烈火の娘
▽ 9章 寂しさの心


「アカネ、相手から目を逸らすな! そのまま踏み込まれるぞ!」
「はいっ……!」


キアラン城の魔道士隊で訓練を始めてから、わたしの戦いもそれなりになった。
今はお兄ちゃんに提案されて、戦いの訓練をつけて貰っている所。
わたしは魔法に対する耐性がそれなりにあるみたいで、ある程度戦いの基礎と知識と経験を積んだ今となっては、お兄ちゃんみたいに物理攻撃をして来る相手との戦いも学ぶべきなんだって。

でも実際、この訓練に踏み切って良かったと思ってる。
高い耐性を持っている魔法と違って、武器が迫って来るのは相当な恐怖。
最初は怖じ気づいてしまいマトモに対峙する事すら出来なかった。
お兄ちゃんが相手でも怖いんだから、これがわたしの命を狙う敵だったらどうなる事やら。
キアランへの旅の最中は側に仲間が居たから良かったんだけど、今後、一人の時に戦う羽目にならないとも限らないし、訓練で守って貰う訳にはいかない。

今はそれなりに度胸も付いて、少なくともお兄ちゃんや訓練相手には怯まなくなった。
時折リンやフロリーナ、ウィルさん、時間が出来ればケントさんやセインさんも相手になってくれて、それなりに様々な特徴を持つ相手との戦い方も分かって来た。
魔道士隊長さんには褒められる事の方が多くなって、彼は、こんな素晴らしい使い手を指導できた事は誇りです……!
なんて涙ぐんだりしてちょっと大袈裟だ。あんなに熱い人だったのね。

お兄ちゃんが構えを解いた隙に、チャンスだと思ってファイアーの模擬魔法を放つため詠唱する。
詠唱しながら魔力を蒐集するの慣れたなあ。
だけど魔法を放った瞬間、お兄ちゃんは私に向かって突っ込んで来た。
物怖じする事なく正面から炎へ飛び込んで、あっと言う間に間合いを詰めて来る。
対処できないわたしの懐へ飛び込んで来たお兄ちゃんに剣を突き付けられ、ギブアップした。


「降参でーす……」
「ははは! まあ俺みたいな実力者が相手じゃあ無理もねえよ。気落ちすんな!」
「む……。でも魔法に突っ込んで来るのはちょっと違うんじゃない? 今のは訓練用の魔法だったから平気だけど、実戦だと相当なダメージだと思うよ。ケントさんやセインさんだって、わたしの詠唱に気付くと間合いを取るのに」
「おー、なかなか生意気な事を言うようになったなアカネ」
「茶化さないでよ、わたし真剣なんだから」
「確かに俺みたいな魔法の心得が無いタイプは、魔法耐性が低いからな。今みたいに魔法へ突っ込んで行くのは馬鹿のやる事だ。普通は」
「普通は……?」
「……時には命を懸けた決死の突撃をしなきゃならない事もあるだろ」
「あ、そうか」


そこまで聞いて、ふと今のお兄ちゃんを思い返す。
訓練だからとはいっても、やっぱり普通に戦う時の癖が出てしまうもの。
ひょっとしてお兄ちゃんは魔法の耐性が低いクセに、魔法へ向かって突っ込んで行くような無茶を普段からしていたんだろうか。
普段からしていた訳ではなくても、命を懸けた決死の突撃をしなければならないような、そんな目に遭った事があるのだろうか。

お兄ちゃんはこの世界に来てからの事を何も話そうとしない。
わたしも再会した頃に訊いただけで、それ以来自分から訊ねようとした事が無かった。
リンに救われ助けられたわたしとは違って、酷い苦労をして来た可能性もある。
それこそ、魔法に向かって飛び込むような、命を懸けざるを得ない苦労を……。


「お兄ちゃん……いつか絶対にお父さんとお母さんを探し出して、皆で一緒に帰ろうね」
「どうしたよ急に」
「お願い、約束して。わたし今でも怖くなる事があるの。元の世界に帰れるのか、お父さんとお母さんは今も無事に生きているのか……」
「……」
「根拠の無い口約束で良い。大丈夫だって言って。お父さんもお母さんも無事で、いつか必ず皆で帰れるって……!」
「アカネ……」


ついには涙声になってしまって情けないけど、お兄ちゃんの苦労を想像すると苦しくなった。
お兄ちゃんだってわたしと同じ平和な平成の日本に生まれ育って、命のやり取りに繋がる戦いなんかする必要の無い生活を送って来た。
なのにこの世界に来てからは、こんなに強くなるほど戦い、もしくは修行を重ねて来たんだ。
旅の途中、シューターを攻略する時に見せてくれたお兄ちゃんの強さ。
それ以外でも戦いの中でお兄ちゃんは結構な活躍ぶりだった。

変わってしまった。
お兄ちゃんも、わたしも、平和な世界で生きるには過ぎる程の力を手に入れた。
それはリン達 他の皆も持っているものだし、わたし達の世界でも戦いの中に身を置いている人なら、形は違えど持ってるものだろう。
それでも、この世界に来る前のわたし達の生活からはかけ離れていて。

もう戻れないような気がして来る。
それが、酷く恐ろしい。

お兄ちゃんは泣きそうに俯いてしまったわたしの頭を撫でてくれる。
そして変わってしまう前と変わらない、優しい笑顔と声で。


「前にも言ったろ、父さんと母さんはきっと無事だ。見つけた後は元の世界へ帰る方法も探し出して、皆で帰ろう。こんなに強い俺と強くなったお前が一緒に居るんだ、向かう所 敵無しだぜ!」
「……ふふっ。お兄ちゃんって調子に乗り易い所、あるよね」
「おいおい、それを言ったらお前もだろ。魔道士隊長に指導して貰う切っ掛けになった件、忘れたとは言わせねぇぞ」
「いいいいや、あれは忘れてお願い!」


昔みたいにふざけ合って、笑い合う。
お兄ちゃんがそうしてくれるだけで本当に心強い。
いつの間にかわたしから、沸き上がっていた不安は消えていたのだった。


+++++++


「アカネ」


ある日、城の廊下を歩いているとケントさんに声を掛けられた。


「ケントさん。何かご用ですか?」
「ああ。訓練を頑張って、最近はめっきり実力を付けたと魔道士隊長殿に聞いてな。少し見学させて貰ったが確かな事のようだ。それで君に一つ提案があるんだが」
「提案?」
「本格的にキアラン家に仕えてみる気はないか」
「えっ! わたしがですか!?」


いきなりの提案に驚いて一歩後退ってしまう。
キアラン家に仕えるって……兵士になるって事!?
そりゃあもしもの事があれば戦うつもりではいるけど、本格的に兵士になるっていうのはちょっと、考えた事が無い。

まあケントさんにしてみれば、実力を付けた人が居るのなら引き込みたいよね。
ラングレンの一件でキアランの家臣達は分断し数も減った。
立て直しはそれなりに順調だけれど、以前の状態にはまだ届かないみたい。
でもなあ、本格的に雇われて兵士になるってのもなあ……。

そうして迷っていると、ケントさんが言い難そうに。


「……君は確か、別の大陸から来たと言っていたな」
「え? は、はい……」
「いずれは帰るつもりなのか」
「まあいずれは、帰りたいですね」
「例えば……こちらに居心地の良い居場所が出来たとしても、絶対に帰りたいか?」
「どういう事ですか?」
「だから つまり……その、だな。キアランが君にとって、第二の故郷にしてもいいと思えるほど、居心地の良い場所になれはしないかと」
「……」


んん? ケントさんの言ってる事って、なんか……。
気のせいかもしれないけど、わたしを帰したくないみたいな、そんな。
そんな事を言ってるように聞こえるんだけど……。
あれ? 確かにそういう趣旨の事を言ってるよね?
わたしの自意識過剰な勘違いじゃないよね?
ケントさんにそこまで言わせるほど優秀な人材じゃないと思うんだけど。

それとも、ひょっとしたらケントさんは。


「寂しいんですか?」
「! な、何の話だ?」
「一緒に旅した仲間は結構 居なくなっちゃったし、ひょっとしたらウィルさんやフロリーナも故郷へ帰るかもしれない。その上、わたしとお兄ちゃんまで居なくなったら、一緒に旅した仲間は3人まで減ってしまいますし……」
「……やはり、おかしいだろうか。大の男が」
「いいえ。ただちょっと、意外かなって思えちゃいますね。ケントさんは主君さえ居れば、後は去る者追わず的な感じがするので。大人だからとか、男性だからとか、そういうのは関係ありませんよ」
「参ったな……」


照れ臭そうに苦笑するケントさん。
あ、そんな表情も出来るんだ。また新たな発見かも。

やっぱりわたしの考えは当たっていて、ケントさんも共に旅した仲間との別れを寂しく思っていたらしい。
わたしだけじゃなくて良かった。
他の皆だって、大なり小なりそういう感情はあるよね。
それに、実力のある人物を引き込みたいというのも間違ってないみたい。


「嬉しいなあ。わたし、ケントさんに必要として貰えるくらい、実力を付けられたんだ」
「……アカネ、正直な話をすると私はな、君を見くびっていたんだ。旅に連れて行っても足手纏いにしかならないだろうと思っていたし、君が戦い始めてからも、きっと危なくなれば戦うのをやめる、最悪逃げるだろうと踏んでいた」
「うーん、あながち間違ってないかも」
「そうだろうか。私は、それは過小評価だと後から分かったぞ。君は危なっかしいながらも立派に戦い抜いた。フレイエルに襲われてからは、心さえ強くなっているように思えた。ずっと君に謝らねばならないと思っていたよ。見くびってすまなかった」


頭を下げるケントさんに慌てて、気にしてませんからと告げる。
かつてわたしを足手纏いだと評価していた彼も、今は信じる主君へ一緒に仕えないかと誘う程、頼りにしてくれてるんだ。
嬉しい、すっごく嬉しい! ようやく本当の仲間になれた気がする。

……だ、だけど。
キアラン家に仕えるかどうかの決心はつかないなあ。
やっぱり本格的に兵士になるのは、ただ戦うのとは別の決意が必要だと思う。
ケントさんにそれを告げ、でもいざという時はわたしも戦いますと誓っておく。
彼もさすがに無理強いする気は無いみたいで、助かると言ってくれた。
これで話も終わったと思って、一礼して去ろうとする。
けれどケントさんはそれを引き止めて。


「私は、アカネが故郷へ帰ってしまうのが一番寂しいよ」
「え。ど、どうして わたしが一番なんですか? リンは」
「もしリンディス様が草原へ帰りたいと仰られたら、もちろん非常に寂しいが、主君の決められた事ならば信じて送り出したいと思う。それに同じ大陸だ、リンディス様に必要とされる事があれば、馳せ参じるつもりで居る。しかし君の故郷は遠い別大陸なんだろう。帰ってしまえば再会は難しい筈だ。だから、アカネが帰ってしまうのが一番寂しい」


他意は無いんだろうけれど、男の人にいきなりそんな事を言われたら照れてしまう。
お兄ちゃんは……と思ったけど、ケントさんはお兄ちゃんをライバル視的な意味で敵視してたっけ。
それにわたしは旅の始まりから一緒に居るから、そういう意味で一番なんだろう。

ケントさんと別れてから、帰還の事について本格的に考えてみた。
元の世界には帰りたいけれどやっぱり、そうしたらリン達とは二度と会えなくなるのかな。
それだけがどうしても気がかりで、想像すればするだけ苦しくなる。
元の世界の友達とも会いたいし故郷に帰りたい気持ちは大きいけれど、生死を共にした仲間というのは格別だよ。

更に歩いて中庭に出るとリンとハウゼン様を見つけた。
お付きの人は出来るだけ下がっていて、リンがハウゼン様を介助しながら散歩している。
家族水入らずか、邪魔しちゃ悪いね。

……なーんて思って立ち去ろうとしたらリンに声を掛けられた。
うわああ、さすがに侯爵様がご一緒だと緊張するってば!
だけど当然無視なんか出来ないので、観念して側へ寄る。微妙に距離を開けながら。


「こんにちはハウゼン様、リンディス様」
「もう、アカネったら。私には普通に接して良いって言ったじゃない。あなたは私の客人なのよ」
「い、いやー……ははは……」
「わしに遠慮しておるのだろう。どうか気にせずリンディスの望む通りにしてやってくれ。聞けば以前からの親友も臣下となり、対等な態度の友人が居なくなってしまいそうだと。リンディスには不自由な生活をさせてしまっている事だし……」
「おじい様、不自由だなんて仰らないで。私は……」
「分かっておるよ、お前が嫌々この生活をしている訳ではない事くらい。しかし環境が変わって戸惑う事も多かろう。こういう時に対等な友人の存在は大きい」


ハウゼン様にそう言われてしまっては、態度を元に戻すしかない。
まあ別に嫌な訳じゃないから良いんだけどね。リンもこっちの方が良さそうだし。
誘われて中庭にあるベンチへ一緒に座る。
穏やかな気候の流れは、あの戦いが嘘のように優しい。


「アカネ、といったかな、君は」
「はい」
「君はリンディスが草原で一人過ごしていた頃、共に生活していたそうじゃないか。心強かったと嬉しそうに話してくれたぞ。家族として礼を言わせて貰おう」
「そんな、リンに救われたのは私の方です。私も家族を失って、独りぼっちになってしまった矢先でしたから」
「私もアカネも、頼れるものが何も無い状況だったからね。2ヶ月間お互いに支え合っていたわ」
「良い友人に恵まれたものだ……安心したよ。これからもどうか、リンディスと仲良くしてやってくれ」
「もちろんです! ……あ、でもわたし……」
「どうした?」
「……故郷に帰れる事になったら、もう一緒には居られないかもしれません」


わたしの事を詳しくは聞いていなかったようで、ハウゼン様は疑問符を浮かべる。
リンは(嘘だけれど)わたしが別の大陸から来た事を思い出したのか、ハッとしたような顔。
そして彼女の方からハウゼン様に説明してくれた。
当然だけど、ハウゼン様だってユーラシアなんて大陸もニホンなんて国も聞き覚えが無い。
しかも いつの間にかこの大陸に居ただなんて怪しいこと極まりないのに、それでも孫娘のリンが信用しているからか、疑わないで聞いてくださった。


「そうか……無事に帰れれば良いが、お互いに寂しかろう」
「覚悟はしているつもりよ。帰る方法が見つかったらアカネを送り出してあげようって。……すごく、本当にすごく、寂しいけどね」
「リン……でも、それでもわたし達ずっと友達よ!」
「当たり前じゃない。これから先 何があっても、私とあなたはずっと友達。約束するわ!」


あまり しんみりした空気は出したくないのだけれど、ついつい泣きそうになってしまった。
リンが覚悟するなら、わたしも覚悟しなくちゃいけないだろうな。
悲しみを抑えて送り出してくれるリンの気持ちを、無駄にしたくはない。
……まあ、帰る方法なんて未だ見当もつかないんだけど、ね。


暫くお喋りしてからリン達と別れ、自主訓練でもしようと訓練所の方へ向かう。
すると途中、何か言い争いのような事をしているお兄ちゃんとセインさんが目に入った。
何事かと近寄ってみると、二人は同様に何かを持っていて。


「セインさん、お兄ちゃんが何かしましたか?」
「おまっ、何で俺がやらかした前提なんだよ」
「アカネさん! 今日も相変わらずお可愛らしくて素敵です!」
「え……あ、ありがとう、ございます……」
「勝手に人の妹を口説くなセイン! お前も照れるなアカネ!」


セインさんは女性なら誰でも口説くっていうのは分かってるんだけど、それでもこんな風に褒められると本気にしちゃいそう。
特にわたしみたいな、恋愛耐性が付いてないのは本当に危ない。
セインさん大丈夫かなあ。いつか刺されたりしないかなあ。

余計な心配は置いといて、二人が何を言い争っていたのか訊いてみる。
また何かお兄ちゃんがキアラン騎士を馬鹿にしたんだろうか?
でも聞いた話は、予想とは全く違うものだった。


「こいつ、俺の特権を横取りしようとしやがったんだ!」
「お兄ちゃんの特権って何よ」
「アカネさん、シュレンの奴あなたの誕生日を独り占めしようとしていたんです! たまたまシュレンが独り言を言っているのを聞いて、あなたの誕生日を知りました。そこで俺は一足先にアカネさんを祝おうかと思って……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。わたしの誕生日?」
「確かお前の誕生日って今日だったろ?」
「……あ」


すっかり忘れていたけど、言われて思い出す。
確かにそうだ、今日ってわたしの誕生日じゃない!
ちなみに今はキアラン城を奪還してから8ヶ月ぐらい経ってる。

この世界に来てから今日でちょうど一年なんだね……。
色々な事がありすぎて、もう14歳の誕生日なんて遠い遠い昔の事みたいだ。
感慨に耽っているとお兄ちゃんが一歩進み出て、私に可愛い装飾の袋を渡して来る。
軽く開けて中を見てみると、黒いレースで編まれたリストバンド。
編み込みで綺麗な装飾が入っていて、ブローチのような装飾がなされた3cmくらいの赤い石が付いている。


「去年はちゃんと祝えなかったからな。15歳の誕生日おめでとう、アカネ」
「お兄ちゃん……ありがとう……」


あの日お兄ちゃんは わたしの誕生日を祝う為に部活を休んで、早めに家へ帰ってくれていた。
結局お兄ちゃんに14歳の誕生日を祝ってもらう事は叶わなかったけれど、こうしてまた会えて、無事に迎えられた15歳の誕生日を祝ってくれてる。
それがこの上ない奇跡のように思えて、わたしは泣きそうだった。
最近 涙もろくなっちゃったかなあ。

……と、その様子を見ていたセインさんが騒ぎ始める。


「シュレンお前、兄だからってアカネさん独り占めはずるいぞ!」
「うるせー! 第一盗み聞きなんかしやがって、お前こそ抜け駆けする気だったんだろ!」
「当然。こんな天使のように愛らしいアカネさんがこの世へ生まれて下さった記念日、祝わないなんておかしいだろ。プレゼントまで買って来たんだ!」
「畜生、こういう輩が現れるからアカネの誕生日を黙っていたかったんだ!」
「え、アカネって今日誕生日なの」


突然、お兄ちゃん達のものではない男性の声。
そちらを見やるといつの間にかウィルさんが近くまで来ていた。
で、その後ろにはケントさんも控えていて……。
なんか、怒っているように見えるんだけど……?
それを示すように、セインさんが目に見えて慌て始める。


「セイン貴様、仕事をサボり町まで出た理由はそれか……」
「い、いや、だってアカネさんの誕生日だぞ、これは祝わないと駄目だろう!」
「そうか。お前は自分の不真面目の責任を、女性に擦り付けるというんだな」
「う……」


なんだか修羅場が始まってしまった二人をよそに、ウィルさんが無邪気な様子で祝ってくる。


「そっか誕生日か、おめでとうなアカネ! でも知らなかったしプレゼントも何も用意してないぞ」
「構いませんよ、祝って下さるだけで凄く嬉しいです! それにわたしだってウィルさんの誕生日は知らないですし……」
「だあっ! お前ら和気藹々とするな! アカネの誕生日なんて俺だけ祝えてりゃ良かったのに!」
「へぇ、そういうつもりだったのねー」


不満げなお兄ちゃんの声の後、聞き慣れた声。
その主はリンで、2人で何か話していたのかフロリーナを伴って現れた。
それを見た瞬間お兄ちゃんが不機嫌そうに顔を引き攣らせる。


「来やがったな鬼門……」
「誰が鬼門よ。むしろ鬼門はシュレンの方でしょ、アカネの誕生日を黙ってるなんて」
「訊けば良いのに訊かなかったのはお前だろうが」
「すっかり失念してたの。教えてくれたって良いじゃない」
「嫌なこった。去年祝えなかった分、今年は存分に祝ってやるって決めてたんだ」
「家族水入らずを堪能したいのは分かるけどね、アカネの気持ちは聞いたの? ひょっとしたらアカネは、皆に賑やかに祝って貰う方が嬉しいんじゃない?」


ああ、いつも通りにお兄ちゃんとリンが火花を散らし始めちゃった。
こういう時って『やめて、わたしの為に争わないで!』って言えばいいのかな。

……いや、無理。さすがにそれは恥ずかしい。
セーラだったら躊躇い無く言いそうだなー……とか考えたら思い出しちゃった。元気にしてるかな。
臨戦状態の二人を止められずに見ていると、フロリーナがこっそり近づいて来る。


「アカネ、誕生日だったのね。おめでとう」
「ありがとうフロリーナ。良かったらフロリーナの誕生日も教えてくれない? やっぱり友達だし、ちゃんと祝いたい」
「うん。わたしの誕生日はね……」


一緒に旅した仲間は減ってしまったけれど、こうして今も側に居てくれる。
命を脅かされる事の無いこの時間が、平和で穏やかで、賑やかで楽しいこの時間が、これからもずっとずっと続いてくれれば良いのにな。


……だけど。

その掛け替えない幸せを、自分の方から放棄しなければならない時が来てしまった。


それは15歳の誕生日から更に2ヶ月以上が経ったある日。
部屋で寝ていたわたしを起こしたのは、深夜には場違いなノックの音。
戸惑って返事できないでいると、再度ノックが聞こえた。
こんな時間の来訪者に心霊現象の方を想像してしまい ゾッとしていると、扉の向こうからお兄ちゃんの声が聞こえた。


「おいアカネ、起きたか? 起きてるか?」
「お兄ちゃん……? どうしたのこんな時間に」
「よかった、起きてくれたな。取り敢えず入れてくれ」


部屋に招き入れると確かにお兄ちゃん。
だけどその姿は、旅をしていた時のような旅装だった。
荷物入れと愛用の剣も携えていて、まるで今からどこかへ旅立つよう。
お兄ちゃんは一つ息を吐くと、いつもの軽い雰囲気を潜めて真剣な声音で。


「アカネ、準備しろ。今から旅立つぞ」
「え、え、どういう事……!?」
「覚えてないか? お前がフレイエルに襲われた時、俺、あいつの接近が分かっただろ?」


それってキアラン領に入ってから、ケントさん達と一緒に襲われた時の事だよね。
確かにお兄ちゃんはフレイエルの接近が分かって、わたしを置いて一時的に去ってしまった。
事が終わった後、奴の接近が分かるから次に現れたらリンから離れる、という事で、同行を渋っていたケントさんを説得したんだったよね。

……つまり、今がその時。
リン達を巻き込まない為に、離れる時なんだ……。


「フレイエルがどこか、近くに居るんだね?」
「ああ。すぐ支度しろ、魔道書は絶対に忘れるなよ。引き止められるだろうからリン達には何も言わずに出て行く」
「ま、待って。せめて置き手紙ぐらい残したい。時間ありそう?」
「そうだな……そのくらいなら大丈夫そうだ。分かった、支度は俺がするからお前は手早く書け」
「うん」


心音がうるさくなって行く。緊張して息が少しだけ荒くなった。
震える手を何とか誤魔化しながら、わたしはペンを滑らせる。


【リン、ごめんなさい。お兄ちゃんがフレイエルの接近に気付いたらしくって、ここを出て行かなくちゃいけなくなったの。どうか黙って行く事を許して。リンがわたしを思いやってくれているように、わたしもリンと皆を守りたい。一緒に旅した仲間や魔道士隊の人達にもよろしく伝えてください。こんな形で別れる事になって本当にごめんなさい。出来ればまた会いたい。生き延びれるように頑張るから、どうかリンも、また会えるまで元気でいてね】



敢えて“さようなら”は書かなかった。
月並みだけど、また会いたいから。これで終わりになんかしたくないから。

お兄ちゃんが用意してくれた荷物の中身を確認して、キアラン城を後にする。
見張りの人には見つからなくて良かったけど、フレイエルに見つかる可能性があるからまだ安心は出来ない。
城からだいぶ離れた所で行き先が不安になって、お兄ちゃんに訊ねてみる。


「これからどこに行くの?」
「南だ。フェレを目指す」
「フェレって……確かエリウッド様の……」
「覚えてたか。説明の手間が省けた、これを渡しておくぜ」


お兄ちゃんから受け取ったのは、封がしてある封筒。手紙が入っていそうだ。


「中身は見るなよ。大事に持ってろ、絶対失くすな」
「う、うん……」
「街道も道案内もあるから苦労はしないだろうが、フレイエルから逃れなきゃならんからな。出来るだけ急いで、リン達が気付く前にキアラン領を抜けないと……」


そこまで言った瞬間。
お兄ちゃんがわたしを突き飛ばし、まるで以前と同じように、あっと言う間に炎に包まれてしまう。


「きゃあぁぁっ!」
「く、そ、ったれェェ!!」


何とか炎を振り払ったお兄ちゃんは剣を構え、進行方向とは逆を向く。
まさかフレイエルの奴、もう追い付いて……!


「アカネ、先に行け!」
「わたし一人で……!? 嫌よ、お兄ちゃんも一緒じゃなきゃ!」
「我が儘を言うな! リン達にまた会いたいんだろ!? 父さんと母さんだってきっと探してるぞ! 必ずフレイエルを倒して追い付くから、先に逃げるんだ!」
「でも、でも……わたし、一人でどうすればいいの……」
「フェレ侯爵家を訪ねて、さっきの手紙を渡せ! 要所要所に案内もあるから街道に沿って進めば大丈夫だ!」
「……」
「ぐずぐずするな、行け!」
「お、お兄ちゃん……」
「行けッ!!」


有無を言わせない怒鳴り声に体を震わせ、多少よろけながら後退る。
そのまま振り返って一目散に走り出した。
背後から何かが燃えるような音と、焦げるような嫌な臭い。
続いて響いたお兄ちゃんの怒声に怖くて振り返る事も出来ず、わたしは涙を流しながら走り続けた。


「お兄ちゃん……お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」


泣きながら、それでも走りながら呪文のように呟いた。
せっかくまた会えたのに、再び離ればなれになってしまう。
あんなに強いお兄ちゃんなら大丈夫、フレイエルなんて軽くやっつけてくれる。
そう思おうとしても、不安が涙と一緒に次から次へと、止め処なく溢れて来た。

……わたしとの訓練の時に見せた、魔法へ正面から突っ込む剛胆さ。
あれをフレイエル相手に発揮しない事を祈りたい。
フレイエルの炎魔法は凄まじかった。温度だけでケントさん達が殺されそうなくらい。
そんな炎に真っ正面からぶち当たったら、魔法耐性の低いお兄ちゃんじゃ……。


「無茶しないで。倒せなくったっていい。逃亡生活になってもお兄ちゃんが死ぬよりマシだよ……!」


すっかり離れてしまい、もう聞こえる筈の無い言葉。
どうしてそれをお兄ちゃんに直接言わなかったのかと後悔しながら、わたしは夜空の下をひたすら走り続ける。

……揺れる体、服の下に何かが触れる感触。
例の持ち主不明の謎のペンダントだと思い出し、同時にもう一つをリンがまだ持っている事に気付いた。

返して貰うの忘れたなあ、なんて今はどうでも良い事を頭の片隅で考え、わたしはフェレを目指して南へ駆けて行った。





−続く−


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