烈火の娘
▽ 8章 新しい生活


リンがラングレンを倒した翌日。
毒に蝕まれて病に臥せっていた侯爵様の容態は、見違えるように良くなったそう。
きっとリンのお陰だと言わなくても皆が分かってる。
侯爵のハウゼン様がリンと付き人に支えられながら起きて来て、一緒に戦った仲間達に改めてお礼の言葉を述べられた時は、何だか胸がいっぱいになって泣きそうになってしまった。
彼女が家族と再会できて本当に良かった……。

リンは草原には帰らず、キアランのお城に残る事にしたみたい。
せめて侯爵様が元気になるまで傍に居るつもりらしいけど、キアラン家を継いだりはしないのかな?
公爵様、他にお子様とか居ないみたいだし……お家断絶になるんじゃ?
お兄ちゃんに訊ねてみたら、それは俺達みたいな部外者が口を出す事じゃない、って窘められてしまった。

まあ確かに、リンは草原に居るのが似合っているとわたしも思う。
部族の人達は居なくなってしまったけどラスさんとも知り合えたし、今なら草原に帰っても独りぼっちって事は無いよね、きっと。
リンが草原へ帰る事になったら、わたしはどうしよう。
彼女と離れたくないけど、お父さんとお母さんを探しに行きたい。

城の廊下の窓から外を眺めながら、先の事を考えて溜息を吐いた。
そしたら背後から急に声を掛けられて驚いてしまう。


「どうしたのアカネ」
「わっ! ……びっくりした、リンか。あ、様付けで呼ばなきゃだめかな」
「やめてよアカネまで。さっきフロリーナがね、侯爵家に雇われて臣下になったんだからって、私の事を“リンディス様”なんて呼ぶようになったのよ。しかも敬語まで!」
「えぇ、フロリーナが? ……だけど臣下になったんなら仕方ないかも」
「そうなのよね……雇われたフロリーナが私と普通に接してたら、怒られるのは彼女だし。下手をしたら不敬だって城を追い出されるかもしれない。一緒に居る為には我慢するしか無いわ。だから私、せめてアカネとシュレンの事は客人として扱う事に決めたから」
「い、良いのかな。一番素性が知れないのに」
「いいの、もう決めた。アカネとシュレンは何も気にしないで、私に対してはこれまで通りに接してね。……まあシュレンには言う必要ないかな」


確かにお兄ちゃんなら、何を言われようがリンには対等に接しそうだよね……。
それにしてもリンは侯爵家のお姫様な訳で、わたしとお兄ちゃんがその客人って。
なかなか凄い立場になっちゃった気がする。

ウィルさんも故郷に帰らずキアラン家に雇われて、弓兵隊で頑張るらしい。
ケントさんは騎士隊隊長、セインさんは副隊長に任命されて大出世。
ワレスさんは……まだ何も聞いてないけど、元キアラン騎士みたいだし多分残るんじゃないかな?
ルセアさんは城を出たけれど近くの街で修行しているみたいだし、ニルスとニニアンはもう少し城に残るみたい。
だけれどそれ以外の人は皆、各々の目的地を目指してキアランを後にする。
寂しくなるなあ……。

キアラン城奪還から3日経ち、リンは対外的にも正式に公女と認められた。
もうキアランに関して心配事は無くなって……出て行く人達は出発する事にしたみたい。
去って行く人達に会えないかと城門の近くでうろうろしていると、最初にドルカスさんに会った。


「ドルカスさん! ナタリーさんの所に帰るんですね?」
「ああ……報酬も得たしな」
「そうか、ナタリーさん足が……。早く快くなると良いですね。……あの、ナタリーさんに改めてお礼の伝言をお願いできますか? あなたのお陰で、自分が出来る事を実行できるようになりましたって」
「分かった。必ず伝えよう」


相変わらずの言葉少なだけれど、表情の変わり難い顔を少しだけ笑顔にして、ドルカスさんはナタリーさんの待つベルンへ帰って行く。
その姿を暫く見送っていたけれど、彼の姿が見えなくなる寸前、誰かが飛び付くような勢いで背中から抱き付いて来て前に倒れそうになる。
驚いたけれど同時に上げられた声に、振り返らなくても誰だか分かった。


「やっほーアカネ、元気〜?」
「セ、セーラ!」
「なによ一人でこんな所に居て。あ、私を見送りに来てくれたのね! やっぱり私が居ないと寂しいわよね〜分かるわ〜」


相変わらずの言動に苦笑してしまうけれど、彼女の言う通りだったので反論はしない。
自信過剰気味できつくなりがちな彼女の言動も、もう聞けないと思うと寂しくなるな。
セーラの後ろからは疲れたような表情のエルクが足取り重く歩いて来た。
そういえば彼、セーラに護衛で雇われたんだよね。


「二人とも、オスティアって領地を目指すんだよね。そこに住んでるの?」
「僕は違う。北のエトルリアって国に住んでるんだ。早く仕事を終わらせて帰りたい」
「エルクったら素直じゃないのよね、私と離れるの、寂しくってたまらないくせに!」
「……ね、これだよ」


ますます疲れた顔になって溜め息を吐くエルクには悪いけれど、二人のやり取りは笑いを誘って良いコンビだとしか思えなくなる。
でも、離れたら次はいつ会えるんだろう。
わたしの元居た世界みたいに交通手段が発達してないから、会おうと思ったって簡単に会えない。
下手をしたらこれっきり、なんて事にもなりかねなかったり……。

そう考えていたら、セーラ達だけじゃなく他の皆とも もう会えない気がして来て、気が付けばわたしは ぽろぽろと涙を零していた。
ぎょっとしたセーラとエルクが慌てた声を掛けて来る。


「ちょ、ちょっとアカネ! やだ泣かないでよ!」
「だ、って、もしかしたら、っ、もう皆に会えないかも、って……!」
「アカネ……。成り行きで仲間になったけど、こうなると僕も寂しいよ」
「エル、ク、も?」


みっともなく しゃくり上げながら途切れ途切れの言葉を発してしまう。
だけどエルクは優しく微笑んで、わたしの頭を軽く撫でてくれた。
セーラが、ちょっとー私と態度違くない? なんて不満げに言っていたけれど顔は笑顔で。
しょうがないなー、なんて言いたげな溜息を吐いて、わたしの手を両手で握った。


「幸運の女神セーラ様が保証するわ。また会えるわよ、絶対にね!」
「……ほんと?」
「この私が言うんだから間違いなし!」


自信満々なセーラの言葉が、頼もしい支えとなってわたしの心を引っ張り上げてくれる。
エルクもこの時ばかりはセーラの言葉にうんざりしたりせず、優しげな目を向けていた。
見送りに来たのに すっかり二人に元気付けられちゃったなあ。
また会うまで元気でね〜、なんて笑って手を振ったセーラにこちらも同様にして、足取り軽く城門の方へ向かう彼女を見送る。
……と、少し先まで進んでいたエルクが立ち止まり、振り返った。


「エルク?」
「アカネ、君、確か文字の読めない魔道書の事を知りたがっていたよね」
「え、うん……」


倒れていたわたしの傍に落ちていたという、読めない魔道書。
謎は何も解けていないけれど、わたしや仲間の危機を救ってくれた。
魔道書を扱う店で調べて貰おうと思っていたけど、結局まだ何もしていない。
エルクにも見せた事あったなあ、そう言えば……。


「僕の魔法の師匠、エトルリア王国軍 最高指揮官の一人である、魔導軍将なんだ。魔法に詳しいあの方なら、何かご存知かもしれない」
「本当!?」
「ああ。大事な物だろうから魔道書を預かる訳にはいかないけど、話しておいてみるよ。もしいつか機会があったら、リグレ侯爵家のパント様を訪ねてみるといい」
「で、でも会えるかなあ。要はすっごく偉い人なんでしょ?」
「パント様も奥様も気さくな方だから大丈夫……とは言え周りがうるさいかな。僕を指名してくれた方が確実かもしれない。その気があるなら、手紙でも送って所在を確認してから訪ねて来てくれ」


傭兵業の関係か、連絡先を書いた名刺のような紙を持っていて、それを渡して来るエルク。
貰った瞬間にセーラがエルクを呼ぶ声が聞こえて、じゃあまた、と小さく言った彼は踵を返して去って行く。
二人の姿を暫く見送っていたら、背後からガシャガシャと鎧のぶつかる音。
あまり長く一緒には居なかったけれど、仲間内では目立つ音だったからすぐに分かる。
重厚な鎧を纏った重騎士のワレスさんだ。


「あれ、まさかワレスさんも行っちゃうんですか?」
「うむ。久しぶりに戦ったら血が騒いでな。ブランクもある事だし、暫く旅して勘を取り戻して来よう」
「少しの間でしたけど、とっても心強かったです。また戻って来られるんですよね?」
「無論そのつもりだ。戻って来る頃に『兵士強化マニュアル』で騎士隊がどれだけ鍛え上げられているか、実に楽しみだのぉ!」


ヌハハハハッ! と豪快なワレスさんの笑いは、こちらまでつられて笑いそうになる。
でも兵士強化マニュアルって何なんだろう? ワレスさんが作ったのかな?
兵士の人達はそれで特訓してるんだろうか。
ワレスさん鬼教官って感じで厳しそうだから、きっとめちゃくちゃキツいんだろうな……。
なんて他人事な心配をしていると、急にワレスさんが真剣な顔になって、声を潜めて来た。


「アカネよ。一つお前に頼み事がある」
「え? わたしにですか?」
「ああ。……リンディス様の事だ」


リンの事。
それを聞いたわたしも思わず真剣な表情になる。
ワレスさんはリンのお父さんと友人だったみたいで、リンから事情を聞いたそう。
そしてリンが、部族を滅ぼしたタラビル山賊団に復讐しようとしている事も。


「憎み恨む事も、寂しい思いをしたあの方には必要だったのかもしれん。しかし憎しみの力は、過ぎれば心を歪めてしまいかねない。わしは……あの方の澄んだ心が歪み切ってしまう事が惜しくてならんのだ。リンディス様には是非とも、幸せになって頂きたい。あの方の心が堕ちてしまわぬよう気を使ってくれんか」
「……どうしてそれを わたしに? わたしよりもケントさん達に言った方が……」
「この数日お前を見ていて思った。リンディス様はお前に対して、他の者と違う気持ちを向けておられる。聞けばお前も家族を喪い、草原で一人だったリンディス様と共に暮らしていたらしいな」


ワレスさんの言わんとしている事は分かった。わたしも以前 思った事だ。
リンはきっとわたしに対して、他の仲間達とも、昔からの親友であるフロリーナとも違った感情を持ってる。
そして自覚は薄いけれど、わたしもリンは他の人と違う感じがしている。
家族を喪い2ヶ月を一緒に過ごして……傷の舐め合いと言われればそれまでなんだけど、わたしは独り寂しく暮らしていたリンの心をこじ開けて割り込んだ。
寂しさを埋め合って励まし合いながら2人で生きた。
たった2ヶ月だけれど、理不尽に家族を奪われ絶望していたわたし達には充分な期間だった。

だけど心が堕ちないようにって、復讐しないように止めろって事?
わたしは お兄ちゃんが生きていたから、お父さんとお母さんも生きているかもしれないと希望が湧いた。
だから気持ちは薄れかかっているけれど……それでもあの竜には恨みがあって、機会があるなら復讐したいと今でも思っているのに。止める事なんて出来ないよ。
それを素直にワレスさんへ伝えると、彼は神妙な顔で一つ息を吐く。


「わしにそれを止める権利など無い事は知っている。だが、リンディス様やお前のような年若い者が憎しみに駆られている姿は、何とも痛々しい。何より両親がそれを望むと思うか? 引き返せなくなってからでは遅いぞ」
「それは……」


お父さんとお母さんは、きっと望まないと思う。
それにワレスさんの言う事だって分かる。
誰かや何かを守る等という理由ではなく、恨みや憎しみだけで殺しを行ってしまったら、きっとその時こそ本当にわたしは戻れなくなってしまう。
平和な平成日本の生活に、家族や友人達との平穏な生活に。
いつかお父さんお母さんと再会した時、そこに居るのは最後に別れた時とは違うわたしになってしまっている。
……そんなの、イヤだなあ……。


「難しい頼み事をしてすまんな。だがやはり、どうしてもリンディス様が心配だ。お前の行動に沿う範囲でいいから、リンディス様のお側に居る間はあの方が心を壊してしまわんように支えて差し上げてくれ」
「……分かりました。難しいとは思うけど、出来る限りの事はします」


正直な話をするとあまり自信は無かったけど、それでもはっきり答えたわたしにワレスさんはお礼を言い、そのまま城門を出て旅立って行った。

後、旅立つのはマシューさんとラスさんの筈だけど、暫く待っていても一向に来ない。
ひょっとしたらまだ城に居るつもりなのかもしれないと思ったわたしは、城門の側から離れると城の方へ戻り、彼らの行方を探してみる事に。
何となく兵士達の詰め所の方へ行ってみると、ウィルさんに出会った。


「ウィルさん こんにちは。突然ですけどマシューさんとラスさん見ませんでした?」
「アカネか。実はラスさん城に着いてからすぐ居なくなっちゃって、マシューさんも今朝早くに城を出て行ったらしいぞ」
「ええ!? 見ないなあとは思ってたけど……。わたし、挨拶も何もしてない!」
「リンディス様さえ何も聞いてなかったらしいからな。あーあ、おれラスさんにサカ流の弓術習ってみたかったのに」


リンにさえ何も言わずに出て行っちゃったんだ……。
呆気なかったなあ、また会えるかな?
ラスさんはサカに帰れば会えるかもしれないけど、マシューさんは流れの盗賊みたいだし、セーラの自信満々な言葉を思い出してもまた会えるような気がせず、小さな喪失感が胸に生まれる。
一言くらい言ってくれてもいいのになー、と、文句というよりも寂しい気持ちで言っているだろうウィルさんに同調していると、ケントさんとセインさんがやって来る。


「アカネ、ここに居たのか」
「ああっ、今日も可愛らしいお姿ですアカネさんっぐふっ」


武器を振り上げたケントさんは、セインさんを一瞥もする事なく柄を正確に命中させる。
何でもない顔でこちらを向いたままだったからちょっとビックリした……。
もうプロって感じだね、さすがケントさん。
っていうか、『ここに居たのか』って事はわたしに用かな。


「何かご用ですか?」
「ああ、どうやらシュレンが城の魔道士部隊と口喧嘩をしたみたいでな。口論の末、アカネの魔法は城の誰よりも凄いと言ってしまったが為に、君を探してるようなんだ」
「……あの、それ、わたしに魔道兵士と戦えって事ですか?」
「そうなんじゃないか?」


相変わらずの何でもない調子……っていうか少し笑顔?
やだ何かケントさん怖い。普段通りなのに威圧感がビシバシ出てるような気がする。
以前からリンに乱暴な口を利いていたお兄ちゃんを、ケントさんは良く思ってない。
とは言っても本格的に嫌っている訳ではなく、ライバル的な感じみたいだけど。
そしてお兄ちゃんは、キアランの魔道士部隊よりもわたしの方が強いと言ってしまってて……。

……ああ、間接的にキアランを下に見たって事になるのかな。
だからキアラン家に仕える騎士であるケントさんは怒っていると。
もちろん“怒っている”というのは本格的にではなく、ライバルを打ち負かしてやる的な感情だろうけど。


「別に殺し合えって訳じゃないですよね? それなら手加減すれば大丈夫か。ケントさんもわたしの魔法の威力ご存知ですし、わたしに勝てると思ってる訳じゃない、です、よ、ね……?」
「………」
「あ、あれ、え……?」


……あれ? 今わたし自惚れた? 自惚れた気がする。
『手加減すれば大丈夫か』『わたしに勝てると思ってる訳じゃないですよね』って……。
訓練を重ねて来たキアランの魔道士部隊より自分が強いって、言っちゃった、気がする。

え、あ、うそ、あれ? いやわたし、そんな、自惚れなんてするつもりじゃ……。
あああああ! ケントさんの顔がハッキリと笑顔になったぁぁ!


「随分と自信満々じゃないか。是非とも我が城の精鋭部隊と戦って欲しいな。よし、後学の為に我々も見学へ行く事にしよう」
「おおおおおっ、さすがアカネさん! 華麗に舞って華麗に勝つのですね!?」
「いや、ごめんなさいごめんなさい! 違うんです、誤解です、自惚れるつもりじゃなかったんです! わたしはまだまだ未熟なヒヨッコだって分かってますから! 今のは心神喪失状態で放った寝言です!」


慌てて否定しても受け入れて貰えず、ケントさんにずるずる引きずられながらわたしは兵士達が集う訓練所へと連れて行かれる。
向かった先は城壁に囲まれた広場のようになっていて、まばらながら人が集まりざわざわしている。
視線の先には何やら口論しているお兄ちゃんとリン、その近くでおろおろとしているフロリーナ。
わたしは既に抵抗を諦めたためケントさんには引きずられておらず、彼らの元へ小走りで駆け寄る。


「どうしたのリン、お兄ちゃん!」
「アカネ! シュレンの言う事なんか気にしなくていいわ、早く立ち去りましょ」
「え?」
「おーっとそうはいかねぇぜリン! アカネ、お前ならやってくれるよな?」
「え? え?」


一遍に2人から詰め寄られる形になって、上手く返答が出来ない。
というか何の話をしてるんだろう2人とも。
訳が分からなくてフロリーナに視線を移しても、彼女は小さく首を横に振るだけ。
事情を知っているのはお兄ちゃんとリンだけって事か。


「待って、何の話してるか分かんない! ちゃんと説明してよ!」
「シュレンったら魔道士部隊に喧嘩売って、あなたを戦わせようとしてるのよ! そんな馬鹿げた事しなくていいんだからねアカネ。第一、喧嘩を売ったのはシュレンなんだからシュレンが戦うべきでしょ!」
「残念だな、俺はアカネの魔法の方が強いって言ったんだぜ。戦うべきなのはアカネだろ、第一俺、魔法なんて使えないしな!」
「……お兄ちゃん?」


ちょ、なんて事してくれたのこれはさすがに酷いと思うよ。
わたしが訓練を重ねて来た兵士に勝てる訳ないじゃないの。
……さっきケントさんに言っちゃった事はノーカウントで。
なんて思っていたけれど、セインさんという予想外な所から爆弾が落とされた。


「リンディス様、先程アカネさんは自信満々なご様子でしたよ! 手加減すれば大丈夫とか、負ける気がしないとか! きっと華麗に戦って下さるに違いありません!」
「ちょっとセインさん、話を盛らないで下さい! わたしが言ったのは、わたしの魔法の威力をケントさんは知っているだろうから、わたしに勝てるとは思ってませんよね、って……。 ……あ」


しまった。訂正しようとしたのにセインさんの言葉と変わらない事になっちゃった。
わ、うわ、少し離れた所に居るローブの集団がこっち睨んでる!
あの人達が魔道士部隊の人達!? ごめんなさい誤解です、本当は思ってません!
お兄ちゃんは得意げな顔をしているし、リンとフロリーナは心配そうな顔で見て来るし。

わたしが不用意に馬鹿な事を言っちゃったせいでリンにも迷いが生まれ、それに加えて魔道士部隊の人達からも挑戦を受けてしまい逃げられなくなった。
お兄ちゃんは、頑張れよ〜なんて言いながらニコニコ笑ってるし……もうっ!

噂を聞き付けたのか兵士さんの野次馬が集まって来る。
なんて大事になっちゃったんだろう。お兄ちゃん後で埋め合わせしてよね。
使用武器は初級魔法のファイアー、を、模した訓練用の魔法。
魔道士隊長である男性と向かい合って構えた瞬間、妙な違和感がわたしを襲った。

あれ? なんか変だな。
武器が練習用の模擬魔道書なのを差し引いたとしても、今までの実戦と全く違って感じる。
命のやり取りをしないから……じゃない。むしろ今までの実戦より緊張感が増してる。
まあ周囲に見物人が沢山居るから緊張してるんだろうなと自己完結した。


「えっと、お願いします……」
「こちらこそ。リンディス様のお客人だとしても手加減は致しませんよ」


……怒ってるのかな、雰囲気的にそんな感じがする。
そりゃあこんな訓練もしてない小娘に、自分の方が強いとか言われたら怒りもするよね……。
審判役の兵士さんの合図で、隊長さんと同時に魔道書を構えて詠唱を開始した……瞬間、今までの実戦とは違う妙な違和感の正体に気付いた。

居ないんだ、誰も。
今までの戦いは命のやり取りだから緊張の連続だったけど、わたしの側にはいつも仲間が居た。
普段はリンの側に居て、お兄ちゃんと再会してからはお兄ちゃんが居て。
危なかったのはフレイエルに襲われた時だけど、あの時も弱っていたとはいえ わたしの側にはケントさん・セインさん・マシューさんが居たし、最後のラングレンとの戦いだってリンと二人で協力した。

だけど今、わたしの味方について戦ってくれる人は誰も居ない。
それは魔道士にとって致命的な、詠唱中の隙を攻撃されるという可能性が激増する。
隊長さんは魔道書片手に素早く詠唱を開始した。


「天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ!」
「(は、速い……)」


ただ単に詠唱が速いだけじゃない、体内の魔力を安定させるのも、それを放出させるため一所に集めるのも、集めた魔力を炎に変化させるのも、わたしとは段違いで速い。
あれだけ早く構築できたら一人でも充分に戦えるよね、すごい……。
わたしも数歩遅れて魔法の炎を発動させるけれど、相手に向けて飛ばすより先に向こうから小さな火球がわたし目掛け向かって来ていた。
すぐこちらも火球を飛ばして避けようとするけれど、飛ばした瞬間、避けようとした体がぐらりと傾ぐ。


「うわっ!?」
「アカネ!」


わたしの名前を呼んだのはリンみたい。
傾いだ体は倒れずに済んだけれど、結局避けられなくて火球がまともに当たってしまった。
訓練用だからちょっと痛いだけで怪我なんてしない。
……けど悔しい、わたしが放った火球はいとも簡単に避けられちゃった。


「うう、次は当ててやる……」
「重心が悪い!!」
「ひっ! え、え?」


体勢を立て直していると、突然隊長さんから罵声が飛んで来た。
急な事だったから驚いてしまい、ビクリと体が震えて間抜けた声を出すしか出来ない。


「魔法を放つ時の衝撃で体勢が不安定になっています! そもそもの姿勢や重心が悪い。だから今、私の火球を避けられなかったんですよ!」
「え、あ、はあ……」
「体力も筋力も少ないから体を支えられていない。魔道士だから鍛えなくて良い訳ではありません、最低限、魔法の衝撃に耐えうるフィジカルが必要なのです。あなたにはそれが無い!」
「………」
「そもそも基礎がなっていないではありませんか! 詠唱してから魔力を蒐集するのではなく、詠唱しながら蒐集するのは常識です! 今のあなたでは戦場で隙を突かれてしまう!」


なん、で、わたし、公衆の面前で説教されてるんだろう。
だけど隊長さんの説教は実用的な事ばかりなので、嫌がらせでないのは確かだと思う。
っていうか勉強になるなあ。なるほどなるほど……。

もうお互いに突っ立ったまま、隊長さんはくどくどとお説教+アドバイスを続け、決闘になるかと思っていたわたし含む野次馬達も呆然としている。
やがてこれ以上は進展しそうにない雰囲気を感じ取ったか、一人一人と姿を消し、後に残ったのはわたしと隊長さん、帰る訳にいかない魔道士部隊の人々、リン・お兄ちゃん・フロリーナ・ケントさん・セインさん・ウィルさん。
一頻り喋り終わった隊長さんはわたしの方に歩いて来て、肩を叩いた。


「基礎も何もなっていない未熟な方ですが、魔力だけは有り余っているようですね。避けはしましたが訓練用の模擬魔法だというのに、威力がそこそこあった」


隊長さんに指さされた先を見ると、芝生の地面が小さくだけど黒く焼け焦げている。
あれ、本当だ。訓練用の威力の無い魔法だって聞いてたのに。
さっきまでわたしのような小娘に下に見られて怒っていた様子だった隊長さんは、今は目を輝かせてわたしの肩を掴んでいる。
そんなわたし達に周りの残った人達が近付いて来て、セインさんが笑いながら。


「あっちゃー、やっぱりこうなったか」
「“やっぱりこうなった”? どういう意味ですかセインさん」
「魔道士隊長殿は指導者気質の方でして。アカネさんみたいに素質のある方を見れば指導したくて堪らなくなるタイプなんですよ」
「ええー……ちょっとお兄ちゃん、なんて人にわたしの自慢したのよ」
「良かったじゃねぇか、これでお前も基礎から指導して貰えるぞ! お前 魔力だけはあるけど、戦い方なんて独学かつ行き当たりばったりだろ?」
「……え? まさか最初からこうなるのを見越して……!?」


聞けばお兄ちゃん、兵士達の訓練を見学していて、この魔道士隊長さんに目をつけたらしい。
その指導者気質を見抜いて、これなら戦わせればわたしの状態に気付き指導してくれるようになるんじゃないかと。
普通にお願いしなかったのは、何の接点も無い素性も知れないただの小娘を頼んだって、引き受けてくれるとは思えなかったからだそう。
まず見下して相手の負けん気を刺激してから戦いの場に引っ張り出す……。
そんな手の込んだ事しなくてもリンにお願いすれば一発だったような気もするけど、今までのお兄ちゃんの態度からしてリンには頼みたくなかったのかもしれない。

それにしても、わたしまで調子に乗っちゃったのは確かなんだよね。
ほんと何であんな図に乗っちゃったんだろう。
ここまで生きて来られたから自信が付いちゃったのかな。
自信が付くのは良い事だろうけど行き過ぎは良くない。もっと自分を戒めなきゃ。
と思っていたら相変わらずニコニコのお兄ちゃんが。


「っつー訳でリン、今日からアカネも魔道士部隊で訓練するけど良いよな!」
「アカネが良いなら私は構わないけど、あなた達の立場は変わらず客人よ」
「おー心配すんな、今の好待遇を自分からポイ捨てする気は無いから。じゃあしっかり訓練に励めよアカネ。お前の為になるんだからサボるなよ?」
「……はぁい」


実の所を言うときつそうだから嫌だったんだけど、この世界が危険な場所なのは確かだし、基礎がなってないならいつか足下を掬われる可能性がある。
出来ればもう戦いたくない。だけどいずれお父さんとお母さんを探しに行きたいし、そうなったら旅に出る必要があるから……実力をつけるに越した事は無いよね。

そしてその日から、わたしは魔道士部隊の人達と一緒に訓練する事になった。
とは言ってもまずは体力や筋力作り。
サカから旅して来たから日本に住んでた頃より体力はついてるけど、お城の兵士達や一緒に旅した仲間達に比べるとまだ足りない。
そんな中で嬉しい事と言えば、基礎訓練は新米の天馬騎士と行うから、フロリーナと一緒に訓練できる事だ。
体力作りの基礎訓練を行った休憩時間、訓練所 端の木陰に寝転びながら、隣に座るフロリーナと話す。


「あーっ、疲れたー! 隊長厳しいよ、フロリーナは大丈夫?」
「うん。きついけど、私もっとリン……リンディス様のお役に立ちたいから。早く一人前になって、リンディス様を側でお守り出来るようになりたいな」
「……すごいよね、フロリーナは。人生の目標っての持ってるんでしょ? わたしにはまだそんなの無いからなあ。将来ほんとどうしよう」
「アカネは、大人になったらなりたいものとか無かったの?」
「あんまり考えたこと無い。小さい頃はそれこそ普通の女の子みたいに、お花屋さんになりたいとかお菓子屋さんになりたいとか思ってたけど、それって“単なる夢”でしょ。目標って意味での夢とは全然違う」


今はこの世界を生きるのに必死で、あんまり考えられないのかもしれない。
取り敢えず目下の目標には、お父さんとお母さんを探し出す事があるけど。
そうなったらお兄ちゃんと2人旅かな。リンもハウゼン様が快復して心配事が無くなったら、もしかすると着いて来てくれるかもしれない。
あ、そうしたらフロリーナも一緒で……お兄ちゃんとわたしとリンとフロリーナで旅?
ふふ、楽しそう。

そうして2人で涼やかな風に身を任せていると、ふらふらとした足取りでウィルさんが。
こんにちはー、と声を掛けるとこちらに歩いて来た。


「……やられた。ワレスさんすっごい無茶なもの残してた」
「ワレスさんが? 一体何を……」
「『兵士強化マニュアル』ってやつだよ! 全速力で領地一周とか無理だろ!」
「えええ!? そ、そんなのやらなくちゃいけないんですか!?」
「もちろんナシだよ、ケントさんもそう言ってたし。でもそれ以外もきついのなんのってさ。アカネとフロリーナは別枠だろ? おれもそっち行きたい……」


ウィルさんは男の人だから女しかなれないペガサスナイトは無理だし、魔力も無いみたいだから魔道士にもなれないのは分かり切っている。
それにしてもワレスさんが言ってた『兵士強化マニュアル』、そんなに恐ろしいものだったなんて。
領地一周以外にも無茶な訓練が書いてありそう。
ウィルさんには悪いけど、魔道士で良かった、と心の中で息を吐いておいた。


++++++


わたしが魔道士に混じって訓練を始めてから数日。
お城の中をうろうろしていると、ふと、通りかかった部屋から知った声がした。
行儀が悪いけれど思わず聞き耳を立ててみたら、ニニアンとニルスがリンと話している声。


「……そう。残念だけど、決心が揺るがないなら仕方ないわ。どうか気を付けて、困ったらいつでも訪ねて来て良いのよ」
「ありがとうございます。リンディスさま、お世話になりました」


……ニニアン達も行ってしまうんだ。
また一緒に旅した仲間が減ってしまう寂しさが胸を締め付ける。
ニニアンとニルスは旅芸人だし、定住してない分、またいつ会えるのか分からない。
部屋の中からこちらに向かって来る足音が聞こえたので、わたしは少し扉から離れて二人の退出を待った。
すぐに扉が開き、わたしに気付いた二人が少し驚いた顔でこちらを見る。


「アカネさま……」
「アカネさん聞いてたの?」
「ごめんね二人とも。通りかかったら声が聞こえて、話きいちゃった。もう城を出て行っちゃうの?」
「はい……怪我もすっかり良くなりましたし、これ以上お世話になる訳には……」
「ぼく達、変な集団に狙われてたでしょ? 迷惑かけちゃうかもしれないからね」
「尚更心配だよ! それに命を狙われるならわたしだって、フレイエルに狙われてるんだから立場は一緒じゃないの!」


そう言っても二人は首を横に振るばかり。
でもわたしと二人と何が違うと言うんだろう。わたしが良くて二人が駄目な理由が無い。
素性が知れないのも狙われているのも同じ。
戦えるか戦えないかの差があると言っても、リンはわたしとお兄ちゃんを客人扱いしているし、訓練しているのはリンにとっても想定外の事のはず。
それを二人に伝えると、少し辛そうに顔を歪め……だけれど主張は変えない。
いつもの快活さを潜めたニルスが、寂しげな笑顔で静かに告げる。


「違うんだ、ぼく達とアカネさん達は。だからダメなんだよ」
「何で……わかんないよ、わたし達もニルス達と一緒だよ!」
「ううん、違うんだよ。詳しくは言えない。だから聞かないで、どうかぼく達を見送って」


ニニアンを見てもニルスと同じような顔で、考え方は同じみたい。
本人達がここまで言うなら引き留めるべきじゃない。だからリンも送り出す事に決めたんだと思う。
だけどそれでも、こんなにか弱い二人を旅に出すのが、どうしても心配で堪らない。
今まで二人で旅をしていたと言っても、これから先も無事である保証なんて無い。
旅芸人をするくらいならキアランに定住して、近辺で踊りや笛を披露して稼げばいいのに。

……だけど何を言っても2人の決心は変わらなかった。
泣きそうな顔をするわたしに困った笑顔を浮かべて、ニニアンが近寄り、わたしの手を握る。
ひんやりと冷たく感じた気がして、彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。


「あたたかい手……。こんなわたし達を引き留めて下さって、ありがとうございます。助けて下さった皆さんの事、決して忘れません」
「……ニニアン、ニルス」


優しく微笑んだ二人は一礼してわたしの元から立ち去る。
きっと他の人にも軽く挨拶して、そのまま城を出て行くつもりなんだろう。
どうしようも無く呆然と二人を見送っていると、背後からリンの声。


「アカネ。二人は行っちゃったのね」
「うん。わたしが言って良いのか分からないけど、お城に残ればいいのに」
「そうね。私も引き留めようとしたんだけど、二人とも決心は固いみたい。帰りたい故郷でもあるのかな」
「そっか、今は旅してるけど帰る場所だってあるかもしれない。でも心配だよ……」


わたしだけじゃない。
リンも他の皆もきっと、見るからにか弱そうで、更に謎の組織に狙われている二人を心配するはず。
だけれど、どうしても旅立つと決意を固めている人を無理に引き留める事も出来ない。
心配な心を何とか抑えて、きっとまた無事に会えると自分に言い聞かせながら、リンと一緒に二人を見送っていた。


++++++


キアランのお城に来てから一月が経過しようとしている。
ようやく基礎体力作りだけでなく本格的な魔法の訓練も入って来て、きついばかりの印象しかなかった訓練が楽しく思え始めた頃。
気晴らしに近くの街まで買い物に出て来たら、ルセアさんと遭遇した。


「ルセアさん、こんにちは!」
「アカネさん。なんだか妙にお久しぶりですね」
「そうですねー。訓練始めちゃってから、ロクに休日が取れないし……」
「訓練?」
「はい。わたしの魔法を見た魔道士隊長さんに、基礎からなってない! って怒られちゃいまして。今は魔道士隊に混じって訓練しているんです。ルセアさんもこの街で、神父見習いとして修行してるんですよね」
「ええ。ですがそろそろ、旅立たねばならないようです」
「え、ルセアさんまで!? どうしてですか!?」
「……連れが、おりまして。連絡が入ったのです。一緒に行かねばなりません」
「そのお連れさんというのは……」
「申し訳ありません、私が勝手に喋ってしまう訳にはいかないのです」
「そうですか……。一緒に旅した仲間がどんどん減っちゃって寂しかったんです。ルセアさんまで居なくなっちゃうなんて残念だな……」
「またお会いしましょう。あなたには迷いを祓って頂きました。その恩返しもしたいですし」


例え相手が悪人でも殺すことを躊躇っていたルセアさん。
相談されたんだっけ、わたしの人を殺す事に対する躊躇いが激減していたから。
わたし、そんな迷いが吹っ飛ぶほど良い事を言ったつもりは無いんだけど……。
まあルセアさんが満足してるならいいか。

そのままルセアさんとお喋りしながら街を歩き、そろそろ城へ帰ろうと街の出口まで来た。
……と、前方の道を一頭の馬が風を切り駆け抜けて行く。
速くてよく見えなかったけど、長い緑の髪が靡いているのはハッキリ分かった。リンだ。
わたしは慌ててルセアさんに別れを告げると、全速力でリンを追い掛ける。
当然追いつける訳なんて無いんだけど、思い切り大声を上げると反応して止まってくれた。


「リン! リンーーーーッ!! ちょっと待ってーーーーー!!」
「え、アカネ!?」


手綱を引いて馬を止め、常歩でわたしの方へ引き返して来るリン。
ぜえぜえ息を切らしているわたしに、呆気に取られた表情で話しかける。


「びっくりした……街に出て来ていたのね。どうしたの?」
「い、いや。リンの姿が見えたからつい追いかけちゃって。一人でどこ行くの?」
「ちょっと……景色を見に行くだけ。一緒に来る?」
「! うん!」


手を引いて手伝ってもらい、馬に乗るとリンの後ろに跨がった。
掴まっててねと言われ、手を導かれリンの腰に腕を回す。
すぐに馬が走り出し、涼やかな風がわたし達の体を撫でて行った。


「リン、馬に乗れたんだね」
「サカの民は大体乗れると思うわ。生活に必須だしね。私も父さんに教えて貰って……」


そこでリンは言葉を詰まらせ、そのまま黙ってしまった。
ご両親の事を思い出したのかな。ちょっと悪い事きいちゃっただろうか。
沈黙がわたし達を包む。辺りはすっかり夕暮れで、馬は小高い丘をぐんぐん駆け上がる。
やがて丘のてっぺんに着いたわたし達は馬を下りて崖際に近寄った。
眼下にはさっきまで居た街があって、平原の先をぐるりと山が囲む。
その向こうに真っ赤な太陽がぽっかり浮かんで、茜色を作り上げていた。


「うわー、いい景色! あっちの方、サカの方角だよね?」
「そうね。時間が出来た時にはよく一人でここに来るの。……草原なんて見える訳ないのにね」
「リン……」
「キアラン城での生活、嫌いじゃないわ。おじい様がいらっしゃるし、一緒に旅した仲間が居る。フロリーナとも一緒だし、アカネも居るし。だけどね、時々……恋しくなるの。あの噎せ返るような草の匂いや、澄み切った風が」
「…………」
「ふふ、みんなには内緒よ? 余計な気を遣わせちゃう。特におじい様には……」
「分かってる、誰にも言わないよ。二人だけの秘密ね」


微笑み合って、暫く丘の上からの景色を楽しみ、遥か彼方の草原にまで思いを馳せる。
リンと2ヶ月一緒に暮らしていた草原……わたしの、この世界での冒険の始まりの場所。
キアランまでの旅程と、到着してからの生活も合わせると、この世界に来て5ヶ月くらいかな?
長く感じたけれど、過ぎてみれば目まぐるしくてあっという間だった。
キアランでの生活も板についたし、すっかりこの世界の住人になっちゃったかも。

わたしとお兄ちゃん、これからどうなるんだろう。
お父さんとお母さんを探したいけれど、見付かったとしてもその後は?
元の世界に帰る手段なんてあるのかな。

そして、わたしの側に落ちていた荷物……焼け焦げた手紙と謎の魔道書。
そして今もわたしとリンが分けて持っている2つのペンダント。
わたしが持っているのは赤い真円の石で、リンが持っているのは雫の形の青い石。
こっちの方も何とかしないと駄目だよね。でも持ち主なんて見付かるかな?
いざとなったらこっちの世界の誰かに預ければ良いかもしれないけど、あの【黒い牙】という人達が目印に狙ってたみたいだし、無責任かな。

とにかくわたしの願いは、これ以上戦いが起きないこと、そして巻き込まれない事。
わたしは勿論、リンにだってもうあんな危険な戦いに身を投じて欲しくない。
だけど彼女はタラビル山賊団に復讐を誓ってて……難しいかな。
ワレスさんに支えになってくれと言われたけれど、わたしにどこまで出来るか分からない。

わたしはただ、新しく始まったこの日常が、ずっと続いてくれる事を願っていた。





−続く−


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