烈火の娘
▽ 4章 付き纏う影


仲間を増やしたわたし達は、遂にリンの故郷……リキア国に入った。
ベルンに入った時もそうだったけど、こうやって何の手続きも無く他の国に入っちゃっていいのかな?
訊きたかったけど、みんな当たり前のような顔をしてるから黙ってた。
この国は細かく分かれた領地を各々の領主が治める、つまり実質、小さな国の集まりで出来てるらしい。
わたし達は今いるアラフェン領って場所から、リンのお祖父さんが待つ南西のキアラン領まで向かう。


「でも、近付けば近付くほど、リンの命を狙う刺客が沢山来るよね……」
「そうね、ここから先は更に気を引き締めないと」
「その事ですがリンディス様。ひとつお話が」


ケントさんが、リンにとある提案をした。
このアラフェン領は、昔からキアラン領と親交が深い土地らしい。
だからアラフェンの領主さんに事情を話せば助けて貰えるかもしれないとか。


「助けて下さるかしら。大事になって来てるし……」
「私が話をして何とか協力を取り付けて参ります。まず領都まで行きましょう」
「あー、それが叶ったら結構楽になりそうだよな!」


ウィルさんが背伸びをしながら楽しそうに言い、楽観的にけらけら笑った。
けど何でだろう、わたしの胸には漠然と嫌な予感が広がってしまってる。
何だか不味い事が起こりそうで、気分が悪い。


「……アカネ、どうかしたの? 具合、悪い?」
「あ、フロリーナ……。ううん、何でもないよ。ちょっと疲れちゃっただけ」
「アラフェンの領主様が協力して下さったら、きっと楽になるから……。それまで頑張ろう、ね。私も頑張るから」
「そうだね、あと少しの辛抱と思って頑張るか」


フロリーナに励まされ、嫌な予感は消えないけど何とか虚勢を張る事は出来た。
それにしても、出会った頃はあんなに弱々しそうだと思ったフロリーナが、今は何だか頼もしい。
おどおどしているのは相変わらずだし控え目だけど、こんな風に励まされて頼もしく思えるなんて、凄い。
戦えるようになってもやっぱりわたしは、足手纏いにしか成り得ないのかもしれない。
そう考えてしまってから、違う違うと頭を振った。
自分の身を自分で守れるようになっただけでも進歩、自分を褒めて信じてあげなきゃ、すぐ折れてしまう。

やがてわたし達は、アラフェン領の領都に付いた。
リキア国で二番目に大きな街らしくて、今まで通った村々とは違う賑やかしさに目が回るような思い。


「では私は、アラフェン候にお話を。リンディス様達は暫くお待ち下さい」
「分かったわ、お願いねケント」


ケントさんが領主様と話をする為、一人で城へ。
わたし達はそれを待って街の中で時間を潰す事に。

……そこでふとわたしは、リンに助けられた時に傍に落ちていたという荷物の事を思い出した。
雫の形をした、中に水が入っている青いペンダント。
綺麗な真円の、炎のような赤色をしたペンダント。
そしてファイアーとエルファイアーの魔道書と、読めない名前の魔道書。
持ち主が誰かも分からない荷物、ペンダントはわたしとリンが身に付けているけど、ブルガルで襲われた集団が、このペンダントに見覚えがある風だった。
確か“黒い牙”とか何とか言ってたかな……。

そして気になる、まったく読めない魔道書。
この辺りの国の文字は見慣れないものばかりなのに、何故か読めてしまう。
それなのに、この魔道書だけは全く読めない。
確かサカの草原で山賊と戦った時、何故か急にこの魔道書が使えたんだっけ。
あれ以来、まったく使えなくなっちゃったけど。
同じ魔道士なら何か知ってるかもしれないと思って、エルクに訊ねてみる事に。


「ねえエルク、この魔道書って何の魔道書なの? ぜんぜん読めないけど……」
「どれ……。……。……何だろう、見た事の無い魔道書だし読めないなあ。少し借りてもいい?」
「あ、どうぞ。わたしのじゃないんだけど、今は預かってるような身だし」


エルクに渡すと、手が魔道書に触れた瞬間彼は顔を顰め、ぱっと手を離した。
それも一瞬の事で、すぐに魔道書を受け取ったけど。
ぱらぱらと中を開いて見たり表紙や裏表紙を見ていたエルクは、やがてお手上げとでも言いたそうに手を上げて魔道書を返した。


「駄目だ、中身も全然読めないし、何か仕掛けがある訳でもなさそうだし」
「そっかあ……。わたし一回だけこの魔道書を使えたんだけど、すっごい炎を出せてびっくりしちゃった」
「使えたって、これを!? 持っただけで魔力が身体中に入り込むような威圧感を覚えるのに……。やっぱりアカネ、君、凄い魔法の素質があるよ」


真剣な顔でエルクに言われてしまい、照れと期待が同時にわたしを包んだ。
もしそれが確かなら、わたしはもっともっと皆の役に立てるかもしれない。
足手纏いかも、なんて悩む必要も無くなるかもしれない。

……そこまで考え、突然わたしは寒気に襲われた。
皆の役に立つ、それはつまり更に人を殺さなければならないという事。
まともに戦い始めてから目を逸らして来た事で、国境での山賊との戦いではリンの傍から離れず、ひたすら死体を見ないよう努めた。
これは仕方無い事なんだ、ここは日本じゃないんだ、こうしないと自分が殺されちゃうかもしれないんだ。
そう考えて、自分は悪くないと言い聞かせて。

身を守る為にやっている事だからそんなに気にする必要は無いかもしれない。
正当防衛なんだし、本当にこうしなければ殺されかねない状況にあるんだし。
でも、相手が悪人だとしても人を殺すというのはとても辛くて神経が磨り減る。
噎せ返る臭いと露出した肉色、黒く変色して行く赤、どれも未だに慣れず、吐き気がするほど気持ち悪かった。

絞首だし近くに居る訳じゃないらしいからここまで酷くはないにしても、日本でも死刑を執行する人は辛い思いをしてるのかな。
他人の人生を終わらせる。それがどれだけ重い事か、日本で平和に暮らしていた頃は理解しているつもりで全く理解していなかった。
別にわたしは死刑廃止論者ではないけれど、どんな悪人が相手であれ命を奪うというのは、重大な事だというのは間違いない。
例え正当防衛でも、仕事でも、辛いものは辛い。

……駄目だ、頭ん中ぐるぐるして本当に気持ち悪くなって来た。
じっとしてると駄目だな、余計な事を考えちゃう。
取り敢えず謎の魔道書だけでも調べたいな。
わたしはリンの所へ駆け寄り、話をした。


「ねえリン、わたしちょっと、荷物の中にあった魔道書について調べに行きたいんだけど……。この街って大きいから、魔道書扱ってる店もあると思うし」
「ああ、あの持ち主の分からない荷物ね。セイン、この街に魔道書を扱ってる店ってあるかしら」
「魔道書ですか? 結構歩きますけど確か、この通りをずっと真っ直ぐ行って、雑貨店の角を曲がった路地に……」
「分かったわ。じゃあアカネ、一緒に行きましょう」
「あ、大丈夫だよ。こんなに人の多い街中だし。リンが居ない間にケントさんが帰って来るといけないから一人で行くね」
「でもブルガルみたいな事もあるかもしれないし……そうだ、フロリーナ!」


リンが、広場の噴水そばにある水場でペガサスに水を飲ませていたフロリーナに声を掛けた。
確かに街中でもあんな事になったし、用心するに越した事は無いかも。
いざとなったらフロリーナのペガサスに乗せて貰って逃げればいいか。
よろしくね、と微笑み合い、さっそくペガサスに乗ってセインさんに教えて貰った魔道書のお店へ。
初めて乗ったペガサスでの空の散歩はやっぱり怖かったけど、日本では味わうのが難しい、足下まで広がる景色が楽しすぎる。

……うん、怖いんだけど。
怖いんだけどね。
まあそんなに高くないしすぐ慣れる……前に目的の店に着くか、うん。


「アカネ、平気? あんまり飛ばさないから、しっかり掴まってれば大丈夫よ」
「うん、大丈夫。……で、でもあんまり揺らさないでね、フロリーナならそんな事しないと思うけど……」


どう見ても大丈夫じゃない言い方をしてしまい、フロリーナがクスリと笑う。
セインさんに結構歩くと言われた距離も、ペガサスに乗っていたら大した距離じゃなかったみたい。
特徴を聞いた雑貨屋を見付け、そこで曲がった路地の奥に魔道書のお店。
少し狭い路地だからフロリーナには雑貨屋辺りで待っていて貰い、わたしは一人で薄暗い路地に足を踏み入れた。

外国で一人でお店に入るのは初めてだからか、何だか少し緊張してしまう。
何故か言葉は通じる……のは分かってるけど、勝手が日本と違ってたりするし。
いざ話し掛けた時に頭がごちゃごちゃにならないよう、例の魔道書を荷物入れから取り出して確認。
えっと、お店の人にこの魔道書を見せて、分からなかったら店主さんを呼んで貰って……。


「お嬢さん」
「えっ」


一人でぶつぶつ言っていると、不意に声を掛けられる。
振り向けば少し侘しいローブを着たお爺さんが。


「その魔道書、どこで手に入れたのかね? もし良ければ譲ってもらえんか」
「あ、でもこれは……」
「そこの魔法書店で売るつもりだったんじゃないか? わしならその店より高く買い取るぞ。ほれ、この白の宝玉は売れば一万ゴールドにはなる」


提示された大金に一瞬、ぐらりと揺れ掛ける。
それだけあればリンの旅路にも余裕が出来る、けど……魔道書の持ち主が分からない以上、手放せない。
大金に心動かされた事を悟られないよう何でもない振りをして、お爺さんの提案を丁重に断る。
けどお爺さんは諦めきれないのか、更に金額を吊り上げて懇願して来た。

……って事はこれ、そんな貴重な魔道書なの?
じゃあ益々手放せないな、持ち主さんに悪いし。


「金額が足りんか? では白の宝玉を二つじゃ、二つにしてやろう!」
「で、ですから! 幾ら積まれてもこの魔道書を手放す訳にいかないんです!」
「お嬢さんも商売上手じゃのう! ええい、こうなったら宝玉をもう一つ……」
「そこまでにしといてやれよ爺さん」


突然、わたしの背後から声が割り込んで来た。
振り向けば、赤いマントを身に付けた何だか軽薄そうな茶髪のお兄さん。
腰に短剣を付けているのを見て少し身構えた。
こんな事を瞬時に確認してしまうようになった自分が、日本での生活からどんどん離れて行くようで怖い。


「その宝玉、パチモンだろ。本物はもっと混じり気の無い白色してるからな」
「え、偽物……?」


それを聞いた瞬間、お爺さんはそそくさと去ってしまう。
……って事は偽物だったんだろうか、一瞬でもぐらついた自分が情けない……。
……仕方無い、よね。わたし宝石の目利きなんか出来ないんだし……。

と、そこで助けてくれたお兄さんにお礼を言っていない事に気が付いた。
売る気は無かったけど、騙されてたと分かったから後ろ髪も引かれないし。


「あの、有難うございました。わたし一人じゃ押しきられてたかも……」
「ああ、まあ通り掛かっただけだし。ああいうヘタレは偽物だと指摘されたら割とすぐ引き下がっ……」


その瞬間、お兄さんが目を見開いてわたしを見た。
それにドキリとして、恐怖がじわじわ競り上がる。

え、何だろうこれ。
ひょっとしてまた何か敵意のある人なんだろうか。
だとしたら何回目だろう、他の仲間と一緒に居ない時に襲われるなんて。
でもわたしの恐怖に反してお兄さんは、気を付けろよー、と笑って手を振り、そのまま走り去った。
ホッとしたけど、さすがにわたしもこう何度も危険な目に遭えば学習ぐらいする。
万が一あのお兄さんが敵意ある存在だと厄介なので、早めにこの場所を去らないといけない。


「……魔道書の事は後回しかなー……」


残念だけど仕方無い、命あっての物種だし、生きていれば機会はきっとある。
わたしは踵を返し、早々にフロリーナの所へ戻る。


「ごめんねフロリーナ、待たせちゃった」
「あ、アカネ。ううん、思ったより早かったね。もっと時間掛かると思ってたから……」
「魔道書の事は分からなかったんだ。残念だけど仕方無いや、戻ろ!」


フロリーナのペガサスに乗せて貰い、再び街の上空へ。
予定より早めに終わったから少しゆっくり帰ろうという事になって、真っ直ぐ帰らずに回り道しながら穏やかに空を飛ぶ。

風が、心地良い。
体から心まで溶けてしまいそうな風は、わたしの髪を優しく撫でて去って行く。
風や日の光、こうして万人に分け隔てなく力を与えてくれるものは、どの国に居ても変わらないんだな。
わたしの故郷は今、どうなっているだろう。
友達にも心配掛けてるだろうし、無事に生きている事だけは知らせたい。


「……アカネ、ねえあれ、何かな……」
「えっ?」


フロリーナが指差す先、アラフェン候の住むらしい城から煙が上がっている。
そしてにわかに街が騒がしくなり、悲鳴のようなものが聞こえ始めて。
……まさかと思うけど、さっきの茶髪のお兄さん?


「……フロリーナ、急ごう! リン達の所へ!」
「う、うん……!」


急ぎ、リン達が待っている広場へ舞い戻る。
そこでは人々が逃げ惑っていて、リン達は既に何者かと戦いを始めていた。


「リン、これは一体……」
「フロリーナ、アカネ! 無事で良かった!」


聞けばアラフェン候は協力を約束して下さったらしいけど、いざ城へ出向こうとしたら、こんな街中にまでラングレンからの刺客が襲い掛かって来たらしい。
領主様は囚われ、助け出す為に城の隠し通路を開こうとしているんだとか。
目の前にある兵舎の中、3ヶ所の仕掛けを作動させる必要があるみたい。
……そこでわたしは、リンの傍に見慣れない男の人が二人居るのに気付く。
いや、一人はついさっき会った人なんだけど……。


「あ、あなたはさっきの! どうしてここに?」
「あれ……。なんだお嬢ちゃん、この人らの仲間だったのか」
「アカネ、マシューを知ってるの? 盗賊を雇うのは不本意だけど、兵舎の扉の鍵を敵が閉めてしまったから頼らざるを得なくなって……」


少し気まずそうにしているリンは、一族を山賊に殺されたから無法者が嫌いでしょうがないんだよね。
助けてくれたから悪い人とは思えないんだけど、わたしを見て何か言いたげだったから気になる……。
取り敢えず、今は仲間だから挨拶ぐらいしなきゃ。


「わたしはアカネです。マシューさん、ですね。宜しくお願いします」
「アカネだな、宜しく」
「それで、こちらは……」


もう一人、こちらは完全に見た事の無い男性。
馬に乗って弓を携えてる……気のせいか、服装や雰囲気がリンに似てるような。


「彼は私と同じサカ草原出身の、クトラ族のラスよ。今はアラフェン候に雇われているらしくって、協力して貰ってるの」
「そうなんだ! ラスさん、わたしはアカネです。宜しくお願いしますね」
「ああ……」


少しだけ赤に近い茶色を身に纏った彼は、必要最低限の会話しかしないとばかりにそれだけを言う。
それでも嫌われたのかな、なんて思えないのは、彼から嫌な感じがしないから。
元々あまり口数の多い人じゃないんだろうな。

わたしはいつも通りにファイアーの魔道書を構え、リンの傍で敵を屠る。
……気持ち悪い、気分が悪い、こんな事やめたい。
そう思ってしまう心を何とか抑え込んで、死体や傷付いたものを見ないよう、ただ必死で魔法を放った。
どうして皆、平気そうにしているんだろう。信じられない。
こんな危ない国で、そうしなければ生きていられないのは分かるんだけど……。
普段の彼らを知っているからこそ、それとの落差で目の前の皆が怖く思えた。

誰に謝れば赦されるんだろう、どうしたらこの罪から逃れられるんだろう。
そんな事をつい考えてしまい、ここから逃げ出したい気持ちが膨らむ。
今まで殺した人達の分の罪を清算して、全てから目を逸らしてしまいたかった。


「アカネ、危ない!」
「!!」


ケントさんの声が響き、瞬時にリンに突き飛ばされる。
わたしが今立っていた所を矢が通過して行き、次の瞬間わたしの傍を通り過ぎたセインさんが、兵舎の中に居た弓兵を倒した。
突然の事に呆然としたけど、すぐさま蒼白になる。


「リンディス様、お怪我は。アカネも大丈夫か」
「ええ、私は大丈夫。アカネは平気?」
「あ、うん、有難うリン……。ケントさんとセインさんも有難うございました」


心臓がバクバクと高鳴り始めて苦しくなる。
今ケントさんが声を上げてくれなければ、リンが突き飛ばしてくれなければ、あの矢は間違い無くわたしに突き刺さっていた……。
体が小さくだけど震え始めて止まらない。

今までは運良く、自分が怪我をする事は無かった。
でも戦場に居るんだから、いつ怪我したっておかしくなかったんだよね。
きっと、リンがかなり気を配ってくれていたんだ。
でも目的地へ近付くにつれ敵の攻撃も激しくなり、リンの余裕も無くなる。
わたしがいつまでもリンに頼っていたら、今度はリンの身が危ない……。


「アカネ、考え事か」
「え、あ、ケントさん…」
「戦場で身辺を疎かにする程の考え事は感心しない。君の身が危うくなるだけで良い事など一つも無いぞ」
「あ、はい、すみませんでした……」
「謝る必要は無い、君自身の事だ。次から気を付けないと、取り返しの付かない事になってからでは遅いからな」


それだけ言って、ケントさんはセインさんと先へ行ってしまった。
心配……してくれたんだ。
本当はリンを危険に晒した事を責めたかったのかもしれないけど、わたしの戦闘経験を鑑みて黙ってくれていたんだと思う。
……これを有り難いと思っちゃ駄目だ、情けなくて恥ずかしい事だと思わなければ、わたしは成長しない。

泣きそうになっていたのを、唇をぎゅっと結んでひたすら耐え、両足に力を込めて地面を踏み締めた。
今は、罪からひたすら目を逸らしていよう。
どうすれば逃れられるか分かるまで、考えるのはやめにしておこう。
もう周りに迷惑を掛けないように、そして何よりわたしが生き残る為に。


++++++


3ヶ所の仕掛けを操作し、隠し通路は開かれた。
内部から崩されて刺客は総崩れになり、ラスさん率いる部隊の活躍であっと言う間にアラフェン城解放に成功する。
その足でアラフェン候に謁見する事になって、リンはケントさんやセインさんと共に、ラスさんに連れられ侯爵様の所へ赴く。

……アラフェン候に協力を仰ぐと聞いた時に感じた嫌な予感がまた顔を出した。
リンに、侯爵様の所へは行かないで城を出ようと言いたかったけど、そんな事なんて言える訳がない。
わたし達はずっと離れた後方に居たから詳しい会話の内容は聞こえなかったけれど、
いきなり不穏な声が聞こえて来て、そこからの会話が大きくなり筒抜け状態に。


「アラフェン侯爵様っ! それでは、お約束が……!!」
「……ケントと言ったか? そなたは、わしに肝心な事を言わなかったではないか!」
「……と、申されますと?」
「この娘、確かにマデリン殿に似ておるが、まさかここまでサカの血が濃く出ておるとは……」


場の空気が凍り付いた。
侯爵様は続けて、サカ部族の孫娘などに戻られてはキアラン侯爵もさぞや迷惑するだろうと鼻で笑う。
遠くてリンの顔は見えないけれど、きっと戦慄いているのだろうと思う。
セインさんが思わず突っ掛かりそうになって、ケントさんに止められていた。

……頭がくらくらする。
何故か動悸がして息苦しくなり、涙が滲んだ。
そのせいか途中から会話が聞こえなくなり、ようやく聞こえたのは静かに憤ったリンの声。


「……わかりました。ケント、セイン、戻りましょう。私は、自分に流れるサカの血に誇りを持っている。だから、それを侮辱する人の力なんて絶対に借りたくないわ!」


リン達が戻って来る。動悸と息苦しさに耐えていた私は、行きましょ、とリンに引っ張られて多少よろけながら城を出た。
外に出てからはセインさんがリンの啖呵にスッとしたような顔で、リンディス様には我々がおります! と楽しそうに言う。
ケントさんはリンの身の安全ばかりを考え、リンの心にまで気が回らなかった事を謝罪していた。
謝罪するケントさんに、彼が自分の事を一番に考えてくれていると分かっているリンは彼を慰める。

……謝らなきゃ。
わたしも、リンに、謝らなきゃいけない。

まだ頭がくらくらして涙が滲み、息苦しい。
どうしてだろう、リンを馬鹿にされた悔しさだけじゃない、これは……。
恥ずかしさ、気まずさ、そして申し訳なさ……のような気がする。
何でわたしがあの侯爵様の言動で申し訳なく思わなきゃいけないんだろう。
何か繋がりのある人でもないのに、とんだとばっちりだ。
でも息苦しい、涙が溢れる、これは謝罪しないと収まりそうもない。


「リン、ごめんね……」
「え、ちょ、どうしてアカネまで謝るのよ、あなたが謝らなきゃいけない事なんて無かったでしょ」
「分かんない、分かんないけど、あの侯爵様の言葉を聞いたら、なんか……リンに謝らなきゃって」
「泣かないでアカネ。自分の事みたいに悔しく思ってくれたのね、有難う」


本当はそれだけじゃないんだけど、ややこしくなりそうなので言わなかった。
リンに頭を撫でられていると落ち着いて来る。
それも束の間、セインさんが、なんて美しい友情なんだ! あとリンディス様、俺の頭も撫でて下さい!
なんて言って駆け寄ろうとして、ケントさんにど突かれてしまう。
そんな漫才を見ていると自然と笑えて、息苦しさも次第に治まって行った。

……そこへ、馬の足音。
振り返ったわたし達の目の前に、ラスさんが現れる。
リンが驚いて彼の方へ歩み寄って行った。


「ラス! どうしたの、こんな所で……」
「……城主との話を聞いていた。ロルカ族のリン、誇り高き草原の民よ。その同胞として俺はお前に力を貸そう」
「本当!? 有難う、心強いわ。これから宜しくね」


ラスさんから旅の足しになればと5000Gもの大金を受け取り(リンは受け取れないと断っていたけど、ラスさんも引っ込めなかった)、これから更に険しくなるであろう戦いに備える。
先程の聞こえなかったアラフェン候との会話の中に、リンの祖父であるキアラン侯が病気だという情報があったらしい。
敵の攻撃が険しくなろうとも、歩みを止める訳にはいかなかった。
リンがわたしに近付いて来て、こっそり耳打ちする。


「アカネ、さっきは有難う、私の為に泣いてくれて」
「え、あ、はは、何か恥ずかしいんだけど……」
「いつも居てくれて有難うね。皆が居てくれるから私、ここまで来れたの」
「……他の皆はともかく、わたしって何も役に立った覚えないんだけど……」
「もう、そんなこと言わないで。あなたは攻撃に夢中で気付いてないみたいだけど、私あなたの魔法に何度も助けられているのよ」
「えっ……」
「それに、居てくれるだけで良いって事もあるの。自分以外に守るべきものがあるって、自分を物凄く強くしてくれるんだから」


誰かを守ろうとする気持ちが、自分自身を強くする。
色んな漫画やアニメやゲーム、ドラマや小説で使い古されている筈の言葉なのに、何故か、今のわたしにとっては青天の霹靂だった。


++++++


アラフェン候の援助に見切りをつけたわたし達は、キアランへ行軍を続けた。
リンのお祖父さんの病が本当なら、事は一刻を争う事態になっている。
今わたし達が居るのは、カートレーという領地。
ここを南に抜ければキアラン領へ入れるみたい。
このまま行けば、後十日ほどで着けるんだとか。
今までの旅路を思えば残り僅か十日か、なんて思える筈だけど、家族の命が掛かっているリンにとっては一日千秋の思いだろうな。
いや、リンだけじゃない。誰もがそう思ってる。

小さな村の側を通り掛かった時、不意に向こうから小さな影が走って来た。
見れば青緑の短髪に赤い瞳をした幼顔の美少年。
やけに慌てた様子で、わたし達に声を掛けて来る。


「あの、すみません!」
「? 私に何か用?」
「お姉さんたち、もしかして傭兵団かなにか?」
「……だとしたら?」
「力を貸して欲しいんだ!」


少年の訴えに優しいリンは、心が動き掛ける。
でもすぐケントさんに、子供とはいえ気を許さない方が良いと諭され、先を急ぐから他を当たって欲しいと断った。
それでも少年は引き下がらずに、まるでこの世の終わりと言う程に蒼白だ。
なんか、可哀想。リンじゃなくても心が動くよ。


「今すぐじゃないとダメなんだよ! ニニアンが……ぼくの姉さんが、あいつらに連れて行かれてしまう!!」
「お、お姉さんっ!? 君のお姉さんが誰かに捕まってるのか?」
「……セイン」


姉さん、の単語にセインさんが目を輝かせた。
うん、まあ、この子まるで女の子みたいに美少年だし、お姉さんも期待できるだろうけどさ、うん。
少年は話を聞いてくれそうな人を見付けたと、捲し立てるように続ける。


「うん、すごく悪い奴らなんだ。ニニアンを連れて行かれたら、ぼく……どうしたらいいか……」
「リンディス様、人助けですっ!!」
「セイン、我らは急ぎの旅なのだぞ。侯爵のご病気が本当だとすれば、一刻も早く戻らねば……」
「ケント、待って。私、この子を助けてあげたいわ」


リンの言葉に、ケントさんが驚いて彼女を見る。
勿論リンだってお祖父さんの事は心配の筈。
でも彼女はやっぱり、子供から家族を奪うような奴らを許してはおけない。
リンが家族や部族の皆を殺された時、どれだけ辛かったかわたしは知らない。
けれど似た気持ちはわたしだって持っている。
……あの、化け物に、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、殺されてしまったんだから……。

リンの言葉にケントさんも承諾し、少年を助ける事になった。
すると向こうから、覆面で顔を隠した怪しげな男達が向かって来る。


「くくく……見付けたぞ。さあ、ネルガル様の元へ大人しく戻るのだ!」
「嫌だっ! ニニアンを返せ!!」
「……命さえ残っていれば多少、傷付いても問題なかろう」


問答無用で剣を構え、少年に斬り掛かる男。
あんな子供を手に掛けると思わなかったわたしが、あっと声を上げそうになった瞬間リンが割り込み、自らの剣で男の剣を跳ね返した。
少年一人だと思っていたらしい男に動揺が走るけど、余裕があるのかすぐ怪しい笑みを浮かべる。


「……この子の姉さんを返してあげて」
「ほう、この子供を助けようというのか? 哀れな話だ、関わらなければここで死ぬ事も無かったのに」
「それはどうかしら? 私達を見くびったばかりに、痛い目に遭うのはそっちよ!」
「ふっ、女よ……その言葉、後悔するなよ。皆の者、かかれ!」


控えていた男の仲間達があちこちで構えてるみたい。
わたしはすぐ側の小さな村へ、戦いが始まる事を告げに行こうかな。
リンに言って、ほとんど入り込んでいた小さな村へ戦いの事を告げに行く。

そうしたら村の方から一人、人が歩いて来た。
長い金髪をした、清楚な感じのお姉さん。
なんかシスターって感じかな、あんな穏やかで清楚で優しそうなイメージ。
……あ、セーラはちょっと違うんだけど、ね。
と言うかお姉さんはわたしの方へ来てるみたいだけど、何か用なんでしょうか。


「あ、あの、すみません。あなたはひょっとして、あの少年に力を貸して下さった方のお仲間ですか?」
「見てらしたんですか。確かにそうですけど」
「あの少年は先程、村の宿に助けを求めて来ました。しかし巻き込まれるのを恐れた宿主は、彼に酷い言葉を……」
「え、あんな小さな子にですか!?」
「私も、手伝わせて頂けませんか? 少しでもあの子の力になりたいのです」
「分かりました、仲間の所へご案内しますね、お姉さん」


言った瞬間、お姉さんが少し硬直した気がする。
どうしたんだろうと思っていると、少し気まずそうにしながら切り出した。


「も、申し遅れました。私はルセアと申します。まだ修行中の見習いですが……。一応、エリミーヌ教の神父を務めさせて頂いています」
「………」


神父、つまりそれは。
【お姉さん】がなれる職業じゃ、ない、よ、ね。


「……ごめんなさい」
「いえ、慣れていますから大丈夫ですよ」


にっこり微笑んでくれたお姉さ……。
いや、お兄さん、ルセアさんは気にしていないようだけど。
反則だよね、こんな美人なお兄さんなんて……。
ああ、なんか女として泣けて来ました、わたし。

村に戦いの事を告げたわたしはルセアさんを連れてリンの所へ戻った。
ルセアさんをリンや仲間達に紹介した後、リンの方も少年……ニルスという名らしい彼の事を教えてくれた。
なんでも彼、バードという職業……つまり吟遊詩人で、笛を使った不思議な演奏が出来るみたい。
実際に聞いてみたら、と言われお願いすると、ニルスはすぐに演奏してくれる。
その音色は耳を通らず、まるで直接、心の方へ響いて来るかのような印象。
体が軽くなり、普段以上の力が発揮できそうな。


「凄いニルス、綺麗な音色だね! すぐ隣で聞いたら力が湧いて来るよ!」
「うん、この笛の音で皆を応援するよ。……えっと」
「あ、わたしはアカネだよ、宜しくねニルス」
「アカネさんだね、ぼくの力が必要ならいつでも言ってね」


にっこり笑ったニルスに、温かい気持ちが広がる。
彼のお姉さんを、何としてでも取り返してあげたい。
わたしもお兄ちゃんを失ってしまった身として、兄弟を失う辛さは知ってる。

敵の中には、威力が高いという闇魔法を操るシャーマンが複数居るみたい。
魔法耐性が高く、闇魔法に強いらしい光魔法を操れるルセアさんに頼りながら、わたし達は先へ進んだ。
ふと先の方の民家、マシューさんが家主らしき人と話をしているのが見える。
……何を話してるんだろう、話はよく聞こえないけど親しそうにしてるなあ。
仲間から遠くないし、好奇心を刺激されて近寄ってみた。


「……オレの目で見極めろって事だったんで、孫娘の方に力を貸してます。あの侯弟のラングレンという男は野心がありすぎる。ほっといたら、いずれはオスティアの敵にな……」
「マシューさん、なに話し込んでるんですか?」
「っ、アカネ!?」


こっそり近付いて声を掛けたら、かなり驚かれた。
あれかな、わたしみたいな素人に気付かなかったからショックなんだろうか。
特に気配消したりはしてない……というか、そんな方法知らないんだけど。
ふと民家の中に目をやると、青い髪を後ろへ撫で上げた精悍なお兄さんが居た。
重そうな鎧を着込んでいて、一見してその辺りの一般人ではないと分かる。
そのお兄さんがこちらを見て顔を顰めたものだから、怖くなって逃げてしまった。


「あ、お邪魔でしたよね! ごめんなさい今すぐ立ち去りますからー!」
「おい、お前!」


青い髪のゴツいお兄さんのものらしき声が聞こえたけど、ヤバいと思って立ち止まりも振り返りもせず、ただひたすらに逃げる。
あれだね、好奇心は猫をも殺すっていうしね、関わらない方針で行こう!


++++++


……アカネが走り去った後、何なんだアイツ、と青い髪の青年……ヘクトルが独りごちた。
その様子を見たマシューは、初めてアカネの顔を見た時から感じていた事を訊ねてみる事に。


「若様、ひとつ良いですかね。今の女の子、どっかで見覚えないですか?」
「あ? 見覚えっつったって……。……いや、どっかで見たような気はする」
「ですよね。オレも思い出そうとはしてるんですが、どうも出て来なくて。商売柄、顔に見覚えある気はするのに分からないって致命傷なんスけど、はは……」
「……お前が“仕事中”に見た顔だとしたら、それなりにヤバいんじゃねえか?」
「いや、さすがに仕事中に見たなら覚えてますよ。若様も見覚えあるんですから、もっと別の場所で見た筈なんですけど……」


思い出そうと記憶を巡らせても、アカネと同じ顔を引っ張り出せない。
しかし確かに、どこかで見た筈……それは間違いなく断言できるのだが。
マシューが思い出そうと頭を捻っている横で、ヘクトルは何故か胸騒ぎがしていた。


「(……何だ? 確かにアイツはどこかで……。しかも何となく穏やかな話じゃなさそうな気が……)」


あの少女が居る事で何か良からぬ展開になるのだとしたら、警戒しなければ。
ひとまずヘクトルは、約束のこの場にまだ現れない親友の身を思い出し、心配していた。


++++++


わたし達は敵を倒しながら進み、遂にニルスのお姉さんが連れ去られたという砦にやって来た。
門の所にはローブを身に付けた怪しげな男性。
黒い魔道書を構えたシャーマンは虚勢を張っているのか、追い詰められた状態でも諦めようとしてない。


「子供を助けて英雄気取りかもしれんが、それが死を招くとなれば、どうかな?」
「私達は死なないわ、さあ、ニルスのお姉さんを返しなさいっ!」


リンが愛剣を手にシャーマンへ斬り掛かる。
瞬間、シャーマンに放たれた闇魔法は地面へ吸い込まれ、下からリンを狙う。
それはまるで地を這う蛇のようで、禍々しさと相まって寒気がしてしまった。
リンは慌てない。打ち合わせ通りに光魔法を放ったルセアさんが闇魔法を掻き消し、斬り掛かるかと思われたリンが飛び退く。
その後ろからウィルさんとラスさんが同時に矢を放ち、飛び道具に油断し切っていたシャーマンを貫いた。


「やった、リンさまっ!」


ニルスが満面の笑みを見せ、リンの元へ走る。
私はいいから早くお姉さんを探しましょ、と促され、慌てて砦の中へ。
良かった、これで彼のお姉さんはきっと助かる。
私みたいに兄弟を喪わせるのは嫌だったから良かった、しかもあんな小さい子……。


「アカネっ!!」


他の皆は砦の方へ行ってしまい、最後に歩み出したわたしの耳に、届く声。
名を呼ぶそれが脳まで到達した時、わたしの心臓は圧縮されたものが解き放たれたかのように跳ねた。

違う、聞き間違いだ。その声がわたしの名前を呼ぶ筈なんてない。
ニルスと彼のお姉さんの事を考えていたら、つい思い出して幻聴がしただけ。
……頭ではそう思っていても、心は頑として認めさせようとわたしを促した。
苦しくなって堪らず、どうせ期待は裏切られる、と予防線を張りながら振り返ったわたしの目に。


「お前、アカネだろ! 生きてたんだな……!」


期待通りのものがそのまま映し出された。

苦しい。胸が締め付けられる。
でもそれは辛さではなく、嬉しさから来るもの。
わたしの口が喉が何かを叫んだ気がしたのに、わたしの耳には何も届かない。
視界がぼやけると思ったら目から涙が止めどなく溢れていて、ようやく自分が泣いている事に気付く。
わたしは名を呼んでくれた人にしがみつき、涙を拭おうともせずに叫んだ。
さっきの叫び声は聞こえなかったけど、今度の声はちゃんと自分の耳が拾う。


「うそ、うそっ、本物だよね、夢じゃないよね!?」
「ああ。よく生きてたなお前、大丈夫だったか?」


みっともないだなんて、そんな事は思えない。
他の皆が砦の中へ消えて行ったのを良い事に、わたしは声を上げて泣いた。
多分、他の皆が居たとしても構わずに大泣きしていたとは思うけど。
状況を考えれば誰もからかわないとは思うし。
しがみつくわたしを抱き締め、背中を優しく叩いてくれる懐かしい腕。
その温もりが涙腺を緩めながら入り込んで来る。


「3ヶ月ぐらい、か? 辛かっただろ、今まで一人にしてごめんな」
「うん、うん……!」


もう何も考えられない。
今はただ、形振り構わず甘えていたい。

わたしは暫く、懐かしい優しさ……お兄ちゃんに抱き付き、泣きじゃくっていた。





−続く−


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