時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第17話 別れと再会


それを告げられた時、カヤノは自分が絶望したのか喜悦を得たのか分からなかった。

囚われてからと言うもの、何度もガノンドロフに犯され、毎日のように快楽拷問を受け、地獄のような日々を味わって半年。
正直、こういう事になる可能性は十分にあったし、カヤノも分かっていたのは確かだ。

何故かカヤノを支配し我が物にしたいらしいガノンドロフは、体調を崩した彼女を配下ゲルドの医師に診察させる。
そうして出た診断結果は。


「身籠っているな」
「……」


誰の、なんて言われなくても分かる。
ガノンドロフ。
奴との子が、今、カヤノの胎内に。

嬉しい訳が無い。
ハイラルを、世界を手中に収めようと悪事を働き、ゼルダを追い詰め追いやり、今は愛せるようになった国を汚した男に強姦され、挙げ句に出来た子供なんて。
それなのにカヤノは、嫌悪や絶望を感じる事も出来なかった。

……産む?
そんな事が出来るだろうか。
そもそもガノンドロフが許さないのでは。
あの男は子供なんて面倒がりそうだ。

どうやら聖地でトライフォースを手に入れたらしいガノンドロフは、満ち足りた魔力の影響か、歳を取った様子が無い。
跡継ぎなんて必要無いだろう。
いつかシークに教えて貰った伝説の通り、ガノンドロフが入手できたトライフォースは1つだけで、残りは分裂してどこかへ行き、別の者に宿っているらしい。
そんな“不足している”トライフォースの魔力に何かがある可能性も捨てきれないので、跡継ぎ等は万全を期し持っていた方が良いだろうが、そんな事はカヤノが心配する事ではない。

だが。
カヤノが妊娠している情報が入ったガノンドロフが部屋にやって来て、こう告げた。


「産め」
「……」
「いいな」


奴が産めと言うなら拒否したい。
たが抵抗する力はカヤノには無く……それに、心のどこかで産みたいと思っている自分にも気付く。


「(どうして……? 私、嫌よ。愛してもいない人との子供なんて……)」


そう思おうとしても、心の隙間を縫うようにして湧き出る嬉しさを止められない。

結局カヤノは、ガノンドロフの命令通り子を産む選択をした。
抵抗する手段が無いから……なんて言い訳してみても、微かな嬉しさが消える訳でもない。
ただ素直に心から良かったと思えるのは、犯される事も快楽拷問を受ける事も無くなった事。
ガノンドロフが産めと言っているのだから、無闇に体へ負担を与えられないのだろう。

体調の不良に耐え、膨らんで行く自らの腹を見ていると、素直に幸福を感じられるようにもなった。
男の子かな、女の子かな、名前は何にしようかな……なんて、普通の幸せな妊婦のような事まで考えてしまう。


「(何やってるんだろう、私)」


リンクがこんな事を知ったらどう思うだろう、幻滅されるかもしれない。
ナビィやナーガが知ったら怒られるだろうか。
ダークやゼルダが知ったら……自分を責めてしまうかもしれない。

カヤノはそんな想像をしては胸を痛めながら、自分の腹をそっと撫でる。


「あ……。今、動いた……」


そこには確かに、命があった。


++++++


そして、カヤノが18歳を迎える年の春。
暗くおぞましいガノンの城に、生命に満ち溢れる泣き声が響き渡った。
予定より早かったが何とか無事に生まれたのは、女の子。
ゲルドの特徴が出た小麦色の肌に赤い髪。
瞳の色はどうやらカヤノと同じ黒らしく、顔もカヤノに似ているようだ。

カヤノが娘とマトモに対面できたのは、数時間経ち自分の体調が落ち着いてから。
産婆に手渡され、柔らかく簡単に壊れそうな体を抱き締めた……瞬間、ぶわっと沸き上がる愛しさ。
自然と涙が浮かんで、次々と頬を伝い落ちて行く。


「あり、がと……う……。ごめん、ね……」


何に対し礼を言っているのか、何に対し謝っているのか自分でもよく分からない。
ただその言葉が勝手に出て来た。


「あなたの名前は……【   】ね」


考えていた名前を告げると、娘が少しだけ笑ったような気がした。


ガノンドロフはなかなか娘と会おうとしない。
出産・子育て経験のあるゲルド族に教わりながら手探りで子育てをしていると、それだけで手一杯になり他を気にする余裕も無かった。
だから、だろうか。
娘にまつわる不穏な話が聞こえて来るのが、だいぶ遅れたのは。

それはある日の事。
城の限られた場所だけ移動を許されたカヤノが娘を抱いて散歩していると、通り掛かった部屋から話し声。
気にせず通り過ぎようとした所、娘の名前が聞こえて足を止める。
どうやらツインローバのものらしい声が語ったのは。


「【   】を生贄にねぇ……」
「(……!?)」


生贄……!?
と、思わず聞き耳を立てると、話がはっきり聞こえ始める。


「血を引いた娘の魔力なら馴染むだろう。殺して命の全てを使いカヤノに取り込ませれば……ガノンドロフ様お望みのカヤノが手に入るかもしれない」
「実行の日まで感付かれないよう注意しなきゃね。1歳を過ぎるまでは観察だけと行こうか。生まれて一年も経てば、保持する魔力が自身だけのものになるだろうよ」


声を上げそうになるのを必死に耐えた。
音を立てないよう慌てて部屋に逃げ帰り、扉を背に座り込むと娘をぎゅっと抱き締める。


「……殺す? 【   】を? 殺して、私に……」


恐怖で顔が引き攣り、涙が溢れて来る。
成り行きはどうあれ今のカヤノにとって、娘は大事な存在。
どう取り込ませるのかは分からないが……命が失われる事だけは確かなようだ。

抱いた娘に視線を下ろすと、カヤノの緊張が伝わったのか泣きそうに顔を歪めていた。
慌てて抱き直し、背中を優しく叩いてあやす。


「ごめんね、ごめんね【   】。怖かったね、大丈夫だからね……」


どうすれば娘を守れるのか。
瘴気に遮られているらしく、貢物である魔力が女神へ届かない為に高威力の魔法が使えない。
基礎魔法だけで何とかするにしても、娘を抱えていては多数の戦士や魔物から逃げ果せないだろう。
そもそもこの城は宙に浮いていて、周囲は溶岩で満ちたお堀……逃げ出せない。


「……どうしたらいいの」


娘が1歳になるまで、あと一月程しかない。
その間に娘を守る方法を考えなければ……。

恐怖と緊張に満たされる日々が再び訪れた。
どれだけ考えても良い方法が思い付かず、時間だけが過ぎて行く。

そして娘の誕生日も数日後に迫ったある日の事。
部屋に居たカヤノの元に、懐かしい声が届く。


「カヤノ……!」
「えっ?」


その声にまず我が耳を疑い、次いで扉に何かが当たる音が聞こえた。
期待を胸に満たしながら開けた扉の先には、青い光を放つ妖精が。


「ナビィ……!?」
「カヤノっ……! 良かった、生きてたのね、良かったぁ……!」
「うそ、ほんとに、ほんとにナビィなの!?」
「ホントにワタシだよ、カヤノっ!」


涙声でカヤノの胸に飛び込んで来た妖精ナビィ。
ダークにもナーガにも会えずに過ごして2年以上。
久々の仲間にカヤノは喜びと安心で泣きじゃくる。


「もう……誰にも、会えないかと、思ってたっ……! 会いたかったよナビィっ……!」
「うん。ワタシも会いたかった……。頑張ったねカヤノ、もう大丈夫よ。一緒に逃げましょ」
「逃げる……? どうやって」
「ワタシに出来る事があるの。急ぎましょ、こんな所 一刻も早く出なくちゃ」
「あ、待って、ちょっと……」


カヤノは乱暴に涙を拭ってベッドの方に走り、ナビィもその後を追う。
そこに居る赤ん坊を見たナビィが息を飲むのが分かった。


「カヤノ? え……その、赤ちゃんは?」
「……私の娘よ。名前は【   】」


抱き上げ、笑顔を浮かべながらナビィに娘を良く見せるカヤノ。

どうして。酷い。あんまりよ。可哀想に。

ナビィの思考をそんな言葉がぐるぐる回る。
こんな場所で敵に囲まれている以上、望んでこうなった訳は無い。
赤ん坊の小麦色の肌と赤い髪はゲルドの特徴で、ガノンドロフとの子だとは容易に想像できる。

けれど、そんな憤りや悲しみ、哀れみを示す言葉を言えなかったのは。
娘を抱き上げるカヤノの笑顔が本物だったから。
本当に娘を愛し、娘に慈しみを感じている母の顔だったから。

ナビィはその感情に、とても覚えがある。


「そうだったの。ふふ、とっても可愛い子ね。カヤノに似てるわ」


ナビィが優しく言うとカヤノは照れ臭そうに笑い、娘もつられて へにゃりと笑う。
そんな母子を見たナビィにも本当に幸せな気持ちが溢れて来た。
これが平和で明るい場所で、愛する人との間に出来た子供なら心から祝福できたのに、と内心で独りごちてみたりもしたが。

カヤノは、ナビィが来てくれた事に歓喜した。
今まで忘れていたが彼女を見て思い出した事がある。
それはいつか彼女が言っていた事。


“たった一度だけ……どこの世界、どんな時代に行くか分からないけど、存在そのものを移動させる事が出来るの。デクの樹サマから授かった力の一つよ”


「ねえナビィ、この子……連れて行ける?」
「……ごめんなさい。ワタシの力と作戦じゃ、二人同時には逃がせない……」
「そっか」


元々、娘と一緒では逃げ切れないだろうと考えていた。
まして向こうは娘を殺したいのだから手加減などしないだろう。
この子を置き去りにするくらいなら私も逃げない、と言った所で、逃げなければ結局 娘は殺されてしまう。
それなら少しでも可能性のある方に賭けたい。
カヤノはナビィに、娘が殺されようとしている事を話してから告げた。


「ナビィ、いつか言ってたわよね。人をどこかに移動させる力があるって」
「……ええ」
「その力でこの子を移動させて」


ナビィは、本当にいいの? と訊く事はしなかった。
カヤノの顔は穏やかだったが、決意と覚悟に満ちていたから。
これ以外に娘を生存させる方法が無いという事は手に取るように分かる。


「一つ約束してくれるなら、移動させてあげる」
「何?」
「娘を完全に守れなかったからって、自暴自棄になったり、自ら命を絶とうとしない事。いいわね?」
「……」
「カヤノ」
「……分かった」


本当は心のどこかでその結末を考えていたのだろう。
しかしナビィは、それを許す訳にいかない。
まだカヤノには幸せになれる可能性が残されているのだから。
カヤノが娘を守りたいと思うその感情と同じ物を、ナビィは持っている。

カヤノは最後に、愛する娘をぎゅっと抱き締めた。
これが今生の別れになる。
この城に居るよりはマシというだけで、別の場所に移動した後、生きていられる保証は無い。
別の時代か世界か、どこへ行くのかは分からないが、移動しなければ生き残る可能性は0%、移動すれば……それでも可能性は高くないように思える。

だが賭けるしかない。
0をほんの少しでもプラスへと押し上げる為に。


「ごめんね【   】……。お母さん、あなたに謝ってばっかりね」


涙を流しながら、それでも笑顔を浮かべるカヤノに、ナビィは何も言えない。
ただ永遠の別れとなる母子を見守るだけ。


「お願い、生きて。生きて幸せになって。私なんかよりずっと、ずっと幸せに生きて。あなたが無事に生まれて来てくれただけで、お母さん、親孝行も恩返しも全部受け取ってるから。……愛してるわ、【   】」


最後にもう一度 強く抱き締め、カヤノは娘をベッドに横たわらせた。
間もなく1歳を迎える小さな赤ん坊。
そんな彼女をこれ以上、守ってあげられない。

カヤノが一瞬たりとも目を離すまいと娘を見守る中、ナビィがそっと近寄り意識を集中させる。


「あまねく光の神々よ……この者を、遠くへ。輪廻に等しい、どこか遠くへ送り給え。願わくば、命繋ぎし者に出会えん事を」


娘の体がナビィと同じ青い光に包まれる。
それが面白いのか、きゃっきゃと楽しそうに笑い声を上げながら……娘は消えた。


「……」
「……カヤノ、行きましょう。ぐずぐずしてると気付かれるわ」
「……ええ」


後ろ髪を引かれながら、それでも振り切る。
ここに娘はもう居ない……どこにも居ない。


「【   】」


最後にもう一度だけ、娘の名を呼んだカヤノ。
それは誰の耳にも届く事無く、溶けて消えた。


++++++


どこかカヤノが通り抜けられる大きさの窓がある所は、と訊かれ、近くには無いのでそこまで案内する事に。
カヤノが居た部屋は一面が全面窓だが開閉は出来ず、開くのは換気用の小窓しかない。
早くしなければ気付かれてしまう……が、廊下の先、見覚えのある影。


「ダ、ダーク……!」
「どこへ行く、カヤノ」


今はガノンドロフの配下となってしまったダーク。
剣を片手に行く手を阻む。


「ダーク、あなたとナーガも一緒に逃げよう……!」
「……」
「駄目よカヤノ、【   】でも無理なんだから、二人以上なんてとても……」


どういう方法かは分からないが、ナビィの作戦はどうしても一人しか無理らしい。
相変わらずの無表情で動かないダークに、ナビィが懇願する。


「お願いダーク、ワタシ達を逃がして!」
「娘はどうした」
「え?」
「カヤノの娘だ」


囚われてから一度も会えなかったダークだが、カヤノの状況はある程度伝わっていたらしい。
いつか話したナビィの力でどこかへ送った事を告げると、一つ溜め息を吐く。


「俺は結局、お前を傷付ける事しか出来なかった訳か。お前がガノンドロフに犯されている事も、拷問を受けている事も知っていた」
「……」
「お前が娘を簡単に手放す訳がない。きっと傷付き苦しんでいるだろう? お前はそういう女だ。……リンクに嫉妬する余りに、神や運命を呪った余りに取った行動の結果が、これか」
「ダーク……」


それについてカヤノは彼を責められない。
自分だって神の定めた運命を憎み呪い、結果取った行動の果てに今、ここに居る。


「行け」
「え……待って、ダークは」
「俺を連れては行けんのだろう。ナーガも無理なら、お前一人で行くしかない」
「だ、だけど」
「ぐずぐずするな! 魔物が、最悪ガノンドロフが来るぞ!」


初めて聞いたダークの怒鳴り声。
顔も怒りに似た真剣な表情で……今までの無表情、抑揚の少ない平坦な声が嘘のよう。
だがそれも、すぐ収まって元の無表情に戻る。


「嫌よ、ダークやナーガを置いて行くなんて……」
「カヤノ。お前は裏切り者の俺すら助けようとしてくれるのか」
「だ、だってダークも仲間でしょう。私はまだそう思ってる」
「……ナーガの事、出来る限り守ってみよう。それとお前を逃がす事の二つが、今の俺に出来る最低限の罪滅ぼしだ」
「……」
「いい加減に行け」
「……行きましょう、カヤノ」


ナビィにも促され、カヤノは再び足を進め始める。
ダークの横を通り過ぎる際、ぽつり「無事で居ろ」と言われて。


「ダークもね。ナーガをお願い」


早口で言い、彼の側を通り過ぎた。


やがて辿り着いた、カヤノも通り抜けられる開閉可能な窓。
今は既に開いているようだ。


「どうやって逃げるのナビィ、まさか飛び降りるとか……」
「降りたりしないよ。……飛びはするけどネ」
「え?」


言うが早いか、カヤノの体がナビィと同じ青い光に包まれ浮き上がる。
そして開いた窓から外に出てしまった。


「え、えっ、うそっ、凄いナビィ……!」
「あ、あんまり喋ったり動いたりしないで、落としちゃうからっ……!」


ナビィが苦しそうに言うものだから、カヤノは慌てて口を噤み身動きを止めた。
城は溶岩の満ちる巨大なお堀の中心に浮いた、台地の上にある。
落ちてしまえば死は免れない……一人でこの調子なら【   】やダーク、ナーガを連れて逃げるのは不可能だっただろう。
じっとしていても、お堀の外側の地面へ辿り着くまでに何度か落ちそうになった。

ようやく辿り着いた地面に感動する暇も無く、カヤノは一目散に平原の方を目指して走り始める。
城の見張りだって居るだろうし、きっとそろそろバレている。
坂道を下り荒れ果てた城下町に入って……突然響き渡る、甲高くおぞましい叫び声。
見れば城下町には多数のリーデッドが。


「ひっ!? 何でこんな……」
「走ってカヤノ、止まっちゃダメ!」
「いやあぁっ、怖い怖い怖いっ……!」


半泣きになり、恐怖を少しでも吐き出そうと言葉にしながら、一気に走り抜ける。
どうしても行く手を阻まれたら魔法を放って撃退した。
基礎魔法であれば瘴気に阻まれていても使える。

とっくに役割を果たさなくなった、城下町入り口の跳ね橋。
そこを通り過ぎた瞬間、城壁の上から多数の魔物やゲルドの戦士達が飛び降りて来た。


「お前、ガノンドロフ様の女だな!?」
「どうやって逃げ出したんだ? 城へ戻れ!」
「い、嫌です!」


振り切って走り出すが、矢を射掛けられたり、魔物に纏わり付かれたりで上手く進めない。
基礎魔法で撃退するのにも限度があるが、こう敵が多くては詠唱が追い付かず、高威力の魔法を繰り出すのが難しい。
疲労からか体が震え、足がもつれ始めたカヤノ。


「し、しっかりしてカヤノ! もう、あの人どこに居るのっ!?」
「あ、あの人……?」


カヤノが疲れに霞む頭で疑問符を浮かべた瞬間、突然上空から誰かが降りて来た。
素早く何かの飛び道具を投げ、突然の事に対処が遅れたゲルドの戦士を3人ほど一気に倒す。
それは、その謎めいた姿は。


「シーク……!」
「すまない、遅れてしまったようだ。ひとまず君を逃がそう」
「えっ……待って、あなたはどうするの」
「心配はいらない、君を送ればすぐに逃げる」
「送るって、どこにどうやって……」


言い終わる前にシークがハープを手に、曲を奏で始める。


「“森のメヌエット”」
「え、あ、あれ……」


その曲の旋律に従うようにカヤノの体が浮き上がり、ナビィと共に光の塊となる。
ある方向へ飛んで行くその塊を見送ってから、シークは追っ手の方に目をやった。
飛び掛かって来たスタルベビーを避けて一撃を叩き込み、戦いながら逃げる。
まずはこの追っ手達をどうにかしなければならない。


「大丈夫、僕はこんな所で死なないさ」


シークの顔には焦りも何も浮かんでいないようだった。
逃げる事を前提に考えれば、苦労する数でも相手でもない。

……が、その途中、城下町の方から妙な感覚が漂って来た。
妙と言うか……今の瘴気に満ちた城下町からは考えられない、温かく優しい感覚。


「……まさか!?」


これは予定を変更しなければならない事態。
一旦この追っ手達を撒いてから、城下町へ行かなければ。

正確には、城下町外れにある時の神殿へ。


++++++


光の塊となったカヤノが飛ばされて来た場所は、見覚えがあった。
壊してしまったレリーフの替わりの石を取りに来た場所。
最後にコキリの森へ帰った時、サリアに案内されて来た場所。
迷いの森の最深部……森の聖域。
人工的に区切られた四角い広場の中央、トライフォースが描かれた台座の中心でカヤノは人の形に戻った。


「ふう……何とかなったわね。大丈夫よカヤノ、シークなら逃げるって約束してくれたから」
「……」
「カヤノ?」


カヤノは俯き加減の姿勢のまま反応しない。
どうしたのかと回り込んで表情を見ようとした瞬間、前のめりになって倒れてしまった。
息を飲むナビィの視界に飛び込んだのは、カヤノの脇腹と肩に刺さる2本の矢。


「カヤノ……!? 矢が刺さってたなんて、どうして言わなかったの!」
「う……ごめ、なさ……早く、逃げなくちゃって、思っ……」
「しっかりして! せっかく逃げ出せたのに……こんな事って……!」


矢が蓋の代わりを果たしているのか出血は多くない。
それがナビィやシークに気付かせるのを遅らせたようだ。
何にしろ、このままではカヤノは……。


「……カヤノ、凄く痛いと思うけど、矢を抜いて」
「え……?」
「早く、手遅れになる前に!」
「どうするのナビィ……」
「いいから早く! 絶対に治してあげるから!」


正直、刺さった矢を抜くなんて怖い。
だがここには代わりに抜いてくれる誰かなど存在しないし、助かりたければ自分でやるしかない。
娘を遠くへ追いやり、ダークとナーガを見捨てて得た自由。
ここで諦める事は彼らへの冒涜に当たるような気がした。


「う……あ゙、っくぅ……!」


痛みによる生理的な涙をぼろぼろ零し、2本とも抜いてしまうカヤノ。
間髪を入れずナビィが光を撒き散らしながら、カヤノの傷口を撫でるように飛び回る。


「ナ、ナビィ? 何してるの?」
「痛み、引いてない?」
「あ……言われてみれば、痛みがどんどん弱まってる……」
「良かった、効いてる、みた……」


言い終わる前に、今度はナビィがボトリと地面に落ちた。
慌てて抱き上げた彼女は光が弱々しくなり、今にも消えてしまいそう。


「ちょ、ちょっと待ってナビィ、あなたまさか……!」
「え、へへ……妖精の力、使っちゃった」


妖精はその命を使って傷や病を癒やす事が出来る。
そして命を使った後は消滅し、また妖精珠として生まれ再び妖精になる。


「どうして!? どうしてこんな事したの!!」
「……」
「何で……嫌よナビィ、死なないでっ!!」
「……今なら、神様も許して下さるかな……。ねぇカヤノ。妖精は力を使うと、すぐ消滅しちゃうのよ」


しかしナビィは一向に消滅する気配が無い。
消えないなら助かるのだろうか?
だが弱々しくなった光も声も戻りそうには見えない。


「ワタシ、ほんとは、……妖精じゃないの」
「じゃ、じゃあ何なの、あなた……」
「……」
「あなたは妖精のナビィでしょ? そうでしょ!?」
「……カヤノ」
「え……」
「カヤノ」
「え、あ、あれ? ナビィあなた……。えっ……」


突然、彼女に対して引っ掛かりが浮かんで来た。
カヤノは知っていた。
ナビィの事を……“この女性”の事を、この世界に来る前からずっと。

気付いてしまえば、逆になぜ今まで気付かなかったのか分からない。
そうだ、“この女性”は間違い無く。


「……お母さん?」
「……」
「もしかしてお母さんなの? ううん、絶対そうでしょ! 私の、お母さん……!」


顔も無いのに、ナビィが……母がにっこり微笑んでいるのが分かった。

カヤノの先代の巫女。
同じ境遇で最大の理解者だった、そして最後にカヤノが殺めてしまった家族。


「お母さんね、後悔したの。自分が巫女の使命を受け入れられたから、カヤノもいつか、受け入れられる筈だって……決め付けてたの」


カヤノの苦しみにちゃんと向き合ってあげられなかった。
だからあんな事件を起こしてしまったのだと……ただひたすら、自分を責めたという母。
カヤノが贖罪の為に異世界へ送られたと聞いて、何とか娘を見守らせてくれと神に懇願した。
そうして与えられたのが、今の妖精ナビィとしての姿。

命を終える者を、神の決定でもないのに無理に蘇らせるには、制約が必要となるそうだ。
母に課せられた主な制約は、自分の正体を話したり悟られたりしない事。
また生まれ変わる訳でもないのに、人の魂を妖精に変えて蘇らせるのは色々と無茶が生じる。
母は、父や祖父母の魂も全て使って妖精になったという。


「お父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたに謝っていたわ。苦しみをちゃんと理解してやれず、すまなかったって……」
「そんな……お母さん達が自分を責める事なんて無い! きちんと話し合いもせずに、感情に任せて家族を殺した私が悪いの!」
「でもあなたにそうさせたのは、お母さん達でしょう」


いつか家族に抑圧されていた事を話した時、ナビィが自分の事のように憤ってくれた。
あれは本当に“自分の事”だったから。
彼女は自分に対し憤っていた。

そう言えば、ちゃんと見せた事も無いのに、カヤノが乗馬が得意だと知っていた事もあったが……当たり前だ。
彼女は、母はカヤノの乗馬を何度も見ているのだから。
思い返せば、“母の言動”だったと分かるものが沢山ある。


「ちが……違う! 悪いのは、私で……! 罪滅ぼしの為に命を使うの!? そんな事、して欲しくないっ……!」
「罪滅ぼしだなんて。お母さんは、あなたを愛してるから、助けたいの」
「でも……でもっ……」
「それに、どっちみちお母さんは……もう長くないわ」


カヤノの娘に使った、人をどこか……時代か世界か、もしくはその両方が違う遠くへ転移させる魔法。
あれを使ってしまえば、もう先は長くないという。


「そんな……!」
「元々、使う場合はあなたに使う予定だったんだもの。見守りたい対象が居なくなった後なら……良いかな、って」


カヤノを見守り、叶うなら助けたい。
その一心で記憶等を保持したまま妖精として蘇ったのだから、カヤノが居なくなれば今のまま生きる意味など無くなる。
いや、そもそも今のまま生きる事など許されない、と言った所か。
母は本来、既に死んでいる筈なのだから。

ナビィの……母の光はどんどん弱くなって行く。


「せめて……あなたが本当に幸せになる時まで、見守っていたかった」
「いや、死なないでお母さん……いやぁぁっ……!」


小さな妖精を手のひらに乗せ、泣きじゃくるカヤノ。
かつて自分が殺害した相手に対し虫のいい願いだ。
それでも母には、カヤノを恨む気持ちなど微塵も無い。


「カヤノ……。孫の顔まで見せてくれて、ありがとうね」
「あ……」
「……リンクと、みんなと、仲良く……ね」
「お、母、さ……」
「……」


何かを言おうとしているのは分かる。
けれどもう声を出す力すら残っていないようだった。
一瞬、母がグッと体を強張らせたかと思うと、最後の力を振り絞るように飛び上がる。
そしてカヤノの額に自らの体をくっつけ……。


『大好きよ、カヤノ』


音ではなく、直接脳内に響いた……ナビィではない、元の世界の母の声。
瞬間 妖精の形を保っていた彼女が無数の光の粒になってばらけ、それはカヤノの体を包み、吸い込まれるようにして消えてしまう。


「あ……あっ……」


『ワタシはナビィ。アナタの事はデクの樹サマから聞いてるわ』

『楽しかったら笑っても良いと思うわ』

『……ゴメン、もうちょっと調べてから目指すべきだったね……』

『それでもワタシはカヤノの味方だからね。罪を償わなくちゃいけないならワタシも手伝うわ!』

『リンクとカヤノはワタシが出来ないこと沢山できるじゃないの』

『愛する人や大切な人の為なら、運命ぐらい幾らでも受け入れられるわ』

『カヤノが楽しそうにしてるとワタシも嬉しいよ』

『エー? ちょっと今の、ついでっぽかったなァ』

『ホントに心配だったよぉ〜っ!』

『ワタシ自由に恋愛なんて出来なかったから。せめて話だけでもしたいの。恋が実る話はもっと聞きたい』

『頑張ったわねみんな! きっとゼルダ姫もお喜びになるわ!』

『分かったわ、ワタシも一緒に居るからね』

『ルト姫もそう思います!? 寂しさを押し殺しながらリンクを待つカヤノがもう可愛くて!』

『すごいすごい! カヤノ、もうだいぶ立派な魔道士ね!』

『そんな……イヤよカヤノ! ワタシ、あなたから離れたくない!』

『ふふ、とっても可愛い子ね。カヤノに似てるわ』


ナビィとの、知らずに過ごしていた母との思い出が走馬燈のように蘇る。
娘に殺害されたというのに、その娘を心配してずっと側に居てくれた。
優しく見守っていてくれた。


「……いや、いや……お母さん……いやぁっ……いやあぁぁぁぁっ!!」


泣こうが喚こうが、もう母は戻らない。
かつて自分がそうしてしまったように。

カヤノは暫くの間、台座に突っ伏し泣きじゃくっていた。
どれくらいそうしていただろうか、ふと感じた人の気配から間もなく、そっと頭に誰かの手が添えられる。
そちらを見れば、シークが隣にしゃがみ込み、優しく頭を撫でてくれていた。


「シーク……」
「カヤノ、どうして君の中にあの妖精の力があるんだ?」
「え……?」
「もしや彼女は、自身の命と力を全て君に……?」
「どういう事?」
「今の君なら自分で分かる筈だ。意識してごらん」


疑問符を浮かべながら起き上がり、考えてみる。
すると途端に体中を駆け巡る、“初めてなのに理解できる”もの。
ナビィが使っていた魔物の情報を得る能力、そして何より……。

カヤノは高威力の魔法を放つ時と同じように魔力を捧げ、意識を集中させる。
すると体が淡く光って小さくなり、ナビィと全く同じ姿になってしまった。
予想して行った事ではあるが、本当に妖精になってしまい半ば呆然としているカヤノに、シークが優しい口調で。


「彼女は、君に託したんだね。命と、魂と、力を。少しでも君の役に立とうと」


死しても尚、力となり守ろうとしてくれる母。
妖精の姿の為に涙は流れないが、一旦 泣き止んだものがまた溢れて来た。


「……お母さん……お母さんっ……!」
「……何か複雑な事情があるようだ。僕には分からないけど、君が受け取りたいように受け取るといい」


その力も、その想いも。

暫く体を震わせていたカヤノだったが、ふとシークが口を開く。


「カヤノ、悲しまないでくれ。君が悲しみに満ちているのを見るのは辛い」
「……」
「朗報があるんだ。コキリ族の集落に行ってみるといい」
「どうして?」
「君が待ち望んだ彼が目覚めている。そろそろやって来るよ」
「えっ……!?」


それは誰、なんて訊くまでもない。
慌てて飛び去ろうとして、すぐ思い直しシークの側までやって来る。


「助けてくれてありがとう、シーク。また会いましょう」
「ああ。必ずね」


言い合い、今度こそ飛び去る。
深い迷いの森を抜け、コキリ族の集落へ。
集落は何故か静まり返っており、漂う空気が妙に淀んでいる。
状況を確認しようとしたカヤノだったが、その前に平原へ向かう出口から、待ちに待った彼が入って来た。

背が伸び、精悍な顔つきになった彼はすっかり大人の姿。
たまらず最高速で飛んで近付き、彼がこちらに気付いた瞬間、妖精から人の姿に戻った。


「リンクッ!!」
「え……カヤノ? もしかして、カヤノなのか!?」


カヤノは泣きそうな顔でリンクの胸に飛び込む。
予想外の行動に少しだけよろけそうになったリンクだが、逞しくなった足腰も腕もしっかりとカヤノを支え、抱き止めた。

本当に大きくなった。
抱き止められたカヤノの頭が、リンクの肩程にしか届いていない。
青年に相応しい逞しさを備えた体も、しっかりとカヤノを包んでいる。


「会いた、かった……会いたかったよ、リンク……!」
「オレも。会いたかったよ、カヤノ……」


ぎゅっと、少し息苦しさを感じるくらい抱き締められる。
それすら心地良くて、カヤノは泣き笑いのような表情に。

二人は暫くそのまま、お互いを感じ合っていた。





−続く−



- ナノ -