et ora amet

3章 サルトゥスの傭兵



緑の巫女を探すため、ルミザ達は大陸中央にあるカネレ王国へ入った。
カネレ王国は国土の70%を森が占めており、特に国の西側から中央にかけて広がっている最も巨大な森、サルトゥス大森林には様々な伝説がある。
しかし身を潜める場所が多いためか野盗も多く、治安面ではやや不安がある国だった。
どんな国でも、それなりの大きさがある国から一人の人物を探すのは一苦労だろう。
しかし普通の暮らしをしているのであれば、どこかに知っている人が居るはず。
骨が折れるが、やらなければならない。


「でも、きっと1番大変なのはおまえよね。ごめんねウィア、巻き込んでしまって」


ルミザは自分達が乗る馬の頭を撫でる。
ブルル、と鼻を鳴らし、応えているかのようだった。

ウィアは緊急時の脱出用の馬として飼われていたが、元々はルミザの愛馬である。
ちなみに牝馬だ。
ラエティア特産の種類の馬で、持久力にもスピードにも優れ、力強い。
寿命も一般の馬より長い為にラエティア軍では重宝されている。
ルミザは12才の時にウィアを父から授かった。
何度も練習して上手く乗れるようになった時は嬉しくて乗り回し、周りの者達に自慢して回ったのを覚えている。
あんまり嬉しくて城内にまで入ってしまい、怒られたのはいい思い出だ。


「ウィアもきっと、姫のお役に立てて嬉しいはずですよ」
「そうならいいのだけれど……。この子は本当に、ただ巻き込まれただけだから」


ウィアは構わず、森の中へ向かって歩く。
深い森を見て、彼女は何を思っているのか。


++++++


その日はすっかり夜になってしまっていた為、小さな村に一泊した翌日に本格的にサルトゥス大森林へと入って行った。
カネレ国の西側から中央にかけて広がる森。
つまりカネレの西側にあるラエティアからは、カネレ国内のどこへ行くにも必ずこの森に入らなければならない。
鬱蒼とした森は意外にも木漏れ日が多く、不気味どころか神秘ささえ漂わせていた。


「エリウッド、とにかく人の集まる所へ行きましょう。この森をこのまま北東に進めば王都があるはず」
「そうですね。緑の巫女を探すにも、まずは人に訊いてみなければ」


単なる噂でいい、少しでも情報を掴まなければ。
森の中は馬では進み難い。
王都へ行くなら、少し森を進んでから抜ければ平原を行く街道がある。
だが森を進む方が木々のお陰で視界が利き難く、隠れる場所が沢山あるのでいくらか安心出来た。

森の中にもきちんと道はある事だし、わざわざ人目につきやすい場所を通る事も無い。
このまま進んだ方がいいと判断してざわざわと木々が揺れる深い森を進む。

……ふと、エリウッドがピクリと反応した。
雰囲気を感じ取り、何事かとルミザは彼を見る。
エリウッドは「普通にしていて下さい」と伝え、ほんの少し馬のスピードを早めた。
何が起きているのか分からないルミザだが、突然、視界の端に入っていた草むらが、不自然に動くのを見る。


「ルミザ様、掴まって下さい!」


馬が猛スピードで駆け出した瞬間、先程の草むらから何者かが飛び出した。
1人ではない。
何人も何人も。
馬を走らせているので遠ざかるが、向こうは追い掛けて来る。


「な、何なの!?」
「きっと野盗です! 振り切りますので、落ちないようにして下さい!」


普通なら人が馬のスピードに追い付く事は出来ないが、ここは森の中。
如何せん馬では動き難く本来の速度を出せない。
道を行き、なんとか木々の間を縫って走る。
野盗は既に見えなくなっているが、用心するに越した事はない。
奴らから出来るだけ離れるために、速度を落とさず走り続けた。

やはりカネレには野盗が多いようだ。取り締まっても取り締まっても居なくならない。
カネレ国の王も対策を講じてはいる。
しかし国土の70%を占めている森には隠れる場所が沢山ある。
カネレにとって他国からの侵略を難しくする天然の要塞である森が、カネレ国内にとっては、無法者を匿う害の助長となってしまっていた。

走り続けると、やがて少し広めの道に出た。
更に先には広場のようになっている場所がある。
そこに、誰かが居た。
エリウッドとは少し違う赤い髪。それしか見えない。
このままではぶつかってしまうのに、その人物は避けようとしない。


「エ、エリウッド!」
「っ……!」


こちらが避けるしかなくなり、思い切り手綱を引く。
急激に力が掛かり、バランスが大きく崩れる。
ウィアが倒れ、派手に土煙が上がって2人は地面に落ちてしまった。


「ルミザ様!」


エリウッドが駆け寄り、痛みに体を震わせつつ起き上がるルミザを支える。
彼は文句を言おうと立っていた赤髪の者に目を向けたが……。

そいつは男。赤い髪に赤い瞳、暗い紫のような服に、剣を携えている。
剣が目に入ってから慌ててレイピアを構え、ルミザを庇うように立ち塞がるエリウッド。
男はすぐに、携えていた剣……鋼の剣を手に襲い掛かって来た。
剣と剣がぶつかる高音が深い森に響く。
剣技自体はそれほど差が無いようなのだが、男の方が力が強いのだろう、競り合いの時にレイピアを支えるエリウッドの手が震えていた。
やがて一旦間合いを空けエリウッドがルミザの傍へ戻って来る。
不安げに顔を曇らせ名を呼ぶルミザを見ず、エリウッドは男を見据えたまま口を開く。


「ルミザ様、ウィアを起こして逃げて下さい」
「え……」


あの男は、なかなかの手練れのようだ。
倒すのにもたついたら、野盗どもに追い付かれてしまうかもしれない。
しかし家族に引き続き友人のロイやヘクトルを失ったルミザは、その提案を了承出来ない。
ここでエリウッドを失ってしまえばルミザは完全に独りになってしまう。


「私……出来ない」
「ここで貴女を失う訳には参りません。どうか、お一人だけでもお逃げ下さい」


ルミザだって、エリウッドを失いたくはない。
しかし自分が死んでしまえば、邪神を倒す事も、祖国を助ける事も出来なくなってしまう。
自分の我が儘で、そんな事にさせる訳にはいかないのだ。

ルミザは愛馬のウィアが起きるのを確認しいつでも乗れるように構えた。
エリウッドが地面を踏みしめ直すと、止まった時間が動き始める。
男が向かって来るのと、エリウッドが男へ向かって行くのと、ルミザがウィアに乗るのは同時だった。
だがウィアに乗ったルミザは何を思ったか、戦う2人の方へ突っ込んで来る。


「ルミザ様!?」
「エリウッド乗って!」


男へ突っ込み彼が怯んで飛び退った瞬間、エリウッドはウィアに乗り上げた。
ルミザはすぐさま手綱を操り、そのまま駆け出す。

追おうともせず2人が逃げた方を見続けていた男に、誰かが声を掛ける。
見れば、ルミザ達を追っていた野盗どもだ。


「おいレイヴァン! 奴らはどうした!」


レイヴァン、と呼ばれた赤髪の男は興味がなさそうに目を瞑ると、「逃げられた」と、たった一言だけ喋って黙り込んだ。
野盗の1人がそんなレイヴァンの様子に激昂して怒鳴り散らす。


「こっちは金払ってお前を雇ったんだ! 仕事はきっちりして貰うぜ!」


レイヴァンは、返事も反応もしない。


++++++


一方、こちらは逃走に成功したルミザ達。
また長く馬を走らせていたのだが、やがて休憩がてらに速度を緩めた。
後ろを確認し追っ手がない事を確かめる。
あのさっきの男も賊か、でなければ賊に雇われた傭兵かもしれない。

どの国でも、傭兵はあまり良く言われていない。
戦う事で食い扶持を稼ぐので、戦争がなければ賊の手伝いでもしなければ割に合わなくなる。
金で動き金さえあればどんな仕事も引き受ける、汚いハイエナだと罵る者も少なくない。


「でも、あの人は違うんじゃないかしら」
「えっ?」


何となく直感だが、そんな気がして仕方がない。
襲われたのは事実なので手放しで主張する訳にはいかないが。
とにかくカネレ王都を目指そうと、話はそこで終わった。

馬を走らせ、やがてカネレ王都へ辿り着く。
大森林に護られた王都は何の変わりもなく、沢山の人で賑わっていた。
ルミザは、ただ街並みを見ている。
ラエティア王都の方が大きい街だったが、賑わしさではカネレ王都も引けを取らない。
今、ラエティアの王都はどうなっているのか。
王都を脱出して3日目だが…民達は、城仕えの者達は今、どんな生活を送っているのか。


「ルミザ様、まずは宿を取って、それから聞き込みを……。……ルミザ様?」
「あ…。ごめんなさいエリウッド。行きましょ」
「……」


何も言わない方がいいのかもしれない。
エリウッドはそう思い、敢えて黙り込んだ理由は訊かなかった。
宿を取りに街中を進む。
すると、おそらく街の者だろう、宿の側に屯していた人々が、声を掛けて来た。
街人達は顔を見合せながら不安げな表情だ。


「あんた達、旅の者だろう。ラエティアの国が陥落したのは知ってるか? 落としたのはルネスらしいが、そのルネス軍の一部が街道を通り王都に向かってるらしいよ」
「え……!?」


よかった。
馬に乗っているからと森を避けて街道を進んでいたら、すぐに見つかって捕まっていただろう。
街人の話は、戦いになるかもしれないから、今のうちに王都を出た方がいいという忠告だった。


「困ったわね。ウィリデさんを捜さなければいけないのに……」
「ウィリデ?」


その名前に後ろの方に居た街人が反応した。
話を聞けば、王都のずっと北東に大きな泉があり、その北にそんな名前の少女が住んでいると言う。
2人は街人に泉の場所を教えて貰い、早速そこへ向かった。


++++++


教えられた泉に辿り着く頃にはすっかり日が落ちてしまった。
月明かりが強く視界には困らないが、さすがに今日はここで休む事にする。
泉と言うよりは湖に近く、なかなかの広さがある場所。
泉上部だけぽっかりと木々が切れ、そこから覗く月が美しかった。


「凄い……大きな泉ですね」
「サルトゥス大森林にある最も大きな泉……この泉には伝説があるらしいわ」


二百年ほど前、カネレで内乱が起きた際、様々な村から民兵が徴兵された。
それは強制的なもので、残された者達は嘆き悲しみ、ただ戦に行った者達の帰りを待つしかなかった。
やがて内乱は終わるが戦いなど知らない村人だった民兵達は殆どが死に、帰って来る者など一握り。
この泉の傍にあった村からも民兵が徴兵され、村長の娘の恋人だった男も帰らなかったと言う。
しかし、村長の娘は恋人の無事を信じ、彼に貰った首飾りを彼の身代わりに見立て泉に沈めて祈り続けた。
すると数日後、死んだと思われていた恋人が無事に帰って来たらしい。
それ以来この泉は、行方知れずになった人から貰った物、またはその人の物を身代わりに見立てて泉に沈め無事を祈ると、その人と再会できる……という話が囁かれるようになったという。

ふとエリウッドは、弟のロイから貰った腕輪を付けていた事を思い出す。
その伝説をやってみようかと思ったが、形見になるかも知れない品をそう易々と捨てるのは躊躇われた。


「捨てられないのなら、泉にその品を浸けて祈るだけでいいらしいわ。ただしその場合、何日も続けないといけないみたいだけど」


結構都合のいい話よね、と笑いながらも、ルミザはヘクトルに貰ったイヤリングをそっと外し、泉の浅い所に浸けて祈り始めた。
エリウッドも腕輪を外し同様にして祈る。
風に揺れる木々のざわめきしか聴こえなくなり、行方知れずになった2人の無事を祈るルミザとエリウッドの姿が、月明かりに照らされやけに神秘的に写った。

ふと、後ろの草むらが揺れる音が聴こえる。
驚いた2人がそちらを向くと、そこには。


「……」
「昼間の…!」


昼間、ルミザ達を襲った赤い髪と瞳を持つ男。
身構えレイピアに手を掛けるエリウッドだが、男は暫しこちらを見た後無視して少し離れた水辺へ行き、懐から可愛らしいネックレスを取り出して泉に浸した。
目を瞑り、祈っているように見える。
彼も、誰かとの再会を祈っているのだろうか?
暫く祈った男はネックレスを拾い上げると、踵を返して立ち去ろうとした。
その男に、ルミザは声を掛けてみる。


「あ、あの! 待ってください!」
「ルミザ様っ!」


エリウッドが止めても、もう遅い。
男はルミザの呼び掛けに反応して振り返った。
ルミザは呼び止めてはみたものの、何を言っていいか分からず逡巡する。
だがすぐに、たった一言だけを告げた。


「貴方も、逢いたい方と再会できるといいですね」


微笑んだ表情は、月明かりのお陰でよく見える。
男の驚いた表情も。
暫く時間が止まるが、男はふっと微笑むと、言葉を返した。


「……お前達も、願った奴と再会出来るといいな」


言った後は、すぐに踵を返して立ち去る。
エリウッドは男の印象と違う以外な部分に驚き、ルミザはほらね、と得意げな表情をしてみせた。
やはり、同じ思いを持つと同一感が出来上がるのかもしれない。

男が逢いたいのが誰かは分からない。
あの可愛らしいネックレスからして、女の家族か恋人と言った所だろうか。
知ってしまえば、男が祈る者に逢えればいいと彼の分まで祈ってしまう。
きっと男も、祈ってくれただろう。

泉の近くを探ると、丁度いい洞穴を見つけた。
そこで夜を明かす事にする。


「姫はお休み下さい。僕が見張りをしますから」
「だめよ、そんなの。疲れているのはエリウッドだって同じでしょう? 交代で見張りをしなきゃ」


しかし主君にそんな事をさせる訳にはいかないと、生真面目なエリウッドは頑なで、譲ろうとはしなかった。
困ったルミザは、言い方を変えてみる。


「ほら……私、貴方を頼りにしてるんだから。もしもの時に貴方が疲れ果てていたら、困るわ」
「……そうですね」


常に人の事を考えるエリウッドには、貴方の為と言うニュアンスより、私の為にお願い、と言うニュアンスで言った方がいいようだった。
取り敢えずはルミザが先に休む事にする。


「ではお休みなさい、エリウッド」
「お休みなさい」


ルミザは、深い大森林の泉を照らす月明かりに、そっと目を向ける。
この明かりが悪夢を消してくれれば、と、心密かに祈りながら。





−続く−



戻る
- ナノ -