烈火の娘
▽ 15章 霧の深き島


魔の島と呼ばれているヴァロール島は、向かった船が帰らない事で有名らしい。
海賊達に協力を仰げなかったら八方塞がりだったかもね。
それにしても波も風も穏やかだから、これから向かうのがそんなに恐ろしい所だって思えないなあ。
どこまでも続きそうな大海原と果てしない空との青に挟まれて、凄く爽快だ。

でも、やがて見えて来たのは霧に包まれた大きな島影。
それを見た瞬間に言いようのない恐怖が襲って来た。


「(なんだろ。あそこに行くの、凄く怖い。怖いと言うか……嫌な予感がする)」


船が少しずつ近付くにつれ、嫌な予感がどんどん膨れ上がって行く。
決戦の予感がするからとかそう言うんじゃなくて……ひたすら感じるのは“嫌な予感”。

私は左の手首をそっと触った。
そこには、キアランで迎えた15歳の誕生日にお兄ちゃんから貰った、黒いレースで編まれたリストバンド。
編み込みで綺麗な装飾が入っていて、ブローチのような装飾がなされた3cmくらいの赤い石も付いてる。
お兄ちゃんがわたしに別れを告げてからというもの、寂しくなったり怖くなったりするとそれを触るようになった。


「(お兄ちゃん……また、会えるよね?)」


本当はわたしに兄なんて居なくて、あの人はわたしのお兄ちゃんじゃないらしい。
それがどういう事なのかちゃんと知りたい。


「アカネ、どうしたの? 酔っちゃった?」
「え」


優しく声を掛けられ、振り返ればリン。
どうやら心配と嫌な予感で酷い顔色をしていたみたい。
酔ったわけじゃないけど……と曖昧な返事をすると、察したようで。
わたしの事もお兄ちゃんの事も、リン達には話してある。


「シュレンの事ね?」
「……うん」
「あのバカ、あれだけアカネを奪われまいと敵意むき出しだったのに、居なくなるなんてどういうつもりかしら!」
「あ、はは……」


わたしを守ろうとしてくれていたリンとお兄ちゃんは、仲が悪くて喧嘩が多かった。
険悪なんじゃなくライバル的な感じだったけど、わたしの取り合い(?)は仲間内やキアラン城での名物みたいになっちゃってて……。
あ、思い出したら恥ずかしくなって来た。
それと同時に辛い気持ちも少し和らいで、心が軽くなる。


「絶対に見つけ出してとっちめてやるわ、アカネを泣かせた罰よ」
「タノモシーナー」


いつも見ていたやり取りが脳裏に浮かび、懐かしさに楽しい気持ちにまでなってしまう。
取り合いみたいにされるのは恥ずかしいんだけど、あのやり取りは面白くもあった。

……なんてようやく気を持ち直せた所で、にわかに船上が騒がしくなる。
どうやら小舟が漂っていたみたいで、慌てて見に行くと既にエリウッド様とヘクトル様も来ていた。
海賊頭のファーガスさんの話によると、海流の関係でこの辺りを漂う船はヴァロールから流れて来ているとしか思えないらしい。


「エリウッド様、ヘクトル様! 小舟があったって……」
「アカネ。今引き上げている所みたいだよ。どうやら人が乗っているらしい」
「魔の島から流れて来るったぁ穏やかじゃねえな。敵か味方か……」


エリウッド様とヘクトル様の言葉に緊張して、引き上げられて来る小舟を見つめる。
そこには人が倒れていて……女の子? っていうか、あれ、もしかして……!
慌ててリンと共に駆け寄って小舟から降ろし、リンが座り込んで女の子の体を横たえ、膝に乗せる。
間違いない、間違うはずもないこの不思議な魅力を湛えた女の子は。


「ニニアン! ちょっと、しっかりして!」
「どうしてニニアンが……!」


ヘクトル様と共に後を追って来たエリウッド様も驚いた表情。
一人疑問符を浮かべるヘクトル様に、一年前、リン達と出会った時に助けた女の子だと説明していた。

リンが体を揺すりながら声を掛け続けると、ゆっくり目を開く。


「……あ……」
「ニニアン、気が付いた?」
「……? ……あの」


ん? なんかニニアンの様子がおかしい。
リンやわたしにすら反応を示さないし、宝石みたいに綺麗な赤い瞳はどこか虚ろで。


「大丈夫? どうして小舟になんて乗っていたの? ニルスは一緒じゃないの?」
「……」
「ニニアン?」
「……ニニアン……それは……わたしの名前……ですか?」
「えっ!?」


も、もしかして記憶喪失!?
ニニアンはこんな冗談を言う子じゃない。


「わたし……頭がはっきりしなくて……わたし、海に?」
「そうよ。小舟でこの近くを漂っていたの」


わたし達が知る限りの事を話してみたりもしたけれど、ニニアンの記憶は戻らない。
どうしよう、これから危険な魔の島に行くのに、ニニアンを連れて行けない。
ただでさえ体が丈夫じゃなさそうなのに記憶まで失ってるんだから。

だけど一つ思い出す。
ニニアンとニルスを追っていた集団。
お兄ちゃんがぽつりと【黒い牙】って言ってたはず……確定した訳じゃないけど、ニニアン達は【黒い牙】に狙われてる可能性がある。
今、エルバート様失踪の件や、リキア内乱未遂の件で暗躍している【黒い牙】。
エルバート様が居ると言われる魔の島にはきっと奴らも居る。
そんな場所から小舟で流れて来たなんて、もしかしてニニアン、【黒い牙】に捕まってて逃げ出したんじゃ……?


「……ニニアン、連れて行った方が良いかもしれません」
「アカネ? どうしてだい」


疑問符を浮かべるエリウッド様に、彼女が【黒い牙】に狙われている可能性がある事を教える。
それなら尚更 連れて行ったら危険じゃないかとも思うけど、もし連れて行かないならこの海賊船で待っていて貰う事になるよね。
わたし達を待つ為に、ファーガスさん達は魔の島の近海で待機していてくれるそう。
もしニニアンを狙って黒い牙がやって来たら……!
ファーガスさん達はとても強いみたいだけど、下手に巻き込んでしまっては危ない。
それに万一、戦いが起きて船が破壊されれば帰る手段が無くなる。

その考えを言うとリンが賛同してくれて、彼女はそれだけじゃなく、ニニアンの心も気遣う。


「アカネの言う通りだと思うわ。それに記憶を失っているニニアンを、彼女を知る人が一人も居ない場所に置いておけない。きっと不安で押し潰されちゃうわ。そのうち記憶も戻るかもしれないし、連れて行きましょう」
「……そうだな。確かに、僕らが傍に居て守ってあげた方が良いかもしれない。……僕らは今からあの島に行くけれど……君も来るかい?」


エリウッド様の言葉に、ニニアンは少し躊躇いがちに視線を泳がせた。
だけどリンの心配通り、記憶を失った自分の事を知っているわたし達と離れるのが不安なのか、ややあって頷いた。


「はい……どうか、一緒にお連れください……」


こうしてニニアンと思わぬ所で再会したわたし達は、彼女を連れて魔の島ヴァロールに上陸した。
ファーガスさんは2週間なら待ってやれるから、それまでに決着をつけろと言ってくれる。
お礼を言うエリウッド様にファーガスさんは。


「生きて帰って来い! それが最高の礼だ!」


なんて言って見送ってくれた。
かっこいいなあ、豪傑な海賊って感じだあ!

海賊達に一旦 別れを告げたわたし達は島の奥を目指して進み始める。
この島は大部分が深い樹海で覆われていて、霧も深くて視界が悪い。
そして船上でこの島を見た時に感じた嫌な予感……どうしよう、どんどん膨れ上がって来る。
体調はそんなに悪い訳じゃないから心配かけないようにしなくちゃ。
これからきっと戦いが待ってる、気持ちを切り替えないと!


++++++


ヴァロール島の奥地、島の中心部。
深い樹海と霧を分け入った先には巨大な建造物があった。
その巨大さは人間の次元ではない。
出入り口も建物を支える柱も、回廊も祭壇も……何もかもが人間が使うには大きすぎる。
まるで、人ならざる何かの為に用意されたとでも言いたげに存在していた。

そしてその建造物の中、最奥にはこれもまた巨大な門が存在していた。
アカネ達が島へ上陸して間もなくの頃、その門の前には数人の男達の姿。


「……あの姉弟を逃がすとは、やってくれたなフェレ侯爵よ……」


全身を黒いローブで覆い、頭は黒い布をターバンのようにして巻いているが、それで右目を隠していた。
この者こそがネルガル。
ネルガルは忌々しそうに目の前の男を見下ろす。

鮮やかな赤い髪、優しさを湛えつつも意思の強い青い瞳。
彼はフェレ侯爵エルバート。
長い監禁生活で弱ってはいたが、威圧感を放つネルガルに怯む事なく視線を返していた。


「お前達の好きにはさせん……!」


そんな2人とは対照的に狼狽する男が一人。
ここまで来てしまったラウス侯爵ダーレンである。


「ど、どうするのだネルガル殿っ! あの姉弟を逃がしてしまったのでは例の儀式が行えんのではないか!?」
「何度言えば分かるのだダーレン殿っ! 貴殿はこの男に利用されているだけだ! この世界に【竜】を呼び戻す手伝いをするなど、人を滅亡に導く行為だとなぜ分からんのだ!」


人を圧倒する力を誇る竜。
かつての人竜戦役では神将器と八神将の活躍により人の勝利で終わったが、今の世にはもう八神将はおらず、神将器も封じられたまま。
もし今のエレブに大量の竜が現れ争いが始まれば、もはや人に勝利は無いだろう。
だがそんなエルバートの鋭い言葉をダーレンは嘲笑で返す。


「ふ……ははは……人が滅亡……滅亡か! 確かに竜は脅威かもしれん。だが、このネルガル殿が居れば何も恐れる事は無い! ネルガル殿は竜を操る事が出来るのだから……はは……ははは……」
「ダーレン殿……もはや正気ではないのか?」


野望に踊らされ欲望に支配されたダーレンは、もはや狂人となってしまった。
エルバートはそれを見て憎しみよりも憐れみを覚えてしまう。
ネルガルは侮蔑の視線でダーレンを見、吐き捨てるように。


「リキア全土に戦いを起こさせ、一度に大量の【エーギル】を手に入れる計画……この程度の男では不足だったか。まあ他に当てが無い訳でもない」
「貴様っ……!」


この男だけは、愛するリキアに戦乱を巻き起こそうとしたこの男だけは許せない。
両手は枷で戒められているが、エルバートはその枷を振り上げ叩き付けようとする。
エルバートが怒りに身を任せ向かって来るのを、ネルガルは魔法で衝撃波を作り出し弾き飛ばしてしまった。
壁に叩きつけられたエルバートを一瞥し、それから別の方向へ声を掛ける。


「エフィデル! リムステラ!」


そこへ現れたのは、これまでリキアで暗躍していたエフィデルと、エフィデルに似ているが彼よりも女性的な容姿をしているリムステラ。


「……可愛い【モルフ】、私の芸術品よ……お前達に新しい仕事を与えよう。まずリムステラ、お前はベルンへ行きソーニャと連絡を取るのだ。国王と会合できるよう手配させろ。いいな?」
「御意」
「エフィデル、お前はこの男……ラウス侯を連れて行け。島に上陸したネズミ共を始末させるんだ」
「はい」


リムステラは一人で、エフィデルはダーレンの腕を掴むと彼と共に、それぞれ転移魔法で命じられた場所へと向かう。
彼らが消えてからネルガルは倒れているエルバートの元へ歩み寄った。


「さて、フェレ侯爵よ。お前の血筋はどうやら、しぶといのが特徴らしい」
「……!?」
「リキア攻略を邪魔したネズミの名はエリウッド。この島にまで来るとはさすがと言った所か?」
「エリウッドが、息子が来ているというのか!? やめろ、わしはどうなってもいい。息子には手を出すなっ!!」
「ククク……お前が逃がした姉弟、その姉の方も今、エリウッドと共に居るという」
「そんな、馬鹿な……!」


自分の行動は全て無駄になった。
それどころか最悪の状況まで招こうとしている。
その事実に愕然とするエルバートをネルガルは嘲り笑う。


「この森でエリウッドは死ぬ。そして、あの娘を連れ戻し次第 儀式を始めるとしよう。長い責め苦にも屈する事の無い強い肉体と精神……お前は最高の生贄だ、フェレ侯爵」


ネルガルが去ってからも、エルバートは動く事が出来ない。
ただただ息子の無事を祈るだけ。


「エリウッド……ここに来るんじゃない。娘を連れ、逃げるのだ……!」


そんなやり取りを物陰から見ていた女が一人。
キアランで侯爵ハウゼンを助けた、オスティアの密偵レイラだ。
まさかネルガルの目的が古の竜を呼び出す事だったとは……想像すら出来なかった。


「(早くヘクトル様達にお知らせしないと。今ならまだ、間に合うかもしれない……!)」


ネルガル達が竜殿と呼ぶ建造物の中を、足音を立てぬようひた走るレイラ。
だがその先に突如として転移魔法陣が現れ、一人の男が出現する。


「!!」
「レイラだったか。どこへ行くんだ」
「あ、あなたは……」
「ん? 俺の事は知らないか? 見た事くらいはあるだろ」


言葉を交わした事は無いが、何度か見た覚えがある。
暗くて赤黒い血のような色をした髪、燃えるような赤い瞳。
確かフレイエルと言う名の、ネルガル配下の魔道士。
ネルガルが【モルフ】と呼んでいる配下は、波打つ黒髪に病的に白い肌、金の双眼という容姿をしている。
しかしそんな者達とは一線を画す容姿をした、他の誰とも雰囲気の違う男だ。


「で、どこに向かっていた?」
「その……私は見回りに……」
「話を聞いていた、って訳だな」


やはりこんな嘘では騙せなかった。
傍から見ればただ走っていただけのレイラを妨害したのだから、一部始終 聞いたのを見ていたのだろう。

瞬間、レイラは懐に隠していた剣に手を掛け、全霊を懸けた瞬発力でフレイエルに飛び掛かった。
この男は凄まじい炎魔法の使い手だと聞く。
そんな相手に攻撃の隙を作ってしまえば圧倒的不利……不意打ちで勝負をつけるしかない。

だが剣先がフレイエルに届く直前、響いた高い金属音。
二人の間に現れた褐色の肌をした男が、両手に握った鋭い刃でレイラの剣を受け止めていた。
漆黒に身を包み、何の感情も窺えない硝子玉のような瞳。
その凄まじい殺気と不気味さに、レイラは背に冷や汗をかく。


「ジャファル、やれ」
「……裏切り者には死の制裁を」


ジャファルと呼ばれた男は抑揚の少ない声でそう呟き、瞬時にレイラの剣を弾くと刹那、豪速でレイラの脇を駆け抜ける。
擦れ違いざまの一撃がレイラの首を切り裂いていた。


「あ……マ……シュ……」


最期、脳裏に浮かんだ男の名を呟き、レイラは絶命した。
それを見たフレイエルは楽しそうに顔を歪める。


「さすがだなジャファル。俺もここまでの剣の腕は持ってない」
「……」
「相変わらずか。……この女の死体は森に捨てておけ。島に侵入してる奴らへの見せしめとしてな」


ジャファルがレイラの死体を担いで行くのを見送り、フレイエルは息を吐く。


「エリウッド率いる一団が魔の島に上陸……まあ居るんだろうな、アカネ」


フレイエルにとってアカネは憎しみの象徴。
その憎しみは嫉妬に染まっているが、本来それをぶつける相手はアカネではない。
分かってはいる、が、理解する気はさらさら無い。


「もう俺にはアカネを殺す事でしか憎しみを発散する方法が無い。これ以外の方法で発散する気も無い。アイツにとっては理不尽だろうがな」


だが今まで成功しなかったのは邪魔があったから。
邪魔をしていたのはシュレン。
シュレンさえ居なければ、フレイエルはとっくにアカネを殺せていた。


「……それなりに長い付き合いだよなァ、シュレン。15年か? 地球の日本に居た頃からだしな。お前はずっとアカネを可愛がっていた。本当の兄貴でもない癖に兄貴面するのは楽しかったか?」


もうシュレンの邪魔は入らない。
……入らない筈だった。
それなのに今なお、シュレンはフレイエルを邪魔し続けている。


「妹は可愛いか? 本当は妹としてじゃなく一人の女として可愛がりたかったんじゃないか? だとしたら諦めろ、アカネの奴はもうお前を兄貴としてしか見ていない」


それならそれで、今まで散々邪魔してくれたシュレンを苦しめられそうだと、フレイエルはほくそ笑む。
もし本当にシュレンがアカネを一人の女として見ていたなら面白い。


「そうだ、シュレンだけ叶うのは不公平だろ。……お前も俺と同じ苦しみを味わうといい。それで俺の邪魔が出来なくなればいいんだ」


++++++


わたし達はエルバート様が居るという【竜の門】目指して樹海に足を踏み入れた。
霧が立ち込めて来て不気味だけどこれ、多分晴れてても薄暗くて不気味だろうなあ……。
なんて心中で恐々していると、ヘクトル様が。


「一歩入ったが最後。確かに、二度と戻れる気がしねーな」
「ヘクトル! 縁起でもないこと言わないでよ!」


わたしが反応する前にリンが声を上げた。
あ、もしかしてリンも怖かったのかな。ちょっと安心しちゃった。
わたしは小走りでリンの隣に並ぶ。


「どうしたのアカネ」
「えへへ、ちょっと怖くって」
「そ、そう、私の傍に居れば大丈夫よ。霧も立ち込めて来てるし、はぐれないよう気を付けて」
「はーい」


負けず嫌いなリンだから怖がってるのを知られたくないんじゃないかと思って、わたしが怖がってる事を示しておく。
負けず嫌いだけど優しいリンは、誰かを守る為ならより力を発揮できる。
ヘクトル様はそんなわたし達をまじまじ見つめて。


「姉妹みたいだな、お前ら」
「姉妹? 良いわねそれ。アカネみたいな妹 欲しいかも」
「でも確かアカネには兄貴が居るんだろ? アカネの姉貴になりたいんだったら、そいつと結婚……」
「え ん ぎ で も な い こ と 言 わ な い で」


本気で凄んだリンに、ヘクトル様が素で「悪い」と呟くように謝罪した。
あーそっか、ヘクトル様はお兄ちゃんとリンの仲が悪いこと知らないんだ。

機嫌が悪くなったリンと疑問符を浮かべるヘクトル様は何だかおかしい。
二人には悪いけど、わたしは少々和やかになって緊張も解れた……と思ったら次の瞬間、緊迫したエリウッド様の声が響く。


「あそこに誰か居る!」
「なんだと? 先客か……ん?」


すぐさま我に返ったヘクトル様がエリウッド様の元へ行きながら声を掛けると、すぐ先の木に誰かが凭れるようにして立っていた。
あの人って確か……。


「レイラじゃねえか! お前、よくここに来れたな!」


オスティアの密偵レイラさんだ。
だけど彼女はヘクトル様の言葉に何も反応せず、ただ突っ立ってる。
わたし達が近付いてもそれは同様で、良く見れば目を閉じて眠っているような。


「……様子が変だ。レイラ?」


エリウッド様が声を掛けると、ぐらりとレイラさんの体が傾き、そのまま倒れてしまう。
慌てて駆け寄ると、その首元は赤く染まっていて、口からも血を垂らしていて……。
う、うそ、まさか……!


「死んで、る……?」
「!! ……嘘だろ? うちの密偵の中でも1,2を争う実力者なんだぞ、レイラは……」


呆然としたようなヘクトル様の声が、虚しく響く。

程なくして後方からマシューさんが走って来た。
彼は目を見開いてレイラさんを見ると、彼女の側に屈んでその頬に触れた。
一瞬だけ嗚咽が聞こえたけど、すぐマシューさんはレイラさんを抱えて立ち上がる。


「若様、おれちょっと抜けていいすか? こいつ、弔ってやんねーと」
「……すまねえ、マシュー」
「……なんで若様が謝るんですか。レイラは仕事でドジった。……それだけの事ですよ。この仕事が終わったら足洗わせようと思ってたんですけど……間に合いませんでしたね、ははは」


乾いたような笑いを出して、マシューさんはレイラさんを抱えて行ってしまった。
あれ、もしかして……。


「あのヘクトル様。もしかしてマシューさんとレイラさんは……」
「……ああ。二人は恋人同士だ」


マシューさんが去った方を見つめたままポツリと口にするヘクトル様。
それを聞いてわたしは息を飲む。
足を洗わせようと思っていたって事は、結婚するつもりだったんだ。
そんな愛した人が殺されるだけでなく、こんな所で晒されていた。
周囲に血や争ったような跡は無いからきっと、どこかから運ばれて来たんだろう。
わたし達への見せしめの為に……!


「酷い、こんな……誰が一体こんな事! 許せない……!」


怒りで震えるわたしの肩に、エリウッド様の手が置かれた。
彼もまた怒りを滲ませてる。


「……行こう、敵はこの森のどこかに居る。これ以上の犠牲を出さない為にも、僕らは立ち止まってはいけないんだ!」


エリウッド様の言葉に、同様に怒りを露わにしていたヘクトル様とリンも頷く。
その瞬間、ニニアンが叫んだ。


「!! ……気を付けて! 何か、来ます!」
「えっ?」


これってアレだ、ニニアンが持ってる危険を察知する力!
だけどわたし達が周囲を警戒するよりも早く、それは現れた。
霧に包まれた樹海の間を、まるで風のように器用に駆け抜けて来た一頭の馬。
その馬上の人物が一瞬でリンの腕を背に回して拘束し身動きできなくしてしまった。


「リン!」
「……命が惜しくば、その娘をこちらへ」
「あなた、草原の民!?」


現れた厳つい顎髭の男の人は、サカの民族衣装を着ている。
まさかこんな所にサカの民が……? もしかして、この人も【黒い牙】。

……だけど、あれ、何だろう。
この人どっかで見た事ある気がする。


「そうだ。俺は【黒い牙】のウハイ。その青緑をした髪の娘の身柄確保と……お前達の命を奪うよう命令を受けた。だが、もしもその娘を大人しく引き渡しこの島から立ち去るのであれば、見逃してやってもいい」
「そんな事……私達が従うとでも?」
「お前達は無知だ。ネルガルの恐ろしさも……何も知らないから立ち向かおうだなどと思うのだ。お前達が動いた所で事態は何も変わらん」


捕らわれていても強気に返すリンに、ウハイは続ける。
ここから立ち去らせようとしている所を見るに根は悪い人じゃないのかもしれないけど、ニニアンを見捨てられない!
当然、逃げる事を考えてる人は仲間内に誰も居ない。


「……確かに僕達は無知かもしれない。だが、ここで逃げても何も変わらないんだ。だったら、どこまでも足掻けるだけ足掻いてみせる!」
「愚かな……」


ウハイはそう呟いてリンを放し、こちらへ押しやった。


「……どうして私を解放するの?」
「女を人質に取ったまま戦うなど恥だ。よかろう、せめてもの情けだ。……ここで全滅させてやる。この先の地獄を見なくて済むようにな!」


あ、この人。
間違いなく“草原の民”だ。
【黒い牙】じゃなかったら味方になってくれたかもしれない。
だけど今のわたし達に、戦う気満々の人を説得している余裕は無い。

霧の立ち込める樹海は視界が最悪で、どこに敵が潜んでいるのかも分からない。
一人では行動しないよう全員に通達されて、それぞれが誰かと組んでいる。
わたしが誰かの側に行こうとウロウロしていると、突然 腕を掴まれ引っ張られた。


「うぉわっ」
「アカネ、お前あんまりウロウロすんなよ、すぐにはぐれるぞ」
「あ、ギィ……」


サンタルス領で仲間になったサカの剣士ギィ。
ちょうど良かった、彼と一緒に行動しよう。


「ありがと。ついでにお願いなんだけど、わたしと一緒に行動してくれる? なんか声かけそびれちゃって」
「わかった。サカの男は困ってる女は助けるもんだ」


わぁ、紳士!
遠慮なく頼らせて貰う事にして、わたしはギィと行動を共にする事に。
彼の剣技は本当にリンとよく似ていると思う。
力じゃなく速さを武器にして、流れるように敵を切り伏せて行く。
凄いな、わたしも頑張らないと。

ギィの援護をする為にわたしも詠唱しながら魔力をかき集めた。
前方から現れた傭兵にファイアーの魔法を放とうとした瞬間、ギィがその傭兵の前に飛び出す。


「ちょ、ギィ危ないっ!!」
「へ」


止めようとしても間に合わなかった。
放たれた火球が敵の傭兵……つまり奴の前に飛び出したギィ目掛けて飛んで行く。
命中する直前、慌てて飛んだギィが派手に転んだのと同時に、わたしの炎が敵の傭兵に命中した。
敵が倒れたのを確認し、わたしは慌ててギィに駆け寄る。


「〜〜〜〜っ、あっぶねぇ! もうちょっとで燃えるとこだった!」
「ご、ごめんなさいギィ、大丈夫?」
「ああ、何とか……。おれ魔道士と組んで戦った事ないんだよ。そういや離れた所から攻撃すんだっけ……」


言われてわたしは、これまで周囲の味方への影響にまで気を配っていただろうかと思い返す。
今まで敵に向けた魔法が味方に当たった事は無い。
だけど魔法はコントロールやタイミングを誤れば、いとも簡単に仲間を傷付けてしまう。
弓矢もそうだし普通の武器でも混戦になれば味方を傷付けてしまう可能性があるけど、魔法はそれらの比じゃない。

これまで味方に当たらなかったのは、みんなが気を配ってくれていたからなんだろうな。
あと運。
わたしもちゃんと味方の動きに気を配らないと。
そういうのって普通は後衛側がやる事なんだよね、あんまり敵の矢面に立たないんだから。

転んだギィに手を差し伸べて立たせる。
……お互いに味方を傷付ける、味方に傷付けられる寸前で気がそちらに向いていたからか、どこかから聞こえて来る音に気付かなかった。
何か聞こえるな、と思った時は既に遅く。
霧を勢いよく掻き分けて、馬に乗った敵のソシアルナイトが槍をこちらに振りかぶっていた。


「あ」


わたしが声を漏らしたのと、敵ソシアルナイトの首元に何かが刺さったのは同時。
それはナイフで、振り返るとマシューさんが立っていた。
どうやら彼がナイフを投げてくれたらしい。


「おーい、お前ら何やってんだよ。ただでさえ霧深いんだから周囲にもっと気を付けろっての」


いつも通りの明るいマシューさん。
わたしは先程の出来事が気になったけど口に出せず、悲しい顔をしてしまったんだと思う。
わたしを見たマシューさんが困ったような顔で微笑んだ。


「気にしてくれたのか? 大丈夫だ」
「え……」
「自分の事で仕事を疎かにしたなんて知れたら、アイツに叱られちまう。こういう霧が深くて、何だか薄気味悪い場所こそおれの出番だろ?」
「……」
「ほら、ボーっとしてたら本隊に置いてかれるぜ? 先導してやるから合流だ。あとギィは更に貸し一つな」
「おい! なんでおれだけなんだよ!!」
「そりゃアカネはキアランお家騒動の時からの仲間割引が適用されるから」
「ち、ちくしょう!」


あ、あの行き倒れてたっていうギィを助けた時の貸しか。
なんかもう完全にマシューさんの手のひらで踊らされてるね、ギィ……。
もちろん吹っ切れてる訳ではないだろうけど、表面だけでもいつものマシューさんで安心した。

本隊の方は味方同士で固まって行動していて、不意を突かれる危険は少ないみたい。
だからマシューさんは別方向へ隠れている敵が居ないか調べに来たそう。
そこにわたし達が居たって訳……ならわたし達、けっこう本隊から離れてるの?
霧にまかれて遠ざかっちゃってたのか、危なかった……。

道程はマシューさんに頼りながら、敵はわたしとギィで倒して、やがて樹海が深くなった辺りで本隊と合流した。
もう敵はウハイと数名しか残っていないみたいだけど、彼らは器用に霧深い森の中を馬で移動し、弓矢を用いてこちらを攻撃して来る。
弓矢に弱い天馬騎士のフロリーナと回復役などの後衛を下がらせ、他の仲間達が攻撃にかかる……けど、位置を特定する事すら難しい。
霧は勿論だけど、木が生い茂ってて見えないんだよなあ……あ。


「ねえエルク」
「アカネ。もう少し下がっていた方が……」
「周りの木、ファイアーで燃やしちゃおうよ」
「! そうか!」


提案にエルクが乗ってくれる。
わたし達は仲間に当てないよう、弓が飛んで来る事の多い方角に向けて一斉に炎を放った。
木々が焼け落ち少し視界が良くなった所で、炎に驚いたのか敵を乗せた馬たちが飛び出して来た所を一網打尽にする。
殆どが遊牧兵で弓使いだったから接近戦で難なく倒せたけど、問題はウハイ。
彼は仕掛けたヘクトル様の斧を剣で弾くと、応戦を始めた。
あの人、弓だけじゃなく剣も使えるんだ……!


「ッチ、弓だけじゃなかったんだな」
「ヘクトル、僕が出る!」


代わりにエリウッド様が飛び出し、ウハイに斬り掛かった。
弓を使う隙を与えないよう間合いをかなり詰めて行く。
ふと、ウハイの動きが……正確には彼の乗る馬の動きが少々おかしい事に気付いた。
この距離じゃ分からないけど、もしかしたら周囲で燃える炎に怯えているのか、火傷でもしてしまったのかもしれない。

勝負はやがて、動揺した馬の動きによって生まれた隙をエリウッド様が突いた事で決着する。
胸を貫かれたウハイは口から血を吐き出し、震える声を絞り出す。


「グッ……見事……。お前達は、俺が思った以上に、強いな……。その力に敬意を示し……俺からのはなむけだ……。ここから南に行き、朽ちた大木の横を西に……進め。【竜の門】へ続く道は……そこに……」


そこで言葉が途切れた直後に落馬し、仰向けに地面へと転がったウハイ。
近寄ってみると、意識が朦朧としているだろう中で何を考えているのか、視線が周囲を見回すのが分かった。

……瞬間、彼と確かに目が合った。
わたしを視界に入れて、それから口が何やら蠢いて喋ろうとしているみたい。
だけどもう声も出ないのか言葉が聞こえる事は無く、やがて静かに目を閉じ、そして動かなくなった。

そんな彼を見下ろし、エリウッド様がぽつりと。


「ウハイ……出来れば敵としてではなく会いたい男だったな……」


人質を取る事に成功したのに、それを放棄して正々堂々と戦いを挑んで来た。
【黒い牙】に居たのも、何か事情があったのかもしれない。


「……信用するのか?」


ヘクトル様が少々訝し気な顔をしてエリウッド様に訊ねる。
さっきウハイが口にした【竜の門】への行き方の事か。
それに答えたのはエリウッド様でなくリン。


「彼も草原の民……その誇りにかけ、嘘はつかない。……少なくとも、私はそう信じるわ」
「だったら行くか、【竜の門】へ!」


ウハイの言葉を信じる事に決め、わたし達は南へと足を進めた。
そんな中でわたしの心に浮かぶのは、さっきウハイを見た時に感じた既視感と、事切れる前にわたしを見た彼が何かを言いかけていた事。
何なんだろう、あの人わたしの事を知ってるのかな?

……待てよ。
もしかしてエリアーデさんの事を知ってるのかも。
エリウッド様も仰っていたように、エリアーデさんを知る人は、何故かわたしがエリアーデさんに見えるらしい。
容姿の方はちゃんと黒目黒髪のアカネそのものに見えて、エリアーデさんとはまるで違うのに、それでもエリアーデさんだと思えるんだとか。
容姿が違うなんて分かり易く別人の証だろうに、本当に不思議。
エリック公子も完全に間違えていたし、ウハイもそうなのかも。

以前【黒い牙】が、エリアーデさんが持っていたであろうペンダントを目印にわたしを殺そうとしていた。
ウハイもわたしを……延いてはエリアーデさんを殺すよう誰かに命じられてたのかな?
エリアーデさん、どうして暗殺集団に命を狙われてたんだろう。

分からない事だらけで頭が痛くなって来た。
取り敢えず今はエルバート様を救い出す事だけ考えていよう。
お父さんとお母さん、それにお兄ちゃんを探すのも、わたしとエリアーデさん両方が存在できる道を探すのも、それからにしよう。

……この時、わたしはまだ知らなかった。
この先に待つものが、お兄ちゃんとの別れを決定付けてしまう事に。





−続く−


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