来てくれたロストン聖騎士団が壊滅したとあったのを思い出す。
彼女が逃げようとしなかった理由の一つにそれがあるのだろう。
王女として、自分達の為に散って行った者の死を無駄にはしたくないと。


「……エイリークは無事かしら。よりによって、あのいけ好かない男の所へ行くなんて……」
「エルゥさんがそのように嫌悪を露わにするなんて珍しいですわね」


エイリークは、ルネスとフレリアの精鋭達を連れて南のヴァルター軍へ向かった。
彼女がそちらへ行った理由は思い当たる。
聞いた話によるとルネスが陥落した際、真っ先にエイリークを追い掛けて来たのはヴァルターだったらしい。
ルネス王ファードはヴァルターに殺された可能性が高いだろう。
殺されたグレン将軍の弟であるクーガーもそちらへ行ったというし、つくづくあちこちに因縁を作る男だ。

そこまで考えて、ふとエルゥは隣のサレフが苦い顔をしている事に気付いた。
あまり表情の変わらない彼だが、これは何かを悩んでいる顔だ。


「サレフ? 何か気になる事でも?」
「……先程の剣士、何故エルゥ様の足を狙ったのかと」


言われてエルゥも、おかしい事だと気付く。
殺すつもりなら下半身より上半身を狙った方が良い。
一撃でも重いものを受ければたちまち絶命してしまう急所が山ほどある。
しかし先程の剣士はエルゥの足を狙った。
まるで生け捕りにでもしようとするかのように。


「エルゥさんが伝説の竜だと知って利用しようとしたのでは? ご安心くださいまし、あなたをグラドになど渡しませんわ!」
「(……そういう理由だと、いいんだけど)」


リオン皇子から魔王の痕跡を感じた以上、警戒しておかなければならない。
もし本当にあの皇子が魔王の力を持っているのだとしたら。


「サレフ。後でエイリークから双聖器のエクスカリバーを受け取っておいて」
「……エルゥ様」
「時間が迫っている気がする。準備はしておかなくちゃ」


自分を、このエルゥを殺す準備を。
残酷なその命令を遂行する事をサレフに覚悟して貰わねばならない。



更に西へ進むとケセルダ率いる部隊の本隊がある。
周囲には斧兵や魔道兵など様々な兵種の敵が居た。
気力を振り絞って相手していると、敵兵が減って途切れた空間、ヨシュアが誰かと対峙している事に気付いた。
人相の悪い大柄な男……きっと彼がケセルダだ。
二人は戦い始めるでもなく何か呑気な様子で話していたが、ヨシュアが放った一言にエルゥは息を飲んだ。


「母上を殺したのはお前だな?」
「ああ」


何一つ悪びれる様子も無く、ケセルダはあっさり頷いた。
エルゥは思わず立ち止まって会話に耳を傾ける。


「聖石を渡そうとしないもんでな、渡せば命は助けてやったってのに。なあヨシュアよ、俺を恨むなよ? 戦やってりゃしょうがないじゃねえか。いちいち根に持ってたら仕事なんざ出来ねえだろ?」
「そうだな、お前の言う通りだ。なあケセルダ、今から俺はお前を斬るんだが、恨むなよ?」
「ハッ、変わってねえなヨシュア! いつか決着つけようと思ってたんだ、ここでてめえを倒してジャハナは俺が頂くぜ。俺は傭兵なんてちっぽけな存在じゃ終わらねえ、必ず王になる!」
「……お前も変わってないな、その夢。酔っ払うと必ず言い出して、笑う奴を片っ端からぶちのめして……あの頃は結構楽しかったぜ」


そこで会話は終わり、二人は武器を構えて戦闘を始めた。
内容から察するに彼らは傭兵として共に戦った事もあるのだろう。
カーライルといい旧知の者との戦いが続いているが、ヨシュアは大丈夫だろうか。

敵が減って来たからか、ヨシュアの方をちらちら気にしてしまう。
母の仇討ちを必ず成し遂げて欲しい、の、だが。
彼らの周囲には魔道士……グラド兵が居た。
ケセルダの戦斧を避けた瞬間、敵魔道士の炎魔法がヨシュアに放たれる。
すぐに気付いてなんとか避けるヨシュアだったが、周囲では相変わらずグラド兵が隙を窺っていた。

カーライルと戦っていた時とは違う。
あの時は二人の間に流れる空気にただならぬ物を感じ、誰も余計な手出しはしなかったのだが……今、周囲はグラド兵だらけ。
感傷を汲み取って手を出さない、なんて気を使ったりしない。
それならば、ヨシュア自身に片をつけて欲しいなど言っていられないだろう。
彼が死ねばジャハナは事実上 滅んでしまうのだから。

再び周囲の敵魔道士が魔法を放った。
これも辛うじて避けたヨシュアだったが、その先にはケセルダの斧。


「あばよヨシュア!」
「……!」


今にもケセルダの斧がヨシュアの命を断ち切ろうとした、その瞬間。
ケセルダの体をどす黒い闇が覆い尽くした。


「っがあぁっ……!?」


周囲にはグラドの魔道士などケセルダが率いる者達しか居ない。
思わず視線を彷徨わせたヨシュアは、離れた所でエルゥが魔道書を構えているのに気付く。


「ち……くしょう……あと少しで……王座に……手が……」


高い魔力を持つエルゥが放った闇魔法をまともに喰らい、最後まで足掻きながらケセルダは命を落とした。
将が敗れた事に周囲の敵兵達が浮き足立ち、そこをフレリア軍に叩かれる。
もう自分が手を出す事は無いだろうとエルゥはヨシュアの方へ歩いて行った。
彼女の手には、遠くから敵を攻撃できる遠距離用の闇魔法がある。


「遠距離魔法を放ったのか……ケセルダの奴も最後に油断したみたいだな」
「仇を倒してしまってごめんなさいね」
「いや、いいんだ。まあ母上の仇討ちという気持ちはあったが、寧ろ……」
「え?」
「……何でもない。忘れてくれ」


そう言って微笑んだ彼の瞳の奥に、意外と憎しみが宿っていない事にエルゥは気付いた。
もちろん母親の復讐をしたいという気持ちはあっただろうし、その気持ちは全く間違っていないと思う。
しかし彼はそれ以上に『ジャハナを守りたい』という気持ちで戦っていたらしい。
結果としてやる事は同じでも、想い一つで振るう剣の意味はだいぶ変わる。


「あなたはジャハナ王に相応しいわ。あのケセルダなんかよりずっと」
「よしてくれよ。……なんて言っても、これからはそう言われる存在じゃないと駄目な訳か。だが暫くは今のままで居させて貰うぜ」


そう言って笑ったヨシュアにエルゥも笑顔を返す。

……その時、南方がにわかに騒がしくなった。
エイリーク達がヴァルターを打ち倒したのかと思ってそちらを見ると、ペガサスナイトのヴァネッサがやって来た。


「報告します。南方よりエフラム様が御帰還です。エイリーク様率いる隊と共にヴァルターを撃破なさいました」
「エフラム……!」


信じる人が戻って来た。きっとミルラも一緒の筈だ。
待ち望んだ希望達に会いに、エルゥは軽い足取りでエフラムの元へ向かった。





−エフラム編に続く−


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