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18章 迫る影



ルネス兵、武術大会出場者、賞金目当ての人々。
ルミザを狙った様々な者達が崖に作られたエスタースの町を走り回る。
ロイ・エフラム・ヘクトルの三人は、あまり目立たないよう建物の陰や人混みに紛れて行動していた。
兵と大会出場者以外の人々は大半が面倒ごとには関わるまいとしていて、ルミザ捜索に加担しているのは大した人数ではないようだ。
賞金目当ての者達もあわよくばといった風で、エリウッドが一緒なら大した脅威にはならないだろう。
そうなるとヘクトルとしては別の心配がある。


「領主様は国王陛下と一緒に連れて行かれたが、アンジェリカ嬢は無事なんだろうな……。屋敷まで兵の手が回ってなきゃいいが」
「ここからじゃ見えねえし、ルミザ様が行ってるかどうかも分かんないな」
「取り敢えず、一旦宿へ行こう。ひょっとしたらルミザ王女が戻っているかもしれない」


エフラムの提案にロイとヘクトルも頷き、ツイハークの経営する宿へ走る。
急ぎ、しかしルネス兵と鉢合わせないよう慎重に進んでいると、突然海上の艦隊から巨大な炎の塊が数発飛んで来た。
町の建物の無い部分、そして砂浜のあるこちら側と港があるらしい土地を隔てている崖に命中し、低い爆音を立てて辺りを揺るがす。
恐らく威嚇であるとは思われるが、怪我人は出ている筈だ。


「くそ、これも叔父上の指示なのか……!?」
「これが遠距離魔法ってやつなのか。ルミザ様、無事だといいけど」


心配する事でルミザが無事になる訳ではないが、口に出す事で少しでも感情を溜め込まないよう努める。
遠距離魔法の直撃に悲鳴が響き渡る中、良い具合に混乱したため身を隠し易くなり、足を早めた。
崖の中腹にある宿までが、遠くてもどかしい。
やがて宿へ辿り着くと、意外な人物と鉢合わせる。


「あ、あなた達は……!」
「巫女殿、それにサザ!」


ミカヤとサザが、建物の間から飛び出して来る。
どうやら二人だけで脱出して来たらしいが、一見落ち着いているようなミカヤが、よく見ると焦燥している。
一体何があったのか訊ねると、彼女は少しだけ青ざめた顔をひきつらせた。


「詳しくは分からないんですが……ルミザ様に危機が迫っているようです」
「危機!? どんな!」
「ごめんなさい。わたしの力は具体的に何が起きるかまでは分からなくて」


ミカヤは目を閉じ、必死で探ろうとしているようだ。
とにかく早いうちにルミザを見付けねばと宿へ入ると……。
一瞬ロイ達の、特にエフラムの息が詰まった。
ルネス兵だ。3人のルネス兵、奥にはツイハークが居て、何やら話していたようだが。
振り返ったルネス兵達も息を飲み、数歩後退る。
沈黙が訪れるがそれも数秒で、ツイハークがカウンターから出てこちらへ来た。


「君達か。これはどういう事なんだ? あのルミザという子はどうしてルネス兵に追われている?」
「それは、話すと長くなるんだけど……」
「内容如何によっては、敵対せざるを得なくなる」


ロイの言葉を遮ったツイハークは真剣な眼差し。
見れば手には剣、それを確認したロイ達も武器を構え、一触即発状態だ。
話せばルミザに落ち度は無いと分かって貰えるだろうが、ツイハークの人柄がまだ分からないので迂闊な行動には出られない。
そして、結果的にツイハークの背後に居るルネス兵の事も気掛かりだ。
今は大人しくしているが武器に手を掛けており、こちらがツイハークに説明を始めれば、途端に攻撃して来るだろう。

ツイハークとの間合いは微妙な位置、彼が背後から攻撃されても助けられそうにない。
いつ動くべきか逡巡していたロイ達だったが、意を決したらしいミカヤが一歩を踏み出そうとした瞬間、突然ツイハークが剣を振りながら流れるように後ろを向き、軽やかに間合いを詰めるとルネス兵達を斬り伏せてしまった。
居合い斬りで大事なのは速さではなく、相手に自分との距離感を狂わせる事らしいが、今のがまさにそれ。
振り向きざま一気に間合いを詰めたツイハークだが、傍目には緩やかに動いているようにしか見えなかった。
恐らくルネス兵達の目にもそう見えていたのだろう、奴らは三人とも呆然としたまま動かなかった。
何事も無かったかのように剣に付いた血を拭っているツイハークは、何か言いたげなロイ達に向かって。


「どんな事情にせよ、エスタースの大祭を武力で中断させるような奴らに協力する気は無い。で、君達の事情を聞かせて貰えるか?」
「……何者だコイツ」
「この人は二年前の武術大会優勝者なんだ。大陸中を旅して帰って来た矢先に出場して、そのまま」


エフラムの疑問に、サザが疲れたような顔で答える。
そんな実力者が宿屋の主人とは驚くが、何年も好き勝手に旅をさせて貰っていたので、孝行のつもりで父の跡を継いだらしい。
ミカヤがテティスから預かった手紙を渡し、ロイとエフラムはこれまでの事情をかいつまんで話した。
ツイハークは手紙を読みながら話を聞き、少し考え込んだがすぐに答えを出す。


「分かった、俺も君達に協力しよう」
「助かるよ。ところでルミザ様、宿屋に戻って来なかったか?」
「ああ、戻って来た。預かっていた馬を連れて、領主様の屋敷へ向かったらしい」


ロイの質問に答えたツイハークは、ふと、彼らが来る前に先程のルネス兵達が言っていた事を思い出す。
急に押し掛け宿にルミザが居ない事を勝手に調べた奴らは、一旦領主の屋敷へ戻るかと言っていた。
あの時はルネス兵が客に手を出す可能性があったため黙っていたが、どう考えても領主の屋敷を拠点としているような会話だった。
それを話し、もう領主の屋敷はルネス兵の手に落ちた可能性があると言うツイハークにヘクトルが息を飲む。
ルネス兵がルミザを探していたなら彼女はまだ無事なのだろうが、領主の娘アンジェリカは屋敷に残っている可能性があった。
屋敷がルネス兵の手に落ちたなら、彼女は……。


「ロイ、エフラム。俺は領主様の屋敷に行く。お前らはミカヤ達を手伝ってルミザ殿下を探してくれ」
「待てよヘクトル、一人でなんて無茶だって!」
「無茶だろうが何だろうが、少なくとも祭が終わるまで俺はエスタース領主様の従者なんだ。主を放っておける訳ねぇだろうが」


厳しい顔、しかし意外にも静かに吐き出された言葉にロイが黙り、同じく従者として主であるルミザが心配な事を思い返す。
だが折角こうして再会できたのだから、むざむざ死地に送りたくなどない。
ルミザもヘクトルと親友関係にあるエリウッドも、嘆き悲しむ筈だ。
どうやって引き止めようか、迷ってエフラム達の方を見ると、すぐ視線の先に居たエフラムが顔を伏せて。


「我が国が働いた暴挙は王子として謝罪する。だが、どうか早まらないでくれ。お前に何かあったらルミザ王女が悲しむ。これ以上、俺の祖国が原因で彼女を傷付けたくないんだ」
「……」
「今更なのは分かってる、しかし起きた事は変えられない。だからこそ、これから避けられるものは出来るだけ回避したい」


ヘクトルはルミザ達に親近感を覚えるし、失った記憶の鍵になるかもしれない彼女達に付いて行きたいと本気で思っている。
しかし、記憶を失い行き倒れていた自分を拾ってくれた領主の家族も助けたい。
そうやって迷っていたヘクトルに、ロイが告げる。


「ヘクトル、お前一人が敵の中に飛び込んでも出来る事は限られてるだろ。みすみす死にかねないし、いきなり突っ込むんじゃなくて、まずは様子を窺った方がいいんじゃないか?」
「だから今から……」
「領主の娘だったら、ルネス軍と話してたけど……何か仲間っぽかったぞ?」


突然割り込んだ声に宿の出入り口を見ると、ヘクトルの対戦相手になる筈だった少年ギィが立っていた。
話を聞くと彼もルミザに害を為す気は無く、良い機会だから闘技場を脱出しただけらしいが、何となく気になってルミザを探していたという。
控え室に軟禁されていた時にヘクトル達の会話が一部聞こえたらしく、領主が雇っている護衛と知り合いなら領主の屋敷へ避難しているかもしれないと思い、向かったそうだ。
そして、そこで見たもの。領主の娘アンジェリカがルネス軍と話している場面。
しかもその内容は、何としてでもルミザ王女を捕らえないといけない、など、アンジェリカの方から言っていたらしい。
まさかの話に、ヘクトルが多少焦りながら激昂する。


「な、お前……! 適当な嘘吐いてるんだったらタダじゃおかねぇぞ!!」
「おれ達サカの一族は、そんな誰かを陥れるような嘘は絶対に吐かないっ! 見聞きしたままを話してるんだ、信じるかどうかはお前らが勝手にしろよ!」
「サカ……大陸の東に浮かぶ島に住む遊牧民族だな。一族の存在と掟には絶対の誇りがあるらしいぞ、信じて良いんじゃないか?」
「あんた、話が分かるな」


ツイハークのフォローにギィが嬉しそうな顔をする。
一族が褒められたような状況で見せたその笑顔に屈託が感じられず、ひとまず彼の言葉を信じる事に。
ヘクトルには悪いが、ギィが嘘を吐いていないならばロイ達にとっては朗報だ。
まだルミザは捕まっていないという事、急げば間に合うかもしれない。

領主の関係者ではないツイハークが領主の屋敷へ偵察に行ってくれる事になり、ギィもそれに同行する。
ヘクトルはロイ達と共にルミザを捜す事に。
ミカヤが意識を集中し、何か見えないか探る。


「……これは、何かしら。緑色の……。綺麗で鮮やかな森だわ、だけどどこか禍々しさを感じます。ルミザ様が飲み込まれそう……」
「森? 綺麗だけど禍々しいって、……まさか!」
「ロイ、心当たりがあるのか?」
「きっとウィリデだ! 逃がしたと思ったらこんな所まで来やがったのか!」


ロイは詳しく知らない仲間達に、緑の巫女と双子である少女の事を話す。
ルミザに強い恨みを持つ彼女が絡んでいるなら、エリウッドが一緒だからと安心してもいられない。
もちろん安心し切っていた訳ではないが、心のどこかで、エリウッドと一緒なら大丈夫だろうと根拠の無い自信を持っていたのは確か。
領主の屋敷をツイハークとギィに任せ、ロイ達は戻りつつあるというミカヤの不思議な力に頼りルミザを再び探し始めた。


「暖かい光を感じる。きっとルミザ様ね、どうやら港の方に居るみたい」
「港ならこっちだ、少し遠回りになるけど一旦崖を上がって、上から港のある海岸を目指そう。下の港への道は一本しか無いからルネス軍の手が回るとまずい」


サザに従い、地の利に長けている彼に案内を頼んでエスタースの港を目指す。
美しい崖の町と海原も、今の彼らにとっては単なる記号でしかなかった。


++++++++


少し時間を遡り、ルネス軍の艦隊から遠距離炎魔法のメティオが放たれた直後。
港を目指していたルミザとエリウッドは怪我こそ免れたものの、町と港を隔てている突き出た崖が崩れて来てしまい、町方面と完全に分断されてしまった。
ルネス軍の追っ手は遅らせられたが、万一追い詰められても逃げ場が無い。


「危険な真似を、怪我人も出るだろうに……ルミザ姫、ご無事ですか?」
「私は大丈夫。ウィアは……問題無いみたいね、これからどうする?」
「取り敢えず、どこかに身を隠しましょう。逃げ道は塞がれましたが、こちらの港方面は倉庫や荷物の山など、隠れられる場所が沢山あります」
「見付かる前に、ロイ達が来てくれれば……」


マテリアを入手した今なら、すぐにでもエスタースを離れてリデーレ王国からも出てしまえるのだが。
ワスティ砂漠にある魔道士の里ネブラに匿って貰うのも良いかもしれない。
何にせよ、今は一刻も早く隠れ、身の安全を確保しなければならない。
崩れて来た崖が港の道を覆っていて、ルミザ達はウィアが足を折らないよう降り、注意深く進ませる。

……ふと、視線の先。
崖から近い倉庫の前、船乗りらしき多数の男達が怪我をして座り込んでいた。
怪我の程度はそれぞれ違うが重傷者もおり、それでなくとも怪我人が多くて治療が間に合っていない。
侵略を受けているこの状況では医者にも診せられず、このままでは死者が出かねない状況のようだ。
どう考えても、崩れて来た崖に巻き込まれた結果だ。


「ルネス軍がこんな……わ、私のせいで、こんな!」
「落ち着いて下さい、あなたのせいではありません! 彼らは気の毒ですが、早く隠れなければ追っ手が!」


それは分かっている。
しかしルミザのせいではないとエリウッドは言うが、ルネス軍は自分を狙って来たようなので、エスタースの人にとっては自分が原因も同然としかルミザには考えられない。
今、目の前に自分が原因で怪我をし、死にかけている人達が何人も居る。
これを目にしたらもう、放置など出来なかった。


「放ってなんかおけない。あなたは先に隠れてて、私は後で合流するわ」
「……ルミザ姫、僕があなたを放っておけるとでも? するなら急いで治療しましょう。崖の崩落で暫くは追い付かれないでしょうが、隠れなければなりませんから」
「エリウッド……! ごめんなさい、我が儘を聞いてくれて有難う」
「僕も本音は、自分達に関わる出来事で負傷した人を放置したくありませんから」


急いで船乗り達に近寄り、何事かという顔をした彼らをリブローの杖で癒す。
リブローはある程度離れた者の傷も癒せるが、怪我人が多いのできちんと確認して重傷者から治す為に傍へ。
溢れる青い光、次々と癒えて行く傷に、船乗り達は知らず感嘆の息を漏らす。
屈強な者達の中に居るとルミザの繊細さが際立ち、魔法の光と相まって神々しいまでの情景が作られた。


「すげぇ……何だ、この嬢ちゃんはマレの化身か?」
「馬鹿言え、こりゃあれだ、回復の杖で傷を癒す魔法を使ってるんだ。……まあ、マレだなんて言いたくなる気持ちも分かるけどよ」
「居るんだなあ、こんな女神様みたいな子。巫女様と良い勝負じゃねぇか?」


口々に褒められ、しかも海原女神のマレに例えられ、恥ずかしくなって思わず俯いてしまったルミザ。
巫女様とはミカヤだろうが、あんな美しい銀髪の巫女と並べられると、余りの照れに沸騰してしまいそうだ。
一通り治療が終わった瞬間、背後から声を掛けられる。


「あんた、は……? こいつらを治してくれたのか」
「えっ?」


振り返るとそこには、紫色の髪をやや伸ばした、屈強そうな男性が一人。
老けてはいないが、風格からして年齢は30台前半ぐらいだろうか、手には大きな袋を持っていて、そのままずかずか歩み寄って来る。
彼はルミザとエリウッドを気にしながら、ひとまず船乗り達の傍まで寄って彼らへ質問に。


「重傷の奴居ただろ、怪我はどうした。すっかり治っちまったのか?」
「そりゃもう、そこの嬢ちゃんが杖を使って全員治してくれたんで! ……あ、ギース船長に無駄足踏ませちまってすみません」
「いや、無事ならそれに超した事はねぇよ。治療道具は取っときゃいいんだ」


男……ギース船長と呼ばれた彼は再びルミザ達の方を見ると歩み寄って来た。
屈強だが笑みは人が良さそうで、エリウッドはルミザの前へ出ず隣に並ぶだけで大きな警戒はしない。


「オレはギース、しがない運輸業やってる船乗りだ。部下が世話になっちまったな、礼を言わせてくれ」
「あ、いえ、皆さんがご無事で何よりです。怪我は完治させましたが消費した体力はすぐには戻らないので、重傷だった方は暫く安静にしていて下さいね」
「ああ……。しかしあんた、町の方で手配されてなかったか?」


ギースの言葉にルミザがびくりと体を震わせ、すぐエリウッドが前に出る。
警戒を露にした二人に、ギースは違う違うと笑った。
彼は一応訊いてみただけで、部下を助けられた身で恩人を突き出そうだなどとは微塵も思っていないそう。
それでなくとも、エスタースの祭を武力を振るう事で台無しにした奴等には、絶対に協力したくないと。
この町の人々は、海原女神の祭を心の底から誇りに思っているようだ。


「……いいのですか? 実は私はルネス国では大罪人で、正当な理由で追われているかもしれませんよ?」
「だとしてもルネス軍の奴ら、いきなり侵攻して占拠する必要は無いだろ。匿ってる訳でもあるまいし。どうせ結果として祭が中断されるにしても、話もせずいきなり攻撃なんざロクな奴らじゃねぇよ」
「嬢ちゃん、追われてるってのにおれ達を治療してくれたじゃないか」
「しかも回復の杖で! 金も払わない奴に杖を使ってくれる人が居るなんて、夢にも思わなかったぜ」
「ほら、こいつらもこう言ってる。船乗りとしてお前らの人柄を信じるさ。こいつらに何かあったら責任はオレが取るんだし、あんた達は何も気にするな」


ギースや船乗り達が口々にルミザを褒める。
回復の杖はやや貴重かつ高価気味で、使い手もある程度限られるので簡単には使われないらしい。
そう言えば、医院などで杖を使って回復なんて殆ど聞かないなと思うルミザ。
使い手が身近に居ない限り、特別に高い料金を支払わなければ杖による治療は受けられないのが普通。
軍に追われている身で通りすがった怪我人を放置せず、しかも回復の杖を使ってくれるなんて、と、船乗り達は大感激している。

口々に褒められ照れているルミザと、船乗り達の様子と雰囲気に、エリウッドは警戒を薄くした。
無警戒という訳にもいかないが、逃げ道を密かに確保する程度にとどめる。


「すみません、この辺りに隠れるのに良い場所はありませんか? 見付かった時に迷惑が掛かるので、出来れば今、所有者が近くに居ない場所が良いのですが」
「おう、それならこっちだ。港の方も崖の上から降りられるようになっててな、崖の表面を伝う道だけじゃなく入り組んだ洞窟も掘ってあるから、隠れるにはもってこいの筈だ。案内する」


ギースに案内され、ルミザとエリウッドはウィアを引き連れて崖際へ。
ぱっと見ると確かに崖には道の他に洞窟の入り口や窓が掘ってあり、その数の多さからしても入り組んでいる事が十分に窺えた。
洞窟の中はあまり暗くはなく、思ったより歩き易い。
通路や階段だけでなく小部屋も点在する洞窟内は確かに、隠れるにはうってつけ。
普段から使い慣れていないと、すぐに迷って出口すら分からなくなりそうだ。

ギースの話では、小部屋同士が隠し通路のようなもので繋がっていたり、中には町の外へ通ずる道まで作られていたりするらしい。
小部屋の中には荷物や資材などが積まれており、ちゃんと使われている事が窺える。
ルミザはウィアを入り口に程近い部屋へ隠し、通路を進んで行く。


「大体は船乗りが倉庫として使ってたり、町で共有してる資材を置いたりだな。今は祭の時期で見張りぐらいしか居ないし、万一の時は町の外へ出られる」
「有難うございます、ギースさん。どの辺りに隠れるのがいいですか?」
「そうだな……崖の中腹辺りが、町の外に出られる隠し通路が一番多いぞ。崖際の小部屋には窓もあるから、ある程度外の様子も窺えるだろうよ」
「ではルミザ様、もう少し上って中腹辺りに潜伏しましょう。ギースさん、ご迷惑ですがもう暫く付き合って頂けませんか?」
「こっちは最初からそのつもりだぜ。この洞窟は慣れてる奴が居ないと、逆に潜伏し辛い。部下を大勢救われた上司として、出来るだけ手伝わせてくれ」


正当な海の男と言うのか、気持ち良いほど義理人情に厚くて部下思いだ。
荒事にも慣れているのか、こんな状況下に置かれていても随分落ち着いている。
ルミザ達は崖の中腹辺りまで上り、小部屋に隠れた。
荷物が積み上げられ小部屋入り口と反対側の壁はほぼ隠れ切っているが、そこには他の小部屋や外への隠し通路が3つもあるようだ。
怪我が比較的軽かった船乗り達が見張りと伝令を務めてくれ、ルミザはただ隠れて息を潜めるだけ。
また何も出来ないのか……と気分が沈みかけ、小さく溜め息が漏れたのをエリウッドは聞き逃さなかった。


「……落ち込んでいらっしゃるのですか?」
「ええ。不安だし、結局は助けられるしか出来ないなんて……せっかく光魔法を授けて頂いたのに。……とは言え、未だに人を攻撃する覚悟が無いから、何もしない方が良いかもしれないけどね」


自嘲気味の苦笑を見せるルミザにエリウッドは、何も言えなかった。
甘やかすなとエフラムに叱られてしまいそうだが、エリウッドは出来るなら、ルミザに人殺しをして欲しくないと思っている。
ルミザが出来る事を探して行動すれば、いずれは人を殺さねばならない場面にも出くわすだろう。
優しい彼女がどれだけ傷を背負うか、考えるだけで胸が痛くなってしまう。
しかし肩身の狭い思いをしている彼女を気の毒に思うのも事実で……複雑な想いがエリウッドを廻る。
邪神にもルネス軍にも、ルミザが関わっているのは避けようが無い事実。
そんな中心人物が守られてばかりで行動しないなど、周りが許しても彼女が自身を追い詰めてしまいかねない。


「怖い。誰かを傷付けるのも、自分が傷付くのも、怖くて怖くて仕方ないの。このままじゃいけない、って頭では分かってるのに」
「ルミザ様……」
「事情は分からないが、戦わないといけない立場に居るんなら、そうするしかない。痛い目見るまで逃げてたら絶対に後悔するぞ」


ギースが小部屋入り口から視線を離さないまま、真剣な眼差しと口調で言う。
ひょっとしたら彼も逃げたせいで辛い目に遭った事があるのか、真剣な口調にはどこか悲しみが混ざっているように思えた。
痛い目……それを見るのが迷った本人だけならまだいいのだが、場合によっては違う誰かが痛い目を見る可能性もある訳だ。
確かにそんな事になれば、きっとルミザは心底後悔してしまうだろう。


「そりゃ、誰も傷付けないで済むならそれが一番だ。でも世の中そんなに甘くない。誰かを守ったら他の誰かが傷付くなんてザラだ。いざって時に、自分が本当に守らないといけないものは、守りたいものは何か判断して、それを害するものを傷付ける覚悟を持てよ」
「……」


ルミザは、返事も出来ずに俯いてしまう。
ギースの言う事は尤もで、至極正しい事。頭では理解したのに心が全く追い付かない。覚悟が出来ない。
誰かを傷付けるくらいなら自分が傷付く、というのも高潔で素晴らしいが、国や世界の命運を背負うルミザに、そのような事など許される筈が無い。

胸が傷み、振り払おうとぎゅっと目を閉じた瞬間、ギースがルミザ達を制するように片手を横へ。
誰か来る、とギースが小声で言い、ルミザとエリウッドは息を潜める。
微かに響いて来る足音、まだ雑音にしかなっていない声、それらが段々と近付き、やがてはっきりした。


「ミカヤ、本当にルミザ様がこの辺に居るのか?」
「ええ、間違いありません。他にも一つ……いえ、二つ傍に存在を感じますが、悪意は無いようです」
「ミカヤさん……!?」


思わず声を上げて立ち上がってしまい、複数の足音がルミザ達の居る小部屋前で立ち止まった。
たまらず荷物の影から顔を出すと、そこには見知った顔がいくつも。
そこにはロイ・エフラム・ヘクトル・ミカヤ・サザの五人が立っていた。
エリウッドやギースもすぐに出て来て、ルミザは確認もそこそこにロイ達の元へと駆け寄る。


「良かった、試合会場から脱出できたのね! ミカヤさん達も、本当に無事で良かった……!」
「ロイ、来る途中ウィリデに会わなかったか?」
「兄貴も無事か、良かった。ウィリデには会わなかったよ、ミカヤが存在を感知したんだけど、まだ近くには居ないみたいだ」


ひとまず、脅威はまだ近付いていないらしい。
全員揃ったならすぐにでもエスタースを出たいが、ヘクトルが迷っている。
彼は心情としてはルミザ達に付いて行きたい為、本当なら彼女達と一緒にすぐ出るべきだとは思うのだが、やはり世話になった領主を見捨てられない。
それにアンジェリカの事もある。ルネス軍に協力したのなら、無関係などとは決して言えないのだから。


「くそっ……どうすりゃ良いんだ、ぐずぐずしてたら危ないが、領主様を放ってもおけねぇよ……!」
「ヘクトル……」


ルミザとしても、立場上ヘクトルは臣下である。
臣下を救われた主君として、そして己のせいで迷惑を掛けてしまった者として、放置など出来なかった。


「……ミカヤさん、領主様はどちらに?」
「ルミザ様! まさか、助けに行くのですか? 無茶です! あなたが居なくなればきっとルネス兵は引きますから、早くエスタースから脱出して下さい!」
「でも……」
「迷わないで、早く!」


ミカヤは不吉な予感が拭えないらしく、焦躁し切った様子で悲痛に声を上げる。
ギースに言われた、本当に守らないといけないもの、本当に守りたいもの。
それを選ぶ場面が、もう来てしまったようだ。

勿論ルミザとしては、関わった人全てを守りたい。
しかし実力が伴ってない以上、そんな事は不可能。
取捨選択をしながら、他より守りたいものを選び出さなければならない。
そして、ルミザが守らなければならないもの、守りたいもの……変わらない。
共に過ごして来た友人達、そして愛しい故郷。
分かっている。頭では分かっているのに、口に出せない。足が動かない。

瞬間、エフラムが動いた。
ずかずかと歩み寄って、やや青ざめた顔のルミザの腕を掴むと、驚く彼女に構わずミカヤ達に訊ねる。


「巫女殿、サザ。町の外へ通じる道はどこだ?」
「……ああ、案内するよ。こっちなら近い」


エフラムの真剣な表情に応え、サザが小部屋奥の壁に歩み寄り、一部を押した。
ガコン、と固い音がして人二人程が通れるくらいの入り口が現れる。
エフラムはそれを確認するとギースも含めたミカヤ達に、世話になったと挨拶してからルミザの腕を引いて歩き出した。
待って、と言うルミザに構わず、隠し通路の入り口へ足を踏み入れる。
エリウッドがウィアを連れて来る為、ギースに再び案内を頼んで部屋を出て行き、ロイはミカヤ達にツイハーク達への作戦中止と礼の伝言を頼んで、一緒に行こうとヘクトルを引っ張った。

……本当にこれで良いのだろうかと、ルミザの頭を駆け巡る疑問と不安。
ルネス兵がエスタースの民に乱暴を働かない保証が無い、だからこそ匿っていたという濡れ衣を避ける為、早めに出て行くべきなのか。


「……エフラム王子、本当にこれで良いのですか?」
「それを決めるのはルミザ王女、あなただ……と言いたいが、こうするのが最善だ。早くエスタースから出てしまおう」
「ミ、ミカヤさん……」
「振り向かないで下さいルミザ様、どうか、ご無事で……」


ミカヤ達の方を振り返ろうとした瞬間に言われ、反射的に止めてしまった。
……逃げよう、これ以上自分に出来る事は何も無いのだから、迷惑を掛けないよう一刻も早く離れるべき。
ルミザは振り返らず、お世話になりましたと呟いて、エフラムに腕を掴まれたまま隠し通路を進む。
岩が剥き出しの薄暗い通路は、心なしか冷気を放出しているような気さえした。

……その、瞬間。


「ルミザ王女ッ!!」
「!?」


突然エフラムに名を呼ばれながら突き飛ばされたかと思うと、通路の天井が音を立てて崩れ落ちて来た。
岩盤が割れてばらばらと破片が飛び散り、反射的に瞑った目を再び開ける前に、背後から誰かに引っ張られる。
振り向くとヘクトルで、焦ったような彼の視線を追って前方を見ると……。
エフラムが居た筈の場所は崩れ落ちて来た岩盤で埋まっており、彼の姿が無い。


「嘘っ……エフラム王子、大丈夫ですか!?」
「おいエフラム返事しろ、生きてるだろ!」


ロイも駆け寄って瓦礫に近寄り、声を張り上げる。
隠し通路を隠すように積み上げられていた荷物は、落盤の衝撃が伝わって崩れ、
更に慌てたロイとヘクトルが駆け寄った時に意図せず荒らしてしまい、今は辺りに散乱してしまっていた。
ルミザが呆然としている間に更に引っ張られ、隠し通路から完全に出される。
引っ張ったのはサザで、ミカヤも心配そうに焦り悲痛な声を上げた。


「ルミザ様、お怪我は……!? こんな、こんな事になるなんて……」
「落ち着けミカヤ、今まで洞窟が壊れるなんて事は無かったんだ、予測なんか出来なくて当たり前だろ!」
「でも、わたしが予知さえ出来ていれば!」
「今はエフラムさんを助けるのが先だ! さっき居たのベルガー商会系列の運輸業やってる船長だろ、瓦礫どけるの手伝って貰おう!」


サザの怒鳴り声にも感じる言葉にハッとし、ミカヤと隣で聞いていたルミザも我に返ったようだ。
ギースはエリウッドと共にウィアを連れて来る為、下へ降りている。
今の音が聞こえていたならすぐに駆け戻ってくれるだろうが、分からないので知らせに行く事に。
言伝はサザに任せ、ルミザとミカヤはロイ達と共に小部屋に残った。
ロイとヘクトルは必死に呼び掛けているが、エフラムからの返事は無い。
ルミザも瓦礫に近付き過ぎない所まで進み出、必死に呼び掛けた。


「エフラム王子……! どうか、返事をして下さい! 死なないで!」
「………――っ!」
「! い、今、声が!」
「おいエフラム返事してくれ、生きてるよな!」


ロイが瓦礫に耳を当て、尚も声を張り上げてエフラムに生存確認を試みる。
ルミザは自分が持っているリブローなら治療が出来るのではないかと思い至り、杖を手に意識を集中させた。
ある程度離れた所に居る者の治療も出来るとは言え、姿が見えず正確な場所も分からない者を癒せるのか不安になってしまうが、迷っている場合ではない。
瓦礫をどかす力が無いのなら、それ以外の事で協力しエフラムを助けなければ。
杖の先に青い光が出現し、ルミザはエフラムの姿を思い浮かべながら瓦礫に向かって光を放った。
青白い光の球体は一直線に飛び、そのまま瓦礫の向こうへ消えてしまう。
ほんの数秒の後、瓦礫が少しずつ蠢き始めた。


「動いた……! ルミザ様の回復魔法が効いたのかもしれない。ヘクトル、少しでも瓦礫をどかそう!」
「ああ。絶対にまだ生きてる、急ぐぞ」


言いながらロイとヘクトルが少しでも瓦礫をどかそうとし、ミカヤも手伝う。
吸い込まれた光が一体どうなったのか分からないルミザがもう一度杖を構えて意識を集中しかけた時、ふと背後に並々ならぬ気配を感じ、何事か考える前に反射的に振り返った。

途端に視界に入る、深い森を思わせる髪色の少女。
一瞬で息が詰まり、声を上げるのが間に合わない。
妖しげな笑みを湛えた彼女が魔力を含蓄している事に気付いたルミザは、咄嗟に隠し通路入り口の方まで戻り、精一杯体を伸ばして出来る限り入り口を隠そうと試みる。
その気配に何事かとロイ達が振り返るのと、ルミザが少女から放たれた風魔法を受け全身を切り傷だらけにしたのは同時だった。
ミカヤが息を飲み、相手が誰かも分からないままヘクトルが向かって行く。
少女……ウィリデは側面が当たるように降り下ろされた斧を難なく避けると、そのどさくさに小部屋へ入って来た。


「邪魔ねぇ、そっちの魔法駄目そうな男二人にぶつけてやろうと思ったのに」
「っ、私が憎いなら私だけを狙えば良いでしょう!」
「あんた魔法の耐性が高そうなんだもの。実際、全身が傷付いたとは言え全部ちょっとした切り傷程度だし。それでなくてもあんたみたいな甘ったれた女は、大事なお仲間を傷付けられた方が堪えると思って」
「酷い事を……」
「青の巫女……あんたもつくづくおめでたい女ねぇ。聖神だか虹の神だか、そんな得体の知れない奴等に振り回されて喜んでるなんて、馬鹿じゃないの?」
「わたしの使命ですから。ルミザ様にマテリアをお渡しし、必要とあらばお守りしなければ」
「使命? 使命って言った? あははははは! 心の底から同情するわ。手前勝手に仕事を押し付けられて、どうせ思考まで都合が良いように操られてるだけなのに使命って……憐れね」


同情どころか心の底から嘲笑うような表情と声音に、ルミザ達は眉根を寄せる。
エフラムを一刻も早く助け出さなければならないのに、こんな事をしている場合ではないのに……。
飛び退るように戻って来たヘクトルは、ウィリデから視線を離さないままルミザとミカヤに告げる。


「二人とも、俺がもう一回あいつに攻撃を仕掛けるから、すぐに部屋から出ろ。下に降りてエリウッド達と合流するんだ」
「え……そんな、エフラム王子も助け出せていない上に、ヘクトルとロイを置いて行く訳には……!」
「あいつがルネス軍と手を組んでない保証があるか? 囲まれたらこんな小部屋、逃げ場なんかどこにも無い。早く出るべきだ」
「ルミザ様、彼の言う通りにしましょう。まだ彼女以外に悪意ある存在は感知しませんが、彼女が襲撃するまで気付けなかった事を考えると、わたしの力は頼れないほど不安定です。機会は今しかありません」
「あら、こそこそと相談? 私にも聞かせてくれれば良いのに、意地悪ね」


妖しい笑みを浮かべるウィリデに、ここに居ては危ないと思い直すルミザ。
エフラム達が心配でない訳などないが、ぐずぐずしていたらヘクトルの決意を無駄にした上、最悪の事態が起こりかねない。
ミカヤに手を握られ、その途端、全身の切り傷による痛みがスッと引いて行く。
一体何が起きたのか分からずミカヤに訊ねようとした瞬間ヘクトルがウィリデへ向かって行き、ルミザはミカヤに手を引かれて小部屋を後に走り出した。
転びそうになりながら階段を降り、大体4階分ほど降りた所でサザと再会。
背後にはエリウッドと彼に引き連れられたウィア、そしてギースと彼の部下達。


「ルミザ様、事情は聞きました。ギースさん達が協力して下さるそうなので……」
「エリウッド、それだけじゃないの。ウィリデさんが現れて、ヘクトル達が!」
「な、彼女が!?」


誰だ、と疑問符を浮かべるギースに、ルミザの命を狙う少女だと説明する。
彼女は先程、魔法を使っていた。少女だからと油断して掛かれば命取りだ。
恩に報いんとばかりに、ルミザが止める間も無く船乗り達が階上へ向かう。
サザはルミザとミカヤに二人ででも逃げて貰うつもりだったが、ふと目を向けたミカヤの体に、小さいながら無数の傷跡が付いているのを発見した。


「ミカヤ、怪我してるぞ。……まさかまた癒しの力を使ったのか!?」
「……ええ。ルミザ様に何かあっては大変だもの」
「いざって時以外は使うなってあれほど言っただろ、すぐに無茶する……!」
「? あの、ミカヤさんの癒しの力とは一体?」


ルミザの疑問には、サザが答えた。
ミカヤは回復の魔杖を使う事なく、傍に居る相手の傷を癒す事が出来るらしい。
しかしその代償として、癒した相手の負っていた傷をそのまま己の身に受けてしまう、諸刃の剣だった。
ハッとして、先程ウィリデの風魔法で受けた傷が、綺麗さっぱり消えている事に気付いたルミザ。
慌ててリブローの杖を構えると、ミカヤの傷を癒した。


「ミ、ミカヤさん! どうして黙っていたんですか、すぐ癒しますから……!」
「ごめんなさい、ルミザ様。さっきはそれどころじゃないと思って」
「大した怪我じゃなくて良かった……。次からは事前に相談して下さいね」


巫女としての責任感なのだろうか、過ぎるほど献身的なミカヤの言動に、ルミザは戸惑いっぱなしだ。
彼女の行動を無下にしたい訳ではないが、果たして自分がここまでされるだけの理由があるのかと悩んでしまう。

大体、マテリアを託される理由も未だ分からない。
王女とはいえ平凡な存在だった自分が、世界の命運を握っているとも思えず、今まで目を逸らして来た戸惑いが、次から次へと首をもたげてしまった。
以前から感じていた疑問、虹の巫女は何か大きな力に操られているのではないかという事。
呼んでくれる者が居なければ己の名を忘れてしまい、何の疑問も無く巫女として存在し、マテリアを託すと定めているルミザに尽くす……不思議だ。
ここまで尽くされるような事をした覚えが無ければ、会った事すら無いのに。

聖神のお告げで巫女になったのなら、まさか、聖神が彼女達を……?
何の為に、もしや自分に尽くす存在を宛がってくれたのか、しかし何の為に、と、疑問は堂々巡り。


「ルミザ様、ここは逃げましょう。ヘクトル達の行動を無駄にしてはいけません」
「エリウッド。……分かってるわ、邪神を倒す手掛かりになるかもしれないマテリアは、私にしか託されないみたいだし。ラエティアにも無事に帰りたいしね」


本当はヘクトル達を助けたいとごねたかったが、実力も無いのに我が儘を通せば、他の者達を巻き込んで不幸を引き寄せかねない。
それにエリウッドもヘクトル達を助けたい筈で、彼が自分の感情を抑えてルミザを守る事を優先しているのは伝わって来る。
なのに自分がごねる訳にはいかないと、ルミザは己に言い聞かせた。

ギースは部下を心配して上の階へ行き、ルミザとミカヤはエリウッドとサザを加えて下を目指す。
喧騒のような音が耳に届くが、振り返りたくなるのを堪えて逃げに徹する。
階段を下りながら、サザが隣へ来てルミザへ小声で話し掛けて来た。


「王女様、あんたにこういう事を頼むのは筋違いかもしれないけど、ミカヤが無茶をしないように気を付けてくれないか? 巫女になってから、あんたの事に関しては俺の言う事なんて聞きやしない」
「え?」
「……もしラエティアの第四王女が困っているのなら解決するまで協力する、苦しみがあるのなら自分が全て引き受ける、命が危険に晒されているのなら自分が身代わりになるって、王女様に会う前からずっと言ってたんだよ。いくら無茶するなって言っても、謝るばかりで聞いてくれない」
「そんな……」
「だから。あんたが直接そんな言動を諫めてくれたら、ミカヤも耳を傾けるかもしれない。頼む、俺はミカヤを失いたくないんだ」


一見平静のようで、どことなく悲壮さを感じさせる声音と表情を見せるサザ。
ルミザも、まさかミカヤがそこまで言っているなどと思わなかったので、ただ唖然とするばかりだ。
きっと何度止めても聞き入れなかったのだろう、彼の表情には疲れも見える。
ミカヤがそんな事を頑なに言うなど、やはり何かの干渉で意識を操作されているとしか思えなかった。
そうなると、巫女のこの状態は、ルミザのせいという可能性もある。

そんなのは嫌だ。
意味も分からないまま尽くされ、尽くしてくれた者が何もかもを自分に捧げた挙げ句死んでしまうなんて。


「分かりました。もしミカヤさんが無茶をしようとしたら、出来る限り止めるよう説得してみます」
「有難う、頼んだ」


少しだけホッとした様子を見せたサザは、偵察して来ると言い、飛び降りるように階段や道を下ってすぐ見えなくなってしまった。

そんな彼の背を見送ったルミザの心に広がるのは、漠然とした不安と疑心。
自分に託される理由なんて少しも分からないマテリアの事や、意識を操作されているとしか思えない巫女達の言動。きな臭い。
聖神や虹の神が関係しているのか、それならばこの事象に何か意味があるのか、訊ねたくて仕方なかった。
だが、巫女自身も知らない使命の事など、聖神や虹の神以外に誰が知っているだろうか。
結果ルミザは、不安と疑心を抱えたまま逃走劇を続ける羽目になってしまった。





−続く−



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