時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第7話 お忍びプリンセス


カヤノが魔法を(形だけでも)使えるようになり、リンクの影から生まれたダークに会った翌日。
ダークが言っていた通り、リンクの体調はすっかり良くなった。


「あー、昨日のが嘘みたいだ! 気分爽快ってこういう事か!」
「リンク本当に大丈夫? 少しでも具合が悪いなら言って」
「平気だって。本当にめちゃくちゃ調子が良いんだ。……それよりもカヤノ、もう昨日みたいな事は言わないでよ」


昨日みたいな事というのは、リンクと一緒に居られないと言った事。
カヤノも本心からそう言った訳ではない。
寧ろ試そうとして言った訳で、思い返せば申し訳なさが募る。

カヤノはそれを正直に伝えてみた。
リンクにとって自分が役立たずなのではないか、リンクと一緒に居る必然性が無いのではないかと悩んでいて、つい試す為にそう言ってしまった、悪かったと謝罪する。
ナビィがそんなカヤノをフォローするように割り込んだ。


「違うのリンク。そう言ってみれば、って焚き付けたのはワタシなのよ。だからカヤノのコトは責めないであげて」
「それに関してはもういいよ。オレもカヤノを不安にさせて悪かったし。これから頼れそうな場面ではちゃんとカヤノを頼るから、カヤノはもう、洞窟の時みたいな無茶はしないでくれよ」
「うん、分かった」


リンクはカヤノを守りたい、カヤノはリンクの役に立ちたい。
それを自分の中だけで完結させようとしていた為に擦れ違いが起きた。
こんな事が無いように これからはちゃんと話そう。
お互いがそう誓い、故にカヤノは習った魔法の事を話してみた。


「え、凄い! じゃあカヤノは魔法を使えるようになったんだ!」
「だけど、まだまだ実戦で使うには未熟すぎて……。誰かに魔法を教えて貰えないかと思ってるんだけど」
「うーん、誰か居るかな。ナビィ、心当たりある?」
「そうねえ……こういうコトはゼルダ姫に相談してみたら?」
「ゼルダ姫?」
「聖地のコトとか、誰も知らないような伝承をご存知でしょ? ひょっとしたら魔法について何か分かるかも」


確かに、こういう事に通じていそうな知り合いはゼルダ姫しか居ない。
リンクとしても、カヤノが魔法を自在に操れるようになるのは願ったり叶ったりだ。
離れた所から攻撃すれば安全性を確保した上で、彼女の役に立ちたい欲求を満たせる。

早めにハイラル城を目指そうとカカリコ村を出ようとしたリンク達。
しかし前方に、見知った人物を見付けて駆け寄り、リンクが明るく声を掛ける。


「タロンさん! 牛乳の配達?」
「おー、リンクにカヤノ。今カカリコ村に配り終わって、これから城下町へ行く所だーよ」
「それじゃあまた乗せてってくれない? オレ達も向かうんだ!」


何気に図々しくお願いをするリンクだが、タロンは気を悪くした様子も無く了承してくれた。
カヤノが改めて頭を下げてお礼を言った時、近くから女の子の声が聞こえて来る。
現れたのは茶色の髪を伸ばした快活そうな少女。


「とーさん、この子達は?」
「おお、マロン。前に城下町まで乗せてあげた子達だーよ。二人とも、この子は娘のマロン。仲良くしとくれ」


同い年くらいであろう少女……マロンは、くりくりした大きな目を好奇心に染めて、リンクとカヤノを交互に見て来る。
アナタ達どこから来たの? 牧場知ってる? と質問攻めが始まる。


「へー、森の妖精の子なんだ! そっちのアナタは……」
「私はカヤノ。その子と違って森の住人じゃないわ」
「じゃあどこから来たの? 城下町の子じゃないんでしょ?」


いつまでも話が終わりそうに無い状況をタロンが止めてくれた。
村を出て登山道の登り口に置いてあったホロ馬車の荷台に乗り込み、再び城下町を目指して出発する。
その間もマロンは話し続けるが、リンクとカヤノは彼女の平凡な雰囲気に癒やされ、進んで相手をしていた。


「じゃあマロンのお母さんは死んじゃったんだ……寂しくない?」
「ちょっとね。でも平気。牧場の仕事が忙しくて寂しがってる暇ないもん。それに、かーさんから教わった歌を歌ってると元気が出るの」
「歌?」
「牧場の動物たちはみんなこの歌が好きなのよ。歌ってあげる!」


それは、のんびりとした旋律の歌。
のどかに暮らす動物達の情景がありありと頭に浮かび、同時に母性のように包み込まれる優しさを感じる。
ふとリンクはサリアに貰ったオカリナで一緒に演奏してみた。
マロンは少し驚いて一瞬歌を止めたが、すぐに続きを歌う。

爽やかな風の渡る平原に、穏やかな歌声とオカリナの音色。
カヤノとナビィは二人の合奏に聴き入りながら、緑豊かな平原を眺める。
まるで楽園のように思える爽快な時間だった。



城下町へ辿り着き、タロン&マロン親子と別れる。
すぐにハイラル城へと向かい、以前侵入した時と同じルートを進む、が。
中庭に辿り着いてもゼルダが居ない。


「そ、そう言えばゼルダだっていつでも中庭に居る訳じゃないよな」
「どうしよう、見つかったら厄介な事に……」
「お前達」


突然声を掛けられ、リンク達は飛び上がらんばかりに驚く。
しかし聞き覚えのある声だったので迷わず振り返ると、視線の先に立っていたのはゼルダの乳母・インパ。
いい人に出会ったとばかりに事情を説明し、他の者に見付からないようゼルダの許へ案内して貰う。

向かったのは彼女の自室。
以前は中庭にガノンドロフがやって来てしまったが、ここならそういう心配も無いだろう。
インパが扉をノックし軽く挨拶すると、慌てた様子でゼルダが中から開けて出て来た。
カヤノが頭を下げ、まずは謝罪から入る。


「すみませんゼルダ姫、突然お訪ねしてしまって」
「大丈夫です、少し驚いてしまって……どうなさったんですか?」
「実は知りたい事があるんです」


言うと部屋の中に通され、少し奥にあったテーブルに案内されて席に着く。
カヤノはゼルダに、大妖精に魔法を教えて貰った事、使いこなす為に何か有用な事を知らないか訊ねてみる。
ゼルダは暫く考え込んでいたが、やがて小さく首を振った。


「ごめんなさい。思い当たる事はありません」
「そうですか……やはり地道に練習するのが一番みたいですね」
「お母様が生きていらっしゃったら、何かご存知だったかもしれません」
「王妃様ですか?」
「ええ。わたしの母は、ハイラル王家 分家の血を引いているのです」


ゼルダの話によると、昔は今の王家ともう一つ、力を持つ分家があったらしい。
彼らは魔法に長けており、それゆえ段々と驕るようになってしまった。
なぜ魔力に長けた自分達が、分家という存在に甘んじていなければならないのか。
この力さえあれば聖地を治める事も可能なのでは?
誰かがぽつりと漏らしたその考えは、すぐさま一族に広まってしまう。

結果、それは実行に移される。
分家とはいえ王家の一つである彼らにも、トライフォースや聖地の伝承は伝わっていた。
彼らは聖地の扉を開き、魔力によってそこを支配しようと画策。
そしてやがてはハイラルさえも手中に収めようと……。

それを是としない王家本家との間に激しい争いが起き、やがて分家と彼らに協力した者達は、神の遣わした精霊によって魔力を封じられ、こことは別の世界へ追放されてしまったらしい。
ゼルダの母……今は亡き王妃は、分家の考えに反対して本家に協力したため追放を免れた、とある分家の者の血を引いていたそうだ。


「別の世界に追放……って、もちろん聖地とは別のだよね?」
「ええ。光とは決して交わる事の無い影の世界だそうです。ずっと昔の話ですから、今そこで暮らしているのは彼らの子孫の筈。自分達が犯した訳ではない罪で追放されている現状を、どう思っているのでしょう……」


心優しいゼルダは、反乱を起こした者の子孫の事さえ気遣う。
悲しげに目を伏せた彼女を見ると、リンク達まで胸が痛くなってしまった。
ちなみに今の話はオフレコだ。
かつて王家の一族がこの世の支配を目論んで反乱を起こしたなど、広まれば国民達に混乱が起きかねないので当然だろう。

魔法に関する資料が無いか探すと申し出てくれたインパが退室し、部屋は少しの静寂に包まれる。
出された紅茶を飲んで、ゼルダは口を開いた。


「リンク、カヤノ。あなた達に危険な事を押し付けてごめんなさい。こうして無事な姿で訪ねてくれて、本当に良かった……」
「オレ達なら大丈夫だよゼルダ。それよりゼルダの方こそ大丈夫? 王様はまだゼルダの話を信じてくれないの?」
「はい。いくらガノンドロフの危険性を訴えても、『私はもう戦争を起こしたくないんだ』と言って取り合って下さらなくて……」
「え、何それどういう事? 聖地を狙う奴を放置する方が危ないじゃんか!」
「戦争……そう言えばゼルダ姫、ハイラルは昔 戦争をしていたとか」
「ええ、統一戦争ですね。終戦は今から11年ほど前になります」
「それが何か関係しているんでしょうか……?」


ハイラル王国が統一される前、平原の南西方向に一つ国があったらしい。
国とは言ってもそう大きなものではないが、商売によって多大な財力と兵力を得た者達が治めていたとか。
統一戦争が起きるまではそれなりに良好な関係を保っていたそうだが、一体なぜ戦争が起きてしまったのだろう。

『私はもう戦争を起こしたくない』

この言葉を鑑みるに、国王がゼルダの話を信じないのには統一戦争が関係しているのだろう。
小難しい話になって来て、リンクが椅子の背もたれに頭を預ける。


「あー、もう分かんない事ばっかだなー! 頭痛いよ」
「気晴らしに城下町で少し遊ぶ?」


ナビィがクスリと笑って言うと、リンクはバッと彼女の方を見た。
大した事を言ったつもりの無いナビィがビクリと驚いてカヤノの後ろに隠れ、ゼルダとカヤノも少しだけ驚いた顔でリンクを見る。
3つの視線を一身に受けたリンクは臆する事なく、ニヤリと笑って。


「よーし、遊びに行くぞ!」


結果、インパが部屋に戻って来た時には、部屋は蛻の殻だったとさ。

……テーブルの上には冷めた紅茶と、ゼルダが書いたであろう置き手紙。
申し訳なさが字面から滲み出るそれを読み、インパは溜め息を吐いて苦笑する。


「まったく、困った子達だ……」


そうして、こっそり護衛する為に城を出るのだった。



沢山の人々で賑わう城下町。
大通りには店を中心に建物が建ち並び、露店からは美味しそうな食べ物の匂いも漂って来る。
この状況に一番目を輝かせているのはゼルダだった。
いつもの修道女のような服を脱ぎ捨て、上等ではあるけれど普通の女の子のように見える可愛いワンピースを着ている。


「わ、わたし……いけない事しちゃってる……」


普段は城から出られないのだろう。
嬉しさに緩む顔を隠そうともせず、紅潮した頬に両手を当てて呟く姿は実に愛らしい。
特にカヤノは、いつまでも見ていられると思った程。

しかし時間がいつまでもある訳ではない。
きっと城からインパが探しに来るだろうし、見付かる前に色々と遊んでおきたい。


「よーし、じゃあ何やる? ゼルダとカヤノはどこ行きたい?」
「私はゼルダ姫の行きたい場所で良いわ」
「え、えっと……じゃあ、まず露店を見たいです」


恥ずかしそうに言うゼルダに、リンク達はすっかり癒やされ状態。
なんだか妹でも出来たような感覚に陥ってしまう。

露店の並ぶ通りは溢れ返るほどの売り物がある。
見ているだけで楽しいし、気になる物があれば買ってみたり。
カヤノはふと、様々な石を使った小物やアクセサリーが並ぶ露店が気になった。

これはパワーストーンのような物だろうか。
その中の一つ、高い空のような青色をした石に目を付けたカヤノ。
まるでゼルダの瞳の色のようで、カヤノはネックレスを一つ買ってゼルダに手渡した。


「あの、これを……」
「え? わたしに?」
「はい。お姫様なら色々と持っているだろうし、いらないかもしれませんけど……」
「そんな事はありません! カヤノからのプレゼントだなんて……嬉しい……」


はにかむ笑顔で呟くように言うゼルダ。
その小さな声が感極まった嬉しさを表しているようで、カヤノも自然と笑顔になる。
せがまれて首に付けるのを手伝ってあげていると、どうにも胸がいっぱいになってしまった。


「ありがとう、カヤノ。何だか泣いてしまいそう……」
「大袈裟ですよ。でも、私も泣きそうかも」


お互いに初対面の時から会いたくて仕方が無かった二人。
こうして一緒に出掛けてみたり、買い物やプレゼントをするのを、心のどこかで強く、とても強く望んでいた気がする。
お互いに笑顔を向け合っていると、人混みのせいで少し離れていたらしいリンクとナビィが慌てて戻って来た。


「良かった二人とも、居ないからビックリしたよ」
「あ、ごめんなさいリンク。ねえ見て、カヤノが買ってくれたのです」
「へえ……似合ってるねゼルダ。っていうかカヤノまで嬉しそうな顔してるじゃん」
「だって、何だか嬉しくって」
「可愛いんだからさ、普段ほぼ無表情なのやめたらいいのに」


突然の言葉にカヤノとゼルダ、ナビィが唖然とする。
まるで照れ隠しするようにそっぽを向いたリンクは、向こうに面白そうなお店見付けたから行ってみよう、と歩を進めた。
慌てて追い掛けつつも、カヤノは恥ずかしさに俯き気味だ。


「……信じられない。男性って子供でもこんな感じなの……?」
「カヤノ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、けど、恥ずかしい……」


顔を赤くするカヤノに今度はゼルダの方が可愛らしく思う番。
リンクの方も照れているのかカヤノの方をマトモに見ようとしないけれど、時々ちらりと視線を送って来るのが実に微笑ましかった。

それから大通りの建物にあった“ボムチュウボーリング”なんてゲームで遊んでみた三人。
ボーリング……まさかこんなお伽話のような世界で、そんな単語を聞くと思わなかったカヤノは密かに驚いた。
ボーリングに行った事は一度も無いが、さすがに知ってはいる。

ネズミのような形の自走式爆弾なんてよく考えたら恐ろしい物を球に、奥の壁の的を狙って走らせ爆破する……。
修理が大変そうだが、壁に傷が付かないのはどういう事だろう。
最初は上手く行かず明後日の方向に行ってしまったり、うっかり向きを間違えて、こちらに走って来て慌てて逃げたり。
そんなハプニングの連続が楽しくて、気付けばカヤノはリンクやゼルダと一緒に大笑いしていた。
そんな彼女にナビィがこっそり話し掛ける。


「カヤノ、楽しい?」
「うん、楽しいけど……どうしたの急に」
「今までのアナタからは考えられないくらい笑ってるから。でも楽しいなら良かった、カヤノが楽しそうにしてるとワタシも嬉しいよ」
「デクの樹サマが仰ってたから? 楽しく生きろって」
「それもあるけど、やっぱり心配だったの。カヤノってあんまり笑わないし、普段はほぼ無表情で言葉にも抑揚が少なかったから。お節介かな」
「……ううん。こうして気遣ってくれる人が居るって、幸せな事よね」


穏やかに微笑むカヤノ。
それを見たナビィは小さく息を吐く。
顔が無い代わりに感情が伝わり易い彼女は今、大いに安堵しているようだ。

本当にカヤノは、どの位だか分からない振りに幸せだった。
友達と街で遊び回ってみたいという、ささやかだけれど難しかった願い。
それが叶っている上に楽しくてしょうがないのだから幸せだ。
この世界に来てから、元の世界では難しかった願いが次々と叶っている。
それが嬉しい反面、罰の筈なのに……と少々気味が悪い思いもするカヤノだった。


休憩がてら露店でお菓子を買って、人気が無い時の神殿の広場へ向かった。
日は既に傾きかけており、あと少ししか遊べないだろう。
神殿前の階段に座って皆でお菓子を分け合いながら食べていると、ふとゼルダが切なそうな表情をして神殿を振り返った。
どうしたのかリンクが訊ねると、ぽつぽつ話し出す。


「わたしのお母様は、わたしを産んでから体調を崩して、外へ出られなくなってしまったんです。お部屋からもあまり出られませんでした。お母様が生きておられた頃は、お父様とここへお祈りに来たものです……」
「そっか……いつかお母さんと出掛けてみたかったよね」
「ええ。でもリンクとカヤノのお陰で、今はこんなに楽しいです。二人とも、わたしを連れ出して下さって本当にありがとう」


満面の笑みで礼を言うゼルダ。
きっと王女様には王女様なりの辛さと苦労があるだろう。
そういった しがらみから解放されて遊び回れたのは、本当に楽しかったようだ。
カヤノも王女だなんて大それた立場ではないが、巫女として抑圧されていた頃を思うと似ている。


「ゼルダ姫。次は平和になった後で一緒に出掛けましょう」
「! また遊んでくれるのですか? 嬉しい……カヤノ、約束ですよ」
「ええ。約束です」


お互いに微笑んで見つめ合う。
それを見ていたリンクが少しだけ拗ねたように。


「カヤノはゼルダばっかりだし、ゼルダはカヤノばっか。ヤキモチ焼いちゃいそうだ」
「リンク!? それどっちにヤキモチ焼いてるかハッキリ言わないと修羅場よ! ひょっとして両方に焼いてるの? 両手に花なんて、なかなかやるわね!」
「何でちょっと嬉しそうなんだよナビィ!」


やいやい言い合うリンクとナビィを見て、また笑うカヤノとゼルダ。
世界の命運を背負っている身ではあるけれど、一日くらい構わないだろう。
これから過酷な運命が待っているかもしれない戦士達に、少しでも休息を与える為に……。


「お母様と一緒に過ごせた時間は短かったけれど、子守歌を歌って貰った事はよく覚えています。ハイラル王家に伝わる、王家の証ともなる歌……」
「子守歌かあ。どんな歌なの? 教えてくれない?」
「あ……そうですね。証ともなる物ですから、旅をするに当たって役立つ事もあるかも。うっかりしていました。お教えします」


実はリンクはそんなつもりで言ったのではないのだが、そういう事にしておく。
少し照れくさそうにしていたゼルダは、やがて小さく歌い出した。
王家の証……だが子守歌として歌われていただけあって、穏やかで優しい旋律。
マロンに聞かせて貰った歌とはまた違った趣で、包み込むような愛を感じる。
再びオカリナを手に一緒に演奏するリンクだったが、カヤノの方はそれどころではなかった。


「(綺麗……駄目だ、泣きそう)」


最近 涙もろくなってるな、なんて思いながら、零れそうになる涙を必死で堪えていたのだった……。



そして再び大通りへ戻って来た彼ら。
ふとリンク達は、カヤノがある建物に視線を釘付けにしている事に気付く。
そちらを見てみると、的に矢が刺さった大きな看板。
どうやら的当て屋のようだ。
今まであまり自分から欲を主張しなかったカヤノだから、せめてこういう小さな事ぐらいは酌み取って叶えてあげたいとリンクは思う。


「そろそろ日も暮れるし最後だね。行ってみようカヤノ。ゼルダもそれで良いだろ?」
「ええ。行きましょうカヤノ」
「あ、え……」


二人に手を引かれ少々足をふらつかせて的当て屋へ向かいながら、カヤノは自分が今 抱いた感情に戸惑っていた。
巫女としての人生に反発して家族を殺した筈なのに、巫女としての神事の為に訓練を受けた弓術を、懐かしいと、もう一度操ってみたいと思ってしまった。
嫌な事や嫌な思い出しか無いと思っていたのに。


「(私……元の世界での生活を懐かしんでるの?)」


それはカヤノにとって余りにも衝撃的な事実。
これでは何の為に家族を殺したのか分からない。
それでも心の片隅で温かさを感じているのだから、始末に負えなかった。


次々と出て来る的を規定の位置から撃ち抜くゲーム。
パチンコや弓矢を貸し出しているが、カヤノは迷わず店主に、弓を貸して欲しいと注文する。


「大丈夫かい? お嬢ちゃんには難しいんじゃないか?」
「平気です。弓を貸して下さい」


技術もそうだが、今は12歳であるカヤノの体格に弓矢は大きい。
それを言っても譲らないので、店主はやれやれと言いたげに弓矢を貸した。


「ショットチャンスは15回! 10個の的を全部うてるかな? パーフェクト目指して頑張りな!」


カヤノが規定位置について弓を構えると笛の音が鳴り、それを合図にルピーの形をした的が現れる。

……その瞬間、的が勝手に壊れた。

見ていた店主とリンク達は呆気に取られてしまうが、実際はカヤノが驚くべき反射神経で矢を射った。それだけだ。
改めてカヤノを確認すると実に綺麗な姿勢で弦を引いている。
それからも上下左右様々な方向から様々な出方で現れる的を、カヤノは出現とほぼ同時に、凄まじい正確さで射貫いて行った。
弾かれた弦が立てる空気を切る音が耳に心地良い。


「ワ……ワンダホ〜ッ!! ブラボ〜ッ!! パーフェクト〜ッ!!」


リンク達が我に返ったのは、そんな店主の声が聞こえてから。
涼やかな顔で店主から賞金と景品を受け取ったカヤノに、リンクとゼルダが興奮した様子で声を掛ける。


「す、すげーっカヤノ! カッコよかった!」
「どこかで弓の名手にでも師事していたのですか? ハイラル騎士団にも、これ程の腕前の者は居ません……!」
「……ちょっと、小さい頃から。色々あって」


言葉を濁したカヤノだが、興奮気味のリンク達は深く追求しなかった。
オレもやる! なんて転びそうな勢いで店主に話し挑戦を始める。
カヤノは結局一度だけしか挑戦しなかったが、二人に弓を教えたりしながら充実した時間を過ごしたのだった。



的当て屋を満喫し、建物を出た頃にはすっかり夜。
これはいい加減に帰らないと大目玉を食らいそうだ。
ゼルダは大目玉で済むかもしれないが、リンクとカヤノは少しまずい。


「リンク、カヤノ、今日はありがとうございました。わたしは一人で帰ります」
「ちょ、ちょっとさすがに一人じゃ危ないよ、送るから」
「門の所まで行けば兵士が保護してくれます。お城を抜け出したわたしと一緒では誤解されかねません」
「そうだけどさ……」


押し問答が始まりそうな雰囲気。
せめて近くまで……とカヤノが言いかけた瞬間。

突然、両手に剣を持った複数の女性が現れ彼らを取り囲んだ。
褐色の肌に砂漠の国を彷彿とさせる異国の服装。
友好的な雰囲気でないのは手に取るように分かる。
リンクとカヤノは慌ててゼルダを背後に庇った。


「な、何だよお前ら!」
「……後ろの娘。時のオカリナを我々によこせ」


時のオカリナ。
間違い無い。きっとガノンドロフの手の者だ。
リンクがすぐさま剣を抜いて飛び掛かって行くが、如何せん多勢に無勢。
隙を突いた一人の女戦士が、カヤノとゼルダの方に向かって行った。
カヤノは迷わずゼルダの手を引いて走り出す。


「それでいいよカヤノ! 彼女を頼んだ!」
「……リンク、絶対に死なないで!」


これは役立たずの敗走ではなく、姫を守る為の行動。
ナビィはサポートの為にリンクの許へ残り、二人きりで逃走する。
少ししてから走り難さを感じてゼルダの手を離すが、それから暫くの後、足音の足りなさに気付いた。


「あれ……ゼルダ姫?」


振り返っても誰もおらず、いつの間にか暗い町中に独りぼっち。
急激に不安が襲い掛かって来て辺りをキョロキョロ見渡すが、望みの人影は無い。


「ひ、姫? どうしたんですか? どこに…………え?」


発される力無い言葉の途中、聞こえて来る足音。
しかしそれを聞いたカヤノが感じたのは安堵ではなかった。
重い音。明らかに少女のものではない。
逃げようにも恐怖に足が動かず、その間にも足音は近付いて来る。

やがて月明かりの下に現れたのは、ハイラルを狙う悪の親玉ガノンドロフ。


「あ……」


足が竦んでしまい走り去れず、数歩だけ後退るのがやっと。
鋭い視線で見下ろして来る褐色の大男は、暫くの間 何も言わずカヤノを見ているだけだった。
その静かな時間に少しだけ勇気が湧いて来て、カヤノはガノンドロフの横を擦り抜け走り去ろうとする。
……が、通り過ぎる瞬間に腕を掴まれた。


「!? な、何ですか? 離して下さい」
「……小娘。名を教えろ」
「え? 名前って、どうしてそんな事……」


抗議しようとした瞬間、腕を強く握られ言葉を中断させられる。
これは命を握られているも同然な状況。反抗はしない方が良さそうだ。


「カヤノ、です」
「……変わった名前だな。そうそう居るものではあるまい」


一体この男は何を言いたいのかと、不安と同時に不満も湧き上がる。
こんな事をしている場合ではないのに、早くゼルダ姫を探さなければならないのに。
もう一度勇気を出して、今度は振り解こうと決心するカヤノだが、体躯に相応しい力を持つ彼から逃れるのは困難を極めそうだ。


「(こんな所で死ぬ訳にいかない。やるしかない……!)」


大妖精に教えて貰った通り、体内を巡る魔力を感じて掴まれていない方の手に集める。
まだ威力とコントロールを両立する事は出来ないが、密着しそうなほど側に居る相手へ放つのにコントロールも何も無い。


「放して、下さいっ!」
「!」


悪しき存在とはいえ、近くに居る人の形をした存在に当てるのを躊躇ってしまった。
ガノンドロフに直撃しない位置に火柱を立てたカヤノは、面食らった彼が一瞬 力を緩めた隙に拘束を逃れる。


「待て……!」


どうしてかは分からない。
分からないが、待てと言われたカヤノは素直に止まってしまった。
何をやっているんだと自分を責めても時既に遅し。
終わったかもしれない……と絶望に似た心地さえ感じるが、止まったというのにガノンドロフが何か仕掛けて来るような気配が無い。
疑問に思い、恐る恐る振り返ったカヤノの目に映った姿は。


「こちらへ来い」


何故か彼の瞳は切なげで、カヤノへ手を伸ばして。
命令言葉だけれど、口調は懇願のようで。


「(あれ……。怖く、ない?)」


そこに恐れていた悪の親玉の姿を感じ取れず、思わずカヤノは、差し出された手を掴む為に彼の方へ歩み出しそうになる。

しかしその時、誰かがこちらへ向かう足音が聞こえ、ガノンドロフは忌々しそうに手を引っ込めると去って行った。
呆然としていると幾らもしないうちにインパが現れる。


「無事か、カヤノ!」
「インパさん? どうしてこんな所に……」
「お前達の事はずっと見ていたよ、姫様を守る為にな。リンク達も無事だから安心しろ」


どうやら、カヤノがゼルダを連れて逃げた直後リンクの助太刀に入ったらしい。
騒ぎになってはマズイと思ったのか、女戦士達は程なく逃げたとか。
それからゼルダとカヤノを追い掛けたが、追い付いたのは丁度カヤノがゼルダの手を離した直後。
声を掛ける間も無く走り去ってしまった為に、まずはゼルダの安全確保を優先し、それが済んでからカヤノを探していたそうだ。

ゼルダを連れ出してしまった事を謝罪するカヤノだが、姫様も納得の上で城を出たのだからと糾弾はされなかった。
リンク達の所へ歩いて向かいながら、ふとカヤノはインパにある質問をしてみる。
カカリコ村からずっと訊きたいと思っていた事だ。


「インパさん。あなた方シーカー族は、王家に影から仕える一族だと聞きました。つまり生まれた頃から義務付けられていたんですよね? 失礼かもしれませんが、反発心を持った事は無かったんですか?」
「反発心か……正直な話、無かった訳ではない」
「え……」


意外な答えだった。
インパの忠実そうな様子からして、子供の頃から納得済みという印象しか受けなかったからだ。
だがまだ幼い時分には、納得いかずに反発した事もあったらしい。


「だから修行と称して国中を旅するよう命じられてな。旅をして様々な人と関わって行くうちに、この国を愛せるようになった。そして、国を統治する王家へ仕える運命も受け入れられたんだ」


確かナビィも同じような事を言っていた。
愛する人や大切な人の為なら、運命ぐらい幾らでも受け入れられると。


「王家に入ってからは、お側に仕えていた王妃様や姫様と関わるうち、ついには自分の運命に誇りさえ持てるようになったのだ」
「……王妃様やゼルダ姫の事を、とても大事に思っているんですね」
「ああ。カヤノ、もし納得できない運命があったら、それに関わる人々と付き合って対象を知るようにしてみろ。大事に思えるようになればきっと、運命を受け入れられる」


きっとインパの言う通りなのだろう。
家族を殺害する程に運命を呪い嫌っていたカヤノが、大切に思えるゼルダに出会った途端、運命を受け入れようとしているのだから。


「……私は、ハイラルの為ではなくゼルダ姫の為に戦うつもりです。でもこの国そのものを愛せるようになったら、もっと素敵でしょうね」
「そうだな。我々はこの美しいハイラルを守らねばならない。大切なものは多ければ多いほど良い筈だ。それは運命を受け入れる為だけでなく、生きて事を成す為でもある」
「生きて……」
「待っている者が居たり約束があったりすれば、何が何でも帰らねばと思えるだろう?」


ゼルダはカヤノ達が無事に帰る事を望んでくれている。
彼女がそう望むのであれば必ず生きて帰りたい。
それに、平和になったらまた一緒に遊ぶと約束もした。


「……生きて帰らないと。絶対に」


リンクの役に立つ為に無茶をしていたカヤノだが、考えを改める。
命を投げ出すような無茶はもうしない。
無茶をするとすれば、リンクと共に生き延びてゼルダの許へ帰る為に。
カヤノはゼルダとの約束を守る為、そう誓った。





−続く−



- ナノ -