烈火の娘
▽ 10章 血族の予感


時はエレブ新暦980年。
かつて人と竜が激しく争ったというこの大陸は今、幾らかの軋みはあるけれど穏やかな平和が流れているみたい。
そんな大陸を、重苦しい心を抱えながら南へ進む。
生死を共に分かち合った仲間達から離れ、今は唯一と言える肉親のお兄ちゃんとも離れて独りぼっち。
1年も訓練した後だし、街道が整備されているからキアランへの旅よりは体力的に楽だけど、気持ちの方は、仲間や家族と一緒だったあの頃の方がずっとずっと楽だった。

わたしは今、街道の途中にあった安宿に宿泊してる。
要所要所で宿泊しつつ、お兄ちゃんに言われたままフェレ領を目指しているけど、行ったとして何かあるのかな。
お兄ちゃんは手紙を見せろと言ってたけど、侯爵家を訪ねて相手にして貰えるかどうか……。
1年前のエリウッド様の様子を思い出せば話くらいは聞いてくれるかもしれないと思えるけど、わたし自身も手紙に何が書かれているか分からないから、どうなるかは分からない。
絶対に中身を見るなと言われたのが尾を引いて、手紙内容の確認は出来なかった。

ここはサンタルスという領地みたい。この領地を南へ抜ければフェレの領地。
朝食の固いパンと具の無い粗末なスープを静かに食べていたわたしの耳に、他の宿泊客の声が入って来る。


「1ヶ月くらい前、護衛を連れて北へ向かうエルバート様をこの辺で見掛けたんだよ! 今フェレ領じゃエルバート様が行方不明になってるって噂だろ。あの強そうな護衛達もそっくり消えちまったとなると……、相手はそこらの山賊なんかじゃなくて、余程とんでもねえ連中だろうぜ」
「……」


エルバート様、って、確か。
フェレ領の侯爵で、エリウッド様の父親。会った事は無いけど。
行方不明……しかも1ヶ月も前から?

どうしよう、いくらエリウッド様が親切だったからって、今 素性の知れない小娘一人が訪ねて行った所で、相手にして貰う暇があるかな?
わたし自身も親の行方が知れない身。
全く関わりの無い自分よりも、血の繋がった家族の方を大事にして欲しいと思う。


「(どうしよう、エリウッド様は優しい方だったし、どんな状況でも訪ねて行けば気を使って下さるかもしれない。父親が行方不明なんて大変な時に、そんな事をして頂く訳には……)」


元々、お兄ちゃんがフェレ侯爵家を訪ねろと行った理由が分からない。
あのお兄ちゃんが言うのだからきっと何か意味がある筈だとは思うけど、曖昧かつ不確かであるのも間違いない。
そんな曖昧なもので、今は大変な思いをしているだろうエリウッド様や侯爵家の人達に、気を使わせたり余計な時間を取らせてしまうのは申し訳ないよ。

朝食を終わらせて宿を出た。ひとまずフェレを目指そう。
どうするかは、ちゃんとフェレ領でしっかり情報収集して、出来るだけ正確な情報を得てからにしよう。

この辺りは緩やかな丘陵地帯が続いている。
天気も良くてコンディションは悪くない。
行方の知れないお兄ちゃんの事もあって、ジッとしていると良くない事ばかり考えそう。
早めに出発しよう……と思っていたら、これから向かう方角から妙な騒ぎ。


「……あれ? なんか、戦いが起きてるような……」


格好からして山賊のようなゴロツキだと思う。
関わったらまずい事になりそうだからスルーして行きたいけど、キアランへの旅の最中に、賊の被害で酷い目に遭う人や村を見て来た。
あれを思い出すと完全に放置して立ち去るなんて出来ないや。
せめて領地を守る兵士さんに伝えられないかな。

そう思っていると、近くに小さな砦を見つけた。
サンタルス領の旗を掲げているし、きっと兵が駐屯している場所なんだ。
そう思って近づき、門の近くに立っていた鎧姿の兵士さんに声を掛けてみる。
……あれ? でも見える所で戦いが起きてるみたいなのに、どうしてここの兵士達は何もしないんだろう。気付いてない訳じゃなさそうなのに。


「あ、あの。南の方角で賊が暴れているみたいですよ」
「何だお前は? ……その格好、旅人か。ここはサンタルス領、何が起きようと余所者の知るところではない!」
「えっ……! ど、どうしてですか! あの賊が近くの村を襲うかもしれないんですよ! それに今 戦っている相手だって、放っておくと危ないかも……」
「うるさい小娘だな。……騒がれると面倒だ。殺しておくか」
「!?」


えっ、今 なんて……!?
頭で情報を処理するより先に、兵が槍をこちらへ向けて来る。
まずい、普通に話を聞いてくれると思っていたから、戦う準備なんてしてない!

いつかお兄ちゃんが教えてくれた、相手から目を逸らすなという言葉を忘れていた。
思わず目を瞑ってしまったわたしは、その後で自分の行動が愚かだったと思い出す。
武器や敵意を向けられているのに目を瞑ってしまうなんて……!

でもわたしに痛みや衝撃は訪れない。
代わりに兵士の短い悲鳴が聞こえて、ハッと目を開けると彼は地面に伸びていた。
そしてその兵士のすぐ側に、青い髪のとても大きな体躯の男性。


「賊をほったらかしの上に無防備な女まで殺そうとするのかよ。どうしちまったんだ、ここの領地は?」


どうやら手にしていた斧で兵士を殴って気絶させたみたい。
男性は黒い重そうな鎧を身に付けていて、粗野な印象ながらもどこか高貴さを感じる雰囲気、手にした斧の立派さ、そのどれを取っても只者だと思えなかった。


「あ、あの。ありがとうございました」
「おう、気を付けろよ。っつっても今のは予想も出来なかったよな」


言いつつ振り返った男性。
……あれ? この人どっかで見た事あるような。
しかも何故か彼の方まで、わたしを見て驚いたように目を見開いた。
んん? 助けて貰っておいて何だけど、また何か厄介事?
そう思っていると、背後から懐かしい声が聞こえて来る。


「やっだー! 乱暴〜っ! 暴力はんたーい!」
「あははは、さすがは若様! 兵士が一発で伸びちまった」
「……すぐに力に頼るのはあまり感心できませんな」


よく知っている声だ。最後の男性の声だけは分からないけど。
思わず目の前の男性も忘れて振り返ったわたしの目に飛び込んだ、鮮やかな桃色髪の少女と食えない笑みの男性。
二人もわたしの方を見て、あっ、と声を上げる。


「うっそー、アカネじゃないの!」
「おいおいマジかよ、こんな時にこんな所で」
「セーラ、マシューさん!」


1年前、キアランまでの旅を共にした懐かしい仲間。
満面の笑みで走って来たセーラが飛び付いて来て、わたしは よろけつつも抱き止めて支える。
その後ろからマシューさんが歩いて来て、更に後ろから、助けてくれた人より更に重厚な鎧に身を包んだ男性。
ワレスさんと同じ重騎士だね。


「キャーッ久し振り! 元気にしてた?」
「うん! セーラとマシューさんも元気そうで良かった!」
「何だお前ら、知り合いか。……いや待てよ、コイツどっかで」


助けてくれた男性が怪訝な顔をしながら近寄って来る。
それにしても……本当に大きな人。
背が高いのは勿論だけど、恐らく筋肉で体格が凄く良い。
ちょっぴり威圧されて一歩後退ると、マシューさんがフォローを入れてくれる。


「もう1年前の事ですからね。若様とカートレーで偶然会った時に……」
「ん……ああ、あの話し掛けて来た後すぐ逃げた女か」
「……あ、まさかあの時の……!」


確かお兄ちゃんと再会する前、ニルスと初めて出会って、敵と戦っていた最中。
マシューさんが誰かと民家で話していた所に割り込んじゃったんだ。
青い髪を後ろへ撫で上げた精悍なお兄さん。確かにこの人だった。思い出せばすぐに分かる。
だけど今は話し込んでいる場合じゃないみたい。
一番後ろに控えていた重騎士の男性が話を遮って来る。


「ヘクトル様、今は話している場合ではないでしょう」
「お、おう、そうだな。まずは野盗どもを蹴散らすぞ! エリウッドを助ける!」
「助ける、ですか。暴れるにはお誂え向きの言い訳ですな」
「……オズインお前、俺をあそこに向かわせたいのか向かわせたくないのか、どっちだ」


エリウッド様の名前が出た二人の会話に疑問符が浮かぶ。
そんなわたしに、マシューさんとセーラが軽く説明してくれた。

彼は、リキア同盟国の盟主であるオスティア侯ウーゼル様の弟、ヘクトル様。
エリウッド様とは幼い頃から交流がある親友同士なんだって。
そしてマシューさんはオスティア家に仕える密偵で、セーラもオスティア家に仕えるシスター。
そういえばセーラ、オスティア家に仕えてるって言ってたような気がする。
しかもマシューさんと知り合いだったのね。
どうやらマシューさんが口止めしていたみたいで、気付かなかった。

今はエルバート様が行方不明の件で、エリウッド様の所へ向かっていた最中だとか。
そして南で起きている戦闘。
マシューさんが偵察した所、間違いなくエリウッド様が居たらしい。
きっとエルバート様を捜す為に旅立ったんだ。
ヘクトル様は斧を構え直しながらマシューさんに告げる。


「マシュー、お前はセーラとその辺に隠れて待ってろ」
「うっ! セーラと……ですか?」
「えーっ! 私も一緒に行きますー!」
「来るんじゃねえ! 足手纏いだ!」
「ひっどーいっ!」


付いて行けない事に不満たらたらのセーラと、セーラと一緒に隠れる事に不安があるらしいマシューさん。
ヘクトル様は……オズイン、とか呼ばれていたかな?
重騎士のあの人だけを連れて賊に向かって行った。
それを呆然と見送っていたわたしの手をセーラが引っ張る。


「もー、ヘクトル様ってば冷たいわね! 仕方ないわ、隠れようアカネ」
「……わたし、ヘクトル様達をお助けして来る」
「えっ!? で、でもあんた……そう言えば魔道士だっけか」
「この1年キアランの魔道士隊で訓練してたから、足手纏いにはならないはず! それにわたし、エリウッド様にご用があるから!」


それ以上は質問や会話を続かせず、引き止めるセーラやマシューさんを振り切ってヘクトル様達の方へ向かって行った。

相手の実力は大した事は無いみたいだけど数が多い。
南の方に騒ぎが一際大きな所があるから、きっとあそこにエリウッド様が居るはずだけど、ヘクトル様とオズインさんの2人では数を減らすのにも一苦労してる様子。
わたしはファイアーの魔道書を構えて火球を放った。


「天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ!」


久々の命のやり取りで訓練の成果が実感できる。
詠唱も魔力の蒐集も魔力を炎に変化させるのも、1年前よりだいぶ速い。
放たれた火球は遠距離からヘクトル様を狙っていたアーチャーに命中し、炎の出所へ目を向けたヘクトル様と目が合う。


「お前……」
「わたしはアカネと申しますヘクトル様。セーラやマシューさんには、1年前のキアラン騒動の件でお世話になりました。キアランの魔道士隊で訓練していたので戦えます」
「……ひょっとしたら巻き込まれる事になるかもしれねぇぞ」
「エルバート様失踪の件ですね。どっち道わたし、エリウッド様にご用がありますから」
「そうか。戦力が不足してたんだ、助かるぜ」


これ以上は問答している時間も惜しいと思ったのか、ヘクトル様はそれで納得して戦いを続けた。
重騎士のオズインさんが前に出るけれど、それより軽そうだとはいえ負けじと重装しているヘクトル様も、率先して前に出る。
あんなに体格の大きな2人が一緒に戦っていると、なんか圧倒されちゃう。

やがて賊の数が減り、向こうもこちらへ近付いていたのか
エリウッド様がはっきり視認出来る位置まで来ている。
ヘクトル様が走り出し、軽く溜め息を吐いたオズインさんと一緒に追い掛けた。


「無事か、エリウッド!」
「ヘクトル! どうしてここに!?」
「話は後だ。まずはこいつらを片付けちまおうぜ」
「分かった!」


久し振りに見るエリウッド様の顔。
ヘクトル様を認識した瞬間は驚いていた顔が、今は軽く笑顔に見える。
性格は全く違うように思えるけど、本当に信頼し合う親友なんだね。
エリウッド様はわたしに気付いた時の方が驚いていて、取り敢えず、ヘクトル様が仰ったようにお話は後で、と言っておいた。

お互いに頼もしい助っ人が登場して、このくらいの賊相手なら戦力は充分。
賊の親玉と思しき相手を倒した後に増援が出ない事を確認して、エリウッド様がヘクトル様に歩み寄る。


「ヘクトル! まさか君が来てくれるとは……!」
「よぉ。久し振りだなエリウッド」
「どうしてここに?」
「……水くせぇよお前。親父さんを捜すんだろ? だったら俺にも一声かけろよ」
「だがオスティアは今、新侯爵ウーゼル様のもと体制づくりで大変な時じゃないか。侯爵には弟である君の支えが必要なはずだ」
「兄上はそんなにヤワな男じゃねーよ」


表向きは何だかんだ言いつつ自分が動くのを見逃してくれたと、ヘクトル様は少し嬉しそうに話してる。
……見逃してくれたって、まさかお城を抜け出して来たりしたんだろうか。
何だかやりそうな気がして少しだけ笑ってしまった。
やっぱりエリウッド様も頼もしい親友の登場が嬉しかったのか、素直にウーゼル様のご厚意に甘える事にしたみたい。
とても心強いよ、なんて微笑む姿を見ていると、こちらまで微笑ましくなる。

その後オズインさんや、騒ぎの収束を見て追い付いて来たセーラ達もエリウッド様に挨拶する。
話を聞いていると、エリウッド様はセーラとマシューさんを知らないようだけど、セーラ達の方は知っているみたい……別におかしい事じゃないか。
エリウッド様はリキア同盟国の地方を治める貴族の一員なんだし。
それにエリウッド様とヘクトル様が親友なら交流もあるはず。
エリウッド様がオスティアに来た時に見掛ける事もあったかもしれない。

彼らの会話はすぐフェレ侯失踪に関わる件になって、割り込む隙が見当たらない。
ベルンの暗殺団がリキアで不審な動きをしているとか、腕に覚えのある賞金稼ぎや傭兵なんかが失踪しているとか、さっきの賊が、エリウッド様が生きていると都合の悪い者が居ると言っていたとか……。
なんか……本当に一大事なんだ。どうしよう、私用を持ち出せる雰囲気じゃない。

話し合いの結果、賊を見過ごそうとしていた兵士の件もあって、サンタルス侯爵であるヘルマン様が居る城へ向かう事に決まったよう。
さてわたしはどうしようと思っていたら、エリウッド様の方から声を掛けて下さった。


「久し振りだねアカネ。ヘクトルと一緒に居たのかい?」
「つい先ほど偶然お会いして、ご一緒させて頂いていました」
「そういやお前、エリウッドに用があるとか言ってたな。こんな時に何だ?」


別に責めるような色ではなかったけど、こんな時、のヘクトル様の言葉に気まずくなる。
けれどこの機会を逃したら手紙を渡せるのはずっとずっと後になりそう。
観念して、お兄ちゃんから受け取った手紙をエリウッド様に差し出した。


「わたしの兄の朱蓮が、この手紙を持ってフェレ侯爵家を訪ねろと言っていたんです」
「君のお兄さん……前にキアランで会った人だね」
「はい。ただ手紙の中身は読むなと言われていて、何が書かれているかまでは分かりません」
「読んでも構わないかな?」
「お願いします。手紙を渡せと言っていたので、大丈夫だと思います」


手紙を受け取ったエリウッド様は、封を開けて中の便箋を取り出した。
一緒に居た初老の騎士さん(先程の会話の中で、マーカスという名前らしい事が分かってる)と一緒に、真剣な顔で手紙を読んでいたエリウッド様。
けれどその顔は、さっきわたしを発見した時とは比べ物にならないほど驚きに染まって行く。
しかもエリウッド様だけでなくマーカスさんまで。
な、何が書いてあったの……?

エリウッド様は便箋を折り畳んで驚きの表情のままわたしを見た。
次は泣きそうな顔になり、ぎょっとするわたしの肩に手を置く。
そして。


「まさか、君が……!」
「な、何が書かれていたんですか?」
「ああ、エリアーデ!」


……エリアーデ?
それって確か、以前にエリウッド様がわたしと間違えた人。
従妹とか言っていたかな。
何だか異様な雰囲気になってしまったわたし達に、ヘクトル様が入り込んで来る。


「おいエリウッド。エリアーデって、あのエリアーデか?」
「そうだよ、あのエリアーデだ! 行方不明の僕の従妹の!」
「あいつがどうしたってんだよ」
「彼女が、アカネがエリアーデだったんだ!」


は、はい? え、何を言ってるんですか?
呆然としているのはわたしだけじゃなく、ヘクトル様も同様。
確か半年以上前……1年前に会った時にそう言っていたから、今から1年半以上前か。
そのぐらいに家族全員で行方不明になった人なんだよね。

どうして。意味が分からない。
わたしがこの世界に来たのは、エリウッド様に間違われた時から3ヶ月くらい前だし、その前は14年間をこことは別の世界で暮らして来た。
そのエリアーデという人が、わたしであるはずが無い。
幼い頃からの記憶もちゃんとあるんだから。

異世界から来た事はさすがに言えないけれど、幼い頃からの記憶はちゃんとあるから、わたしはエリアーデという人ではないと言ってみた。
するとエリウッド様は、手紙を渡して読ませてくれる。
そこに書いてあったのは。


【兄上、エレノア様、エリウッド。お久し振りです。エイベルです。まず何の相談も無く行方を眩ましてしまった事をお詫び致します。私の妻であるソヴィに関する事柄で、どうしても広める訳には参りませんでした】


「エイベルは僕の叔父、ソヴィはその奥方だよ。エリアーデの両親だ」
「実はソヴィ様は、記憶喪失であったために出身地などの素性が一切知れず、エイベル様が周囲の反対を押し切って結婚なされたという経緯があるのです」


エリウッド様とマーカスさんが、わたしが知らない部分を教えてくれる。
ちなみにエレノア様はエリウッド様のお母様の事みたい。
この手紙は、エリアーデって人の父親が書いたもの。
どうしてこんな手紙をお兄ちゃんが持っていたの?


【まず、恐らく私と妻はもう、兄上達には二度とお会い出来ないでしょう。せめて娘のエリアーデだけは守り、いつか帰したいと思っております。そしてこの手紙を読んで頂けているという事は、それが叶ったという事だと信じております。私達の娘エリアーデは、事情があって記憶を消し、姿を変えております。黒い髪と黒い瞳の、アカネという名の少女がエリアーデです】


……驚いて、一瞬だけ息が止まってしまったような気がする。
横から手紙を覗き込んでいたヘクトル様も驚き、ハァ? と声に出していた。
アカネ、って、わたしの事だよね? 黒目黒髪で、名前が同じで。
だけどわたしはエイベルという人もソヴィという人も知らない。
それにずっと日本で暮らしていた記憶があるのだから、記憶なんて消されてないし……。

まだ手紙が続いているので続きを読んでみる。
何だか驚きを通り越して、いっそ笑えて来たかもしれない。


【私達は、とある一つの禁忌を犯してしまいました。もし私達が普通の存在で、普通の出会いをして普通に恋をし、普通に結婚できていたなら。誰に追われる事も命を狙われる事も無く、家族で平穏な生活を送れていたなら。それを強く願い、とうとう妻の力を借りて実行してしまったのです。
私達はエレブ大陸とは全く別にある世界で、人生を初めからやり直しました。時間の位置や流れが違う異世界での生活は数十年にも及んでいます。そこで私達はアカネの両親として、穏やかで平和な日々を生きていました】


意味が分からない。正確には、文章の意味は理解できるけど飲み込めない。
つまりわたしは元々エリアーデという人で、この世界で生まれたの?
英幸(ヒデユキ)という名前の日本人だった筈のお父さんは、エイベルという名前の異世界の貴族で。
聡美(サトミ)という名前の日本人だった筈のお母さんは、ソヴィという名前の異世界の人で。

……あれ? お兄ちゃんは?


【ですが、無理矢理に時間の違う異世界へ転移した上、住む国に合うよう姿を変えた影響か、私達は いつ元の姿に戻るか、いつ元の世界へ帰らされるか分からない、非常に不安定な状態でした。強制的にこの世界へ帰らされたのは、アカネの14歳の誕生日。これはきっと別世界へ転移したのが、エリアーデの14歳の誕生日だった事が関係していると思います。本当はこうなる可能性も薄々感じていたのですが、娘達には言い出せませんでした。これは兄上達に心配をかけ、身勝手な事をした罰なのかもしれません。ですがアカネにはもう背負わせたくないのです。どうかアカネが、エリアーデが平穏に暮らせるよう力添えをお願い致します。
記憶を消す前にエリアーデが、いつか戻る時に自分だと信じて貰える秘密の言葉があると言い、私と妻だけにこっそり教えてくれました。私達には意味が分からないのですが、エリウッドに見て貰えれば分かると申しておりますので、ここに記しておきます。
 
『日の光は? 昔の思い出。寄せ返す波は? 家族の食卓。風の音は? 父の背中。香る花は? 母の子守歌。薔薇の花は? あなたとわたし』】


「僕が手紙の内容を信じたのは、この秘密の言葉が最大の理由なんだ」
「日の光は?……という文ですね。ひょっとして何か重要な言葉なんですか?」
「いいや、この文章には何の意味も無い」


ええ? 何の意味も無い文章が信じる理由になるの?

エリウッド様が仰るには、この文章は数年前、エリウッド様とエリアーデ……さん?
自分かもしれないって思うと様付けするの躊躇っちゃうなあ。
取り敢えず、そのお二人が遊びで考えた、二人だけの秘密の合い言葉なんだって。
フェレの騎士隊には秘密裏に行動する時の合い言葉などがあるそうだけど、そんな重大なものではなく、子供が遊びで作った何の意味も無い文章を書くなんて、本物のエリアーデさんとご両親だとしか思えない……という訳。

もう頭がパンクしそうだけれど、手紙は続いてる。


【ここからが一番重要な内容です。実は妻のソヴィの記憶が戻りました。その記憶は重大で、間違いなく兄上達にご迷惑をお掛けしてしまうもの。私はソヴィとエリアーデを連れて逃亡生活をする事に決めました。言えばきっと兄上達は引き止めて下さるでしょうから、何も言えなかったのです。
あの男は間違いなくエリアーデを付け狙うでしょう。私達はその男に異世界で殺されかけたのですが、ぎりぎりでこちらの世界へ戻れた為に、事なきを得ました。私とソヴィはこれから、あの男と決着をつけに行くつもりです。刺し違えてでも倒すつもりではありますが、もし失敗した場合を考え、次の便箋にその男の名と特徴、妻の記憶に関する事柄を書いておきます】


「……あれ? これで終わりですか?」
「そうなんだ。肝心のエリアーデを狙う男の事や、ソヴィ様の記憶の事が書かれていない。ひょっとして誰かが処分したのか……にしても、1枚だけ捨てる意味は分からないが」
「そうですよね。処分するなら全部捨てればいいのに……」


平然と話しているように見えるかもしれないけど、凄く動揺してる。
わたしの正体、両親の正体、何もかも衝撃だけど信じ難いせいか、どこか違う人の話のようで。

今わたしが特に気になるのは、手紙に一切書かれていないお兄ちゃんの事。
エリウッド様はエリアーデさんに兄は居ないと言っていたし、フレイエルはわたしに兄なんて居ないと言っていた。
だけど地球で、日本で、確かにお兄ちゃんは わたし達と一緒に生活していた。

お兄ちゃん、あなたは何者? 一体だれなの。


「エリアーデ……いや、今はアカネか。これからどうする?」
「……エリウッド様、信じるのですか? わたしはアカネでしかありません。エリアーデなんて……その人は別にわたしじゃ……」
「僕は信じている。これで分かったんだ、以前 会った時、僕が君をエリアーデに見間違えた理由が」


そう言えば確かにエリウッド様は、顔も髪の色も瞳の色も違うわたしを、一時とはいえエリアーデさんだと思い込んでいた。
エイベルさん達一家は姿を変えたらしいけど、何というか……魂とか、そういう本質は変わらないのかな。

……あれ? そう言えばエリウッド様だけじゃない。
ケントさんやセーラが、わたしに見覚えがある、みたいな事を言ってたよね。
会った事はないか、とか訊かれた事があったし……。
ひょっとしてあれはエリウッド様みたいに、わたしにエリアーデさんの魂を感じたから?
エリウッド様を見掛けたりして知っていれば、どことなく彼と似たものを感じるのかもしれない。

それを裏付けるかのように、ヘクトル様とマシューさんも、わたしに見覚えを感じていたと教えてくれた。
更にマーカスさんまで わたしに強い見覚えを感じるらしい。
エリウッド様は わたしをようやく会えた従妹だと確信していて、穏やかな笑顔と優しい声音で庇護を示してくれる、けど。


「君が構わないのなら、僕が父上を捜し出して戻るまでフェレに身を寄せていれば良い。その後も、気が済むまでずっとフェレに居てくれて良いんだよ」
「……駄目です。わたし、ある人に命を狙われているから」
「えっ……!?」


わたしはフレイエルの事と、奴を倒す為に一人で立ち向かい、今も行方が知れないお兄ちゃんの事を話した。
エリウッド様はお兄ちゃんの事を覚えていたけれど、だからこそ、兄が居ないはずのエリアーデさんとの差異を感じて違和感があるんだって。

何にせよ、あんなに強いお兄ちゃんが追い掛けて来ないなんて心配すぎるよ。
お兄ちゃんは無事なの?
フレイエルはお兄ちゃんさえ凌駕するほど強いの?
不安で顔を歪めてしまったわたしに、ヘクトル様が横から。


「手紙に書いてあったエリアーデを狙う奴ってのは、そのフレイエルじゃねぇのか」
「分かりません。だけど手紙が本当の事なら、その可能性は高いと思います」


そしてもう一つ、手紙に書いてあった希望を思い出す。

“私達はその男に異世界で殺されかけたのですが、ぎりぎりでこちらの世界へ戻れた為に、事なきを得ました。”

もしエイベルさんとソヴィさんが わたしの両親なら、生きている可能性が大きくなった。
同時にエリアーデさんを狙う男がフレイエルだと仮定した場合、倒しに行った両親が死んでいる可能性も大きくなった訳だけど。
両親は竜に襲われて死んだと思っていた分、生存の可能性を高める情報が増えるのはプラス。


「もしエリウッド様が許して下さるのなら、わたしも旅にお供させて下さい! わたしは本当の事を知りたい。父や母、兄にも再会したいんです!」
「ああ、もちろん構わないよ。命を狙われているというのなら、一所に留まるより転々と旅した方が良いかもしれない。それに僕も、もう一度 叔父上や奥方には会いたいからね。父上だけでなく叔父上達まで連れ帰ったら、母上もお喜びになるだろう」


エリウッド様達はむしろ、今はリキア国内の情勢が不安定だから、それに巻き込んでしまいそうなわたしの方を心配して下さった。
だけど そんな事を不安がっていられない。
今この機会を逃したらきっと、家族を捜しに行くなんて夢のまた夢になる。

正直な話、手紙の内容はまだ信じられない。
お母さんの力で異世界に行ったって、どうしてそんな力を持っているの?
異世界に行くって話だけなら、わたし自身も体験してるから否定はしないけど……。
姿を変えるとか、時間が違うから数十年を過ごしてもこちらでは時間が過ぎてないとか、とても頭から信じる気にはなれない。

でも、何故だろう。
手紙を読んで時間が経つにつれ、どんどん信じられるようになってる気がする。
わたしの中に眠っているエリアーデが、そうさせているのかもしれない。
いや、手紙を信じるなら“別人が眠っている”んじゃなくて、わたしが“自分がエリアーデだという事を忘れている”だけか。

記憶と姿を取り戻せるのだろうか。
取り戻せたとして、その後わたしは、アカネはどうなるのだろう。
不安要素は尽きないけれど、今はエリウッド様のお供に集中しよう。
そうすればいずれ、お兄ちゃんや、お父さんとお母さんに再会できると信じて。





−続く−


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