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15章 光を胸に



魔物の群れを撃退した後、ルミザ達はセネリオ達と共にネブラの神殿へとやって来ていた。
初日以来の訪問だが、あの時とは違う厳粛な雰囲気が漂う事に気付く。
見ればもう一人の大賢者アトスが、床に描かれた魔法陣の中央でじっと座り込んでいた。


「セネリオ様、アトス様は一体なにを……?」
「あなた方がネブラへ来た次の日から、ずっとこうして瞑想と祈りを続けているんですよ」


ルミザがネブラへ来た次の日と言えば、もう3日も前。
そんなに長くこうしていられるなんて、とても信じられない。
セネリオの話によると、大賢者のような人の理から外れる者は、食事などを必要としなくなる事例も良くあるらしい。
セネリオが声を掛けるとアトスは瞑想を止め、途端に床の魔法陣も消える。
ルミザ達4人にアイクとセネリオ、アトスを交えて話を始めた。
アイクを見つめつつ、ルミザは息を洩らす。


「アイクが此処に居るなんて……思いもしませんでした」
「一応、俺の故郷はネブラだからな。此処を拠点に大陸中で活動しているんだ、邪神を倒す為に」


アイクがネブラの出身だったとは初耳で、ルミザは目を丸くする。
邪神を倒すのが目的と言ったが、ドルミーレに来たのはひょっとすると、大賢者から何かの情報を得たからかもしれない。
そう言えばエフラムはドルミーレの闘技場で、ルミザがエルフィンの正体を聞いた時にアイクと会っていた。
エフラムはそれを思い出したのか怪訝そうな表情でアイクに尋ねる。


「お前、確かドルミーレの闘技場で会ったな。お前の言う通り闘技場の裏口へ行ったら、ルミザ王女がミルディン王子に話を聞いていたが……お前は俺達の事を、どこまで知っているんだ」
「エリウッドとロイはラエティアの有力貴族で、エリウッドは王都脱出から、ロイは王都で囮になりカネレの弓使いの村から本格的に旅に参加した。エフラムはルネスの王子で、叔父の謀反によりドルミーレの闘技場へ売られ、其処でルミザと出会って旅に参加した」


つまり、この邪神を倒す為の旅については大部分を知っているという事。
ルミザの事を言っていない事に気付いたロイが、姫様の事は知らないのかよ、と突っかかるが、アイクは眉一つ動かさずにすらすら話す。


「ルミザはラエティアの王女で、邪神の生贄になる筈だったがルネスの侵略により逃げ延びる。以後邪神を倒せる可能性のあるマテリアを虹の巫女から授かる為、旅をしている」
「なんだ……知ってんのか」
「ルミザの事ならお前らより、そしてルミザ自身より知っているがな」


その言葉に、エリウッド・ロイ・エフラムは何となくムッとしてしまう。
その感情のままに食い付こうとするロイをエリウッドが押しとどめ、飽くまで冷静に、どういう事だと尋ねるが、アイクは全く答えようとしない。
諦めたエリウッドは、セネリオに質問した。


「それでセネリオ様、僕達を此処へ呼んだのは、一体どういう理由ですか?」
「アトスが受けた神託を告げる為です。あなた方の旅のヒントになるかは分かりませんが、やってみようと思いまして」


アトスは3日前から祈りと瞑想を続けていたが、そのついでに、神託を受けていたらしい。
神託というと神からのお告げだと思いがちだが、この世界では予言じみた占いのようなものの事を神託と言う。
人が手出し出来ない…神のような運命からのヒントという事で神託と呼んでいた。
もちろん、普通の占いとは全くわけが違う。
アトスが告げた言葉を、セネリオが訳していく。


「Non est ad astra mollis e terris via」
「ノーン・エスト・アド・アストラ・モッリス・エー・テッリース・ウィア……。
 【大地から星までの道は平穏ではない】ですね」
「それは、何かの比喩なのでしょうか?」
「そうですね、【大地】は起点を、【星】は目標などを表す事があります……が、これは恐らく比喩だけではなく、そのままの意味も含んでいるかと」


セネリオはそう言うが、どういう意味か尋ねても教えてくれない。
いずれ分かります、今は聞くべき時ではありませんと大賢者に言われては引き下がる他ない。
セネリオは続けて、アトスの言葉を訳していく。
言葉さえ覚えていればいつか意味が分かる日が来ますから、と付け足して。


「Quid emim stultius quam incerta pro certis habere.falsa pro veris?」
「クゥイド・エニム・ストゥルティウス・クゥァム・インケルタ・プロー・ケルティース・ハベーレ・ファルサ・プロー・ウェーリース。
 【不確実な事を確実と見なし、誤りを真理と見なす事以上に愚かな何があるだろうか】です」


それはルミザも何となく意味が分かった。
過ちを犯しても、また謝罪や取り返しをする機会は必ずあるだろう。
だが過ちを過ちと認識していなければ過ちを正す機会など訪れない。
それどころか過ちを正しい事と認識し、正しい事を過ちと認識するようでは余りに愚かだ。
それでもルミザは、過ちと正しい事を逆に認識しても、考え直す機会はいつか必ず訪れる筈だろうと考えるが。


「Sera.tamen tacitis Poena venit pedibus」
「セーラ・タメン・タキトィース・ポエナ・ウェニト・ペディブス。
 【遅く、しかし静かな足取りで罰の女神は訪れる】という意味です」
「罰の女神は確か、邪神の妻でしたかしら」
「はい。二度も他の神と不貞を働いた事で邪神の怒りを買い、消されてしまったという。犯した罪に対する罰を司る女神が、身を以て罰を証明するとは皮肉なものです」


罰を司る女神が訪れるという事は、いつかルミザが、
罰を受けねばならない程の罪を犯してしまうという比喩だろうか。
【遅く、静か】に何か意味があるのかは不明だが、何となく不気味な感じがして不安になる。


「Summum nec metuas diem nec optes」
「スッムム・ネク・メトゥアース・ディエム・ネク・オプテース。
 【あなたは最後の日を恐れても望んでもならない】という意味です」
「最後の日……?」
「先程の罰の女神とこの言葉の二つは、僕にも心当たりがありませんね」


一体、何の最後か。
自分の命が終わる日の事なのか、それとも他の何かが終わる日の事か。
アトスの神託はこれで最後のようでルミザ達は暫し呆然としていた。
考えても何を指す言葉なのかは分からないが、何か重大な意味が眠っていそうな言葉ばかりだ。
几帳面に言葉のメモを取っていたエリウッドを横目で見ながら、ロイは不満そうにぽつりと洩らす。


「意味わかんねー。結局なんか役に立つのか?」
「ロイ、そんな事を言ってはいけないわ。折角大賢者様が神託を行って下さったというのに」
「だってルミザ様、意味が分からないんじゃ対処の仕様がないよ。悪い事だったら大変だし……結局意味ないんじゃ?」


確かにロイの言う事も一理あるが、ルミザはどうしても今の神託が何の意味も無いとは思えない。
分からないのは分からないが、どの言葉も自分に深く関わっていそうで。
そうやってルミザが複雑そうな表情をしていると、アトスが進み出て一冊の本を手渡した。
ハードカバーの立派な装丁で、一体何かとアトスを見ると開くよう言われる。
中には、光魔法の呪文や理論などがびっしりと記録されていた。


「それは、光の魔道書」
「魔道書……?」
「様々な魔法の呪文や印、組み立て方が記された本だ。それで学べば、基本的な魔法、そして基本を応用したより強力な魔法を使えるだろう。そなたへの、儂とセネリオ殿からの贈り物だ」
「あ、有難うございます!」


二人の大賢者からの思わぬ贈り物に嬉しくなったルミザ、は少々興奮気味に頭を下げる。
周りの者達は、それを微笑ましそうに見ていた。


++++++


次の日、ネブラを出発する事になったルミザ達の元へ魔道士達が見送りに来てくれた。
話すうちにルミザが貰った魔道書の事になり、見せると非常に驚かれる。


「うわすっごい、僕、魔道書なんて初めて見た!」
「世界でも有数の魔道使いしか持っていないという魔道書……。しかも光の魔道書は、未だ一冊しか確認されていません」


ユアンとルーテの言葉に、そんな凄い物だったのかとルミザ達は驚く。
そんな物を自分が貰って良かったのかと戸惑うルミザだが、大賢者たちの考える事、ちゃんと意味があるのだろう。
自分はただその考えに足るだけの人物になれるよう努力すればいい。
そうやって自身を納得させ、ルミザは彼らへ礼を告げる。


「本当にお世話になりました。これからもっと精進して、皆様の教えに恥じない魔道士になりますわ」
「うん、ルミザ様ならきっとなれるよ!」
「あまり、焦らずに……確実に歩んで下さいね」
「僕もよく叱られたんですが、たまには休憩して息抜きもして下さい」


ルゥ・ソフィーヤ・エルクから応援とアドバイスを貰い軽く頭を下げるルミザを見て、トパックが何かを思い出したように手を打ち、ちょっと待っててくれよと走り去る。
数分で戻って来たトパックの手に握られていたものは、魔力を含蓄しておけるというブローチ。
赤い宝石が金縁で彩られた美しいものだ。


「魔力に余裕がある時にでもこのブローチに魔力を溜めておくと、いざって時に魔力を引き出して回復できるんだ。すげぇだろ、ルミザ様の旅って危険な事も多そうだし、これやるよ」
「宜しいんですか? 大事な物なのでは……」
「おいらが持ってるより役に立ちそうだし、貰ってくれた方が嬉しいから気にすんなって!」
「では……戴きますね。有難うございます」


トパックの言葉に甘え、ブローチを貰う事にした。
魔力を含蓄しておけるならいざという時に役に立ってくれる事だろう。
魔道士達に別れを告げ、次は大賢者とアイクへの挨拶に行こうと神殿へ向かうルミザ達。
すると神殿の方からテティスがやって来て、にこやかに挨拶して告げた。


「あのね、大賢者様からの伝言なんだけど。挨拶はいいから、すぐに港町エスタースに向かえって」
「え……ですが、それでは余りに失礼です」
「大賢者様がそう言うんだから、そうしても良いんじゃないかしら。
 あと、案内を命じられたから宜しくね。私エスタースじゃ顔が利くから、けっこう役に立つわよ!」


港町エスタースで、何かあるのだろうか。
何にしろ、このリデーレ王国で青の巫女を見つけた後は、北のロクイー王国への船が出ている港町へ行くつもりだったが。
大賢者の言葉なら、そうした方がいいかもしれない。
ルミザ達はネブラ神殿へは行かずに、テティスを伴って旅を再開した。
またいずれ……特にアイクとセネリオには再会できるのではないかという予感を抱きながら。
だが里の入り口である巨大な門が見えた所で、エリウッドが突然、あっと声を上げる。
何事かと彼を見ると、彼は重大な事を思い出していた。


「大変だ……! ルミザ姫、僕達、荷物を乗せた駱駝やウィアを砂漠のどこかに置き去りにした筈ですよね……!?」
「あっ、そうだわ、ウィアや駱駝が!」


ルミザもネブラに来たばかりの頃は愛馬や駱駝を探したいと魔道士達に申し出たのだが、
今は魔法の習得に集中すべきだと窘められ、諦めてから忘れていた。
荷物も乗せていたし、何より幼い頃からの愛馬を失った事は、ルミザにとって深手だった。


「あぁ……私やはりウィアを連れて来るべきではなかったのかしら。こんな事になるなんて……」
「気を落とすなルミザ王女、巫女を見つけたら砂漠を探してみよう」
「それまでウィアが無事で居られません。駱駝と違って、砂漠で生き抜く術が無いもの」


ウィアを連れて来た事を後悔するルミザ。
彼女にとって砂漠を旅するなんて辛いだけだっただろうし、ドルミーレの王宮に預けておくという選択肢もあった筈だ。
リデーレは砂漠、次に向かう予定のロクイーは白銀世界と、平原育ちの馬であるウィアにとっては人より歩き難く無茶でもある。
人と馬は違うという事も忘れ去り、ウィアと旅を共にしたいなどという我が儘のせいで……。
忘れていた事もあり、すっかり落ち込んでしまったルミザに掛ける言葉が見つからないエリウッド達。
どう言うべきか逡巡していると、ふとロイが、門の方へ歩み寄り、その扉を開け放った。
何事かと彼……つまり門の方へ目を向けていたルミザ達は、唖然とする。


「ウィア……!?」


そこには紛う事のない白馬が佇んでいた。
背後には5頭の駱駝が控えており1頭はちゃんと荷物を乗せている。
ルミザは駆け寄り、愛馬を抱き締めた。


「ウィア……! ごめんね、ごめんね」
「良かった、何か鳴き声がした気がしてさ。ルミザ様、駱駝も無事だし、ウィアをネブラで預かって貰ったらどうかな」


ロイの提案に、ルミザも異論なく頷く。
駱駝のように砂漠で生きる術を知らない彼女の命があっただけでも奇跡、もう危険に晒したくない。
エフラムが、俺が魔道士達に頼んで来ると言いウィアの手綱を握るが、突然、まるでネブラに残るのを拒否するかのようにウィアが暴れ出し、ルミザの背後に回ってその背を押し始めた。
残りたくない、早く出発しようと言っているような気がして、ルミザ達は戸惑ってしまう。


「ウィア、おまえ残りたくないの? 心配しなくても迎えに来るわ。この先はまた砂漠だし、次は雪や氷の国で、おまえには辛い旅になるのよ」


ルミザが宥めつつそう言うが、ウィアは鼻を鳴らして進もうとするばかりで残りそうにない。
どうにも困った表情でウィアを撫でるルミザに、テティスが言う。


「ルミザ様とよっぽど離れたくないのね。連れて行ってあげたらどうかしら? この子数日間も砂漠を彷徨っていた割に、やつれてないし毛艶も良いじゃない。凄い生命力だわ」


言われてみれば、砂漠に数日間放置されていたというのに、痩せてもなく特別疲れた様子もなく至って普段通りだ。
私は大丈夫よ、だから連れて行ってと言っているような気がして、ルミザは決心する。


「……連れて行きましょう。嫌がっているのに置いて行く事なんて出来ない」
「まぁ仕方が無いな。おいウィア、付いて来るなら覚悟しておけよ。何かあってもルミザ王女のせいにはしないように」


エフラムの冗談まじりな脅しに、ウィアは少しそちらを見て鼻を鳴らす。
まるで返事のような行動に後押しされ、ルミザ達はネブラを後にした。
砂漠を越えて荒野を抜け、その先にあった町に駱駝を返して一泊する。
翌日に出発し、熱帯のジャングルを抜け緩やかな山道を登りひた歩く。
やがて見えて来た港町の美しい景色に、ルミザ達は知らず感嘆の溜め息を洩らしていた。

高い崖の上から下まで真っ白な壁の家が埋め尽くしていた。
それが真っ青な海や空との対比を幻のような美しさにしている。
道も白く、下までずっと真っ白な世界だ。
下の方は海岸の砂浜に合わせた広場が続いており、祭りでもあっているのか、出店のテントで埋め尽くされ、人が行き交っている。


「綺麗……! 凄いわ、こんな楽園みたいな町!」
「ようこそ、此処が港町エスタース。地上に降りた天国と呼ばれているわ。明日から海原女神のマレを讃える祭りが始まるのよ」


テティスが鷹揚に礼をして、まるで町の主のように歓迎の挨拶をする。
地上に降りた天国……まさにぴったりな表現。
ウィアを連れているので真っ白な建物たちの間ではなく、少し離れた広めの道を下って行く。

かなり高い崖で、海が遥か下方、彼方まで見渡せるのは絶景と言う他ない。
崖と言っても家が建っているくらいなので当然垂直ではなく、やや緩やかに海までの道を形作っていた。
信じられないほど真っ青な海を見下ろしながら崖の中腹辺りまで下ると、道も充分に広くなる。
テティスに案内されて向かった宿も周りと同じ真っ白な壁で、海の濃紺や空の青と合わせて見ると、頭がくらくらしそうだ。
ウィアを預けて帳場に行くと、そこに居た宿の主人とテティスが親しそうに話をする。
意外な事に主人は若者で、青銀の髪に柔和そうな笑顔が良く映えていた。


「こんにちはツイハーク、また来ちゃった」
「ようこそテティスさん。後ろの人達は友達かい?」
「えぇ。今回初めてエスタースに来て、すっかり気に入っちゃったらしいの。一番いい部屋を2つお願いするわね」


ルミザ達が進み出て挨拶すると、宿の主人……、ツイハークという名らしい青年の柔和な笑みが、こちらへ向けられた。
部屋の鍵を貰いつつ、軽く雑談する。


「良い時に来たね、明日から年に一度の海原女神の祭りがあるんだ。人が多くなるから、今のうちに下まで降りて目当ての店の目星でも付けておくといいよ」
「へー、祭り! なぁなぁ、行ってみようぜ!」
「ロイ、僕達は遊びに来た訳じゃないんだから、領主殿の屋敷を訪ねるのが先だ」


遊ぶ気満々のロイをエリウッドがぴしゃりと窘め、それを聞いたツイハークは不思議そうな顔をした。


「この時期にエスタースに来て、遊ぶ時間も取らないなんて変わった人達だな。ちなみに領主殿は出掛けているから、あと半時は経たないと帰らないよ」
「ほら、だってよ! 時間潰しに下まで降りようぜ!」


ここぞとばかりに、ロイは言い訳を見つけて嬉しそうに飛び跳ねる。
エフラムもエリウッドに交ざり、いい加減にしないかと叱ろうとしたが……。


「あ、あの、私、ちょっと行ってみたいかも……」


ルミザの遠慮がちな一言で、次の行動は決まってしまったのだった。


++++++


「さっすがルミザ様、話が分かるよなぁ! あ、あの屋台お菓子だよ!」
「ロイ、さすがに調子に乗りすぎだ!」


大きな崖を一番下まで降りて来たルミザ達。
ルミザの手を引き、まだ人並みもまばらな祭り会場の広場をロイはハシャいで駆け回る。
砂浜に合わせて作っているので縦長な広場は、明日の開店準備をしている出店で溢れていた。
エリウッドの叱咤も今のロイには届かない……。


「あ、あっちの方ちょっと人混みになってる、行ってみようぜ!」
「ロ、ロイ、待って……」


引っ張り回されるルミザの必死な制止もロイには届かず、人混みになっている方へ連れて行かれる。
エリウッドとエフラムは呆れた溜め息で、テティスは微笑ましそうに二人を追い掛けるのだった。
人混みはどうやら明日のイベントについての説明を聞いているらしかった。
配っていたチラシを貰うと、そこには大きく武術大会の文字がある。


「武術大会か、いいな。参加してみるか」
「……エフラム? 遊びに来た訳じゃないとさっき僕が言った筈だけど」
「い、いや、修行の一環としてだな……。たまには鍛錬でも違う相手と戦うのは良い事だぞ」


エリウッドの突っ込みに慌てて取り繕うエフラム。
結局ロイとやっている事は同じなのだが、あれこれと理由を付けて正当性の主張を始める。
そんな事をした所で更に墓穴を掘るだけだが……。
エリウッドは呆れた息を吐き、そろそろ領主の屋敷に向かおうと提案する。
領主の屋敷は崖の一番上にあるので、一番下の此処から、またかなり登って行かなければならない。


「いい運動になるわよー。私が素敵なプロポーションなのは、昔から歩くこの坂道や階段のお陰なのでした、なんてね」
「ふふっ。テティスさんは昔から、よくエスタースに来てらっしゃるんでしたよね。でも建物も道も階段も真っ白で、空や海の青との対比が美しいから歩くのも楽しいです」
「分かるでしょ? さ、もう一頑張りしましょう」


ルミザ達が去った後、人混みの中から一人の少女と一人の青年が出て来た。
少女は港町領主の娘で、青年はその護衛をしている雇われだ。
ふと青年は、祭り会場を人波とは逆に歩く一団を目に止める。
それはルミザ達だが、青年はその後ろ姿をじっと見つめ続ける。


「……どうかなさいましたの? もうそろそろお父様もお帰りになるし、あと少し見て回ったら帰りましょう」
「あぁ……」


領主の娘・アンジェリカの言葉に生返事をして、青年は彼女のすぐ側を歩く。
視線は既にルミザ達から外れていた。


++++++


領主の館でもテティスの顔の広さに助かった。
門番に話をするとあっさり通して貰え、そろそろ帰る領主を室内で待つ。
出されたお茶を飲みながらルミザは感心したようにテティスへ訊ねた。


「凄いですね、テティスさん。やっぱり祭の巫女をしてらしたからですか?」
「ふふ、そうね。エスタースじゃ私の事を知らない人は居ないんじゃないかしら。領主さんとも良く知り合ってるし、何かあったら私に任せて」


人脈とは、何をする上でも大切になって来る。
人と人との付き合いや繋がりの大切さをルミザは改めて知った。
やがて帰って来た領主にもテティスから話をして貰い虹の巫女の事を訊ねるが、心当たりは特に無いという事だった。
まぁ聖神の伝承にも虹の神に仕える巫女の話など出て来ないし、無理も無いかもしれない。
大賢者に言われてやって来た場所で何も無いとは思い難いが……。
これからどうするべきか途方に暮れていると領主が提案を出してくれた。


「そうだ、次の祭の巫女であるミカヤ殿にお尋ねしてみては如何でしょう」
「ミカヤさん、ですか?」
「あ、そうだわ。あの子占いが得意だから、何か掴めるかもしれないし」


何も手掛かりが無い以上、可能性は試すべきだ。
海原女神を讃える巫女として祭で忙しいので、余裕を持って会うには祭の終わりを待つしかないが。
折角ですので祭を楽しんで下さいと微笑む領主に、ロイが力いっぱい返事をしようとした瞬間、広間の扉が開いて少女が姿を見せた。


「お父様、お帰りなさいませ……あら、お客様がいらしてましたの」
「ただいま、こちらへ来て挨拶なさい。皆様、娘のアンジェリカです」


愛らしく微笑み、入室するアンジェリカ。
可愛らしい少女だなと見ていたルミザ達は、次の瞬間、アンジェリカの後から入って来た青年に視線と思考を奪われた。
そしてエフラムを除いた三人が、驚いた声を張り上げて同時に叫ぶ。


「ヘクトル!?」


そう、少女の後から入室した青年は間違いなく、幼なじみのヘクトル。
行方の知れなかった友人の最後の一人だ。
感極まって言葉が出て来ないルミザ達へ、ヘクトルの方から口を開く。

ただし、その内容は。
ルミザ達の思考を再び停止させるのに、充分な威力を持っていた。


「……誰だ? お前ら。何で俺の名前を知ってんだよ」





‐続く‐



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