烈火の娘
▽ 7章 公女の帰還


イーグラー将軍を倒し、わたし達はいよいよキアラン城の近くへと辿り着いた。
城には今までリンの命を、侯爵様の命を狙った候弟ラングレンが居るとあって、皆の士気は最高潮……これで戦いが終わるんだ。
辿り着いたのは南に大きな山々があり、川や平野が広がるのどかな場所。
だけど空は泣き出しそうな灰色で、辺りには戦いの気配が蔓延している。
山々を迂回して南下すればキアランのお城が見えて来るとケントさんは言う。
リンは感慨深そうに目を閉じて小さく息を吐いた。


「おじい様……もうすぐお会い出来るのね……」
「あてにしていた近隣の領地からの援軍も出ない今、ラングレン殿も死力でかかって来るでしょうね」
「どれだけの数で来ようと負けないわ。みんな、どうか私に力を貸して!」


リンの言葉に、皆が次々と闘志の声を上げる。
わたしが緊張しつつ魔道書を握り直すと、お兄ちゃんが優しく肩を叩いて来た。


「アカネ、もっと力抜いて良い。だけど周りに気を配るのを忘れるなよ」
「う、うん」
「リン、雨が降りそうだ。上手く利用すれば城まで気付かれずに切り抜けられるかもしれないぞ」
「そうねシュレン。二手に分かれて、少数でキアラン城まで行ければ……。ケント、セイン、城までの回り道ってあるかしら?」
「いいえ、この辺りは川が多く、複数の橋を渡って行かねばならないため進軍ルートは自然と限られます。二手に分かれ片方が囮を務めるにしても、限度があるかと」
「ずっと南に橋の掛かってない中州の島がありますから、そこさえ通れれば敵の目も欺き易いですよ!」


橋の掛かっていない中州か……フロリーナのペガサスに乗って行けばいいかもしれないけど、敵が沢山いる城へ行くのに二人だけじゃ危ないんじゃないかな。
ケントさんもそれを指摘して、中州を通る作戦は却下かなと思ってたら、マシューさんが割り込んで来た。


「はいはーい、困った時はこのマシューにお任せあれ!」
「……今度はどこに行ってたのよ」
「その辺の民家で話を聞いて来ただけですって、勝手に遠出はしてませんから」


へらへら笑うマシューさんに、リンも諦めてるのか苦笑して続きを促した。
どうやら中洲の島には城側と反対側に古木があって、切り倒す事が出来れば橋の代わりになりそうだって。
ドルカスさんならきっと倒せるはず、途中までは皆で進軍し、古木がある場所まで着いたら二手に分かれる事で話が纏まる。
リンは先頭に立ち、マーニ・カティを高く掲げた。


「皆に母なる大地の加護を、そして、敵に父なる空の怒りを!」


その瞬間、マーニ・カティが輝いたように見えてわたしは自分の目を擦った。
すぐ腕に感じる冷たさ……雨だ、雨が降って来た。
霧雨は辺りを白く染めて視界を遮り、地面を泥濘に変えて足を鈍らせる。
だけど絶好の機会、また目の利くマシューさんが敵の位置を知らせ、ワレスさんをやや先に据えて進む。


「ワレスさんストップ、魔道士の小隊が居る!」
「ぬう、鎧で魔法も防げぬものか……」
「わたしが行きます!」


ワレスさんが止まったのを確認するや否や、返事も聞かずに飛び出した。
慌てたリンの声がしたけど、その声が呼んだのはわたしの名前ではなくフロリーナとエルクの名前。
すぐに後ろからエルクを一緒に乗せたフロリーナがペガサスでやって来た。


「アカネ、君そんなに無茶する子だっけ……?」
「私達も戦うわ、協力して行こう」
「エルク、フロリーナ……ごめん、ありがとう」


気持ちが逸りすぎたかな。
だけどリンはわたしを止めずに、協力者を寄越すだけにしてくれた。
過ぎるほどわたしを心配してくれていた彼女だけど、敵に飛び込んで行くという今までじゃ考えられない行動をしたから、戦いの面でも信用してくれたのかな。
魔道士のエルクと魔法に強いペガサスナイトのフロリーナ、二人と協力して魔道士の小隊を殲滅する。
すぐさまケントさんとセインさんがマシューさんを伴いやって来て、先行を申し出てくれた。
通り過ぎる前に、ケントさんが話し掛けて来る。


「アカネ、敵に飛び込んで行くとは驚いたよ」
「フレイエルの事でケントさん達を危険に晒しちゃいましたから。いつまでも逃げてたらわたし、絶対に後悔する事になりそうで……だから戦います。言い訳なんて言えないくらいに」
「……本当に見違えたな。少し別人に見える」


冗談だったのか本当にそう見えたのか、少しだけ微笑んだケントさんはそれ以上会話させずに先行した。
ワレスさんだけでなくドルカスさんも壁役になり、向かって来る敵を倒す。
かと思えば壁役に集中する敵を欺いて、背後から弓や魔法で攻撃したりと、霧雨にもかなり助けられながら南へ南へと進軍。


「お兄ちゃん、雨が降って良かったよね。わたし達少人数だから霧雨のお陰で見付かり難いよ」
「だな、リンの恵まれ具合には素直に感服するぜ。マシューのお陰でこっちからは敵が見付け易いし、間接攻撃にも直接攻撃にも困らないし、守備や飛行兵種にも恵まれてるし、怪我しても回復の杖が……」
「呼んだぁ〜?」
「っ、て、セーラ……」


地獄耳かはたまたストーカーか、セーラは自分の話題を聞くや否やすぐさまお兄ちゃんにすり寄る。
お兄ちゃんは一瞬だけ顔を顰めた後、すぐにセーラから目を離して、はいはいウゼェし邪魔だと冷たくあしらい、離れる。
そんなお兄ちゃんをぽかんと見送っていたセーラは、すぐ不満げな顔を浮かべてわたしに文句。


「ちょっとアカネ、シュレンって絶対に猫被ってるタイプよね。イケメンの癖に実は中身最悪とかだったりするでしょ!?」
「え、うーん、わたしはそうは思わないけど……」
「それはシュレンがアンタに対してだけは単なるシスコン兄貴だから、害を感じる事が無いだけだって。ファンクラブまであるのに彼女の一人も居ない理由が分かったわ、妹以外の親しくしようとする女には、徹底的に冷たいんでしょ。近付いたら性格最悪な事が分かるから、彼女なんて近しい存在が居なかったに違いないわ!」


そうに違いない、と自信満々に言うセーラに、わたしは苦笑するだけで何も言う事が出来なかった。
わたしの知るお兄ちゃんは優しいばっかりで……なんだけど、“今は”果たしてどうなのか分からないから。

以前、ニニアン達の指輪を奪った賊に対して、憎しみに満ちた顔と声を浮かべたように思った事がある。
黒い牙とか何とか言っていた……この世界に来てからの数ヵ月、わたしと離れていた時に何があったのか、わたしは何も知らない。
ただの高校生だったお兄ちゃんが驚くほど強くなっているのだから、よっぽどの事があった可能性もある。
だけどお兄ちゃんは何も教えてくれなくて。
今のお兄ちゃんはわたしにとって、知らない人のように知らない事が多くある。
先に進むお兄ちゃんの背中を見ると、何も訊くなと暗に拒絶されているような気がして、何だか寂しくなった。



辺りを真っ白に染める程の霧雨に乗じて進軍し、わたし達は特に被害も無く着々とキアラン城に近付く。
そんな中、わたしの気持ちは非常に昂っていた。
あのフレイエルの一件からわたしの心は、ケントさんの言ったように別人のように変わった気がしてる。
恐怖……人を殺す事への恐怖が、以前に比べてかなり薄らいでいるから。
仲間を死なせるくらいなら、敵を殺した方がマシだと思ってしまったからだ。

わたしは平和な平成の日本では越えてはいけない一線を、もう越えてしまった。
日本へ帰れるんだろうか。
ちゃんと帰れたとして、果たして平穏な気持ちで暮らせるんだろうか。
周りの敵を粗方片付け、小休止がてらに歩きながら仲間達の後をつけていると、ルセアさんが話し掛けて来た。


「アカネさん、どうすればあなたのように迷いを打ち消せるのですか?」
「えっ?」
「あなたとの付き合いは十数日程度ですが、そんな私でも分かるくらいあなたは変わられました。敵へ攻撃する時の迷いや恐れが、驚く程に減っています」
「あぁ……」
「私は、倒すべき相手が悪事を働く者達だと自分に言い聞かせても、胸が痛いのです。辛くて苦しくて、とても申し訳ない。……協力する事を決めたのは自分なのに、甘いのは分かっているのですが」


力無く苦笑するルセアさんを見て、わたしは過去の自分を目の当たりにしているような気分になる。
何にせよリンに付いて行く事は自分で決めたのに、わたしは何だかんだと言い訳して戦わなかった。
リンはわたしを連れて行きたがっていたけど、わたしが頑なに拒否すれば無理強いはしなかった筈だ。
戦い始めてからも、自分は悪くない、こうしなければ仕方ないと言い訳をつらつら重ねながら、ひたすら目を逸らしていた。
それが今は、こんなに平気で敵を……。


「ルセアさんは、それで良いんだと思いますよ」
「……敵を倒すのを、躊躇っていても?」
「人を救う神父様なんですから、例え相手が悪人でも、殺すのを躊躇ったって構わないじゃないですか。悪人を許した方が良いとは言いませんし、他の仲間達の行動は間違っていないと、胸を張って言えます。だけどルセアさんみたいに、殺し自体に疑問を持って躊躇う人が、もし居なくなってしまったら……。その時は世界から平和が消えて無くなる時だと思います」


正直、わたしはルセアさんが羨ましかった。
敵を殺す事を躊躇い、疑問に思い、こうして慈悲を浮かべる事の出来る彼が。
もうわたしに、そんな事は出来そうにないのに。
殺しを躊躇うルセアさんを見ていると、遠くなった故郷を少し身近に思える。
ルセアさんは甘いのかもしれないけど、そんな彼に付け込んで害をなす奴が居るなら、その時は……。


「わたしや、周りの仲間達が守りますから」
「……」
「ねっ」


笑んでみせると、ルセアさんは少し呆然とした後、困ったような笑みを浮かべた。
本人としては甘えてるようで申し訳なく、だけどわたしの言葉を嬉しく思ってくれているのかもしれない。


「有難うございます。駄目ですね、私は。神父として皆さんの悩みを聞かねばならないのに、逆に相談を受けさせてしまうなんて」
「神父さんだって人なんですから、悩みや苦しみを持ってて当たり前ですよ。そして誰かに聞いて貰いたくなるのも当たり前でしょ。わたしで良ければ、いっくらでも聞きますから!」


満面の笑みを見せて胸を叩くと、今度は困ったような笑顔でなく、優しく微笑んでくれるルセアさん。
勝手な願いではあるけど、わたしが失ってしまった物をこれからも守り続けて欲しいな。


+++++++


メキメキとした軋みが鳴り、やがて古木が倒れる。
ドルカスさんが斧を入れた大木は、上手い具合に向こう岸への橋になり、中洲の島へ道が出来た。
ここからは、お城を目指す隊と囮になって敵を引き付ける隊に分かれる。
リンと一緒に行くのはケントさんとセインさん、それにフロリーナと、わたしとお兄ちゃんの五人。
あまり大人数になると囮が危険だから、戦力を考えるとギリギリの人数だ。
ドルカスさんにキアラン城側の古木を倒して貰い、彼とはここで分かれる。


「これからどうするの? ラングレンを倒すか、先にリンのお祖父さんを助けるか……」
「ラングレンの居場所が分からないし、おじい様が心配だわ。先に助けられれば良いけど……ケント、セイン、どこかから侵入できそうな場所はある?」
「簡単に侵入できちゃ問題ですけど、今は兵が手薄と考えて一番マシなのは……」


セインさんが言いかけた瞬間、城の方角から誰か……やや年配な男性の怒鳴り声のような物が聞こえた。
ラングレンかと思ってケントさん達に訊ねるけれど、さすがに少し遠くすぎて断定は出来ないみたい。
俺が偵察に行こうかとお兄ちゃんが動きかけると、それを遮る声。


「ま、待って……。私が偵察に行って来ます」
「フロリーナ……!? あなたが一人で敵の本陣へ偵察なんて、無茶よ!」
「だけど、この中で一番偵察に向いてるのは私よ。それにアカネが敵へ向かって行ったのを見て、私も勇気が湧いたの」
「わ、わたし?」
「うん。私もリンの為に、もっともっと役に立ちたい。お願いリン!」
「フロリーナ……」
「行かせてやれよ」


お兄ちゃんが口を挟む。
空も晴れて来たし空からでも見えるだろ、と言うお兄ちゃんに従って空を見ると、確かに霧が少しずつ晴れて明るさが増していた。
リンはまだ迷っていたけれど、フロリーナの真っ直ぐな瞳に押されて了承。
ケントさんとセインさんからラングレンの特徴と、城の裏手にある山の存在を聞いたフロリーナは、ペガサスに騎乗して空へ上がる。


「フロリーナ、弓兵にはくれぐれも気を付けて! 危険を感じたらすぐに逃げてね!」
「うん。行って来る!」


フロリーナが城の方へ行ったのを見送り、ふぅ、と溜め息を吐くリン。
わたしが、フロリーナなら大丈夫だよと言うと、リンは寂しそうな笑顔を向けた。


「あなたと良いフロリーナと良い、どんどん強くなって私から離れて行くみたいで、寂しいわ。……なんて言ったら駄目なんだろうけど、やっぱり、少し……。……ごめん、勝手な我が儘ね。忘れて」
「リン。わたし達はリンとこれからも一緒に居られる未来を守りたいから、強くなるんだよ。リンから離れたい訳ないじゃん」
「うん。私が馬鹿なのも我が儘なのも分かってる。ごめんねアカネ、変なこと言っちゃった」


苦笑しながら謝るリンだけど、“強くなって離れる”事への寂しさならわたしも持っているから、気持ちなら分かるかもしれない。
その“強くなって離れる”のはわたし自身と、日本での平和な生活だけど。
わたしまで辛くなって、ふとお兄ちゃんを見る。
真剣な顔で城の方を向いていたお兄ちゃんは、わたしの視線に気付くとこちらを見下ろしながら、ニッと笑んでくれた。
その笑顔が、地球の日本で平和に暮らしていた頃と同じで、心からホッとする。


「お兄ちゃんも強くなったけど……一緒に居てくれるよね、わたしから離れたりなんかしないよね?」
「お前とは離れたくねぇな。フレイエルの一件から強くなってくれて少し安心したが、まだまだ心配だし」
「……なら、これ以上強くならないのもアリかも」
「バーカ。自衛に繋がるんだから、もっともっと強くなれよ。強敵を相手にしても死なないようにな。……いいかアカネ、絶対に死ぬなよ。強敵にも対応できるよう、鍛えろ」


突然お兄ちゃんが真剣な顔になったので、わたしも表情を引き締めて頷いた。
やがてフロリーナが戻って来て、彼女はケントさん達に教えられたラングレンの特徴と同じ姿の男性が、城の門に居たと言う。
ここまで攻め込まれては城の中に居ても同じだと思ったのかもしれない。
リンはマーニ・カティを手に、城の方を睨んだ。


「ラングレンは私が倒す。……ところでシュレン、あなたの強さを見込んでお願いがあるんだけど。ケントかセインを連れて城に侵入して、おじい様の安全を確保してくれない?」
「お、珍しいなリン。お前が俺に頼み事とはよ」
「こんな時に茶化さないで。おじい様が助かるなら私の矜持なんて安いものよ」
「……そこまで言うかい。まあアカネの借りもあるし、引き受けてやるぜ。セイン、頼めるか」
「えぇー。俺は美しいレディー達を守って一緒に戦いた」
「行けセイン。鍛練をさぼって町へ遊びに抜け出していたお前の得意分野だろう」
「あだだだ痛い痛い、ケントさん耳引っ張らないで! てか根に持ってる!?」
「当たり前だ」


決戦前なのに賑やかしいけれど、お陰で緊張が少し解れて落ち着けた。
お兄ちゃんとセインさんはキアラン侯を助けるため一足先に城へ向かい、見送ってからわたし達も城へ。
雨は止み、まだ晴れてはいないけれど空は明るい。
ケントさんを先頭に進むと、城門前に立派な鎧を着込み槍を持った初老の男性。
イライラしている様子が、少し離れていても分かる。


「ケント、フロリーナ、アカネ。手出しは無用よ」
「はい。しかし万一リンディス様に危機が迫った場合、ご命令に背かせて頂きます」
「絶対に勝ってねリン、信じてるから……!」
「背後は任せて、あんなヤツやっつけちゃって!」


リンは振り向いて少しだけ笑顔を見せると、ラングレンへ向かって行く。
わたし達もそれぞれ武器を構え、不測の事態に備えた。


「ラングレンッ! あなたの野望、ここで砕く!」
「な……貴様、まさかリンディスか……! おのれ、どこまでも邪魔な! 何をしておる衛兵、わしを援護しろっ!」


ラングレンの怒鳴り声に、わたし達が中洲の島を通った事に気付かなかった兵達が集まって来る。
リンの所へ行かせる訳にいかない、食い止めなきゃ!


「アカネ、フロリーナ! リンディス様をお守りするぞ!」
「はいっ!」


もう兵士達は出払ってしまったのか、城の中から出て来る様子は無いし背後から迫る数もたいして多くない。
リンも戦いを始めたらしく、わたし達の背後からも剣戟の音が聞こえた。
後ろは振り返らない。リンならきっと勝ってくれると思っているし、それ以前にそんな余裕も無い。
覚悟が出来て敵を倒せるようになったとは言え、まだまだ緊張や経験不足による欠陥は補えないから。
……そんな中、聞こえた声。


「リンディス、良い事を教えてやろう。貴様の祖父、あの老いぼれは死んだぞ」
「っ!?」


聞こえたわたし達も思わず動きが止まる。
敵が向かって来るからすぐ我に返ったけど、衝撃を受けてさっきまでみたいに動けない。
リンが立ち直れないのか、ラングレンの勝ち誇ったような声は止まらない。


「あの老いぼれ、毒を飲ませてもしぶとく生き延びるのでな、孫娘は死んだと吹き込んでやったわ。あの絶望に満ちた顔、貴様にも見せてやりたかったぞ!」
「う、嘘……嘘よ、おじい様が死んだなんて! ふざけないでっ!」


振り向きたい、だけど目の前の敵も倒さなきゃ……。
そんな葛藤を心中で繰り広げていると、背後からリンの呻き声。

たまらず振り返った。
わたしだけでなく、ケントさんとフロリーナも。
わたし達の目に映ったのは、辛うじてラングレンと間合いを取るも、脇腹を刺され片膝を地面に付きながら血を流すリンの姿。
きっとお祖父さんが死んでしまったと聞かされ、冷静を欠いてしまったんだろう。


「リンディス様!」
「リン!」


駆け寄ろうとするも、こちらも敵が来るから無理だ。
だけど魔法で敵が近付く前に倒していたわたしの周りには、敵が居ない。
今リンの所に行けるのはわたしだけ、と考える前に、体が動いていた。


「天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ!」


リンを狙っていたラングレン目掛けて炎魔法をぶつける。
ワレスさんと同じジェネラルらしい奴は魔法に弱いようで、それなりのダメージは与えられたみたいだ。
その隙にリンに駆け寄り、支えつつ更にラングレンから間合いを取る。


「魔道士が仲間に居たのか、忌々しい……!」
「リン、しっかりして! あなたが倒れたらお祖父さんはどうなるの!?」
「でもアカネ、あいつ……おじい様が、死んだって……!」


これまで唯一の家族に会いたい一心で危険な旅を乗り越えながらも、お祖父さんに関する不穏な噂を耳にし続けたリンにとって、ラングレンの一言は予想以上の精神的ダメージになってしまったみたい。
危ない、ケントさん達の加勢も期待できない今、リンが動けないと……。


「アカネ、避けろっ!!」
「!」


突如響くお兄ちゃんの声。
反射的に動いたのは怪我をしていたリンで、彼女に押されてわたしは倒れる。
鋭く短い空を切る音……わたしが今居た位置にはラングレンが操る槍が。
慌てて体勢を立て直したわたし達に、更にお兄ちゃんの声が降る。
お兄ちゃんは城の上の方にある窓から身を乗り出していた。


「テメェ何やってんだリン、アカネに何かあったらタダじゃおかねぇぞ!」
「シュレン……!」
「お前のジイさんは無事だ、心配すんなっ! 弱ってるけど今ならまだ助かる!」


その言葉に、リンの瞳にまた光が宿った。
マーニ・カティを構え直すと、刺された脇腹も忘れたように地面を踏み締める。


「……絶対に許さない!」
「ふん、薄汚いサカの血を引く小娘が! ネズミを城に入り込ませた所で無駄だ、貴様の死を知れば奴らも絶望するだろうよ!」
「私の死……? ふふっ、シュレンなら喜びそうね」


余裕を見せるために、そうする事で自分を騙すためにリンは軽口を叩く。
今までのお兄ちゃんとの関係からして、半ば本気で言ったかもしれないけど。
わたしはもう一度魔道書を構え直し、狙いを定めた。
奴は重厚な鎧を着ている割に動きが素早いから、不意を突けない今だと避けられてしまうかもしれない。
けど、それで良い!


「天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ!」
「馬鹿め、遅いわ!」


わたしが放った炎はラングレンに当たらない。
だけどさっきまで降っていた雨の影響で地面が緩んでいて、泥濘のような状態になっていた。
地面に直撃した炎の玉は衝撃で周囲の泥を大量に跳ね上げ、それはラングレンの顔に。
目に入ったのか、思わず目を瞑るラングレン。
リンはその隙を逃がさない。


「はあぁぁーーっ!!」


全身全霊を込めた突きが、ラングレンを鎧ごと貫く。
非力なリンではジェネラルの鎧を貫けない。
けど精霊の剣マーニ・カティが、それを可能にした。
槍を落とし、血を吐き出すラングレン。
マーニ・カティが抜かれ、リンが飛び退ると地面にどっと倒れる。


「忌々しい、サカの小娘めが……。キアラン侯の座は、わ……わし、の……」


それきり、二度と動かなかった。


+++++++


戦いは終わった。
ラングレンが死んだ事が伝令されると、戦っていたキアラン兵達は次々と降服。
張り詰めていた気を解放した途端に出血のダメージが来たのかリンが倒れ、悲鳴を上げるわたしにフロリーナも一緒に大慌て。
ケントさんが居てくれて助かった、セーラが到着するまで冷静に応急手当てをしてくれていたから……。
……まあケントさんも、冷や汗いっぱいかいてたけど。

セーラの杖で回復したリンは休息も惜しいとばかりに、ラングレンに囚われていた宰相さんの案内ですぐキアラン侯爵の所へ。
そこから先は知らないや、わたしとお兄ちゃんみたいに、家族水入らずで再会して欲しかったからね。

わたしは用意された部屋で、お兄ちゃんと一緒に休んでいた。
何か疲れが一気に来た、わたしも張り詰めてた気が解放されたんだろうな……。
ベッドにうつ伏せになりだらだら脱力していると、お兄ちゃんに頭を撫でられる。
髪の間に指を通して、頭にしっかり手が触れるけれど力加減は優しい、気持ちの良い撫で方だ。


「アカネ、頑張ったな。リンとお前が戦いに終止符を打ったんだぞ」
「へへ……。何か未だに信じらんない。わたし戦えるようになったんだ」
「自分くらい信じてやれよ。母さんが言ってた事忘れたか? 信じる事から始まるんだからな」


お兄ちゃんの口から出る、お母さんの言葉。
急に日本での生活が思い出されて、泣きそうになってしまったのを堪える。
戦えるようになったわたしは、平和から、現代日本から遠ざかった、よね……。


「お兄ちゃん、お母さんとお父さんは? お兄ちゃんが無事なんだから、二人もきっと無事だよね?」
「……ああ、多分……そのうち会えるさ、今はゆっくり休んで回復しろよ。母さんと父さんに再会した時、疲れ切ってたら二人を心配させちまうだろ」
「うん。なんか眠たい。ちょっと寝ても良いかな」
「良いぞ。何かあったら起こしてやるから、今は辛い事も悲しい事も全部忘れて、ひたすら休んでろ」
「うん……。ありがとう、お兄ちゃん……」


優しいてのひら、暖かい言葉と眼差し。
全てが心地良くて、元々疲れていたのもあったわたしはすぐ眠ってしまった。

本当に、お兄ちゃんと再会できて良かった。
お兄ちゃんが居なければ今頃、わたしは疲れ果ててしまっていたかも。
優しくて、いつもわたしを守ってくれるお兄ちゃん。
大好きな大好きな家族……いつか恩返ししたいなあ。
お父さんとお母さんも一緒に居て、また皆そろって家族で生活するんだ。

あはは、本当に家族離れ出来てないんだね、わたし。
中学生って普通は反抗期じゃなかったっけ、なんか恥ずかしいような気がする。
けれどそんなわたしのゴチャゴチャした思考も、優しく撫で続けてくれるお兄ちゃんには敵わない。
心地良い感触に身を委ねて、わたしは眠りに落ちた。





−続く−


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