聖魔の娘

陰謀の国
▽ エイリーク編4章 陰謀の国


エフラムはグラドへ、
エイリークはロストンへ、
ヒーニアスはジャハナへ。

一人として倒れる事の許されない旅路へ、それぞれが身を投じて行く。
どの部隊と行動を共にしようか悩んでいたエルゥが決めかけた時、エフラムが訪ねて来た。


「エルゥ、少しいいか」
「どうしたのエフラム。明日からグラドへ進軍するんだから、早めに休んでおいた方がいいわよ」
「その事で頼みがある。お前、エイリークに付いて行ってくれないか」
「えっ?」


まさにその結論が出た所への提案に、エルゥは思わず目を丸くした。
エイリークの部隊は、三部隊の中で一番危険の少ない、はっきり言ってしまえば楽な行軍である。
確かヒーニアスの部隊が向かう方角にポカラの里があるが、街道からは離れているし私用で訪ねるような勝手は出来ないので、すっぱり諦めて圧倒的に厳しい旅路のエフラムに付いて行くつもりだったのに。


「何を言ってるの……! 敵国の中枢へ向かうエフラムが危険でしょ、私はあなたに付いて行くから」
「いいや、頼む。エイリークに付いて行ってくれ。兄馬鹿だと言われるだろうが、傍で守ってやれないのが心配なんだ。フォルデやカイルもエイリークの部隊に入って貰う事にした」


余りの言い分に、エルゥは呆れ果ててしまった。妹が心配なのはエルゥも分かるのだが、航路ですぐの友好国へ向かうエイリークと違い、エフラムは敵国グラドの帝都へ向かう。
それなのに、ずっと傍で戦っていたフォルデ達までエイリークに回すなんて。
エフラムは、エイリークを心配していた方が身が入らず、己の身の回りを疎かにしてしまいそうだという。
自分はフレリアの正規兵を連れて行くから心配はいらないと、そればかり。


「フォルデやカイルは了承したの? 信じられない…」
「あいつらも最初は渋ってたけどな。俺が言うならと信じてくれたんだ。どうかエルゥも俺を信じてくれ、俺は勝ち目の無い戦いなんかしない」


以前言われた言葉に、エルゥはドキリとする。
やはり、どうしてもエフラムの言葉を信じたい。
それだけの力が彼から発せられているような気がして、無条件に頷きかけた。
ただ委ねればいいのだと、それを思い出したエルゥは了承する方向だが、やはり納得できない部分もあるので、とある条件を付けてみる事にする。


「分かった、エフラム。私はエイリークを守る」
「すまない……恩に着る。エイリークを頼んだ」
「ただし。エフラムはミルラを守ってちょうだい」


エルゥが笑顔で出した条件に、今度はエフラムが目を丸くする番。
奪われたミルラの竜石は恐らくまだ、グラドにある。
エフラムがグラドへ向かうなら丁度良いとばかりに、ミルラの同行を提案。


「私がエイリークを守るなら交換条件。勝ち目の無い戦いなんてしないんでしょ、なら問題ないよ」
「いや、しかし……」
「あなたを信じてるから、エフラム。私の代わりにミルラを守ってあげて」


特に威圧感など無い笑顔に何故か押されてしまい、エフラムはたじろぐ。
しかし初めに頼んだのは自分のため引っ込め辛く、結局は、穏やかで優しげな外見と相反した頑固な主張に、苦笑しつつ頷く事に。
見た目の問題ではなく、そういう所がエイリークに似ていると思ったエフラムだが、口には出さなかった。 


+++++++


翌日、出立する前エイリークに会いに行くエルゥ。
私はあなたに付いて行くから、と言うと、やはり彼女も驚いた顔を見せる。


「エルゥ、あなたも兄上に言われたのですか? フォルデとカイルまで私に回したから、まさかと思っていましたが……」
「もう話が行ってるなら早いわね。私もエフラムに付いて行くと言ったんだけど、どうしてもあなたが心配なんだって」
「兄上ったら……私の行軍は兄上やヒーニアス王子に申し訳ないくらい楽なのに、過保護なんですから」


困ったような笑顔をしているところを見るに、エフラムを心配する気持ちと気遣いを喜ぶ気持ちが入り交じっているらしい。
恐らく昨日のうちにエフラムが話していたのだろう。
エイリークと別れると、さほど離れていない場所にフォルデとカイルの二人。
本音を言うならエフラムに付いて行きたかったであろう彼らにも挨拶しておく。
半月の時間を生死を共にした間柄として、多少からかいの念も持ちながら。


「フォルデ、カイル。エフラムに付いて行けなくて残念だったわね」
「エルゥ。いや、我々はエフラム様の臣下。主君の仰る事であれば、信じてそれに応えるのが……」
「なぁーに言ってんだよカイル、お前俺よりも食い下がってたくせに」


真面目な顔で心構えを説きかけたカイルを遮り、フォルデが軽口を叩く。
一瞬顔を顰めたカイルだが、フォルデの言う通りだったのか反論は無い。
ちなみに、主君であるエフラムを呼び捨て&敬語無しにした手前、彼の臣下であるフォルデとカイルに丁寧に接するのもおかしいかと思ったため、二人に対しても敬語なしと呼び捨てだ。
宜しく、と言い合って、最後にエルゥが向かうのはミルラの所である。
静かな渡り廊下、庭を眺めていたミルラを発見し、声をかける。


「ミルラ、もう出発の準備は終わったの?」
「姉様。はい、特に用意するものもありませんから」


柔らかく微笑むミルラに、やはり自分と同じエイリーク隊に付いて行かせるべきかと逡巡するエルゥ。
ミルラはそれを見透かしたように、私はエフラムに付いて行きますと言った。


「竜石はきっとグラドにあります。それに姉様がエフラムの傍を離れるなら、私が代わりに彼の力になりたいんです……」
「……分かったわミルラ、ただし約束して。無茶や勝手な行動はせず、エフラムの言う事をよく聞く事。危険な時は自分の身を優先して。逃げるのも勇気よ」
「はい、エフラムにも言われました。姉様も、どうかご無事でいてください」


エルゥは、まだまだ自分より小さな体を屈んで抱き締め、あやすように背中を軽く叩いてやる。
ミルラはそんな姉の動作にホッとしたような顔を見せ、暫くはそのままだった。


ヒーニアス王子は、同盟国のカルチノを通るので危険は無いと判断し、一個の傭兵隊を連れとっくに出立してしまったらしい。
エフラムとエイリークは少しの間別れを惜しんでいたが、やがてエフラムが踵を返して南方へ進軍。
エルゥもミルラと別れ、エイリーク隊に付いて東へ出立した。

フレリアの東から南東にかけて領土を構えるカルチノ共和国は、新興国である。
他国と違い英雄の血を引いた指導者は居ないが、複数の豪商が集まって財を成し、選ばれた長老達が政を進める商人の国だ。
フレリアとは同盟関係にあり、今回の戦争でもフレリア支持を表明している。
ヒーニアス達が向かったのは南東だが、エイリーク達はフレリア王都から真っ直ぐ東の港町を目指す。
街道を進みながら、エルゥは出立してから強く感じる視線にたじろいでいる。
恐怖を感じている訳ではないが、何とも関わり合いになりたくない感じだ。


「……ねえ、私に何か用でもあるの?」
「ただ観察しているだけです。お気になさらず」


濃い紫の髪を二つのお下げにした少女魔道士ルーテ。
自らを優秀と公言して憚らず、それに見合った魔力と知識の持ち主なため、仲間達から頼られている。
ただ少々世間離れしているというか、他人には理解し難い思考回路の持ち主。
今も、人間ではない種族であり更に高い魔力を持つエルゥに興味を示したらしく、付き纏っている。


「竜……孤高の種族。書物や資料も曖昧なものが多く、真実を伝えているとは考え難いところです」
「そうですね」
「例えば竜は卵生だと聞きますが、今のあなたは哺乳類のように見えます。その大きさは羨ま……ゴホン、取り敢えず本物かどうか確かめさせて下さい」
「ちょ、ちょ!?」
「何をやっているんですかルーテさん!」


正面からルーテに胸を鷲掴みにされそうになった瞬間、一人の男が後ろからルーテの肩を掴み止めた。
彼は確かアスレイ、光魔法を得意とした修道士で、見た目の印象通り穏やかでふわふわした感じの青年だ。
ルーテとは旧知の間柄らしく、先程からこちらを気にしていたようだった。
恐らくルーテが何か狼藉を働けば止めるつもりで構えていたのだろうが、彼女が余りに予想外の行動に出たので、心の準備も虚しく相当慌てている。


「そ、そのような事は人前でするものではありませんよ、はしたないです!」
「いやアスレイ、顔が赤いけどあなた何か誤解してるよね」
「確かに竜の秘密は、そうそうバラしたくありませんね。ではエルゥ、また夜にでも二人きりで」
「だからルーテもそういう誤解を招く発言はやめてお願いだから!」


周りで話が聞こえていたらしい数人が気まずそうに、あるいはニヤついて、ひそひそと噂話を繰り広げている。
いたたまれなくなり、その場から走り出して前方に居るエイリーク達の元へ。


「エルゥ、どうかなさったのですか?」
「いや……エフラムからあなたの事を頼まれたしね、傍に居ようかと」
「万一戦いが始まった時で大丈夫ですよ。ゼトも居ますから心配ご無用です」


ルネス城が陥落した時から、エイリークを守り傍で戦っていたというゼト将軍。
今もエイリークのすぐ隣に控えており、ただ馬を歩かせているだけのように見えて周囲に油断なく気を配っている。
……こんな人も居るのに自分が必要なのかと、段々疑問になるエルゥ。
やはりエフラムに付いて行くべきではなかったのかと、今も背後から熱視線を送って来るルーテに対して溜め息を吐いたのだった…。


++++++


やがてカルチノ共和国にある貿易港キリスに到着するエイリーク達一行。
フレリアの王都以上に戦時中である事を感じさせない活気は、さすが商人が治める国といった風だ。

この港町へ辿り着く前に、エイリーク達は一人仲間を増やしている。
それは何と、エイリークの後を追って来たフレリア王女ターナだ。
ペガサスナイトとして修行を積んでいる彼女は、友人や兄が戦っているのに一人蚊帳の外なのが辛いらしい。
当然、娘を溺愛しているフレリア王には置き手紙一つで了承など取っておらず。
フレリア王女として、エイリークの友人として戦いたいと必死に主張するターナに押し負け、エイリークは彼女を同行させる事に。

今、初めて来る港町にはしゃいでいるターナを見るに、エイリークより幾らも幼く見えてしまう。
実際の年齢は、さほど変わらないのだろうが。


「すごい、フレリアの港町以上に活気があるかも! あの大きな船はロストンへ行くのかしら?」
「ターナ様、よそ見しているとエイリークに置いて行かれますよ」
「エイリークはそんな事しないから大丈夫よ。それにしてもエルゥさん、だったかしら。エイリークは呼び捨てなのに、私は様付けなのね。他人行儀よ」
「えっと、許可も得ず王族の方を呼び捨てするのは、いくら何でも……」
「じゃあ許可するわ。エイリークの友達なら私の友達よ、仲良くしましょ!」


無邪気で可愛らしい様子に、性格は丸っきり違うのにミルラを思い出した。
数日前に別れた妹。今も無事で元気にしているだろうか。
エフラムを信じるしかないし疑っている訳ではないが、やはり心配は心配だ。
信用する事と心配する事は、決して矛盾しないはず。
そしてターナが旅に出た事を知れば、彼女の兄ヒーニアスもきっと心配する。
父のフレリア王なんて今頃、泣き崩れているのでは。


「えっと、ターナ。もし戦いが起きても無茶はしないでね。私の妹はエフラムと一緒に居るの。離れると心配になってしまうものよ」
「それ、私のお兄様も心配なさってるって事?」
「きっとね。厳しい方みたいだけど、丸っきり愛情が無いようには見えなかった。必ず生きて、ご家族と再会しなきゃ駄目よ」
「……分かったわ。でもエイリークを守りたい」
「私もエフラムからエイリークを頼まれているし、皆で協力すればいいの。一緒にエイリークを守ろう」


一緒に、と言われ、邪険にされていない確信を得てホッとするターナ。
アキオスという名らしいペガサスを撫でながら、頑張ろうねと話しかけている。
戦いにならないのが一番だが、地形を無視して移動できる飛行兵は重要だ。
彼女ともう一人、フレリアの天馬騎士ヴァネッサは戦力になってくれるだろう。
もちろん、全ての仲間達が大切な戦力だが。

ロストンへは、ここから船で10日ほどの旅。
船を探して船着き場へ行ってみると、向こうから三人組がこちらへ来た。
杖を手にした馬上の少女、恐らくトルバドールだろう。関係は無いがどことなく気品を漂わせている。
それにごわごわと髭をたくわえたやや老年の戦士と、軽薄そうな若い男。
エルゥが怪訝な表情で妙な三人組だと思っていると、エイリークが進み出る。


「あなたは……以前お会いしましたね。魔物と出会った時、お連れの方と一緒に現れた……。確かラーチェルさんでしたか」
「まあ、こんな所でまたお会い出来るなんて! きっとこれも神のお導きですわね」


目をきらきらさせる少女と、うんうんと頷く戦士。
ただ若い男だけはうんざりした様子で溜め息を吐く。
事情は分からなくても振り回されているであろう事は充分に窺い知れる、気の毒になる溜め息だ。
ラーチェルと呼ばれた少女は、エイリーク達がロストン聖教国へ向かう旅の途中だと聞き、大仰な、しかしとても似合う動作で片手を頬に持って行く。
まあ、とそれだけを言うのに溜めがあったが、何故か似合うので嫌味ではない。


「それはお気の毒に。船は一隻も出ませんわよ」
「え?」
「わたくしも、丁度ロストンへ帰る所でしたの。けれど海に巨大な幽霊船が現れ、次々と船を沈めてしまうんだとか。船乗り達はみんな恐がって、商船も客船も出そうとしませんの」


幽霊船……魔物だろう。
エルゥは魔物に攻撃されない自信があるので大丈夫なのだが、それを証明する手立てが無い。
また仲間達なら大丈夫だろうが一般人へ下手に証明しても、魔物の仲間だと疑いをかけられる面倒な事態を引き起こしかねない。
ただでさえ自分は、竜という人ならざる存在なのだから。
どうしようかと困惑するエイリークに、ラーチェルは胸を張って打開策を提案。


「どうしても急ぎでしたら、海路は諦めて陸路で行けば宜しいですわ。大変な遠回りになりますが、これこそ神の与えたもうた試練! 来るべき時、巨大な邪悪に立ち向かうための序曲なのです! 神よ、あなたの忠実なるしもべラーチェルは、この試練を乗り越えて御覧に入れましょう!」
「いや、あんたはそれで乗り越えた気分になるかもしれませんけどね」
「さ、ドズラ、レナック、行きますわよ!」


若い男の溜め息混じりの抗議はあっさり無視された。
ごきげんよう、とエイリークに軽く挨拶し、通り過ぎてこちらへ向かって来る。
そのまま自分の傍を通り過ぎるかと思ったエルゥは、ラーチェルが急に手綱を引いて目の前で馬を止めたので面食らった。
彼女はじっとエルゥを見つめ、向こうのエイリークや隣のターナ、ラーチェルお付きの二人が何事かと見て来るのも意に介さない。

そして、一瞬。
ラーチェルが先程までの天真爛漫な様子を引っ込め、汚らわしい物でも見たかのような苦い表情をしたので、思わず息を飲む。
だがエルゥにしか見えなかったらしいその表情はすぐ戻り、様子も戻った。


「初対面の方に失礼を致しましたわ、何となく尋常ではない雰囲気があったので……。どうか気を悪くなさらないで下さいませね」
「あ、いえ。大丈夫です」


では出発ですわー! と明るく叫んだラーチェルは、お供を引き連れ去って行く。
……感覚の鋭い者だと、竜人が人の姿をしていても気付いてしまったりする。
ひょっとしてラーチェルも、エルゥが人間ではないと感じ取ったのだろうか。
竜は人でも魔でもない。見る者によっては魔物にしか見えないだろう。
あの少女も、竜を魔物だと思うタチなのだろうか。

……そうでなければ、もしかすると彼女は……。


陸路で行くか海路の再開を待つか、どちらにすべきか話し合うエイリーク達。
エルゥが竜に化身して運べるだけ運んでしまえばいいかもしれないが、グラドには竜騎士が沢山いる。
万が一戦いになってしまえば危険が増すだろう。
さすがに全員を運ぶのはどう頑張っても無理だ。
それに先程のラーチェルの件があった後で、すぐ竜になるのも躊躇われた。

こうして悩んでいる時間も惜しい現状、やはり陸路しか……と考えた矢先、人相の悪い男が近付いて来る。
周りの人々は不味そうな雰囲気を感じ取り、空間を開けて遠巻きになっている。
ゼトがエイリークを庇うように立ち塞がるのと同時に、近付いた男が口を開く。


「ルネス王女エイリークだな? 悪く思わねえでくれよ、あんたの首を取れば良い金になるんでな」


男が斧を取り出し、周りの人々が悲鳴を上げつつこの場から逃げて行く。
事情を察した仲間達がすぐに武器を構えた頃には、武器を持った傭兵と思しき集団が襲い掛かって来た。
華やかな港町があっと言う間に血生臭い戦場へと変貌を遂げる。

エイリークの命を狙う傭兵団を、騒ぎに乗じて漁夫の利を狙う海賊を倒しながら先へ進むと、こんな戦場に不釣り合いな少女。
明るい金髪にあどけなさの残る彼女は、鎧を着て槍を携えているところからグラド兵と思われる。
他にも数名のグラド兵が待機しているが、あの少女だけが場違いに浮いている。
ひょっとして無理やり戦わされているのかもしれないと思ったエルゥは、グラド兵を倒しながら近付いてみた。


「ねえ、あなた!」
「え、えっ?」
「ひょっとして港町の子?奴らの狙いは私達だから隠れていれば安全よ。ここは私達に任せて、あなたは早く逃げて!」
「……あ、あたし、は……グラドの兵士よ! ルネス王女の襲撃作戦に加わってるんだから……!」


思いもよらない言葉に少し戸惑ったエルゥ。
そう言えと言われているのかもしれないが、グラドの兵士、という部分は誇りを滲ませるように毅然と言い放った。
本当にグラド兵士なのかもしれない、が、まだ槍の持ち方も不器用で、明らかに新兵といった体だ。
こんな事ではいけないが、何となく倒すのを躊躇ったエルゥは尚も話し掛ける。


「そっか、グラド兵。まだ新人でしょ、未来の将軍かもしれないのに、こんな所で散っちゃ惜しいよ」
「えっ……!? な、なれるかな、あたしなんかが」
「なんか、なんて言ってちゃ駄目。いつかまたルネスとグラドが友好を結べた時に、同盟国の使者として会いましょう。その方がずっと良いわ。じゃ、またね」
「……聞いてたのと違う。あの、待って下さい!」


呼び止められ、間合いは取りつつ立ち止まる。
彼女の瞳は揺らいでいて、迷っているであろう事は容易に想像できた。
彼女の名はアメリア、予想通りに新兵らしい。
エイリーク率いる一団は血も涙も無い残忍な悪魔だと聞かされていたのに、予想と違って戸惑ったそう。

エルゥとアメリアが話しているのに気が付いたエイリークがやって来る。
一応グラド兵の前に出すのは危険なので、エルゥがさりげに魔力を含蓄し、隠しながらいつでも放てるように構えた。


「エルゥ、どうなさいました……その子は?」
「あ、あなたがエイリーク王女ですね!? あたしアメリアっていいます。グラドの、兵士で……」
「グラドの……。なのに私と話して下さるのですか? それならば早く逃げて下さい。あなたのような方が命を落とせば、益々グラドとの溝が深まります」
「あたし、降伏します。あなた達とは戦いません」
「え……?」


聞けばアメリア、グラド帝国で皇帝の右腕とも言うべきデュッセル将軍に憧れて軍に志願したそうだ。
デュッセル将軍はかつてエイリーク達がグラドへ留学していた時に交流があり、特にエフラムの槍術は彼から指南を受けたもの。
デュッセル将軍は今回の戦争に強く反対しており、皇帝に戦をやめるよう諫言しているという噂が流れているそうだ。


「あたしそれを聞いて、何が正しいのか分からなくなって……。敵のはずのあなた達も、そんな悲しい顔をしているし……。私はただの新兵ですけど、何が正しいのか自分の目で確かめたいんです! 捕虜扱いで構いません、どうか連れて行って下さい!」
「あなたの心は分かりました。しかし私達と共に行くなら捕虜ではなく、仲間として戦って貰います。もしかしたら、グラドから裏切り者扱いされるかもしれませんよ。その覚悟はありますか?」


エイリークの質問に言葉を詰まらせたアメリアだが、ややあって頷いた。
裏切る訳ではない、グラドの未来を見据えて真実を見極めに行くのだと、ひたすら自分に言い聞かせて。
エルゥも、この少女が間者だとは思えないので特に異議は唱えなかった。
ゼトから少し何か言われる可能性もあるが、その時にまた考えればいい。

やがて敵を倒してしまい、生き残った一人をゼトが追い詰めて尋問を始めた。
傭兵はもはや戦う意思など無く、ゼトに言われるまま質問に答えている。


「何故エイリーク様を襲った。何が狙いだ」
「た、助けてくれ! もう戦うつもりはねえ、俺達はただ雇われただけだ!」
「お前達を雇ったのは?」
「カ、カルチノ、カルチノ共和国長老の一人、パブロに頼まれたんだ!」
「……確かか」
「間違い無い!」


フレリアと同盟を結んでいたはずのカルチノが裏切った、それは確かな動揺となりエイリーク達を覆う。
傭兵の話では、反対した他の長老達を金にものを言わせた力ずくで黙らせ、今回の事を強行したらしい。
もう知っている事も無くなった傭兵を逃がした後も、一行を重苦しい空気が包む。
そんな中、一番に口を開くのはゼトだ。


「……迂闊でした。カルチノは歴史も浅く、各国との繋がりも薄い。利のある方に付くのは当然の事。予測しておくべき事態でした」
「ではヒーニアス王子は! 彼は少数の兵で敵の中へ飛び込んだ事に……!」


エイリークの悲痛な声が響く中、町の向こうから一騎のペガサスナイトが慌てた様子でやって来た。
エイリークは乗っている女性に見覚えがある。
確かヒーニアスに同行していた伝令兵だ。
伝令兵はペガサスから降りて膝を折ると、息つく間もなく発言する。


「緊急時ゆえ、ご無礼をお許し下さい! ヒーニアス様が、ヒーニアス様がカルチノの奇襲を受けました! もう兵の半数を失い、立て籠った砦も包囲され逃げる事すら叶いません……!」
「なんですって……!?」
「このままではヒーニアス様が……。どうかお願い致します、ティラザ高原に居る王子をお助け下さい!」
「分かりました。あなたはフレリア本国へ報告をお願いします。疲れている所をすみませんが、すぐに王都へ向かって下さい!」


承知致しました、と伝令兵がペガサスに跨がり、西の空へ飛び去って行く。
エフラム、エイリーク、ヒーニアスの誰もが倒れてはならない旅路で、一人が絶体絶命の危機にある。
海路を諦め、カルチノを南下してヒーニアスを助けに行く事に異を唱える者は誰一人として居なかった。
誰もが緊迫した様子を見せる中で、やはりフレリアの家臣達は動揺を隠せない。
いつも冷静なアーマーナイトのギリアム、僧侶のモルダ、ペガサスナイトのヴァネッサ、そしてヒーニアスの妹ターナは、黙ったままだが顔色が悪いようだ。


「ターナ、しっかり。ヒーニアス王子はきっと助けてみせるから」
「エルゥ……私どうしたらいいの? あのお兄様に何かあるなんて思いたくないけど、もし……。ああ、お兄様……!」


悲痛な様子は、見ているこちらが辛くなってしまう。
これはぎりぎりの事態も考え、本格的に覚悟を決めなければならなくなった。
竜に化身する覚悟を。

化身しても3、4m程度の大きさしかないミルラと違い、エルゥはそれなりの大きさがある。
故に今から化身して飛んで行くと目立ちすぎるため無理だが、ヒーニアスが立て籠っている砦に近付いた時は……やるしかない。
エルゥはエイリークの傍に寄り、そっと話しかける。


「エイリーク、一つ提案があるんだけど」
「何です? エルゥ」
「ヒーニアス王子を一刻も早く助けないと駄目よね。そこでティラザ高原の砦に近付いたら、私が竜に化身して一気に砦まで突っ込もうと思ってるんだけど」
「え、それは危険ではないですか……!?」
「大丈夫、竜に化身したらそれなりの大きさがあるし、並の兵には負ける要素なんて無いよ。まあ今から飛んで行くのは目立ち過ぎるから無理だけど、砦に近付いたら私を見た敵は纏めて倒しちゃえばいいわ」
「……確かに、今は一分一秒さえ惜しい状況です。ティラザ高原に着いたらエルゥに任せて宜しいですか? 出来るだけすぐに追い付きますから」
「任されました。さ、急ぎましょう。ここからティラザ高原へは2、3日かかるし、伝令兵の様子からしてヒーニアス王子達もあんまり長く持たないはず……」


海岸線から離れるにつれ、山々が高く険しくなる。
登り道ばかりになるが休んでいる時間すら惜しい今は、出来る限り急いでティラザ高原を目指し駆けた。
天気は晴れ、しかし風は冷たく秋の到来を告げる。

ふとエルゥは、カルチノでも特に高い山にあるポカラの里を思い出した。
きっと今は越冬の準備に勤しんでいるだろう、こんな時期に迷惑をかけてしまった事が申し訳ない。
ヒーニアスを助け出せたら、エイリークに断って挨拶に行こうかと考えるエルゥだった。


++++++


商人が治めているため賊の被害も多く、守備に力を入れているカルチノは、どんな砦も各国の平均を上回る頑強さで建造している。
ここティラザ高原の砦も例に漏れず、高所に設置され辺りを見張るのに最適な立地、砦に入る時すら長い階段を登らねばならない設計、頑強な素材と、籠城戦には持ってこいの条件だ。
ただし、それは充分な物資と兵力があっての話。
大して多くもない兵しか引き連れていなかったヒーニアス隊は、大きな被害を出し追い詰められている。


「ヒーニアス王子、どうだ。まだやれそうか?」


待機している敵の様子を窺っていたヒーニアスに話し掛けたのは、顔に大きな傷を持つ屈強な男。
彼はその筋では名の知れた傭兵隊を率いるジスト。
ヒーニアスがジャハナへ向かうに当たり雇った者だ。
そして彼の傍らには、戦場に不釣り合いな踊り子の格好をした、妖艶な美女。
名をテティスといい、彼女もジスト傭兵隊の一員だ。
彼女の躍りには不思議な力があり、傍で踊って貰うと不思議に体が軽くなる。
戦いに疲れた兵の癒しにもなり、今や傭兵隊に無くてはならない存在である。
ヒーニアスは特に表情を変えず、ジスト達を見もせず毅然とした態度で答えた。


「当然だ。これしきの戦いで音を上げるものか。傭兵、君の方こそよく逃げ出さずにいたものだな」
「雇い主より先にへばったら仲間に示しがつかないだろ。……で、これからどうする?」


今は攻撃を中断しているが、敵に囲まれている現状は全く変わらない。
うかつに出て行けばあっと言う間に包囲され、為す術なく負けるだろう。
この砦の出入り口は階段を登った先に一つあるのみで、そこからヒーニアスが矢を射って敵を落とし、それでも落とし切れず登って来た敵は、ヒーニアスの前に立ち塞がるジストが薙ぎ倒す戦法を取っていた。
他に雇い入れた者達は多数が負傷し、死に、少数は逃げ出し、残りは三人。
伝令が間に合えばいいが、フレリアまでは天馬の翼でも数日はかかる。


「援軍の期待はするなって事か。それとも、ここらで諦めて楽になるか?」
「諦めるだと? 馬鹿な。私はフレリアの王子だ。そのような弱者の言葉は知らぬ。私は世界の命運を背負ってここまで来たのだ!」


例え這ってでもジャハナへ辿り着いてみせると言い放つヒーニアスに、ジストは嬉しそうに頷く。
雇い主がこの意気なら、まだ生きていられそうだ。
雇い主の質に運命を決められるなど、傭兵にはよくある事。
もう一頑張りするか、と息を吐いたジストに、テティスが言い難そうに割り込んだ。


「ねえ隊長、王子様。悪い知らせと……もっと悪い知らせがあるんだけど」
「……そうか、悪い方から聞かせてくれ」
「もう予備の武器が無くなったわ。隊長達が持ってるので最後」
「そいつは弱ったな……で、もっと悪い方は?」
「あいつら動き出したわ、また攻撃を仕掛けて来る。今度は今までのと違って大掛かりな感じみたいよ」


勝とうが負けようが、何が起きてもこの砦での戦いはこれが最後になるだろう。
年貢の納め時かね、と苦笑しながら言うジストに、ヒーニアスは何でもない調子で言葉を紡いだ。


「ジスト、テティス。君達をここで解雇する。投降なり逃げるなり好きにしろ」
「なに?」
「これからの戦い、君達では足手纏いだ。所詮は薄汚い傭兵、いつ私を裏切るか分からんからな」


突然の暴言に、それは無いでしょと突っ掛かるテティスをジストが押し留める。
自分はどうする気なんだと訊ねると、南から自力で脱出し山中に身を潜めるとだけしか言わない。
成功する訳がない。
ここから単騎で逃げ果せる訳がないのは、彼自身も分かっている事だろうに。


「簡単にはいかねぇぜ。何か策があるのか」
「教えられんな。いつ私を売るか知れたものではない。さあ、どこへなりと消えろ。私は一人で行く」


ここまで聞き、ジストはヒーニアスが自分達を逃がそうとしている事に気付く。
テティスに目配せすると彼女も気付いたようで、ムッとした表情から一変して笑顔をこぼし、その様子に今度はヒーニアスが眉を顰めたが何も言わなかった。


「死ぬのは自分一人でいいってか。やれやれ、俺は昔っからそういうのに弱くてな……」
「死ぬつもりなど無い。私はフレリア王子、君達庶民とは違う。高貴なる身分の者は、それに相応しい責務を負わねばならぬのだ。奴らの狙いは私一人、武器を捨てて投降すれば殺される事はあるまい。……何をしている、早く行け」
「そんな事を言われたら尚更、見捨てて逃げる訳にはいかねぇよ。最後まで付き合わせてもらうぜ」
「な、何を言っている! 雇い主の命令が聞けぬというのか!」
「あら、私達もう解雇されたんでしょ。逃げろなんて命令は聞かないわよ」


クスクス笑いながら言うテティスに、さすがのヒーニアスも面食らう。
傭兵とは、利にならない戦いなどしない者達。
戦いが生業、つまり生きるための仕事でしかないのだから、逃げ道があるのに拒否する謂れは無いはずだ。
俺達は傭兵失格だな、などと笑うジストが信じられなかったが、彼らの覚悟が固い事を確認すると、ヒーニアスはそれ以上何も言わなかった。

死ぬにしても、ただで死ぬつもりなど一切無い。
そろそろ敵が仕掛けて来るはずなので、またヒーニアスが入り口へ陣取り、ジストがその前を守る。
ふとテティスが砦から下方を確認し、北の山道を登って来る一団を発見した。


「……ねえ王子様。万が一助けが来るとしたら、どっちから来るのかしら」
「北だ。だがその望みはまず無いだろう。フレリアの援軍がどんなに急いでも、明後日までは来るまい」
「良い知らせか、悪い知らせか分からないんだけどね……。北の山道から集団が来てるの。旅人にしちゃ人数が多い気がするわ」
「敵さんが来やがったぞ、さすがに多いぜ!」


テティスの言葉を遮って無理に明るく弾ませたようなジストの声に、ヒーニアス達も覚悟する。
今は確かではない援軍の希望に縋るより、目の前の現実と戦う方が大事だ。
先程テティスが言った通り、残った兵を投入したのか大掛かりに来た。
相手はこの攻撃で決着をつけるつもりなのだろう。
残り少ない武器では倒しきれそうにない数だ。


「(ただで死にはせん。命乞いも初めからするつもりは無い。……責務を果たせぬ事だけが心残りだな)」


ヒーニアスの思う“責務”には、今回のジャハナへの使いだけではない、様々な事柄が含まれている。
命を懸ける覚悟など、フレリア王子である事を自覚した幼い頃から持っている。
死ぬ事自体に関しては、特に思う事は無い。
子として、兄として、主君として、友として。
全てを残して行く、それだけが彼の胸を苛んでいた。


++++++


「ヒーニアス王子!」


目指す砦が見え、エイリークは知らず届くはずの無い言葉を相手へ送っていた。
カルチノ側の傭兵と思しき部隊に包囲された砦へは、今居る場所から更に登らねば辿り着けない。
見張り易い場所に建造された砦は下からでもずっと見えているものの、辿り着くにはまだ時間が掛かる。
しかも砦の周囲だけではなく、下方、エイリーク達からさほど遠くない場所にも傭兵が配備されており、いちいち戦っていては間に合わないのに、このままでは戦いは避けられない。
砦から戦闘の気配があるという事はまだヒーニアスは無事という事だが、猶予も残されていなさそうだ。
それを知ったターナが、逸ってヴァネッサに諫められていた。


「もう待てない、私だけでもお兄様の所へ行くわ!」
「お待ち下さいターナ様、砦の近くにはシューターが備えられているようです。不用意に近付けば撃ち落とされかねません!」
「でも早くしないとお兄様が……!」


今にも飛び出して行きそうなターナを止め、エイリークはエルゥを見て頷く。
切羽詰まった事態にならないのが一番だったが、こうなっては仕方がない。


「お願いしますエルゥ、ヒーニアス王子を……!」
「分かった。エイリーク達も決して油断しないで、気を付けて来てね」


エイリークとエルゥしか意味が分からないやり取りに、周りの仲間達が揃って疑問符を浮かべる。
エルゥが肌身離さず所持していた竜石を掲げると、その体がみるみる変化し巨大な生物が現れた。

古の時代、人に味方し、共に魔を打ち倒した竜。
黒に染まったその体躯はそこに存在するだけで威圧感を生み出し、見ている者達を無意識に竦ませた。
エルゥは羽ばたいて巨体を浮き上がらせると、咆哮を上げて砦へ一直線に向かう。

一方砦では突然山々を揺るがした咆哮に、誰もが戦いの手を止め辺りを見回していた。
すぐにカルチノ兵達から悲鳴が上がったかと思うと、体が押し潰されるような風圧と共に巨大な竜が突っ込んで来て、運の悪い者達が次々と潰される。
砦の背後からだった為、ヒーニアス達は竜が実際に突っ込んで来るまで何が起きたのか分からなかった。
長い階段の下、うんざりするほど居た傭兵達が悲鳴を上げながら逃げ惑い、そこへ竜が口から猛烈なブレスを吐き出して、砦を囲む敵を一掃し始める。


「おいおい何だ、一体何が起きてるってんだ!?」
「……まさか、竜。ひょっとするとあの時の……」


ヒーニアスの頭をよぎるのは、フレリアでエフラムに紹介された竜人の姉妹。
しかしあの時は人間と変わらぬ姿しか見なかったために確信が持てない。
やがて周りを囲んでいた兵達が誰一人として動かなくなった頃、ヒーニアス達は用心しながら砦を降りる。
巨大な竜はそれを確認すると小さくなり、人間と変わらない形になった。
禍々しいとさえ言える、鬼神という表現がぴったり当てはまる先程の姿から一変、今度は美しい女性の姿。
その余りの差異に、ヒーニアスは思わず息を飲んだ。
彼女はヒーニアス達の方へ駆け寄って来る。


「ヒーニアス王子、ご無事で良かった……!」
「君は確か、エフラムが連れて来た竜人か」
「はい、エルゥです。エイリーク達もすぐ近くまで来ています。早くお助けするため、私が一人先行致しました」
「エイリークが? ロストンへ向かったはずの彼女達が何故、こちらへ来た」


ヒーニアスを助けるために決まっているが、彼は納得しなさそうだ。
海路が断たれたので、それだけではないのだが。
ひとまず事情の説明は後。
エイリーク達と合流するため、エルゥの案内でヒーニアス達は山道を下った。





−続く−


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