時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第13話 彼の居ない国


運命は一人の少年を不自然に消し去った。
それを知るのはごく少数のみ、彼女らが悲しんでも世界は難無く回り続ける。
胸の痛みを無理やり仕舞い込んで、それでも時間は穏やかに流れていた。
感じる空気が重くなり、空が時折 濁るようになっても、生活は続いて行く。


「マロン、この荷物はどこに置くの?」
「あ、それは納屋に片付けておいて」


リンクが消えたその日から、カヤノはロンロン牧場でお世話になっていた。
ガノンドロフやゲルド族が来やしないかと怯えていたのは数日で、何事も無い静かな日々にすっかり順応済み。
ここに来てもう半年が経過しようとしている。
ナーガも小さな体ながら一生懸命手伝いをし、見ている限り動物達を襲ったり食べてしまうような事は無いようだ。


「ごめんなさいね、迷惑かけっぱなしで」
「なに言ってるの、カヤノが牧場の仕事を手伝ってくれてどれだけ助かってるか! 人手不足なのにとーさんは相変わらず怠け者だし、お客さん減ったし……」


ガノンドロフが反乱を起こして以降、城下町はゴーストタウンのようになっているらしい。
人々はカカリコ村をはじめ別所に移り住み、そちらで生活を営んでいるそう。
確実に魔物は増えた。
配達の際には周囲を警戒しながら馬車を走らせねばならないし、こんな状況になって牧場を訪れる客は激減している。


「はー、毎日こうして仕事、仕事。いつか王子様でも現れて、アタシをお姫様にしてくれたらいいのに」
「ふふ、マロンったら」
「カヤノはいいよね、もう王子様いるでしょ」
「え?」
「あの妖精クン。今は用事で居ないんだっけ」


言われ、思わず俯いてしまうカヤノ。
マロンの言葉に照れ、リンクが居ない事を思い出して悲しみ、どうすれば良いのか分からない顔を見られたくない。
そんな雰囲気に気付かないマロンは明るく続ける。


「カヤノが誘拐された時のあの子、すっごい顔してた」
「そ、それはまあ、仲間だから……」


そうは言ってもダークの存在がある以上、リンクがカヤノに好意を持っている事は明白。
再会する時までにしっかり考えておかなければならないが、彼が側に居ない状況ではこれ以上の進展は望めない。

それよりも今は、リンクが戻るその日まで生き延びる事を考えなければ。
元の世界で仕来りがあった為に碌な友達が居なかったカヤノにとって、マロンはサリアに続くとても仲の良い同性の友達だ。
牧場の仕事は大変だけれど毎日が充実して楽しい。
だが大切だからこそ、マロン達へ害が及ぶ前に離れなければならない。
今の所ガノンドロフの手の者が来る気配は無いが、何事も無いうちに離れるべき。
追っ手が来てからでは遅いのだから。

与えられた部屋で休む用意をしながら、ナビィに告げる。


「ねえナビィ、私 数日のうちに牧場を出ようと思うの」
「そうね、そろそろ移動した方が良いかもしれないわ。そんな悲しそうな顔しないでカヤノ、また暫く経ってから来ましょ」


各地を転々とするという事は、またここに来る機会も作れるだろう。
それまで暫しの別れ……何としてでも生き延びなければという気力も強まる。

それから数日後、カヤノは牧場を出る事を告げた。
マロンは引き止めてくれたが、そろそろ移動した方が彼女達の安全が増す。
意思が固い事を確認したマロンは寂しそうに微笑んだ。


「まあ、また来るって言って本当に来てくれたし、信じてる。出来れば次は妖精クンも一緒に来てね!」
「ええ。ありがとうマロン、またね」


ナーガを頭に乗せ、ナビィを連れてカヤノは牧場を後にする。

この国はガノンドロフの支配下になってしまったのだろうか、ハイラル平原からは以前のような美しさが感じられない。
相変わらず緑が生い茂っているようだが、どことなく乾いた印象。
流れる風は爽やかに澄んでいた筈なのに、今はどこか淀んだ空気を孕んでいる。


「ナビィ、この国どうなってしまったのかしら」
「ワタシも詳しくは分からないわ。この重い空気……ガノンドロフの手に落ちてしまったのかな」


せめてトライフォースだけは無事だと信じたいが、確証は無い。
今は城下町へ行ってみるのも危険極まりないだろう。
どうにも不安が胸に燻って、滅入る気持ちを晴らそうと空を見上げたカヤノ。
美しい青空なのに、その空も以前に比べると味気なく思えた。


「……コキリの皆は元気かな」
「あ、ワタシも気になってたの。戻ってみる?」


カヤノが何気なく呟いた一言で次の行き先が決定した。
デクの樹に守られていた神秘の森……守護者が居なくなった今、どうしているのか。
もし魔物でも現れているのなら助けてあげたい。

翌日、カヤノはコキリの森へ戻った。
離れていたのは半年と少し。
この世界に来てから一ヶ月程度しか居なかったのに、妙に懐かしく思えてしまった。

旅立った時とは逆で、集落へ続く吊り橋を渡る。
トンネルを潜り抜けた先は相変わらず美しい光で満ち溢れていて、まだ悪しき気配が来ていない事にカヤノとナビィは安堵した。
そんな彼女達を見つけ、声を張り上げた少年が一人。


「あ、あーっ! カヤノ!」
「ミド!」


コキリのガキ大将ミド。
どうやら相変わらずの様子で一安心だ。


「帰って来たんだな! ……リンクは?」
「リンクは、今ちょっと大事な用事を抱えてるの。無事では居るから安心して」
「そ、そっか、オイラてっきり……って、べ、別に心配なんてしてねぇよっ!」


……本当に、相変わらずの様子。
仲直りしたとは言ってもその後一緒に過ごしていた訳ではないのだから、まだ照れ臭い感覚を持っているようだ。
微笑ましくてクスリと笑ったカヤノだったが、それを見たミドが呆気に取られた表情を浮かべる。


「……」
「? どうしたのミド」
「……オマエさ、変わった?」
「え?」
「笑ってるとこ初めて見た」
「……あ」


そう言えば森で過ごしていた一ヶ月間、ぴくりとも笑わなかった。
無表情で、言葉にも抑揚が少なくて、不気味にさえ見える態度と雰囲気。
今の自分からは考えられない過去に益々おかしさが募る。
サリアの家を訪ねようと集落の中を歩くと、コキリの仲間達が次々に声を掛けてくれた。


「あ、カヤノだ!」
「お帰り!」
「お帰り〜っ!」
「お帰りなさい」
「お帰り!」


一人一人の歓迎に「ただいま」と返しながら、カヤノの心は幸せで満たされる。
罪を償う為に送られた世界に自分の温かな居場所がある。
これを幸福と呼ばずして何と呼べば良いのだろうか。
リンクの事を訊ねられては答え、ナーガの事を訊ねられては答え、なかなかサリアの家に近付けない。
ちなみにリンクの事はマロンに話したように、用事があって今は居ない、と暈かしている。

やがてサリアの家に近付くと、騒ぎに気付いたらしい彼女は家の前に出て来ていた。
カヤノを認めるなり泣きそうな笑顔で駆け寄って来る。


「カヤノ、無事だったのね!」
「ただいまサリア、心配かけてごめんなさい」
「ううん、いいの。無事ならそれで……え、と、リンクは?」
「彼は今、ちょっと用事があって居ない。無事では居るから安心して」


彼が本当に無事かどうか確かめる術は無い。
無事だから安心して、とは、半分は自分に言い聞かせている。
サリアの家に行き今までにあった事を話し始めるカヤノ。
細かい部分や不安を煽るような内容は省略しながらだが、それでも話しながら自分で、結構な冒険をして来たと思った。


「大変だったのね……本当に無事でよかった」
「森はどう、変わり無い?」
「今の所は無い、けど、最近ちょっとヘンなの」
「変?」
「何だか空気が淀んで来たような気がして。迷いの森の魔力も濃くなってるし……」
「……」


やはりこの清廉な森でもガノンドロフの影響は避けられないらしい。
魔物が出て来るような事態にならなければ良いが、デクの樹が居ない今、どうなるかは分からない。
これは出来る限り滞在して様子を見た方が良いだろう。

そう言えば、サリアには一つ謝らねばならない事がある。
囮に使いガノンドロフに奪われてそのままのオカリナ。
きっと壊されているか、良くても捨てられているだろう。


「あの、サリア。出発の時に貰ったオカリナだけど……」
「? なに?」
「……ごめんなさい。敵に奪われて、行方が分からなくなってしまって」
「えっ……そうだったの……」
「だけどサリアのオカリナが無ければ、私もリンクも殺されていたかもしれない。お礼も言わせて。ありがとうサリア、私達を助けてくれて」
「そっか、役に立てたんだね。それだけでも浮かばれるよ!」


サリアはとても優しい。
本当にリンクとカヤノの無事を喜んでいる彼女を見ていると、今更ながら他に方法は無かったのかと考えてしまった。

滞在中はまたサリアの家で一緒に暮らす事に決まった。
カヤノの寝床等はそのまま、リンクの家も時折コキリの子が掃除しているそう。
いつでも帰って来られるように……その気遣いがまた嬉しい。
ひとまず、もう動かないデクの樹へ挨拶へ行く事に。
墓参りのようなもので応えは無いと分かり切っているが、ただ話したい。

既に死んでいるデクの樹は変色したまま、何も変わらずそこに居た。
居るけれど、もう居ない。
ナビィが寂しげに名を呟き、カヤノは幹に触れて祈る。


「デクの樹サマ、私、あなたの言っていた事が少しずつ分かるようになりました。楽しく生きて、色んな人を好きになって。この国もこの国の人も愛しいです」
「かやの……」
「リンクの帰還を信じます。ナビィと、新しい仲間のナーガと一緒に待ちます。どうか無事に再会できるよう見守っていて下さい」


寂しげに呟くカヤノに、ナーガが彼女を見上げ鳴き声を上げる。
そんな彼を抱き上げてからナビィへ声を掛ける。


「さ、集落に戻りましょう。これから暫くは森の様子を見なくちゃ」
「……その事なんだけどねカヤノ。ワタシあなたに言わなきゃならない事があるの」
「え?」
「コキリ族の事。もう、あまり長くは一緒に居られないかも」
「ど、どうして……」
「コキリ族は大人にならない種族だから」


ずっと子供のまま生涯を生きる種族。
カヤノとはこれから見た目がどんどん開き、外界に疎い彼らを混乱させてしまう。
しかしそんな事よりもカヤノが気になったのは。


「大人にならない、って、子供のまま成長しないって事よね」
「ええ」
「……じゃあリンクは? 彼、幼すぎるから暫く封印されるって……」


成長しないのであれば封印も無意味になる。
そこで考えられる結論といえば一つだけ。


「本当はリンクは、コキリ族じゃないんだって」
「……」
「森を出て行くのもずっと前から運命付けられてたの」


デクの樹から聞いた話だそうで、彼は赤ん坊の頃に一人の女性が連れて来たらしい。
女性はリンクをデクの樹に託すと息絶え、赤子の彼に秘められた運命に気付いたデクの樹は時が来るまで彼を森で育てる事に決めたそうだ。


「……そう。じゃあ私、あと何年もしないうちに……」
「大人になってから別人としてなら訪れられるかもしれない。だけど今のカヤノのままでは、もう……」


せっかく温かな第二の故郷になってくれた森に戻れなくなる。
平和になって、いつかコキリ族が森の外へ出られるようになったら、そうして世間を知った彼らになら正体を明かしても良いだろうが、今の世間を知らない彼らに大人の事や成長の事を明かすのはやめた方が良い。


「どうせコキリの森には長めに滞在する予定なんでしょ? たくさん思い出を作っておくといいよ」
「そうする。ありがとうナビィ、教えてくれて」
「お礼を言われるような事じゃないわ」


クスリと笑ったナビィは、どことなく元気が無さげ。
リンクが居ない上にガノンドロフにも狙われている状況で不安を抱えるカヤノに、追い打ちをかけるような情報を与えてしまった事を気にしているのだろう。

それからカヤノは、最後の思い出を作るようにコキリ族の仲間達と過ごした。
笑顔を浮かべ表情が穏やかながらも変わるようになったカヤノに最初のうちはかなり驚かれたが、少し経てば慣れて当たり前の日常になる。
魔物やゲルド族の襲撃は気配すら無く平和で楽しい日々が続いた。
しかしそんな中でも、段々と淀んで行く空気や強まる魔力は感じる。
誰にもばれないよう不安を胸に仕舞い込んでいたカヤノに、ある日サリアが迷いの森の奥へ行こうと誘って来た。


「迷いの森の奥? 魔力が強まって危ないんじゃ……」
「危ないのは分かってる。でもどうしても行っておきたいの」


サリアは何も無しにこんな危険な事を提案する子ではない。
彼女の真剣な表情を見たカヤノはその誘いに乗った。
サリアの演奏する曲でモンスター達を大人しくさせ、淀む空気の中、気が滅入りそうになりながら迷いの森の奥へ。

長い階段を上った先、そこだけは空気が澄んでいるような気がした。
人工的に区切られた四角い広場で、中央にはトライフォースが描かれた台座。
奥には石造りの立派な建造物の入り口。
以前、祭りのレリーフを間接的に壊してしまったカヤノが、代わりの石を取りに来た場所だ。

確かサリアのお気に入りの場所だと言っていた。
カヤノ達が旅立ってからここに来る頻度が増え、想いを馳せながらオカリナを吹いていたらしい。


「ここはね、森の聖域っていうんだって」
「森の聖域……」
「何だかここって……これからのあたしと、リンクやカヤノにとって、すっごく大事な場所になる……そんな気がするの。またカヤノが旅立ってしまう前に、もう一度一緒に来ておきたかった」


サリアが見ているのは広場の奥にある、朽ちているけれど立派な建造物の入り口。
大きいらしく入り口付近しか確認できないけれど、聖域と呼ばれる場所に相応しい佇まいをしている気がする。
サリアの横顔は寂しそうな笑顔。
その表情はカヤノの胸を締め付ける。


「ねえカヤノ。あたし、これから何かが大きく変わると思うの。どうして分かるのか分かんないけど、分かるの」
「……」
「だからアナタやリンクが心配。どうか無事でいてね。帰って来るのが難しいなら無理しなくていいから、せめて生きていてね」
「そうね……約束する。必ず生きてこの国を、みんなを守るから。リンクもきっと同じ事を言うはずよ」
「うん、だよね。リンクならきっと……」


カヤノだけでなくリンクにも会いたかっただろうサリアは、寂しげな表情のまま微笑んだ。



コキリの森での暮らしは、再びカヤノを穏やかに癒やして行く。


「カヤノ、遊ぼう! ナーガもいっしょに!」
「きゅう! あそぼ!」
「ふふ、ナーガもすっかり馴染んじゃったわね」


一応、こっそりと魔法の訓練は欠かさないようにしているが、懸念していた魔物の出現は無いので発揮する機会も無い。
子供に戻って無邪気に遊んで、これはもう罰と言うよりご褒美だ。
カヤノのような重い事情が無くとも、子供時代に戻りたいという大人は沢山いる。
それが叶っているだけでも幸せな事だろう。
しかしカヤノはもう、家族殺しを後悔してしまった。
あれを申し訳なく思う気持ちが芽生えてしまった今、何も罰せられない現状は寧ろ胸が苦しくなって行く。
それ自体が罰の一つなのかもしれないが。


「(ならせめて、私は私の出来る事をしよう。森に居られる間だけでも皆を守らないと)」


温かな故郷を与えてくれた森。
仲良く接してくれるコキリ族の皆。
何より根気よく自分に付き合い世話を焼いてくれたサリア。
せめて森を出て行くその日までは、何があっても守る。
カヤノはそう固く誓った。


+++++++


それは長く、もどかしい時間だった。
ガノンドロフはリンクが開いた扉から聖地へと侵入したが、神が用意していたらしいガーディアン達に阻まれ、思うように進めない。
それでも少しずつ配下を使い攻め続け、今では聖地の1/3がガノンドロフの手に。
トライフォースを手に入れハイラルを、ゆくゆくは世界を支配する。
その思いの中、片隅にぽつんと、しかし他のどんな欲望とも違うはっきりとした形を持つ少女が居る。
それだけが色鮮やかに浮かび上がり、ガノンドロフの心を満たした。


「……カヤノ」


あの様子では何も覚えていないのだろう。
しかしガノンドロフは確信を持っている。
間違いなく彼女は自分が欲したものだと。

かつての……表向きは美しくとも裏で暴政を敷いていた頃のハイラル王家の犠牲となり、歴史の闇に封じ込められてしまった哀れな犠牲者。
歴史の犠牲者など、どんな国のどんな時代にでも居るものなのだろうが、関わり親しんでしまえば“よくある事”などと片付けられないのは当たり前だ。

覚えていなくとも構わない。
今のカヤノを手に入れて我が物とするだけ。

現在ハイラルは野放し状態だが配下の魔物を放っている。
国も機能していない今、大掛かりに討伐されるような事は無い筈だ。
聖地を制圧して戻った時には国を魔力が覆っている事だろう。
だがトライフォースを手に入れるまで後どれくらい掛かるか分からない。
トライフォースを手に入れ、ハイラルへ戻って支配を盤石なものにして……。
そうしなければカヤノを取り戻しに行けない。
カヤノを優先して万一にもトライフォースを入手し損ねれば事だ。
今こうして聖地へ侵入できたのだから、目的を達するまで出るべきではない。


「カヤノと共に居たあの小僧……確かリンクとか言ったか? どうやら聖地のどこかに封じられたらしいが、戻って来られると邪魔だな」


例え先にカヤノと再会されたとしても始末すれば良いが、面倒が増えてしまうのは望む所ではない。
手に届きそうな所にあって届かないカヤノに、ガノンドロフは歯噛みした。


+++++++


「なあカヤノ、オマエなんかでかくなったよな?」


切っ掛けはミドのそんな言葉。
気が付けばコキリの森に戻ってから2年。
14歳も過ぎたカヤノは、成長しないコキリ族達と比べると浮いていた。
彼らが心配で、そしてここでの生活が楽しくてずっと滞在していたが、そろそろ潮時なのかもしれない。

きっとコキリ族の誰もが浮かべていたであろう疑問をミドが口に出した次の日、カヤノは旅立つと友人達に告げた。
もちろん引き止められたが、これ以上は一緒に居られない。


「じゃあ皆、行って来ます。元気で居てね」
「それこっちのセリフだよ!」
「気を付けてねカヤノ、無茶はしないで」
「ナビィとナーガも元気で!」
「次はリンクと一緒に帰って来てくれよな!」


別れを惜しんでくれる言葉に後ろ髪を引かれそうになるが、何とか耐える。
寂しそうな顔をしたサリアが進み出てカヤノの手を取った。


「……カヤノ、また見送るコトになるなんて……やっぱり寂しい、な」
「惜しんでくれてありがとう、サリア。でも私は皆を、皆が生きる世界を守りたい」
「うん。きっとカヤノもリンクもそういう運命なんだよね。あたし祈ってる。二人が無事でいるように、帰って来られるように」


掴んだままの手をぎゅっと握られる。
その温もりをずっと感じていたいけれど、時の流れはそれを許さない。
名残惜しそうに手を離し、カヤノは踵を返した。
もう“コキリの皆と一緒に過ごしたカヤノ”としては戻れないだろうと予感しながら。



2年振りのハイラル平原は相変わらず淀んだ空気を孕んでいたが、
それでも森の中では木々によって狭められていた空が大きく開け、
青空と流れる風によって爽やかさを一番に感じる。


「ナビィ、次はどこに行こう」
「そうねえ……そう言えばルト姫の所に遊びに行くって約束してなかった? 平和になったら、みたいに言ってた気もするけど、あれから2年半も経ってるから心配なさってるかもしれないよ」
「じゃあゾーラの里に行きましょうか」
「さかな!」
「さ、魚? ナーガ、魚って?」
「おいし、かった!」


記憶を辿ると、ジャブジャブ様へお供えする為の魚を捕まえていた時、ナーガがせっかく捕らえた魚を食べてしまった事を思い出す。
よっぽど美味しかったのだろうか、夢見るような顔でうきうきと首を揺らすナーガは、見ていて微笑ましさと愛しさが募って行く。

その時。
どこからともなくハープの音が聞こえた。
その出所を探って視線を巡らせたカヤノの目に飛び込んだのは、少し離れた木の幹に寄り掛かってハープを爪弾く一人の少年。
青いぴったりとした服を身に付け、口元と頭を白い布で覆って目元しか見えない。
その目元も前髪によって片目が隠れており、素顔はほぼ窺えなかった。
胸の辺りには涙を零す一つ目の紋章が描かれており、どこかで見たような……と思っている間に少年が視線は落としたまま声を掛けて来る。


「……待つのは、辛いかい?」
「え?」
「勇者の目覚めはまだ遠い。待ち遠しいものは余計に遠く思えるだろう」
「……!」


勇者、とはきっとリンクの事だろう。
リンクの事を知っている……安易に味方だと断定はしない方が良さそうだ。
カヤノは近付く事なく距離を取ったまま質問に答える。


「今はまだ辛くないわ。ナビィとナーガが一緒だから」
「そうか」
「だけど……寂しい。リンクも寂しい思いをしなければ良いけど。何年で目覚めるか分からないけど、失った時間は戻らないでしょう?」


国を、世界を救う為とはいえ青春時代の多くを失う事になる。
生きる時間を失うのは、やむを得ない理由があったとしても辛いだろう。
少年はハープの音を止め、ようやくカヤノの方へ目を向けた。


「勇者はいずれ失った時間を取り戻すだろう」
「……どうやって?」
「王家の秘宝、時のオカリナ……あれを使えば聖剣を引き抜く前に戻れる」
「時のオカリナにはそんな力もあるの? ……だけど、待って。聖剣を引き抜く前に戻っても、同じ事の繰り返しになるでしょう」
「時のオカリナを用いれば、記憶を保持したまま時を移動できる。そうして持ち得た“武器”をどう使うかは彼次第だ」


つまり目覚めてからガノンドロフを倒し、その知識を利用して元の時代に戻ってから奴を、という事だろうか。


「ボクはシーク。君はカヤノ、だったね」
「! どうして私を……!」
「ボクはシーカー族の生き残りなんだ」
「シーカー族って、確かインパさんと同じ……」


王家に影から仕え支える運命を背負った一族。
それならばカヤノやリンクの事を知っていてもおかしくないか。
言われて思い出したが、少年……シークの胸元に描かれている紋章。
涙を零す一つ目のシンボルを、インパは首元に身に付けていた気がする。

シークはカヤノの元へ歩いて来た。
悪意も何も感じない雰囲気で逃げる事が出来ず、手を伸ばせば触れられる所まで接近された。
ナビィは警戒を滲ませるが、ナーガは平然としている。


「君からは懐かしい匂いがする」
「ど、どんな、匂い?」
「優しい、甘い……とても愛しい匂いだ」
「……」


そんな事を、落ち着くような甘い声で異性に言われれば照れざるを得ない。
平然としている辺りシークに他意は無いのだろうが。
シークは少しの間カヤノを見つめていたが、やがて数歩後退って離れる。


「暫くはガノンドロフの脅威は無いだろう」
「なぜ?」
「奴は今、聖地を襲っている。トライフォースが手に入るまでは戻って来ない筈だ」
「そ、そんな! じゃあ止めに行かないと……!」
「君にそれが出来るのか? 一人でガノンドロフ、そして全ての配下と戦うと」
「う……」
「……ボクの見立てでは、奴はトライフォースの全てを手に入れる事は出来ない」


シークは、シーカー族に伝わるという隠された伝説を語ってくれた。


聖なる三角を求めるならば、心して聞け。
聖なる三角の在るところ……聖地は 己の心を映す鏡なり。
そこに足踏み入れし者の心、邪悪なれば魔界と化し、清らかなれば楽園となる。
トライフォース……聖なる三角……。
それは 力、知恵、そして勇気、三つの心をはかる天秤なり。
聖三角に触れし者、三つの力を合わせ持つならば万物を統べる真の力を得ん。

しかし、その力無き者ならば、聖三角は力、知恵、勇気の三つに砕け散るであろう。
後に残りしものは三つの内の一つのみ。それがその者の信ずる心なり。
もし真の力を欲するならば、失った二つの力を取り戻すべし。
その二つの力……神により新たに選ばれし者の手の甲に宿るものなり。


「ガノンドロフの心では完全なるトライフォースは手に入らないだろう」
「だけどそれは伝説でしょう?」
「今の君にもボクにも、その伝説に縋る他の手立ては無い。違うかい?」
「……いいえ、あなたの言う通りだわ」


今のカヤノ達ではとてもガノンドロフやその配下に太刀打ち出来ない。
何にせよ暫くはガノンドロフの襲撃が無いと分かっただけでも有り難かった。
その言葉の真偽は、この2年半、何事も無く過ごせた事が何よりの証拠になる。

ガノンドロフをみすみす放置するしか出来ないのは悔しいが、例え奴がこの世界に居なくても魔物は存在している。
今はリンクが復活するその日までを生き延びる事が大事だ。


「ありがとうシーク、あなたと話せて良かった」
「それはボクも同じだ。また会おう、カヤノ」


そう言うとシークは地面に向かって何かを投げる。
パン! と甲高い破裂音と共に一瞬だけ目映い光が放たれて思わず目を閉じ、再び開いた時にはシークの姿は完全に消えていた。
暫しの間シークが居た方を呆然と見ていたが、そちらを見たままナビィが口を開く。


「シーク……悪い人じゃないみたいね。彼とはまた会えそうな気がする」
「ええ。会えそうな気がするし、会いたいとも思うわ」
「あらカヤノったら、リンクが居なくて寂しいからって浮気?」
「う、浮気なんて! そもそも別に私はリンクとそんな仲じゃ……!」
「またリンクに強力なライバル登場ね、うきうきするじゃない!」
「……本当、楽しそうねナビィ」


恋の話が大好きだという彼女は、特にリンクだけを応援している訳ではないらしい。
成就するのなら誰がカヤノとくっ付いても良いのだろう。
勿論それはカヤノが望めばの話だろうが。

ナーガも全く警戒していなかったし、当面シークは味方だと考えて構わないだろう。
カヤノ達は改めてゾーラの里を目指して出発する。
ケポラ・ゲボラに連れられて楽に辿り着いた道程を何時間も掛けて歩き、リンクと一緒に遡った渓谷を彼抜きで再び遡り、大きな滝の前へ。
オカリナが無かったので少々照れながらゼルダの子守歌を歌うと、滝が割れてゾーラの里への入り口が現れる。

ここも無事だと良いが……不安を押し隠しながら通路を抜けると、美しい洞窟湖を左に望む道の先から誰かゾーラ族が走って来る。
それがルトだと分かった次の瞬間、彼女が大声を上げた。


「何をしておったゾラ!!」
「ル、ルト姫」
「わらわをこんなに待たせるとは不届きな者たちめ!」


どうやら歌声が聞こえて瞬時にカヤノの声だと分かり、一目散に出入り口へと向かって来たらしい。
ルトは動けずに立ち尽くすカヤノの元へやって来ると、形振り構わず思い切り抱き付いた。


「わ、わっ!」
「空気がヘンになるし、ジャブジャブ様も元気が無くなるし……、そなたらは帰って来ぬし! わらわがどれだけ心配したと思っておるゾラ!」


ルトもカヤノと同じように成長し、段々と大人に近付いている。
喚いて落ち着こうとしないルトを何とか宥めてキングゾーラへ会いに行くが、挨拶もそこそこな状態でルトに連れ出されてしまった。
洞窟湖の脇にある高所の道の縁に腰掛け、色々と話す事に。


「そうか、リンクは聖地に封印されてしまったのか……。カヤノ、そなたは本当に待つと言うのか? 終わりも見えぬのに」
「はい。私はリンクを待ちたい。これで終わりにしたくないんです」
「ふふふ……帰らぬ想い人をいつまでも待ち続ける女……。なんといじらしいゾラ、燃えるゾラ!」
「……ルト姫?」
「ルト姫もそう思います!? 寂しさを押し殺しながらリンクを待つカヤノがもう可愛くて!」


きゃあきゃあ言いながらナビィとルトが意気投合してしまった。
圧倒されて割り込む事も出来ず、カヤノは二人が落ち着くまでナーガを抱いたり撫でたりして過ごす。
好き勝手に言われて恥ずかしさが募るが、ルトがこんな事を言うようになったのは、もしかすると。


「あの、ルト姫」
「何じゃ?」
「もしかして好きな人でも出来ました?」
「!!」


冗談半分のつもりで言ったのだが、たちまちルトの頬が赤く染まる。
え、とカヤノが驚いている間にナビィが標的をルトに変えた。


「ええっ! ルト姫もついにご結婚ですか!」
「け、け、結婚などと! まっまだわらわには早いゾラ!」
「だけどお姫様ともなると早いうちに決めてしまうものでしょ? 現に前は無理やり結婚させられそうになってましたし」
「しかし、想いすら伝えておらぬ……」
「じゃあ伝えちゃいましょうよ早く早く!」
「簡単に言ってくれるな! ミカウだってまだわらわの事を仕えるべき姫としか……!」
「ミカウさんっておっしゃるんですねー!」
「声がでかいゾラっ!」


好きな者は自分の力で振り向かせる、そう言っていたルトを思い出す。
未だリンクへの想いを上手く判断できないカヤノには眩しい。
元は18歳だったカヤノだが、今のルトの方がずっと大人だと思えた。

何はともあれ、リンクが大事な存在であるのは間違いない。
また会えればリンクへの想いにも答えが出るだろうかと考えながら、カヤノはルトの微笑ましい恋愛話に耳を傾けた。





−続く−



- ナノ -