時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

第9話 虜囚の巫女


緑豊かなハイラルの地は西へ行くほど荒涼として来る。
岩肌が剥き出しで荒れていても生命の力強さを感じたデスマウンテンとは違い、とても生き物が住めるような環境ではないように見えた。
吹き抜ける風も命を運ぶかのようなハイラルのそれとは違い、からからに乾いて死を運ぶように吹き抜ける。

謎の女戦士達に連れ去られたカヤノは馬に乗せられ、この荒れ果てた大地までやって来た。
女戦士達の会話の端々から察するに、彼女達はやはりガノンドロフと同じゲルド族。
生命を奪うかのような風が吹き始めた辺りからはゲルド族の領地のようだ。

砂漠に住んでいると聞いていたがここはまだ荒野といった様相。
やがて前方に石造りの立派な砦が現れる。
ゲルドの盗賊達がアジトにしている砦のようで、カヤノは頑強な鉄格子が填められた牢屋に入れられる。


「痛い目を見たくないなら、ガノンドロフ様がお帰りになるまで大人しくしてな」
「ま、待って下さい! どうして私を……」


カヤノの質問に答えず女戦士は去って行く。暫くは鉄格子に縋り付いていたカヤノだったが、やがて諦め、牢の奥の壁に背中を預けて座り込んだ。


「……リンク、ナビィ、ナーガ……」


彼らは自分を心配してくれているだろう。
ひょっとしたら助け出そうとこちらへ向かっている可能性もあるが、砦は複数のゲルド族が見張っておりとても侵入できるとは思えない。
この砦の地理が分かる者が居ればいいが、利用するのはガノンドロフの息が掛かった者だけのようなので、望みは無いと見るべきか。

女戦士の言葉から察するにガノンドロフの命令で連れ去られたらしいが、なぜ自分がそんな目に遭うのかカヤノはさっぱり分からない。
一つ心当たりがあるとすれば昨日……もう日が昇っているので一昨日か。
ゼルダと遊んだ日の夜に出会ったガノンドロフの様子。
何故か引き止められ名前を訊ねられ、手を差し伸べてこちらへ来るよう言われた。

あの時の彼からは、邪悪な様子というものが全く感じられなかった。
恐怖も感じず、ひょっとして悪い人ではないのでは……なんて、絶対に疑いたくない筈のゼルダの予知夢を否定するような考えまで浮かんでしまい、慌てて自分の思考回路を戒める。

……その時、ふと一つの考えが頭に浮かんだ。
この牢を隔てる鉄格子は頑強だが、扉は普通に施錠されており何か特殊な仕掛けで閉じられている訳ではなさそうだ。
鍵の部分をディンの炎で壊すなり溶かすなりすれば開くのでは。
攫われる時は女戦士に抱えられていた為に魔法を使えず、それ以降、魔法の事をすっかり忘れていた。

リンク達はきっと助けに来てくれるとは思うが、もしその前にガノンドロフがやって来たらどうなるだろう。
リンクの所へ戻れなくなったり、最悪 命を奪われるかもしれない。
運命を受け入れられるようになったからといって、こんな運命は……。


「(……受け入れたくない。私は生きてゼルダ姫の所に戻る!)」


幸いにも牢を直接見張っているゲルド族は居ない。
恐らく砦の外やこの牢に繋がる別の部屋を見張っているのだろう。
鉄格子の扉に出来るだけ近寄り、ディンの炎を発動させる。
小さめの炎で炙るようにじりじりと鍵部分を熱し続けると、ぴったり閉じられていた扉が少しだけ揺れた。
行けるかも、と思って更に炙り続けると、やがてパキッと壊れるような音が聞こえる。
扉を押すと呆気なく開いてくれた。


「(やった……! 早く脱出しないと)」


足音を立てないよう慎重に小走りで駆け出す。
下りになっている通路を進むと出入り口に到着するが、外に複数の見張りが居るのを確認し慌てて牢がある部屋まで戻った。
今度は逆方向の上りになっている通路を進んでみると、一階部分の屋根の上に出る。
石造りの砦は屋根が平らで、普通に2階3階の通路として利用されているようだ。
下の見張りに見つからないよう姿勢を低くして砦の端の方まで行くと、どこかから馬が鼻を鳴らしているような音が聞こえて来る。


「(どこかしら……下?)」


砦の端から見下ろすと馬繋ぎ場があり数頭の馬が繋がれている。
幸いにも周囲にゲルド族の姿は無い……今が好機だ。

明かり取り用の小窓だろうか、一階部分に空いていた細い穴に足を掛け、更に手を掛けて高度を下げてから飛び降りる。
一頭の馬のロープを解いてその背に乗ると、突然の事に馬は暴れようとするが、カヤノは優しく撫でながら声を掛けた。


「いい子だから……お願い、言う事を聞いて。私をリンク達の所に帰して」


その声に、所作に、暴れようとした馬が大人しくなる。
以前思わずリンクに使ってしまった、不安や恐怖を和らげる巫女の力。
この能力が勇気あふれるリンクの役に立つ事は無いだろうが、意外な所で役立ってくれた。

カヤノは手綱を操り、ゆっくりと馬を歩かせる。
この場所は砦に隠れて死角になっているが、脱出しようと思ったらゲルド族達が見張る広場を駆け抜けなければならない。
怖いが、行かなければ。
ガノンドロフに会えばどんな目に遭うか分からない。


「(勇気を下さい。どうか……)」


一瞬。
誰に願おうかと悩み、ふと浮かべてしまったのは母親。
自分が殺した家族に縋ろうなんて虫がよすぎる。


「(……行こう)」


一つ深呼吸をしたカヤノは手綱を打って馬を走らせた。
広場に飛び出た瞬間、ゲルドの女戦士達が止めようと寄って来る。


「おい、そこのヤツ! 止まれ!」


そう言われて素直に止まる訳にはいかない。
手綱を何度も打って全速力で馬を走らせ、段差を飛び降りる準備をする。
連れて来られる時に見たからハイラルの方角は覚えている。
段差を降りてから向かって左方向に進めば戻れる筈だ。

ゲルド族達が何人か飛び出して来るが、止まれば捕まる。
速度を緩める事なく突っ込んで行くと大抵は避けてくれるが、中には馬の足が少し当たり、弾き飛ばされる者も。


「(あれ、打撲で済むかな……骨が折れてるかもしれない。……ごめんなさい)」


悪党相手なのだから何も気に病む必要は無いかもしれないが、どちらかと言うと自身の心の平穏の為に口に出さず謝罪するカヤノ。
何とか避けて弾き飛ばされなかった者も、前方に飛び出せばカヤノが馬の速度を緩めるだろうと踏んだのにそのまま突っ込んで来たせいか、慌てて地面に飛び込んだ為に怪我をしているだろう。

ゲルド族達は馬に乗っていない。
今から馬に乗って追い掛けられるにしても、このままの速度を保てば逃げ切れる。
心臓がばくばくと高鳴り、息苦しさを覚えて一つ大きく息を吐き出したカヤノ。

……瞬間、馬が悲鳴のような鳴き声を上げる。
えっ、と思ったのも束の間、急激にバランスを崩した馬は転倒。
必死でしがみ付いていた為に勢い良く叩き付けられる事は避けたが、馬もろとも転倒するのは避けられなかった。
痛みに震えている間にゲルド族達が駆け付け、腕を捕まれて立たされる。
ふと目をやると、馬の足の付け根に矢が突き刺さっていた。


「そん、な……」
「いらない手間を掛けさせやがって。お陰で怪我人が出るわ馬が一頭駄目になるわ散々だ。お前達、この小娘を痛め付けてやりな!」


ゲルド族達がカヤノの両腕を掴んで無理やり引き摺って行く。
相手が屈強な女戦士では、いくら抵抗しても効果は無い。


「放して、いやぁっ!」


カヤノの悲鳴は、体と一緒に砦の中へ吸い込まれて行った。



それから程なくして砦にリンク達がやって来る。
先の方は巨大な門で隔たれており、あれを開けなければこの場所で行き止まりだ。


「カヤノ、この砦に居るのかな?」
「分からない。あの門の向こうへ連れて行かれたとすれば厄介だ」


リンクとダークが話し合っている間に、ナビィが高く飛んで砦を見渡す。
ゲルド族の見張りが複数……見付からずに抜けるのは困難だ。
そもそも、この砦にカヤノが居るという確証すら無い。
命がけで侵入して無駄骨では救われない、が。


「無駄骨になるとしても、これ以上 情報が無いんだから行くよ」
「俺も同意見だ」
「分かってる、ワタシだって同じよ。とりあえずワタシが飛んで行って内部を確認して来ようか?」
「ちょっと、そこのボーヤ達」


仲間達の会話の途中で知らない声が割り込んだ。
驚いてそちらを見ると、褐色の肌に燃えるような赤い髪をポニーテールにした美女。
思い切りゲルド族の特徴を持つ女性の登場に、リンクとダークは剣を構え、ナーガは唸って臨戦態勢。

しかし、女性の口から紡がれたのは意外な言葉。


「アンタ達みたいな子供がこんな所に何の用だい? まさかガノンドロフの一味じゃないだろうね」
「えっ? お姉さんは違うの?」
「一緒にするんじゃないよ。アタイは盗賊だけど義賊だからね。弱い者から奪ったり人殺しをするようなガノンドロフとは違う」
「オレ達だって違うよ! ガノンドロフがハイラルを滅ぼそうとしてるから、それに対抗する手段を探して旅をしてるんだ!」


真っ直ぐそう告げたリンクに女性は、「いい根性してるじゃないか」と楽しそうに笑う。
女性はナボールと名乗った。
ゲルド族は100年に一度しか男が生まれず、そうして生まれた男はゲルドの王になる掟があるそうだ。
しかし平気で弱者を蹂躙したり罪の無い者を殺したりするガノンドロフが王になるのを認めたくないという。
そこでガノンドロフに従う者が集う砦で一騒動を起こし、奴の鼻をあかしてやるつもりだと。


「義賊は悪い奴から奪うもんさ。ちょいとお宝でも頂こうかと思ってね」
「じゃ、じゃあアナタ、砦の構造には詳しい?」
「ああ。何度か入った事があるよ」


ナビィの質問に即答するナボールに、リンク達に希望が湧く。
仲間の女の子がゲルド族に誘拐されて行方が分からない、こっちの方に来たのは確実だと事情を説明すると、ナボールは何かを思い出す。


「そう言えばさっき、砦の方で騒ぎがあったみたいでね。ゲルドの特徴を持たない子が引っ立てられて行ったよ。真っ黒い髪をした、ボーヤ達より少し大きいくらいのお嬢ちゃんだった」
「! きっとカヤノだ、助けなきゃ……!」
「それじゃあここは手を組まないかい? アタイなら力になってやれるよ」


その言葉に少しだけ迷うリンク。
良い人そうだがゲルド族だ。信じてもいいのか……。
その迷いを感じ取ったか、ナビィが背中を押すように口を開いた。


「ここは協力しましょ。言い方は悪いけど、子供を倒すためだけにこんな芝居をするとは思えないわ」
「その通り、ゲルドの女はそんじょそこらの男よりずっと強い。ボーヤ達を始末するつもりならこんな小芝居打たないで、普通に戦うさ」
「……そうだね。オレはリンクで、こっちはダーク、妖精のナビィに子竜のナーガだよ。よろしくナボール!」
「竜まで居るとは心強いねえ。じゃあ行こうか」


エポナは砦の敷地の外で待っていて貰う。
ナボールの案内で、岩の陰に隠れたり見張りを不意打ちで気絶させたりしながら広場を抜けるリンク達。
上手く砦の中に入り込めただけでかなりの収穫だ。
ナボールが居なければここまで順調には行かなかっただろう。


「すごいや! ゲルド族がみんなナボールみたいな人だったらいいのに」
「昔はガノンドロフやその配下もここまで酷くなかったんだよ。ま、目に余る略奪や理不尽な殺しはその頃にもあったから、アタイは当時からヤツらが気に食わなかったけど……今ほどじゃなかった。何があったか、統一戦争が終わった辺りから一気に様子がおかしくなったね」
「え……そうなんだ」


ナボールの話では、ガノンドロフとその配下は統一戦争の頃に、ハイラルと戦う事になった隣国へ度々行っていたらしい。
そう言えばガノンドロフがどうやって聖地の秘密や時のオカリナの事を知ったのかカヤノが疑問に思っていたが、ひょっとしたらその隣国で何かを知ったのかもしれない。
だから統一戦争終結後に様子がおかしくなったのではないだろうか。
何にしても今は推測の域を出ない。
それよりカヤノを助けるのが先だと、リンク達は改めて気を引き締めた。



一方、カヤノ。
彼女は先程入れられていた牢とは別の牢がある場所に連れて来られていた。

他の牢がある部屋は少なくとも他所へ通じる通路が二つあり、行き止まりにはなっていない。
しかし今居る部屋は他所へ通じる通路が一つだけで、完全な行き止まり。
広いが殺風景で奥に牢屋があるだけの部屋。
明かり取り程度の窓も無いので、篝火だけが頼りの薄暗い場所。

そんな部屋の中央でカヤノは、天井から伸びる鎖に両手を拘束され吊し上げられていた。
両足も縛られて殆ど身動きが取れない。
周囲には複数の女戦士。
怯える彼女の目の前に、一人の女戦士が鞭を見せ付けるように掲げる。


「痛い目を見たくないなら大人しくしてな、って言ったんだが。大人しくしないって事は痛い目を見たいんだろ?」
「ひ……い、いや……」
「ガノンドロフ様がご所望だから殺しやしないさ。だけど……」


女戦士が鞭を振り上げ、カヤノの体に叩き付けた。


「あぅっ!」
「面倒を掛けられたお礼はたっぷりしてやるよ」


女戦士はニヤリと笑むと、カヤノの体を打ち据え始める。
鞭のしなる音や体を打つ甲高い音、打たれる度に響くカヤノの悲鳴。
それらの音が殺風景な部屋に木霊する。


「あぐっ! うぅっ! はぁぅっ! ひきゃぁっ!」
「可愛い悲鳴を上げるじゃないか。痛め付け甲斐がある」


何度も何度もしつこく叩き付けられる鞭。
暫くそうしていると、カヤノの悲鳴が小さくなって行った。
痛みと体力の減少で叫ぶ気力も無くなりかけているらしい。
リンク達より大きいとはいえ、子供の身にこの仕置きは厳し過ぎる。

女戦士達はカヤノを鎖から下ろし、足を縛っていた縄も解くと床に転がした。
起き上がれずに荒い息を吐き出すしか出来ないカヤノ。
石造りの床の冷たさがいっそ心地良かった。


「はっ……あ、うぅっ……」
「これで逃げ出す気力も無くなったか。次に妙な真似したらもっと酷い目に遭わせてやるからね。お前達、この小娘を奥の牢に繋ぐんだ。もう逃げ出せないように楽な体勢は取らせないよ」


その命令を受け、周囲の女戦士達がカヤノを奥の牢へ担いで行く。
牢の奥の壁には手足を拘束する為の枷が取り付けられており、それらは位置を調整できるようになっている。
牢の奥の壁に押し付けられたカヤノは、床に立ったまま両手を広げさせられ、壁に枷で固定された。


「もっと足を開かせな」


女戦士達は命令通りに左右からカヤノの足を引っ張って大きく開かせ、その状態で足首を壁の枷に固定した。
足に負担が掛かる状態で磔にされたカヤノ。
鞭打ちから解放されても体は楽にならず、汗を浮かべて呻き声を上げる。


「うぅ……」
「地味だがキツいだろ? 長時間このままにしていると解放された後も暫く歩けなくなるよ。ガノンドロフ様への献上品だから壊す訳にはいかないが、このくらいはしておかないと、また逃げられるかもしれないからね」


女戦士達は牢の鍵を閉め、カヤノを放置して部屋を後にした。
それはガノンドロフが来るまで磔の状態から解放されない事を意味する。
鞭打ちで体力が奪われた後にこの仕打ちは予想以上に辛く、苦しみを誤魔化そうと唯一自由になる首を動かし、呻き続けた。


「あぁあぅぅっ……っくぅぅぅ……」


せめて足を閉じられたら楽になるのに、手足を拘束する枷はびくともしない。
もはやこれは軽い拷問だ。
軽いと言っても体力が奪われた後では泣きたくなるほど辛い。


「……リンク、ナビィ、ナーガ……。 ……ゼルダ姫……」


最後に名を呼んで思い浮かべたのは、愛らしいゼルダ姫の笑顔。
生きて彼女の所へ帰ると誓った希望は、帰れないかもしれない、と、絶望に変わりつつあった。



その頃、リンク達。
脱出の際に厄介になると判断し、弓矢を持っていた見張りを優先的に気絶させ、砦の中にあった縄で縛り上げて行く。


「もう結構 探したよね……。ねえナボール、ひょっとしてカヤノ、ここには居ないのかな?」
「落ち着くんだよ。アタイの記憶が正しければ、あと一つ牢獄がある。そこは行き止まりで危険だから後回しにしてたんだが、こうなっちゃ行ってみるしかない」
「そこだけ行き止まりなの? 他の牢屋は道がいくつかあったけど」
「そのカヤノってお嬢ちゃんはヤツらにとって、それほど逃がしたくない獲物なんだろうさ」


背の低いリンクやダーク、ナーガの存在は、ナボールには有り難かった。
小ささを活かして物陰に隠れ、不意打ちで気絶させる戦法が成功している。
ナビィによる偵察も安全を確保するのに一役買っていた。

隠れ、隙を伺い、どんどん砦の奥へ向かって行く彼ら。
やがて薄暗い通路の奥、殺風景な広い部屋に辿り着く。
何も無い部屋だが奥には牢屋があって……中に誰かが居た。


「……カヤノ? カヤノだよね?」


返事は無い。
しかしきっとカヤノだと確信し、近寄るリンク達。
何故か突っ立ているように見え、それは見間違いだろうと思ったのだが……。

そこには立ったまま、牢屋の壁に大の字で磔にされているカヤノの姿。
カヤノ自身はぐったりと力を失っているが、大きく開いた状態で強制的に体を支えさせられている足だけが、小刻みに震えている。


「っ、カヤノ!」
「ねえちょっと大丈夫!? しっかりして!」


慌てて鉄格子に縋り付くリンクとナビィ。
ダークはナーガを抱え上げると鉄格子の扉に近寄る。


「ナーガ、炎を吐いて鍵を壊せ」


カヤノが受けた仕打ちを見て憤慨したナーガは、気合いを入れて一気に高熱の炎を吐いた。
鍵が壊れ、開いた扉から中へ入り込む。
手足の枷を外してやるとそのまま倒れて来て、ナボールが慌てて抱き止めた。


「カヤノ、しっかりしてカヤノ! ナボール、カヤノは……!」
「……大丈夫。休ませれば回復するよ。しかしこれは……」


カヤノを抱えて牢から出たナボールは部屋を見上げ、拘束用の鎖が天井から垂れている事に気付く。
壁際には使用されたであろう鞭や縄が放置されており、カヤノが何をされたのか分かったナボールは吐き捨てるように口を開いた。


「こんな子供にまで……ふざけるんじゃないよ!」


ナビィとナーガはカヤノに寄り添って離れようとせず、リンクは歯を食い縛りながら俯いている。
ダークは何を考えているか分からない無表情のままだったが、ちゃんとカヤノの心配はしているらしい。


「リンク。早く戻ってカヤノをきちんと休ませるぞ」
「分かってるよ……。ナボール、あと少し協力して」
「当たり前さ! やっぱり許せないヤツらだよ。攫ったって事はヤツらにとってカヤノが必要って事だろ? 取り返してやれば一泡吹かせてやれるしね」


見つからないうちに部屋を後にし、砦の屋根の上を進む。
ナボールは馬小屋へ行きカヤノと一緒に脱出してくれるらしい。
エポナは……マロンに教わったあの歌を吹けば来てくれるだろう。


「ここが正念場だ、最後まで気を抜くんじゃないよ」
「了解」


ここを抜ければ、カヤノを連れて帰れる。

ナボールと一緒に下まで降り、彼女が馬に乗って来るのを待ってエポナの唄を吹いた。
ゲルド族達が何事かと辺りを見回す広場をエポナが走って来て、追っ手が来る前に急いで飛び乗る。
ちなみにダークは来る時と同じ、リンクの影の中だ。


「リンク、何も考えず全速力で付いて来な!」
「うん!」


ナボールに先導されエポナを全力で走らせる。
広場を抜けている途中、追って来るゲルド族達が慌てているのが見えた。
弓矢で侵入者を射貫こうとしたらしいが、残念ながら射手は全員リンク達が気絶させ縛っているので不可能だ。

砦を脱出し、ハイラルへ戻る途中の川に掛かる橋をナボールが切り落とした。
他にも道はあるだろうがだいぶ遠回りになるという。
これで暫くは追って来られないだろう。
馬を走らせ続けロンロン牧場に帰還しようやく一息ついた所で、リンク達を見付けたマロンが駆け寄って来た。


「妖精クン! カヤノもいっしょね、よかったぁ!」
「ただいまマロン、エポナを貸してくれてありがとう」


エポナから降り、マロンの所へ行かせる。
自分から手伝いに来てくれたらしいエポナだが、さすがに帰り着いた今はホッとした様子だ。

リンクは次にナボールの所へ行き、改めて礼を言う。


「ありがとう、ナボールが居なかったらカヤノを取り戻せなかったかもしれない」
「ああ。アタイもガノンドロフの一味に一泡吹かせてやれてスッキリしたよ。取り敢えず今は早くカヤノを休ませて……」
「……う……?」


ナボールの言葉の途中、同じ馬に乗っているカヤノが目を覚ます。
そしてすぐ傍に居るゲルド族に気付いて慌てるが、リンクとナビィが事情を説明してくれた。


「そうだったんですか……ナボールさん、助けて下さって有り難うございます」
「礼ならボーヤ達にしてやんな。それより早く休んだ方がいい」
「そうします。今はとにかく、ゆっくり寝たいです……」


マロンにお願いし、再び客間を借りる。
ベッドに入って一つ息を吐くと安心からか泣きたくなった。
ナビィが仰向けに寝ているカヤノの傍に寄り添った。


「カヤノ、大丈夫? 無事でよかった……!」
「うん、平気。心配かけてごめんなさい」
「ホントに心配だったよぉ〜っ!」


目が無いので涙は流れないが、声がしっかり涙声。
喜びの感情もひしひしと伝わって来る。

リンクの頭に乗っていたナーガがベッドに飛び降り、更にリンクの影に入り込んでいたダークが出て来る。
思わぬ再会に上半身を起こすカヤノ。


「ダ、ダーク! あなたまで助けに来てくれたの?」
「当然だ。俺はお前が好きだから」
「はぁ!?」


今の「はぁ!?」はリンクである。
そんな彼のリアクションには何も反応せず、相変わらずの無表情と抑揚の無い声でダークはカヤノの頭を押した。


「ひとまず寝ろ。今は体力を回復させるのが最優先だ」
「……うん」


押されるまま再びベッドに身を預けると、
急に疲れがドッと出て一気に睡魔が襲って来る。
ナーガが喉を鳴らしているのが子守歌のようにも聞こえて来た。
眠りに沈みかけた頭で、半ば寝ぼけたように言葉を発するカヤノ。


「私……もうダメかと思った」
「うん」
「助けに来てくれて、嬉しかった。本当に嬉しかった」
「うん」
「……ちょっと、休む、ね」
「うん」
「起きたら、……また、一緒に……冒険……」


そこで言葉が途切れる。どうやら寝入ったようだ。
それを確認したダークが扉に向かって歩き出したのを、リンクが引き止めた。


「お、お前、どこに行くんだよ」
「俺には事情がある。あまりお前と一緒に居られない」
「……カヤノの事が好きだって言ったよな。何か関係あるのか?」
「ある。が、今のお前には話せない」
「何だよそれ……って、ダーク!」


リンクが戸惑っている間にダークは去って行く。
気になる事が山ほどあるが、知り合いらしいナビィやカヤノが何も言わないので、恐らく本当に話せない事があるのだろう。
それから暫く寝息を立てるカヤノを見守っていたリンク達だったが、ふと出窓の外、ナボールが窓をコンコン叩いてリンクを呼び出した。
暫くは安全だろうが、念の為に見張りながら話したい事があるらしい。


「リンク、アンタ達はガノンドロフに対抗する手段を探してるんだろ?」
「うん。今は水の精霊石って物を探してるんだ。ゾーラ族って種族が持ってるらしいんだけど、どこにいるのか全く分からなくて……」
「ゾーラ族? それなら一度ハイリア湖で見かけた事があるよ」
「え、ホント!?」
「ああ。そこに住んでるかどうかは分からないけど、行ってみたらどうだい」


インパに貰った地図を渡し、ハイリア湖の場所に印を付けてもらう。
手がかりが全く無い現状、情報が齎されたなら行ってみなければ。
リンクに地図を返したナボールは立ち上がって背伸びする。


「それじゃ、アタイはそろそろ行くかね」
「え、もう? 一緒に来てくれたら心強かったんだけど……」
「お互いガノンドロフの一味に追われてる身だ、分かれた方が戦力を分散させられるんじゃないか?」
「そっか……捕まらないよう気を付けてね」
「ボーヤ達もね。しっかりお姫様を守りなよ!」


ウィンクして去って行ったナボールの言う“姫”とは、カヤノの事だろう。
そう言われると照れ臭くなってどうにも恥ずかしい思いが込み上げて来る。
同時にカヤノの事が好きだと言ったダークの事を思い出し、悶々とした気持ちでヤキモチを焼いたり忙しい。
暫くは屋根の上に居たリンクだったが、ふと下の客間から物音がしたのでカヤノが起きたのだと思い、よく確認もせずに出窓から室内へ飛び込んだ。


「カヤノ、起きた? 情報があったよ、ナボールが教え……」
「…………」
「…………」


二つの理由でリンクは思い切り固まった。

一つは、カヤノが服を脱ぎかけていたから。
着替えようとしていたのだろう、上着を思い切り捲り上げた所でリンクを見ながら止まっている。
そしてもう一つは、晒された彼女の肌に沢山の傷があったから。
傷はどれもが赤い線の形をしていて……。
彼女が囚われていた部屋に、鞭があったのを思い出したリンクの心臓が跳ね上がる。


「カヤノ、それ……その傷……」
「あ、えっと」


捲り上げたまま止まっていたカヤノが動き、慌てて服を下げて肌を隠す。
しかし見られてしまったものを無かった事には出来ない。
ナビィが気まずそうに二人を見つめ、ナーガは小首を傾げていた。


「ヒドい事されたの?」
「……もう、大丈夫だから」


そう言って背を向けたカヤノの声が震えている気がする。
自分より大きな背中が無性に小さく見えて、リンクは思わずカヤノを背後から抱き締めた。


「ひゃっ……リ、リンク?」
「……ごめん、守れなくて。辛い思いさせて……」
「……」
「オレもっと強くなりたい。強くなるよ。そしてカヤノを守るから」
「……うん。私も、頑張って強くなる。強くなったリンクと一緒に居られるように」


背後から回されるリンクの手に自分の手を添えるカヤノ。
そうして暫くの間そのままで居る二人。
それをやや遠巻きに眺めていたナビィが、彼らを見つめたまま。


「ナーガ、ジャマしちゃダメよ」
「きゅ?」
「若い子はいいわねー……まだ若すぎるか」


帰って来た愛しい日常に安堵して、呑気な事を言うのだった。





−続く−



- ナノ -