時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

プロローグ 贖罪の旅へ


Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.

ドゥークント・ウォレンテム・ファータ・ノーレンテム・トラフント

運命は望む者を導き、欲しない者を引きずる。

前向きに受け止める者にとって運命は順風を送るように感じられるが、拒否したり否定的に捉える者にとって運命は嫌がる自分を無理やりに引きずって行くように感じられる。

運命が決まっているのかいないのか、それは誰にも分からないが、少なくとも生まれた場所の環境によってある程度左右されてしまうのは間違いない。
地球、日本。
カヤノは1500年ほど続く巫女の家系に生を受けた。
彼らは己の一族が祀る神に従属し、不思議な力で人々を救い、科学が発達した時代になっても神の使いだと言われ囃される一族。
だが次代の巫女としての期待を一身に背負わされたカヤノは、次第にその重圧に苦しみ始める事となる。


「カヤノさんは、お家の方から行事には出さないよう申請があったから……」


学校に通っても行事には全く参加させて貰えない。
普通なら有り得ない事だろうが、“宗教上の理由”を言われると学校は弱い。


「カヤノちゃん、今度の休み一緒に……」
「ちょ、ちょっと! 彼女は誘っちゃ駄目だって……!」
「あ、そ、そうか……ごめんね、また学校でね」


俗世に染まってはいけないと、まともな友人付き合いも禁止。
学校と家の行き来は完全な送り迎えで、他の場所へは許可を貰い、父親が選んだ付き添いが居なければ行ってはいけない。
もしカヤノが勝手に誰かと出かければ相手が責任を問われるだろう。
それ故、カヤノを誘えない友人達を責める事は出来ない。
当然ながら恋愛も禁止。
学校は女子校で男子との出会いは無かったが、それでもそんな条件に年頃のカヤノは反発したかった。


「お母さん、私……友達と一緒に遊びたい。買い物に行ってお洒落して、普通の女の子になりたい」
「カヤノ……ごめんね、不自由な事ばかりで。だけどわたし達の力は他の誰も持っていない力。この国には必要なの。あなたも後を継いで巫女となり、人々を救えるようになれば分かるわ」
「どうして私達なの、他の人じゃ駄目なの?」
「遙か昔から定められた運命だからよ。どうか今は耐えて。お母さんも昔はカヤノみたいに嫌な気持ちだったけれど……今は考えが変わったわ。こうして人々を救うのは神に課せられた使命、運命。そして大切な事なんだって」
「……」


小さな頃から幾度も母に愚痴を言い、そして返って来る言葉は毎回同じような内容。
それが自分達の神に与えられた運命だから、そういう風に生まれついた定めだから。
母は人々を救う行いに価値を見出し己の生き方だと受け入れてしまっているが、まだまだ子供であるカヤノにそれは難しかった。

管理され、抑圧された生活。
テレビや本だって選ばれたもの以外は表立って目に出来ないし、電話すら使った事が無いなんて、本当に現代日本では考えられない。
送迎車の窓から、楽しそうに友達と下校するクラスメートや自由に遊び回る街の若者達を見ては羨望に駆られる日々。
学校に行って人付き合い自体はしている上、親の目が届かない図書室で色々な本を読んだりしているうちに“外の世界”の知識がそこそこ付く為、不満は増えるばかり。
己の生まれを呪い、不満を募らせ自由を渇望する日々が続き、膨らみ切ったそれはある日、父親の言葉でついに爆発してしまう。


「お父さん、もうこんな生活 嫌よ! 私は自由が欲しいの、巫女になんか絶対ならない!」


耐えられなくなった不満を父へぶつけたカヤノ。
父は一瞬驚いたように目を見開くが、すぐ顔を憤怒に染め、カヤノの頬を力任せに引っぱたいた。
衝撃に倒れ、口の中が切れて血を滲ませる彼女に構わず、父は怒鳴り付けて来る。


「お前は、先人が巫女として多数の命や心を救って来た事を何だと思っている。特にこの国の災害の多さは分かるだろう。追い付かずに失われる命も少なくないが、だからと言って救える命まで見捨てる気か!? 例え少数しか救えなかったとしても、その命が、人生が、どれだけ尊いか、お前には分からないのか! 運命を受け入れろ、遥か昔から続く巫女の伝統を受け継ぎ、その道に従って人を救うんだ!」


カヤノが後を継がないという事は、1500年以上も続く伝統を自分の手で断ち切ってしまうという事。
それに受け継いだ一人の巫女しか使えない、女神の力を借りて自然災害を軽減する能力が振るえなくなると、ひとたび大災害が起きれば尋常ではない人の命が失われるようになってしまう。それが恐ろしい事だとはカヤノも分かっていた。
しかし幼い頃からの母の言葉で、運命というものや自分達の義務に疑問を持っていたカヤノは納得が出来ない。


「どうして……どうして私なの、どうして!」


自分の生まれを呪い、神を呪い、神の巫女としての道を選んだ先人を呪い、そして自分を産み落とし育んだ家族を呪った。
もはやカヤノの中には理不尽な運命と、それを受け入れる家族に対する憎しみしか存在しない。

……それは実に幼稚な犯行で、反抗だった。
家族が油断する祭り。
その時期に倉から出される真剣の日本刀を持ち出したカヤノは、それを豪奢な着物の下に忍ばせる。

体が弱って半分寝たきりだった祖母、祭りを楽しみにして神輿の準備に余念の無かった祖父、賄いの婦人達と一緒に料理の準備をしていた母、そして、この祭りで巫女として完全に後を継ぐカヤノの段取りを考えていた父。


「カヤノ、やめなさい!」


母の悲痛な叫び声が響く。
神社の聖堂前、集まっていた家族達をカヤノは次々と斬り殺して行く。
こうした後にどうするかなんて全く考えていない。
一番厄介な父は油断している隙に不意打ちし、真っ先に殺した。
次に祖父、そして祖母。
最後に残った母親は座り込んで震えながら……しかし、命乞いはしない。


「ああ、なんて事をしたの……!」
「……私には理解できないし、無理よ。お母さんみたいな生き方は」
「カヤノ……あなたが使命を受け入れられなかったのは、そう育てる事の出来なかったわたし達の落ち度ね」
「無理。無理よ、無理なのよ、もう何もかも嫌なの!」
「……ごめんなさい。いいわ。それであなたが救われるのなら。ただ一つだけお母さんと約束してくれない?」
「……」
「わたし達を殺した後はちゃんと罪を償って、その後は幸せになって。いつか分かってくれると思っていたけど……。巫女になるのが本当にあなたの不幸なら、お母さんは……」


聞きたくなかった。
カヤノと同じ境遇であり最大の理解者だった母。
そんな彼女の言葉をこれ以上聞けば心が揺らいでしまうと思ったカヤノは、半ば自棄になったように日本刀を振り上げる。
母はそれを見上げ、観念したように脱力し……それでも優しい笑顔を向けて。


「愛してるわ、カヤノ。いつか必ず幸せになってね」


++++++


もはやそこに、カヤノ以外の生物は存在していなかった。
血塗れの肉塊となったものが4つ、転がっているだけ。


「……あ、あ……」


言葉が上手く出せない。
こうした事に後悔など感じていないが、逆に達成感や爽快感も無い。
ただ心臓がうるさい程に鳴って、立ち眩みのように頭がぼやける。


「……ああぁぁあぁあぁぁあああぁっ!!」


いっそ、痛覚など無く罪も悪も分からない狂人になりたい。
しかし狂ったように大声を上げても、カヤノの心がそれを忘れる事は無かった。
この陰鬱な気分を一刻も早く消し去りたいのに、漂う不快な血の臭いも、肉を切り裂き生命を奪った時の感触も、自らの手で殺めた家族達も消え去る事は無かった。


「なん、で……! なんでよ、どうしてよっ!!」


自らが行った事。しかし、それでも理不尽を感じずにはいられない。
これはカヤノが望んだ事であり、望まなかった事。
一頻り荒れた後、カヤノは立ち上がりそのまま立ち尽くした。
もう何も考えられない、このまま全てを放棄してしまいたい。

そんな彼女の眼前、聖堂への扉がひとりでに開いて眩い光が放たれ、カヤノは思わず目を瞑り腕で目元を覆った。
やがて光が少し収まり、そちらへ視線を向けると……見知らぬ美女の姿。
神秘的な佇まいに美しいながらも畏怖を感じる顔。
彼女はカヤノの側までやって来ると、重々しく口を開く。


「なぜ、このような恐ろしい事をしたのです」
「だって、私……我慢できなかったのよ!」
「嫌だった、我慢できなかった。カヤノ、あなたはただそれだけの理由で、わたくしの従者をその手に掛けたのですか」
「嫌なの、もう嫌なの! 神様なんて大っ嫌い。神様を信じる人も大っ嫌い! そんな人居なくなってしまえばいい!」


カヤノの悲痛な叫び声を、女性はただ真顔で見つめている。
沈黙が訪れ、少し落ち着いたカヤノは一つの疑問を浮かべた。
彼女は一体、何者なのか?
この辺りは一般人の立ち入りが禁じられている上、彼女が出て来た聖堂は一族の者さえ滅多な事では入れない。
雰囲気も佇まいも明らかにただ者ではないし、極め付けは“わたくしの従者”……?


「……あ、なた、は、……まさか」
「カヤノ、罪は償わなければなりません。そうですね?」


気付いてしまった。彼女が何者なのか。
圧倒され碌な返事も出来ないカヤノに構わず、女性は更に近付くとカヤノの頭に手を翳す。
その瞬間、カヤノはまるで眠るように意識を失ってしまう。

そして気付くと、不思議な空間に居た。
カヤノはふわふわ浮いているが周りには何もない。
やがて目の前に巨大な光の珠が現れる。
それは中に何かが居る訳ではなく、本当に光の塊。


「な、なに……」
「お前はカヤノだな? これから身柄を預かる」
「……!?」
「混乱しておるな、無理もない。……我はお前の一族が仕えていた女神と知り合いでな。“神”とでも名乗らせて貰うか。ただお前の世界の神ではない。我はまた別の世界、勇者と姫と魔王の因縁が宿業のように廻り続ける世界の神だ」


そんなまるでおとぎ話のような世界、と否定的な気持ちになったが、カヤノ達一族が持つ特別な力をそう評する人も居た。
特に一族の中でも一番の大仕事である、女神への祈りと祭事で自然災害を軽減する力は馬鹿にされる事もある。
しかし一族の力は本物。ならば非現実的だからと頭から否定できない。
何よりカヤノは既に出会ってしまった。一族が信仰していた女神に。
そうして神と直接通じた今となっては、この巨大な光の球から畏怖を感じる事に気付ける。

……冗談でも嘘でもないのだ。
カヤノの心がすんなりと理解する。


「お前はその世界で罰を受けねばならん。神から与えられた運命を嫌い呪ったお前には、【神から与えられる運命を受け入れ続ける】という罰がお誂え向きだな」
「……」
「決して逃げるな。辛い事があっても、苦しい事があっても。それがお前が受けるべき罰、償うべき罪。ちょうど我の世界でも心配事が出来たからな、手伝わせるのに良い」


神は基本的に下界の者や出来事に手を貸す事は出来ない。
(ここで言う“下界”とは物理的な意味でなく概念的な意味である)
カヤノの一族が女神の力を借りられたのは、その特別な力を神に捧げ従事していたから。
当然、何でも叶えて貰える訳ではないので、普段は自分達の力のみで何とかせねばならない。

ああ、これは観念するしかないと、カヤノは息を吐く。
どうせ逆らえないだろう。
頭では拒否しようとしているものの、体が萎縮して全く動かない。
神の光が強くなり、強烈な輝きによってカヤノの体まで白く染めて行く。
カヤノはそのまま再び意識を失ってしまうのだった。


++++++


「……娘、娘や」
「……う?」
「起きられるか? 目は見えているか」
「ん……?」


低い優しい声が響き、カヤノは目を覚ました。
何だか長い間眠っていた気がする。それこそ10年も20年も。
眠そうに目を擦るカヤノは、自分が森の中に倒れている事に気付いた。
美しい幻想的な光が舞う不思議な森。
目を擦りながら体を起こし、己を呼んでいた声の元を探すと……。


「え、えっ……?」
「うむ、無事のようだな」


巨大な、本当に巨大な木がそこにあった。
表面には顔が浮かび、そこから声が聞こえて来る。


「木が、喋って……る?」
「驚かせてしもうたか。ワシはデクの樹。このコキリの森を守護しておる」
「……精霊、か、何かですか?」
「そのようなものじゃ」


精霊なら元の世界でも存在を感知した事がある。
もはやこういった非現実的なものを否定する段階は過ぎていた。
どうせカヤノ一族の力も、他人に言わせれば“非現実”なのだから。

森の守護精霊の前でいつまでも座り込むのもどうかと思ったので、怠い体を騙し騙し立ち上がるカヤノ。
しかしその瞬間、己の異変に気付いた。


「あ、あれ? なんだか体が変……さっきまでと違う」
「違う? ふむ、特に怪我などは無し、歳の頃は12といった所に見えるが」
「12……!? 私、18歳なのですが……」
「ワシには生物が生きた時間が見えるのだ。恐らく神は何か考えがあって、お前の年齢を戻されたのだろう」


後で鏡か水面にでも姿を映してみなさい、と言われ、恐らく冗談でも何でもないのだと悟ってしまった。
一体、神は何を考えてカヤノの年齢を戻したのか。
今は何も分からない。


「カヤノ、といったか。神より話は聞いているぞ。お前にはこれから時が来るまで、このコキリの森で過ごして貰う」
「……拒否権は無いんですよね」
「可哀想じゃがな。しかしあまり悲観し過ぎるでない。お前の協力がいずれは、このハイラルを救う事になるのだから」
「ハイラル?」
「この国の名だ。かつてこの地が……」
「デクの樹サマー!」


デクの樹が喋りかけた瞬間、背後から軽やかな声。
振り返ると緑色のふわふわした髪を揺らし、女の子が走って来た。
長い耳、髪と同じような緑色の、ノームのような服装。
そして小さな光の珠に昆虫のもののような羽が生えた何かを連れている。
少女はカヤノに気付くと、不思議そうに首を傾げた。


「あれ……? アナタ、だれ?」
「おお、ちょうど良い所に来た。彼女は新しい仲間なのだが家の空きが無くてな。お前の家に住まわせてくれんだろうか」
「え、新しい友達なの!? やったぁヨロシクね! あたしサリアっていうんだけど、アナタは?」
「わ、私は、カヤノです……」
「カヤノね! そんな緊張しないで、普通に喋っていいんだから!」


明るくはしゃぐ少女……サリアに圧倒されて、碌な返事が出来ない。
ふとカヤノは、家族を殺めてしまった自分にも、こんなに明るく無邪気だった頃があった事を思い出す。
もうあの頃に戻る事は出来ない筈だが、年齢が戻っている今、もう一度築き上げる事が出来るだろうか?
しかしカヤノは罰を受ける為にこの世界へ来ている。
そんな気楽な事は許されないだろうと思い、少々上がりかけていた気分が一気に沈んで行った。

サリアはカヤノの手を取ると、あたしの家はこっちよ! とお構い無しに手を引っ張り走り出す。
慌ててよろけながら付いて行くカヤノ。

彼女の向かう先に、一体何が待ち受けているのか……。
まだ誰も、知る由は無かった。



−続く−



- ナノ -