時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第12話 長き別れ


王妃ヒルダは微笑んでいた。
……生前の話である。

ハイラル王の妻にして王女ゼルダの生母。
ゼルダを産んでから体調を崩し、一日の多くをベッドの上で過ごす。
病床から見る部屋の美麗な石壁は難攻不落の牢獄と何も変わらないが、それでも王妃ヒルダは微笑んでいた。


「おかあさま、もっとお話きかせて!」


ベッドに入ったまま上体を起こしているヒルダの隣、まだ4歳になったばかりのゼルダがはしゃぎながら話をせがんだ。
それを苦笑しながら止めるのは、王妃母子に仕えるインパ。


「姫様、そろそろお部屋に戻りましょう」
「ええ? もうちょっといいでしょうインパ……」
「王妃様はご病気なのですよ。たくさん休んで頂かないと」
「あ……そうね。ごめんなさい、おかあさま」


本当に良い子に育った。育ってしまったと思う。
この歳にして言った我が儘をすぐ引っ込めてしまう子。
母の体調の事があるとしても、相手の顔色を窺う癖が付いているように思う。
ヒルダは微笑んでゼルダの頭を撫でた。


「もう少しお話ししてあげましょうか?」
「ううん……おかあさまのぐあいが悪くなったらイヤだもの……」
「優しい子ね、ゼルダ。じゃあまた明日ね?」
「はい。おやすみなさい、おかあさま」
「おやすみなさい」


侍女に頼んでゼルダを部屋に戻らせる。
インパが残ったのは、ヒルダが彼女に話があるからだ。
ゼルダと共に来る前から予め言っておいた。
人払いを済ませ、二人は話し始める。


「それで王妃様、お話とは一体?」
「あなたは知っているでしょう。私が母方から受け継いでいる血の事……」


かつて世界を支配しようと反乱を起こしたハイラル王家の分家。
強大な魔力を持っていた彼らは光の精霊によって影の世界に追放されてしまった。
ヒルダの先祖は分家の一員であったが、その考えに反対して本家に協力した為、追放を免れた。

一般的に魔法使いの血を引く者は魔力を受け継ぎ易いが、それには親の意思も重要だ。


「女には子宮という魔力を生成して溜め込める器がある……。だから一般的に女魔道士の方が、男魔道士よりも魔力が高くなり易い」
「はい、存じております。特に魔道士の胎内に宿る胎児は魔力の泉に浸かっているも同然。妊娠した時に意識して魔力を流し続ければ、何もしないより魔力をずっと多く子に受け継がせられると……」
「けれど私は、ゼルダにそれをしなかった」


力を持つという事は、それだけ平穏な生活から離れてしまうという事。
そんな人生までゼルダに受け継がせたくない、王女という立場はあるけれど、それを除けば平凡で幸せな人生を娘には送って欲しいと願っていた。

……しかし。


「どうやら私は、死期がそう遠くないようです。あと何日か何年かは分からないけれど」
「! 王妃様、そのような気弱な事を仰らないで下さい……!」
「いいえ、確かな事。死期を前に魔力が最後の輝きを放とうとしているのか、私には未来の色々な事が見える……いずれゼルダに試練が訪れます」
「試練、とは」
「はっきりと分かる訳ではないけれど……」


数年後、ハイラルを揺るがす争いが起きる。
国は一度 暗黒に包まれてしまうが、救いも見えた。
緑色に光る石を掲げ、妖精を連れた一人の少年。


「ゼルダもいつかそれを夢で見るでしょう。しかし実際にはあと一人」
「あと一人……」
「黒い髪と瞳を持つ少女が少年と共に。彼女もハイラルにとって救いとなる」
「その少女、姫様の夢では見えないのでしょうか?」
「運命と神の意志に遮られて見えない筈です。彼女はゼルダに深く関わり過ぎる」
「と、申されますと?」
「少女の名はカヤノ」


その名を聞いた瞬間、インパが息を飲んだ。
衝撃に目を見開き小刻みに口元が震えて……ややあって何とか口を開く。


「王妃様、確かその名は封じられた……!」
「ええ、今のハイラル王国にとって最大級の禁忌でしょうね」


言葉とは裏腹にヒルダは微笑んでいた。
その笑みは自嘲的なものだったが、その理由をインパは知っているので何も言えない。
そして同時に、死期を悟った王妃が心穏やかな理由も分かった。


「こうなるのなら、ゼルダに強い魔力を受け継がせるべきだったのでしょうか」
「王妃様……」
「……いいえ、もし魔法が未熟な時期に危機が訪れてしまえば、力を持っていたばかりに戦おうとして命を落とすかもしれない」
「その可能性もあります。確実な予知が不可能な以上は、何を言っても想像にしかなりません」
「そうですね。……インパ、もし未来の少年少女達が困っていたら、助けてあげて下さい」
「畏まりました。姫様が最優先にはなりますが、余力があれば必ず」


話したい事は話し終えた。
インパが部屋を後にし、下がらせた侍女達が戻るまでの一人の時間、ヒルダは愛しい娘に想いを馳せる。


「愛してるわ、ゼルダ。いつか必ず幸せになってね」


王妃ヒルダは、微笑んでいた。


+++


そして現在、炎に包まれたハイラル城。
もはやその役目を終えようとしている玉座の間、ハイラル王が追い詰められていた。
後方には玉座、前方には息絶えた護衛達と、更に先にはガノンドロフとその配下達。


「ご機嫌如何ですかな、ハイラル王」
「おのれ、ガノンドロフ! あの忠誠は嘘だったというのか!」
「……哀れだな。先の戦争の原因を知っているばかりに、それを避ける事ばかり考え娘の訴えにも取り合わぬとは」
「……ゼルダ……」


今となっては、娘の訴えを退け続けた事が悔やまれる。
それによって娘を酷く傷付け不安にさせてしまったであろう事も。

先の戦争……統一戦争。
あれはハイラルと南西にあった小国との間に起きた争いで、ハイラルがとある疑惑を隣国に対して持ち、それを隣国が晴らせなかった事が原因だ。
当時はまだ王子だったハイラル王は、隣国の王子とは良き友人だったが……。
その友人の言葉が原因で疑いを持たれてしまった。


「(なぜ私は……同じ思いをゼルダにさせてしまったのだ)」


その“疑惑”は間違いだ、彼が、彼らが“そんな事”を企む訳は無いと何度父王に訴えても、元々隣国を制圧したがっていた父は聞き入れてくれなかった。
あの時の悔しさと心細さ、友や隣国の人々に対する申し訳なさは筆舌に尽くし難いものだったというのに。


「ガノンドロフ、貴様は……何が目的だ」
「聖地のトライフォースを我が物とし、この国を、そしていずれは世界を支配下に置く」
「そのような欲望の為だけに……!」
「ああ、貴様と王家には個人的な恨みもあるがな」
「なに……?」


それを言われた瞬間、ハイラル王に浮かんだのは一つの心当たり。
以前は排他的で異なる神を信じる事を禁じていたハイラル王家は、すぐ近くにあり異なる神を信仰していたゲルド族を迫害していた事がある。
それが原因かと思い口に出そうとしたが、その前にガノンドロフが口を開いた。


「カヤノ」
「……!?」


一部たりとも予想していなかったその単語……いや、名前。
みるみるうちにハイラル王の顔が青くなり、声も体も震え始める。


「なぜその名を……それは封じた筈だ!」
「封じた? フン、やはり貴様らは傲慢だな。都合の悪い事実を隠し、無かった事にしようとする」
「知っているのか? ……いや、“知っていた”のか!?」
「だから恨みがあると言うのだ。配下が手を出さないのは、俺自身の手で貴様を始末する為」
「……カヤノと、それ程までに親しかったというのか……」


ハイラル王がそう言った瞬間、間を空けていたガノンドロフがハイラル王の元へ。
そして彼の腹を蹴り上げる。


「がはっ……!」
「貴様が! その名を呼ぶな!!」


それまで余裕を見せていたガノンドロフの激高した態度。
咳き込みながら倒れ込んだハイラル王を冷たく見下ろすと、大剣を手に切っ先を王へ向けた。


「本当なら時間を掛けて嬲り殺してやりたいが、やる事があるのでな。貴様には早々に退場して貰おう」
「ま、待て! ゼルダには手を出すな……!」
「……“力”を持たぬ弱者は何も守る事が出来ない。それが道理だ」


それは、あの統一戦争が終わった時からガノンドロフが持つようになった思想。

ガノンドロフは切っ先を突き刺そうと剣を構える。
そのままの姿勢で嘲笑うような笑みをハイラル王へ向けて。


「一つ教えてやろう。あの世に行っても、貴様の妻は貴様を待ってはいないぞ」
「……だろうな、愛される心当たりが無い。恨みなら山ほど買っているだろうが」
「よく分かっているじゃないか。だがそれだけが理由ではない」
「……?」
「貴様の妻は生きているからな」
「な……!?」


その言葉の意味を訊ねようとしたハイラル王だったが、それは叶わなかった。
切っ先が正確に心臓を貫き、血を吐いた王から急速に命が失われて行く。
消えてゆく意識の中、王はただひたすらに謝罪していた。


「(私の不足が……こんな事態を……。ゼルダ……どうか、生き、て……)」


王の脳裏に巡ったのは走馬燈。
しかしその内容さえも懺悔と謝罪を繰り返したくなるようなものばかり。


「(すまない……我が……友……グ……テ……、我が……妻……ヒ、ル、ダ……)」


最後に思い浮かべるのはその名なのかと王に自嘲の笑みが浮かぶ。
悔恨に満ちた哀れな王の人生は、そこで幕を閉じた。


+++


「ゲルド族が反乱を起こしたぞーーーっ!!」
「クーデターだぁっ!!」


城下町の人々がこぞって入り口の方へ向かい逃げて行く。
その人波に逆らいながら、リンクとカヤノはハイラル城を目指していた。


「エポナ、あなたは城下町の外へ出て!」


カヤノがそう言ってもエポナは頑として付いて来る。
リンクの頭に乗っているナーガも逃げる気は無いらしく、こうなったら連れて行くしかないわよ、というナビィの言葉に従う他なかった。

人々の間をすり抜け、町を奥へ抜けて城へ続く丘に辿り着いた時、燃え盛る城の方から一頭の白馬が駆けて来た。
その背に、ゼルダとインパを乗せて。


「ゼルダ!!」
「ゼルダ姫っ!!」
「リンク、カヤノ……! インパお願い、馬を止めて!」
「駄目です、ガノンドロフに追い付かれれば殺されてしまいます!」


ゼルダが必死に馬を止めて欲しいとインパに懇願しても、追われている為にそんな余裕が無いようだ。
カヤノは白馬が通り過ぎる前に素早くリンクへ声を張り上げる。


「リンク、ナーガと一緒にエポナでゼルダ姫を追い掛けて!」
「カヤノは!?」
「私もすぐに追うから、早くっ!」
「カヤノならワタシが一緒に居るわ!」


ナビィにも言われ、リンクは一瞬だけ躊躇った後すぐさまエポナに乗ってナーガと共に白馬を追った。
あっと言う間に遠ざかる二頭を見送るのもそこそこに、カヤノはナビィと共に来た道を駆け戻る。


「あと少しでゼルダ姫に精霊石を渡せたのにっ……どうして、こんな時に……!」
「まるで狙ったようなタイミングね。最初に城の中庭でゼルダ姫に会った時、ガノンドロフが来たけど……あの時から目を付けられていたのかしら」


ナビィの予想にカヤノは嫌な予感が広がり始める。
もしかすると自分達は泳がされていたのかもしれない。
デスマウンテンやゾーラの里に行っていたらしいガノンドロフが自分達を放置していたのは、精霊石を集めさせ、3つ揃った所を奪うつもりだったからではないか。

精霊石が手に入ればハイラル城へ戻って来る、という事は簡単に予想出来るだろう。
そこを狙えば、それまでカヤノ達が国のどこに居るのか分からなくても問題ない。
それに思い至らなかった事を悔やんでも時既に遅し。

すっかり人の居なくなった城下町を通り抜け、町の出入り口の跳ね橋を渡った先、エポナから降りたリンクが呆然と平原の方を見つめていた。


「リンク、ゼルダ姫は!?」
「カヤノ……ナビィ……」


悔しさと悲しさの混ざる顔で振り返ったリンクの手には一つのオカリナ。
澄み渡った空のような、ゼルダの瞳のような美しい青色で、吹き口の部分にトライフォースの印が刻まれている。
時のオカリナ……ゼルダから話を聞いた王家の秘宝。


「ゼルダが、受け取ってくれってこれを投げて。放っておけずにエポナから降りて取ってる間に、ゼルダ達を見失った……」


リンクが言うにはこれを受け取った瞬間、ゼルダが込めていたらしい想いが見えたそうだ。
リンクとカヤノを待っていたかったけれど時間が無くなった事、聖地のトライフォースを守って欲しい事。
そして時の扉を開く“時の歌”を教わった所で何も見えなくなった。

今から追い掛けようにも白馬を完全に見失っている。
こうなったらゼルダの願いに応えて時の扉を開き、ガノンドロフよりも先にトライフォースの元へ行かなければ……。

そう考えていたリンク達の耳に届く馬の蹄の音。
思わずそちらを見た彼らの目に飛び込んだのは、城下町の方からやって来る大きな黒馬。
その馬が近付いた所でハッとして時のオカリナを隠したリンクだったが、馬上の主にはしっかり見られてしまったようだ。


「小僧。今 持っていた物をよこせ」


トライフォースを手に入れ、聖地を、そして世界を支配せんとする悪の王ガノンドロフ。
見る者すべてを威圧しそうな体躯や声、そして視線に怯んでしまうが、一番に我を取り戻したリンクが剣を抜く。


「ほう、俺に刃向かおうと言うのか」
「リンク、だめっ!」


カヤノの悲鳴に近い制止も空しく、リンクはガノンドロフに斬り掛かる。
圧倒的な体格差で全ての太刀筋をいなされ、奴が放った魔法によって吹き飛ばされた。


「うわあぁっ!!」
「リンクっ!!」


軽く数メートルは吹き飛ばされ地面に倒れたリンクにカヤノ達が駆け寄る。
幸いにも致命傷ではないが、奴との実力差は歴然だった。
ナーガがリンクを守ろうと前に出てガノンドロフを睨み付けたが、生物の本能で敵わない事を悟ってしまったのか、体が震えている。
このままでは全員殺されてしまう……!

八方塞がりか、と諦めかけたカヤノがふと視線を落とすと、荷物入れから何かがはみ出ていた。
それはサリアがくれたオカリナ。
瞬時にある作戦が頭を巡り、カヤノは小声でリンクに告げる。


「リンク、私がサリアのオカリナを持って囮になる。あなたはその隙にナビィと一緒に、時のオカリナを持って時の神殿に行って」
「な……! 出来るワケないだろそんな事!」
「どうした、もう来ないのか? こそこそと何の作戦だ」


リンクが発したやや大きめの声によって、ガノンドロフに会話している事を知られた。
これで更に時間が無くなってしまった訳だが、このリンクの焦りを利用すれば作戦が上手く行くかもしれない。
カヤノはまたしても小声で口を開く。
その表情が何かを覚悟したような穏やかな笑顔で、リンクは息を飲んだ。


「ゼルダ姫に言われたんでしょう、トライフォースを守って、って」
「で、でも……!」
「どうか姫の願いを叶えてあげて。信じてるわ、リンク」


それ以上は何も言わせないとばかりに立ち上がり、カヤノは半ば隠すようにサリアのオカリナを持った。
すぐさまナーガを頭に乗せてエポナに乗り、走り出す。


「カヤノっ!」
「リンク、逃げて! オカリナは私が守る!」
「駄目だ、こんな事……! 戻ってよカヤノ! カヤノーーーっ!!」


決して演技などではない、リンクの悲痛な叫び声。
ダメージの為に立ち上がるのがやっとの彼はとてもエポナを追えない。
目論見通りにガノンドロフはカヤノを追って来た。


「(直に追い付かれる。早くリンクが見えない所まで離れないと……!)」


ハイラル平原はその名の割に丘が多く、位置によっては少し離れれば見えなくなる場所もあった。
もう行動してしまった以上、きっとナビィがリンクを神殿へ導いてくれるだろう。
あれだけ叫んでいたリンクがカヤノを追って来ない事に気付かれれば、この作戦はすぐにバレてしまう。


「エポナ、ごめんね巻き込んで……。どうか力を貸して。全速力で走って!」


エポナはまだ子馬。
ガノンドロフが乗る大きな黒馬とは速度も一駆けの距離も違い過ぎる。
リンクが丘に阻まれて見えない位置まで来たら、小回りが利くのを活かして逃げ回るしかない。

……その後はきっと、殺されてしまうだろうけれど。

リンクが見えない位置まで来た辺りでガノンドロフが追い付いて来た。
捕まりそうになった所を急激に曲がったり小回りを活かして逃げ回っていたが、やがて業を煮やしたらしいガノンドロフが魔法を放って来る。
こうなっては時間稼ぎも難しい。

カヤノは頭に乗せていたナーガをエポナの背に下ろした。
疑問符を浮かべるナーガに微笑み、今の状況に似つかわしくない優しい声音で言い聞かせるように告げる。


「ナーガ、エポナにしっかり掴まって。落ちないでね」
「かやの……?」
「リンクの為にも逃げて。必ず彼と合流してね」


慈愛を込めた優しい笑み。
そしてその笑顔のまま、エポナの背から飛び降りるカヤノ。


「かやの! だめ!」


ナーガの声とカヤノが地面に落ちた音は同時に放たれた。
急カーブした時に降りたため思ったよりダメージや衝撃は少なかったが、当然ながら速度は0になる。
地面に倒れた所を黒馬に服をくわえられ、ガノンドロフの居る馬上に引き上げられた。
カヤノは片腕を掴まれ吊り上げられる。


「うっ……!」
「随分と手こずらせてくれたな。時のオカリナを渡して貰おうか」
「……そんなもの、持っていません」
「シラを切る気か? 無事で居られるうちに従った方が身の為……」
「あなたの言っているオカリナって、これですか?」


少々強気さを感じる笑みを湛えつつ懐から取り出された……サリアのオカリナ。
ガノンドロフはすぐさま奪い取って確認するが、いくら見てもそれは時のオカリナではない。
思わずと言った風にカヤノの手を放して落とし、ガノンドロフは城下町の方角へ顔を向ける。


「……囮だと?」
「今頃きっと私の仲間が聖地へ向かっています。トライフォースは渡しません」


それがゼルダ姫の願いなら、望みなら。
命と引き替えにしてもカヤノは惜しくなかった。
これで私の人生も終わりか、なんて妙に清々しい思いで考えていると、背後から高い馬の嘶き。


「かやの!!」


ナーガの声と共に吹き抜ける風。
気付けばカヤノは、駆けて来たエポナの背中へ本能のみで動くように乗っていた。
夢中で走り抜けるエポナは城下町の方角から遠ざかって行く。

ガノンドロフは追って来なかった。
丘に阻まれ、彼がどこへ向かったのかは分からない。
十中八九 時の神殿だと思うが……。


「エ、エポナお願い、城下町の方へ戻って」


カヤノが言ってもエポナは止まらない。
飛び降りて当たり所が悪ければ命を落としかねない程度の速度は出ており、先程は死を覚悟したカヤノも、さすがにこんな事では死にたくない。
それに助かってみれば生きたいという気持ちも湧いて来る。
今はただリンクの無事を信じるしかなかった。


やがてエポナが辿り着いたのはロンロン牧場。
今までの疲労と作戦の緊張感を持ったまま長い時間エポナの背で揺られていたカヤノは、すっかりクタクタになって脱力しかけている。
それを必死な様子のナーガに支えられながら放牧場の方へ。

聞こえて来るのは優しい旋律の歌。
その歌が途切れ、すぐに聞こえて来る可愛らしい声。


「エポナやっと帰って来たのね、この脱走常習犯! ……ところで乗せてるのって、カヤノ?」


声の主マロンは疑問符を浮かべながらエポナに歩み寄る。
そして背に乗ったカヤノがグッタリしているのを確認して慌て始めた。


「カヤノ!? まさか、また誘拐でもされちゃったの!? 早く休ませないと……!」
「ご、ごめんなさい、マロン、私、迷惑、かけっぱなし……」
「そんなのいいから! ちょっと、とーさん、インゴーさん!」


慌てふためくマロンの声を聞きながら、良い声だなあと呑気に考えていたカヤノの意識が途切れる。
どうやらよっぽど疲れていたらしい。
次に目覚めた時はきっとリンクが側に居てくれる筈。
意識が沈む直前、カヤノはそう考えていた。


+++


「カヤノ、ねえカヤノ!」


あれからどれぐらい経ったのか、カヤノは聞き慣れた声で目を覚ました。
ベッドで寝ていた自分の視線の先にナビィが居て、カヤノは慌てて飛び起きる。
しかしリンクの姿は無い。


「良かったナビィ、無事だったのね……。リンクは?」
「……」
「……ナビィ?」


言い淀むナビィにカヤノの中で嫌な予感が広がって行く。
誰も何も言わずに過ぎて行く静かな時間の中、ベッドの脇に置かれた椅子の上でナーガが立てる寝息が気になった。
やがてナビィが躊躇いがちに口を開く。


「……リンクは、聖地に封印されたわ」
「え……?」
「時の扉の奥に部屋があってね、一つ剣があったの。退魔の剣マスターソード」


リンクがそれを引き抜いた瞬間、聖地への本当の扉が開いた。
どうやらそのマスターソードがこの世界と聖地を繋ぐ最後の鍵だったらしい。
それは勇者としての資格を持つ者だけが引き抜ける聖剣。
しかしリンクはその剣を扱うには幼すぎた為、成長するまで眠り続ける羽目になった。
衝撃に戦きながら、カヤノは震える声を絞り出す。


「それ、じゃあ、リンクは……いつ目覚めるか分からないの?」
「……ええ。ただ一つ分かる事は、数日や数ヶ月じゃないって事」


幼すぎた為に封印されたのなら数年は目覚めない可能性が高い。
またも沈黙が訪れている間にナーガが起き、カヤノのベッドに乗り上げて来る。


「かやの……」
「あ、ナーガ……」
「りんく、は?」


大きな瞳は泣きそうに揺れ、いつもの元気な様子がすっかり鳴りを潜めている。
それを見たカヤノに再び沸き上がる庇護の心。
この子を守ってあげたい、そう強く思わせる。
そうする為には自分自身がしっかりしないといけない。

カヤノはナーガを優しく抱き締めると、一つ一つ言い聞かせるように告げた。


「リンクは今ね、とても大事な事をしているの」
「……だいじな、こと?」
「それが終わるまで戻れない。だけど彼はきっと帰って来る。それまで待っていられる?」


こっそり、不安や恐怖を和らげる巫女の力を使う。
するとナーガの瞳に光が戻って行き、弱々しかった声も元に戻って来た。


「……きゅう」
「ん、良い子ね。きっとリンクも褒めてくれるわ」
「カヤノ……あなたは待てる? そんな生活、できる?」


ナビィまで不安そうに訊いて来る。
その中にはカヤノがゲルド族、延いてはガノンドロフに狙われていた事も含まれているだろう。
リンクが戻るその日まで、出来るだけあちこち転々としながら生活する必要がある。
半ば逃亡生活のような日々を送らねばならない事をナビィは心配していた。

それはカヤノも不安に思っているが、こうなった以上はやるしか無い。
その生活を選ばなければ、待つのは恐らく絶望だろうから。


「やる。私はリンクを待ちたい。例え何年掛かっても」
「カヤノ……」
「それにあちこち移動しながらゼルダ姫を探しても良いと思うの。合流できればきっと出来る事が大幅に増えるだろうから」


カヤノが囮を申し出た時の覚悟を決めたような微笑を浮かべるのを見たナビィは、それ以上 不安を煽ってしまいかねない質問をするのをやめた。
自分に出来るのは運命を受け入れ、そして立ち向かう決意をしたカヤノを助け見守る事。
それを改めて自分の心中で再確認してから、ナビィは明るく声を上げた。


「分かったわ、ワタシも一緒に居るからね。ひとまず暫くは牧場でお世話になりましょ」
「うん。ありがとうナビィ、あなたが居てくれて私……凄く安心した」


一転、寂しそうな笑顔で言うカヤノ。
強くなろうとする彼女が見せる本心であろう不安に、ナビィは寧ろ安心する。


「(辛い時は辛いって言って良いのよカヤノ。ワタシは受け止めるから)」


リンクが居ない今、カヤノを支えるのは自分だと再確認。
戦闘力の無い自分では守れないかもしれないが、サポートだけなら色々な事が出来る。

改めて再会を迎える日まで生き残る事を誓うカヤノ達。
リンクが戻るまでは、あと……7年。
長きその時間を、未だ彼女達は知る由も無かった。





−続く−



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