烈火の娘
▽ 1章 旅立ちの陰で


わたしがリンと草原で暮らし始めてから、もう2ヶ月が経ってしまった。
すっかり仲良くなったのはいいけれど、未だにここがどこなのか全く分からなくて、途方に暮れている。
手掛かりらしい手掛かりも無く、手元には謎の荷物があるだけだった。
三冊の本に二つのペンダント、一通の手紙。
わたしはある日、何の気なしに本を手に取り、開いて中を眺めていた。


「アカネ、今日の夕飯は……あ、読書中?」
「リン。ううん、いいの。ちょっと興味があって開いてみただけだから」
「でも読めるんでしょ? ひょっとしたら魔法が使えるかもしれないじゃない、やってみてよ!」


リンがあまりに期待を込めた眼差しをするものだから、ついついその気になってしまった。
わたしは開いたページに書いてある呪文らしき一文をなぞり、読み上げる。


「“天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ”!」


……。


やっぱり、と言うか。
何も起きる気配が無い。
こうなっては自分が残念に思えて、ちょっとムキになってしまう。
何度も呪文らしき一文を唱えたけれど、どこにも変化は現れなかった。
あーあ、と息を吐き、持っていた本を閉じる。
やっぱりこの荷物はわたしの物じゃなくて、誰か違う人の物なのだろう。


「本当にこの荷物、誰の物なんだろうね。持ち主さん今頃、困ってるんじゃないかなあ?」
「そうね。でも前に私が言ったけど、誰かがアカネに預けた可能性だってまだ捨てきれないわ。誰か心当たりは? このサカで魔法を使う人なんて見た事が無いし、他の国の人だと思うけど…」


そんな心当たりなんて、わたしにある筈も無い。
ここが……どこかは分からないけれど、一度も来た事がないのだから。
そもそも魔法なんて言うのが非現実的で、そんな物が存在するなら…。

と、そこまで考えた所で急にリンが、警戒するように辺りを見回し始めた。
反射的に声をフェードアウトさせて黙り込んだ私の前で、出入り口の方を盛んに気にしている。
次の瞬間、リンは剣を手に飛び出そうとした。
わたしは慌てて止めるのだけれど、意志の強い彼女には言っても無駄だ。
やがて帰って来たリンの口からわたしは、日本ではまず聞き得ない単語を聞く。


「大変! ベルンの山賊どもが山から下りて来たわ!!」
「えっ……山賊!?」
「また近くの村を襲う気ね、そうはさせない!」


すぐに出て行こうとするリンにわたしは、何か出来ないかと辺りを見回す。
近くにあった傷薬が目に入り彼女に渡すと、笑顔で有難うと応えてくれた。
あれくらいの人数なら私一人で追い払うからアカネは隠れてて、と言われ、わたしは本当に大人しく隠れていた。
武器を持った山賊と戦うのにわたしが付いて行った所で、出来る事なんて応援か足手纏いだけだ。

でも先程から広がる嫌な予感が拭えない。
何か良くない事が起こりそうな気がして苦しい。
リンが山賊に殺されたら……なんて頭に浮かんでしまい恐怖に身を震わせる。
こんな悲観的な事じゃいけない。
この2ヶ月、彼女が剣の鍛錬をしていたのはよく知っているし、きっとリンならすぐに倒して帰って来てくれる筈。
そう考えようとしても後から後から悪い事が起きる気がして、いい加減心配で頭が痛くなった。


「だめだ……やっぱりわたしも行こう!」


とは言え、武器も何も持ってないので役に立つとは到底思えない。
わたしはふと、誰かの物であろう荷物入れから、本を一冊取り出した。
リンはこれを、魔法が使える魔道書だと言った。
未だに信じられないけれど、使えるならリンの力になれるかもしれない。
信じられない、けど……。


「まずは、信じる事から始まるんだよね」


お母さんの教え。
さすがに現代日本で教えるには危険極まり無い教えかもしれないけれど、わたしは既に、この押し潰されそうな程の不安に耐えられなくなっている。
少しでも勇気が出るようにと、本を抱えてもう一度、復唱した。


「信じる事から始まる……わたしはリンの無事を信じたいからこそ、自分の勘を信じて彼女の所に行く!」


リンが危機に陥っているなら助けになれる事があるかもしれないし、無事なら無事で一安心だ。
魔道書、と呼ばれるらしい本を手に、わたしは遊牧民用の住居……ゲルを飛び出した。
ずっと向こう、大きなゲルの前に人影がある。
あれだ、と思って近付いて行くと、途中に山賊らしき男が血を流して倒れていた。
反射的に凝視していまい、つい気分が悪くなる。


「(リンがやったのかな……でもそうしなきゃ殺されるんだろうな、きっと)」


ふと、男の側に落ちている斧が目に付き、わたしは凍りついた。
血が付いているけど、まさかリンは怪我を……!
傷薬を持たせておいて良かった、けど大丈夫なんだろうか……怖い。
わたしは急ぎ、向こうに見えるゲルまで走る。
近付くにつれ二つの人影がハッキリ見えて、またわたしは青ざめた。


「リ、リン!」
「アカネ……!? 来ちゃ駄目、すぐ逃げて!!」


古いゲルの前、血を流しながら懸命に立っているリンと、斧を構えた男。
リンは怪我のせいかふらついていて、まともに戦えるとは思えなかった。
男はわたしに気付くと、ニヤニヤ笑って嫌悪感しか覚えない声音で話す。


「またガキか…しかし上玉には違いねぇ。安心しな嬢ちゃん、殺しやしねぇよ。生意気だから少し痛い目見せてるだけだ」


その言葉に総毛立つ。
この男、リンを殺すつもりは無いのだろうけど、理由が余りに最低だ。
絶対、彼女にそんな酷い事なんてさせない……!
わたしは魔道書を隠し、山賊に向かって虚勢を張る。
リンを助けたい一心でも怖い事に変わりはなく、やはり足が震えていた。


「い、今すぐ帰って! リンに乱暴なんかしたら、絶対……許さない!!」
「おいおい、震えてる癖に健気だな。オレ様にそれ以上近付けねぇだろ?」
「お願いだからアカネ、逃げて! お願い!」


リンの懇願にも、わたしは一歩も動かない。
情けない話、逃げ出したくても足が震えて、もう不可能に近かった。
そんなわたしを面白がったのか、男は怪我をして碌に動けないであろうリンの方へ歩いて行く。
ハッとしても恐怖で動けないわたしは、ただそれを見ているしか出来ない。

日本に居た時は全く体験する事の無かった、友達が目の前で殺されてしまうかもしれない恐怖。
いや、それはどこに居たって体験するかもしれないけれど、わたしはそんな日が来るなんて考えた事すら無かった。
いきなり家族を失い、訳も分からないうちに外国に来てしまったわたしを暖かく迎えてくれた、リンが……。

嫌、誰か力を貸して!
お願いだから、リンを失うなんて……絶対に……!

…わたしは全く無意識に魔道書を構えていた。
そのままページを開き、突然、妙な呪文めいた言葉が勝手に口を突く。


「ρεγινα ηγνισ!」
「なっ……テメェ、まさか魔道士……!」


体中から力が抜けて行くかのような感覚の後、わたしの体から、信じられない程の業火が放たれた。
それは山賊の体を余すところなく焼き付くし、きっと地獄に落ちたらこんな風になるのだろうと思わせる光景を作り出す。
奴の全身は焼け爛れ、耳障りな断末魔の悲鳴の後、高温に耐えられなかった体が少し破裂した。
後には微妙な肉片や感じた事の無い焼けた臭いが辺りに残り、一気に吐き気が込み上げる。
怪我をしていたリンはふらつきながらも、口を抑えてうずくまったわたしの側に来てくれた。


「危なかった……相手が1人だと思って油断したわ。心配かけてごめん。……大丈夫? アカネ……」
「うっ……う……」


目の当たりにした光景の残酷さと人を殺したショックで、気分が余りにも最悪の状態だった。
碌に返事も出来ずに吐き気を我慢していると、今度は全身が震えて涙が溢れてしまう。
リンは自分が怪我をしている事も忘れているのか、わたしの背中を優しくさすり、心配そうに声を掛けてくれた。
いけない、わたしより、怪我をしているリンを手当てしなければならないのに、震えが止まらない。


「魔法、使えたのね。良かったじゃない、しかもあんなに凄い魔法……」
「わ、わたしっ! 人、を、殺し……て……!」
「でもっ! アカネが助けてくれなければ、私は今頃殺されていたかもしれないわ! 有難う、アカネのお陰で私、助かったのよ」
「うっ……うぅぅ……!」


涙と震えは、一向に止まる気配が無い。
帰ろう、帰って休もうとリンが言い、まともに歩けないわたしを支える。
彼女は怪我をしているのに情けない限りだとは思うけれど、酷い疲労感まで出て来て体は一向に言う事を聞きそうに無い。
自分で支えられる分は必死で支えて、わたしとリンは何とか家に帰り着いた。

わたしは人を殺した。
友達を助ける為とは言え、相手が悪人とは言え、それは紛れも無い真実。
リンは幸い傷薬で怪我を治せたけれど、わたしはその日、食事もマトモに取る事が出来なかった。
寝台に着くと意外に早く睡魔が襲って来たけれど、気分は晴れそうにない。

最悪な気分のまま就寝したわたしが見た夢は、つい2ヶ月前まで当たり前だった家族団欒の光景。
お父さんが居て、お母さんが居て、お兄ちゃんが居る、幸せな時間。
あの14年間が夢のように遠く思えて、無性に泣きたくなったのだった。


++++++


「おはよう、アカネ!」


わたしを呼ぶ優しい声。
直前まで見ていた夢も相まって、わたしは実に恥ずかしい返答をしてしまう。


「……おかあさん?」
「やーね、寝ぼけてるの?」
「……あっ」


瞬時にリンだ、と思い直し、慌てて起き上がる。
かなり恥ずかしくなって何も言えないでいると、リンは少し困ったような笑顔で、わたしの頭を優しく撫でてくれた。


「昨日の戦いで疲れた? ……初めて人を殺してショックだったのね。ごめん、アカネにそんな思いをさせちゃって……」
「う、ううん。リンが無事で良かったし、それにリンだって奴らを追い払う為に……」
「私は覚悟したの。両親を、一族を殺されたあの日に心を決めたわ。どんな罰が当たろうと不幸になろうと、奴らに復讐する為には厭わないって」


そうやって憎しみの炎を燃やしていないと、この草原で一人ぼっちで生きて行くなど不可能に近かったのだろうと思った。
わたしも家族を殺されたけれど、直後にリンに救われた分まだ楽だ。
強くなれば平気になるだろうか、お母さん達を殺した化け物に復讐できるだろうかと考えていると、
リンが何か、少し言い難そうにある提案を告げた。


「それでね、アカネ。ちょっと話があるんだけど」
「なあに?」
「私、修行の旅に出ようかと思ってるの」


その言葉に、わたしは呆気に取られて何も言えなくなってしまった。
リンは思うところがあるのか、わたしの反応に躊躇いながらも話し続ける。


「昨日戦って、アカネにあんな思いをさせてしまって分かった。大事な友達1人も守れないようじゃ仇討ちなんて無理。たくさん戦って、もっと強くならないと駄目なのよ。もっと誰にも負けないくらい強く……」
「リン……」
「けどアカネを置いて行くなんて出来ないし、私と一緒に旅に出ない? ひょっとしたら、アカネが住んでいた大陸や国の事を知ってる人が居るかもしれないじゃない! 今度こそ私がアカネの事を守ってあげるから、ね」


リンの意志は固そうだし、ここまで真剣に思っている彼女を止めたくない。
それに、リンと別れたい訳ではないし家族はもう居ないけれど、望郷の念が無い訳じゃない。
せめてここが何処で、日本に帰れるかどうかさえ知る事が出来たら。
そして、わたしの側に落ちていた荷物たち。
旅をしていれば、この荷物の持ち主に出会えるかもしれない。


「うん、一緒に行こう。旅に出よう、リン!」
「いいの!? ありがとう! すごく、嬉しい!! 絶対1人より、2人の方が心強いって思ってたの。一緒に頑張ろう、ね!」


こうして、リンは修行の為、わたしは荷物の持ち主と故郷の事を知っている人探しの為、旅に出る。
次の日に出発し、まずは旅装を整える為に、サカで一番の交易都市であるブルガルへ向かう事になった。

この街での出会いが、わたし達の運命を大きく変える事を、まだ2人とも知る由も無かった……。


++++++


「アカネ、こっちよ」
「わあ……素敵!」
「ここがサカで1番大きな街。まずは旅に必要な物を揃えましょ」


わたしの目の前に広がったのは、遊牧民が部族を作って暮らしているイメージがあった今までとは全く違う街だった。
まるで中世ヨーロッパにでもトリップしたようで、おのぼりさん宜しく辺りをキョロキョロ見回す。
なんでも此処は隣国であるベルンと言う国と国境が近く、そちらの文化が流れて来ているのだとか。
ベルンって……スイスの首都じゃなかったっけ?
じゃあ此処、もしかしてヨーロッパ? スイスをベルンって呼んでるの?
でもスイスの隣に、広大な草原で遊牧民が暮らしてるような国ってあったっけ?


「アカネ?」
「えっ…! あ、ごめん。こんな街って初めてだから、ついあちこち眺めてボーっとしちゃって」
「ふふ、迷子にならないよう気を付けてよね」


笑うリンの首元には、わたしの側に落ちていた荷物入れに入っていたペンダントが光っている。
リンには雫の形をした青いペンダントを渡し、わたしの首元には、真円の赤いペンダント。
いつか持ち主に返さなければならないので、2人が離れたりしないように付けておく事にした。
まあ、一昨日みたいに戦闘になる事があれば、服の下にでも隠すけれど。

取り敢えず薬や食料、武器などの旅支度をする。
リンの勧めで魔道書も買う事になって少し戸惑ってしまった。
こんな、魔法が本当に存在するなんて……何でニュースにならないんだろう。
もしかしてわたしは、本当に中世ヨーロッパにでもトリップしてしまったのだろうか。


「でもなあ、魔法が使えたのは偶然かもしれないし」
「なに言ってるの、あんな凄い魔法が偶然なんて信じられないわ。アカネをいつも守れればいいけど、私もまだ未熟だし。万一の為の護身用よ」
「うーん……」
「おお、これはっ!! なんて華やかなんだっ!」


突然男の人の声が割り込んだかと思うと、いつの間にか馬に乗った緑鎧の男性が立ち塞がっていた。
こちらを見てニヤニヤ笑っているけれど、一昨日の山賊のような嫌悪感はまるで無い。

……が。


「待って下さい、美しいお嬢さんたち! 宜しければ、お名前を! そしてお茶でも如何ですか?」


……うわあ。見事なまでにリンの嫌いそうなタイプ。
その通り、みるみる内にリンの視線が冷たくなり、あなたどこの騎士? なんて尋ねる声も、普段からは想像もつかない程冷ややかだ。
あ、なんかわたしまで寒くなって来た……けど、男性はそんな空気を読めないのか、何とも嬉しそうに声を張る。


「よくぞ聞いて下さいました、俺は、リキアの者。最も情熱的な男が住むと言われるキアラン地方出身です!!」
「“最もバカな男が”の間違いじゃないの?」
「うっ……冷たいあなたもステキだ」


あああお兄さん、お願いだからリンにこれ以上油を注がないで下さい!
……なんて疲れた顔で考えていたら、今度はお兄さんの矛先がこちらに。


「おや? こちらの可愛らしいお嬢さんはどうやらお疲れの様子! ここは休憩がてらお茶でも……」
「ちょっと、アカネに手え出したらタダじゃおかないわよ!!」


誰か助けて!
と、本気で叫びそうになった瞬間、本当に救いが現れてくれるなんて、わたし、ちょっと運が良くなったのかもしれない。


「セイン! いい加減にしないかっ!!」


現れたのは同じく馬に乗った、赤鎧の男性。
こっちのヘラヘラしたお兄さんと違って、いかにも真面目そうだ。
どうやらナンパしていた事を怒っている風だけれど、緑鎧のお兄さんは相変わらずヘラヘラしてる。


「おお、ケント! 我が相棒よ! どうした、そんな怖い顔で」
「貴様が真面目にしていれば、もっと普通の顔をしている! セイン、我々の任務はまだ終わっていないのだぞ!!」


あっと言う間に口論が始まり、ちょっと周りに注目されて恥ずかしい。
しかし緑鎧のお兄さん、美しい女性方って、ナンパに免疫の無いモテない女子中学生をそんな言葉で口説かないで下さい……。
そんな事を考えている間にもリンのイライラは募り、遂にいつまでも馬上の口論を続ける二人に冷たい声を投げた。


「あのっ! どうでもいいけど道をあけて。馬が邪魔で通れないわ」
「すまない、すぐに……」
「ありがとう。あなたはマトモみたいね」


こう言う真面目そうな人って、リンにとって付き合い易そうだもんね。
でも、あなた“は”って緑鎧のお兄さんにシッカリ嫌味言う所はさすが。
でも次の瞬間、リンの微笑みに何かを感じ取ったらしい赤鎧のお兄さんが、とんでもない事を。


「……失礼だが、君とは、どこかで会った気が……」
「え?」


ええぇぇー!?
そう言うナンパってどうだろうお兄さん!
リンも急な事に、嫌悪を投げかける事も出来ないみたいだし…何なのこれ。
そこでまた緑鎧のお兄さんが乱入して、ずるいぞ、俺が先に声を掛けたんだぞ! ってあーあ。
それでリンも自分が何を言われたか気付いたらしくて、すぐ元の冷ややかな表情と声音に戻った。


「リキア騎士には、ロクな奴がいないのね! 行きましょ、アカネ。気分が悪いわ!」
「ちょ、え、あ、じゃあさようならお兄さん達」


本格的に怒ったらしいリンに軽く引っ張られながら、人混みの中へ紛れて行ったわたし。
後ろで赤鎧のお兄さんが、待ってくれ、とか違うんだ、とか言っていた。
でも確かに、あの赤鎧のお兄さんは何か真面目な話をしたそうだったけど。

やがて彼らも見えなくなった。
この人混みなら探し出すのも一苦労だし、追い掛けはしない筈。
何故か嫌な予感……、まるで一昨日に感じたような不安に襲われたけど、頭を振って気にしない事に。
まあリンの怒りが静まるのを待ちましょうか、なんて放された腕を軽く振りながら歩いていると、人混みの中ですれ違いかけた人に、その手がぶつかってしまった。


「あ、ごめんなさい」


……後悔した。
さっきの騎士とは大違いの、なんかめちゃくちゃ恐そうなオジサンだった。
さっと青ざめたわたしは、そのオジサンの視線が私の身に付けているペンダントに注がれている事に気が付いた。
次の瞬間、周りを数人の男に囲まれ、リン!
と叫ぼうとした口も塞がれ、引きずられるように連れ去られてしまう。
ひょっとして賊の類かもしれない。
余りに手際良く街の外の人気ない場所まで連れて来られ、頭がパニックに陥りかけている。


「な、なんなんですか! わたしに何か……ひっ!」


抗議しようとしたわたしの喉元に、短刀が添えられる。
男は、今から出す質問に答えろと脅し、少しだけ刃を喉に押し付けた。
ほんの少しだけどプツリと肌が切れた感覚がして、じわじわ広がる熱と痛みに体が震えてしまう。
わたしが抵抗しないと見ると、男は質問を始めた。


「名は」
「……アカネ、です」
「このペンダントは何処で手に入れた?」
「行き倒れてたわたしの側に、落ちて、ました」


そこまで答えると、他の男達がなにやら相談を始めてしまった。
ひょっとしてこのペンダントの持ち主は、何か狙われるような事をやっているのだろうか。
殺されるかもしれない現状に恐怖が湧き、体が小刻みに震え出す。
けれど男達はそんなわたしなどお構い無しだ。


「この小娘が“黒い牙”に仇なすのか? まあ何にしろ命令だし、殺すか連れ帰るかするとしよう」
「面倒だな、生死は問わないってんだから、殺して首だけ持って行けばいい。首は喋らなきゃ抵抗もしないからな」


心臓を握り締められたかのように、一瞬で信じられない苦しさが襲った。

殺される……どうして? わたしが何をしたの!?
嫌だ、死にたくない……!

首に添えられた短刀に更なる力が入った。
さっきの皮一枚切った感覚とは違う、明らかな肉が切られる感触に、一気に目の前が赤く染まる。
そのまま意識が飛んでしまい、その後どうなったかは自分でも分からない。
ただ意識が消える瞬間、視界の端に、黒いローブを纏った人物がこちらを見ている姿が映ったような気がした。


+++++++


…その頃、先程リンとアカネに声を掛けた赤緑の鎧騎士……
ケントとセインは、居なくなったリンを探し回っていた。
街中には居ない。万一の事を考えて、外の人気の無い所などを捜索す二人。


「セイン、お前が余計な事を言うからだ! 彼女に万一の事があったらどう責任を取るつもりだ!」
「だ、だから悪かったって! でも美しい女性方を前にして声を掛けないのは礼儀に反すると……」
「なんの礼儀だ!」
「ってああほらケント、あの子さっき一緒に居た子じゃないか!?」


セインの言葉にそちらへ目を向けてみると、やたら目に付き難い所に、先程「任務」の娘と一緒に居た少女が倒れている。
瞬時に最悪の事態が頭をよぎり近寄ってみると、彼女の周囲には全身をズタズタに裂かれた男達が血まみれで死んでいた。
あまりの惨状に思わず顔を顰めてしまうが、目的の娘の姿は無い。
セインがアカネを抱え上げてみても目覚める気配は無いが、命に別状は無くまだ生きている。


「取り敢えずケント、この子を連れて行こうぜ。ひょっとしたら何かを知ってるかもしれない」
「そうだな。その子はお前に任せるが、……決して無体な事はしないように」
「い、嫌だな相棒、いくら何でも気絶してる女の子相手にそんな……」
「どうだかな」


気絶したアカネを馬に乗せ再びリンを探す二人。
だが、どうしても拭えない疑問がある。
なぜアカネがリンと離れ離れになっているのか。
離れ離れになっているだけならまだしも、アカネは気絶しており、更に周りには、戦場でもあれ程までに惨い死に方はなかなかしないだろうと言う程の惨状で、複数の男達が死んでいた。


「ありゃ酷かったな。あんな千切れたみたいに全身ズタズタになってさ。まさかと思うが、この子がやった訳じゃないよな」
「分からないが……もしその子が彼女に危険を及ぼすようであれば、その子には悪いが……」
「お、おいおいケント、こんな女の子を手に掛けようってのか!?」
「可能性の話だ。侯爵様の為にも、彼女は無事に連れ帰らねば」
「そうだけどさ〜。ああ俺、気が乗らないな」


言いながらも馬を駆り、リンを探し回る2人。
やがて前方に、ならず者に襲われているリンを発見するのだった。


++++++


「ねえアカネ、お願いだから目を開けて!」
「……う、ん……?」


必死なリンの声に、わたしはゆっくり目を開ける。
気付けば座ったリンの膝に頭を預けて倒れているらしく、空の青に彼女のホッとした表情が良く映えているなと、のん気な事を考えたりしていた。
でも次の瞬間、先程自分の身に起きた事を思い出し慌てて起き上がる。
あの男達は居なくなっていたけれど、何があったのか代わりにさっきの赤緑鎧のお兄さん達が。
どう言う事? と視線でリンに質問すると、彼女は少し困ったように笑う。


「あなたを探してたら、賊に襲われちゃって。その騎士さん達が訳ありみたいで助けてくれたの。あなたの事も、街の外で倒れていたからって連れて来てくれたのよ」
「え、賊に…!? 無事で良かった…! お兄さん達、わたし達を助けて下さって有難うございます」
「いやあ何の何の! 美しい女性を助けるのは騎士の務めっぎゃは!」


わたしがお兄さん達に礼をすると緑鎧のお兄さんが騒ぎ出して、赤鎧のお兄さんに足を踏まれた。
うわあ、痛そう。

リンに、何があったの? と訊かれ、わたしは身に起きた事を話した。
賊らしき男達に殺されそうになった事、どうやら男達はペンダントに覚えがあるようだった事。
ペンダントを身に付けていると危ないと思ってリンに預けた方を受け取ろうかと思ったけれど、リンは、服の下に隠すから大丈夫よ、と引き渡しを拒否してしまった。
取り敢えず無事な事に喜んでいると、赤鎧のお兄さんが何やら怪訝な表情でこちらを見ていた。
え、わたし、何かした? なんて考えていると、赤鎧のお兄さんはとんでもない事を言い出す。


「気絶した君の周りに、賊らしき男達が全身を引き裂かれて死んでいた。こんな事を尋ねるのも何だが、あれは君がやった事なのか?」
「えっ……。何で……」
「ちょっと待って。アカネがそんな事をする筈が無いわ。一昨日だって山賊との戦いで震えていたぐらいなんだから」


リンの助け舟に赤鎧のお兄さんはアッサリ引き下がってくれたけど、警戒は解かれてないみたいだ。
そう言えば、あの男達はわたしを殺す気だったらしいのに、何故わたしは無事でいるんだろう。
そっと手を添えた首も、傷や痛みは跡形無く消えているようだし……。

そう言えば。
気絶する直前、黒いローブを纏った人が見えた気がしたけれど、見間違いじゃなかったら、まさかあの人が……。


「とにかくアカネが無事で良かった……。守るって決めた直後なのに、こんな事になってごめんね」
「ううん、リンが無事で安心したよ。所で、このお兄さん達はどんな訳ありなの?」
「あ、そうね。リキア騎士のお二人さん、話を聞かせて貰えるんだったわね?」


どうやら赤鎧のお兄さんはケント、緑鎧のお兄さんはセインと言うらしい。
やがてお兄さん達は、わたし達の予想を遥かに超える事を話し出した。


「はい。我等はリキアのキアラン領より人を訪ねて参りました」
「リキア…西南の山を越えた所にある国ね?」
「そうです。16年前に遊牧民の青年と駆け落ちした、マデリン様への使者として」


マデリンと言う名に聞き覚えがある気がする。
そう思ってリンを見たら瞬時に思い出した。
リンの亡くなったお母さんの名前だ。
お兄さん達の仕える主君・キアラン侯爵の一人娘で、ずっと消息が掴めずに諦めていたそうだ。
でも今年になって初めて便りが届き、サカで家族三人幸せに暮らしていると知ったらしい。
侯爵様もきっと本当は娘さんに会いたかったんじゃないかな。

リンの本当の名前であるらしい“リンディス”は、侯爵様の亡くなった奥様の名前だそうだ。
両親と3人だけの時はリンディスと呼ばれていたと言うリンは、感慨深そうに目を閉じる。


「なんだか、変な感じ。もう家族は居ないと思ってたのに、お爺ちゃんが……いるんだ。リンディスって呼ばれる事、もう無いって思ってた……」
「リン……」


本当に良かった。
わたしだって、もしまだ家族が生きていると知ったら嬉しくて仕方ない。
けれど、良かったねとわたしが告げる前に、リンはハッとして声を上げた。


「……違う! さっき私を狙って来た賊も、私をリンディスって呼んだわ!」
「!? まさか……」
「ラングレン殿の手の者、だよな?」


侯爵様の弟であるラングレンと言う男。
侯爵様の一人娘が居なくなって爵位を継ぐ筈だった所へリンが現れ、それが叶わなくなったらしい。
これは、歴史もののドラマなんかでよく見る、相続争いってやつじゃ……。
でも、リンが爵位なんて欲しがる訳がない。
わたしはそれを知っているから、思わず声を荒げてしまった。


「そんな、だってリンは爵位になんて興味ないですよ、わざわざ狙わなくったって……!」
「残念ながら、そんな事が通じる相手じゃないんです。これから先も、リンディス様のお命を執拗に狙い続けるでしょうね」


このままでは余りに危険すぎるのは明白。
助かる道は、お兄さん達と一緒にキアランへ行く事ぐらいしか無い。
リンは状況をすぐに把握し、二つ返事で了承した。
何だか大変な事になって来てしまった。
リンはわたしを気に掛けてくれるけれど、正直、足手纏いにしか……。


「アカネ……ごめんね、おかしな事になっちゃって。アカネはどうする? 私としては離れたくないけど、命の危険がある旅に無理やり連れて行くのも酷だし……」
「わたしだって、リンと離れたくない。けど……。わたし、わたし……」
「リンディス様、彼女は連れて行かない方が宜しいかと思います」


突然、ケントさんが話に割り込んで来た。
その顔は普通だけど、きっとわたしを警戒しているんだろうとは窺える。
確かにそうだ、戦えないわたしは普通に足手纏いにしかなれないし、騎士さん達から見たら、例のズタズタにされた男達の件で、わたしがリンに危害を加える可能性もあると危惧してるんだ。

あの男達を殺したのはわたしじゃないのに、それを証明する手だてが無い。
リンに付いて行かないにしても、わたしがリンを傷付けるつもりなんて無い事だけは分かって欲しいのに……。
すると突然、付いて来るかどうかの選択をわたしに委ねた筈のリンが、ケントさんに抗議を始めた。


「待って。どうしてそんな事を言うの? アカネは二ヶ月も前から一緒に暮らして来た大事な友達なのよ」
「……見た所、彼女に武芸の心得は無さそうですが。危険な旅になります、みすみす命を無駄に捨てる事になりかねません」
「それは……」
「それに、彼女が貴女に危害を加えないとの保証も無い。あの男達を殺したのが彼女ではない証拠も無いのですから」
「それだけは無いわ、私はアカネを信じる。だから彼女は連れて行く」


きっとリンの本音。
リンは優しいから、わたしを離せないんだ。
無理に離れたりしたら、リンはわたしを心配して身の回りの事が疎かになってしまうかもしれない。
命を狙われている以上、それだけは避けなければ。

正直、怖い。
残れるものなら残って、安全な場所に居たい。
でも家族と帰り方を失って途方に暮れていたわたしに、優しく接してくれたリンの気持ちを、こんな時ぐらい優先したいと思った。


「私、アカネを置いて行ったら逆に心配で気が気じゃなくなるわ。側において守ってた方が寧ろ安心する。ねえアカネ、酷なお願いかもしれないけど、私と……」
「一緒に行くよ。戦闘は無理かもしれないけど、最低、足手纏いにはならないよう気を付ける」
「いいの? 本当に!? ありがとう! ……改めて、これから宜しくね!」


リンの押しに、ケントさんも渋々了承した風だ。
セインさんはナンパして来た時みたいな顔でヘラヘラ笑って喜んでる。
わたしはケントさんの側に行って、魔道書を見せながら告げた。


「まだ自由に使えませんが、わたしは魔法を使える可能性があるので、頑張って習得します。せめて邪魔にはならないよう。あと、決してリンに危害は加えません。それだけはどうか信じて下さい」
「……分かった。しかし、君を警戒させて貰う事に関しては悪く思わないで欲しい」
「はい」


きっとリンの身の安全を考えなければならない彼にとって、最大の譲歩。
わたしはそれに従い、リンの旅へ同行する事になった。


+++++++


……アカネがリンと改めて買い物した荷物を確認している側で、セインとケントは2人に聞こえないよう話していた。


「なあケント、別に変な下心とかじゃなくてさ、あのアカネって子も微妙に見覚え無いか?」
「……今さっき彼女が私の側に来て決意を話しただろう。その時に間近で見て私もそう思った。会ったと言うか、見覚えがあるような気がする」
「だよな、何だろうこの微妙な感覚。会った、じゃなくて、見覚え、だからな」


不思議な感覚だ。
リンの母マデリンのように絵画で見た事がある、と言う風でもなく。
話した事も近付いた事も無いが、遠巻きに見た事のある人物。そんなような気がしてならない。
だが取り敢えず今は、万一の事を考えて彼女を警戒しなければいけない。
ケントは気を引き締め、リンと楽しそうに談笑するアカネを見た。


「ほんとお前、損な役回りしてるよなあ。俺はあんな子を宿敵みたいに警戒なんて出来ないよ」
「誰かがやらなければならない事だろう。と言うか、お前がやってくれても構わないんだが」
「いや、俺は……可愛らしいお嬢さんを警戒なんて流儀に反する!」
「なんの流儀だ、まったくお調子者め……」


言いつつ、セインを見る目尻は下がっている。
口では何と言おうと、良きパートナーのようだった。


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一昨日、わたしは生まれて初めて人を殺した。
生まれて初めてどころか、一生体験したくなかった事を体験し、更に今日は殺されかけた。
人に仇なすといつか必ず自分に帰って来ると言うが、じゃあ人を殺したわたしはいつか、誰かに殺されるのだろうか。
少なくとも、その可能性がある道に踏み込んだ。
リンの事を思うと途中放棄なんて絶対できない。

せめて自分の身ぐらいは自分で守る、それは即ち更なる罪の上塗りと同義ではないだろうか。
戦闘には参加しなくても、襲い来る者から身を守る=相手を殺す……。
わたしは炎の魔道書を両手で抱き込み、そっと目を閉じる。
特に宗教を持っていないわたしも、さすがに祈りたくなってしまった。
リン達も賊を殺しているとは言え、わたしとは全く違うように見える。


「(神様、わたし、やっぱり赦されませんか?)」


心中だけで呟いた祈りのような懺悔に対する返答は、当然、無かった。





-続く-


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