聖魔の娘

人間模様 多種多様
▽ エイリーク編5章 人間模様 多種多様


合流したヒーニアスと、彼が雇っていた傭兵の生き残りであるジストとテティスを引き連れ、エイリークの元へと急ぐエルゥ。
数日間も勝てる見込みの無い消耗戦を繰り広げていたヒーニアス達に、戦いは自分に任せて少しでも体を休めるよう言うエルゥだが、ヒーニアスは頑として首を縦には振らない。


「問題は無い。エイリークと合流しても、眼前の敵を滅するまで戦い続ける」
「ですがヒーニアス様、あなたに万一の事があってはエイリーク達に顔向け出来ません。どうか、戦いは私に任せて……」
「くどい。君はそんなに私に恥をかかせたいのか」
「は、恥だなんて!」


無愛想な態度で冷たく言い放つヒーニアスに、エルゥは少々ムッとする。
そんなつもりで言った訳ではないのに そうとしか受け取れなかったのだろうか。
以前に見たターナに対する態度を考えれば、彼の表面と心の中は違うと分かるが、やはり面と向かってこういう態度を取られては良い気分はしない。
そんなエルゥの心中を察してか、ジストが苦笑しながら。


「勘弁してやってくれよ、王子は責任感が凄まじいだけなんだ」
「まあ分かるけど……」
「それにああ見えて優しい所もあるんだぜ。さっきなんて……」
「勝手な事をべらべらと喋るな」


ヒーニアスに割り込まれ遮られてしまった。
取り敢えず今はエイリーク達との合流を急ぐ事にする。
小高い丘を駆け下りると、未だ敵と交戦中のエイリーク達が目に入った。
しかし彼女達との間にはカルチノ軍。
先に奴らを蹴散らさなければ……と思っていると、一番後ろから付いて来ていたテティスが声を張り上げる。


「隊長、あれってマリカじゃ……!」
「なに!?」


テティスの指さす先へ視線を向けると、鎧を身に纏った敵兵達の中に一際目立つ軽装の剣士。
纏め上げた薄い紫の長髪を靡かせ剣を振るう様は、見とれてしまう程の美しさだ。
しかしその太刀筋には容赦が感じられず、立ち向かったフレリアの兵士達が翻弄されている。
聞けば彼女……マリカはジストたち傭兵団の一員らしい。
普通はこういう事にならないようギルドに気を使ってもらうのだが、手違いにより敵味方で仕事を配分されてしまったようだ。


「参ったな……傭兵としちゃ人情より依頼が第一だが……話してみるか」
「じゃあ援護するわね」


敵兵が固まっている所へ、エルゥの魔法とヒーニアスの弓を駆使し道を切り開く。
攻撃に気付きマリカを含めた敵の一団がこちらへ向かって来る。
ジストはその一団に立ち向かって行くと、手前の敵を屠ってマリカへ近付いた。
マリカの方もジストに気付いたか攻撃の手を止め、何やら二人で話している。
やや離れているため聞こえないが……突然マリカが向きを変え、カルチノ兵に斬り掛かった。
急展開に呆然とマリカを見たまま、エルゥはテティスに声を掛ける。


「説得……成功したみたいね」
「成功すると思ってたわ、マリカなら隊長に言われればすぐ戻ってくれる筈だもの」
「傭兵は依頼が第一じゃなかったの?」
「そうじゃない時もあるの。だって人だもの、情ってものがあるじゃない」


それはきっと命取りになる事もある。
現に先程までの籠城戦、あのままではヒーニアスもろともジスト達も終わっていた。
エルゥの助けが間に合ったのは飽くまで結果論だ。
そんな厳しい世界に身を置きながらも、きっと彼らは情を捨てないのだろう。
事情によってはそんな訳にいかないかもしれないが、出来れば最後の最後、ぎりぎりまで保っていたい筈だ。
それがきっと、真っ当な人間というものなのだから。


「やっぱり……人間って素敵な存在ね」
「確かあなたは竜……だったわね。でも人間とそう変わるものかしら? あなたにだって、裏切りたくない、傷付けたくない大切な人が居るんじゃない?」


笑顔で言うテティスに、エルゥも笑顔で頷く。
その一番の対象は言うまでもなくミルラだ。
血は繋がっていないけれど、大切な大切な妹。
今はきっとエフラムが守ってくれているであろう彼女だけは……。

しかし、“傷付けたくない、裏切りたくない”という希望・感情と、現実はまた別問題。
それはテティス達だってきっと分かっている筈だ。
ずっと厳しい世界に身を置いて来たのだから。
そしてきっとエルゥも自らの選択によっては、それを思い知らなければならない事にもなるだろう。
ミルラだけではない、エフラム達だって……。

そんなエルゥの思考は、エイリーク達の合流によって中断された。


+++++++


フレリアを裏切りヒーニアスを亡き者にしようとした長老パブロ。
奴はヒーニアス達が籠城戦をしていた丘からそう遠くない村に陣取っていたようだが、形勢逆転されたと見るや、雇った傭兵達を盾にして逃げ出してしまった。
パブロを追い払った事で村の者達に歓迎されたエイリーク達は、村の敷地や村長の家を借り休息を取る事に。

そこで出会ったのは、カルチノ長老の一人クリムト。
彼の話によるとカルチノ共和国は現在、二つに分かれてしまっているらしい。
長老達の合議が決裂し泥沼のような内紛状態に陥っていると。
クリムトが属する穏健派……フレリアとの同盟を重んじるべきだと主張する一派と、パブロが属している、フレリアを裏切りグラドにつくべきだと主張する一派。
パブロは金で穏健派を懐柔できないと知るや、ついに穏健派の暗殺にまで手を染めた。
穏健派の中で最も発言力のあるクリムトは最大の標的として執拗に狙われ、穏健派を支援しているこの村で匿われていたそうだ。

要は、カルチノの裏切りは国の総意ではないという事。
ヒーニアスも、自分がティラザ高原に到着して間もなく、カルチノ兵達が何かを探している事に気付いたと告げて来た。
だが総意ではないと言っても、今やパブロが議会を牛耳っている状況である。
何も説明が無ければ、他国にはカルチノが一丸となって裏切ったように見えてしまうだろう。
なのでクリムトはフレリアへ赴き、ヘイデン王に事の次第を説明に行くつもりだそうだ。

そしてクリムトが提案したのは、ヒーニアス達も一度フレリアへ戻る事。
ヒーニアス暗殺未遂の件は天馬騎士により、既にフレリア本国へ知らされている筈。
窮地に追い込まれたパブロはきっと今後も執拗に追っ手を放って来る。
ロストンへもジャハナへもここからはカルチノを通るしかなく、このまま進むのは危険極まりない。

だがフレリアに戻り戦力を増強しようにも、主力部隊はエフラムと共にグラド遠征中だ。
海路の再開を待つか……だが目処は全く立っていない。
聖石が残っている国へ一刻も早く危機を伝えなければ、ぐずぐずしているとグラドに先を越されてしまう。

進むべきか戻るべきか、話し合いは長引き、なかなか纏まらない。
真剣な様子のエイリーク達をエルゥは少し離れた所から見ていたが、ふと彼女の横を小柄な影が通り過ぎて行く。
見やれば、真っ赤な髪の少年。村の住人だろうか。
呆気に取られたエルゥが止める間も無く、少年は切迫した会議の輪に飛び込んでしまった。


「ねえねえ、僕知ってるよ。あっちの山を越えてジャハナへ行く方法。案内してあげようか?」
「あら……あなたは?」
「こ、こらユアン!」


エイリークの質問に少年が答える前に、テティスが慌てて駆け寄って来た。
ユアンという名らしい少年……テティスに似ている気がするが、家族だろうか?
邪魔してごめんなさいね、とユアンを引っ張るテティスだが、ユアンは頑として引き下がらない。


「お姉ちゃん! 僕だって役に立てるんだから! 要はカルチノの兵士に見つからなければ良いんでしょ? あっちに見える高い山のてっぺんにポカラっていう里があってさ。僕のお師匠さまはね、その里に住んでるんだ。だからお師匠さまに言えば案内してもらえるよ、きっと」


知った場所の名前が出た事に、エルゥは面食らう。
エイリーク達がポカラの里に何の用事も無い以上、里へ行く=私用という固定観念が出来上がってしまっていたが、確かにあの山ならば、カルチノ兵 待ち伏せの心配は無いだろう。
しかしそんな事など知らないエイリーク達は、山の高さに辟易している様子。
戻るよりはだいぶ早かろうが、登って通り抜けるには苦労すること請け合いだ。
半信半疑の目で、ヒーニアスがユアンに師の名を訊ねる。


「……師の名は?」
「僕のお師匠さまはね、サレフっていうんだ」
「サレフ……!?」


またも知った名の登場に、我慢できず声を上げてしまったエルゥ。
エイリーク達の視線が一身に集まり しまった、と思うが時既に遅し。
これはきちんと発言しなければなるまいと、腹を括って口を開く。


「ごめんなさい……私の知り合いだったものですから」
「お姉さん、お師匠さま知ってるの!?」
「ええ。彼、弟子なんて取っていたのね」
「私も聞いた事がある。以前、我が国の密偵から入る情報にその名があった。卓越した稀代の魔道士で……過去に何度も人々を救った事があると。ポカラなる辺境の里の生まれだとな」


ヒーニアスの言葉もあり、ユアンの提案の信憑性も増したようだ。
こうなってはポカラの里を通るより他ないだろう。
エルゥは提案の後押しをする為 更に言葉を続ける。


「あの山脈は険しいですが、だからこそ安全でもあると思います。そしてポカラの里は私の馴染みです。万一サレフが居なくとも、私が話を通しましょう」
「……信用しても良いのだな?」
「はい」


ヒーニアスの探るような鋭い視線に、エルゥは物怖じせず毅然とした眼差しと態度を貫く。
ユアンの提案、フレリアの優秀な密偵による報告、そしてエルゥの言葉と態度。
それらが合わさり今後の進路は決定した。ポカラの里へ向かい、山脈を通り抜ける。
ヒーニアスはすぐにも出発したがったが、彼は今まで敗北必至の籠城戦を続け、エイリーク達は彼らを助ける為に強行軍している。
日暮れも近い事から、一晩だけこの村で休息を取る事になった。

すっかり野営の準備が整った村の広場を歩いていたエルゥは、少し外れの方でヒーニアスが誰かと話をしているのが目に入る。
気になって近づいてみれば、妹姫のターナが相手だ。


「ターナ、説明して貰おうか。なぜお前がこんな所に居る?」
「わたしエイリーク達に付いて来たの。これからも一緒に戦うわ」
「馬鹿な真似はよせ。父上がお前をどれだけ心配し、大事にしているか分からないのか。何人かフレリアの兵を伴い、明日にでも王宮へ帰るのだ」
「いや! エイリークもエフラムもお兄様も、みんな頑張ってるじゃない! なのにわたしだけ一人お城で呑気にしてろって言うの!? わたし……すごく怖かったのよ。城でルネスの事を聞いた時も、エイリークとエフラムの行方が分からなくなっていた時も、お兄様が戦いに出られていた時も……」
「……」
「お城で安全に暮らしながら一人で怖がってるなんて、もうたくさん。わたしも一緒に戦うの、そしてみんなを守ってみせるんだから!」


少々涙声にも聞こえるターナの言葉の後、しばらく沈黙が訪れる。
そしてヒーニアスの溜息が聞こえたかと思うと、すぐに言葉が続いた。


「好きにしろ。ただし戦うからには、途中で投げ出すんじゃない。フレリア王女としての誇りと責務を決して忘れるな」
「お兄様……!」


ぱぁっと花のように顔を明るくさせたターナは、ありがとうお兄様! と元気よく礼を言うと、別の方向へ走り去って行った。
きっと兄から許可が下りた事をエイリークへ報告に行くのだろう。
エルゥとしてはヒーニアスの妹を心配する気持ちも痛いほど分かるので、きっとターナの同行を許すのは断腸の思いでもあっただろうと推察できる。
何だかんだ言っても、妹が心配なだけ……。


「盗み聞きとは感心しないな、竜人」
「!」


突然、少々低めに響くような言葉が飛んで来た。
どうやら気付かれていたよう。こうなれば出て行って謝罪せざるを得ない。
エルゥは素直に近寄ると謝罪したが、すぐに一言付け加える。


「以前に名乗ったかと存じます、ヒーニアス王子。私は……」
「エルゥだろう。……そう言えば今日の礼を言っていなかったか。君のお陰で命が助かった、ありがとう」
「…………」
「何だその顔は。まさか君も、ジスト達のように減らず口を叩くのではないだろうな」
「……いいえ。そういえば彼らはどうなさったんですか?」


まさかこんな素直に礼を言われると思っていなかったエルゥ。
減らず口を叩くのはイメージ的にヒーニアスの方ではないのか、と思ったが、辛うじて口に出さず別の話題に切り替える事に成功した。
ジスト達は籠城戦の最中に一旦解雇されたと言っていたが、ヒーニアスの話によると事が終わった後に改めて再契約を申し出たらしい。
“減らず口を叩かれた”のはきっとその時だろう。
恐らくジスト達にも殊勝な態度を見せ、からかい半分な対応をされたと思われる。
その情景が目に浮かんで来るので少々苦労しつつ顔が綻ぶのを耐えていると、ふと、ヒーニアスが疑問を投げかけて来た。


「エルゥ。こんな時でなければ訊ねる暇も無いだろうから訊いておく。君はフレリアで私に自己紹介した時、馬鹿正直にグラドで仲間入りしたと言ったな。なぜ隠さなかった? グラドと交戦中の王族の前でそんな事を言えば、疑いの目を向けられる事など分かり切っていただろうに」
「ええ。ですが隠していて後から発覚すれば、そちらの方が悪印象でしょう。後ろめたい事など何も無いからこそ、初めからお伝えしたのです」


迷い無く毅然と告げるエルゥを、ヒーニアスはじっと見つめる。
信用に値するかどうか考えているだけだとは思うが、心根に優しさを隠しているとはいっても厳しい部分が確かにあるので、次に何を言われるかと身構えてしまう。
やがてヒーニアスは一つ息を吐き、数歩進んで立ち去る素振りを見せた。
そしてそこで立ち止まり、エルゥの方を見もしないまま。


「一応、君の事は信用しておこう。君が間に合わなければ今日、私は死んでいた筈だからな。ただし……もし我々を油断させて後から寝首を掻こうと言うのであれば、容赦はしない」
「承知しております。 あ……僭越ながら一つだけ」
「何だ」
「ターナ王女への態度、もう少し柔らかくした方が宜しいかと。王女もあなたの心はご存知でしょうけれど、傷付かない訳ではないのですから」
「……余計なお世話だ」
「すみません。私にも妹が居るものですから、つい」


そこまで言った所で、ヒーニアスがエルゥの方を振り返る。
彼の目に映った彼女は微笑ましく笑んでおり、少々イラついていた心が溶解してしまった。


「……フレリアで一緒に居たあの少女か。今も城で待っているのか?」
「いいえ。エフラムと共にグラドへ向かいました」
「!? 何を考えているんだ、敵国の中枢へ行かせるなど……!」
「私も迷いました。ですがエフラムは勝ち目の無い戦いなどしないそうなので」


勿論、今だって心配でない訳はない。
いくらエフラムを信頼していても、万一という事だってあるのだから。
しかしミルラはエフラムに付いて行きたがった。
竜石の行方も気になるし、それであれば妹の意思を尊重したいとエルゥは思っている。

一方ヒーニアスは、エフラムを心から信頼している事を示すエルゥの言葉に、目に見えて苛つきの態度を表し始める。
それを見てようやくエルゥは、己の失言に気付いた。

確かターナが、ヒーニアスはエフラムを激しくライバル視しているような事を言っていた。
ヒーニアスの性格を鑑みるに、エフラム本人が居ない場所で私怨丸出しの行動をするとは考え難いが、彼自身としては面白い気分はしない筈である。
ただでさえ完全には信用されていないのだから、機嫌を損ねるような言動は慎むべきだった。
遡れば先程の盗み聞きと、余計なお世話の言動だって……。
ずっと忌避していた竜化を久々に行ったり、思いがけずポカラの里へ寄れる事になったりして、心が上擦っているのかもしれない。


「……ミルラの方も、私がヒーニアス王子と一緒だと知れば安心するでしょう」
「彼女は私の事をそんなに知っているのか?」
「う……」
「勘違いするな、自分が不甲斐ないだけだ。エフラムはこうまで君に信頼されているのに、私は逆に君に助けられるという情けない面を見せてしまった訳だからな」
「な、情けなくなんてありません! 降伏せず最後まで戦い抜こうとしたその姿勢、フレリア王子の名に恥じぬ誇り高い行動ではありませんか! そんなあなたをお助け出来て光栄に思いこそすれ、情けないと貶める心など私は持ち合わせていません!」
「……! 分かった、分かったから落ち着くんだ!」


ヒーニアスが数歩 後退り、エルゥはようやく自分が彼に迫っている事に気付いた。
慌てて離れ、ご無礼を……と俯きながら自分も数歩 後退る。
本当に心が上擦っているようだ。
今日は早めに休んだ方が良いかもしれない。
気まずくなり、では失礼します、と立ち去りかけたエルゥだが、その前にヒーニアスが口を開いた。


「エルゥ、君を信用できるかどうか見極めるにしても、仲間として共に戦う以上、私も君に信頼して貰えるよう努めねばならんな」
「え……」
「問題は無い。私の戦い振りを間近で見ていれば、すぐ信頼できるようになるだろう」
「あ、あの、私は別にヒーニアス王子を信頼していない訳では……」


言いかけたエルゥには反応せず、ヒーニアスは先に立ち去って行く。
いくら後から『ヒーニアスの事も信頼している』と伝えた所で、彼がライバル視しているエフラムを、大切な妹の命を預けられるほど頼りにしている……、と先に示してしまった以上意味は無さそうだ。
使命に影響さえ無ければ、火を着けられた闘争心を易々と放置する人ではないらしい。
意外と子供っぽい所もあるのね……と、思いもよらない新情報を噛み締めるエルゥだった。


+++++++


翌日、一行はポカラの里を目指して山を登り始めた。
実際に登ってみれば下から見ていたより過酷で、中には弱音を吐く者もちらほら。
エルゥが竜化すれば楽にそれなりの人数を運べるが、敵の追跡を逃れる為に山登りを選択したのに、万一見付かっては元も子もない。
天馬騎士は飛んでいるので楽をしているものの、徒歩の仲間達が山登りに集中できるよう見張りも兼ねているので、全く苦労していない訳でもなかった。
天馬は竜化したエルゥよりはだいぶ小さいため下から見付かる可能性も低いだろう。

また坂道や悪路だけでなく、変わり易い山の天気は濃霧も運んで来る。
時折視界を阻害され、ただでさえ遅くなりがちな歩みを更に減速させた。
そんな中ユアンは元気に山を駆け上る。
軽装だからというのもあろうが、それでもよくあんな軽やかに登れるものだ。


「こっちこっち、こっちだよ! お師匠さまはね、この先に居るよ」
「待ってユアン、みんなで行きましょう」


先走って姿が見えなくなりそうなユアンを、エイリークは引き留める。
この山は慣れているようだが、あんな子供を一人にするのは躊躇われた。
辺りは再び霧が深くなって来ている。
まだカルチノ領から脱せていないので、敵襲を避けるには都合が良いが……。
ふとヒーニアスが先の方を見つめ、やはり我慢できずに先へ進もうとするユアンに声を掛けた。


「待て。それ以上前に進むな」
「え? でも進まなきゃお師匠さまのとこに行けないよ」
「……あの砦は? ずいぶん老朽化しているが機能しているのか?」


彼が示す先、石造りの建造物が霧に包まれ存在している。
ユアンの話によるとあれはずっと昔に造られたもので、空っぽで誰も居ないのだとか。
しかしそれを聞いたヒーニアスは益々顔を険しくさせた。
その理由はエルゥも分かっている。
彼女の耳には何かの物音が届いていた。
疑問符を浮かべるユアンへ、ヒーニアスの代わりに質問する。


「ねえユアン、あの砦から物音が聞こえるみたいなんだけど」
「え? 音……? ……ほんとだ、なんか変な音がする。何の音だろ……。でも普段は本当に誰も居ない廃墟だよ、前に何度か探検した事あるもん」
「……エイリーク、魔物の襲撃に備えるよう皆に伝えて。向こうはもう私達に気付いてる」
「魔物……!」


向こうはエイリーク達を襲うつもりだろうに、エルゥの危険予知能力が発動しない。
不安定であるとはいっても、違和感を覚えるぐらいの事はある筈なのに。
その理由は恐らく、『“エルゥには”危険が迫っていないから』。
となるとカルチノ、ましてグラドの手でないのは明白だろう。

エルゥの予知能力は、ミルラと違いあまり他人に対する予知が働かない。
つまりあの砦に居るのは間違いなく魔物だ。
エルゥは魔物に攻撃される事が無い。
例外もある事にはあるのだが……今それが適用される事は恐らく無いだろう。

エルゥの予知能力を説明するまでもなく、こんな所までカルチノ兵が追って来るとは考えられないらしいヒーニアスの見解も同じ。
お陰で余計な説明に時間を取られる事も無い。
この辺りは砦が道の大半を占めており、下手に外で戦うと転落の危険がある。
危険を承知で砦の中へ攻め入るしかない。
エイリークとヒーニアスは素早く仲間達へ指示を送り、戦闘準備を整えた。

辺りには霧が立ち込め、それは朽ちた砦の中にまで入り込んでいる。
しかしエイリーク達は便利な物を所持していた。
周囲を明るく照らす事が出来るトーチの杖だ。
シスターのナターシャに後方から周囲を照らして貰うと、それなりに視界を確保できた。
また、目の利くコーマの存在も有り難い。
霧の中でも先の方を確認できる彼は、魔物の接近を忙しく仲間達に伝えている。

そんな中、エルゥは最前線で戦っていた。
自分は竜として恐れられているから魔物に攻撃されない、と主張し、自ら申し出た。
絶対に魔物の仲間だと疑われるだろうな……と思っていたが、ティラザ高原での実績が功を奏し意外にもすんなり信じて貰えた。
あの山々を揺るがす程の咆吼と、数多の傭兵を薙ぎ倒した様子なら有り得ると思って貰えたようだ。

砦の中程まで進み、3度目のトーチが先方を照らした時。
エルゥは前方に2つの人影を発見する。
やや近寄ってその姿を確認した瞬間、息を飲んだ。
貿易港キリスで出会った妙な旅の一行だ。
一人足りないが……ラーチェルとドズラ、だっただろうか。

あのトルバドールの少女は確か、エルゥを見て一瞬だが苦々しい反応を見せた。
また何か言われるのでは……と身構えていると、向こうがエルゥに気付く。
と、すぐこちらに馬を走らせて来たので、慌てて近くの魔物から離れた。


「まあ、あなたは以前、貿易港キリスで……」
「……こんにちは」
「ああ、良かった! もう一度あなたにお会いしたかったの!」
「え?」
「わたくし、あなたに失礼な態度を取ってしまいましたでしょう? あなたを酷く傷付けたかもしれないのに、すぐ立ち去ってしまって……。是非とも もう一度お会いして、改めて謝罪をしたかったのです」
「……ずっと、気にされていたんですか?」


ずっと、と言ってもたった数日。
しかし ほんの行きずりの出会いだった上に、顔見知りだったらしいエイリークの仲間かどうかも、あの時は確信が無かった筈。
しかも一応、エルゥは既に謝罪を受けている。
それなのに悪いと思い気にしていてくれたなんて。

苦々しい反応をされた時に感じた重い気持ちが、すうっと消えて行く。
きっと優しい少女なのだろう。
申し訳なさそうに眉尻を下げた表情に、いっそ微笑ましくなってしまった。


「あの時は本当にごめんなさい。人々を救う旅をしながら、罪も無いあなたを傷付けてしまうなんて……。わたくしもまだまだ未熟者ですわ……」
「もう気にしていませんから大丈夫ですよ。寧ろ行きずりの赤の他人を、ここまで気遣って頂けて恐縮です。……ところで、あなたはここで何を……? 確か陸路でロストンへ向かうと仰っていたような」
「道に迷ってしまいましたの。ですが、このような所で魔物に会うなんて、それも神のお導きなのでしょう。レナックとは はぐれてしまいましたが、まあ彼なら心配要りませんわ」


一人足りないと思ったらはぐれていたらしい。
……あの青年のうんざりした様子からして、逃げ出した可能性も無きにしも非ず、だが。
利害も一致しているようだし一緒に戦うよう提案しようか……と思っていた所へ、一匹のスケルトンがエルゥの背後から現れた。


「! 魔物ですわ! ドズラ!」


従者の名を呼ぶラーチェル。
戦う術を持たない彼女を庇うようにエルゥはスケルトンの前に立ち塞がる。
すると奴はエルゥを前にぴたりと止まり、構えていた武器を下ろしてしまった。
そしてその隙を突き、エルゥは闇魔法で奴を屠る。


「まったく……すぐに湧いて来るんだから」
「……まあ。今、魔物の動きが止まりましたわね」
「ええ。私、実は魔物に攻撃されない体質でして……」
「素晴らしいですわっ!!」


突然上げられた大声に、エルゥはびくりと肩を震わせた。
こちらへ向かっていたドズラが、如何なさいましたラーチェル様! と血相を変えている。
見ればラーチェルは星のように瞳をきらきら輝かせていて……。


「きっとあなたも神より使命を帯び、魔物を退治する流離いの旅人なのですね!?」
「え……あー、まあ、当たらずとも遠からず、でしょうか……」
「決して多くは語らない、なんとミステリアスな……。吟遊詩人が歌うサーガの英雄のようですわ! きっとあなたはこれまで数え切れない程の徳を積まれたのでしょう! それによって神より、魔物を寄せ付ける事すら無い奇跡の力を授かったのですね! 感動いたしましたわ! わたくし、必ずあなたのような素晴らしい人物になってみせます!」


呆気に取られたエルゥは、否定するのも忘れてしまう。
捲し立てるように興奮した声を上げるラーチェルに、ドズラも涙を流さんばかりの勢いで感動している。
感動の対象はエルゥではなく、尊敬する存在に出会えたラーチェルへの祝いの気持ちのようだが。


「決めましたわ。わたくし、あなたに付いて行きます。こうしてここで出会えたのもきっと神の思し召し……。ドズラ、よろしくって? これまで通り張り切って魔物を薙ぎ倒しましょう!」
「ガハハ! お任せをラーチェル様!」


この様子では、こちらの話など聞きそうにない。
まあ悪い人ではなさそうだし、見ていて楽しいからいいか、と自己完結するエルゥ。
エイリーク達にはちゃんと知らさねばなるまいが、後回しにする事に。
張り切って魔物に対峙しようとする二人……だが、ふとラーチェルがエルゥの方を見て。


「そういえば名乗っておりませんでしたわね。わたくしラーチェルと申します。こちらは従者のドズラ。よろしければ、ぜひ! あなたのお名前を教えて下さいませ!」
「……エルゥ、です」
「エルゥさんですわね。神の使命を帯びた者同士、これから宜しくお願い致しますわ!」
「……誤解があるようなので、それはまた後程お話ししましょう」


少々疲れたような声音のエルゥに、ラーチェルもドズラも疑問符を浮かべるばかり。
これは何を言っても尊敬の眼差しはやめてくれそうにない。
嫌な訳ではない。ただ、どうにも小っ恥ずかしいだけ。

その後、仲間入りした二人の活躍もあって魔物の殲滅に成功したエルゥ達。
エイリークはラーチェル達との三度の邂逅に驚いていたが、彼女が旅に付いて来る事になったので事情を説明し、身分を明かした。
ゼトは何か言いたげだったものの、彼女達は悪い人ではないとのエイリークの言葉に黙る。
案の定、話を聞いたラーチェル達は益々正義の使命に燃え上がり、そんな旅に同行しているエルゥへの憧れを強めるのだった。

ちなみにエルゥも、自分が竜である事や、別に徳を積んで神から祝福された訳ではない事をきちんと説明したが。


「謙遜なさるなんて、本当に心の清い方ですわね……。何よりあの伝説の種族・竜だなんて! 神よ、このような方に引き合わせて下さり、感謝いたします!」


どうやら、火に油を注いだだけのようである……。





−続く−


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