聖魔の娘

高峰脈々と
▽ エイリーク編6章 高峰脈々と


ラーチェルとドズラを仲間に加え、エイリーク達は更に山を登って行く。
道の険しさは相変わらずだが霧が晴れ、先程の戦いで一段落した気になった一行の足取りは今までより軽い。
やがて前方に質素な家を見付け、ユアンが喜び勇んで駆けて行く。
ノックの一つもせず無遠慮に扉を開けて声を上げた。


「お師匠さまー、こんにちはー!」


しかし返事は無い。
あれ? とキョトンとするユアンの後ろから覗いてみたエルゥだが、中は外観通りに質素な少数の家具があるだけ……不在だ。


「お師匠さま居ないや。また旅に出ちゃったのかな」
「一旦戻ってると思ってたけど……また私達を探しに行ってしまったのかも」


エルゥの言葉に、背後から追い付いて来たエイリークが困った顔をする。


「お留守ですか? いつ戻られるのでしょう」
「心配しないでエイリーク、私が里の人に頼むから。元は私とミルラがはぐれたのが原因なんだし……」
「エルゥ様……!?」


突然、エイリークの背後から男性の声が聞こえた。
聞き覚えのある声にあっ、と反応したのはエルゥとユアンで、エイリークの背後に現れた人影に顔を明るくさせる。


「サレフ!」
「お師匠さまぁ!」


エルゥを見付けたせいか驚いた顔をしているサレフに、二人は駆け寄る。
エイリークも後から歩いて来るが、何故か彼女まで驚いたような顔をしていた。
少し黒に近い灰色の髪をした、気難しそうだがいかにも知的な印象の男性。
エイリークは彼に見覚えがあったのだ。

サレフはエルゥ以外が目に入っていないかのように彼女だけを見ており、すぐ側に来たエルゥの足下に跪く。


「エルゥ様、申し訳ありません。私が力及ばぬばかりに、あなたとミルラ様を危険に晒してしまいました」
「大丈夫だから楽にしてサレフ。私も人の世の見通しが甘かったわ。ミルラは今ここには居ないけど、あの子も無事よ」


エルゥの言葉にホッと安堵の息を吐いたサレフは、再び促され立ち上がる。
すぐにユアンが纏わり付いて来てはしゃぐが、サレフは真顔で引き剥がした。


「よかったぁお師匠さま、まさか居ないなんて思わなかったから……」
「だから来るなと言っただろう。私は留守がちだ」
「えぇーっ」


不服そうな顔をするユアンに溜め息を吐いて視線を反らしたサレフは、エイリークと目が合う。
すると彼もエイリークに見覚えを感じたらしい。
何か考えるような表情を見せたサレフに、エルゥは二人を見比べた。


「あなたは……以前に国境の街セレフィユでお会いしましたね」
「……ああ、あの時の」
「確か人を探していると言っていたようですが、エルゥの事だったんですか」


そうだ、と言葉少なに言うだけのサレフだが嫌な感じがしないのは、彼の持つ清廉な雰囲気のためだろう。
ユアンは自分の発案が無駄にならなかった事に安心したのか、いつもよりも明るく饒舌に感じる様子でサレフに用件を話す。


「あのねお師匠さま、この人たち山を越えて向こうの国に行きたいんだって。それでポカラの里に案内しようと思ったんだ。僕一人でも案内できるけど、お師匠さまも居てくれた方がいいかなって思って」


本当は一人で案内する自信が無かったのでサレフを頼ったのだろうが、少年の微笑ましい強がりにエルゥもエイリークも文句を言うつもりは無い。
サレフは相変わらず気難しそうな雰囲気のままだったが、案外あっさり頷いた。


「良いだろう。今から私も里に戻る。里へ来たければ付いて来るがいい」
「宜しいのですか?」
「我々は敢えて外と交わる事は無いが、外から来る者を拒みはしない。だが里に至る道は険しい。見たところ疲れているようだ。今日は休んだ方がいい」


その提案に、そうだな、と頷いたのはヒーニアス。
山の行軍に魔物との戦いで疲れ切っている兵士達を慮った彼の言葉に従い、兵士達はサレフの家の周囲で夜営をする事になった。
兵士達が夜営の準備をし始めるのを眺めていたユアンが、いい事を思い付いたとばかりに手を叩く。


「そうだ! 僕、先に行って里の大婆に伝えて来る! 急に大人数で押しかけたら里の皆がびっくりしちゃうかもしれないし!」
「あ、待ってユアン! もうすぐ日が……」


暮れかけた空を気にしたエイリークが止めるが、ユアンはそのまま走り出し、木々の間に姿を消してしまった。


「大丈夫でしょうか……」
「ユアンは近辺の土地に慣れている。心配は無い」


心配そうなエイリークに、サレフは何でもない調子で言い安心させようとする。
エルゥは後方に居るユアンの姉テティスに一言知らせに行こうとするが、その時、ヒーニアスがぽつりと呟いたのが聞こえた。


「……懐かしいな」
「ヒーニアス王子?」


独り言に反応されるとは思っていなかったのか、ヒーニアスがバッとエルゥの方を向いた。
また余計な口を出してしまったかな……と後悔しかけるエルゥだったが、何か言わねばと思ったのか、ヒーニアスの方から言葉を続ける。


「困ったものだが、役立ちたいという気持ちは分からんでもない。周りの大人に認めて欲しいのだろう。……昔、そんな子供が居た事を思い出してな」


何となく、その子供とはヒーニアス自身の事ではないかとエルゥは思った。
プライドの高い彼の事、実力が付いて認められるまでは大人から軽く扱われ、何度も悔しい思いをして来たのではないかと。
しかしそれを言えば彼のプライドに係わると思ったエルゥは、彼の今の言葉を素直にユアンへの思いやりだと受け取った。


「優しいんですねヒーニアス王子。意気込む少年の機会を認めてあげるなんて」
「……この近辺は慣れていると言っていただろう。迷惑を掛けられる心配が少ないから放置しているだけだ」


顔を逸らしてしまったヒーニアスに、ひょっとして照れてる? と思ったエルゥだったが、さすがにあまり余計な事は言わない方が良いと学習したのか、それ以上は何も言わなかった。

テティスにユアンの事を知らせると彼女は驚いて後を追おうとしていたが、サレフが言っていた事を教えて何とか引き止めた。
彼女の事はジストとマリカに任せてその場を後にしたエルゥだが、ふと傭兵稼業をしている彼らに思いを馳せてみる。
傭兵は生死を懸けた厳しい職業ではあるが、同様に命を懸ける騎士や兵士よりは自由だと思える。
いずれ誰かの跡を継ぐか継がないか、決める必要も彼らには無いのだろう。


「傭兵か……私も彼らみたいに自由に生きられたら」
「おいおい、いくら自由が欲しいったって傭兵はお勧め出来ないぜ」


突然声を掛けられ、振り返ると傭兵のヨシュア。
赤い長髪と目深に被った帽子が印象的な彼は、コインを弄びながら歩いて来る。


「ふらふらどこへでも行ける身軽さはあるが、そうして身軽な分、命も軽い。無惨な死に方したくないなら やめといた方が良い」
「……ごめんなさい。傭兵は生きる為に仕方なく、って人も多いのよね。軽率な事を言ってしまったわ」
「あー……まあ俺は偉そうに説教できる立場じゃないんでな。あんたみたいな別嬪さんを、死地に送るような真似はさせたくないだけさ」
「ふふ…お上手ね。でも美人傭兵ならテティスやマリカが居るじゃないの」
「あいつらは既に覚悟の上だろうよ。必要に迫られた訳でもないのに、傭兵になろうとするなって事だ」
「ありがとう。でも責任に縛られない人生には少し憧れてしまうのよ」
「……責任、か。竜人様も苦労してんだな」
「父の跡を継ぐか継がないか、私は決断しなくてはならないの。でもそれはとても重い事で……つい逃げ出したくなってしまう」
「……」


ヨシュアはエルゥの言葉を神妙に聞いていた。
なぜ話しているのか、なぜ聞いてくれるのかは分からなかったが、喋り始めたらもう止まらない。


「つまらない愚痴を聞かせちゃったわね。でも全てを投げ出して逃げても、私はきっと寂しくなる。妹や仲間や……父にだって会いたくなるに決まってる。今だって会いたいのに……」
「帰ってやれよ。俺みたいな親不孝になる前にな」


その言葉、ヨシュアは親を捨てて自由の世界に飛び込んだという事か。
色々と辛い事もあっただろう彼に、ずけずけ訊ねようとは思わなかったが。
ヨシュアはそのまま立ち去ろうとしたが、ふと立ち止まるとエルゥを振り返り、コインをちらつかせる。


「なあ。表か裏か、どっちか賭けてみるかい」
「賭け事のお誘い? 私、あんまりお金無いけど」
「単なる運試しだよ。ほら、どっちか言ってみな」
「じゃあ……表」


エルゥの答えを聞き、ヨシュアはコインを弾く。
ピン、と小気味良い音を立てて宙を舞ったコインは、やがて持ち主の元へ。
コインを掴んだ手に被せていたもう片方の手を退けたヨシュアは、大仰な動作で肩を竦めてみせた。


「残念、裏だ。さしもの竜人様も賭け運は持ってなかったみたいだな」
「……あら」
「ま、実際に何か賭けてた訳じゃないんだ。気にすんなよ」


それだけ言い、今度こそ去って行くヨシュア。
しかし後に残されたエルゥは、自嘲するような笑みを浮かべていた。


「……これからの私の運命を祈ってみたんだけど、ね」


単なる運試し、おまじないのような軽いもの。
それは分かっているのだが、やはり悪い結果が出れば気になってしまう。
何よりエルゥは、もう父ムルヴァに会えないであろう事は、分かっていた。
どうにも沈んでしまう気分を、忘れる事で払拭しようとするエルゥだった。



翌朝、準備を整えポカラの里を目指す一行。
しかし出発して間もなく、突然エルゥを嫌な予感が襲い掛かった。
ぞわり、と肌が総毛立つようなおぞましい感覚。


「気を付けてエイリーク、何かが来る!」
「えっ!?」


エルゥの言葉に武器を構えるエイリーク達。
少しの間 彼らを静寂が覆っていたが、やがて南の空から三騎の竜騎士がやって来る。


「あれは、グラドのドラゴンナイト……!」


庇うようにエイリークの前に出たゼトの言葉に、誰もが息を飲んだ。
折角ここまで気付かれずに進軍できたのに、まさか見付かってしまうとは。
しかし相手は変わらず、確かに三騎のまま。
精鋭だとしても、たった三騎で敵うと思ったのだろうか?

急降下して来た三騎のドラゴンナイト達。
その先頭に居た金髪の精悍な青年に、エイリークは驚愕の表情を浮かべる。


「あなたはグレン将軍ではありませんか! 昔、帝都でお会いした……」


以前、兄と共にグラドへ留学していたエイリーク。
元は同盟国なだけはあり、顔見知りも少なくない。
グレン将軍は留学していた時にリオンの紹介で出会い、何度か交流した。
愛想は少ないが親切で、実直で内に優しさを隠す生真面目な性格に好感を持ったもの。
エフラムは槍術について師事していたデュッセル将軍がグレン将軍をやたらと褒めるので、ライバル視したりもしていたようだ。
そんな人物だというのに。

一方エルゥはグレンに違和感を覚えていた。
確かにおぞましい程の感覚がしたのに、実際に目にしたグレンからは全くそんな嫌な印象を受けないのだ。

……グレン将軍と二騎の部下以外に、この近辺に誰かが居る……?

しかし悲愴さが醸し出されるエイリークとグレンの再会は、そんな口を挟む隙を与えてくれない。


「このような形で会う事になるなんて……」
「ああ、確かに私も、このような形で会いたくはなかった。エイリーク、私は陛下の命を受けてここへ来ている。カルチノ市民を虐殺した罪で、君を討伐せねばならない」
「……!?」


余りの言葉に、エイリークの息が詰まった。
全く身に覚えが無い。


「待って下さい! 虐殺とはどういう事ですか!?」
「弁明があるなら聞こう。我々グラド帝国によって祖国ルネスを失ったとはいえ……君がそこまで堕したとは私も思いたくはない。だが君は現実に兵を率いてカルチノを侵略した。貿易港キリスで市民らを次々に殺害したと聞く」
「そんな、違います!」


エイリークを陥れる為に嘘を言っている……という訳ではないのだろう。
彼がそんな人物でない事は、エイリーク自身が彼との交流でよく分かっている。
つまり信じているのだ。
皇帝がそう言った事により、忠誠心の高い彼は信じ込んでしまった。
確かに、現場を見なければエイリーク達がカルチノに侵略したように見える。

だがそんな雰囲気を打ち砕いたのはヒーニアスだ。
エイリークを庇うように彼女の前に出ると、冷めた表情でグレンを睨む。


「下らんな。何かと思えば、噂に聞く帝国の将はここまで愚かなのか?」
「……どういう事だ」
「カルチノは我々フレリアを裏切り私を襲わせた。エイリークが賊軍だと?馬鹿げた芝居を……」
「キリスだけではない。ティラザ高原では無惨なまでに惨殺された多数の死体が確認されたそうだ。そこにはエイリーク達の姿と、巨大な魔物の影があったと報告が上がっている」


私だ、と、まず間違い無いであろう情報に気まずい思いをするエルゥ。
ヒーニアスを助ける為とはいえ、それがエイリークに疑いの目を向けさせる事になるなんて。
炎とは違うブレスで焼き殺され、速度が乗った巨体に押し潰され……。
確かに戦場でも珍しい部類の、むごい惨殺死体の山だっただろう。
しかしそれについても、ヒーニアスがきっぱり否定する。


「その死体の山こそが私を襲った傭兵達だ。それに魔物だと? 我々を救ってくれた竜人に随分な言い草だな」
「竜……?」
「私です」


話題が自分に移り、前に進み出るエルゥ。
サレフもすぐ側までやって来るが、敬愛するエルゥを魔物呼ばわりされた事に怒りを募らせている。
エルゥはそんなサレフを制して旅装のローブを外すと、小さくして隠していた翼を大きく広げた。
予想外だったらしく、グレン達が驚きに目を見開く。


「ティラザ高原の件はエイリーク達ではなく私が一人でやりました。しかしそれはカルチノの傭兵に襲われたヒーニアス王子をお助けするため。咎なら私だけが背負うべきです」
「エルゥ、必要ない。何もかもグラド帝国が仕組んだ事ではないか」
「なんだと?」


ヒーニアスの物言いにグレンが顔を歪ませる。
それに対しても尊大な態度を崩さないヒーニアスは、小馬鹿にするように息を吐いた。


「こんな馬鹿げた茶番を本当に信じていたのか。帝国の将が聞いて呆れる。皇帝の真意も知らぬのだろう」
「ヒーニアス王子、そのような挑発はやめてください。しかしグレン将軍、それが私達の知る真実です。どうしても信じて頂けないのなら仕方ありません。このような誤解の下で戦いたくはないのですが……」


曇りの無い真っ直ぐな瞳で見つめて来るエイリークに、グレンは何か考え出す。
やがて口を開いた時、その表情と声音はいくらか優しいものになっていた。


「そちらの言う通り、私は陛下の真意すら知らぬ。私もデュッセル殿も此度の戦には疑問を抱いていた」


エイリーク達の言葉が真実だとしたら、皇帝に偽りを教えられた事になる。
なぜそんな事をしたのか問いたい、改めて事の真実を知りたいと、グレンは一旦引く事に決めたようだ。
かつてグレンが会ったエイリークは優しく温かい心を持っていた。
改めて彼女と対話し濁り無い瞳を見た今、それが失われていないともう一度信じたくなったようだ。


「戦いはひとまず預けておく。真実を確かめ、その上で改めてグラド帝国将軍の役目を果たそう。もし君達の言葉に偽りがある時は覚悟してもらう」
「はい」


臆する事なく真っ直ぐに返事をしたエイリークに少しだけ微笑み、グレンは部下を連れ飛び立って行った。
エイリーク達もサレフの案内で山を登り始める。

ふとエルゥは、グラド軍から寝返ったアメリアの事が気になった。
彼女はエイリーク達が虐殺を行っていない事を、実際に目で見て知っている。
結果として尊敬する皇帝が嘘を吐いた事になる。
彼女は誇りを持ってグラドの兵士になった筈。
案の定、俯いたアメリアの顔色は悪い。


「アメリア、大丈夫?」
「エルゥさん……あたし、信じたくない。皇帝陛下があんな嘘を吐くなんて。だって皇帝陛下は、そんな事をするような……」


言葉の最後は弱々しくなり、やがて消えてしまう。
元々グラド皇帝ヴィガルドは名君と名高く、民から大変慕われていた。
しかし同盟国のルネスに侵略した結果がある以上、もう以前と同じ評価を下すのは不可能だ。
それでもまだ信じていたい気持ちがあるアメリアの瞳が泣きそうに揺らぐ。
エルゥはそんなアメリアを慰めるように優しく言葉を紡いだ。


「あの将軍、エイリークが信頼していたみたいだし、グラドでも特に力のある将軍なんでしょう?」
「グレン将軍は帝国三騎っていう、グラドで最高の力を持つ将軍の一人よ」
「そんな人が話を聞いてくれたんだから、まだ話し合いの余地はある。デュッセル将軍だって戦に反対してるって言ってたじゃない。上手くいけば、きっとまた昔みたいに戻れるわ」
「……うん。あたし、将軍様たちを信じる!」


アメリアは何とか元気を取り戻してくれたようだ。

しかし彼女達は、そしてエイリーク達一行の誰も、知らない。
そう遠くない場所で、エルゥが感じたおぞましさの元凶……以前にレンバール城でエフラム達を襲ったヴァルターがグレンと対峙し、その命を奪った事を。

戦いを欲するヴァルターにとって、終戦を望むグレンとデュッセルは目障り。
邪魔者を始末する為に、近くに居たにも拘わらずエイリーク達ではなく、グレンに狙いを定めた。
軍に多大な影響力を持つグレンが働き掛ければ、戦争が終わる可能性も高い。
それを阻止する為の、あまりに身勝手な横暴。

一つ、また一つと、エイリーク達の預かり知らぬ場所で、帝国との和解の道が閉ざされて行くのだった。



グレンを襲った悲劇に気付かぬまま、山を登り続けるエイリーク達。
道はますます険しくなり、終わりの見えない登山に一行の疲労は募って行く。
息を荒げるエイリークを心配し、ゼトが前を行くサレフに声を掛ける。


「サレフ殿、里まではあとどの位かかる?」
「もうじきだ。あと半日といった所か」


何でもないような涼しい顔で放たれたサレフの言葉に、仲間達から次々と落胆の溜め息が放たれる。
それを聞いたゼトはサレフに申し出た。


「すまないが、ここで小休止させて頂きたい。私を含め、皆 疲労している。これ以上は進めない」
「ゼト、私は大丈夫です。こんな所で遅れる訳には……」


エイリークは必死で強がってみせるが、時折、足をふらつかせてはバランスを崩している。
仲間達の疲労も確かだろうし、ここは強がらずに休んだ方が良いだろうか。
エイリークがそう考えていた時、立ち止まったヒーニアスが息を整えながらサレフに話し掛ける。
会話ついでに休みたいのかもしれないが、当然そんな事が分かった所で彼を責める者は誰一人いない。


「ふぅ……しかし、まさかこれ程の高さまで登る事になるとは。本当にこのような場所に住んでいるのか? こんな山に、とても人が住めるとは思わないが」
「余計な物を持たなければ奪い合う事も無い。我々は竜人様と共にある」
「竜人……」


ヒーニアスは、サレフの側に居るエルゥに視線をやった。
目が合ったエルゥは少し照れ臭そうに笑って、ちょっとサレフを見やってから口を開く。


「私としてはだいぶ気恥ずかしい立場です。かつての功績は私ではなく、竜族長である父のものですから……単なる七光りですよ」
「いいえエルゥ様、あなたも間違い無く我ら人を助けて下さいました。闇の樹海であなた方はずっと……」
「今はその話はいいわサレフ、それより休みましょう。私もうクタクタよ」
「承知しました」


エルゥの言葉に従い、休息を取る事にした一行。
だがその前に、偵察をしていたヴァネッサがペガサスを操り降りて来る。


「前方に魔物の姿が見えます、こちらに気付いているようです!」
「魔物……!」


空を飛ぶ魔物ガーゴイルが一行を発見していた。
くたくたの一行を見てやれると判断したのか、様々な魔物がやって来る。
エルゥは魔道書を構えながら、同様にしているサレフへ訊ねた。


「サレフ、あれは闇の樹海の魔物よね。こんな里の近くまで出たかな?」
「いいえ。こんな所にまで出没する事はありませんでした。やはり凶兆が形を成しつつあるとしか」
「凶兆……」


その凶兆に、エルゥはとても覚えがあった。
憎くて忌々しくて、自分とは切っても切れないもの。


「私達を慕ってくれているポカラにまで手を出そうっていうの……許せない!」


エルゥの叫びに一行が武器を構え、戦闘に入る。
疲労が溜まった仲間と励まし合いながら、急な斜面を物ともせず襲って来る魔物に必死で応戦していた。
エルゥはエイリークの側で戦っていたが、ふとジスト・テティス・マリカがヒーニアスの元へやって来る。


「王子、先に行かせてくれ。弟が心配だっつって、テティスが一人で突っ走りかねないんだ」
「そう言えばあの子供、一人で先行していたな。しかし3人だけで大丈夫か。戦力としては2人だろう」
「あまり迷惑はかけられねぇさ。先行の許可をくれ」
「……今の指揮官はエイリークだ。彼女に訊け」


突然に話題を振られて少々面喰らうエイリークだったが、やはり彼らだけで行かせるのは心配だった。
しかし弟のユアンを心配して悲愴なまでに顔を歪めているテティスが気の毒。
それを見かねたエルゥが同行を申し出る。


「私とサレフが付いて行くわエイリーク。遠距離攻撃があれば安全が増すだろうし、この辺の地理に一番長けているのはサレフよ」
「そうですね。お二人とも、お願いします」
「承知した。私もユアンを先に行かせてしまった以上、安否が気になる」


エルゥとサレフはジスト達と共に先行し、ユアンを探して山を駆ける。
大蜘蛛のバールなど、魔物達の中には急斜面を物ともせず移動する種が居る。
またガーゴイルやビグルという空を飛ぶ魔物もあちこちに存在しているようだ。
そういった魔物が接近し切ってしまう前にエルゥとサレフが魔法で倒し、比較的通りやすい場所を充分な機動力で急接近して来る魔物は、ジストとマリカが片付ける。

しかし魔物の数が多い。
エイリーク達がだいぶ引き付けてくれているようだが、それでもなかなか先に進めない。
エルゥは魔物に攻撃されないが、その対象は飽くまでエルゥ一人だけ。
一緒に居る仲間への攻撃は防げないため、エルゥがテティスだけを連れて先行するのは やや危険だ。
せめてユアンが居る場所の目処さえ立てば……。

そんな時、マリカが前方に何かを発見した。


「あそこに建物がある」
「あれは里の者や旅人が山越えの時に、避難所や休憩所として利用する小屋だ。……もしかしたらユアンが居るかもしれないな」


サレフの返答に、エルゥはぐずぐずしていられないとテティスと二人で先に行く事を提案する。


「私、テティスを連れて行くから援護をお願い。あそこなら万一ユアンが居なくても身を守り易いし」


その言葉に一行は頷く。
サレフが溜めた魔力を用いて大きな火球を敵の群れへ撃ち込み、怯んだ隙にジストとマリカが切り込んだ。
そうして通り道が空いた所へ、エルゥがテティスを引き連れ走り出す。


「テティス止まらないで! 一気に駆け抜ける!」
「ええ!」


テティスの顔は真剣そのもので、常に笑顔を振り撒く印象しかない“踊り子”の彼女を、“弟を想う姉”へと変貌させた。
エルゥとしても大切な妹が居る身として、テティスの思うままに弟を大事にさせてあげたい。
追い掛けて来た魔物はエルゥの魔法で倒し、目指す小屋へ辿り着いた。
扉を開けようとしたが開かず、テティスが扉を叩きながら弟の名を呼ぶ。


「ユアン、居る!? 居たら返事をしてちょうだい!」
「お姉ちゃん……!?」


恐らく家具などで戸を塞いでいたのだろう。
ガタガタと荷を崩すような音がした後、扉が開く。
間違いなくユアンだ。
テティスは感極まった息を漏らしユアンに抱き付く。


「わぁっ!」
「大丈夫だった? もう、勝手に一人で先に行くからこんな目に遭うのよ!」
「で、でも魔物を何匹か倒せたんだよ! 僕だってやればできるんだからさ!」
「それ以上 倒せなかったからこうして逃げられずに隠れてたんでしょう!? お願いよ、お姉ちゃんをこれ以上心配させないで……」


テティスの声が涙声になり、泣かないでお姉ちゃん! とユアンが慌てる。
テティスの腕から逃れたユアンは、目に涙を溜める姉を見て高らかに宣言。


「よし、決めた! お姉ちゃんがこれ以上 泣かなくてすむように、僕もっともっと強くなるよ! まずは魔物を倒さなきゃ!」


まさかそっちの考えに行くと思わなかったテティスが呆気に取られているうちに、元気よく小屋から飛び出して行くユアン。
慌てて止めようとしても、身軽な少年は止まらない。


「ちょ、ちょっとユアン!? あの子ったら……!」
「テティス。彼の事は私に任せて、ジスト達が来るまで小屋に隠れてて」
「ごめんなさいねエルゥ、更に迷惑を……」
「いいの。私にも大切な妹が居るから、あなたの気持ちは理解できるつもりよ」


微笑んで、ユアンの後を追い小屋を飛び出すエルゥ。
見れば近くにジスト達も来ており、テティスが小屋の中に居る事を彼らに告げてからユアンの隣に並んだ。
近付いて来たバールにファイアーの魔法を放つユアンだが、相手は巨体で体力もかなり多い。
まだまだ未熟なユアンでは掠り傷しか付けられず、すぐさまエルゥが闇魔法を放ちバールを倒した。


「ユアン、あまり一人で先走っては駄目よ」
「でも僕、早く強くなりたい……。昔からずっとお姉ちゃんに守られてばっかりだった。これからは僕がお姉ちゃんを守るんだ!」
「誰だって最初から強い訳じゃないんだから、強くなってお姉さんを守りたいなら生き延びなくちゃ駄目。皆だって協力しながら戦ってるでしょ。そうして経験を積んで行くの。ね、皆と一緒に戦おう」
「……うん。分かった。つまり僕がこの軍で一緒に戦うのを認めてくれるんだね? じゃあこれからよろしく、お姉ちゃんやエイリーク様たちの説得はお願いね!」
「えっ」


いたずらっぽく微笑んだユアンに、エルゥは半ば誘導された事に気付いた。
見かけや姉への態度からは想像し難いが、意外と強かな少年だったらしい。
しかし家族の為に強くなりたい彼の気持ちは分かる。
強かでも、性根の方は真っ直ぐで純粋な男の子。

してやられた、とは思うが気持ちの方は愉快だし、彼の筋は悪くなさそうだ。
将来を見据えて修行がてら戦えるよう取り計らってあげてもいいかな……と考えるエルゥだった。





−続く−


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