聖魔の娘

静寂そして喧噪
▽ エイリーク編7章 静寂そして喧噪


魔物の群れを退けポカラの里に辿り着いたエイリーク達。
すっかり夕暮れになった山脈の隠れ里、茜色に染まるその場所は、質素な建物がまばらに建つ小さな集落だった。

サレフが先導して向かう先には一人の老婆。
頭までをすっぽりと覆うローブを身に纏い、腰は曲がり顔も手も皺だらけ。
だがその小さな体に確かな威厳を感じる。
彼女がユアンの言っていた“大婆様”で、里の長。
深くこうべを垂れるサレフとユアンの間をすり抜け、エルゥが進み出た。


「大婆、久し振りね」
「竜人様! よくぞご無事で……!」
「私もミルラも無事よ。心配をかけてごめんなさい」
「滅相もございませぬ。これも我らの不徳の致すところ……」
「もう、相変わらず真面目ね。サレフそっくり。ところでこの人達なんだけど」
「待って下さいエルゥ。自分でご挨拶します」


紹介しようとしたエルゥを遮り、エイリークとヒーニアスが進み出る。
名を名乗り身分を明かして、急を要する旅で里を通らせて欲しいと頼んだ。
大婆は少々考え込み、試すように口を開く。


「ふうむ……わしら里の民は竜人様に仕える身、俗世には染まらぬ。この里に来たからには王族も奴隷もみな同じ。身分など関係の無い扱いだが、それでも良いのかね?」
「承知した。我らは郷に従おう」


ヒーニアスがすぐさま返答し、エイリークも異存なく頷く。
それならば全員里の客人だと大婆は歓迎の姿勢を見せた。


「怪我をしている者には岩ゴケが効く。すぐに処方してやろう。何も無い所じゃが寝床と食事ぐらいは用意できる。好きなだけ休んでお行き」
「いえ、通らせて頂ければそれで構いません。ご迷惑をお掛けする訳には……」


エイリークの一団はそれなりの大人数だ。
こんな人数で質素な里にお邪魔する訳にはいかないと遠慮するエイリークだが、エルゥはそれを笑顔で制する。


「遠慮しないでエイリーク、あなた今にも倒れそうよ。高い山に慣れていない人が無理をして歩き回ると具合が悪くなるの。もう日も暮れるし、せめて一晩くらいは休んで行かないと。大婆、エイリークや症状が出ている人に薬草茶を用意してあげましょう」
「ええ、すぐに。……娘子、他の仲間も疲れておるようじゃ。急いては事を仕損じるぞ。このような山に登ってまで成し遂げねばならぬ事があるのだろう?」
「……分かりました、お言葉に従います。えっと……」
「わしの事は大婆と呼んどくれ。里の者は皆、そう呼ぶ」
「はい、大婆様」


素直なエイリークの返事に、大婆は嬉しそうに目を細めた。
孫娘でも見ているような気分になっているのかもしれない。

ようやく本格的に休めるとあって、誰もが安堵の息を漏らしていた。
里には何も無い。代わりに全て吸い込んでしまいたくなる清らな空気が満ちている。
具合の悪い仲間への薬草茶作りを手伝い終えたエルゥに、エイリークが声を掛けて来た。


「あの、エルゥ。少し訊きたい事があるんです」
「どうしたの急に」
「竜について、私はあまりにも無知です。あなた方の事、昔の事……。もし差し支え無ければ教えて頂けませんか?」
「うーん……自分の事を話すのは照れ臭いわね。大婆に訊いてみたらどうかしら。きっと教えてくれるわ」


照れ臭いだけでなく後ろめたさもあるのだが、それは言えなかった。
エルゥは通り掛かった大婆とサレフに事情を説明した。
大陸の事ならばとヒーニアスも同席し、竜の話を聞けそうだとあって目を輝かせたラーチェルもやって来る。
大婆は感心して息を吐いた。


「若いのに感心な者達じゃ。無知は恥ではない。真の恥は無知であるのに有知と思い込む事、無知である事を知ったのに恥じぬ事こそが恥」


一息おいて、大婆は語り始める。
エルゥたち竜人様とは昔から人間を守ってくれている存在。
古の時代、魔王がこの地に現れた時も人間に力を貸し、その加護があったからこそ人間は魔王に打ち勝てたのだと。
人間達の間にそんな話は伝わっておらず、五人の英雄が主力となって戦い、五つの聖石の力によって魔王の力を封じ、英雄グラドがとどめを刺して戦いを終わらせたと……人間の事だけ。
その話を聞いた大婆は嘆かわしそうに首を振った。


「人間は自分の都合の良いように歴史を残すでのぉ……。そうして人間達がご恩を忘れてしまってからも、エルゥ様達は闇の樹海で魔王の骸を見張り、そこから湧き出して来る魔物が外へ出ないよう防いで下さっておるのじゃぞ」
「そうだったのですか……エルゥ、私達は何も知りませんでした。ごめんなさい」
「気にしないでエイリーク。確かに私も戦い続けていたけれど、父の功績あってこそよ。私としては、謝罪よりお礼を言って貰えた方が嬉しいかな」
「ふふ、そうですね。ずっと人間を守って下さってありがとうございます」


微笑ましく話すエルゥとエイリーク。
ヒーニアスは黙って聞いており、特に何かを言おうとはしない。
ラーチェルはわくわくした態度を隠そうともせず、胸元で祈るように手を組むと輝かんばかりの羨望の眼差しを向けて来る。


「やはり、やはりエルゥさんの生き様は英雄の理想型の一つですわ! 人知れずとも戦い続け平和を守る……なんと崇高で清き行いですの? もうわたくし目眩がしそうな思いですわ……!」
「……サレフ、彼女に薬草茶のお代わりあげてちょうだい」


わたくしの体調は万全ですわよ? と、疑問符を浮かべるラーチェルに、エルゥの真意は伝わらなかったようである。

その時、それまで黙っていたヒーニアスが口を開いた。


「大婆殿。我々はここへ来るまでに魔物の群れと遭遇した。エイリークの報告によれば我々の住む地にも魔物が現れ始めている。この事態は一体……」
「うむ、南より現れた凶兆のせいじゃ。空を黒く染める禍々しい気配……。それを確かめる為にエルゥ様とミルラ様は樹海を離れ南へ向かわれた。わしら里の者達もご協力しようと、わしの孫サレフが共に旅立ったのじゃ」


しかし戦火に巻きこまれた挙げ句はぐれてしまい、そうしてエルゥはエフラムと出会った。
我々が不甲斐ないばかりに、と改めて謝罪する大婆とサレフだが、あれはもう運命のようなものだったのではないかとエルゥは考える。
きっとああしてエフラムと出会う為、そうして今のようにエイリーク達と行動する為、エルゥ達はサレフとはぐれたのだろう。

サレフが心配そうにミルラの行方を訊ねる。


「エルゥ様、ミルラ様は今、いずこに……」
「彼女はエイリークの兄エフラムと共に居るわ。エフラムはフレリアの正規兵と共にグラド帝国へ進軍しているはず」


何でも無い調子で紡がれた言葉に、大婆とサレフが目を見開く。
すぐグラドへ向かわねばと慌てる大婆をエルゥが制した。


「大丈夫よ二人とも。エフラムは勝ち目の無い戦いなんてしない。彼は優しいからミルラを守ってくれる」
「しかしエルゥ様、その者は最前線に居るのでしょう。いくら守ると口先で誓っても、すぐにそんな場合ではなくなります」
「ミルラ自身がエフラムに付いて行くと決めたの。それにエフラムは絶対に約束を違えないわ。必ず成し遂げる、そういう人だもの」


エフラムへ確固たる信頼を寄せるエルゥに、ポカラの二人よりエイリークとヒーニアスが驚いた。
半月ほど生死を共にしていたとはいえ、出会ってまだ一月程度しか経っていないのに、自分の命より大事なミルラを全面的に預けられる程 信頼を寄せている。
微塵も心配していない訳ではなかろうが、完全に委ね切っている。

エイリークは半身たる双子の兄が、伝説の竜人にここまで信頼されている事に嬉しくなった。
当然エイリークも兄の事を信じている。
きっとミルラを守り抜き、無事に再会できるだろう。

大婆とサレフはエルゥの言葉に押し黙り、反論はしなかった。
信奉する竜人がそこまで言うなら異を唱える訳にもいかないのだろう。
ここからグラドへ向かうならジャハナを通るのが一番近い。
ラーチェルの提案によりサレフも同行する事になった。



その日の晩。
エルゥは話したい事があると言い、一人で大婆とサレフの元を訪ねた。
サレフは疑問符を浮かべているが、大婆は思い当たる事があるのか訳知り顔だ。


「エルゥ様、お話とは……」
「大婆には彼女が里長の地位を継いだ時に教えているんだけど……。サレフ、そろそろあなたにも教えておかなければならない事があるの。とても重大な事」


真剣な顔で告げるエルゥに、サレフも同様の視線を返す。
大婆はそんなサレフに声を掛けた。


「サレフ、これからお前が聞くのは信じ難い事実じゃ。しかしエルゥ様はエルゥ様、それに変わりは無い。……お前はわしに比べるとだいぶ真面目で堅物じゃからの。悩みもするだろうが、エルゥ様の本質を見て差し上げなさい」


何故か大婆の表情や口調が心配そうなもの。
一体これからどんな話をするのか……顔には出ないがサレフの心に動揺が走る。
エルゥはそんなサレフが少しだけ心配になったものの、竜人の自分を慕ってくれている彼が里長の孫である限り、出来るだけ早いうちに言っておかなければならない事がある。
魔物の跋扈に禍々しい気配……時間が無くなって来ているように思えるからだ。


「サレフ、よく聞いてちょうだい。私は……」


そして、エルゥは話した。
自分以外には竜族長のムルヴァと里長である大婆しか知らない重大な事実。
人間は自分の都合の良いように歴史を残すと大婆は言ったが、エルゥも真実を隠して都合よく振る舞っている一人だ。
ミルラでさえ知らないその事実は、竜人を奉るポカラの住人であるサレフに衝撃を与える。


「エルゥ様、それは……!」
「今 話した事は全て事実よ。これを聞いてあなたがどうするかは、あなたの自由。これからも私達 竜人に関わってくれるなら、一つ約束して欲しい事があるの」


サレフを襲った衝撃が抜けるような気配は無いが、エルゥはお構い無しに続きを話す。
一つ深呼吸して自分の心を落ち着けてから、これから話す内容には全くそぐわない、優しい笑顔を浮かべて。


「もし私が父の跡を継いだら、私を殺してね」
「……」
「あなた一人に背負わせるつもりは無いわ。きっとエフラムやエイリーク達も協力してくれる。……手心なんて加えちゃ駄目よ。私の血筋は途絶えさせなくちゃいけないの」


穏やかで、優しくて、美しい微笑み。
その微笑みのまま紡がれる残酷な言葉と約束。
普段ほとんど表情の変わらないサレフは珍しく驚きに目を見開き、言葉を出せずに居る。
大婆はそんな孫を気遣うように、優しく言い聞かせた。


「サレフ……わしも初めて聞いた時はお前のように衝撃を受けたよ。無理も無い。信じていたものが崩れて行く思いなのじゃろう。だが、さっきわしが言った事を忘れるでないぞ」


エルゥはエルゥ。
エルゥの本質を見ろと大婆は言った。
サレフは震えそうになる声を必死で押さえながら、しかし視線と言葉だけは毅然とした態度を見せる。


「エルゥ様、私はポカラの民です。竜人様を信じ続けます」
「ありがとう。まあ、殺して欲しいのは私が父の跡を継ぐ選択をした場合だから」


自分を信じてくれているサレフに辛い思いをさせるのは、エルゥとしても不本意だ。
これからどんな運命になりどんな選択をするかは彼女自身にも分からない。
出来れば生きていたいなあ、なんて贅沢な事を思いながら、美しく輝くポカラの夜空を眺めるエルゥだった。



翌朝、エイリーク達はポカラの里を出発する。
竜人様だけでなくサレフの事も頼む、と言う大婆に、エイリークは微笑ましく頷く。
そこには孫を心配する優しい祖母の姿があった。

ジャハナ側の山道は登りのカルチノ側より幾らかなだらかで、休んだ後と下りなのも相まって一行は軽い足取りで降りて行き、やがてジャハナ北のハミル渓谷へ辿り着いた。
そこへ西の方角から一騎のペガサスナイトが舞い降りて来る。
見れば貿易港キリスでヒーニアスの危機を知らせに来た伝令兵。
彼女はヒーニアスの無事を確認すると心底安心したように胸をなで下ろす。

彼女がフレリア本国から持って来た報せは、フレリア軍がカルチノに進軍し、裏切り者のパブロ率いる傭兵団と交戦中というもの。
長老クリムトの協力もあり、次々と敵を撃破しているようだ。
そしてパブロ一党は南へ南へと撤退し、ジャハナ方面へ向かったと……。


「ジャハナは既にグラド軍の攻撃を受け、激しい交戦状態にあるようです。恐らくパブロはグラド軍と合流するつもりでしょう」
「ジャハナの戦況は?」
「……旗色は……思わしくないようです。このままでは陥落も時間の問題かと」


エイリーク達の雰囲気がぐっと固くなる。
急がねばジャハナの聖石が破壊されかねない。

エルゥは少し離れた所でそれを聞いて、また自分が竜化して先行すれば……と思ったが、少し考えればそれは無茶な事だと容易に分かる。
ジャハナを攻めているのは、ヒーニアス達を助ける時に相手したような傭兵集団ではなく、グラドの将軍率いる訓練された正規兵の筈だ。
一人で行くのは勿論、多数の仲間やフレリアの兵達を置いて行くのは余りに無謀。
竜化したエルゥとて無敵の存在ではない。


「(……グラドの双聖器は……黒斧ガルムと魔典グレイプニルか。持ち出して使っている将軍は居るのかしら?)」


そんな強力な武器まで持ち出されて攻撃されては危ない。
それは大人数で行っても同じ事だろうが、少数よりは良いだろう。

ちなみに伝令兵はエフラムの状況も教えてくれた。
グラドのリグバルド要塞を陥落させ帝都へ向けて進軍しているそうだ。
無茶な真似を……と溜め息を吐くヒーニアスだが、エルゥはそれを聞いて痛快な気持ちになる。


「(エフラムなら遣り遂げてくれるわよ、必ず)」


心の底からそう信じ切っているエルゥは、ミルラの無事だって確信している。
そんなエルゥにラーチェルが馬上から声を掛けて来た。


「エルゥさん、これは正義の戦いですわ! 早いところグラド軍を蹴散らし、女王イシュメア様をお救いしましょう!」
「イシュメア様……その方がジャハナの王様なのね?」
「ええ。白沙の女王イシュメア様。それはそれは絵画のように美しい方で、夫である前国王を亡くされてからお一人で国を治められていますの。王子様も行方知れずのままで、きっとお辛い思いをされていますわ」
「王子様が?」


知らない情報を次々と話され疑問符を浮かべるエルゥに、ラーチェルが声を潜めてこっそりと教えてくれる。
イシュメア女王には一人息子が居たそうだが、ほんの少年の頃に国を出奔してからずっと行方知れずのままらしい。


「自分の意思で出て行ったの……」
「どうもそのようですわ。イシュメア様は再婚もされず、国に心血を注いで来られました。それを見ていて重責に耐えられなくなったのかもしれません」
「……」


跡を継ぐ重責に耐えられず逃げ出した。
ただの想像ですわよ、とラーチェルは付け加えるが、有り得ない話でもないと思うエルゥ。
重責から逃げ出したくなる心当たりはエルゥにもあるからだ。

その王子が今も生きているなら、母と国の危機をどう思っているだろうか。
心を痛めているのか、もう自分には関係無いと知らぬ存ぜぬなのか。
せめて前者なら良いと部外者ながら思ってしまうエルゥ。
そうして辛さに顔を歪めているのを勘違いされたのか、ラーチェルが明るく宣言する。


「エルゥさんのお力と神のご加護があれば心配ご無用ですわ! ロストン聖騎士団到着まで持ち堪えれば わたくし達の勝利です!」
「……ロストン聖騎士団?」


ロストン聖教国はジャハナの隣、大陸の北東部にある国だ。
なぜそんな国の騎士団がジャハナへ向かっている事を知っているのだろう。
戦時中の軍の動きなど機密も機密だろうに。


「ラーチェル? あなたどうしてそんな事を……」
「えっ? ……風の噂ですわ。わたくしの所に来る風は優秀ですの」
「噂って、そんな噂が流れるなんて大事だと思うけど」
「……さあ、エイリークにも教えて元気づけなければ!」
「ちょ、ちょっと!」


あからさまに誤魔化して、ラーチェルはエイリークの元へ。
エイリークもすんなり信じるとは思えないが、グラドと苛烈な戦闘が待っているであろう現状では、確かに勇気づけられる噂だろう。
それが本当ならばこんなに心強い事も無いが……。

ハミル渓谷は、両側を険しい崖を持つ山々に挟まれた地帯。
このまま進めば後退は困難、覚悟を決めなければならない。
エイリークは傍らのラーチェルへ問い掛ける。


「ラーチェル、先程のロストン聖騎士団の情報……信用しても? 本当に到着するのであれば このまま渓谷の奥へ進軍する事も可能ですが……」
「大丈夫です。ロストン聖騎士団は必ず来ます。それまで何とか持ち堪えれば勝利は確実ですわ」


珍しいラーチェルの真剣な表情と声音に、エイリークは進軍を決めた。
急がねばジャハナがグラドの手に堕ちてしまいかねない。
時間を掛ければ掛けるだけ、エイリーク達もジャハナ王国も危険が増す。

渓谷の前方、やや開けた土地にグラド軍は布陣している。
斥候によると重騎士と弓兵が多く、遠くへ矢を飛ばすシューターも備えているとか。
いよいよ本気の戦力の一端を向けて来たようだ。
エイリーク達の接近に気付いたか、シューターが矢を射って来る。
負傷兵はすぐさまナターシャやモルダ、ラーチェルが回復し、ともすれば止まってしまいそうな隊の足並みを必死で進める。
そんな折、背後から伝令がやって来た。


「ご、ご報告します! 後方から敵襲です! パブロ率いる傭兵団のようです!」


息を飲むエイリーク達に、ゼトが進み出て数を訊ねる。
聞けばほんの小隊だけで大した数ではないらしい。
ゼトはエイリークに向き直った。


「エイリーク様、前方の布陣は重騎士が中心で強固です。ここは一旦引いて後方の敵を倒し、体勢を整え直すのも手かと」
「そうですね……」


ゼトの提案に決まりかけた、その瞬間。
エルゥの脳裏に不吉な予感が渦巻いた。
これは……間違い無い、竜族が持つ、害あるものを予知する能力だ。
頭に浮かぶ映像はそれなりにはっきりしている。
後退したエイリーク軍を、パブロ率いる多数の傭兵の本隊が襲う光景。
どうやら今 後方に居る小隊は先行隊で、後から本隊が来るようだ。
そして前方からはグラド軍がやって来て挟み撃ちに……。


「駄目よエイリーク!」
「えっ?」


突然大声を上げたエルゥに、その場に居た者達が驚く。
夢中だったエルゥは一気に注目を浴びた事でビクリと体を震わせるが、緊張している場合ではないと自分を持ち直した。


「見えたの。後方の傭兵隊は先行して来ただけ。もっと後方から本隊が追って来る」
「見えた……まさか兄上が仰っていた予知能力ですか?」
「ええ。後退しては駄目。今のうちに進軍して前方の布陣を崩さなければ、挟み撃ちにされるわ」


エルゥの力はエフラムが随分と信頼していた。
それが無ければ今頃、自分は死んでいるとまで言っていたのだから。
エイリークもレンバール城で手槍から守って貰っている。

ラーチェルが言ったロストン聖騎士団の件など、先程から齎されるのは曖昧な情報ばかり。
正しければ助かる可能性が高い、しかし間違いならば全滅の危険もある。
これを信じるか信じないか……指揮官のエイリークに委ねられている。
少しだけ迷っていたエイリークだったが、自分でも意外に思うほど早く決断が出た。
エルゥを信じ、進軍する。
あの兄があれだけ信頼していたのだから自分も信じたい。


「分かりましたエルゥ。あなたを信じます」
「ありがとうエイリーク! 前方のグラド軍は重騎士が中心なのよね? 一気に打ち崩すには魔法が良いわ。私を先行隊に入れて」
「え……!」


確かに重厚な鎧を纏った重騎士に物理攻撃をしても、鎧で防がれ易い。
魔法の力ならあの鎧も意味を成さないが……。
前方に重騎士、その後ろに多数の弓兵、更に彼らを守るよう展開する騎馬隊。
しっかりと陣形を組んでいるあの集団に突っ込んで行くのは危険だ。
エフラムがミルラを守っているように、エイリークも何となく竜人であるエルゥを守らねば、という気持ちになっていた。
それにそんな危険な行動、サレフが納得しないのでは。

だがサレフも一緒に行くという。
それでもまだ迷っていたエイリークに、やって来たヨシュアが声を掛ける。


「迷ってる時間は無いぜ」
「ヨシュア……」
「あの陣形、間違い無い。隊長はアイアスの奴だ。昔 同じ傭兵団に居た事があるんだがな、傭兵の癖に兵法を学んでる変わった奴だったよ」
「あの陣形に弱点は?」
「時間が惜しい今、有用な策は無い。真正面から力押しでぶつかるしかねぇ。幸いにもこっちには魔道士がそれなりに居るから、不可能じゃないだろう」


こうしている間にもジャハナは陥落の時が迫っている。
背後からはパブロ率いる傭兵隊が追って来る。
エイリークは決断した。


「エルゥ、サレフ、それにルーテとアスレイ! 先行隊と共に重騎士を打ち崩して下さい!」


エルゥ達を守る為、重騎士のギリアムや身軽さを武器にできるヨシュアやマリカが同行する。
他にヘイデン王から借り受けた兵達を連れ、固い陣形を組む敵軍へ向かって行った。
敵の重騎士隊とこちらの重騎士隊が衝突し、競り合っている隙を突いて背後から魔法で攻撃する。
闇魔法を放つエルゥに、側へ寄ったルーテが話し掛けて来た。


「……あなたは私を脅かすライバルですね」
「え、え、何!?」


現在、エルゥ達が居る部隊は敵と激しく衝突している。
前方では重騎士がぶつかり合い、隙を突いて弓兵が矢を射って来るし、左右から魔道士を討ち取ろうと攻めて来る騎兵をヨシュア達が防いでくれていた。
そんな中で魔法を放ちながらとはいえ呑気に話し掛けられ、敵の対処に追われっぱなしのエルゥは上手く応対できない。


「なんという魔力。闇魔法で最下級のミィルを放っているのに、まるでサンダーストームを間近で見ているような……」
「よく聞こえないけど話してる場合じゃないでしょルーテ! 魔法を……放ってるわね」
「私、優秀ですから。お喋りしながらでも敵を討てます。闇魔法は他の魔法より高威力ですが、それでもあなたの魔法は平均を遙かに上回っている。これは見過ごす訳にいきませんね」
「そ、そう! 褒めてくれて? ありがとう!」


尚も何かを言おうとするルーテだったが、そこでアスレイがやって来てルーテを連れて行く。
去り際にこちらを見て申し訳なさそうに頭を下げる彼が少々気の毒だった。

魔道士達を守りながらの戦闘はやや苦戦しており、個々の能力が上回っていても なかなか敵の陣形を崩す事が出来ない。
早くしなければ後方からパブロ達が来てしまう……。

その時、エルゥ達の背後からシューターの矢が飛んで来た。
矢は敵重騎士の守りを飛び越え、その背後の弓兵達を次々と射貫いて行く。
エルゥ達に先行を任せたエイリーク達も遊んでいる訳ではない。
恐らく後方にあったシューターを奪い取ったのだろう。


「好機だ! 一気に突き進め!」


ギリアムが檄を飛ばし、激戦で鈍る進軍速度を急激に上げる。
サレフがエルファイアーを放つと敵重騎士の波に隙が出来、そこへ更に味方重騎士の集団が突き進んで、一気に陣形を切り崩した。
人波がぽっかりと空いた一部分の奥、他より立派な鎧に身を包んだ騎兵が見える。
重騎士のような鎧を纏う騎兵・グレートナイトだ。
恐らくあれが敵将のアイアス。


「彼の周囲が空いている……今しかない!」


エルゥは走り出すと、味方も敵も擦り抜けて敵将の側へ。
強力な闇魔道書・ノスフェラートを構えて魔力を含蓄する。
そして今にも魔法を放とうとした、その瞬間。
エルゥの頭上に突然 影が掛かった。
思わず見上げたエルゥの視界には一騎のドラゴンナイト。
グラドの援軍が来たのかと肝を冷やしたが、その竜騎士は何故かアイアスへ向かって行く。

瞬きの間に状況が一変する程の勢いだった。
飛竜の加速で凄まじい力が込められた槍の一撃が、強固なグレートナイトの鎧すら貫く。
たった一撃で確実に息の根を止めた竜騎士は一度舞い上がり、再び降りて来る。
金色の髪と褐色の肌に、まるで肉食動物のような鋭い眼差しを持つ青年だった。


「あ、あなたはグラドの竜騎士ではないの?」
「俺はクーガー、帝国将軍グレンの弟だ。殺された兄の仇討ちをする為に来た」
「殺された……? あのグレン将軍が殺されたっていうの!?」
「エイリーク王女の仕業だと思っていたが、どうやら俺の誤解だったようだ。犯人は同じ帝国将軍のヴァルター。奴を討てるのなら……俺はグラドを裏切ろうが構わん」


とても大きな和解の芽が摘み取られてしまった。
レンバール城で出会った、あの虫酸が走る程いけ好かない男……あいつがグレン将軍を。
しかし、これはグラドにとっても痛手ではないのだろうか。
恐らくあの男は戦えさえすればそれで良く、国の行く末などどうでも良いのだろうが。
クーガーはエルゥから視線を外して遠くへ目を向けた。
思わずエルゥも彼の視線を追うと、そちらに新たな一団が到着しているのを見付ける。


「あれは……」
「旗印からしてロストン聖騎士団だな。この戦いはあんた達の勝ちだ」


クーガーの言う通り、グラド軍が聖騎士団に気付き泡を食って逃げ始める。
将が討ち取られてしまった事で統率力が無くなったのだろう。
こちらへ駆けて来る救世主の一団を見ながら、エルゥは疲労の溜まった体を休めようと大きく息を吐く。
エフラムと出会ったあの、ミルラを守りながら戦っていた時と変わらない程の疲労だった。





−続く−


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