時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第15話 堕ちる


ダークと合流し行動を共にするようになってから更に1年以上。
17歳になったカヤノは、もはやすっかり元の世界での容姿を取り戻していた。


「綺麗だな、カヤノ」
「あ、ありが、とう、ダーク」
「前から可愛らしいとも綺麗だとも思っていたが、最近はまた一段と美しくなった」
「う……うぅっ……」


無表情で淡々と、しかし熱烈な言葉を吐くダークに、カヤノは照れて焦って心が大荒れだ。
恋愛話が好きなナビィはそんなカヤノ達を見て楽しそうにしているし、ナーガは純粋な疑問顔で首を傾げるだけ。

またカカリコ村やロンロン牧場、ゾーラの里などを転々としていたカヤノ達。
カヤノの魔法の腕も上がったしダークも居る事だし、思い切って時の神殿に行ってみようかと話が纏まって来た。
今日明日に行く訳ではないが、近いうちに行く事になりそうだ。

……と、思っていたら。
平原を歩いている最中に、3年振りの再会が待っていた。


「あ、あなたはシーク!」
「カヤノ達か」


コキリの森に別れを告げたその日に出会ったシーカー族の少年シーク。
あれから幾らか成長しているが、ダークよりそれなりに華奢な体つきなので年下かもしれない。
ミステリアスで掴み所の無い雰囲気が大人っぽくはあるが。


「久し振りね、今までどこに?」
「各地を転々としていただけさ。勇者の目覚めはまだ先のようだ」
「! 分かるの?」
「ああ。少なくとも年内は無いだろう」
「……そう」


無条件に信じてしまったが、インパと同じシーカー族だし、何よりカヤノは何故か彼を疑いたくなかった。
リンクの復活はまだ……一体いつまで待てば良いのだろうと気が滅入るが、いつの間にか足下に来ていたナーガがカヤノを見上げて鳴き声を上げる。


「きゅう」
「ナーガ……」
「かやの、げんき、だして。ぼくたちが、いる」


片言ながらも、この数年で驚くほど喋れるようになったナーガ。
しかもこうして落ち込んだカヤノを慰める事までしてくれるようになっている。
体の成長は無くても心の方は確実に成長しているよう。
カヤノはナーガに手を伸ばすと優しく抱き上げた。


「ありがとうナーガ。そうね、私にはこんなに頼もしい仲間が居る」
「りんく、かえってくる。ぜったい」
「うん……信じる。信じて待とうね」


こんなに成長したナーガを見ればきっとリンクも驚くだろう。
その時まできっと、何がなんでも生き延びる。


「リンクを待たなくちゃ。私、リンクに会いたい。リンクを信じてる」


心からの決意を口にするカヤノに、ダークは彼女を見る。
相変わらずの無表情なので何を考えているかは分からないが、今までの無表情とは違い、どことなく視線が冷たく感じるような気がする。


「ダーク?」
「今、リンクが戻らなければ良いのにと思った」
「え……」
「お前が一番心を砕くのはあいつに対してだ。それが悔しい」
「……」
「それにあいつが戻ればまた俺はお前から離れなければならない。……どうして俺が。俺だってお前と共に居たいのに」


そう言って視線を逸らしてしまったダーク。
これは、とカヤノは思う。
その言動の源が自分への恋心なのであまり客観的に見られないが、もしかしてダークはかつての自分のような思考になっているのではないかと考える。
課せられた運命を嫌い呪うような、そんな思考に。


「……ダーク」


堪らなくなって名を呼ぶと、ちらりと視線を向けて来るがすぐに逸らしてしまう。
ぴり、と空気が肌を突くような気がして身震いが出た。
そんなカヤノの肩を優しく叩いたのはシーク。


「どうにも複雑な立場のようだな」
「ええ……ダークはハイラルの為にその存在があって……。だけど……」
「彼だけでなく、君もだカヤノ」
「私?」
「そうだろう。勇者は今、眠りについているが……。待っているのは君だけではない。きっと勇者の方も君に会いたがっている筈だ」
「……」
「心の整理が付いていないなら今はそれで構わないと思う」
「いい、のかな……」
「時は全てを導く。始まりへ、終わりへ、友情へ、恋へ……。君の心も導いてくれるだろう」


目元以外、顔の殆どをターバンで覆い尽くしてしまっているのに、その声音と細められた目元で優しく微笑んでくれているのが目に浮かぶ。
心がホッと落ち着くのを感じたカヤノも穏やかな微笑を返した。
と、そこへナビィが。


「カヤノったらモテモテよね〜、鼻が高いわっ!」
「ナビィ……どうしてあなたが自慢気なの」
「う〜ん? だって今ワタシカヤノの保護者だもの、当然でしょ!」
「ほ、保護者……」


色々と言いたい事はあるのだが、彼女に助けられているのは事実なので何も口に出さない。
物理的にも精神的にもナビィはずっとカヤノを助けてくれていた。
和やかな雰囲気になったがそれも長くは続かず、シークが口を開く。


「カヤノ。勇者の目覚めよりも前に、ガノンドロフが戻って来るかもしれない」
「えっ……!」
「確証は無いが気を付けてくれ。ボクも傍に居られれば良いんだが、こっちはこっちでガノンドロフに会う訳にはいかないんだ」
「そうか、シーカー族はハイラル王家に仕えているものね」


もし捕まれば只では済まないだろう。
たいした効果は無いかもしれないが、戦力分散の為には別行動の方が良いかもしれない。
それにどうやらシークにもやるべき事があるようで。


「そのやるべき事、というのは……」
「すまない。まだ今は教える訳にいかないんだ」
「そう……」
「だけどボクはいつでも君の味方だ。それは忘れないで欲しい」
「ありがとう、シーク」


穏やかに微笑を返すと彼もまた目元が微笑みを作った。
素顔を見た事は無いのにやはり何故か笑顔が想像できる。
そろそろ行くよ、と立ち去りかけたシークに、カヤノは思い出したように一つ訊ねてみた。


「待ってシーク。あなた、ゼルダ姫の行方を知ってる?」
「……ゼルダ姫?」
「インパさんに訊いても教えてくれないの。無事では居ると言っていたけど」


その質問にシークは考える素振りすら見せず、ただカヤノを見つめる。
何かマズい質問になってしまっただろうかとカヤノは心中で焦るが、何でも無い調子でシークは口を開いた。


「分からない。ガノンドロフが居ない以上、きっと無事ではいるのだろう」
「でもそれだとガノンドロフが戻って来た時に危ないんじゃ……」
「カヤノ、君は自分の身を守る事に専念してくれ。ゼルダ姫の事はボク達シーカー族が何とかするから」
「……そう、分かった。姫の事をお願いね」


確かに人の心配をする前に自分の身を守った方が良い。
改めて立ち去るシークを見送り、その背中を見ながらナビィがぽつりと。


「ねえカヤノ。ワタシ、本当にアナタが危ない時はアナタを逃がすわ」
「え?」
「たった一度だけ……どこの世界、どんな時代に行くか分からないけど、存在そのものを移動させる事が出来るの。デクの樹サマから授かった力の一つよ」
「一度だけ、って、帰って来られないって事?」
「そうなるわね。だからギリギリ、本当に危なくなった時に使うわ」


帰って来られないのであれば、ハイラルを救う使命のあるリンクには使えないだろう。
デクの樹、延いては神から授かった力なのだろうか。
けれど……ナビィの言葉は嬉しいけれど。


「私、リンクを待ちたい」
「死んじゃったら元も子も無いでしょ」
「ええ、ナビィの申し出は嬉しい。だから本当に……本当の本当に危なくなってからで良いから」
「うん。まぁそんな日、ワタシは一生来てほしくないけどネ」


冗談めかして明るく言うナビィに救われる。
そんな日が来ないとも限らない世界で、そんな日が来ないとも限らない生活をしているだけに。

ちらとダークに視線を送ると、睨み付けるような視線でカヤノを見ていた。
もしかして怒っているのかと怖々な気分になるが、ダークの視線はよく見るとナビィに向いており、そのまま彼女に話し掛ける。


「それは移動させられるのは一人だけなのか」
「え?」
「可能なら、カヤノをどこかへ移動させる時は俺も一緒にしろ。ハイラルでない場所ならカヤノとずっと一緒に居られるかもしれない」


ハイラルの為に生まれハイラルの為に存在しているダーク。
そんな彼が愛する者と幸せになるには、ハイラルに居ては駄目だという皮肉。
ハイラルの幸福が守られる時、彼の幸福は捨て置かれる。
ナビィはそんな彼の心情が分かるだけに答えるのも辛そうだ。


「ごめんなさい。移動させられるのは一人だけなの」
「……そうか」


普段通りの調子で淡々と答えるダーク。
だが言葉の前に空いた間が彼の落胆を表しているようで。

カヤノはこの事に関して安易にダークを慰められない。
何よりも自分が渦中で彼の思考の中心に居るのだから、自分の気持ちに整理が付いていない状態では何を言っても無意味。
人の事を気にする前に自分を何とかしなければならない。

そんな事を考えながらダークを見ていると、ふと彼と目が合った。
その瞬間……確かにカヤノは見た。
今まで頑なに無表情を貫いていた彼が、薄く微笑むのを。


「ダーク……」
「お前は優しいなカヤノ。俺の為にそんな悲しそうな顔をしてくれるのか」
「え、あ……そんな顔してた?」
「無意識か。しかしだからこそ本心だろう。その間お前の思考には、リンクではなく俺のみが居るのだろうな」


リンク、と口にした辺りから薄い微笑みを消し、無表情に戻るダーク。
無表情なのに、どこか怒気を孕んでいるような気がする。


「カヤノ。お前はこの国を愛しているのか」
「……ええ」


それは間違いない。
贖罪の為に送られた世界だけれど、この数年で様々な人に触れ、カヤノはハイラルを愛するようになっていた。
真っ直ぐに答えたカヤノを見たダークは視線を下げて逸らす。
少し見難いが、その顔に浮かぶのは自嘲するような笑み。
これも初めて見る表情だった。


「……俺には無理そうだ」


カヤノはダークの声音に確かな感情が宿っているのを感じた。
これまで、どんな時でも抑揚の少ない淡々とした喋り方だったのに。
先程からダークは初めてのものばかりを見せて来る。

一体これはどういう変化なのか。
良い変化なら構わないが、彼がかつての自分のような、運命を嫌い呪う思考になっているのではと危惧するカヤノは、ダークに確かな感情が宿った事を素直に喜べない。
感情とはプラスのものばかりではない。
恨みや憎しみだって感情には間違い無いのだから。


「あの、ダーク」
「かやの、つぎはどこにいくの」


ダークに掛けようとした声はナーガの質問に中断される。
時の神殿に行ってみようかと話が纏まりかけていたが、シークの言葉を信じるのであれば神殿に行っても無意味だし、それどころか聖地から戻って来るガノンドロフと鉢合わせる可能性もある。


「どうしようかしら。もうコキリの森には戻れないし……」
「ここからそう遠くないし、またロンロン牧場にお世話になる?」
「それが良いかもしれないわね」


ナビィの提案に頷き、ダークも異論を挟まないのでロンロン牧場へ向かう。
この数年で何度もお世話になっている牧場だが、次は妖精クンも一緒に、とマロンに言われ続けている言葉を叶えられていない。
だからと言ってマロンがカヤノ達を邪険に扱う事は一切無いし、そもそもリンクが居ないのはカヤノ達のせいではない。
それでも気まずさや申し訳なさ、後ろめたさはあった。

その名の割に丘も多いハイラル平原を牧場目指して歩く。
暫く進み、ここを乗り越えれば牧場が見える丘を進み、見晴らしの良い所まで来て……。
その瞬間カヤノ達の視界に何かが入る。
だいぶ遠くに牧場が見えているが、その手前、遠くてよく分からないが複数の何かが……。


「こっちに来る……? あ、あれってまさか……!」


速い。馬だ。
しかし牧場の馬でないのは確か。
何故ならその背に乗っていたのはゲルド族の女戦士達だったから。
逃げようにもこんな開けた場所で馬が相手では勝ち目も無い。
あっと言う間に取り囲まれ、ダークが剣を構えると同時にカヤノも魔力を溜める。

が、一番に聞こえたのはカラッとした明るい声。


「お嬢ちゃん達じゃないか……!?」
「え?」


その方を見れば、数年前にカヤノがゲルド族に攫われた際、リンク達と協力して助け出してくれた義賊ナボールが馬上から見下ろしていた。


「ナボールさん! そうです、カヤノです!」
「覚えててくれたんだね。もう一人の王子様が見当たらないようだけど……」


王子様? と考えるが、ナボールが知るこの面子で“見当たらない”となれば、それはリンクの事だろうとすぐに予想がつく。
言い淀んだカヤノ達に、あまり良い事情で無い事はすぐに察したのだろう。
ナボールは少し悲しそうに顔を歪めた後、明るい笑顔を浮かべた。


「こっちはこの数年で反ガノンドロフ派が増えてね。空気が濁って魔物が増えた事に危機感を覚えた奴も結構居るみたいなんだ」
「そうだったんですか」


それで、数年前は一人だったナボールに複数の味方が居る訳だ。
ガノンドロフが聖地へ行って不在なのも離反を促した要因だろう。
彼が居たら恐ろしくて裏切れなかった者も多い筈。
カヤノの方も、各地を転々としながら生活していると現状を話す。


「そうだったのかい、無事で何よりだ。まあ積もる話もあるだろうし、一緒に私達のアジトへ来ないか?」
「良いんですか?」
「同じガノンドロフに対抗する者のよしみだよ。それに一方的な保護じゃない。私達と協力しないか」


その申し出は願ったり叶ったり。
何にせよカヤノ達はガノンドロフと対抗している訳だし、同じ事をするなら味方は少ないより多い方が良いに決まっている。
満場一致で決まり、予定を変更して反ガノンドロフ派のアジトへ向かう事になった。



ナボール達のアジトは、以前にカヤノが囚われた砦と似た、まだ砂漠ではないが乾燥して荒れ果てた荒野のような場所にあった。
あの砦に比べると質素で周囲を取り囲む岩場に埋もれてしまいそうだが、身を隠すにはこれぐらいの方が良いのだろう。
視界が開けていたあの砦とは違い、人目を避けるようにして建っていた。


「ガノンドロフから隠れて、それなりの人数を組織するには好都合ですね」
「でも攻め難い場所は守り難くもある。展望が利かない場所は見付かり難い反面、見張りも困難だからね。かなり気を利かせて警戒しないと駄目なのさ」


確かに、このように岩場に隠れるようにして建っているのであれば、逆に敵が岩場を盾にして近付く事も可能だという事。
それを示すかのように、あちこちをゲルドの女戦士達が巡回していた。
以前 囚われたあの砦より厳重そうだ。
ただ広さ的にはこちらの方が狭いので、以前あの砦に居た者の話では、負担はそこまで変わらないらしい。

カヤノ達は広間に通され、そこで今後を話し合う事になった。
屈強なゲルドの女戦士達が味方になってくれるなんて心強いが、一人の戦士が怪訝そうな顔で口を開く。


「ナボールの姐御、本当にこのお嬢ちゃん達を引き入れるんですか? 私は反対です。役に立つかどうかも分かりゃしない」
「何を言うんだい、こんな時に」
「他にも不満に思っている者なら居る筈です」


その言葉に、数人の戦士が頷くのが分かった。
確かにカヤノ達は十代後半、年も経験も浅い。
屈強な戦士達から見れば仲間として役に立つのか疑問だろうし、一方的に守られるだけでは足手纏いになりかねない。
その言い分も分かるだけに、ナボールは一言で部下を黙らせられない。
困ったね、と言いたげな顔で頭を掻くナボールに、ならば手合わせでもして実力を見せるしか無いかとカヤノ達は思うが。

ダークやナーガは力を示せるかもしれない。
ナビィは妖精なので免除して貰えるだろう。
しかし自分はどうだろうかとカヤノは考える。
魔法の実力はだいぶ付いたが、だからこそ手合わせとなると不安だ。
対人戦で相手を傷付けない戦い方が出来ない。

しかし、解決策は向こうから提示してくれた。


「なあカヤノ。誰か乗馬や弓矢が出来る奴は居るかい?」
「え?」
「アタイ達ゲルド族では、乗馬や弓の腕が立つ者が認められるのさ。片方でも良いけど両方出来るなら尚いい」


それを聞いたナビィが嬉しそうにカヤノの頭上を飛び回る。


「それなら好都合じゃない! カヤノは乗馬も弓矢も大得意なんだから!」
「ええ。両方とも……。……え? ナビィ、あの、私……」
「へえ、カヤノあんた両方出来るのか。流鏑馬は知ってる?」
「え、あ、はい。出来ます」


走る馬上から、弓矢を用いて的を射貫く流鏑馬。
元の世界に居た時、祭事で何度もやった事がある。
少し離れた所に練習場があるのでそこでやろうという事になり、カヤノ達はナボール達に連れられて向かうが。
今、カヤノの心に巡るのは一つの疑問。

『カヤノは乗馬も弓矢も大得意なんだから!』

ナビィは先程、ナボールの言葉にそう答えていたが。


「(私、ナビィの見てる前で乗馬した事あったかな?)」


唯一あるとしたら、ガノンドロフがクーデターを起こしたあの日。
リンクを時の神殿へ行かせ自らは囮となってガノンドロフから逃げた時だろうか。
しかしナビィはリンクに付いて行ったので走り出した所ぐらいしか見ていないだろうし、あれだけで“乗馬が大得意”なんて判断は出来ない筈だ。
“乗馬経験がある”だけならともかく。

なのにあの言い方。
大得意なんだから! なんて、確実に知っている言い方だ。
“カヤノの乗馬をじっくり見た事がある”と言える程の確信をナビィは持っていた。
弓矢の腕に関しては数年前、城を抜け出したゼルダと遊んだ時に的当て屋で見せたが、乗馬の腕に関しては話をした事すら無いのに。

疑問には思うが、どうにも訊ねられない。
大した事ではないから訊けば良いのにと自分でも思うが、何故かこんな事で、気心が知れている筈のナビィに何も言えなくなる。

……そう言えば、迷いの森で初めてナビィに会った際、彼女はカヤノの事をデクの樹から聞いていると言っていた。
元の世界でカヤノがどんな生活をしていたかも聞いているのかもしれない。

きっとそうだ、そうに違いない。
そう思うのに何故か、カヤノの心は落ち着かない。
落ち着かない理由すら分からなかった。


++++++


流鏑馬で十分過ぎる程の腕前を披露したカヤノは、ゲルド族に認められ彼女達と共に生活している。
女性だらけの中でナーガはともかくダークは気まずいのでは、とほんの少し思ったカヤノだが、予想通りと言うか、全く気にしていない様子。
その端麗な容姿に“そういう目的”で声を掛けるゲルド族が居るものの、微塵も意に介する事なく淡々と拒否していた。
手合わせの申し込みの方には、一も二もなく応じていたが。

……ちなみにカヤノの方にも“そういう目的”で声を掛ける者が複数居た。
言うまでもないがゲルド族は全員女性である。
今も一人の女戦士に呼び止められており……。


「あら、あなた少しお肌が荒れてるんじゃない?」
「え……あ、荒れてます?」
「この辺り乾燥してるもの、無理もないわ」
「それにしてはお姉さん達、大丈夫そうですよね」
「まあねぇ、生まれが砂漠だからそもそも乾燥に適応してるってのもあるけど、ちょっと良いマッサージ知ってるのよ、やってみない?」
「良いんですか?」
「ええ。今夜にでも私の部屋に……」


と、そこまで言った所で女戦士が視線をカヤノの背後にやり、何かマズいものでも見たかのように顔を引き攣らせる。
疑問符を浮かべたカヤノが振り返る前に慣れた声が聞こえた。


「まったく、油断も隙も無い」
「ナボール姐さん……!」
「ナボールさん?」
「意味も分かってない うぶな子を騙くらかしてんじゃないよ、無理やり手ェ出したら許さないからね!」


呆れた様子で怒るナボールに、女戦士はすみません! と慌てて逃げて行く。
なぜ彼女が怒っているのか分からないカヤノは、妙な雰囲気だけは感じ取って怖ず怖ずと訊ねた。


「あの、ナボールさん。どうして怒っているんですか?」
「……アンタはアンタで心配だねぇ。危うく食われる所だったんだよ」
「食べっ……!?」
「ああ違う違う、そのままの意味じゃなくて、こう、性的な意味で」


そうハッキリ言われては色事に疎いカヤノも理解せざるを得ない。
同性同士で、なんて世界がある事も噂には聞いた事があるので、その世界に足を突っ込む所だったと思うと妙にドキドキしてしまう。


「だ、だけどあのお姉さん、マッサージって……」
「マッサージにかこつけて体中触られるに決まってるだろ? そういうのが好きだってんなら止めはしないけど」
「え! あ、いえ、その……!」


知識も経験も足りない頭でした拙い想像でも、カヤノは頬を朱に染めてしまう。
そのまま困ったような顔で俯き黙り込んでしまったカヤノに、ナボールは目をぱちくりさせて。


「……手を出したくなる気持ちも分かるね」
「え?」
「何でもない。ああいう手合いには気を付けな、まだそういう経験は無いだろ? カヤノみたいな子は、初めては好きな人の為にとっとくもんさ」


優しく言われ、いつか自分もそういう経験を……? と考えてしまう。
相手はどんな人だろうと思い描いたら真っ先に浮かんだのがリンクで、自分でした妄想に自分で恥ずかしくなってしまい、慌てて考えを振り払う。

……が、上手く振り払えない。
成長したリンクはまだ見た事が無いが、きっとダークと同じような容姿だろう。
そんな彼に抱き締められ、口付けされ、そして……。


「わ、わーっ!」
「え」


いきなり声を上げて走り去って行くカヤノを、ナボールは呆然と見送るしかない。
暫く呆気に取られていたが我に返り、やれやれと言った様子で微笑ましく息を吐く。


「ほんと、可愛らしい子だね。どっちの王子様とくっ付くのか分からないけど……。せめて平穏であって欲しいもんだよ」


彼らは穏やかではない運命の中に居る。
何故かは分からないがナボールはそれを確信していた。


++++++


今まで世話になった人々とは違い、同じ反ガノンドロフの意思を持つ仲間達。
いつ出て行こうかと気にしなくて良いので気が楽だった。
きっとリンクが目覚めるまで行動を共にする事になるだろう。
こうして事情を察し戦える仲間が居るというのは、今まで以上に心強い。

カヤノは少ない情報の中から少しでも役に立つ物を探そうと、ナボール筆頭のゲルド戦士達と話し合う。
またガノンドロフが自分を狙っていたらしい事について訊ねてみたが、離反した元配下の戦士達も、詳しい事は分からないそうだ。


「カヤノの事を狙っていたのは確かなようだが、理由は全く教えて貰えなかったな」
「そう、ですか……」


リンクと合流できても、その不安要素が無くなる訳ではない。
果たしてガノンドロフは何を思いカヤノを狙っていたのか。
予想すら立てられず不安で気が滅入りそうになる。

そんな日々を過ごし、アジトで反ガノンドロフ派達と生活を始めて数週間。
カヤノはアジトの中を歩いていた。
リンクが目覚めたら一緒にガノンドロフと戦うだろう。
それに備えた魔法の特訓でもしようかと、鍛錬用の広場がある場所を目指す。

……瞬間、辺りに響き渡る高らかな笛の音。
次いで聞こえる緊迫した叫び声。


「敵襲! 敵襲ーーーーーッ!!」
「……!!」


このアジトがばれたと言うのか。
カヤノはすぐさま走り出し、誰か味方を探す。
通路の角を曲がるとゲルド族の女戦士が二人居た。
二人とも見覚えがある。反ガノンドロフ派だ。


「あ、あの、敵襲って!」
「カヤノか。一人は危ないからこっちへ」
「はい」


すぐに戦士達の傍に寄ろうとした……が、ふと、違和感を覚える。
二人の戦士から妙に魔力のようなものを感じた。
近寄ろうとしていた所を立ち止まって彼女達を見つめると、額を彩る赤い宝石が付いた装飾品からおぞましい力が迸っている。
思わず後退ったカヤノに、戦士達が腕を伸ばして来た。
よく見ればその目は光を失っているようで、生気が感じられない。


「さあ、こっちへおいで」
「い、いや……!」


踵を返して逆方向に走る。
あの人達はおかしい。少なくとも正気ではない。
誰か……主にナビィ、ナーガ、ダークを探しカヤノは駆けた。

暫く進んだ先、少し広くなっている部屋に差し掛かったカヤノの前に、ホウキに乗った二人の老婆が姿を現す。


「ひっ!?」
「おやおや、操られていたゲルド族によく気付いたもんだねえ……」
「誰……!」
「あたし達はガノンドロフ様に仕えるツインローバ、コタケとコウメさ」
「ちょいと洗脳術をやってるもんだから、聖地へ行く前に残した配下に試していたら、まあ大当たり」


つまり、ガノンドロフから離反して来たゲルドの戦士の中に、離反とは関係なく以前から洗脳されていた者達が居たという事。
ガノンドロフ側にとっては願ってもない幸運、カヤノ側にとっては予想だにしなかった不運。


「ガノンドロフ様は遂にトライフォースを身に宿され、支配者に相応しい王となられた」
「その祝いの貢ぎ物にカヤノ、お前を捧げさせて貰うよ」
「ど、どうして私なんですか!」


命の危険に晒され必死の面持ちで訊ねるカヤノ。
しかしツインローバは妖しく笑うだけで答えようとはしない。


「黙ってガノンドロフ様の物になればいいのさ」
「さあ、大人しく付いて来て……」


そこまで言ったツインローバに突然、炎が襲い掛かる。
喋っている間にカヤノが魔力を含蓄し攻撃に備えていた。
高威力の魔法だと感付かれてしまうと思った為に基礎の魔法だが、勝利を確信し油断していたツインローバの隙を作り出す事は出来た。
怯んでいる隙に彼女達の側を擦り抜け、建物の外へ出る。

外では味方のゲルド族達がガノンドロフ配下のゲルド族や魔物達と戦っている。
その喧噪の中にダークとナーガ、ナビィを見付けてホッとし、そちらへ駆け寄ろうと足を踏み出したカヤノ。
瞬間、ナボールの声が聞こえて来た。


「カヤノ、後ろっ!」
「え……」


後ろ、と言われ振り返ろうとした瞬間、太いものがカヤノの首を引っ掛けた。
そのまま背後に引き寄せられ、固い何かに背中がぶつかる。
壁ではない。首を引っ掛けている太いものは人の腕。
そして背中にぶつかったのは……。

人の体。
それも、今カヤノが一番会うべきではない人物の。
その人物の名を出したのはナボール。


「ガノンドロフッ……!」
「……!!」
「カヤノを放しな!」


ナボールを筆頭とした味方のゲルド族達がガノンドロフへ向かって行く。
しかしガノンドロフの背後から追い付いて来たツインローバが手を翳すと、ナボール達の足下が泥のようにぬかるみ、ずぶずぶと体を飲み込み始めた。


「こ、これは……!?」
「ナボールさんっ!!」
「ヒッヒッヒ、こいつらも洗脳の材料にしてやろうかね。配下は多いに超した事は無いからねぇ……」


手を差し伸べてもガノンドロフの拘束からは逃れられない。
あっと言う間に飲み込まれ姿が見えなくなったナボール達。
カヤノの悲鳴が響いた瞬間に飛び掛かって来たダークを、ガノンドロフが魔法を放ち弾いた。
軽く飛ばされ背後の地面で背中を打つダーク。


「ダークッ!!」
「っ……平気、だ。カヤノを放せ、ガノンドロフ」


今は完全な無表情ではなく、少しだが怒気を孕んでいるように睨みを利かせている。
声音も怒りを含んでいて……。
そんな彼を見、それまで沈黙を貫いていたガノンドロフが口を開いた。


「哀れだな、影よ」
「何……?」
「この娘を愛しているのに、“本体”のせいで傍に居られない。あの小僧さえ居なければ……そう思った事はないか?」
「……」
「そう遠くないうちにあの小僧は聖地から戻って来るだろう。その時がお前の幸福の終わり、不幸の始まりだ」
「ダーク、耳を貸しちゃダメ!」
「きゅう! だーく!」


ダークの傍でナビィとナーガが必死に呼び掛ける。
しかしダークの表情からは既に怒気が消え去り、これも初めて見る、唖然としたような表情でガノンドロフを見つめるばかり。

どうやらガノンドロフはリンクが聖地に封じられた事を知っているようだ。
彼自身も聖地に行っていたので知る機会があったのだろう。


「神が何を思ってあの小僧を封じたのかは分からないが、厄介な存在になる事は明白だ。……利害の一致というヤツだろう。俺と共に来い」


リンクさえ居なければ。
どうして自分が犠牲にならなければいけないのだろう。
こんなにもカヤノを想っているのに。
ただカヤノと共に過ごす、なんて事すら出来やしない。

ハイラルを守る為だけに……その運命を背負わされ生まれた自分。
生まれた理由のせいでカヤノをひたすら想う心があるのに、傍に居ればリンクの想いを深めてしまう為に、リンクが戻って来れば傍に居る事すら出来なくなる。
ダークは確実に、かつてのカヤノと同じ思考になっていた。
与えられた運命を嫌い呪う、そんな思考に。

今、想い人は魔王の手中にある。
それでも奴の元に行けば傍に居る事くらいは出来るかもしれない。
リンクが戻れば一緒には居られなくなる。

ただ傍に居られるだけでも良い……。
そんなささやかな願いすら叶えてくれない神など、運命など。


「……分かった。俺はお前の配下となろう」


こちらから願い下げだ。


「ナビィ、ナーガ! 逃げてッ!!」


突然響いたカヤノの叫び声。
成り行きを呆然と見ていたナビィとナーガはその声に我に返る。


「逃げてって、アナタを見捨てられるワケないでしょ!」
「かやの、たすける!」
「駄目! みんな捕まったら誰がリンクに事情を説明するの!? お願いだから逃げて、リンクの力になってあげて!!」
「ダーク、その子竜を連れて来い」


カヤノの必死の言葉を意に介さず、ガノンドロフが命じる。
すぐ傍に居たナーガは逃げ出す隙も無くダークに掴み上げられた。
次いでナビィにも手を出そうとするダークだったが、彼女はその羽を使い高く飛び上がる。


「そのまま逃げて!!」
「そんな……イヤよカヤノ! ワタシ、あなたから離れたくない!」
「駄目なの、それじゃ駄目!」


ここで連れ去られればどうなるか分からない。
命が危ぶまれる今の状況において、リンクとの再会は絶望的に思えたカヤノ。
リンクへの事情の説明もあるのだが、それ以上に。

……伝えて欲しい。
もう会えないかもしれないリンクへ、自分がどれ程リンクを待ちわびたか。
恋愛感情かどうかは分からなかったが、自分がどれ程リンクを好きだったか。
それを伝えて欲しい。
カヤノは涙をぽろぽろ零しながらナビィへ声を張り上げた。


「最後かもしれない私のお願い聞いてっ!!」


それが合図になった。
ナビィは悲しみを声にありったけ乗せて、涙声で名を呼びながら空高く飛び去って行く。


「カヤノ……! カヤノ、カヤノッ!!」


青い光を放つナビィは、すぐ晴れ渡った青空に溶けて見えなくなる。
妖精の一匹くらいは何とも無いと思ったのか、ホウキで空を飛べるツインローバはナビィの後を追おうとはしなかった。
先程、ツインローバの魔法によってナボール達 味方ゲルドの主力は消え去った。
ダークは裏切り、ナーガも捕らわれて動けない。


「(……もう、終わり、……みたいね)」


力無く涙を零しながら、カヤノは脱力した。
せめてもう一度リンクに会いたかったと、心の中で嗚咽を漏らしながら。


++++++


あのクーデターの日以来、久々に訪れる城下町とハイラル城。
城下町の城壁へ近づくにつれ空が曇り、魔力の瘴気で酷い澱みが出来ていた。
覚悟はしていたが城下町は惨憺たる有様。
薄暗くて人っ子一人おらず、建物は荒れ果て何十年も人など住んでいないよう。
しかし何よりカヤノを驚かせたのはハイラル城の変貌。
城下町は荒れ果て廃墟となっていたが、まだ街の面影はあった。
破壊されているだけで、少なくとも町の造り自体が変わっている訳ではない。

だがハイラル城の様子はどうだ。
かつてリンクと共に忍び込んだ緑溢れる敷地は、荒れて草木の一本も無い。
そして何より白く美麗だったハイラル城が、黒くおぞましい城に変貌している。
周囲は深い溶岩の堀で覆われ、その中心に浮いた台地の上に城が建っていた。
内部ももはや昔訪れた頃の面影など残っていない。

カヤノはダークやナーガとも引き離され、一室に閉じ込められた。
なかなか広く豪奢な部屋……王族の誰かの部屋だったのかもしれないが、完全に変貌している今の城では考えても無意味だろう。
その部屋は入口の向かい側 一面の壁が全面窓になっており、カヤノはそこから外を見る。
曇り空と薄暗い視界。ただただ気が滅入るだけだった。


「ナビィ……無事に逃げられたわよね? どこに行ったんだろう」


牧場か、カカリコ村か……ひょっとしたらコキリの森?
どこに居るのでも無事でさえ居てくれるなら良い。
そしていつかリンクと合流し、彼に想いを伝えてくれるなら……。

と、そこまで考えた所で部屋の扉が開いた。
ハッとして振り返ると、そこには悪の親玉。


「あ……」


思わず全面窓を背にして体をくっ付ける。
しかし身を引いても意味は無い。
この部屋にも、この国のどこにも、逃げ場は無いのだから。

ガノンドロフは扉を閉め……鍵も閉めると無遠慮に歩いて来る。
昔、城下町で会った時は彼の事を恐いと思わなかったが、きっとあれは気のせいだったのだろう。
何故なら今、こんなにもガノンドロフが恐い。

あと一歩で密着するという所まで踏み込まれる。
青ざめて小さく震えながら見上げる事しか出来ないカヤノを、ガノンドロフはただただ見下ろして来るだけ。
その視線や表情からは何を言いたいのか、したいのか窺えない。
暫くその状態が続いた事で少し恐怖が削がれたのか、カヤノは思い切って口を開いた。


「……あの。私、に、……何の用があるんですか」


あの場で殺さず連れ去ったのだから、何かある筈なのだ。
結局殺されるにしても、一旦は連れ帰る必要のある何かが。
ガノンドロフは答えない。ただ見下ろして来るだけ。
だがそれも長くは続かなかった。
カヤノを見下ろしたまま紡がれた言葉は。


「お前の望みを叶えたまでだ」
「……え?」
「これはお前が望んだ事だ。……カヤノ」


言い終わるや否や、カヤノを担ぎ上げるガノンドロフ。
突然の行動に驚いてろくに抵抗も出来ないまま運ばれ、落とされた先の背中には柔らかい感触がある。

そこがベッドだと気付いた時には遅く。
ガノンドロフが覆い被さるように迫って来る。


「あ……ま、待っ、なに、を」
「この状況で何をされるか分からん程に物知らずなのか、現実を受け容れたくないだけか」


後者だ。
いくら“そういう事”に疎くても、この年齢まで育って、そしてこの状況まで持って来られたら理解せざるを得ない。


『カヤノみたいな子は、初めては好きな人の為にとっとくもんさ』


以前、優しくそう言ってくれたナボール。
思わずリンクとの事を想像してしまったカヤノ。
そんな思い出に皹が入って行く。
ガラガラと音を立てて崩れて行く。


「いや……」


恐怖に震える弱々しい抵抗に、ガノンドロフは反応しない。
言葉だけで効果がある筈も無いが、押し返そうとする腕にも力が入らない。


「やめ……お願い、やめっ、んっ!?」


一瞬で息が詰まり、自分の状況をすぐ飲み込めなかった。
しかしガノンドロフに唇を奪われている事に気付いた瞬間、弱々しかった抵抗に力が籠もり始める。


「ん、んんーっ!」


覆い被さって来る奴の体を必死で叩いてもビクともしない。
声を発しようとしていた為に息が続かなくなり、ようやく解放された時には肩で息をするほど呼吸が荒れた。
ガノンドロフを見上げるカヤノの瞳は恐怖で濡れ、かたかたと唇が小さく戦慄いている。


「あ、あ……」
「手荒にされたくなかったら大人しくしていろ」


その言葉に心臓が止まりそうになる。
本当に止まってくれたら楽だったのかもしれないが、カヤノを縛る運命はその最終的な逃げすら許してくれない。


『カヤノ』


恐怖と絶望に浸食されながら、思い浮かぶのは自分に向けられるリンクの笑顔、自分を呼ぶリンクの声。
今は思い出の中に縋るしかないその幸福の象徴すら、自分を蹂躙せんとする悪の王に塗り潰されて、消えて行く。



かみさま、

これは、

罰ですか。





−続く−



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