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17章 襲来



海原女神マレを讃える祭の初日、ルミザ達を待っていたのは青の巫女との邂逅。
レウム・アルクス……いや、元の名であるミカヤと呼ぶべきか、美しい銀髪の娘は笑顔を浮かべ何でもない様子で立っていた。


「ルミザ様がいらして下さるのをお待ちしていました。サザ、マテリアを」
「ああ」


ミカヤの言葉に、サザが綺麗な小箱を取り出す。
中にはエスタースから望む青海を閉じ込めたかのような、深い青色の宝玉。
ミカヤはそれをルミザに手渡し、そのまま手を握りながら微笑んだ。
何だか、握られた手から心を透かし見られているようでドキリとしてしまう。
別に何も悪どい事や不純な事は考えていないので慌てる必要は無いのに、何故か緊張して冷や汗が流れそうな感覚に陥ってしまった。
時間が止まったようになったが、テティスが割り込んだので長くは続かない。


「ミカヤがルミザ様の探していた巫女だったなんて。凄い巡り合わせじゃない、これって運命ね! わざわざ占いしてもらう間でもなかったわ」
「……実はわたし、今なぜか占いの能力を失っているんです」
「え、どうして……?」


少し視線を下げて困った風に言うミカヤに、ルミザ達は疑問符を投げる。
なんでもここ数日、何度も試みているのだが全く反応が無いらしい。
どうやら彼女の“占い”とは、ネブラでアトスに行って貰った神託と似たもののようだ。
しかし何にしても目的である青の巫女は見付かったのだから占って貰う必要は無くなった訳だ。
心置きなく、次の目的地へと足を運べる。


「ルミザ様達は、これから如何なさいますか?」
「実は仲間の一人がエスタースの領主様にお世話になっていまして。祭りが終わるまではお仕えしたいと言っているので、それまでは滞在するつもりです。その後は北のロクイー王国へ」
「でしたら祭りを楽しんで行って下さい。わたしはまだ巫女としての仕事があるので、あまりご一緒できないのは残念ですが……」


勿論、マテリアが手に入ったからにはこの国でやり残した事など無いし、ヘクトルの気が済むまでのんびりと祭りを楽しむつもりだ。
祭りが終われば紫の巫女とマテリアを求め、極寒のロクイー王国へ行かなければならないし、今のうちに体を休めておきたい。
するとサザが、ちらりとルミザの方を見てからミカヤに話し掛けた。


「遊びたいんだったら、俺から領主に話を付けるから行って来れば? 年に数日なんだしサボっても……」
「違うわサザ、年に数日だからちゃんとしなきゃ。国王様だっていらっしゃるのよ」
「でも他の奴らは遊んでるし、せっかく待ってた王女様も来たんだし……」
「祭りで仕事をしている人なら他にも大勢居るわ。それに巫女の役目は納得して引き継いだんだから」
「サザと言ったか、お前自分がミカヤ殿と一緒に過ごしたいだけじゃないか?」


サザとミカヤの話の途中、エフラムが面白そうに微笑みつつ割り込んだ。
その明け透けな言葉にサザがバッとエフラムを見やり、そのまま気まずそうに視線を反らしてしまう。
何だか微笑ましくて、ルミザはふと、気になっていた事を訊ねてみる。


「あの、ミカヤさん。もしやあなたがご自分の名を忘れていないのは、彼のお陰が大きいのでは?」
「えっ? 名前を忘れるというのは一体……?」


ルミザは、今まで会った巫女は新しく与えられた名に馴染み、本来の名を忘れてしまっていた事、名を忘れたのは呼んでくれる者が居なくなったかららしい事を話した。
きっとエルフィンの母であるドルミーレ王妃も、自分の名を忘れてないだろう。
するとミカヤは照れ臭そうにサザを見やり、その通りですと頷いた。


「正直、レウム・アルクスという青を司る名を頂いてから、ミカヤという名に違和感を覚えるようになったんです。幼い頃から慣れ親しんで来た自分の名なのに、おかしいですよね」
「いいえ、今までお会いした巫女もそう言っていましたから」
「……でもそうなってから、サザが何度もわたしの名を呼んでくれて。お前はミカヤだ、青の巫女である前にミカヤという一人の女なんだって」


周りの者はミカヤが聖神や虹の神・巫女の事を話しても信じてくれなかった。
元々占いが得意なので、そんな神秘的な少女の言う事だから何か意味があるかもしれないとは思っていたらしいが、何かの例えだと思ったらしく、そのまま本来の言葉を真剣には取り合ってくれなかったそうだ。
そんな中、ミカヤの言葉を信じ受け入れた上で、支え続けてくれたサザ。
彼も初めは戸惑ったけれど、ミカヤが周りを不安にさせてまでデタラメを言うとは思えなかったらしい。


「ミカヤは占いが得意だったから。自分が発した言葉によって、下手をすれば相手の人生を左右するって事ぐらい理解してる」
「だから、彼女の言葉を信じられたのか……」


エリウッドが感慨深そうに頷き、絆が深そうな二人を微笑ましげに見つめる。
二人は幼い頃からずっと一緒だったらしい。
そして、これからも。

本格的に照れ臭くなったらしいサザがミカヤの手を引き、じゃあまた、と去る。
それを見送ってから、ルミザ達も宿へ戻る事に。
その途中、出店が並ぶ通りを歩いていたルミザはふと、ある店に目を止めた。
美しい装飾品が並んでいるが、サイズが規格外に大きいものが多い。
エリウッド達に告げて見に行ってみると、どうやら馬用のアクセサリーらしい。
それを聞いたロイが、不思議そうに口を開く。


「馬にこんなもん必要なのか? 金持ちの道楽じゃあるまいし無意味じゃ……」
「あら、このリデーレ王国では長く付き合いたい愛馬には、こんなプレゼントを贈る風習があるのよ」


テティスの解説に、ルミザは自らの愛馬を思い浮かべながら目の前の装飾品をじっと見つめる。
そして、遠慮がちに一言。


「……あの、無駄遣いは良くないって分かっているのだけど……」


++++++


「ただいまウィア! 見て、綺麗な首飾りでしょう」


宿に戻ったルミザは、真っ先に馬小屋へ預けた愛馬ウィアの元へ。
買った装飾品は走り回る馬用のためか頑丈さを重視した造りになっており、脆い本物の宝石などは使用せず硬度のある鉱石に加工を施したものだった。
故に綺麗な見た目に反して意外と安く、仲間達も購入を快く承諾してくれた。
まあ仲間達は、今まで付き合ってくれたウィアへの礼も兼ね、例え多少高くても購入するつもりだったそうだが。
ルミザが首飾りをウィアに付けてあげると、彼女は嬉しそうに鼻を鳴らす。
本当に意思の疎通が出来ているのではと思える程に賢い子だ。


「本当に巻き込んでしまってごめんねウィア、おまえは無関係だし、今頃は城で悠々と暮らせていたかもしれないのに」


ルミザが申し訳なさそうに言うと、ウィアは叱咤するように軽く嘶く。
あまり怒っている風ではない……強いて言うなら“無関係”と言った事に対して怒っている感じか。
馬小屋の中を仕切っている柵へ前向きに寄り掛かりながら、ルミザはすぐそばにあるウィアの鼻を撫でる。
こうしていると、自分の国を追われた亡国の姫であるという立場が嘘のような気さえしてしまう。
もちろん、王家最後の生き残りとなった以上、その立場を放棄する事など許されないが。

ミカヤが普通の少女としての祭日を放棄し、海原女神の巫女としても虹の巫女としても働いているのを見ると、自分だけではないのだと思えて勇気が湧く。
ただ、こうして何事も無い静かな時間に居るうちは、普通の少女として過ごしても罰は当たらないはず。

ふと、ミカヤもサザと居る時は普通の少女なのだろうかと想像するルミザ。
あの二人は想い合っている様子が見て取れ、初々しさも相まり実に微笑ましい。
ああいう相手がいるなんて正直、羨ましくもある。


「ねえウィア、私にもあんな素敵な関係になれる人が現れるかしら。やっぱり王女だから国益を考えた政略結婚しか許されないとは思うのだけど……。その相手と偽りの関係しか築けない訳じゃないわよね?」


大体の物語で政略結婚は悲劇の象徴で、虐げられている所を颯爽と王子様や騎士様が助けに来るけれど。
現実はそこまで極端ではないかもしれないと、ルミザは自分に言い聞かせる。
例えばルネス家と強く繋がる為にエフラムと婚姻したり、民の支持を得る為に有力貴族であるエリウッド達の誰かと婚姻すれば……。


「や、やだ、私ったら何を考えてるんだろ……。じゃあウィア、そろそろ部屋に戻るからね。ゆっくり休んで疲れを取って」


ルミザは両手でウィアの鼻の辺りを包むと、ゆっくり頬擦りして愛情表現。
そして笑顔で手を振り、馬小屋を後にしたのだった。


++++++


翌日、祭り二日目。
これを目当てに集まっている者も多いらしく、海上に埋め立てる形で造られている、ドルミーレのコロセウムに似た特設会場は人でごった返していた。

武術大会。
腕自慢が競い会うこの大会は、リデーレ国王が観戦する事もあって大陸各地から野心家が集っていた。
この試合で好成績を残せば城仕えも決して夢ではないし、実際王家の要職に就く者の中には過去に武術大会で健闘した者が居るらしい。
ロイとエフラムは選手として出場する為、控えの場所へ行ってしまった。
ルミザはエリウッドと二人、テティスが用意してくれた特別な指定席で観戦をする事に。
人が溢れ返っている自由席とは違いゆったりと場所が確保されていて、座る場所も単なる段差ではなく柔らかな椅子が置かれている。


「さすがに屈強な人が多いみたいね……ロイ達は大丈夫かしら」
「彼らなら大丈夫ですよ、きっと善戦してくれます。ロイもエフラム王子も、それに、…ヘクトルだって」


エリウッドがヘクトルの名前を出す直前、少しどもってしまったのをルミザは聞き逃さなかった。
付いて来ると彼自身が決断してくれたのは嬉しいが、失われた記憶を取り戻した訳ではない。
これから一緒に過ごして新たな思い出を築けば良いとは思っても、今までの積み重ねが消え去った衝撃と悲しみは簡単に消えない。
そんなエリウッドに気付いたルミザだが、敢えて慰める事は言わなかった。
幼い頃からの大親友を失ったも同然の彼に必要なのは、悲しみを同じくする心だろう。


「ヘクトルの記憶が戻ってくれたら良いのにね。また一緒に過ごせるのは嬉しいけど、やっぱり寂しいわ」
「……ルミザ姫もですか。僕も同じです。どうしても寂しくて……」


エリウッドは悲しそうに顔を歪めて俯くが、ややあって顔を上げると引き締めて会場を見据えた。

その瞬間、響くドラ。
他と仕切られた一際豪華な席に、護衛を引き連れたリデーレ国王が現れる。
傍にはミカヤも控えていて、観客が静まり返ったのを確認すると王の言葉が始まる。


「我が民達、この青い空を見よ。それを写し出す青い海を見よ。母なる海原女神の腕に抱かれ、我々は今日も生きているのだ。さあ、女神マレに届くよう盛大な祝いを続けようではないか!」


観客が沸き立ち、割れんばかりの歓声が溢れる。
中央の舞台に出場する選手達が入場し、事前に決められていた対戦の組み合わせが発表された。


「あ、見て下さいルミザ姫。ロイもヘクトルもエフラム王子も、初めのうちは当たりませんよ」
「本当ね。でも勝ち進んでも三人で優勝を競うのは無理みたいだわ。あの組み合わせだと四回戦でロイとエフラム王子が当たってしまう」


言いながらルミザは、昨日に関わった二人の人物の名前を確認した。
ヨシュアとギィ、二人の名前はヘクトルと近い。
剣を使っていた記憶がある彼らと斧使いヘクトルの相性はヘクトルが不利だが、ヘクトルならば、そんな不利などはね除けてしまうだろうという確信がルミザにはあった。



ぶつかり合う武器、轟く歓声、武術大会は白熱を極めていた。
ロイ達は見事に勝ち上がっていて、次はヘクトルとギィの試合だ。
これに勝った方がヨシュアと戦う事になる。
舞台の上、多数の観客に見下ろされたギィは何だか緊張しているように見える。


「ルミザ姫、あの少年は昨日、悪漢から助けてくれた人ですよね」
「ええ、東にある離島から腕試しに来たらしいわ。彼には悪いけど、ヘクトルに勝って欲しいわね」
「武器の相性ではヘクトルが不利ですが、彼なら勝ってくれますよ」
「それは勿論、私も同じ気持ちよ」


舞台では二人が構え、今にも試合開始の合図が鳴らされようとしていた。

その時。


「て、敵襲! 敵襲ーーーっ!! 海上よりルネス王国の艦隊が接近中!!」
「!?」


崖の上に建っている見張り台から、非常時用の鐘が鳴り響く。
それを聞いたエリウッドが瞬時にルミザの手を引いて走り出した。
会場を後にし、振り返るとリデーレ兵士が会場の方へ入って行くのが見え、どうやら護衛や避難誘導をしようとしてくれているのに頼らないのだろうか。


「エリウッド、私達だけで飛び出してどうするの!」
「嫌な予感がします。ルネス軍に見付かればただでは済まないでしょうし、ルミザ姫が目的だとしてそれを何も知らない人達に知られてしまえば、あっという間に周りが敵だらけになる可能性もある!」
「ロイ達は……!」
「無事を信じましょう。今はあなたの安全が最優先です!」


エリウッドに手を引かれ、建物の間を縫って階段や坂道を登って行く。
確かに海を見やると、ルネス王家の旗を掲げた艦隊が目に入った。
ルミザ達は途中で宿に寄り、ツイハークに事情を説明してから断りを入れ、ウィアを厩舎から連れ出して領主の屋敷へ。
暫くの間だけでも匿って貰おうと玄関へ赴き、見張りに声を掛けようとした矢先、扉が開いて中からアンジェリカが現れた。


「アンジェリカさん!」
「ルミザ様、侵略があったんですって!? 我が屋敷に身を隠して下さいませ、早くこちらへ!」
「あの、ウィア……この馬も保護して頂きたいのですけれど……」
「承知致しましたわ、兵に預けて下さい。我が家の厩舎に入れておきますから」
「有難うございますっ」


ウィアを預けてからアンジェリカに招かれ、屋敷の中へ通されるルミザ。
広間にでも身を寄せようと思ったら、ルミザには部屋を用意したからそこに身を置いてはどうかとアンジェリカから提案される。
万が一、ルネス兵がなだれ込んで来て戦闘が始まった場合、間違いなく広間が戦場になるので危ないと。


「何から何まで、お気遣い有難うございます。エリウッド、お言葉に甘えて行きましょう」
「お待ち下さいませ、エリウッド様はこの広間に残られた方が宜しいですわ」
「えっ?」
「女主人の部屋に男性の従者が立ち入るなど、身分と立場を弁えない振る舞いは品位を落としましてよ」


アンジェリカの言葉に唖然とするルミザ。
確かに平時ならそうかもしれないが、今は命の危機さえ迫る緊急時だ。
そうでなくても従者ヘクトルに恋をする彼女が、そんな身分差の壁を体現したような言葉を吐くとは……一体どうした事だろうか。

ルミザはただ困惑していただけだが、エリウッドは不審な眼差しをアンジェリカへと向けている。
アンジェリカがお堅い教育を受けたというなら当然だろうし何の問題も無いが、今のような状況ならば部屋に入らずとも、せめて主人が身を置く部屋の前で守護しているのが正解だろう。
それなのに、ルミザから離れて広間に居る事を奨めるとは……まさか。
ルミザは、今は緊急時だから仕方ないと思っているし、それに元々、友人であれば部屋に入るのは構わないと思うタイプだ。
だからアンジェリカを疑ってではなく、単純に反論しようと口を開いた。


「アンジェリカさん、私は気にしません。それに傍に居て貰えた方が、私としても安心しますから」
「でも……」
「私達の立場を案じて下さった事には感謝致します。しかしエリウッドには傍に居て欲しいのです。もしこの家の屋敷に、他人の男性を個室へ入れてはいけない仕来たりがあるのでしたら、それに従って部屋を諦め、広間に居ます」


そうまで言われては了承せざるを得なくなったか、アンジェリカは幾らか動揺した様子でエリウッドが部屋に入室するのを了承した。
ルミザとエリウッドは私兵に案内されて部屋へ向かったが、途中、急にエリウッドが立ち止まる。
どうしたのか訊ねるルミザに彼は、ウィアの所に忘れ物をしたと言う。


「忘れ物……?」
「ほら、ウィアに括り付けた荷物入れの! 僕が触れて良いか分からないので、ルミザ様には共に来て欲しいのですが……。あ、兵士さんには申し訳ありませんが、すぐ戻りますので少しの間お待ち頂けませんか?」


案内役の私兵は疑問符を浮かべていたが、従者であるエリウッドが触れて良いか分からない物であれば他人が触れるのも危ういと察してくれたらしく、ルネス軍の心配もあるのでお早めに、と送り出してくれた。
正直ルミザは忘れ物に心当たりなど無いけれど、エリウッドが何の考えも無くこんな事を言うはずがないと信じ付いて行く。
ルミザの手を引き、早歩きだったエリウッドは人気が無くなった瞬間に厩舎へ向かって走り始めた。


「エリウッド、どうしたの。一体なにが……」
「先程のアンジェリカ嬢の言葉、おかしいと思いませんか? 従者なら部屋に入らずとも扉の前で護衛くらいするべきなのに……」
「……それもそうね。ひょっとしてエリウッド、彼女が私とあなたを引き離そうとしていると? 一体なんのためにそんな事を」


アンジェリカの行動の意図が読めずに疑問符を浮かべるルミザだったが、すぐに一人の青年が頭に浮かんで心当たりに変わる。
そう言えばアンジェリカ、折角の祭りの日だと言うのに屋敷で何をしていたのだろうか。
彼女が想いを寄せるヘクトルが武術大会に出ているのに応援にも行かず……。
彼女の父である領主は武術大会を観戦していたようだし、行かないのは不自然なように思えた。


「エリウッド、まさか彼女はヘクトルの事で私を陥れようと……!?」
「恐らく。ヘクトルは祭りが終れば僕達に同行してくれると言っていましたし、主人である領主様やアンジェリカ嬢にも報告済みの筈です。それを逆恨みされた可能性が高いかと」
「……まさか、アンジェリカさんが一人で計画を?」
「それは分かりません。ただ先程の私兵が僕達を野放しにしたという事は、恐らく今回の事を領主様は関知していない筈です」


アンジェリカが一人でルミザを監禁なりしたとして、彼女だけで何かが出来たのだろうか?
彼女をそそのかした共犯者が居る可能性もエリウッドは示唆し、早めに屋敷を離れる事を提案する。
厩舎に辿り着き、繋がれたウィアを放すとその背に飛び乗る二人。
早いうちにエスタースから離れた方が良いだろうが、ロイ達を残して行くのはどうにも心配だ。
ラエティアの王城から脱出する際に、彼らと離れ離れになってしまった事を思い出して体が震える。
次もまた、無事に再会できる保証は無いのに……。

ウィアを走らせ屋敷から離れる……が、その前方に人影が見えた。
小柄な体、生い茂る森を思わせる深緑の髪。
そしてその見た目にそぐわない悪意に満ちた表情。


「ご機嫌は如何かしら、ラエティアの王女様?」
「ウィリデさん……!」


緑の巫女と同じ名、同じ顔を持つ少女ウィリデ。
しかしその心はルミザへの憎しみで満ちている。
彼女がこんな所に居る事でアンジェリカの言動について合点がいった。
きっとウィリデにそそのかされたに違いない。
だが彼女の背後に数名のルネス兵が居るのを見て、二人は戦慄する。
まさか彼女は、ルネス軍と繋がりがあったのか。


「何故あなたがルネス兵と一緒に居るのですか!?」
「天の巡り合わせ、なんて言いたくないけど。そうとしか言いようが無いわね。さあ、あの女を捕らえるのよ。男は殺して良いわ!」


数人のルネス兵が襲い掛かって来る。
エリウッドはルミザをウィアにしがみ付かせ、そのまま一気に崖を下りた。
崖とは言え垂直ではないので死にはしない筈だ。
建物の屋根や通路、階段も通過しながら、転げ落ちそうな勢いで下る。
しっかり掴まっていないと落とされてしまいそうだ。


「エリウッド、これからどうするの!? 無茶な下り方をしたから暫くは追い付かれないだろうけど……!」
「港へ向かいましょう。こちらの町や砂浜がある場所とは崖を隔てて、港があるらしいんです。ルネスの艦隊は砂浜の方ですし、港へ行くしかありません!」


確かに、この状況ではそれしか無いだろう。
ルミザとエリウッドは、少しだけ町から離れた海沿いにある港を目指した。


++++++


一方、ルミザ達が脱出した後の武術大会会場。
暫くの間は会場の周囲で上陸して来たルネス軍とリデーレ軍の衝突があったが、大勢の観客が一ヶ所に集まっていたのが悪かった。
まだ脅された訳ではないものの、実質これらの観客が人質に相当すると判断したリデーレ国王は降伏を宣言。
実際に海上の艦隊にはシューターと呼ばれる矢や槍を遠くまで投擲できる武器が備えられており、無差別に攻撃される恐れがあった。

武術大会の出場者は控え室に閉じ込められ、外の様子が分からぬまま無為に時を過ごしている。
部屋の隅では苛々した様子のロイとエフラムが、小声で会話していた。


「畜生、王様があんな早々と降伏なんてしなきゃ、オレ達が活躍して撃退してたかもしれないのに……!」
「仕方ない、ルネス軍の艦隊はシューターや遠距離魔法を備えているからな。今回のように一ヶ所に人が集まっていれば良い的にしかならないぞ。民を守る為にはあの降伏で良かった」
「だろうけど……ああ、ルミザ様と兄貴大丈夫かなあ」
「あの二人だったら、敵襲の合図があった直後に会場を出て行ったぞ」


割り込んだのはヘクトル。
あの時舞台に上がっていた彼は敵襲の合図に観客席を見上げ、雇い主の領主とルミザの姿を確認した。
指定席は座席のある場所が一般の自由席とは別れている上に、スペースも広めに取られているのですぐに見付けられたそうだ。
ルネス軍、という言葉が聞こえた瞬間、弾かれたように立ち上がったエリウッドが、ルミザの手を引いて出て行ったという。
その報告にロイもエフラムも、安堵の表情。


「良かった、万が一ルミザ殿がルネス軍に捕らえられていたら……後悔なんて言葉じゃ済まなかったぞ」
「兄貴ナイス! 会場内に閉じ込められたらすぐ見付かってたよ……!」
「後は領主様を助けねーとな、今もルネス軍の監視下にあるだろうし」


ヘクトルの言葉に、今の彼の主はエスタース領主だった事を思い出す二人。
オレ達にも手伝える事があったら言えよとロイが伝え、ヘクトルも笑顔で、その時は頼むと告げる。
何にしても少しでも外の状況が分かるか、それが動くかでもしないとここから無闇に動く訳にはいかない。

その時、突然控え室の扉が開かれた。
ルネス兵が入って来てエフラムはとっさに顔を俯け、ロイがさりげなく彼の前に出て少しでも隠そうとする。
他の兵より立派な鎧の兵が進み出て、口を開いた。


「お前達は武術大会の出場者、つまりは随分な手練れ揃いだろう。そこでものは相談だが、この娘を探し出し生きたままルネス軍に渡して貰えないだろうか。もしそれが叶えられたら多額の褒美を渡し、更に部隊長としてルネス軍に登用してやるとのお触れだ」


他の兵士が持っていたビラをばら蒔き、それを拾ったロイ達の顔色が変わる。

ルミザだ。
ビラにはルミザの似顔絵が描かれている。
元々、リデーレ国王の目に留まり出世する目的で武術大会に出る野心家が多かった為か、殆どの出場者が我先にと控え室を飛び出した。
非常にまずい。絶好の機会なのでロイ達も控え室を出たが、このままでは周りが敵だらけになってしまう。


「なあヘクトル、今回の祭り、武術大会の会場に来ない人だって居るよな」
「俺も詳しくは知らねえが、確かに武術大会に興味の無い奴や、会場に入りたくてもあぶれて無理だった奴も多いだろうな」
「まずいな……。取り敢えず控え室から出られたのは幸いだ、早くルミザ王女を探し出さないと」


武術大会会場から出るとヘクトルの言葉通り、前日よりは少ないもののエスタースの人通りは多いまま。
あちこちに出ている出店もそのまま、人数以外での違いは、ルミザの手配書があちこちに貼られ、また配付されている事だ。
まさに最悪の事態。
早くルミザを見付けねばと、三人はエスタースの町を駆けた。


++++++


一方その頃、武術大会会場からやや離れた海岸にある、エスタース領主の別邸。
身分があるからと国王や領主、巫女ミカヤ達はこちらに連れて来られていた。
別邸の周りには見張りが居るが、幸いな事に屋敷の内部にルネス兵は居ない。
きっと人質の事があるし、王も無闇に動かないと踏んでいるのだろう。
沈んだ様子の国王や領主と違い、ミカヤは毅然とした表情で外を眺めている。
ややあって、視線は窓から動かさないまま、隣に控えているサザに告げた。


「サザ、お願いがあるの。聞いてくれない?」
「……駄目だ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「普通この状況でお願いなんて、無茶な事しか想像つかないだろ。駄目だ」
「ルミザ様に危機が迫ってるの! このままじゃ、あの方は……」
「ミカヤ、占いの能力が戻ったのか……!?」
「少しだけ。きっとルミザ様と触れ合ったからだと思うわ。お願いサザ、わたしこのままじっとしてたら、きっと後悔する!」


窓から視線を外し、真っ直ぐにサザを見据えて懇願するミカヤ。
思い人にこんなに頼まれ、断れと言う方が無茶だ。
サザは溜め息を吐くと、近くのソファーに座っていたテティスに相談する。
彼女は初めは驚いていたものの、ルミザの事が懸かっていると聞き了承。
領主の元へ近寄り、彼に耳打ちする。


「ねえ領主様、このお屋敷、抜け道みたいな物は無いの? ミカヤが、大事な人に危機が迫っているから外に出たいと言ってるの」
「そんな……。無茶ですよテティスさん、事が済むまで待っていましょう」
「でもミカヤ、決意は硬いみたい。もう行くって決めちゃって聞かなくて」


領主とテティスが窓際のミカヤ達を見やると、サザが呆れた表情で軽くお手上げのポーズをした。
それで察した領主は、広間の暖炉に外へ続く抜け道があると、開け方を教えてくれる。
すぐに広間へ向かおうとしたミカヤとサザだが、国王に引き止められる。


「このまま出て行ったのでは、ルネス兵が見回りに来た時にすぐばれてしまうぞ。少し待ちなさい」


国王は自身の世話の為に連れて来たメイド一人と、傍に置く事を許された幾人かの兵士を呼んだ。
そして兵士の中から、サザと似た緑色の髪をした者を指定し、サザの服を借りるように命令する。


「サザと言ったか、君は屋敷の服を借りると良い。巫女殿の銀色の髪は似た髪色の者が居ない故、代わりに侍女を具合が悪いと寝台へ寝かせておく事にする。何もしないよりはましになるだろう」
「陛下……! 有難うございます。勝手な言動を、どうかお許し下さい」
「構わぬ。こうなったのも祭りの時期は安全だろうと、根拠の無い自信の上に胡座をかいて町の警護を薄くしていた私の責任だ」


自分の甘さと、大陸中に知れ渡っている海原女神の祭り中に侵略された事が堪えているのだろう。
国王はかなり気落ちしており、見ている方が胸を痛めてしまう。
ミカヤは国王に近寄り、その前に膝を折った。


「陛下、あなたが民を守る為に、ご自分に危機が迫る事も厭わず降伏を決断されたのを、あの会場に居た全ての民が見ております。あなたを信じている民の為にも、ご自分を責める事はお止め下さい。どうか、虜囚となっても誇り高いままで居て下さい」
「……巫女殿」


暗かった国王の瞳に、段々と光が戻って行く。
サザは領主から出来るだけ動き易そうな服を借り、兵士に服を渡すと短剣を構え廊下の様子を窺った。
どうやらルネス兵は近くに居ないようだ。
ミカヤもサザに付いて行こうとすると、テティスが一枚の便箋を取り出してミカヤに渡した。
一体何かとミカヤが疑問符を浮かべると、宿屋を経営しているツイハークに渡して欲しいと告げられる。


「私はここに残るわ。ツイハーク、ってあなた達、もちろん知ってるわよね? 彼が協力してくれたらきっと心強いわ、これを持って彼の元を訪ねなさい」
「……ああ、あの人か。貰っておけよミカヤ、確かに協力して貰えたら心強い」
「ええ、テティスさん、有難うございます。どうか無事で居て下さいね」
「もう、それはこっちのセリフじゃないの。ルミザ様をお願いね、どうか彼女を助けて差し上げて」
「はいっ」


もう一度サザが廊下を確認し、先行して周りに注意しながらミカヤを招く。
運良く誰にも会わずに広間へ辿り着いた二人は、領主に教えられた通りに仕掛けを動かし、暖炉の奥に隠された通路を出現させた。
かなり暗い、が、躊躇ってはいられない。


「ミカヤ、通路に入ったらすぐ扉を閉めろ。暗いし俺から離れるなよ」
「分かったわ。我が儘を聞いてくれて有難う、サザ。頼りにしてるからね」


ミカヤに笑顔で告げられ、こんな時なのに熱くなる頬を悟られないよう、彼女を振り返らず暗い隠し通路を見据えるサザ。
ルミザに危機が迫っていると察知したミカヤはこんな風景を見たのかもしれないと思いながら、彼女が扉を閉めたのを確認し、注意深く進んで行った。





−続く−



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